キーワード僧月を含む動画:6件 ページ目を表示
2024年6月16日 07時09分に生成された05時00分のデータです
2019-09-26 12:02:01
史跡「遊撃隊陣営」跡 大梅山通化寺(黄檗宗) 岩国市周東町上久原西午王ノ内大梅山通化寺(つうけいじ)は寺伝によれば 大同二年(807年)弘法大師創建とされる真言宗寺院でしたが、後年 曹洞宗に変わるが衰退した。
境内に阿川毛利氏の祖である吉川元春次男の繁沢元氏(玖珂郡午王ノ内他に領す)の墓所があり
二代元景のとき毛利輝元は毛利姓に復させ長門の国豊浦郡の阿川、滝部などへ領地替えとなるが午王ノ内など一部所領は残る。
阿川毛利三代の毛利宮内少輔就方(くないしょうゆなりかた)は 京都萬福寺より高僧を招き黄檗宗に 改め寺院を再興す。この辺の事情は古道ひとり旅さんのHPを参照させてにさせていただきました。
幕末 高杉晋作の奇兵隊に触発され、来島又兵衛が創設した諸隊「遊撃隊(軍)」がここ通化寺に駐屯し陣営になっていました。資料館に遺品や高杉晋作の詩草稿などあるそうです(未見)
また庫裡の横に伝雪舟築庭の石庭が残る。
岸信介決起顕彰碑と云うのもありました(公職追放の岸さんが巣鴨のムショから出所しこの地で再決起の声を上げた記念碑)漢詩の石碑です。揮毫された石碑がありますけど、安倍総理も岸さんの決起や維新の志士を見習って国益になるよう働いて欲しかったですが残念。結局デフレは抜け出せず国益も守れず地方も国も衰退するのだろう。高杉晋作に喝されちゃいますよね。
寺は一時は無住職の状態が続いたそうですが現在は本山からご住職が赴任されている模様。本堂もかなり痛み、名勝の庭もそうとう荒れている。建物自体は木造ではありませんね。
禁門の変で先鋒突撃したのが遊撃軍だそうですな その後再編され遊撃隊となり長州征伐(四境の役)での戦闘〜元治の乱(功山寺挙兵以後の内乱)〜戊辰戦役と転戦活躍したが維新後に体制が変わり冷遇を嘆き諸隊の反乱に200名以上が参加して崩壊していく反乱もなんとか鎮圧されて終わる。
境内を見ても遊撃隊顕彰はさすが山口という感じです。郷土の英雄なんだろうね。
四境の役ではまあ筆者の故郷 藝州藩は国境近くの玖波宿や廿日市宿などが長州藩に焼き討ちされた方で革命戦争とはいえやや複雑な気持ちですな。
八十八箇所めぐりも弘法大師開基だからでしょうか。金毘羅さんや双鶴岩なんてのもあるらしいので行ってみたい気はしますが道はどうなんでしょうか不安。
秋に紅葉したらまたのぞいてみたいですが・・いまだ再訪できず。
幕末関連〜 長州藩 勤皇僧 月性和尚の寺 sm38735846- 511
- 00.0
- 10.2
- 10.2 YouTubeで検索
2019-10-24 15:12:02
幕末の先駆者・勤皇僧 月性和尚の跡「清狂草堂」を訪ねて (浄土真宗妙円寺境内 墓所、草堂)旧版 山口県柳井市遠崎白壁の街柳井市の東端に位置する遠崎地区へ まず遠崎の鎮守 松戸八幡宮へ参拝し妙円寺へ。
松戸八幡から見える景色〜室津半島(大星山や皇座山その先には上関になる)
幕末維新の海防の必要を説き、啓蒙行脚した 浄土真宗僧 月性 号=清狂 は優れた詩人で、一向宗の僧侶であり教育者、革命家の顔をもつ傑僧である。(狂=固定化された常識にとらわれない的な意)
吉田松陰の先駆して、藩内外に国の危機を訴え啓蒙活動した月性は今の柳井市(旧玖珂郡大畠町)にある遠崎地区 真宗本願寺派 妙円寺に生誕した。九州、広島大阪などへ 遊学 漢詩、仏教など様々に学び海外勢力の侵略の危機に早くに気づき活動した先駆者。
嘉永元年32歳の時〜七年間 境内庫裏の一角の草堂に時習館(清狂草堂)という私塾を開きさまざまな志士を育てた。詠んだ漢詩は千編を越ええると言われます。
主著は 仏法護国論、清狂吟稿集などがある。当時は勤皇だったようですね本願寺。
