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2020-01-27 22:41:02
【神道シリーズ】第80回・早池峰神楽(両部神道<真言宗>がもたらした古事記の真言密教的解釈の当山派(真言系)修験芸能)早池峰神楽は平成21年(2009年)にユネスコの無形文化遺産に登録されましたが、この世界的に有名な神楽は岩手県早池峰山の麓の3つの地域に
3つの早池峰神楽が現在存在しています。
もともと早池峰神楽が始まったのは室町時代後半の15世紀後半頃からですが、9世紀より天台宗の拠点であった早池峰山信仰の中心の4つの院を持つ
妙泉寺のうち、西登山口の大迫(おおはさま)に位置する池上院妙泉寺は
14世紀に真言宗の支配下になり、その真言宗の進出には真言系の修験道と、真言密教が作った両部神道の思想や歴史観も同時にもたらされました。
両部神道の教義書(理論書)である「中臣祓訓解」の中に登場する瀬織津姫(せおりつひめ)(←古事記・日本書紀には出てこない神)が早池峰の地にもたらされ、十一面観音を本地とする早池峰権現の垂迹の姿としての瀬織津姫とされました。
一方、両部神道(真言密教神道)に基づく古事記解釈による早池峰神楽は
当山派(真言系修験道)の山伏たちの芸能として大迫の大償地区で発生し(15世紀後半)、その後、(大迫の)岳地区に伝わり、やがて江戸時代になると遠野の大出にも伝わり、3つの早池峰神楽が形成されて今日まで至っています。- 231
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2020-01-20 22:15:02
【神道シリーズ】第79回・八百万の神㉘早池峰大権現【前編】(妙泉寺の4つの院と両部神道<真言>の影➡瀬織津姫)早池峰山周辺には現在4つの早池峰神社がありますが、これらはいずれも
明治以前に妙泉寺と呼ばれる天台宗や真言宗の院を持つお寺で、明治の時に強制的に(妙泉)寺を廃して神社(早池峰神社)に改装したものですが、面白い事には、文書の資料が乏しい中、西登山口の大迫(おおはさま)の早池峰神社や南登山口の遠野の早池峰神社の社伝の中で、かつて真言や天台の寺であったことや、天台の慈覚太師(円仁)の訪問伝承や真言宗の進出の事なども記されていることです。
4つの登山口に建てられていた妙泉院のうち西登山口の池上院妙泉寺だけは14世紀から真言宗が進出して(他の3つは天台宗)、同時に真言密教が作り上げた両部神道の理論書(教義書)の「中臣祓訓解」(なかとみのはらえくんげ)に出てくる瀬織津姫という女神(古事記・日本書紀には出てこない)を十一面観音の化身(垂迹)として祀り、この瀬織津姫は早池峰大権現として中世以降信仰を集め、本地垂迹関係が明治政府によって切り離された後も今日まで信仰の対象となっています。- 123
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2020-10-12 22:38:02
【神道シリーズ・シーズン2】第7回・両部(真言)神道の理論書(真言付法纂要抄・中臣祓訓解・麗気記など)今回は、両部神道を形成した両部神道の理論書の主なものを紹介したいと思います。
まずは真言宗小野流(三宝院流の系統)の成尊(せいぞん)著作の「真言付法纂要抄(しんごんふほうさんようしょう)」、そして伊勢神宮の仙宮院で生まれた「中臣祓訓解(なかとみはらえのくんげ)」、それから室生山で生まれた御流神道(真言系)の「麗気記(れいきき)」の三つを中心に紹介します。
特に後者2著は後の伊勢神道や吉田神道の形成に絶大な影響を与えて行くことのなります。- 108
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2020-09-07 23:24:02
【神道シリーズ・シーズン2】第3回・伊勢神道③出家得度する禰宜・祭主(宮司)が後を絶たなかった伊勢神宮の時代平安時代になると宮中や貴族の間で密教(主に真言宗)の信仰が盛んになり、その影響は伊勢神宮にまで波及し、伊勢神宮では禰宜(内宮・外宮の祭祀の中心)や祭主(宮司)の大中臣氏ら神職たちがこぞって自ら氏族の菩提寺を創建し、仕事上では神宮で祭祀を行いながらもプライベートでは仏教信仰が中心で出家・得度する人たちが後を絶ちませんでした。
こうした背景の中、宮中および神宮では観音信仰が盛んになり、やがて天照大神=観音菩薩論が出現定着し、さらに神宮の仙宮院から大中臣氏による「中臣祓訓解」、つまり両部神道(真言神道)が誕生することとなります。- 104
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2020-11-09 22:57:02
【神道シリーズ・シーズン2】第11回・伊勢神道と神道五部書(道教思想に基づく神道偽書)13世紀後半の元寇の後、それまで伊勢神宮両宮に対して最大のスポンサーであった朝廷が財政難になると、アマテラスを祀る内宮は真言や天台などの密教勢力は自らが称える密教系神道説(真言系⇒両部神道・天台系⇒山王神道・熊野権現)でアマテラスと大日如来や山王・熊野権現との一体論を唱えていたので資金面で苦労はなかったものの、そうした援助が得られなかった外宮は存続の危機に立ち、そこれで新たなる神道説の創設により外宮を盛り返そうという動きが出てきました。
そこで新たなる神道説を打ち出したのが外宮禰宜の渡会行忠で、彼は、真言神道である両部神道の理論書「中臣祓訓解」や「老子述懐」などの道教書をベースに伊勢神道の神道説構築に励んだのでした。- 88
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1970-01-01 09:00:00
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