キーワード大元神社を含む動画:25件 ページ目を表示
2024年7月20日 07時11分に生成された05時00分のデータです
2010-01-16 20:00:33
プロダクトタンカーUNIQUE DEVELOPER進水式&尾道の眺望まずは尾道の眺望からどうぞ。
'10/01/16 進水式は向島(むかいしま)側から撮影。
00:00 (向島)大元神社の裏手
01:56 (本土)浄土寺すぐ下の岩場
02:31 桑田渡船乗り場・乗船
03:23 進水式(支綱切断04:23くらい)
他の船舶関連動画mylist/8191284
・・・寒かった~でかい すげー迫力 ブラストしたら蜂の巣になる船 かみちゅ!の風景だ 尾道造船 でも本社は神戸wwww 意外と短距離で止まるね 9トンが足に落ちてその弾みで頭を強打して死亡したって書いてた これの準備中に労災が発生したのかな 向島に突き刺さらないのか...
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2020-05-31 21:37:02
延喜式内名神大社 旧官幣中社「厳島神社」(二) 御本社参拝記録 ほぼ人がいないです 令和2年5月令和二年五月 新緑の厳島神社へ。回廊入口〜客(まろうど)神社〜東回廊(鏡の池、卒塔婆石)〜御本社周辺〜大國社、天神社〜長橋〜反橋〜西回廊出口まで。ひと気もまばらな回廊内を巡り参拝します。
山仲間と散策しながらなので一部撮影していないところは今年の正月初詣や過去のデータを補足的に一部活用してます。賑やかさと静寂を対比していいかなと。
鏡の池=干潮時に見られる手鏡に見立てられ厳島八景の一つ。2カ所?ある。
卒塔婆石=池にある岩に鹿ヶ谷事件で流された平康頼流した卒塔婆が流れていたという平家物語にあ るお話だそうです。卒塔婆石の奥の石灯籠は平康頼寄進と言われ一番古いそうです。
後園(うしろその)=本殿の真裏の禁足地。森になっているが昔の本地堂が祀られいた場所。
本地仏=神仏習合で仏が仮の姿で神として現れ人々を救うという信仰形態。江戸時代以前の神仏信仰のスタンダード。
厳島明神本地=十一面観世音観音菩薩の化身。今厳島明神本地仏は大聖院 観音堂に健在。先日も拝んできました。大きな立像でいいお姿ですよ。
客神社=まろうどじんじゃ回廊入り口最初の神社と平舞台のところに左右2カ所あります。
宮島に詳しい郷土史家の方やその他サイトなどいくつか見ると厳島明神に宗像女神が比定されたのは、鎌倉時代以降ではないかとの説があるそうです。元は記紀と関係ない土着神として祀られていたらしい。厳島そのものの神格化だったかもしれません。
ジャンプ設定直しました。コメントでお知らせ恐れ入ります(^^; 気付いてなかったです。
(一)参道から回廊入り口まで。sm36933927
(三)境内外の摂社大元神社(地主神の社とも言われる)編 sm37100895
人がいるところでや、喋るときはマスク、飲食時は喋らない、手を洗い消毒(私は消毒アルコールも持参) 参拝や静かに散策。今まで特に外国人さんめちゃくちゃ多すぎたよね。政府は煽りすぎてた観光。ほどほどに多いくらいがいいです。今は静かでに見れますよ観光へ来てくだされ。ひとっこひとりいないね 1からのジャンプ先が、削除したほうの動画につながってます。ジャンプ無しでいいんじゃないかな? 人
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2019-09-10 11:00:01
廣島伝統の祭り〜厳島神社「管絃祭 風景」(2) 大元神社 管弦記録編 2019年夏宮島最大の祭礼 厳島神社 管絃祭 夜の風景 2019 /7/19
神社を出た御鳳輦は御座船へ移され夕方、伝馬船で引かれ出航 夜対岸の地御前神社へ神幸して、長浜神社〜大元神社へと周り本殿へ還御する。長浜神社では提灯行列が迎える。
夜に出かけ参拝と後半の一部を拝見してきました。潮の関係で7月19日が祭礼でした。
猛暑なので昼間の見学はやめて夜に絞り参拝しました。丸一日は辛いですからね。
夜20時ごろの船で宮島へ渡り〜最終の臨時線が23時代後半 予定では最後まで拝見できるはず・・
どうも御座船の出発時にトラブルが・・進行が遅れておりました (´・_・`)
通常 干潮の時 裾をまくりながらやや沖の御座船まで歩いていきますが、一度に乗りすぎたかやや岸に近かったゆえか船底が海底に乗り上げた感じになり引いても出発できなかったとか?
