キーワード厳島神社神主家を含む動画:3件 ページ目を表示
2024年7月6日 07時10分に生成された05時00分のデータです
2021-02-14 10:15:02
三倉大明神伝説「三倉岳」(夕陽岳、中岳、朝日岳)遠景 大竹市栗谷町広島の山である岩峰「三倉岳(みくらだけ)」(夕陽岳、中岳、朝日岳=福・徳・寿を表す信仰の対象)山麓からの遠景。大竹市栗谷町広島県大竹市栗谷の三倉岳。三本槍と言われる鋭鋒。
山仲間と2回、一人で1回登りましたが、急な上鎖場があり(まあ慎重に行けば危なくはないんですが)結構ハードな山。修験者が好みそう。
広島近辺のロッククライミングのメッカでクライマーの事故もあったと聞きます(で・・ビビリなもんでもう十年以上いってません^^; 登山道はそうでもないんだけどね)
三倉大明神とも言われる山岳信仰の絡んだ山のようです。室町期までは厳島神社神主家の神領であったそうですので弥山の密教、修験信仰との絡みもあるかもしれません。
旧佐伯町方面友和から山間部をぬけ大竹方面に抜けようと栗谷を通過したとき久々に見て見事な姿に撮影記録した。
神社庁HP記事、三倉岳の案内所でもある〜三倉岳休憩所サイトの解説(縁起関係にに詳しい)を参照しています。
お近くの山岳信仰の山(周防岩国ですが・・)
弥山本社日宛山神社(日宛地区の氏神)と展望台(西側の山並み)sm38193721- 44
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2021-09-12 01:01:02
廿日市総鎮守 篠尾山「廿日市天満宮」からの夏の展望 風景廿日市天満宮 創建は厳島神主家 藤原氏の桜尾城の鎮守として建立された。篠尾山sasao yamaちょいとだけ山登りです。大変眺めが良い。都市化されてしまっていますが広島湾の島々がよく見て取れます。宮島なども指呼の間に見えて厳島神主家の支配の出城とされた場所です。
快晴より多少雲がある方が変化があり景色は面白いですね。
創建は古く鎌倉時代承久2年(1220年)文官中原親能(大江広元の兄)の一族とも言われるている(毛利などと元は同族らしい)鎌倉幕府・御家人藤原親実が、厳島神主に任命され桜尾城に着任。wiki参照。
厳島神主家が滅んだ後、次第に社運衰微して慶長五年に広島藩西の商業都市廿日市の氏子により再建されたといい「別当寺天神坊」と号した。その後、町の鎮守として続いてきた。
江戸期は、佐方八幡(佐方地区)、新宮社(下平良・動画あり)をも勧請し広島藩の西の大きな宿場である廿日市の総氏神とされた。
明治以後、別当寺正覚院と天満宮が分離独立された。山上で並んでますけどね。- 28
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1970-01-01 09:00:00
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