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2024年6月27日 07時10分に生成された05時00分のデータです
2019-11-06 05:37:02
ふたりの桃源郷舞台は山口県岩国市美和町。ここに毎日、車で30分かけて山に通う生活をつづける夫婦がいる。ふたりが山に通う理由とは?山暮らしを選んだ両親と、それを支えた家族の約30年に渡る記録。
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2020-02-21 18:01:02
夫婦で築き上げてきた“ふたりの桃源郷”寅夫さん「元気でお願いします」
フサ子さん「頼みます」
おじいさんとおばあさんはいつも一緒。寝る時も、ごはんも、歯磨きも。この山は“ふたり”で鍬(くわ)を振るい、切り拓(ひら)いた、電気も水道も通っていない“ふたり”だけの桃源郷。田中寅夫さんと、妻のフサ子さんは、共に70歳を過ぎていました。寅夫さんが戦地から帰ってきた、昭和22年。ふるさとに近い山を買い、夫婦で切り拓きました。
寅夫さん「ここが原籍。元気な盛りに血みどろになってやった」
月に一度は、大阪に住む三女から手紙が届きます。
フサ子さん「早う読んでみんさい。はい、お母さんが封筒持っておいてあげるけえ、読みんさい」
娘たちは、父と母の山暮らしを心配していました。寅夫さんが80歳を迎える記念の旅行で、娘たちは山を下りるよう説得しました。
寅夫さん「もうあと、余命幾ばくもないと感じておりますが、迷惑のかからんように、(山)で最期を飾りたいと思いますので…」
長女博江さん「もう出来んようになったから『世話になる』と一言、言いやおじいちゃん」
80歳を過ぎても、ふたりだけの山暮らしは続いていました。ぜんそくが出るようになった、寅夫さん。ついに山から降り、麓の老人ホームに入ることに。体の負担を考えての入居。しかし、2人とも眠れない夜が続いていました。
春になると、2人は外出するようになりました。あの山へ―。
毎朝老人ホームを出て、昼間だけ山で過ごす生活が始まりました。「山に通い始めた両親を、せめて応援しよう」と娘たち家族も大勢やってきました。
寅夫さん「乾杯」
フサ子さん「ありがとうございます」
しかしこの冬、寅夫さんは、前立腺にガンが見つかりました。
フサ子さん「冷いのう、手が。氷みたいな」「はー、ほんまにどうしよう」「おばあさんが何にもできんから…」
「山に帰りたい」最後まで、そう繰り返し、寅夫さんは亡くなりました。
フサ子さん「おじいちゃんの姿が見えんのう」- 364
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1970-01-01 09:00:00
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