最終臨時船の時間が迫る中・・・回廊で待つうち海上から木遣り唄が聞こえ、御座船が大元神社へ向かうのが遠望できました。
回廊を抜け常夜灯の明かりの松原の中を大元神社へまた走ります・・・・・
ギリギリ間に合い大元神社前の海では御座船にて祝詞の後、神官さんが管弦を奏します。
海岸を離れた船は、例によって三度海上を旋回し挨拶をして本宮へ向かいます。
伝馬船が御座船を引くところや木遣り歌などいいです <(^^) 歌声が大好きなんですよ
参拝記録としてアップしますけど
撮影したものをミス以外ほぼノーカットなので観る方が居れば適宜にご覧ください。
音量は適当にあげてください(一部音源が遠かったりして小さめかも)
*次は記録編3 大鳥居をくぐり御座船が帰還するようす sm35666437。
本社還御まで見れず残念。
*記録編1 厳島神社東回廊升形で三度廻る技 伝馬船 sm35581191いい映像ですね
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2019-11-08 22:40:02
【宮島の道を行く】宮島最古の参道 山辺の古径(やまのべのこみち)と町家通り 広島県廿日市市宮島宮島最古の参道 山辺の古径(今回、やまのべこみちを抜け町屋通りを散策)、存光寺、不動堂〜乳地蔵〜宝寿院〜延命地蔵〜光明院〜五重塔〜千畳閤〜幸神社〜町屋通り。
昔現在の参道商店街や町家通りなど海沿いの道は海の底であった。山沿いの道を参詣者はあるいていたそうです。これが現在、山辺の古径と名付けられているルート。
途中表参道商店街から外れて存光寺〜不動堂〜乳観音堂(通称女人坂)を経て宝寿院〜延命地蔵堂〜浄土宗光明院、誓真大徳頌徳碑〜塔の岡(五重塔、千畳閣あり)〜一旦、光明院分岐まで戻り幸神社〜参道 裏の町屋通りをたどる。
尚、山辺の古径の前半の要害山(厳島合戦時の宮尾の城跡、眺めが良い)は連れが山は嫌だというので割愛しました^^;
光明院=戦国時代以八上人の創建になる浄土宗古刹。島で最初の民衆教化のためのお寺であった。
宝寿院=真言宗で島民の祈祷を行っていた寺院だそうで馬酔木が生えていたことからあせび寺と呼ばれた
誓真大徳=光明院裏にあった浄土宗神泉寺の僧侶でを琵琶の形から考案して杓文字作りを島民に教えた。また島内に多くの井戸も掘っている。
町屋通り=昔の宮島のメインストリート。現在は表参道商店街が栄えていますが、江戸時代などは此処がまさに人の集まる繁栄の中心でした。今は、島の人の生活の場というところでしょうか。町家にホテル・旅館や商店、最近はカフェ、ギャラリーなどもある、地味ですけど静かで外国人や団体観光も少ないの 一人静かに歩きたい方はどうぞ。
今回は山辺古径と町家通りは日を変えて散策しています。厳島神社や大聖院、大元神社、白糸の滝、滝宮なども回りましたがこれはまたの機会に。
2020元旦の初詣の参道商店街など大混雑時も帰りは町家通りをワープして帰りました^^- 181
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2018-10-31 11:02:03
安芸の宮島一周の船旅と七浦神社参拝3「革籠崎〜須屋浦神社、御床浦神社」〜大鳥居まで。ぐるっと宮島再発見 (年3回くらい行われている)
