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2024年6月28日 07時11分に生成された05時00分のデータです
2019-06-24 22:56:02
【神道シリーズ】第64回・八百万の神⑲愛宕山大権現【前編】(明治の弾圧を跳ね返して今日まで続く愛宕信仰)愛宕山信仰とは、8世紀に役小角と白山信仰創設者の泰澄による開山と言われてはいますが、実際には781年に僧都・慶俊(法相宗)による開山だとされ(「雍州府史」)、さらに、和気清麻呂による愛宕五山寺(白雲寺・月輪寺・神願寺・日輪寺・伝法寺)の創建により愛宕大権現が祀られた、とされています。
9世紀に天台宗が愛宕さんに進出すると、愛宕山の山頂に位置する白雲寺が天台宗の傘下となり、さらに愛宕山の別当(支配管理職)に任命されると、6つの院(かつて皇族が住職を務めたことがある寺院のこと)によって運営されてたこの白雲寺が実質的に愛宕山信仰の中心となりました。
さらに、この愛宕山は戸隠信仰(飯綱大明神・真言系)の影響で天狗信仰が生まれ、「愛宕太郎坊」として日本の天狗信仰の中心ともなります。
天狗信仰は、真言宗系の当山派修験が中心となり、戸隠・飯綱・高尾山・秋葉山・愛宕山と、稲荷大明神(真言密教に基づくダキニ天の白狐に乗った仙人)のイメージが重なり、「白狐・烏天狗」と「勝軍地蔵・不動明王・毘沙門天信仰」を共有する一大「天狗信仰ネットワーク」を形成しました。- 206
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2020-03-22 01:21:02
周防岩國・山代地方 本郷の町並みと和紙の神様楮祖(ちょそ)神社(河内神社境内)+観音茶屋 岩国市本郷町前編で山口県道130本郷周東線を美和町下畑〜岩国往来の雲照時峠を越えて本郷町へやってきた。
後半部分です=宇塚地区から一旦戻り
旧社格郷社 本郷八幡(参道からの景色のみ・・参拝は一応してきました木立で暗いんで映像なし)ふたたび本郷中心部へ戻り町並みと本郷川沿いの浄土真宗西照寺へ。
本郷は山代地方の中心として奥山代宰判の代官所が置かれていた。宰判=毛利の領国支配の単位で勘場(代官所などが置かれた) 2020.3
西照寺=浄土真宗 江戸末期 長州軍の諸隊。山代地方の僧侶の軍団 偕行団がありその駐屯地だった。僧兵ですな ^^; 御寺の門は旧代官所の門の遺構。
山代最後の代官は、杉民治 吉田松陰の実兄。民政に尽くした名代官だったとか。町の水路などを整備したりしているそうです。
帰路国道187へ向かう県道69号沿いの波野地区の河内神社と境内社楮祖(ちょそ)神社へ・・・。他に波野(はの)には勝軍地蔵堂などもあるようです。河内神社のカエデの紅葉が綺麗らしいのでまたみてみたいです。
河内神社境内にあり楮祖神社は日本で唯一の和紙の神様として祀られるので珍しい。普通の山間の素朴な神社なんですけどね。なんか味があります。
楮祖神社 所持の本 山口県の歴史散歩によると。
中内(ちゅうない)右馬允を祭神として祀る。河野氏の一族で永禄年間の山代地方に所領を持ち楮(こうぞ)栽培と和紙の製造広めさせた先駆者。この恩を徳として神社が創建された。
紙の神様で国内唯一。右馬允の墓所は裏山の木立の中にあるそうです。
国道187沿いで休息した 美川町の自販機コーナーのある観音茶屋の映像を少し。
肉うどん嫌いなんで(きつねか天ぷらが良かった)、自販機でパントーネ酵母パン食べました <(^_^;)
初秋に 再訪 sm37448389- 186
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2019-12-14 10:58:02
山口県百名山 周防岩国藩 吉川公の祈願所 阿品弥山の紅葉と山並み 2019午後から思い立ち 広島県廿日市市へ向かい県道30号に入り国道186号線へ〜浅原(この辺には浅野家家老で武家茶人上田宗箇が隠棲した場所があり 茶用の岩舟の清水がある)ここで県道2号線へ入る。
秋掛集落を抜け県境を越えいくつか集落へて美和の生見(しょうみ)八幡宮のところに出て〜山口県岩国市美和町の中心へでた。
美和町から県道59号へ入りました(実はこの道が険道とも知らずに)車載を撮りましたがメモリ容量が少ないのと激しく揺れるのでしっぱいした。
杉の枝や落ち葉の積もる延々と続くつづら折とほぼガードレールもない山道に・・・。
感想・・・車で行くのもハードルが高い!
