キーワード名神大社を含む動画:32件 ページ目を表示
2024年6月2日 06時22分に生成された05時00分のデータです
2020-05-27 21:55:03
コロナ禍!延喜式内名神大社 旧官幣中社「厳島神社」(一) 参道〜回廊入口。令和二年5月令和二年五月 新緑の厳島神社へ(広島市廿日市市 Hatukaichi City)。中国5県内は移動自粛要請解除後。普通なら人が多いので昼間でこういう絵は撮れない。
渡船〜宮島港〜参道(海岸側)〜回廊入り口まで。人気もまばらな参道を海を見ながら歩き参拝します。商店街は大半がお休みですがいくらかは開いていた。
登山者か参拝者が少しいただけ。全く密な状況はない。
自民政権の観光政策による過剰ともいえるインバウンドの外国の観光がない島は静寂です。地元広島の登山者と参拝者がわずかにいるだけした。
対岸の駐車場もコロナ騒ぎの間あまり借り手がおられないので安くしておられるところもありまし
た。
千畳閣(開いてました)の受付の方曰く・・最高でも一日1000人の拝観がほぼなしの状態でそうです。
地元の人は行こうよマスクして・・人がいるところでや、喋るときはマスク、飲食時は喋らない、目鼻口を洗わない手で触らない、手を洗い消毒(私は消毒アルコールも持参) 参拝や静かに散策ok
今回のパンデミック〜政権は過剰な観光立国インバウンドもほどほどほどに。程々にです
海外の観光の方も適度に来ていただきたいけど、何より国民が盛んに需要喚起して観光で回れるようデフレや恐慌脱却が先じゃろうね
参道がこれだけ人が少ないのも久方ぶりに見たよ、ほんと風景だけ撮れた珍しいです。
9月にも行ったんですが神社も人が少なかった たまに再開された修学旅行の一団がきましたが・・。
またあげるかな。
その(二)東回廊〜本社参拝〜西回廊出口まで。sm36957225
令和三年1月遅い初詣 sm38158915
*宮島関係動画
https://www.upload.nicovideo.jp/garage/series/12602すごいきれい いいっすねぇ きれい いいえ、チワワです。 足音がマイクラみたい 中学の修学旅行以来だ… 最高‼️ 厳島神社がこれはありえねぇ… わお おそなったけど頑張って欲しい。愛媛・今治/大山祗神社も人全然おらんもん。 遅くなったけど頑張って欲し...
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2012-12-13 22:52:42
【高画質】古社の風景 ~対馬 厳原八幡宮~12月は毎日アップします。
今回は長崎県対馬市に鎮座する「厳原八幡宮」です。
当社は三韓征伐の帰途にあった神功皇后が天神地祇を祀った山に鎮座し、
式内名神大社「和多都美神社」や対馬一宮の論社となっている古社です。
前回:田縣神社→sm19564934、次回:小椋神社→sm19580636
古社マイリストはこちら→mylist/32043438
※古社とは、概ね平安時代までに創建とされる神社とします。
BGM:PACIFIC MOON「都」より「Melody of the Wind」なんだろ、神社って感じしないな gj 苔がいい雰囲気だしてるなぁ よろしくお願いします
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2020-05-31 21:37:02
延喜式内名神大社 旧官幣中社「厳島神社」(二) 御本社参拝記録 ほぼ人がいないです 令和2年5月令和二年五月 新緑の厳島神社へ。回廊入口〜客(まろうど)神社〜東回廊(鏡の池、卒塔婆石)〜御本社周辺〜大國社、天神社〜長橋〜反橋〜西回廊出口まで。ひと気もまばらな回廊内を巡り参拝します。
山仲間と散策しながらなので一部撮影していないところは今年の正月初詣や過去のデータを補足的に一部活用してます。賑やかさと静寂を対比していいかなと。
鏡の池=干潮時に見られる手鏡に見立てられ厳島八景の一つ。2カ所?ある。
卒塔婆石=池にある岩に鹿ヶ谷事件で流された平康頼流した卒塔婆が流れていたという平家物語にあ るお話だそうです。卒塔婆石の奥の石灯籠は平康頼寄進と言われ一番古いそうです。
後園(うしろその)=本殿の真裏の禁足地。森になっているが昔の本地堂が祀られいた場所。
本地仏=神仏習合で仏が仮の姿で神として現れ人々を救うという信仰形態。江戸時代以前の神仏信仰のスタンダード。
厳島明神本地=十一面観世音観音菩薩の化身。今厳島明神本地仏は大聖院 観音堂に健在。先日も拝んできました。大きな立像でいいお姿ですよ。
客神社=まろうどじんじゃ回廊入り口最初の神社と平舞台のところに左右2カ所あります。
宮島に詳しい郷土史家の方やその他サイトなどいくつか見ると厳島明神に宗像女神が比定されたのは、鎌倉時代以降ではないかとの説があるそうです。元は記紀と関係ない土着神として祀られていたらしい。厳島そのものの神格化だったかもしれません。
ジャンプ設定直しました。コメントでお知らせ恐れ入ります(^^; 気付いてなかったです。
(一)参道から回廊入り口まで。sm36933927
(三)境内外の摂社大元神社(地主神の社とも言われる)編 sm37100895
人がいるところでや、喋るときはマスク、飲食時は喋らない、手を洗い消毒(私は消毒アルコールも持参) 参拝や静かに散策。今まで特に外国人さんめちゃくちゃ多すぎたよね。政府は煽りすぎてた観光。ほどほどに多いくらいがいいです。今は静かでに見れますよ観光へ来てくだされ。ひとっこひとりいないね 1からのジャンプ先が、削除したほうの動画につながってます。ジャンプ無しでいいんじゃないかな? 人
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2020-07-29 06:50:02
友田 速田神社(速田大明神)と広島県天然記念物 ツクバネガシの巨樹 広島県廿日市市友田速田神社(Hayata Jinjya) 安芸の式内名神大社「速谷神社」から古い時代に勧請した 神社のようです。天王社を合祀され 鳥居に速田明神 天王神社と扁額にあった。
速谷神社は、江戸の頃まで長く厳島の隆盛により二宮とされ厳島の摂社的な位置になり速田神社と号していた。
祭神=飽速玉男命(安芸国造の祖神)あと、合祀されている天王神社の素盞鳴命と思われる(由緒記載が無いので推定ですが)
拝殿は吹き抜けで、絵馬が多く奉納されている。拝殿右側から本殿そばまでいけますが猛暑前だと地面に苔が生えて足裏の触感がこころもちふわふわします。社殿は小ぶりながら立派なもので雰囲気もよろしいです。また行きたなと思いました。
前回 岩国市美和町阿賀の速田神社へお参りしましたが久々に広島県廿日市の速田神社へ行ってきた
廿日市市友田(旧佐伯郡佐伯町の友田)にある。昔の佐伯郡という名称は厳島神主家佐伯氏の名から来ている。
