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2024年7月20日 07時11分に生成された05時00分のデータです
2020-10-14 04:19:02
佐原秋の大祭 ~2年前の本日(10月13日)大楠公山車巡行の折にお受けした諏訪神社の御神札と秋の大祭の思い出と共に、皆様に普く御神徳が降り注ぎますように~どうしても本日中(日付は替わりましたが)に配信致したく、深夜での配信となりましたもので、スッピンで失礼をしております。
2年前の平成30年10月13日、(社)楠公研究会関東支部の塩原様、丹野様より佐原秋の大祭へお招きを賜り、「一般社団法人楠公研究会特別企画~ユネスコ世界遺産認定・大楠公、小楠公の山車観覧~佐原の大祭」と題しまして、関東支部初の楠公研究会を開催、有難く、参列させていただきました。
この日は折からの雨模様でありましたが、私共が佐原駅に到着した途端に雨が上がり、夕方には今まで見た事の無き美しい夕焼けが現れ、人々を大いなる感動に浸らせました。
東関戸区の皆様からは、『一般社団法人楠公研究会御一行様御歓迎』の垂れ幕を特別なお計らいにてお造りくださり、大歓迎を頂きました。
また、私共の夕食会場であった『呑処すずき』の前に、大楠公山車をお停めくださり、『手踊り』と佐原囃子の節による『桜井の訣別(青葉繁れる桜井の)』を歌ってくださり、感無量でした。
大楠公の山車を曳く『東関戸区』の皆様から、とても温かいご歓待を賜り、皆様のお気持ちに感激と感謝で胸がいっぱいでした。
小森様、菅井様を始め、温かい御歓迎を賜りました東関戸区の皆様に心より厚く御礼を申し上げます。
ユネスコ無形文化遺産指定の佐原の大祭、伝統の山車。
そして、佐原の重要伝統的建造物群保存地区の町並。
大楠公、小楠公の手拭いをお土産と致しました。
この人形は、昭和10年に、恐らくは大楠公六百年祭に際して造られたものと考えられます。
それまでの人形は天狗様であったとか。
昭和10年に大楠公の人形を造られる折に参考にされたのが、湊川神社宝物殿に収められている横山大観の「大楠公像」との事。
横山大観の「大楠公像」も同じく昭和10年に湊川神社に寄贈されているのが、非常に興味深いところです。
確かに、横山大観の大楠公像とお顔がそっくりで、なるほどと思わせられました。
今年はコロナ禍の為に秋の大祭は中止となりましたが、来年こそは、小森様、菅井様を始め、佐原の皆様と必ず再会させていただくべく、秋の大祭に再訪させていただきます。
大変お世話になりました関東支部の塩原様、丹野様、東関戸区の小森様、菅井様、誠にありがとうございました!
今後とも引き続き、どうぞ宜しくお願い申し上げます。ありがとうございます 綺麗です
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2020-06-27 22:08:03
延喜式内名神大社 旧官幣中社「厳島神社」(三)境外 摂社「大元神社」(地主神を祀る古社)宮島の大元浦大元公園入口に鎮座します。厳島神社境外 摂社 大元神社
御祭神=国常立尊、大山祇神、保食うけもち神。相殿=最初に社殿を立てた佐伯鞍職)
諸説あるらしいですが厳島神社よりも古いとも云われ、島の地主神を祀るともされる神社。
大元浦(水族館の少し西の大元公園入口あたりにある)大元浦は厳島合戦における陶晴賢と大内軍団の上陸地点でもある。
七つの摂社末社をめぐる御島廻神事の最後の配所でもある。また夏の大祭〜管弦祭でも管弦船が寄港し祝詞や管弦が奏される。
観光の主たる場所からは外れているので普段は喧騒から離れ大抵いつも静か。たまに登山客が通るとか参拝の方が訪れるくらいである。鹿が木立でよく集団で寝ている。社殿以外何もないですがそこがいい。
厳島神社HP記載にによれば 創建は不詳ながら仁安三年(1168)の佐伯氏の記録に大伴社として記載されているそうです。
社殿も古く大永三年(1523年)再建。屋根が独特で長板葺=六枚重ね三段葺(他になく大元葺きとも云われるそうです)。
本殿内陣の玉殿=柿葺で一間社流 見世棚造りで三殿あり 嘉吉三年建立(1443年)本殿より古い。
大祭は一月二十日の百手祭(弓の神事)
大元公園は弥山登山口で春は桜があり(戦前までは桜の名所米軍が伐採して駐車場にしてたとか)公園奥には、海の近くでは珍しいもみやツガなどの巨木が林立するさまは壮観です散策もよい。巨樹が好きな方は公園奥へぜひいきましょう。
令和二年五月中旬 参拝、散策。 参道〜本社〜重要な摂社まで終わり。
* あせび道散策路〜多宝塔と四宮神社 sm37264427
*宮島厳島関連https://www.upload.nicovideo.jp/garage/series/12602この辺はよく鹿が昼寝してる 西の松原は気持ちいぞ 長板葺の屋根(六枚重三段葺) バーチャル寺作れば、水没する心配もないし、災害とは無関係になるよね 修復しても意味ないじゃん・・・・・・・・・・・ 今場はウイルスで来られなくなったんじゃ、 ここ、まえに...