*峠に出ると道路改修碑があり林道が分岐していた。(これが日宛地区へのもう一つの道と思われる)
弥山=役行者(新四郎坊)創開とされる山。江戸時代吉川広家公が巡視で、ここの御堂を訪れ幽玄なる地であるとし祈願所と定め堂宇を建立して再興したと言われる。神仏を祭り神仏習合の聖地であった。勝軍地蔵を吉川公が寄進したと言われます。岩国城下及び領民も含めての安寧を祈る場所とされた。
萩 東光寺の仰宗禅師を招き開山したので黄檗宗の寺院となる。御本尊=弥山大権現至聖護国善神
明治以後神仏分離で麓の阿品、瓦谷、日宛各村境界山のため 三分割され各村の管理で弥山本堂長楽寺、赤滝神社(弥山本宮)、日宛神社(弥山本社)とされたと言われています。
登山に手ごろで車で登山口までアクセスでき、景観が大変良いので良く登山者が訪れるところでもある。
柏木山へ縦走もできる。登山口は下阿品、杭名、県道59号経由(車利用可ただし道は狭い)などがある。後日 日宛集落から市道経由で走ってみたらw また県道59号の道・・やばそうなところへ出たwまあ走れるんですけど。
日宛からの道は途中地図で見ると2本に分かれており 帰宅後gogleマップで見ると左側の別ルートは、道路改修石碑のところに出る林道だと思われた(2020.3走る〜早くてこの道が一番良い)
県道59号は美和町側はかなり離合困難な場所多し注意〜(^_^;)
山中篤巳氏(登山家で医師、文化面も含め身近な里山なども詳しく紹介されている)の「山口県百名山」の中で百名山の一座に選ばれている。
後日
車載もしてきて弥山本堂長楽寺にまた行ったのですがこれはまたの機会に、ぜひ登山道を登ってみたいものです阿品道、杭名道2箇所山道ルートがあるのでまたいずれ。- 116
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2020-06-01 22:39:02
【神道シリーズ】第95回・八百万の神㊵その他の山岳信仰(7)浅間山・妙高山・金北山・鳳来山など・・・今回のその他の山岳信仰動画では、浅間山・妙高山・金北山・鳳来山などを紹介したいと思います。
浅間山(あさまやま)は、山を鎮めるために麓の各所に浅間神社が祀られており、浅間山大権現の
本地仏は虚空坊菩薩で、長野側の真楽寺(真言宗智山派)や群馬県側の延命寺(天台宗)が別当として配札を行ってきた歴史があり、浅間山信仰の中心となってきました。
妙高山(みょうこうざん)は、信仰の中心であった関山神社は真言修験の道場で、「生け込み型」と呼ばれる石仏があり、平安後期から鎌倉にかけて真言系修験の霊場として盛況し、本地として伝えられている秘仏が観音菩薩であることから白山修験の影響が推測され、今でも本地垂迹関係が維持されてる珍しい神社の一つです。
鳳来寺山(ほうらいじさん)の中腹にある鳳来寺は、今から約1,300年前(西暦703年)に利修(りしゅう)という仙人によって開山されたと言われ、文武天皇が病気になった時、利修仙人に勅使を使わされ、仙人は鳳凰に乗って都にのぼり、7日間の加持祈祷によって天皇のご病気を治したと言われています。
佐渡島の最高峰(1173m)である金北山(きんぽくさん)は、信仰の中心は中世以降一貫して真言宗(智山派)の真光寺であったが、金北山大権現あるいは北山大権現は白山権現が実態ではなかったか?とする説もあります。(金北山権現>(本地)勝軍地蔵(垂迹)カグツチ)
真光寺は明治政府によって破壊され、今では一部のみ名残が残ってるだけになりましたが、統治は仏教に由来する山名や地名が多く見られます。- 70
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1970-01-01 09:00:00
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