この辺りは津和野街道に沿うように走る県道30号線を廿日市市街から折敷畑〜明石峠(毛利vs大内軍の明石、折敷畑合戦の舞台)を越え少し走ったあたりにある。旧佐伯町ができるまでは友和(ゆうわ)村といったらしい。
神社の両部鳥居 横の樹林には 広島県天然記念物指定のツクバネガシがそびえている。苔むした石段の両脇は木々が茂るがそこそこ整備はされている。
ツクバネガシはブナ科の常緑樹で、中国地方などには多い木であるそうで、広島県の同木では最大級の巨樹。小枝の先に四枚の羽のような葉が付き、羽子板のつく羽根に似ているのでその名がある。
車なら友和公民館で周辺の散策資料をもらい徒歩がいいでしょう。バス利用なら岩組バス停がそばある。ちなみにこの辺に乙丸という広島ラーメンのお店がある一回行きましたがおいしいです。小さめの餃子がよかった。昔々舟入でよく行った、しまいの餃子みたいで懐かしい。
2020 7初旬 梅雨の中休みにて
山口県美和町阿賀 速田神社 sm37182811- 295
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2013-07-01 21:09:21
熱田神宮熱田神宮の創祀は、三種の神器の一つ草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)の御鎮座に始まります。
第12代景行天皇の御代に、日本武尊(やまとたけるのみこと)は神剣を今の名古屋市緑区大高町火上山に留め置かれたまま三重県亀山市能褒野(のぼの)でなくなられました。
尊のお妃である宮簀媛命(みやすひめのみこと)は、神剣を熱田の地にお祀りになられました。
以来、伊勢の神宮につぐ格別に尊いお宮として篤い崇敬をあつめ、延喜式名神大社・勅祭社(※)に列せられ国家鎮護の神宮として特別のお取り扱いを受ける一方、「熱田さま」「宮」と呼ばれ親しまれてきました。いいところだよ あ あ 神社癒される
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2011-08-08 22:58:03
【車載動画】高天彦神社へ涼みに【高天原伝説】高天原伝説の高天彦神社、高天滝へ行ってきました。
走行は大阪南阪奈側道から大阪外環状-R309-奈良県道30号
付近は天上の神々が住んだ高天原の伝承地で、ここに所在する高天彦神社は、
延喜式では最高の社格とされた名神大社で、祭神は葛城氏の祖神高皇産霊[たかみむすび]神。
社殿後方の白雲峯(694m)を御神体とする。(wikiより)たかみむすびってのは高祖ではあるんだけど、扱いがよく変わるらしいね w 1
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2019-06-22 20:37:02
安芸国造の祖神を祀る安芸国総鎮守 旧国幣中社 速谷神社 (広島県廿日市市上平良)御祭神は飽岐速玉命(あきはやたまのみこと)安芸国造の祖神を祀る神社。
古代には名神大社に列し鎮護国家の神として安芸一宮であった。
安芸・備後で最高の社格を誇る 安芸の国の守護神であったといいます。
別垢=最新令和3年 早春の延喜式内名神大社「速谷神社」=sm38359614
平安末期厳島明神の隆盛に伴い一宮も次第に厳島に移りいつの間にか二宮とされ社号も速田神社よばれて厳島の摂社になっていたらしい。明治後復興され社号も本来の速谷神社に復し国への運動の結果 国幣中社に昇格したという。
今でも旧佐伯郡や岩国山代地方の山間部に速田神社という社号の神社がある(勧請したものでしょうね)
現社殿、神門は昭和末期の再建 なかなか豪壮です。
江戸時代の記録には火災で焼けた本殿あとには大岩があり諸人に拝ませないよう幕を張ったとか記載されてるそうです。古墳か磐座かと言われてるらしいですね。
摂社=稲荷社、岩木社があるのみ
岩木社は地主神といわれ 岩木翁を祀る(厳島の三翁神社の祭神でもある) 神社の鳥居からわずか西へ入った住宅街の間にアパートくらいの大きさの小山があり 権現岩といい石の祠があるこの山は岩木翁の磐座とも言われるらしい また平楽地蔵堂もあり(かつての神宮寺の名残だといいます)
境内はそこそこ広い。神池や杉木立ちもある。本殿脇にある椿が結構好きです。岩木社の側にも大きな椿があったんですけど近年石鳥居が寄進されてかなり切られてしまいました。
車のお祓いは有名で新車を買ったら速谷さんと・・いわれてます。
訂正=バイパスから神社への道路は県道30号線ではなく国道433号線が正しい。おつ 綺麗
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2020-06-27 22:08:03
延喜式内名神大社 旧官幣中社「厳島神社」(三)境外 摂社「大元神社」(地主神を祀る古社)宮島の大元浦大元公園入口に鎮座します。厳島神社境外 摂社 大元神社
御祭神=国常立尊、大山祇神、保食うけもち神。相殿=最初に社殿を立てた佐伯鞍職)
諸説あるらしいですが厳島神社よりも古いとも云われ、島の地主神を祀るともされる神社。
大元浦(水族館の少し西の大元公園入口あたりにある)大元浦は厳島合戦における陶晴賢と大内軍団の上陸地点でもある。
七つの摂社末社をめぐる御島廻神事の最後の配所でもある。また夏の大祭〜管弦祭でも管弦船が寄港し祝詞や管弦が奏される。
観光の主たる場所からは外れているので普段は喧騒から離れ大抵いつも静か。たまに登山客が通るとか参拝の方が訪れるくらいである。鹿が木立でよく集団で寝ている。社殿以外何もないですがそこがいい。
厳島神社HP記載にによれば 創建は不詳ながら仁安三年(1168)の佐伯氏の記録に大伴社として記載されているそうです。
社殿も古く大永三年(1523年)再建。屋根が独特で長板葺=六枚重ね三段葺(他になく大元葺きとも云われるそうです)。
本殿内陣の玉殿=柿葺で一間社流 見世棚造りで三殿あり 嘉吉三年建立(1443年)本殿より古い。
大祭は一月二十日の百手祭(弓の神事)
大元公園は弥山登山口で春は桜があり(戦前までは桜の名所米軍が伐採して駐車場にしてたとか)公園奥には、海の近くでは珍しいもみやツガなどの巨木が林立するさまは壮観です散策もよい。巨樹が好きな方は公園奥へぜひいきましょう。
令和二年五月中旬 参拝、散策。 参道〜本社〜重要な摂社まで終わり。
* あせび道散策路〜多宝塔と四宮神社 sm37264427
*宮島厳島関連https://www.upload.nicovideo.jp/garage/series/12602この辺はよく鹿が昼寝してる 西の松原は気持ちいぞ 長板葺の屋根(六枚重三段葺) バーチャル寺作れば、水没する心配もないし、災害とは無関係になるよね 修復しても意味ないじゃん・・・・・・・・・・・ 今場はウイルスで来られなくなったんじゃ、 ここ、まえに...
