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2024年6月23日 07時10分に生成された05時00分のデータです
2023-03-24 10:00:00
1分弱登山祭2023f(Voicepeak)りりせ&フリモメンと行く♫ 神社登拝「八幡様の鎮まる・岩隈山と泉山」 岩国市周東町1分弱登山祭2023f 〜 登山外伝かな。少しの登山と神社と神社にまつわる歴史解説動画です。
長い石段はいいぞ!
広告恐れ入ります^^;人 感謝感謝であります。
岩隈山=岩隈八幡宮
元々は三毛入野命を祀っていたと言われのち八幡神も勧請されたようです。
歴史は古く、熊毛郡の延喜式内社熊毛神社に比定される論社です。
〜勝間の熊毛神社や室津半島の賀茂神社、高水の大歳神社などいくつか候補がある。
江戸時代に吉川公により、玖珂の久重山麓へ遷座したが、祖生で災害など続き領民の願いで
旧社地へ社殿再建し玖珂の岩隈八幡から祖生へ再勧請した。
現在の社殿は明治初め再建らしく吉川公が資材を寄進しているそうです。
泉山=椙杜八幡宮 御朱印あり(石段下に社務所あり)
周東町下久原にある神社(国道二号線が泉山の北側を通る)である。神社の正面入口は旧山陽道沿い。
歴史〜創建は建武新政の時代 足利尊氏に従って九州へ下向した御家人 太田時直が鶴岡八幡宮から勧請した。
太田時直は(鎌倉幕府問注所〜訴訟裁判事務所管=初代 三善康信の後裔)玖珂郡の椙杜荘(すぎのもりしょう)を領地に持っていた。
その後裔は 椙杜氏を称して蓮華山(玖珂の高峰)城を築城、大内氏傘下の国人領主となる。
戦国末期以降〜大内滅亡毛利へ帰順する.毛利防長侵攻に伴い杉氏との鞍掛合戦を経て玖珂郡を掌握するに至る。毛利の時代に世継ぎが無く毛利重臣 志道家から養子を迎えた。椙杜元縁である。後に長府藩家老へ移転する。
もし間にえば(元気があれば)旧山陽道を柱野から玖珂辺りまで踏破したいが・・夢かもね^^また。。。だよねー 長い。。。 えっちだ めっちゃ元気 おつー この二人、教官とスチュワーデス感あって良いなあ
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2023-04-07 09:58:02
【御朱印祭2023】voicepeak りりせ&フリモメン ☆岩国市の八幡宮巡り★ 修正済み 山口県岩国市玖珂町/周東町御朱印祭2023参加動画 玖珂町、周東町の八幡宮2社紹介
夏の神社の風景。初稿とは前半を別バージョン夏らしくスポット紹介もちょい追加。
久重山 旧県社 岩隈八幡宮(玖珂)= 御朱印あり 玖珂の鎮守 吉川広紀(ひろのり)公により
元禄時代に祖生岩隈山より玖珂山陽道沿いへ遷座した。 のちに祖生にも御社が再興された。
元々は三毛入野命を祀っていた熊毛宮と言われのち和銅7年八幡神も勧請されたようです。
歴史は古く、熊毛郡の延喜式内社熊毛神社に比定される論社です。
〜勝間の熊毛神社や室津半島の賀茂神社、高水の大歳神社などいくつか候補がある。
祖生・岩隈山の岩隈八幡宮sm41980145
泉山 旧郷社 椙杜八幡宮 = 御朱印あり
周東町下久原にある神社(国道二号線が泉山の北側を通る)である。神社の正面入口は旧山陽道沿い。
歴史〜創建は建武新政の時代 足利尊氏に従って九州へ下向した御家人 太田時直が鶴岡八幡宮から勧請した。
太田時直は(鎌倉幕府問注所〜訴訟裁判事務所管=初代 三善康信の後裔)玖珂郡の椙杜荘(すぎのもりしょう)を領地に持っていた。