宮島観光協会主催の 宮島をめぐる船旅。2時間程度で島を一周します。
革籠崎を回るところと須屋浦海岸と御床浦神社が見どころですかね
この動画では旅の後半
最南端の革籠崎〜6須屋浦〜7御床 浦〜内侍岩〜今回上陸してませんが、大元浦の大元神社の紹介〜御笠浜の大鳥居前まで で完結です。
大鳥居の扁額 神社側と海側文字が違うの知らなかったですが
写真みなさんとってるんで望遠イマイチでちょい遠いですが最後に載せときました。
字幕入れ忘れがありましたw 仕方ないですがそのままにしときますです。
「御嶋廻り」=厳島神と佐伯鞍職(さえきのくらもと)の伝説に由来するものです。
ツアーでは 広島大学の戦国史専門の先生が講師。ガイドにアシスタントの女性がつきました。 ほか総勢40人程の数時間の船旅。
2018 晩春良い編集や
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2020-06-27 22:08:03
延喜式内名神大社 旧官幣中社「厳島神社」(三)境外 摂社「大元神社」(地主神を祀る古社)宮島の大元浦大元公園入口に鎮座します。厳島神社境外 摂社 大元神社
御祭神=国常立尊、大山祇神、保食うけもち神。相殿=最初に社殿を立てた佐伯鞍職)
諸説あるらしいですが厳島神社よりも古いとも云われ、島の地主神を祀るともされる神社。
大元浦(水族館の少し西の大元公園入口あたりにある)大元浦は厳島合戦における陶晴賢と大内軍団の上陸地点でもある。
七つの摂社末社をめぐる御島廻神事の最後の配所でもある。また夏の大祭〜管弦祭でも管弦船が寄港し祝詞や管弦が奏される。
観光の主たる場所からは外れているので普段は喧騒から離れ大抵いつも静か。たまに登山客が通るとか参拝の方が訪れるくらいである。鹿が木立でよく集団で寝ている。社殿以外何もないですがそこがいい。
厳島神社HP記載にによれば 創建は不詳ながら仁安三年(1168)の佐伯氏の記録に大伴社として記載されているそうです。
社殿も古く大永三年(1523年)再建。屋根が独特で長板葺=六枚重ね三段葺(他になく大元葺きとも云われるそうです)。
本殿内陣の玉殿=柿葺で一間社流 見世棚造りで三殿あり 嘉吉三年建立(1443年)本殿より古い。
大祭は一月二十日の百手祭(弓の神事)
大元公園は弥山登山口で春は桜があり(戦前までは桜の名所米軍が伐採して駐車場にしてたとか)公園奥には、海の近くでは珍しいもみやツガなどの巨木が林立するさまは壮観です散策もよい。巨樹が好きな方は公園奥へぜひいきましょう。
令和二年五月中旬 参拝、散策。 参道〜本社〜重要な摂社まで終わり。
* あせび道散策路〜多宝塔と四宮神社 sm37264427
*宮島厳島関連https://www.upload.nicovideo.jp/garage/series/12602この辺はよく鹿が昼寝してる 西の松原は気持ちいぞ 長板葺の屋根(六枚重三段葺) バーチャル寺作れば、水没する心配もないし、災害とは無関係になるよね 修復しても意味ないじゃん・・・・・・・・・・・ 今場はウイルスで来られなくなったんじゃ、 ここ、まえに...
