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2024年7月21日 07時10分に生成された05時00分のデータです
2017-12-22 12:53:07
ジョセフ・マーフィー~成功者の名言(大橋直久)ヒーリングカウンセラーの大橋直久が、成功者の名言をお伝えします。
●ジョセフ・マーフィー「もしあなたが、より多くのお金をつくり、豊かで実り多い人生を楽しもうと思うのだったら、他の人と自分を比べ彼らの富や成功をうらやむむことをやめなければならない。」
ジョセフ・マーフィーは、米国で活動したアイルランド出身の宗教家、著述家。ニューソート派に属し、主に牧師として活動した。 潜在意識を利用することによって自らや周りの人さえも成功、幸福へと導く「潜在意識の法則」を提唱した。関連著作は自己啓発書として広く流通している。
https://twitter.com/oohashinaohisa- 166
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2023-05-13 20:51:02
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第58回・谷口雅春と生長の家(その⑤)谷口雅春の生長の家は、万教帰一を唱えるが、しかし、その実態としては仏教とキリスト教の帰一のことを示しており、北米のニューソート思想によりこの二つは谷口流に融合されることとなる。ニューソートにより、本来キリスト教が持っていた人間の原罪論と贖罪論は否定され、絶対神で創造神であったゼウスの存在さえも否定され、創造神は人や宇宙に予定調和を求めるものではなく、人の中にも神の要素があることに目覚めることが大事だとされた。谷口もそのニューソートの思想を積極的に受け入れたが、ただ、人が自らの中にいる神や仏に目覚める為にはより仏教的な思想を採り入れる事が必要だとした。ニューソートや生長の家では自らの中にいる神に目覚めるためには神想法という瞑想的な方法を用いているが、ニューソートでは誘導付きの瞑想やイメージの視覚化などのテクニックを用いるの対して生長の家ではより仏教的な観想法を積極的に用いている。谷口は仏教思想への造詣が深く、真言密教の阿字観や天台密教の月輪観や浄土教の阿弥陀如来信仰などの思想も積極的に採り入れ、中でも谷口がもっとも重要視したのは法華経で、法華経の中で説かれる久遠仏の思想は、彼がニューソートと仏教を融合する上で特に大きな役割を果たした。万教帰一を唱える生長の家では、法華経やその他の仏教経典やキリスト教の新約聖書などを声を出して音読するのもその神想法に採り入れられている。生長の家では絶対神・創造神を生長の家の大神と呼んでいるが、その実態は、谷口が最初に神の子として覚醒した神戸の元住吉神社の元住吉大神としているが、実は、それが時に大日如来になったり、時に天御中主になったりと神の名称自体には一切こだわっていない。一方、谷口は、人間みな神の子という思想のもと、階級闘争という思想にも強く反対し、富者と貧者は争うべきではなく、おのおのが神の子であることを自覚することにより自然と富む者は貧しき者に与え、仕事のある者は仕事無き者とウォークシェアリングをすればよいと訴えた。谷口がこう訴えていたのは、昭和恐慌直後の昭和5年1930年であった。
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2017-10-06 13:23:06
ジョセフ・マーフィー~出世したい時に読みたい名言(大橋直久)ヒーリングカウンセラーの大橋直久が、出世したい時に読みたい名言をお伝えします。
●ジョセフ・マーフィー「仕事において出世したいならば、まず雇い主や上司や愛する人が、自分の昇進を喜んでくれている情景を想像することから始めなさい。」
ジョセフ・マーフィー(1898年5月20日 - 1981年12月15日)は、米国で活動したアイルランド出身の宗教家、著述家。ニューソート派に属し、主に牧師として活動した。
潜在意識を利用することによって自らや周りの人さえも成功、幸福へと導く「潜在意識の法則」を提唱した。
関連リンク:
http://profile.ameba.jp/healing-counseling-room/- 129
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2023-04-12 23:58:02
