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2020-09-06 16:53:02
『楠木正成』『楠正成』どちらが正解?の疑問にお答えします ~『楠木・楠』論争への下らぬ誘導こそ、戦後自虐史観の歪みの現れ~古典『太平記』には「楠正成」と表記されているが、しかし、そのほとんどは写本。
正成に関する最古の文書たる東大寺領播磨大部荘『東大寺文書』の中では「楠木」と表記している事から、湊川神社の公式基準として「楠木」を使用している。
一方、正成公嫡男戦死の地として楠公ブームに沸く四條畷市では、「楠」の一文字を採用。
よく頂く質問として、「結局、『楠木と楠』どちらが正しいのか?」というご意見が当方へ寄せられるが、結論として、「どちらも正解」が正しい。
これは氏姓制度に立ち返り、そもそも、『氏』と『姓』の本義を知らねばならない。
日本民族は皆、天孫降臨民族であり、民族の元祖は天照大御神にある。
やがて、皇祖神の裔たる瓊瓊杵尊が日本国土に降臨し、皇孫同族の血脈は、男系血脈たる皇室を主筋に奉り、末広がりに広がっていった。
同一民族が枝葉に広がっていく、ある一過程に於いて、それぞれの血脈の祖となる一族の長が『臣、 連、伴造、国造、県主、源平藤橘』等の『氏』を皇祖神、又は天皇から下賜されていった。
『氏』とは、単に同族血脈集団というのではなく、いずれの祖神からの霊統を継承しているのかという事を示す事が、その本義である。
更に、枝葉となるに従い、同族血脈集団が大きくなり、やがて、同族の区別がより緻密に判別でいるよう『姓』が誕生していく。
いずれにせよ、『氏姓』の始まりは朝廷から下賜された『氏』にあり、『氏』を尊重する事が列記とした日本民族の証という事であり、『姓』成立後もそれは仮称に過ぎず、本称は『氏』を表記する仕来りは継承され、『氏』の方が正式なものとして重んじられた。
朝廷の文書や寺社への奉納に際して、『氏』を自署するのはこの為である。
であるから、例えば、正成の場合、正式には『橘正成』であり、正成自身も、署名に際して『楠木』『楠』のいずれも使用せず、『橘正成』と自署しているのは、日本の慣習に従えば当然の事である。
所詮は『楠木』にせよ『楠』にせよ、「姓」に過ぎないので余り重視されず、元来、日本に於ける漢字とは宛字に過ぎぬので、その漢字が『クスノキ』と読めれば、如何なる漢字を宛てがおうが何ら構わないのである。
それなりに知識ある歴史学者であればこの程度の知識は当然備えているにも関わらず、何故、戦後の学者までもが『楠木』『楠』論争に首を突っ込むのか。
それは、正成の勤皇の節に殉じた忠臣たる姿から目を背けさせる為である。
『悪党』論争については言うに及ばず。
『悪党』云々については余りにバカバカしくはあるが、戦後はかような愚説が歴史学会を席巻してしまっているので、後日、お話しさせて頂くが、いずれにせよ、楠木正成とは、戦後の自虐史観の煽りを受けて貶められた最たる人物であると言える。うぽつ 夜桜たまでしょ すげええ。はじめて知りました! へえ 元々は楠木だが、皇統の橘に擬するため、北畠親房らが一文字を採用 陛下の赤子であります。
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2020-09-14 00:25:02
【秒読み】いよいよ新総裁誕生へ!! ~そして神戸ともみ組~間もなく自民党新総裁選挙の投開票!!
そして、これからも、神戸ともみ組は楠公精神のもと、国體護持の為、努めて参ります。
ちなみに、稲田朋美代議士が婚姻制度のうちで支持するとされる「選択的夫婦別姓」は誤りで、正しくは「婚姻前氏族称制度」。私感ですが、日本古来の氏姓制度に立ち返るものと考えています。- 335
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2020-11-02 06:14:02
武士道『葉隠』が説く恋の極意とは ~日本男児必読!!~楠公研究会は、我が先祖顕彰のみならず、真の日本を取り戻す国體護持を目指し活動しているのであり、色恋等、一切の興味も関心もございません。とはいえ、一方的に懸想される事もあり、しかし、人の心や感情を強制するなど、おこがましき事をするつもりもございません。人が人に恋をする事自体を否定する事はできないからです。しかし、勝手に懸想した末に、その想いが受け入れられなかったからといって、今般の事案の場合に限って申さば、山下個人の携帯番号を知り得なかったという事のみによって、勝手に失恋するだけならばいざ知らず、楠公研究会をして「美人局研究会」などと流布し侮辱するなど到底許せるものではございません。現状の我が国を鑑みるに、色恋なんぞに身を投じている場合ではないはず。少なくとも、私には左様な気はさらさらございません。恋心を否定は致しませんが、「葉隠」は「恋の至極は、忍ぶ恋。一生忍んで想い死にすることこそ恋の本意」と説きます。死して鳥辺野の煙となりて初めてその想いを吐露するという事こそ、もののふと言えましょう。近現代史も結構ですが、色恋に興じる前に、我が国體の真髄を学ばねばなりません。
扨、冒頭で紹介しております伊勢赤福本店11月「朔日餅」についての由緒は商売繁盛を祝う「ゑびす講」。元来、ゑびす様とは、大国主命の御子・事代主命の同一神とされて幽界をお鎮めになられている偉大なる神。高天原の遣いである武甕槌命から、大好きな漁に興じていた事代主命は、それが天照大御神からの神慮と聞かされるや否や、「承知した」とこれを受諾、逆手で柏手を打ち幽界にお隠れ鎮まられました。
ゑびす様になられてからは、大好きな漁に因み、いつも肩に鯛の掛かった釣竿を下げて福よかな満面の笑顔で鎮まられており、その風貌はまさに「福の神」。打ち出の小槌に見立てた焼印を施された餅は、餡も生地も黒糖の味わいで、黄金色の小判に見立てた餅は、さっぱりとした柚子風味とされ、一度に二度楽しめる11月の伊勢神領民にとっての風物詩となっています。
これは、神無月(旧暦10月)に出雲に赴かない「留守神」とされたえびす神(夷、戎、胡、蛭子、恵比須、恵比寿、恵美須)ないしかまど神を祀り、1年の無事を感謝し、五穀豊穣、大漁、あるいは商売繁盛を祈願する事に起源を有します。神無月の語源は、全国の神様たちが出雲大社に集まって話し合いをする月なので、各地で神様が不在になるからといわれています(諸説あり)。そして、えびす様も神様でいらっしゃるので、当然旧暦の10月には出雲へ出かけるのでしょう。。と思いきや、何故かえびす様だけは、各地に居残られ、留守を守護なされます。他の神様から置いてけぼりとなられまえびす様をお慰めようとして始まったのが、「えびす講」の起源とも伝わります。皆様の商売繁盛と開運招福、そして御家族様の健康を祈願いたします。ご理解を賜り感謝申し上げます まさにその通りであります
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