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2020-07-29 11:27:02
延喜式内名神大社 「厳島神社」(四)末社 四宮神社と緑の道を 多宝塔〜大聖院門前その(4)厳島神社 多宝塔と末社・四宮神社へ
大元公園横にある国民宿舎 杜の宿の前から大聖院前まで続く「あせび道」を行く。あせび道は途中一部舗装もしてあるが基本未舗装の道。モミやツガ、楠などの大木、楓などの植物が多い静かな散策路。
桜の多い桃林(斜面に桜が多い)を通り、多宝塔へ 朱の多宝塔に初夏のもみじが青々としている。多宝塔奥から石段があり下の道路へエスケープして降りれます風情があるのでこの道もいいですよ。
散策路から〜大聖院門前に下り、少し滝小路を下るとすぐ淡島神社がありその向かい側の未舗装の道からもみじ道へ入る(紅葉谷へ抜ける道である)藤棚のあるあたりなどを過ぎ〜四宮神社 まで。
このあたりは例年はそこそこいるんだけど人がいませんでした。
末社 四宮神社 もみじ谷入口あたりにありますので、紅葉谷やロープウェーへ行く方は横を必ず通るはず。石鳥居、木々の緑が映えて捨てがたいですがこの辺は観光でも訪れる人は結構いる場所かと思いますよね普段は。紅葉谷近くへ来たら必ずよりますw
次へ設定してもジャンプがうまくいかないので記載しときます。
その(5)初夏の紅葉谷の青もみじと町屋通りへ5月参拝時の最後に行った場所
もみじ谷は紅葉が有名ですが、青い若葉の紅葉もいいもんですよ。人は全くいませんでした。この時期ありえないですね。明治の廃仏毀釈までは寺院が林立した場所だそうです。
→ sm37311632
その(3)境内外摂社 大元神社(大祭の管弦祭でも神事がある、御島廻り神事でも最後の拝所になっている結構重要かも)→ sm37100895
宮島関係動画 https://www.upload.nicovideo.jp/garage/series/12602多宝塔は美しい
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2019-09-11 11:46:06
廣島伝統の祭り〜厳島神社「管絃祭風景」(3)御座船大鳥居からの帰還 記録編 令和元年宮島最大の祭礼 厳島神社 管絃祭 夜の風景 2019 、7、19
令和2年はコロナ禍で伝統の御座船は中止(動力船利用でで神官さんだけで行われた)
令和 3年も上記のごとし。
大元神社前の大元浦を出た御座船は、大鳥居を目ざします。大鳥居前の浜で到着を待つ。
やがて木遣り歌や管弦が聞こえ、船の灯りが見える。大鳥居をくぐり伝馬船に曳航され御座船が帰還してゆく場面まで・・・タイムアウト(ノ_<)
御洲堀といい祭礼の前に各地の氏子が、船が通りやすいように事前に干潮時に通り道にあたる海底を掘ったり清掃しているんですが・・大鳥居から本宮まで笹を立ててしめ縄がしてあるのが通り道。
大体3分40秒あたりから御座船一行が接近船が近づき4分あたりで大鳥居をくぐる場面が始まります。
音量は適当にあげてください(一部音源が遠かったりして小さめかも)
伝馬船からの木遣り唄がいいですねぇえ 筆者は思わず聴き入ってしまいます^^ 名調子ですお聞きください。
祭りは神社を出た御鳳輦は御座船へ移され夕方、伝馬船で引かれ出航 夜対岸の地御前神社へ神幸して、長浜神社〜大元神社へと周り本殿へ還御する。
夜に出かけ参拝と後半の一部を拝見してきました。潮の関係で7月19日が祭礼でした。
夜20時ごろの船で宮島へ渡り〜最終の臨時線が23時代後半 予定では最後まで拝見できるはず・・でした。
どうも御座船の出発時にトラブルが・・進行が2時間遅れておりました (´・_・`)
通常 干潮の時 裾をまくりながらやや沖の御座船まで歩いていきますが、一度に乗りすぎたかやや岸に近かったゆえか船底が海底に乗り上げた感じになり引いても出発できなかったとか?