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第54回・谷口雅春と生長の家(その①)生長の家の開祖・谷口雅春は、1893年〈明治26年〉11月22日、兵庫県八部郡烏原村東所(現在の兵庫県神戸市兵庫区烏原町)に、新田義貞の血筋を引くと言われた谷口音吉と妻・つるの間に6子のうちの次男として生まれたが、4歳の時に、同じ谷口家の叔父の家に養子として引き取られ、優秀な成績のもと、大坂の旧制大阪府立市岡中学校を出た後、上京して早稲田大学英文科に進むが、女性のトラブルの為に途中退学し、神戸に帰省後、摂津紡績(現ユニチカ)の木津川工場で働き、そこでも付き合っていた遊女から性病を移され、また女性のトラブルで退職した後、紡績工場勤務時代の資本家に搾取される女工たちを見た体験や、性病で一命を落としそうになった体験から社会変革や神霊治療に興味を持ち始めたことがきっかけで、大正7年、大本教の本山である綾部を訪ね、その教えに心酔した上で翌年綾部に移住し、大本信者として入信した。
谷口雅春が大本にいたのは約3年間だったが、大正10年の第一次大本弾圧事件をはさみ、出口王仁三郎の側近の一人として霊界物語の朗読聞き取り記述を手伝ったり、大本系列の愛善新聞の出版局長を行ったりと、精力的にその宗教活動に協力した。
しかし、大正10年世界立替え説と言う、大正10年に世界が滅亡するという大胆な予言が外れ、その煽りがもとで第一次弾圧を受けることになった大本に失望し、一次弾圧事件の翌年の対象11年に大本で知り合い結婚した妻・輝子とともに大本をさることとなった。
その後、同じく大本を脱会した浅野和三郎の主宰する「心霊科学研究会」に一時期席を置いたが、その後は、神戸の養母の家に夫婦で居候しながら宗教雑誌への投稿と自費出版の執筆の日々にあけくれた。しかし、大量の投稿の内容が多くの読者に支持され、とうとう昭和5年には自主出版で月刊誌「生長の家」を創刊し、読者数も急増する中、5年後の昭和10年には宗教団体「教化団体生長の家」を創立し、それが今日に繋がる宗教法人「生長の家」へと発展していくのであった櫻井? 大本組?
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2023-04-13 00:32:02
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第55回・谷口雅春と生長の家(その②)平田系神道カルトの多くが全宇宙および地球の創造神が日本の神だと説き、日本の天皇は全世界の宗主になるべきとか、世界の言語は日本語から発生しているなどと地上のすべての起源は日本から来てるという日本中心主義を唱える中、生長の家の谷口雅春は、そうした宇宙観・地球観および信仰神や天皇よりも人間ひとりひとりがどうよりよく生きて行くかという生命の在り方に焦点を当てた宗教観を持っていると言える。
谷口は、創造神の重要性は認めるものの、その創造神はただ単に人間や動植物に生命や環境を与えただけで予定調和的な仕組みは与えておらず、どう生きるかは一人一人の問題であり、創造神が助けるものでもなければ妨げるものでもない、としている。
ただ、一人一人の人間がいかに良く生きるかは、個々の人の中にある神性、つまり自分の体の中にある神の存在に目覚め、いかにそれを育んでいくかにかかっているとする。
言い方を変えれば、自分の中にいる神に気が付くためには、この現象界と言われる目に見える世界ではなく、目に見えないが実在する真の世界、つまり実相の世界に目覚める必要があると言う。
実は、この思想は、谷口が幼少より培われた仏教観念と青春期に出会ったキリスト教思想との間の葛藤の中、どちらかに優劣をつけるのでもなければ、その両者の折衷を採るわけでもなく、むしろ両者を止揚、つまり、両者の化学反応から生まれた独自の宗教観とでもいえる。
そして、その谷口の宗教観を決定付けて行くのは大本脱会後に出会ったアメリカのプロテスタント反カルバン派の一つであったニューソートというクリスチャンサイエンスで、この谷口の実相思想が確立する中、彼の教団・生長の家が誕生することとなる。
しかし、時は太平洋戦争直前で、当初谷口は、神の子である人を死なせて行くような戦争を賛美するような「海行かば」斉唱に反対したりしていたが、官憲の監視が厳しくなると谷口は突如方向転換をし、積極的な戦争協力に廻り、戦後は、政治の表舞台に立ち、明治憲法復活や元号法制化、建国記念の日制定法など戦後保守政治運動を推進し、神社本庁などと連携して日本会議を結成するなど右翼団体を思わせるような保守傾斜の道を進んだ。
しかし、引退後の谷口はまた180度旋回するように優生保護法廃止運動や完全菜食主義、反原発などリベラル急進派のように変身した。
彼の実相思想自体には一貫性があるものの、彼があの戦中と戦後のナショナリズム運動に走った理由を知る者は誰もいないのであった。8888888888888888888888888888888
