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2024年6月23日 07時10分に生成された05時00分のデータです
2021-11-22 21:21:03
NEUTRINOで催馬楽 河口(かわぐち)現代、人間によって演奏されている非常に退屈な雅楽。その古譜をDTMで復元したらどんな音楽がでてくるかやってみた。
藤原師長(1138-1192)が1177以降に編集した箏と琵琶の雅楽曲集(仁智要録、三五要録)に収録されている催馬楽の一曲。
歌の音程は箏、箏、琵琶譜に歌詞が書かれているので、それから取った。フレーズの長さは歌譜の表記から推定した。
歌詞:
河口の関のあら垣や 関のあら垣や
守れども ハレ
守れども い出て 我寝ぬや
い出て 我寝ぬや
関のあら垣
催馬樂歌評釋
千秋季隆
早稻田大學出版部
雑訳:
警備の厳しい伊勢国一志郡の関のあら垣を守っているけど
上手く抜け出して エッチしてるよ
元ネタ
英国の音楽学者ピッケン博士のMusic from Tang court。
前世紀、日本に現存する雅楽の古譜の中に古代中華帝国の宴会用の曲(唐楽)が残存していることに気づいた博士はそれらを分析し、現代の日本の雅楽曲が元々のテンポより4~12倍遅く演奏されていると言及した。
ネット経由で見れる古譜を調べてみたら本当にそうだった。そこで唐楽以外の高麗楽、林邑楽について調べたらこちらも同様だった。歌ものの催馬楽については現在調査中。今のところ現在演奏されているものと古譜に書かれている曲はかなり異なる。
参考文献
仁智要録 宮内庁書陵部 伏865
三五要録 宮内庁書陵部 伏931
催馬楽 宮内庁書陵部 08_50-11_61
これらはネット越しに見れます。
フリーソフトウェアを使って作っています。
NEUTRINO(NAKUMO)
Flat
Audacity
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2021-12-26 14:59:02
北畠神社(車で11分)南北朝が統一された後、北畠氏は伊勢国司としての地位を保ち、
守護大名として室町時代を生き抜いていきます。
往時の北畠氏の勢力範囲は、拠点である多気の地(美杉町)
だけにとどまらず、
およそ旧一志郡以南の諸地域に及び、隣国である伊賀国や
大和国の南部をもその支配下におさめていたといわれます。
また、永正18(1521)年頃の築造と推定される細川高国による
北畠氏庭園跡が象徴するように、
都からはるかに離れた多気の地に、京都や大和・尾張・美濃などを
中心とした様々な文化や品物が流入しており、
文化都市的な色彩も強くうかがわれます。
しかし、天正4(1576)年、伊勢国司北畠家も時勢
には逆らえず、
織田信長の天下布武の動きの中で侵攻を受け、
ここに約240年続いた多気北畠氏の歴史は幕を閉じることになりました。
当時は華やかな場所だったので遊郭の跡地もあります。- 14
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1970-01-01 09:00:00
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