参拝記録としてアップします。
撮影したものをミス以外ほぼノーカットなので観る方が居れば適宜に飛ばしてください。
のんびりして最後まで見ていただいてもおkですが。
整理編集してあとで本編もあげます。
大元浦で管弦を奏する sm35662094- 127
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2020-05-18 11:50:02
2020 厳島神社摂社「大元神社」大祭〜百手祭 御弓始めの儀式 本編厳島神社より古いとされる大元神社 厳島の地主神とも言われ柿葺=六枚重ね三段葺の屋根が珍しい建造物としては古い形式残す古い神社である。大祭の模様を記録 編集版。
毎年1月20日大元神社にて行われる「百手祭」。昔、千畳閣下に在った輪蔵で行われていた御弓始めの儀式に由来する神事。
大元神社は厳島神社の摂社で大元浦にある。清盛神社の向こう水族館の少し先。大元公園内にあり観光コースから外れ静かな場所。大元公園奥にはモミやツガの巨木が林立する原生林がある。弥山登山口の一つの大元コース入り口にあたる。
参拝者、カメラマン(多いですねえ^^)など多くの観衆が見守るなか天地左右に矢が放たれます。
初詣が混雑しすぎていたので来年から初詣はこのお祭りにしたいなと思いますw 縁起物の破魔矢(五百円也)も求めましたくじはハズレでしたが <^^;
弓の神事部分をダイジェストで、昔のままの直会の芳飯(ほうはん)の映像や神社の映像も追加。
直会(なおらい)の膳は昔からの決まり材料切り方など厳しく守られているそうです。
一度食してみたいもんですが、炒り大豆と青海苔などをかけて炒り子出汁をかけた汁かけ飯のようにしていただくらしいです。
訂正=本殿屋根は柿葺きではなく〜長板葺きです珍しいもので大元葺と言われるそうです。
宮島・厳島関係 https://www.nicovideo.jp/series/82780?ref=user_series- 105
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2019-08-23 22:12:03
廣島伝統の祭り〜厳島神社管絃祭風景 1 御座船を引く漕ぎ伝馬船の帰還と枡形での妙技 記録宮島最大の祭礼 厳島神社 管絃祭 夜の風景 2019 、7、19
伝馬船の帰還と西回廊枡形での旋回の妙技
管絃祭=神社を出た御鳳輦は御座船へ移され夕方、伝馬船で引かれ出航 夜対岸の地御前神社へ神幸して、長浜神社〜大元神社へと周り本殿へ還御する。
4:20〜帰還してきた伝馬船が大鳥居をくぐる場面/5:40〜伝馬船が西回廊枡形へ入る
2018年は豪雨災害で中止でした。当日夜に出かけ参拝と後半の一部を拝見してきました。潮の関係で7月19日が祭礼でした。夜20時ごろの船で宮島へ渡り〜最終の臨時線が23時代後半 予定では最後まで拝見できるはず・・
商店街で聞くとどうも御座船の出発時にトラブルが・・進行が遅れておりました (´・_・`)
通常 干潮の時 裾をまくりながらやや沖の御座船まで歩いていきますが、一度に乗りすぎたかやや岸に近かったゆえか船底が海底に乗り上げた感じになり引いても出発できなかったとか?