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2023-04-29 22:41:03
【神道シリーズ・シーズン3】第57回・谷口雅春と生長の家(その④)谷口雅春は、青春時代に出会ったトルストイの「復活」のキリスト教における原罪と贖罪の問題に対する解決を求めて、大本入信後も、西田天香の一燈園への体験入園など、贖罪を求めた原始的共同村参加など解決無きまま彷徨っていたが、大本を脱退した大正11年にたまたま古本屋で見つけたアメリカのニューソート信者ホムルスの本に出合うとこれまでの考え方と生き方がいきなり一変することとなった。
キリスト教プロテスタント改革派であるカルバン派から発生した批判派は自らニューソートと名乗り、もともとヨーロッパで発生したその思想は19世紀に北米に広がり、20世紀に入ると日本にも流入して来ていた。
同じキリスト教徒でありながらニューソートは聖書の原罪説や贖罪説の一切を否定し、神の予定調和説さえも全面否定し、神とは自ら意思を持たぬ宇宙創造主であるとし、故に人は神に縛られるのではなく、人の中にある神の創造力を生かしていかに有意義な人生を送るべきかに主眼がおかれていた。
仏教思想に造詣の深かった谷口は、このニューソートの宇宙観や神観を仏教思想の無明や唯識論に充て辞め、究極、目的を持たぬ創造神は仏教でいうところの無明そのものだと結論付けた。
しかし、無明で予定調和を求めぬ創造神は生きと生けるものすべてにその無明の神性を与えているので人は自らの内にあるその神性に目覚め、いかに有効に活用して健康で幸せな生活を送れるようにすべきが谷口の関心の中心となっていった。
しかし、その神性に目覚めてそれを自分の為に生かして行く方法はニューソートとは大きく異なり、単なる啓発トレーニングではなく、真言密教の阿字観や天台宗の月輪観や密教の普賢延命菩薩法などを通じて如意宝珠を得るという観想法などを中心に修練法を仏教的なそれに結び付けて行った。その後、聖書や仏典や古事記やコーランなどを声を出して読んだり、静坐や瞑想することもその修練の中に含めている。
こうした実に平和的な思想を持つ生長の家にも、日中戦争が拡大するなか、いよいよ太平洋戦争に突入すると、谷口にも戦争協力の圧力がかかることになったのである。- 74
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2023-04-23 16:06:02
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第56回・谷口雅春と生長の家(その③)谷口雅春の思想変遷は、浄土真宗の正信偈を何度も何度も棒読みさせられた少年時代から、トルストイの復活の中で提起された原罪と贖罪の問題、さらにオスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」の中で描かれる堪能的で耽美的で退廃的な世界への魅了との間で揺れた青春時代と、いかに生きるべきかという問題を抱えつつ、神霊治療に興味を持ったことがきっかけで入信した大本教では、霊界物語での霊界の世界と万教同根の思想を学びながらも、神仏など絶対的な存在と自分と言う個はどう関わりあうべきかという問いの答えは見つからぬまま大本脱会後も自分の問題意識は彷徨い続けていた。
貧困の中、宗教雑誌の翻訳などで糊口を凌いでいた谷口は、武者小路実篤の「新しき村」や西田天香の一燈園など、自らの私財をつぎ込んで建設したユートピア村に興味を示したが、武者小路の丸投げ式で失敗した「新しき村」や、自己犠牲を強いる西田の一燈園など、いずれにももろ手を挙げて賛同できぬまま、トルストイが投げかけたキリスト教の原罪と贖罪と人の生き方という問題は解決せぬまま再び原点に戻ってしまっていた。
そこで西田が出会ったのが、当時アメリカで一世風靡していたニューソートと言うキリスト教プロテスタント反カルバン派から発生した思想で、これは、西田にとってはコロンブスの卵に匹敵するほどの画期的な発想であった。
18世紀に北欧スウェーデンの科学者・スウェーデンボルグが自らの瞑想の中で見て来た霊界の世界では聖書に書かれてることとはまったく異なる世界で、そこでは創造神は全知全能でもなければ
特別な意識を持った存在ではなく太陽の光であり、その光はイエスも含めすべての人が平等に持っており、人はみな神の子であり、自身の中にある神をいかに生かして充実した人生を送るかが重要だと唱えた。このニューソートの思想は19世紀にはアメリカ大陸に伝わり、北米で一世風靡するが、20世紀の大正時代には日本にも伝わり、谷口にとってもこれまで持ち続けたキリスト教への問いの大きな答えを与えてくれるものになったのである。- 65
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