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2020-07-29 11:27:02
延喜式内名神大社 「厳島神社」(四)末社 四宮神社と緑の道を 多宝塔〜大聖院門前その(4)厳島神社 多宝塔と末社・四宮神社へ
大元公園横にある国民宿舎 杜の宿の前から大聖院前まで続く「あせび道」を行く。あせび道は途中一部舗装もしてあるが基本未舗装の道。モミやツガ、楠などの大木、楓などの植物が多い静かな散策路。
桜の多い桃林(斜面に桜が多い)を通り、多宝塔へ 朱の多宝塔に初夏のもみじが青々としている。多宝塔奥から石段があり下の道路へエスケープして降りれます風情があるのでこの道もいいですよ。
散策路から〜大聖院門前に下り、少し滝小路を下るとすぐ淡島神社がありその向かい側の未舗装の道からもみじ道へ入る(紅葉谷へ抜ける道である)藤棚のあるあたりなどを過ぎ〜四宮神社 まで。
このあたりは例年はそこそこいるんだけど人がいませんでした。
末社 四宮神社 もみじ谷入口あたりにありますので、紅葉谷やロープウェーへ行く方は横を必ず通るはず。石鳥居、木々の緑が映えて捨てがたいですがこの辺は観光でも訪れる人は結構いる場所かと思いますよね普段は。紅葉谷近くへ来たら必ずよりますw
次へ設定してもジャンプがうまくいかないので記載しときます。
その(5)初夏の紅葉谷の青もみじと町屋通りへ5月参拝時の最後に行った場所
もみじ谷は紅葉が有名ですが、青い若葉の紅葉もいいもんですよ。人は全くいませんでした。この時期ありえないですね。明治の廃仏毀釈までは寺院が林立した場所だそうです。
→ sm37311632
その(3)境内外摂社 大元神社(大祭の管弦祭でも神事がある、御島廻り神事でも最後の拝所になっている結構重要かも)→ sm37100895
宮島関係動画 https://www.upload.nicovideo.jp/garage/series/12602多宝塔は美しい
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2023-06-10 10:00:00
晩春の周防山代地方阿賀(あか)の古社 「 速田神社」 2022晩春2023春 桜開花時期参拝 例の環境問題で揉めてるメガソーラーのある地域に近いです。
山里ながら古来厳島神社とも関係が深かったようで言い伝えでは厳島明神から神供米が送られていたこともあったらしい。
今も御烏喰式(おとぐいしき)も行われる。
現在の社殿は江戸時代後期の建立のようで三間社流造り〜岩国市の有形文化財指定。
現在地には阿賀の藤木というところから明治時代遷座した模様。
祭神など由緒など境内になく不明。おそらく市杵島姫など宗像神を祀っているのではと思われる。
縁起が不明なため探して美和町阿賀ブログラブHPの縁起に関しての記述を参照しました。
縁起説話については「神が女人姿で降臨し、早稲(イネ)を速く成熟して見せ里を守ると告げて田圃へ消えた」というものだそうです。
この辺りは岩国往来(岩国城下と山代街道を繋ぐ道)が通っていた。近くの雲照寺付近から県道とは別に昔の峠道があるらしい。県道130号線は雲照寺峠を越えて本郷へ続く。
速田神社という社号にかんして安芸の式内名神大社「速谷神社」が江戸の頃まで厳島の隆盛により
厳島の摂社的な位置になり速田神社と号していたと云いますのでそこから勧請した可能性が高い。
速谷の御祭神は安芸国造の祖神系=阿岐速玉男命ですからね?