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2021-07-27 22:44:02
令和2年(コロナ禍)「 厳島神社 」管絃祭 (日本三大船神事)参拝記旧暦6月17日に行われる船神事。御座船にて神事 や神官 による管弦が奏される。
例年なら本宮で神事が行われ御鳳輦が伝馬船の漕ぎ手により干潮の浜を御座船へ向かう。
参考
御神幸 船の行程=大鳥居沖〜火立岩沖〜(ここから夜)地御前(じごぜん)神社〜長浜神社〜大元神社〜本宮還御。
*R2コロナ禍で神事のみ。伝統的な三艘を一つにした大型の御座船は中止でした〜曳航する江波、阿賀の漕 伝馬船も中止となる。遊漁船?を使い装飾して御座船の代用とされた模様。
この日、長浜神社へまず参拝(対岸の外宮・地御前神社から戻り最初に寄港される場所)して厳島神社へ。R2 夏の大祭時の神社風景と干潮の浜へ出て大鳥居沖での管弦船による神事の様子の点描。
〜1:48 長浜神社
1:49〜長浜神社海の鳥居
3:22〜厳島神社参道商店街〜御笠の浜の風景
4:20〜厳島神社本社内へ〜10:23〜網の浦港へ向かう神幸行列と大元神社の風景
12:10〜大鳥居沖の干潟へ 13:15〜御座船(臨時)と管弦演奏 点描
16:05〜遠景で御座船が海上を三度回る場面。
火立岩(hotate iwa)=宮島口の隣にある廿日市市のJR阿品駅の先にある(広電の電車が通り道路が作られ岩は今はない)フジグランナタリー〜海岸沿いの道を行くと木柱がその場所に立つ。毛利元就軍が厳島合戦の奇襲に出発した地がこの場所である。
この夕方近く。大鳥居おきの干潮の夏の海岸の風景が初めて行ってから好きなのでまた参拝しました。管弦は結構長い演奏していましたが昔の人はゆったりと時間を過ごしてたんだろうなと。これが手漕ぎの船だともっと進行には時間がかかるでしょう。
基本自分用 記録なので観られる方がいれば後半長いですテキトーに飛ばしてください。
音量も適当にあげてください。
データー活用できた1年ぶりに完成。- 82
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2021-09-26 08:30:02
夏の終わりに西ノ松原を抜け「厳島神社」境外 摂社「大元神社」と大元公園にある楠の大木宮島の大元浦大元公園入口に鎮座します。厳島神社境外 摂社 大元神社
御祭神=国常立尊、大山祇神、保食(うけもち)神。
相殿=最初に社殿を立てた佐伯鞍職)
諸説あるらしいですが厳島神社よりも古いとも云われ、島の地主神を祀るともされる神社。
大元浦(水族館の少し西の大元公園入口あたりにある)大元浦は厳島合戦における陶晴賢と大内軍団の上陸地点でもある。
七つの摂社末社をめぐる御島廻神事の最後の配所でもある。また夏の大祭〜管弦祭でも管弦船が寄港し祝詞や管弦が奏される。
厳島神社HP記載にによれば 創建は不詳ながら仁安三年(1168)の佐伯氏の記録に大伴社として記載されているそうです。
社殿も古く大永三年(1523年)再建。屋根が独特で長板葺=六枚重ね三段葺(他になく大元葺きとも云われるそうです)。
本殿内陣の玉殿=柿葺で一間社流 見世棚造りで三殿あり 嘉吉三年建立(1443年)本殿より古い。
大祭は一月二十日の百手祭(弓の神事)
音楽=のる様作 鎮守の森~和風&アンビエントなピアノソロ~&KANADE ~ゆったりリラックス系 ピアノソロ~- 29
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1970-01-01 09:00:00
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