その後裔は 椙杜氏を称して蓮華山(玖珂の高峰)城を築城、大内氏傘下の国人領主となる。
戦国末期以降〜大内滅亡毛利へ帰順する.毛利防長侵攻に伴い杉氏との鞍掛合戦を経て玖珂郡を掌握するに至る。毛利の時代に世継ぎが無く毛利重臣 志道家から養子を迎えた。椙杜元縁である。後に長府藩家老へ移転する。後に藩公交代に伴い藩内の問題から長府藩を辞し本流は絶えた。
〜椙杜社は 同じ題材ながら1分弱登山祭とは編集などを変え神社動画として再編しています。
掲載映像の参拝時期と御朱印拝受時期は異なります。映像はできるだけ新しいいものを使用しています。
付近おすすめスポットは、ドライブイン山賊なので映像を追加しました。
滝もあるし和風な感じで面白いとことろ。撮影2022夏と2023年3月
立ち絵はVoicepeak公式のものをお借りしていますおつです。 おつです。 元気なりりせちゃんすこ おやおや おっぱいのかみ おお、ええやん!! 可愛い うぽつです∩^ω^∩ 色鮮やかでよいですねー かえるさん、かわいいw ここは自分もお気に入り\(^o^)/
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2019-10-06 00:52:03
周防旧玖珂郡の古社 岩隈八幡宮、椙杜八幡宮参拝 (岩国市玖珂町、周東町)玖珂・岩隈八幡宮(いわくまはちまんぐう)玖珂六郷総鎮守 旧県社
元玖珂郡 下祖生にあった神社(延喜式内社熊毛神社論社)もとは三毛入野命などを祀っていたものですが和銅四年八幡神を勧請したといわれる。
江戸時代1691年(元禄四年)に玖珂の久重山麓へ遷座した。岩国領主吉川広紀公(ひろのり)の頃のこと。山の中の神社だが国道二号線から車で入れるので便利(岩国から欽明で玖珂に入って入口に石柱と狛犬がある)鳥居の奥に1箇所、狭いが拝殿下にも駐車できます。
高い木々の茂る山中なので参拝は晴れた日や明るい時間帯の方がいいかなと思います
現在は宮司さんが新に赴任されました。
本殿は一段高いところにあり 朱に塗られていてなかなか見事なものです。
春先に行き今回再訪しました。いいお天気でよかった。銀杏のみがボトボト落ちていたので秋の気配も。元の下祖生の岩隈山には後に再度勧請して再建された岩隈八幡があります。
椙杜(すぎのもり)八幡宮(小高い泉山の上に鎮座)
周東町下久原にある神社(国道二号線が泉山の裏を通る)である。
創建は建武新政の時代 足利尊氏に従って九州へ下向した御家人太田時直が鶴岡八幡宮から勧請した。
太田時直は(鎌倉幕府問注所初代 三善康信の後裔)玖珂郡の椙杜荘を領地に持っていた。
その後裔は 椙杜氏を称して蓮華山(玖珂の高峰)城を築城、大内氏傘下の国人領主となる。戦国末期以降毛利時代に世継ぎが無く毛利重臣志道家から養子を迎えた。椙杜元縁である。
江戸初期椙杜氏は、長府藩家老として移封されたため八幡宮は奉斎者を欠き衰微甚だしく・・後に 玖珂郡・高森宿の人々により社殿を再興されたという歴史があるそうです。このあたりの 歴史は街道一人旅さんHP参照。
泉山の樹林は林野庁の自然記念物に指定されている。年月が経ち拝殿など相当年季が入っています。
拝殿に絵馬があり風化しているものもあったりお神輿が眠っていました。
泉山の石段が長く高いのがなんともいいですw
10月また参拝してようやく岩隈と椙森八幡神社の御朱印いただいてきました。
歴史的なわからないことは古道一人旅さんのHPで知りました。詳しいですよ^^石段がいい
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2019-04-07 09:04:01
