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2017-07-01 00:00:00
北小路隆志×渡邉大輔「いま、映画は『政治的』たりうるか——ポスト映画と社会の新しい関わりをめぐって」【ポスト映画論講義 #2】【2016/4/22収録】 @diesuke_w渡邉大輔がホスト役を務める、映画系トークイベントの第2弾。映画と社会/政治との関係性が、いま大きく変化しようとしているように思える。80~90年代の消費社会の到来以降、例えば日本映画でも、テレビ局映画からオタク系アニメ(とその実写化)、あるいはセルフドキュメンタリーにいたるまで、総じて大文字の政治や社会性から遊離し、タコツボ的な趣味や虚構の世界に埋没していたように見える時代を経て、「9・11」からイラク戦争、リーマン・ショックにいたるゼロ年代、さらに「3・11」から5年を迎え、海外でもシリア難民問題やイスラーム国に揺れる2010年代の映画は、いま再びさまざまな意味で「政治的」「社会的」と捉えられる側面を濃密に帯びつつあるのではないか。むろん、そこにはメディア・アクティヴィズムや動画サイトなどの新たなメディア環境の台頭も深く関わっているはずだ。いま、映画について/を通じて、いかにして「社会」や「政治」と新たに関わることができるのか?今回のゲストは、映画評論家であり、京都造形芸術大学映画学科准教授も務める北小路隆志氏。評論家として、日々、国内外の膨大な映画のレビューを手掛ける一方、これまでにも『〈社会派〉シネマの戦い方』(フィルムアート社)や『映画の政治学』(青弓社)などの著作に携わってこられた。映像が「ソーシャル」に氾濫し、かつて「政治の季節」を彩った小川紳介の全作品DVDプロジェクトも始まる今年、改めて「ポストシネマ」と社会の新しい関わりを探ってみたい。【登壇者より】昨年のSEALDsの活動を追うドキュメンタリー映画『わたしの自由について』で最も感動的な場面のひとつは、同団体に所属する男性による国会前での演説(?)の際に訪れ、彼は憲法の条文を読み上げつつ、およそ次のようなことを叫ぶ。日本国憲法を「押し付け憲法」と呼び、侮蔑するひとが後を絶たないが、私にはこの文言を他人が書いたとは思えない、これは私自身の言葉である……。現政権は、そんな国会前の叫びを無視し、あの法案を通した。彼らの憲法への「解釈」が恥知らずなのは、憲法が神聖だからではなく、「他者の言葉」へのリスペクトが微塵も感じられないからだ。しょせんは「他者の言葉」(「押し付け」?)にすぎない、とばかりのシニカルさが醜悪だからだ。僕らは、こうした捻じ曲げを「批評」の敵と見なす。「批評」とは、「他者の言葉」を勝手気ままに「解釈」することではなく、それを自分のなかから生じる言葉として受け止める能力の有無に関わる行為である。そうした意味で「解釈」と「批評」は政治的な「敵対」を形成するだろう……。そんなこんなを出発点に、現在公開中の映画、これから公開される映画などを主に取り上げ、当日の対談を展開させていきたい。皆さまの参加をお待ちしております。(北小路隆志)http://genron-cafe.jp/event/20160422/
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2017-08-01 00:00:00
深田晃司×渡邉大輔「演劇、映画行政、そして世界へ——深田晃司監督最新作『淵に立つ』カンヌ受賞記念企画」【ポスト映画論講義 #3】【2016/10/15収録】 @diesuke_w @fukada80渡邉大輔がホスト役を務める、映画系トークイベントの第3弾。
今回のゲストは、3回目にして初めての実作者、今秋公開予定の最新作『淵に立つ』が先ごろ、第69回カンヌ国際映画祭で「ある視点部門」審査員賞を受賞したことも記憶に新しい、俊英・深田晃司監督!東京国際映画祭日本映画「ある視点部門」作品賞を受賞した『歓待』(11年)、ナント三大陸映画祭グランプリ金の気球賞を受賞した『ほとりの朔子』(14年)と、数々の受賞歴でいまや世界的な注目も浴びつつある深田監督。ゼロ年代後半以降に脚光を浴びた才気溢れる新世代若手映画監督たちのなかでも、深田監督は類例を見ないユニークなキャリアを歩みながら、しかもここ十数年のインディペンデントを中心とした日本映画シーンの核心部分を体現していた稀有な存在であるといえる。演劇=劇団青年団やアニメーション=東映との関わりから、「独立映画鍋」を拠点にした映画と文化行政へのコミット、ロボット役者とのコラボレーション、そして海外映画祭への進出……。ほぼ同世代であるホストの渡邉は、昨年、共著『日本映画の海外進出』(森話社)所収の拙論で、深田監督にインタビューした。
この時代に、「映画を作る(作り続ける)」とはどういうことなのか? いまもっとも波に乗る深田監督のお話を伺いながら、映画の未来と可能性について考えてみたい。
http://genron-cafe.jp/event/20161015/- 142
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2021-05-01 00:00:00
土居伸彰×三輪健太朗×渡邉大輔「ポスト・シネマ・クリティーク2020ーー2010年代を振り返るポスト映画論講義#8」(2020/2/3収録)@NddN @miwaken1986 @diesuke_w【収録時のイベント概要】
令和として初めての年明けを迎えた2020年。同時に2010年代も終わりを迎えた。このイベントでも大きなテーマにしてきたように、動画サイトやSNS、サブスクといったデジタルプラットフォームが台頭したこの10年は、映像文化や視覚文化のあり方を大きく変えた転換点だった。
そこで2020年初頭の本イベントでは、互いに密接に関わりあう映画、アニメーション、マンガの各分野で2010年代に起こったことを改めて総括してみたい。
今回のゲストは、ゲンロンカフェでもおなじみ、『21世紀のアニメーションがわかる本』(フィルムアート社、2017年)などの著書やニューディアーなどの活動で、現代アニメーションの動向を幅広く追いかける土居伸彰氏。そして、大著『マンガと映画』(NTT出版、2014年)でマンガ表現論の新時代を切り拓き、マンガを近代視覚文化史に位置づけるという壮大な仕事を展開している三輪健太朗氏。
3人ともそれぞれでかねてから交流はありながら(というか、私と三輪さんはいまや大学の同僚でもあります・笑)、この顔合わせのイベントは実は初めて。
映画×アニメ×マンガ。それぞれの専門家でありながら、同時に隣接ジャンルへの造詣も深いお二人と2019年、2010年代を総括するとともに、ジャンルの未来についても語り合います!
