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2018-10-22 22:37:02
【神道シリーズ】第35回・出雲国造(火継式に伝わるスサノオ伝承と消された出雲の実態とは?)「出雲国造(いずもこくぞう)」と言うとイメージが湧かない人が多いと思いますが、しかし、出雲国造とは決して出雲大社の宮司でも何でもなく、祭祀は出雲大社で行うものの、宮司とは別に「現人神」としての国造が出雲にはあるのです。
出雲国造は国譲り神話の中で、天津国から派遣されながらも交渉せずにそのまま出雲に住み着いてしまったとされるアメノホヒの末裔と自称されていますが、実際に出雲国造が崇敬信仰してるのはアメノホヒではなくスサノオなのです。
実は、出雲大社(明治以前は杵築大社と呼ばれてました)の祭神も今は大国主ですが、江戸時代に入る17世紀まではスサノオでした。
出雲国造家は14世紀に千家(せんげ)家と北島家に分立し、以降、それぞれの継承儀式である火継式は、千家氏は(出雲・島根県の)熊野大社で、北島氏は神魂(かもす)神社で(今日でも)行っています。
明治以降、千家氏は出雲大社教、北島氏は出雲教という、伊勢神宮とはまったく異なる神道観と歴史解釈で、今日でもスサノオ・大国主の正統性を支柱にしています。出雲は、コクソウとよみます。コクゾウではありません。 頼む嵐さんへの対応部分はカットしてくれない? もう無視しといたら? いちいち警告するのが見てて醜い 隠し神だし古代雲太の頃までは大国主では? 泉鏡花みたいなもんか。 出来のいい弟子は誰ですか。ホモ...
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2022-06-28 23:14:03
【神道シリーズ・シーズン3】第19回・千家尊福と出雲国造【前編】出雲国造の歴史朝鮮半島にルーツを持ち、仏教伝来以前の古代より続いてきた出雲信仰を引き継ぐ出雲国造は、1600年以上の歴史を持ち、その歴史は、奈良時代以降に始まった伊勢神宮より古く、そしてその歴史観は朝廷の編纂した古事記・日本書紀とは異なり、独自の出雲伝承のストーリーで語られている。
古き出雲信仰は「出雲風土記」に基づき、新羅より渡来した神・スサノオの神霊を継ぐアメノホヒを始祖とする
出雲氏が、朝廷より管轄を依頼された出雲国造として、朝廷に従属する形で国造職を担ってきたが、大化の改新で国造職が廃止された後も「出雲国造」を名乗りながら出雲信仰信仰圏を維持して行った。
そこでは出雲国造は人ではなく、アメノホヒそのものであり、現人神であった。出雲国造は島根県東北部の意宇の熊野大社を拠点としていたが、平安時代には島根県西北部の杵築に拠点を移し、アメノホヒの神霊の元である
スサノオを、アメノホヒそのものである出雲国造が祀り、中世から近世にかけては天台宗の鰐淵寺と蔵王権現とスサノオの本地垂迹関係を結んでいた。
しかし、江戸時代後期になると、76代国造の千家俊秀の弟・俊信は、本居宣長の門人となり、国学に傾倒するようになった結果、国造に代わって指揮を執り、これまでの天台宗鰐淵寺との本地垂迹関係を解消し、杵築大社の祭神をスサノオから大国主に変更し、平田篤胤による大国主イコール幽界の支配者の思想を採り入れ、出雲信仰はしだいに平田国学の復古神道的となり、国学に基づく出雲神道が形成されることとなった。
こうした背景を持つ出雲国造家は、明治以降、祭政一致を目指す復古神道の思想により、「うつくしよ」と呼ばれた人間界を支配するのは天皇で、「かくりよ」と呼ばれた死後の世界・幽界を支配するのは大国主という顕幽二元論を掲げて新政府の宗教改革政策に積極的に関与したが、明治6年の神道事務局創立の際に起きた、事務局の祭神・造花三神と天照以外に大国主も同時に祀るべきという、所謂「祭神論争」が起き、出雲派はこの論争に敗北することにより、在野で独自の教団を形成する決意をし、明治13年に80代国造の千家尊福が出雲大社教を立ち上げ、政府の管理する神社神道とは異なる独自の信仰路線を進む一方、神秘思想に埋没していった古神道と呼ばれる平田系神道カルト集団とも距離を置き、今日まで続く独自の出雲信仰を形成して行ったのである。- 54
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1970-01-01 09:00:00
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