注)音声解説では市指定重要文化財と言っておりますが正確には市指定有形文化財です。一部自治体では県指定、市指定重要文化財と呼称するところもありますが、正確には重要文化財は国指定のものになります。おつ うぽつ うぽつ うぽつです∩^ω^∩ おつです。 人
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2020-08-30 00:59:02
友田 「速田神社」初秋8月末 再訪 廿日市市友田廿日市市友田(旧佐伯郡佐伯町友田)にある速田神社。お盆過ぎの21日再訪記録。
蝉時雨と猛暑の境内。
速田神社(Hayata Jinjya) 安芸の式内名神大社「速谷神社」から古い時代に勧請した 神社のようです。天王社を合祀され 鳥居に速田明神 天王神社と扁額にあった。
速谷神社は、江戸の頃まで長く厳島の隆盛により二宮とされ厳島の摂社的な位置になり速田神社と号していた。
祭神=飽速玉男命(安芸国造の祖神)あと、合祀されているが天王神社だから素盞鳴命と思われる。 ただし由緒書がないので推測ですが速谷神社なら安芸国造系の祖神のはず。
神社の両部鳥居 横の樹林には 広島県天然記念物指定のツクバネガシがそびえている。苔むした石段の両脇は木々が茂るがそこそこ整備はされている。
ツクバネガシはブナ科の常緑樹で、中国地方などには多い木であるそうで、広島県の同木では最大級の巨樹。小枝の先に四枚の羽のような葉が付き、羽子板のつく羽根に似ているのでその名がある。
もし行かれる方がいたら友和公民館が近くにあります(Pあり)
温泉の帰り折角なのでどこか寄りたくてお参りしました今度は涼しい時に行きたいな。
広島県の神社 はつかいち 旧佐伯町 日本の風景 神社動画 御神木 の巨樹がみごと- 126
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2017-08-26 16:49:29
宮島街道 名所図会 其の一 春の風景宮島街道色々歩いてみた。 宮島のある廿日市市、おおの自然観察の森 権現山の麓の自然公園
延喜式内名神大社 速谷神社、厳島神社。真言宗の古刹極楽寺の自然公園など
霊場の春、神能や桜、山野草などスライドです。ここは速谷神社だね
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2020-07-13 12:39:02
周防 山代地方の古社 阿賀 「速田神社」(Hayata JInjya) 山口県岩国市美和町阿賀美和町の阿賀(aka) 。里の鎮守 速田(hayata)神社。山里ながら古来厳島神社とも関係が深かったようで言い伝えでは厳島明神から神供米が送られていたこともあったらしい。
今なお年2回御烏喰式(おとぐいしき)も行われる。
県道130号線で美和町阿賀 まで行き130号線の雲照寺峠方面は行かず、秋掛方面への道を進んですぐ。
また祭礼も旧暦6月17日(厳島 管弦祭の日と同じ)であるそうです。
御烏喰式=元来は宮島で御島廻りの巡拝で養父崎海上 小さな筏に団子を供え御烏がそれを取りにくるというもの)御烏(おがらす)は厳島明神の鎮座伝説に関わりがあり佐伯鞍職(くらもと)らを先導して鎮座地へ導いたとも。
現在の社殿は江戸時代後期の建立のようで三間社流造り〜岩国市の有形文化財指定。
現在地には阿賀の藤木というところから明治時代遷座した模様。祭神など由緒など境内になく不明。おそらく市杵島姫など宗像神を祀っているのではと思われる。こんど美和町史でも図書館で調べてみますかね。
縁起が不明なため探して美和町阿賀ブログラブHPの縁起に関しての記述を参照しました。
縁起説話については神が女人姿で降臨し、早稲(イネ)を速く成熟して見せ里を守ると告げて田圃へ消えたというものだそうで市杵島姫などを連想させるきもしますが・・どうなんでしょう。
速田神社という社号にかんして安芸の式内名神大社「速谷神社」が江戸の頃まで厳島の隆盛により 厳島の摂社的な位置になり速田神社と号していたと云いますのでそこから勧請した可能性もあるかもしれません〜廿日市市友田や吉和などにもやはり速田神社があります。友田は参拝したことがあります大きなツクバネガシの木がある。また行ってみますかね。でも駐車場がないんですよねえ。
2020 7初旬 梅雨の中休みにて- 90
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2020-10-17 23:49:02
<広島県の神社>廿日市市 吉和地区 神社編 旧吉和村 総鎮守 「速田神社」と美濃木神社 廿日市市吉和県道471号線〜綺麗な森林帯を降り〜 吉和への(4)最後です。自然の中のリゾート施設魅惑の里で休憩したあと・・・夕方です。
吉和の中をすこしみてあるいた。このあたりは旧吉和村といい廿日市市の最北の町である。
1 美濃木神社
国道186号線傍に立つ美濃木神社(大きな杉が林立しています)に立ち寄る(もう夕方なので鳥居のところから遥拝)
由緒不明ですが社殿や木立はいい感じでした。検索してもないんですよね情報。唯一夏にこの境内 に狐の剃刀」という山野草の花が観れるという記事があった。
2 速田神社
県道296号戸河内吉和線の田中原という集落にある速田神社へ(大木の杉の林立する境内)
由緒書などないのですが帰宅後検索してみると吉和の総鎮守だそうですね。
はつかいちぶらりブログと神社所蔵品情報が吉和区民館HPにありましたので参照しました。
おそらく延喜式内名神大社 速谷神社を勧請したものです。速田神社は今年三社目。
速田神社は廿日市友和や岩国市美和町阿賀にもありましたね。今年は三社目です
魅惑の里散策 sm37670800
県道(険道?)471線走行編(1)〜(2)全長版 sm37658809
神社二社はGoogleマッピで見ていたのでいってみたくて少し立ち寄る。紅葉の頃に明るい時にまた行こうかな。
吉和観光のHPで美濃木神社 裏の林道は5kmくらいは紅葉が綺麗でドライブはおすすめと書いてありました。
四和〜魅惑の里 なかなかいい道(おもしろい)でした。涼しい秋の気配がした。樹林が素晴らしいです。冬季は通行止めですからね。
行けたら紅葉した頃源流の森をもう1回走りたいですね。- 89
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2020-08-07 08:08:02
延喜式内名神大社旧官幣中社「厳島神社」(五)静寂の紅葉谷から町屋通りへ 令和二年五月延喜式内名神大社 厳島神社5 もみじの名所=紅葉谷から町屋通り(裏通りで昔のメインストリート)散策。紅葉谷へ(新緑のもみじ)〜岩惣前〜誓真井戸〜町家通り〜青い海と宮島港。
