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2024年6月27日 07時10分に生成された05時00分のデータです
2020-08-31 23:19:02
【学習用】伊勢神道の基本構造解説(両部神道⇒伊勢神道⇒吉田神道⇒儒家神道の流れの概略)伊勢神道の詳細説明をするにあたって、両部神道から伊勢神道、そしてその後の吉田神道や江戸時代以降の儒家神道の一貫した流れを理解しておかないと伊勢神道自害がよく分からなくなってしまうので、1時間17分ではありますが、この概略を初心者にも分かりやすく説明した動画を作りました。
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2020-08-24 23:15:03
【神道シリーズ・シーズン2】第1回・伊勢神道①(伊勢神道の基本構造)神道シリーズ・シーズン2では、両部神道から伊勢神道、吉田神道、儒家神道、復古神道と、中世から近世の終わりまでの神道各派の流れを解説していく予定です。
まず、最初に伊勢神道ですが、伊勢神道は、真言宗系の両部神道を土台として、そこから密教的要素を排除し、代わりに道家(道教・陰陽五行)思想で理論付けするという形で形成されますが、この流れは後の吉田神道や江戸時代以降の儒家神道(垂加神道・吉川神道など)に引き継がれていきます。
今回はこの伊勢神道形成までの過程の概略を説明し、第2回以降にはそれぞれの過程の詳細説明をして行こうと思っています。- 152
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2021-02-08 22:45:02
【神道シリーズ・シーズン2】第20回・林羅山の理当心地神道(「日本書紀」神代記述の否定と「書紀」の儒教的書き換え林羅山は、朝鮮の朱子学者カンハンから学んだ藤原惺窩を師とし、封建領主を君主とする封建体制の支配体制を正当化する朝鮮朱子学の流れを汲み、支配者は除外し、たみだけに性即理の実現の道徳的努力を強要する朱子学思想を引き継いだ。
君主に賢人聖人たる努力を求めない朝鮮朱子学の思想は封建支配体制を正当化するものとして徳川幕府に重宝され、羅山も徳川将軍家のブレーンとして天台僧天海や臨済僧崇伝らとともに徳川指南役として活躍することとなった。
さらに羅山は、朝鮮朱子学のもう一つの特徴としての強い廃仏思想に裏打ちされ、仏教的解釈を一切排除した日本書紀の分析を行い、中国儒学独特の考証主義によって中国や朝鮮の歴史書と日本書紀の記述を突合し、日本書紀のみにみられる箇所はことごとく否定し、
特に突合ができない神代の部分は作り話として切り捨て、天地開闢や天孫降臨の部分も実は中国の呉の泰伯が九州の高千穂に漂流して神武天皇となった事実の粉飾であり、その後の8代の天皇やヤマトタケルは架空の存在で、太極であるクニタチノミコトの理の反映である歴代天皇が朱子学的道徳律に沿って日本の歴史は作られたと、日本書紀の記述をことごとく儒教的に書き換えていった。
これを林羅山の理当心地神道と言い、神道という名の儒教神道説で、のちの国学者たちからは厳しい批判の的となるものの、羅山に続く日本の朱子学者や陽明学者たちの間ではあるいみ共通した日本書紀解釈となっていったのである。- 81
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2021-02-22 23:41:02
【神道シリーズ・シーズン2】第21回・吉川神道(吉田神道陰陽論と朱子学力説のフュージョン)吉田神道吉田家の萩原兼従より吉田神道第54代の道統を継いだ魚屋出身の吉川コレタリは、吉田家出身ではない惟足をよろしく思わない吉田家の反発をよそに神道理論の奥義を深める研鑽を続けたが、時のはやりの朱子学の理気学説に影響を受け、やがて両者を統合するような独自の神道理論を確立し、吉川神道として吉田家とは断絶した。
しかし、独自神道理論とは言え、ベースは伊勢神道や吉田神道のような道教理論に基づく混沌からの万物発生論であり、そこに朱子学理気論を接ぎ木して朱子学的な陰陽五行説で日本書紀の神代巻を解説しようとしたのが吉川神道である。
理気学神道を唱える一方で、伊勢神道、吉田神道の流れで一貫してる心の内清浄、つまり正直な心が神と一体化する道だと説く真言密教さながらの即身成仏論を彷彿させる論理は吉川神道の底辺を流れており、吉川惟足はこの正直な心なるものを陰陽五行説で強引に儒教徳目でもっとも重視される敬に結び付け、さらには真言密教の即身成仏を彷彿させるような神人合一、つまり神と人は敬を通じて一体化するという論理に至った。
吉川神道の目指したところは、最高絶対神である国常立と人は、自然と湧き上がる国常立への至上と言われる感謝と敬の気持ちがこの絶対神の末裔である天皇を敬う気持ちに繋がるのだと結論づけることで、実はこの論理の飛躍が彼の神道論全体に大きな矛盾を生むこととなる。
一方で人は自然と絶対神の末裔たる天皇に敬の気持ちを抱くとしつつ、一方では不徳の天皇は追放されても当然であるという所謂放伐論が共存し、絶対真理たる朱子学の理ともいえる国常立の子孫ながら不徳の者がいるのかはまったく説明されていない。
吉川神道では和歌を声を上げて読むことにより人と神は一体となることができるとしたが、実は後に国学者たちが和歌の研究に力を入れ、そこから純日本を発見しようとした動きはこの頃から端を発していると言われる。
一方吉川神道の天皇放伐論はその後の儒学や国学にも大きな影響を与えることになった。- 74
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2020-12-07 23:10:03
【神道シリーズ・シーズン2】第14回・「神皇正統記」北畠親房(伊勢神道を継ぐ者たち①)渡会家行の後、後継者なく途絶えそうになっていた伊勢神道は、内宮の荒木田氏により救出され引き継がれることとなったものの、その法統も南北朝の戦乱の中、再び途絶えようとしていた時期に、南朝の重臣の北畠親房や天台僧の慈円らによってその流れが引き継がれることになりました。
伊勢神道自体の復興は江戸時代の 度会延佳の時代を待たねばならなかったものの、この南北朝時代に伊勢神道の流れを継いだ北畠親房の「神皇正統記(じんのうしょうとうき)」の中では、道教的な思想が中心であった伊勢神道に儒教(朱子学)的なイデオロギーを注入したのが特徴で、実はこの流れはこの先の吉田神道や江戸時代の儒家神道・水戸国学・復古神道にも強い影響を与えて行くことになります。- 73
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1970-01-01 09:00:00
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