<山口県神社案内>延喜式内社熊毛神社・論社 岩隈八幡宮〜岩国市周東町祖生(そお)第二稿岩国市周東町 祖生の岩隈(いわくま)山に鎮座(祖生は同じ旧玖珂郡でも山陽道沿いの玖珂町(くが)からやや内陸)訪れたのは2月(風がまだ冷たかったです)
玖珂から県道70号線に入り玖珂インターを過ぎ 途中左に通津周東線県道115号へ入り少し行くと常夜灯が山の麓にあるのでそこが参道入口。小高い山の上です。
元々は三毛入野命を祀っていたと言われのち八幡神も勧請されたようです。
歴史は古く、熊毛郡の延喜式内社熊毛神社に比定される論社です。
〜勝間の熊毛神社や室津半島の春日神社、高水の大歳神社などいくつか候補がある。
江戸時代に吉川公により、玖珂の久重山麓へ遷座したが、祖生で災害など続き領民の願いで
旧社地へ社殿再建し玖珂の岩隈八幡から祖生へ再勧請した。
現在の社殿は明治初め再建らしく吉川公が資材を寄進しているそうです。
余談
玖珂六郡の総鎮守・玖珂の岩隈八幡は国道2号線沿い(旧山陽道沿い)に今も健在。
しかし先年宮司をされていた社家がなくなられ宮司さん不在のようです。社務所も宮司宅を兼用だったため今はありません。大鳥居の先に駐車場あり〜拝殿前まで車で入れますが道が途中少し狭い。
岩国市周東町高森の椙杜(すぎのもり)八幡宮の連絡先が案内に記載されていましたので宮司代行されている模様。
先月 椙杜八幡宮も行きましたが 椙杜荘の地頭 蓮華山城の椙杜氏(鎌倉幕府問注所初代執事・三善康信の流れをくむ氏族だそうです)により、室町時代に鶴岡八幡宮から勧請された八幡神社で、泉山という木々の茂った小高い岡の上にありました。石段が急ですごいですw 旧山陽道の街道近くです。社殿など そうとう年季が入ってましたので修復とかしたいところでしょうね。- 169
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2023-04-05 21:37:37
voicepeak りりせ&フリモメン 岩国市の古い神社巡り〜二つの八幡宮〜 初稿 岩国市玖珂町/周東町初稿 別に7月の午後の夏の絵を中心に今御朱印祭用に再度編集してるのでそれまで公開にしておく・・これは没にして差し替えるかな。いくつか入れてないものもあるしポカもあるよね。
完成したので明日上げます。修正期限に間に合わなかったぜ・・・
玖珂町、周東町の神社2社紹介 ナレーション重複あり^^;
久重山 岩隈八幡宮(玖珂)= 御朱印あり
玖珂の鎮守=祖生の岩隈八幡宮〜吉川公により元禄時代に遷座した。
のちに祖生にも御社が再興された。sm41980145
元々は三毛入野命を祀っていた熊毛宮と言われのち和銅7年八幡神も勧請されたようです。
歴史は古く、熊毛郡の延喜式内社熊毛神社に比定される論社です。
〜勝間の熊毛神社や室津半島の賀茂神社、高水の大歳神社などいくつか候補がある。
泉山 椙杜八幡宮 = 御朱印あり
周東町下久原にある神社(国道二号線が泉山の北側を通る)である。神社の正面入口は旧山陽道沿い。
歴史〜創建は建武新政の時代 足利尊氏に従って九州へ下向した御家人 太田時直が鶴岡八幡宮から勧請した。
太田時直は(鎌倉幕府問注所〜訴訟裁判事務所管=初代 三善康信の後裔)玖珂郡の椙杜荘(すぎのもりしょう)を領地に持っていた。
その後裔は 椙杜氏を称して蓮華山(玖珂の高峰)城を築城、大内氏傘下の国人領主となる。