令和二年五月・・・紅葉谷は今はもみじの多い林ですが江戸時代までは寺院が多くあった場所だそうです。四宮神社を過ぎ、紅葉谷の新緑のもみぢ谷〜町家通りを散策しながら桟橋へ。
今掲げてある町屋の隠し文字のある「愛」の文字の献灯の様子を見て歩いたりした。
次は本宮周辺の摂社末社を等を纏めようかなと。ぽちぽち回る。
中国地方5件は移動自粛要請が解除されて早々訪問。人がほぼいません。
老舗旅館岩惣あたり(紅葉谷入口)も無人で寂しいものです。
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以前の宮島、厳島神社関連動画
*御島廻り(宮島の七つの浦にある末社めぐり)
海上ツアーぐるっと宮島再発見 総集編 =sm34086960
*対岸の外宮社で御旅所でもある〜地御前(じごぜん)神社=sm37384152
*2019年厳島管絃祭(大祭)夜の大元神社で御座船で管弦を奏でる様子 = sm35662094
2020年は中国初のコロナ流行のため、伝統的な御座船や伝馬船は中止〜遊漁船に飾りをして神官さんだけ御神体をお乗せして回ったようです。- 86
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2020-09-12 09:14:02
【 延喜式内名神大社 厳島神社 摂社「長濱神社」と朱い四脚鳥居 】~ Nagahama Jinjya~厳島神社の摂社 長浜神社へ。今年二回目。港から歩いて5分くらいか?近いです小学校などの隣にある。観光ではまずいかないところ。
社殿は外陣と内陣に分かれているようです。拝殿が境内に少し離れてある。
すぐ前が海。木製の四脚鳥居が浜に立つ(朱の大鳥居のミニチュア版ですな)
古くから長浜エビスとして漁民の信仰厚い神社と言われるようです。
この日、海は穏やかでしたが湿度がやや高く空は霞んでいました。翌日は雨が降る。
主たる観光コーコース外なので静かです。まあ車道横なので車が走るけど。
お時間があればどうぞ。
風、海の音、船のモーター系かな?微かな唸るような音がしていた。セミたちの最後の歌。
厳島、宮島関係映像= 宮島・厳島関係 https://www.nicovideo.jp/series/82780?ref=user_series
R2年9月10日- 76
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2020-04-15 19:11:03
西国街道(旧山陽道)沿いの 旧村社 新宮神社 広島県廿日市市新宮旧村社 新宮神社 元々は傍の藤掛山にあった桜尾城の支城=藤掛城の鎮守として祀られた御社。しかし藤掛城は陶晴賢に攻め落とされた。後に永禄年間に地元で熊野新宮から祭神を勧請され下平良の鎮守としたと言われている。今でも本地仏の懸け仏が祀られている。
平良(へら)と廿日市南東部の地域は、延喜式内名神大社 速谷神社などがあるエリアで古代山陽道の「へら」駅家があったとされるあたりでもある。
今は住宅街になっており 藤掛山も開発され団地や道路が走る(西広島バイパス〜木材港下りる道路がある)麓の海側も旧国道2号線宮島街道が通る。昔はこの山のため山陽道は海のそばを通れずやや山側を宮内村へ抜けていたらしい。
廿日市天満宮hp記載の縁起によれば江戸時代廿日市天満神(旧天神坊)が廿日市の鎮守とされ新宮社の祭神も勧請し、ここを御旅所としたそうです。今も廿日市天満宮が祭祀を続けているようです。
いつお参りしても綺麗に箒の掃き跡があり 手入れがされ花が植えられ公園のようになっている。いこいの空間的な旧村社である。古木にはしめ縄がされ神木として鎮守の森も守られております。
近くへ行ったので花の頃でもあり参拝しました。初夏の匂いがもうしています。
帰る前に近くの 厳島神社外宮のある地御前の海から宮島を眺め帰りました。- 71
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2020-12-16 01:09:03
旧村社 宮内天王社〜快晴の中 今年最後の黄落の大銀杏 (旧・厳島神社兼帯社)2 再訪 2020今年最後の参道大イチョウの紅葉が鮮やかな境内風景。次回参拝したらもう冬の姿でしょう。紅葉が始まって3回行きましたが一番綺麗に撮れた気がします^^
廿日市市宮内は県道30号線が走り県道と御手洗川がぶつかる所の旧道を少し川沿いに遡ると参道入り口がある。ちょうど交番のところを入れば良い(交差点のところには吉賀町の柿木村アンテナショップがある)
1周間くらい前に再度参拝。境内の落ち葉は氏子さんが頑張って掃き集めてきれいになっていた。
元来は広田神社の元鎮座地の麓にあったが、天正年間に海の近くなので津波災害で現在の宮内へ遷座した。元来は祇園社で牛頭天王を習合した神仏混交の社だった。
祭神=素戔鳴命、神武天皇など
明治後は八坂神社と改称したが戦後昭和44年頃 氏子の希望で宮内天王社へ社号を再度改称した。
名称は長い神仏習合時代の牛頭天王の語感を生かしたか神武天皇伝説の絡みからなどと言われる。
江戸時代〜厳島神社兼帯七社の一つだった(祭祀を厳島神社の祀官が行い社殿などの修築も厳島神社が賄った神社)境内にあります社殿修築の寄進者を記載した石碑を見ますと、厳島神社が多くの寄進をしていました。
境内は大木も多くあり村社として守られてきたようです。旧山陽道が近くを通っていた場所でもある。御手洗川沿いあたりは大体山陽道にあたるらしい。
令和二年は梅雨明け前に1回、黄落して都合3回・・計4回目の参拝。
2018年か2017年頃に行った時は、落ち葉がまだ片付けられていない時、行きましてもう境内全て黄金色だったですね。
近くに有機野菜の産直売場があるのでたまにこの辺へ遠征して行きますのでついでに。
厳島神社外宮 地御前神社 sm37384152
上平良にある延喜式内社名神大社 速谷神社 sm35298947- 69
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2020-10-18 12:24:02
旧吉和村 総鎮守「速田神社」(延喜式内名神大社速谷神社 勧請) 広島県廿日市市吉和田中原 地区このあたりは旧吉和村といい廿日市市の最北の町である。アップできるぎりぎりの高品質書出版。
速田神社
県道296号戸河内吉和線の田中原という集落にある速田神社へ(大木の杉の林立する境内)
由緒書などないのですが帰宅後検索してみると吉和の総鎮守だそうですね。
はつかいちぶらりブログと神社所蔵品情報が吉和区民館HPにありましたので参照しました。
おそらく延喜式内名神大社 速谷神社を勧請したものです。木がすごいです。