士農工商の別なく志あるものによる兵制を説いたのも月性の著作が最初であり、これが後年の、高杉晋作の奇兵隊構想へつながっている。
西の松下村塾、東の清狂草堂と称えられた。
門下 奇兵隊総督の赤禰武人、奥州鎮撫参謀の世良修蔵、、浄土真宗の大洲鉄然、赤松連城、大楽源太郎・・・などなど
激動の幕末を駆け抜けた真宗僧。
現在の草堂=明治後弟子たちが月性和尚を記念のため再建したもの。
注)
月性(げっしょう)=長州藩の浄土真宗妙円寺の詩人であり勤皇僧、海防僧とも言われ海上防衛の必要を盛んに説いた先駆者。
ちなみに よく月照と混同されているケースがある(かくゆう私もそうでした^^; )
月照和尚=京都清水寺の勤皇僧で西郷と海上で入水した僧侶。
柳井市遠崎 国道188線の近くある 妙円寺と資料展示館。
行った時は多くの志士もくゞったであろう妙円寺さんの山門はまだ修復工事中でした。展示館を拝観しますとガイドの方が懇切丁寧に解説していただけました。映画(展示館二階のTVでDVD再生、無声に弁士の声が入ります映画)は一部しか見られなかったのでまた行きたいです。
修正版。- 178
- 00.0
- 10.6
- 00.0 YouTubeで検索
2023-07-26 21:30:00
Voicepeak 防長路史跡巡り 長州藩 維新への先駆者!「勤皇僧 月性・清狂」点描 柳井市遠崎 2023.7長州藩維新への先駆者 月性清狂師の点描。2023・7 玖珂島の帰りに3度目の参拝です。第3稿修正版。
(サムネは妙円寺の手水であった猫)
幕末の国防(海防)の必要を説き、啓蒙行脚した 浄土真宗僧 月性 号=清狂 は優れた詩人で、浄土真宗の僧侶であり教育者、革命家の顔をもつ傑僧である。(狂=固定化された常識にとらわれない的な意)
吉田松陰に先駆して、藩内外に国の危機を訴え啓蒙活動した月性は今の柳井市(旧玖珂郡大畠町)にある遠崎地区 真宗本願寺派 妙円寺に生誕した。九州、広島大阪などへ 遊学 漢詩、仏教など様々に学び海外勢力の侵略の危機に早くに気づき活動した先駆者。
嘉永元年(32歳の時)〜安政元年までの七年間 境内庫裏の一角の草堂に時習館(清狂草堂)という私塾を開き志士を育てた。漢詩に優れて、詠んだ漢詩は千編を越えると言われます。
主著は 仏法護国論、清狂吟稿集などなどがある。当時は勤皇だったようですね本願寺。
農兵隊 構想=士農工商の別なく志あるものによる兵制を説いたのも月性の著作が最初であり、これが後年の、高杉晋作の奇兵隊構想へつながっている。
西の松下村塾、東の清狂草堂と称えられた。
門下 奇兵隊総督の赤禰武人、奥州鎮撫参謀の世良修蔵、富海の入江石泉、浄土真宗で影響を受けたものでは浄土真宗の大洲鉄然(1箇所鉄年になってました訂正します)、などなど。
激動の幕末を駆け抜けた勤王真宗僧。
現在の草堂=明治後、生き残った弟子たちが師の三十三回忌に月性和尚を記念のため再建したもの。
注)月性(げっしょう)=長州藩の浄土真宗妙円寺の詩人であり勤皇僧、海防僧とも言われ海上防衛の必要を盛んに説いた先駆者。
基本=妙円寺境内案内板、以前展示館で聞いたお話のメモ、山口県文化財HPなどの記事を参考にしました。
Voicepeakの朗読した漢詩の現代語訳は詩碑の解説板、大畠観光協会HP掲載の訳文等を元に引用しました。
https://kanko.oobatake.net/gessho/
他コトバンク、wikiも確認に参照しています。おつです。
- 65
- 812.3
- 812.3
- 00.0 YouTubeで検索
2024-05-22 19:00:00
Voicepeak 防長路 めぐり〜大道を行く後編♪♪ 白鳳十三年創建「繁枝神社 参拝記」 山口県防府市台道防府市台道南部の鎮守社 繁枝(しげし)神社(旧社格 村社)参詣記+大楽源太郎の碑 2023.7