それぞれのベストも挙げていただく予定なので、ご期待ください!
(渡邉大輔)
ポスト・シネマ・クリティーク2020 – ゲンロンカフェ
https://genron-cafe.jp/event/20200203/- 69
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2020-07-01 00:00:00
鈴木卓爾×深田晃司×渡邉大輔「いま、<映画を作る>とはどういうことか」【ポスト映画論講義 #6】(2019/8/19収録) @suzuki_takuji @fukada80 @diesuke_w【収録時のイベント概要】
ゲンロンカフェで、ゆるく、長く続けさせていただいているポスト映画論講義も1年4ヶ月(!)ぶり、今回で6回目。
今回のゲストは、鈴木卓爾監督と、深田晃司監督。鈴木監督は、現在、監督最新作『嵐電』が全国劇場公開中であり、深田監督は、まもなく新作『よこがお』が公開される。お二人は、平成が終わり、令和が始まったいま、私が誰よりもお話を伺ってみたい映画監督である。
平成時代、とりわけその最後の2010年代に、日本映画の状況は大きく変わった。動画サイトや配信サービスをはじめとする新しいメディア環境の普及により、「映画」のイメージ自体が大きく揺らいだ。あるいは、社会全体の過剰流動化の中で映画を作る「拠点」も自明なものではなくなった。そして、その大きな転換点となったのが、2010年代の幕開けに起こった、2011年の東日本大震災だった。その後の10年間は、私や深田監督とほぼ同世代の比較的若い世代を中心にして、映画の輪郭と、それを生み出す/観るための足場をさまざまに模索していくプロセスだったと思う。その一端が、私にとっては、例えば『映画はどこにある』(フィルムアート社)にまとめられたような、インディペンデントな映画作家たちの活動だったことは、これまでにもいくどか述べてきた。少なくとも、私自身は、ここに「希望」を感じていた。そして、その模索の営みの一部は、2018年の上田慎一郎監督の低予算のワークショップ映画『カメラを止めるな!』の異例の大ヒットとして、ある意味で社会的な注目を浴びることとなった。ただ、それは果たして突破口だったのか? 『カメ止め』の喧騒もすっかり収まってしまったいま、2010年代の映画に孕まれていたのは、いったいいかなる問題だったのか? あえてこんな風に言ってしまえば、震災(原発事故)と『カメ止め』の後に、<映画を作る>とはどういうことなのか?
……と、書いてみたが、これは私自身の問題意識であり、まずは、お二人の新作の話題から入りたいと思います。
……ただ、私にとっては、鈴木監督も深田監督も、上記のような問いに対して、いまの日本映画の中で、最もラディカルに、そして最も飄々と(!)対峙している作家のように思える。深田監督は、映画の現場の厚生を訴えるアクティヴィストとしての顔を持つ一方、自作の中では今度の新作を含め、現代の公共性のありかを問い続けているし、鈴木監督は、ここ数年、大学や映画美学校での映画制作のあり方を模索し、なおかつ『ゾンからのメッセージ』や『嵐電』のように、「映画を撮ること」の足場そのものの生成過程を唯一無二の方法で問い直している。そして、何よりお二人には、『ほとりの朔子』や『さようなら』、そして『ジョギング渡り鳥』といった震災をテーマとした重要作もある。
といったところで、当日は、毎回のように、私が司会役を務め、お二人の新作について、そして、映画作りの現在について、いろいろと伺っていきます。令和の夏の久々の映画トーク、ご期待ください!
(文責・渡邉大輔)
【イベントのページ】
https://genron-cafe.jp/event/20190819/- 69
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