速田神社は廿日市友和や岩国市美和町阿賀にもありましたね。今年は三社目です
廿日市市虫所山〜吉和周辺 車載 散策
魅惑の里散策 sm37670800
県道(険道?)471線走行編(1)〜(2)全長版 sm37658809
神社二社はGoogleマッピで見ていたのでいってみたくて少し立ち寄る。紅葉の頃に明るい時にまた行こうかな。
吉和観光のHPで美濃木神社 裏の林道は5kmくらいは紅葉が綺麗でドライブはおすすめと書いてありました。
車載は一瞬しかないです(^^; 速田神社を側面から撮影した時だけです。- 63
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2020-08-30 00:20:03
山代地方 美和町 阿賀 「速田神社」(Hayata JInjya)晩夏再訪 山口県岩国市美和町阿賀美和町の阿賀(aka) 。里の鎮守 速田(hayata)神社。山里ながら古来厳島神社とも関係が深かったようで言い伝えでは厳島明神から神供米が送られていたこともあったらしい。
今なお年2回御烏喰式(おとぐいしき)も行われる。
県道130号線で美和町阿賀 まで行き130号線の雲照寺峠方面は行かず、秋掛方面への道を進んですぐ。
現在の社殿は江戸時代後期の建立のようで三間社流造り〜岩国市の有形文化財指定。
現在地には阿賀の藤木というところから明治時代遷座した模様。祭神など由緒など境内になく不明。おそらく市杵島姫など宗像神を祀っているのではと思われる。こんど美和町史でも図書館で調べてみますかね。
縁起が不明なため探して美和町阿賀ブログラブHPの縁起に関しての記述を参照しました。
縁起説話については「神が女人姿で降臨し、早稲(イネ)を速く成熟して見せ里を守ると告げて田圃へ消えた」というものだそうで市杵島姫などを連想させるきもしますが・・どうなんでしょう。
この辺りは岩国往来(岩国城下と山代街道を繋ぐ道)が通っていた。近くの雲照寺付近から県道とは別に昔の峠道があるらしい。県道130号線は雲照寺峠を越えて本郷へ続く。
速田神社という社号にかんして安芸の式内名神大社「速谷神社」が江戸の頃まで厳島の隆盛により 厳島の摂社的な位置になり速田神社と号していたと云いますのでそこから勧請した可能性が高い。由緒書ががないのではっきりしませんが。
また秋に行きたいな。
2020 8月 残暑の頃 再訪。- 62
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2021-01-25 09:29:02
西国街道沿いの力箭山(Rikiya zan)に鎮座「 草津八幡宮 」と広島湾の島々 広島市西区草津(令和三年1月)令和三年初参拝記録。広島市西区草津 江戸時代は西国街道の間宿(あいのしゅく)で正規の宿場の間にあり休息などに利用された。海辺の街で海運、漁業牡蠣養殖などで栄えた今は沖が埋め立てられ住宅や商工施設が立つ 戦国時代 水軍城「草津城」もあった。
神社の在る山について、神功皇后の三韓征伐の伝説でこの地で軍船を整え 弓矢(箭)の訓練をさせたと伝承され力箭山(りきやさん)と呼ばれる。
草津八幡宮の今の社殿や境内域、自体はそう古いものではない。
昭和六年に山腹を切り開き境内が新造され現在地に遷座され新たに社殿建立されたもの。
古は海の近くにあり再建のたび内陸に移っていったと言う。
高台にあり草津の町〜広島湾や島々などの景観が優れています。時々眺めに行きたくなる場所。
社殿も大変姿が良いし189段の石段も風情がある。
御朱印もいただけます。
宮嶋口や旧市内からチンチン電車で行き 草津駅で降りて散策も楽しいですよ。
草津沖周辺は埋め立てられ近代化されているが、古い街並みや神社仏閣、うだつやコテ絵などのある古民家や蔵なども今だ点在している。歴史散策も楽しい。御幸川の河口あたりに飲食店スーパー専門店などが入るレクトがある。洒落ているので休息などに良い。
蝋梅やひと足ごとの祈りかな
西国街道を進んだ宮内にある 宮内天王社sm37969384
西にある厳島神社外宮 地御前神社 sm37384152
上平良にある延喜式内社名神大社 速谷神社 sm35298947- 58
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2021-02-23 00:17:02
早春の極楽寺山麓の御社(1) 原の鎮守 「 伊勢神社 」 広島県廿日市市原広島県 廿日市 原地区の神社「伊勢神社」=廿日市の山側 極楽寺山の裾野の高台にある地域〜原の鎮守社。天照大神と月読大神を主祭神とし〜明治以後、原の周辺地域の氏神六社の祭神を合祀し現在の伊勢神社となっている。十二神祇系神楽の旧舞「原神楽」を伝承する伊勢神社神楽団の根拠地。秋の祭礼に演じられる(今年は行きたいです)
冬以来、立春すぎて再訪。風が強く寒い一日。空は澄んでいて景色はよかった。海が見えます。
原の当たりは田園地帯で少し標高も高い。速谷のある上平良のさらに上の方です。古い蔵や大きな農家の建物、田園風景の場所です。ここから極楽寺山へ国道433号線が登っていく。また説教源氏節という人形芝居も伝承されています。
寒かったけど参拝時の早春の山里の雰囲気は撮れたのでよかったですね。
桜が咲いたらまた参拝してきたいです。
このあと速谷神社へ向かいました。
早春の延喜式内名神大社 速谷神社=sm38359614- 54
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2021-01-22 14:20:02
【広島県の神社】手作り公園風な境内の 旧村社 新宮神社 (廿日市市新宮)廿日市市新宮にある旧村社「新宮神社」。下平良地区の氏神。戦国時代文安三年(1446年)藤掛山にあった藤掛城の鎮守としてイザナギイザナミ二柱が祀られ、陶晴賢に攻められ城落城後は、紀州熊野新宮の神を勧請し地元下平良にて祭祀が行われてきた。藤掛城主の小方加賀守上野助=厳島神主家の一族で戦国末期に友田興藤と神主家の継承争いをした武将らしい。
境内は、山を背にしており氏子さんによりいつも整っている。手作りwの公園風になっていて古木(樹齢130〜160年)も大事にされています。楽しんで整備されてるのがわかる。
近くへ寄った折に散歩がてらみて歩くのにちょうど良い。
江戸時代廿日市は商業でも栄え正式な宿場街であった場所。
社殿はH9年改築されているらしいです。凝った作りではないですがどっしりしています。境内の雰囲気はいいです。祭祀は西国街道沿いにある廿日市の総氏神とされた廿日市天満宮で行われいる。
現在も社殿に神仏習合時代の「本地仏の掛け仏」が祀られている(廿日市市重要文化財指定)
平良(へら)=廿日市の南東部にある地域。旧平良村。平良はに古代山陽道の駅家があったとされる。