旧繁枝八幡宮で地域の六つの神社を合祀して改称したようです。
ちなみにこの鎮座地周辺は昔は海岸線で川や海の砂などが堆積した小繁枝砂丘(大繁枝砂丘もあり)だったようです。元鎮座地は未見ですが徒歩20分ほど南側 下津令にあるようです。
サムネ変えました・・大楽先生之碑の写真好きなんだけどなわかりにくそう。
防府市大字切畑 大字台道を総称して大道地域と呼ばれるようです。
1 小俣八幡宮(振り返り)前編 小俣八幡宮 sm43466787
2 繁枝神社
防府市大道(昔は明治22年〜切畑村、台道村が合併し大道村と言われた地域)の神社巡り動画後編。
維新の志士 大楽源太郎ゆかりの地。繁枝神社へ向かいます。
大楽源太郎 (弘毅 )号=西山 長州の尊皇・攘夷活動家。海防僧 月性の弟子でもある。
大楽先生之碑は維新後 寺内正毅ら門人や有縁の人々(筆は入江石泉らしい)が建立したようです。
大楽源太郎が豊後へ脱走したのは、門人の大村益次郎襲撃に加え、長州の奇兵隊脱退騒動に門人も多参加。大楽自体は実際参加していないものの政府側に関与を疑われ身の危険を感じて逃走したともいわれている。
撮影 OM-D E M1markⅢ/M.ZUIKO DIGITAL ED 12-40mm F2.8 PRO
由緒、歴史的なことは=防府市の大道紹介の記事 神社庁HP 繁枝神社由緒書 現地パネル、wiki記事 など参照しています。
広告御礼申し上げます ^^;人
nopposan様
龍休宗庵様
赤城山登頂記念様おつです。 うぽつ おつ うぽつー
- 48
- 1429.2
- 918.8
- 24.2 YouTubeで検索
2021-05-14 20:40:02
維新の先駆者月性(げっしょう)の寺〜「浄土真宗 妙円寺」 と私塾「清狂草堂」 新編集版寺院の山門の修が復完了したので編集しなおしたもの。サムネ=月性像と妙円寺の在る遠崎の海
幕末の国防(海防)の必要を説き、啓蒙行脚した 浄土真宗僧 月性 号=清狂 は優れた詩人で、 浄土真宗の僧侶であり教育者、革命家の顔をもつ傑僧である。(狂=固定化された常識にとらわれない的な意)
吉田松陰の先駆して、藩内外に国の危機を訴え啓蒙活動した月性は今の柳井市(旧玖珂郡大畠町)にある遠崎地区 真宗本願寺派 妙円寺に生誕した。九州、広島大阪などへ 遊学 漢詩、仏教など様々に学び海外勢力の侵略の危機に早くに気づき活動した先駆者。
嘉永元年(32歳の時)〜安政元年までの七年間 境内庫裏の一角の草堂に時習館(清狂草堂)という私塾を開きさまざまな志士を育てた。漢詩に優れて、詠んだ漢詩は千編を越ええると言われます。
主著は 仏法護国論、清狂吟稿集などがある。当時は勤皇だったようですね本願寺。
農兵隊 構想=士農工商の別なく志あるものによる兵制を説いたのも月性の著作が最初であり、これが後年の、高杉晋作の奇兵隊構想へつながっている。
西の松下村塾、東の清狂草堂と称えられた。
門下 奇兵隊総督の赤禰武人、奥州鎮撫参謀の世良修蔵、真武隊・第二奇兵隊の芥川義天など、浄土真宗で影響を受けたものでは大洲鉄然、赤松連城、島地黙雷・・・などなど
激動の幕末を駆け抜けた勤王真宗僧。
現在の草堂=明治後、生き残った弟子たちが師の三十三回忌に月性和尚を記念のため再建したもの。
注)月性(げっしょう)=長州藩の浄土真宗妙円寺の詩人であり勤皇僧、海防僧とも言われ海上防衛の必要を盛んに説いた先駆者。
ちなみに よく月照と混同されやすいが月照=京都清水寺の勤皇僧で西郷と海上で入水した僧侶。また行ってみよー(^o^)
- 32
- 515.6
- 13.1
- 00.0 YouTubeで検索
1970-01-01 09:00:00
- 0
- 0nan
- 0nan
- 0nan YouTubeで検索