戦国末期以降〜大内滅亡毛利へ帰順する.毛利防長侵攻に伴い杉氏との鞍掛合戦を経て玖珂郡を掌握するに至る。毛利の時代に世継ぎが無く毛利重臣 志道家から養子を迎えた。椙杜元縁である。後に長府藩家老へ移転する。後に藩公交代に伴い藩内の問題から長府藩を辞し本流は絶えた。
〜椙杜社は 同じ題材ながら登山祭とは編集などを変え神社動画として再編しています。
掲載映像の参拝時期と御朱印拝受時期は異なります。
どうしても尺の関係で入れてませんが付近おすすめスポットは、ドライブイン山賊ですね
滝もあるし和風な感じで面白いとことろ。
立ち絵はVoicepeak公式のものをお借りしていますうぽつです∩^ω^∩ まったくです。
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2021-11-27 06:41:02
【山口県の古社】周防高森 椙杜(すぎのもり)八幡宮 R3 岩国市周東町下久原椙杜(すぎのもり)八幡宮(小高い泉山の上に鎮座)
周東町下久原にある神社(国道二号線が泉山の北側を通る)である。神社の正面入口は旧山陽道沿い。
歴史〜創建は建武新政の時代 足利尊氏に従って九州へ下向した御家人 太田時直が鶴岡八幡宮から勧請した。
太田時直は(鎌倉幕府問注所初代 三善康信の後裔)玖珂郡の椙杜荘(すぎのもりしょう)を領地に持っていた。
その後裔は 椙杜氏を称して蓮華山(玖珂の高峰)城を築城、大内氏傘下の国人領主となる。戦国末期以降大内滅亡毛利へ帰順する.毛利防長侵攻に伴い杉氏との鞍掛合戦を経て玖珂郡を掌握するに至る。毛利の時代に世継ぎが無く毛利重臣 志道家から養子を迎えた。椙杜元縁である。
江戸初期 椙杜氏は、長府藩家老として移封されたため玖珂を離れた。八幡宮は奉斎者を欠き衰微甚だしく・・後に玖珂郡・高森宿の人々により社殿を再興されたという歴史があるそうです。このあたりの歴史は古道一人旅さんHP、wikiを参照しました。
この八幡宮に豊臣秀吉が九州へ向かう途中に一夜の陣を張り参拝したこともあったそうです。
この近くのおすすめのお宮
岩隈八幡宮(玖珂の2号線沿いにある 吉川公が遷座させた玖珂総鎮守)
岩隈八幡宮(周東町祖生の鎮守)、比叡神社(玖珂の谷津にある1000年杉がある、石段がここもすごい)、鮎原剣神社(玖珂の川上にある旧妙見様、境内へ入るところの石の太鼓橋が見事ここも石段がすごい)
音楽 のる様作(ニコニコモンズ) 雫 ~優しく穏やか メロディックなピアノソロ~
忘却の都~ノスタルジックなBGM~
今度行ってみます(^o^)
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2024-02-21 07:06:02
地図に線を一本引き領地を定める源頼家西暦1,200年7月10日
陸奥国葛岡(現在の宮城県大崎市岩出山)の新熊野神社の僧が、坊領の境相論に於いて、双方の文書を持参し、一帯の地頭である畠山重忠に結審を望む。畠山は、藤原秀衡の代では朝廷の安泰を祈祷していた神社であったが、今は鎌倉幕府の繁栄を祈祷している神社であるので、三善康信経由で、将軍源頼家の裁定を仰いだ。源は、絵図の中央に一本の線を引き「土地が広いか狭いかは運次第だ。わざわざ使いを出して現地を調査するのは面倒である。以後の境界争いは全てこの様に結審する。不服が有るならば訴訟など起こさぬ様に」という主旨の発言をした。
宇宙一元化 公式HP
https://universe-centralization.com/top.html- 2
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