最寄りは広電・廿日市市役所前電停かJR・宮内串戸駅(少し歩く)スーパーアルクなどが入るティナコート裏側で旧山陽道の付近。藤掛山はいまは削られ団地や道路が走る。
藤掛山にある広田神社 sm36972757
西国街道を少し進んだ宮内にある 宮内天王社sm37969384
少し西にある厳島神社外宮 地御前神社 sm37384152
上平良にある延喜式内社名神大社 速谷神社 sm35298947
廿日市総氏神 廿日市天満宮(新宮社も勧請されている)sm38258080- 48
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2021-02-10 09:14:02
【西国街道 廿日市宿場跡】厳島神主家 桜尾城の鎮守「 廿日市 天満宮 」(旧廿日市の総氏神)(一)はつかいちの天神山 (篠尾山sasao yama)ちょいとだけ山登りです。創建は古く鎌倉時代承久2年(1220年)文官中原親能(大江広元の兄)の一族とも言われるている(毛利などと元は同族らしい)鎌倉幕府・御家人藤原親実が、厳島神主に任命され桜尾城に着任 。wiki参照。
天福三年(1233年)篠尾山に荏柄天神より守護神としてより勧請したものと伝わる。やがて室町期に安芸へ下向して国人領主化していく。 戦国末期郡山合戦ののち大内氏に反旗を翻した 厳島神主家が滅んだ後、次第に社運衰微して慶長五年に広島藩西の商業都市廿日市の氏子により再建されたといい「別当寺天神坊」と号した。その後、町の鎮守として続いてきた。神仏習合なんかわくわくします。
江戸期は、佐方八幡(佐方地区)、新宮社(下平良)をも勧請し広島藩の西の大きな宿場である廿日市の総氏神とされた。
明治以後、別当寺正覚院と天満宮が分離独立された。山上で並んでますけどね。
調べてみて元々桜尾城にあったものを遷座したか? 笹尾山(支城)に初めから社殿があったのか?いくつか微妙に違う説明を読みましたが一度郷土関係の本を探して調べてみないと。
廿日市宿本陣あとの石碑〜参道を上り、山上の社殿前〜展望の休息所南〜東方面の眺めまで。
狭い山頂に社寺のある山腹にあるコンクリートの補強と大楠が印象的な山。
2018年に西国街道筋をぽつぽつ歩いたり散策するようになってからたまに参拝します。なかなかいいです梅とか景色とか巨木とか歴史とかね。
長いのでその2 後半は西方面の展望〜正覚院・千年大楠。
天満宮関連神社
新宮神社(藤掛城主が建立した〜下平良の氏神)sm38156694
西国街道を少し進んだ宮内にある 宮内天王社(宮内上組の氏神)sm37969384
桜尾城支城があった藤掛山の広田神社 sm36972757
少し西にある厳島神社外宮 地御前神社 sm3738415
上平良にある二ノ宮 延喜式内社名神大社 速谷神社 sm35298947- 40
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2021-02-12 22:50:02
【西国街道 廿日市宿場跡】厳島神主家 桜尾城の鎮守「 廿日市 天満宮 」(二)旧別当寺正覚院と「巨樹 千年楠 」後半は旧別当寺正覚院と山頂の千年「大楠」など 少しパワスポ編です。*西側の眺め〜鐘楼〜正覚院〜千年楠巨樹〜参道を下る。参道大鳥居近くの今が盛りの蝋梅(2月12日に再度訪れた終わってました)
旧厳島神主家の守護神で、廿日市駅の南側にあり電車からも見える目立つ天神山(篠尾山)
明治後、天満宮と真言宗 正覚院(寺伝では行基開基とも言われ相当古いようです)に分離された。
天神の創建は古く鎌倉時代承久2年(1220年)文官の中原親能(大江広元の兄)の一族中とも言われるている鎌倉幕府・御家人藤原親実が、厳島神主に任命され、桜尾城に着任 天福三年(1233年)笹尾山に荏柄天満宮より守護神として神霊を勧請したものと伝わる。
のち藤原氏は鎌倉末期安芸国へ下向し国人領主化した。
篠尾山は厳島神主家の居城「桜尾城」(三方を海に囲まれていた)の支城の一つであったという。今山は小さくなっていますが・・・。
戦国末期 厳島神主家が滅んだ後も大内氏が祭祀を命じていたらしいですが、大内氏も滅び次第に衰微してしまう。江戸時代の慶安5年町の氏子の寄進がおこなわれ社殿が再興され傍らの神宮寺と共に神仏習合しており「別当寺天神坊」と呼ばれた。のちに新宮神社(下平良)、八幡宮(佐方)も勧請され〜 旧廿日市全域の鎮守・総氏神として続いてきたという。 神社庁、廿日市天神HP縁起参照。
廿日市総氏神 廿日市天満宮(1)(新宮社も勧請されている)sm38258080
新宮神社(藤掛城主が建立した〜下平良の氏神)sm38156694
西国街道を少し進んだ宮内にある 宮内天王社(宮内上組の氏神)sm37969384
桜尾城支城があった藤掛山の広田神社 sm36972757
少し西にある厳島神社外宮 地御前神社 sm3738415
上平良にある二ノ宮 延喜式内社名神大社 速谷神社 sm35298947- 39
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2022-07-12 22:30:03
晩春の周防山代地方阿賀(あか)の古社 「 速田神社」 2022晩春岩国市湖者速田神社。神社部分だけ。美和町の阿賀 。里の鎮守 速田神社。
何度か来ているが久々に記録動画(ここへくる前にカフェに寄ってきて夕方近く)
山里ながら古来厳島神社とも関係が深かったようで言い伝えでは厳島明神から神供米が送られていたこともあったらしい。
今も御烏喰式(おとぐいしき)も行われる。
現在の社殿は江戸時代後期の建立のようで三間社流造り〜岩国市の有形文化財指定。
現在地には阿賀の藤木というところから明治時代遷座した模様。
祭神など由緒など境内になく不明。おそらく市杵島姫など宗像神を祀っているのではと思われる。
縁起が不明なため探して美和町阿賀ブログラブHPの縁起に関しての記述を参照しました。
縁起説話については「神が女人姿で降臨し、早稲(イネ)を速く成熟して見せ里を守ると告げて田圃へ消えた」というものだそうで市杵島姫などを連想させるきもしますが・・どうなんでしょう。
この辺りは岩国往来(岩国城下と山代街道を繋ぐ道)が通っていた。近くの雲照寺付近から県道とは別に昔の峠道があるらしい。県道130号線は雲照寺峠を越えて本郷へ続く。
速田神社という社号にかんして安芸の式内名神大社「速谷神社」が江戸の頃まで厳島の隆盛により
厳島の摂社的な位置になり速田神社と号していたと云いますのでそこから勧請した可能性が高い。
速谷の御祭神は安芸国造の祖神系=阿岐速玉男命ですからね?うぽつです
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2021-05-27 09:22:02
初夏の神社風景 「名神大社 厳島神社」初夏の静かな境内の様子厳島八景のひとつにも選ばれている厳島神社の鏡の池、後園(うしろその)の新緑などなど。末社 瀧宮へ向かう前に参拝。
後園=神仏分離後 本地堂は撤去され、現在は瓦葺の四脚門=不明門(開かずの門)があるのみ。
明治後100年以上たち樹木が茂って鎮守の森のようになったらしい。
厳島八景(八箇所の雅趣のある風景が選定されている)のひとつ
鏡池秋月(鏡の池に映る秋の月)と云われた。
「滝小路」から大聖院門前を経て「白糸の滝」と「瀧宮」へ sm38792411
とりあえずこれで R3年5月の宮島散策の記録は終わり。定点観測です^^- 27
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2022-11-13 20:47:02
桜の頃「 草津八幡宮 」と広島湾と市街地の展望 広島市西区草津(令和4年4月下旬)裏参道から賛否。
令和4年晩春記録。広島市西区草津 江戸時代は西国街道の間宿(あいのしゅく)で正規の宿場の間にあり休息などに利用された。海辺の街で海運、漁業牡蠣養殖などで栄えた今は沖が埋め立てられ住宅や商工施設が立つ 戦国時代 水軍城「草津城」もあった。
神社の在る山について、神功皇后の三韓征伐の伝説でこの地で軍船を整え 弓矢(箭)の訓練をさせたと伝承され力箭山(りきやさん)と呼ばれる。
草津八幡宮の今の社殿や境内域、自体はそう古いものではない。
昭和六年に山腹を切り開き境内が新造され現在地に遷座され新たに社殿建立されたもの。
古は海の近くにあり再建のたび内陸に移っていったと言う。
高台にあり草津の町〜広島湾や島々などの景観が優れています。時々眺めに行きたくなる場所。
社殿も大変姿が良いし189段の石段も風情がある。
御朱印もいただけます。
宮嶋口や旧市内からチンチン電車で行き 草津駅で降りて散策も楽しいですよ。
草津沖周辺は埋め立てられ近代化されているが、古い街並みや神社仏閣、うだつやコテ絵などのある古民家や蔵なども今だ点在している。歴史散策も楽しい。御幸川の河口あたりに飲食店スーパー専門店などが入るレクトがある。洒落ているので休息などに良い。
西国街道を進んだ宮内にある 宮内天王社sm37969384
西にある厳島神社外宮 地御前神社 sm37384152
上平良にある延喜式内社名神大社 速谷神社 sm35298947いいですね~\(^o^)/
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2021-03-02 23:22:02
早春の御社2 延喜式内名神大社・旧国幣中社「 速谷神社 」廿日市市上平良伊勢神社参拝後、少し下の上平良まで移動。速谷神社=安芸国二宮。延喜五年(905年)延喜式神名帳の延喜式内名神大社 旧 国幣中社。御祭神飽速玉男命(アキハヤタマオノミコト)阿岐国造を祀る。
古代は厳島神社を凌ぐ安芸備後で最高の社格を持っていた。厳島信仰の高まりにより いつしか速田神社と称され二宮、厳島明神の摂社的位置になっていたが明治以後速谷神社と社号を戻し復興された。
各地に勧請されていて何箇所かあるようです。旧佐伯町友和の速田神社、美和阿賀の速田神社などには昨年行きました。
境内社=稲荷社と岩木社のみがある、数は少ないですね。
岩木社=参道入り口の大鳥居の近く(向かって左手の住宅街の間)にある権現岩という小山に祠があり岩木の翁を祀るその分祀のようで、権現岩の傍に平楽地蔵堂がある(神宮寺の名残、先日遠目に見たらブルーシートで屋根が痛んでいた)
地主の神様と言われる。厳島明神の伝説にも絡んでいて厳島神社の三翁神社の祭神の一柱にもなっている。以前は岩木社の前には石鳥居がなくて椿が今より大きかったかな。
少し山上にある原の鎮守(安芸灘の眺め) 早春の伊勢神社=sm38317248- 22
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2021-08-17 22:31:02
【夏越しの祓の日】 安芸総鎮守「速谷神社」(延喜式内名神大社・旧国幣中社、別表神社)安芸国の「阿岐(あき)国造」の祖を祀る神社。まさに安芸国の総鎮守である。
古代の安芸王国の王ともいうべき祖神を祀るわけだ。
参拝の神事まちの合間に〜写真と動画が少し。たまに参拝するがいいですよ。
平安末期に厳島神社が平氏により大興隆するまでは、安芸と備後国で最高の社格を誇り延期式神名帳=名神大社に列した。(ちなみに厳島神社も名神大社である)
厳島信仰の興隆の陰で二ノ宮 速田神社と呼ばれ長い歴史を辿る。
その後再度,復興され元の社号に復し速谷神社として明治以後国幣中社にも列し現在へ繋がっている。
昭和後期に焼失したため社殿は再建。付属の建物はそう古くはなく新しく建立されたモノであろう。
昔、今の神門の場所にはかつては鳥居があたったらしい。
江戸時代=厳島神社兼帯社だっ(速田大明神と呼ばれ本来の名前が忘れられていた)
BGM利用=鎮守の森~和風&アンビエントなピアノソロ~ のる様 作- 18
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2021-08-01 08:08:02
延喜式内名神大社 旧官幣中社「厳島神社」<中国五県移動制限解除後>令和二年5月令和二年五月 新緑の厳島神社へ(広島市廿日市市 Hatukaichi City)。中国5県内は移動自粛要請解除後。以前うPしたもののまとめ編集版。
渡船〜宮島港〜参道(海岸側)〜回廊入り口まで。人気もごくまばらな参道を海を見ながら歩き参拝します。商店街は大半がお休みですがいくらかは開いていた。
登山者か参拝者が少しいただけ。全く全然 密な状況はない。
緊縮財政を続けるア○な自民政権の観光政策による過剰ともいえるインバウンドの外国の観光がない島は静寂です。地元広島の登山者と参拝者がわずかにいるだけした。
対岸の駐車場もコロナ騒ぎの間あまり借り手がおられないので安くしておられるところもありまし
た。
千畳閣(開いてました)の受付の方曰く・・最高でも一日1000人の拝観がほぼなしの状態でそうです。
参道がこれだけ人が少ないのも久方ぶりに見たよ、ほんと風景だけ撮れた珍しいです。
9月にも行ったんですが神社も人が少なかった たまに再開された修学旅行の一団がきましたが・・。
自分で見返すのに不便だったので無人の厳島神社の映像 保存用として微調整して15分以下に再編集1本にし連続性を保たせた。- 16
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