深夜の御座船、御鳳輦 還御拝見はできませんでした。
待てども待てどもきません(2時間遅れらしいとわかり こりゃ確実に日付が変わりますけーねぇ)
大鳥居まえで船を待ち・・一艘船が戻ったので走って行き参拝。
御座船を引く伝馬船の帰還と回廊の枡形での旋回運動による見せ場です
三回狭い枡形で廻る(神様への挨拶の意味ようです)やがて阿賀船の二艘目も帰還。
少し長いですが伝馬船の皆さんの見せ場のところなので記録。
その2は わずか見れた大元神社前の海で管弦を奏すところになります。
一部字幕が天馬船になってました・・・伝馬船が正しいです。あげ直しませんので訂正しときます。
参拝記録としてアップし。- 91
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2020-08-07 08:08:02
延喜式内名神大社旧官幣中社「厳島神社」(五)静寂の紅葉谷から町屋通りへ 令和二年五月延喜式内名神大社 厳島神社5 もみじの名所=紅葉谷から町屋通り(裏通りで昔のメインストリート)散策。紅葉谷へ(新緑のもみじ)〜岩惣前〜誓真井戸〜町家通り〜青い海と宮島港。
令和二年五月・・・紅葉谷は今はもみじの多い林ですが江戸時代までは寺院が多くあった場所だそうです。四宮神社を過ぎ、紅葉谷の新緑のもみぢ谷〜町家通りを散策しながら桟橋へ。
今掲げてある町屋の隠し文字のある「愛」の文字の献灯の様子を見て歩いたりした。
次は本宮周辺の摂社末社を等を纏めようかなと。ぽちぽち回る。
中国地方5件は移動自粛要請が解除されて早々訪問。人がほぼいません。
老舗旅館岩惣あたり(紅葉谷入口)も無人で寂しいものです。
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以前の宮島、厳島神社関連動画
*御島廻り(宮島の七つの浦にある末社めぐり)
海上ツアーぐるっと宮島再発見 総集編 =sm34086960
*対岸の外宮社で御旅所でもある〜地御前(じごぜん)神社=sm37384152
*2019年厳島管絃祭(大祭)夜の大元神社で御座船で管弦を奏でる様子 = sm35662094
2020年は中国初のコロナ流行のため、伝統的な御座船や伝馬船は中止〜遊漁船に飾りをして神官さんだけ御神体をお乗せして回ったようです。- 86
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2021-07-27 22:44:02
令和2年(コロナ禍)「 厳島神社 」管絃祭 (日本三大船神事)参拝記旧暦6月17日に行われる船神事。御座船にて神事 や神官 による管弦が奏される。
例年なら本宮で神事が行われ御鳳輦が伝馬船の漕ぎ手により干潮の浜を御座船へ向かう。
参考
御神幸 船の行程=大鳥居沖〜火立岩沖〜(ここから夜)地御前(じごぜん)神社〜長浜神社〜大元神社〜本宮還御。
*R2コロナ禍で神事のみ。伝統的な三艘を一つにした大型の御座船は中止でした〜曳航する江波、阿賀の漕 伝馬船も中止となる。遊漁船?を使い装飾して御座船の代用とされた模様。
この日、長浜神社へまず参拝(対岸の外宮・地御前神社から戻り最初に寄港される場所)して厳島神社へ。R2 夏の大祭時の神社風景と干潮の浜へ出て大鳥居沖での管弦船による神事の様子の点描。
〜1:48 長浜神社
1:49〜長浜神社海の鳥居
3:22〜厳島神社参道商店街〜御笠の浜の風景
4:20〜厳島神社本社内へ〜10:23〜網の浦港へ向かう神幸行列と大元神社の風景
12:10〜大鳥居沖の干潟へ 13:15〜御座船(臨時)と管弦演奏 点描
16:05〜遠景で御座船が海上を三度回る場面。
火立岩(hotate iwa)=宮島口の隣にある廿日市市のJR阿品駅の先にある(広電の電車が通り道路が作られ岩は今はない)フジグランナタリー〜海岸沿いの道を行くと木柱がその場所に立つ。毛利元就軍が厳島合戦の奇襲に出発した地がこの場所である。
この夕方近く。大鳥居おきの干潮の夏の海岸の風景が初めて行ってから好きなのでまた参拝しました。管弦は結構長い演奏していましたが昔の人はゆったりと時間を過ごしてたんだろうなと。これが手漕ぎの船だともっと進行には時間がかかるでしょう。
基本自分用 記録なので観られる方がいれば後半長いですテキトーに飛ばしてください。
音量も適当にあげてください。
データー活用できた1年ぶりに完成。- 82
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2021-03-03 18:30:03
【 西国 街道 】木野「大元神社」と旧跡「太閤さんの振舞い井戸」 〜広島県大竹市木野(この)〜江戸時代の官道〜旧山陽道(西国街道)沿い木野(Kono)集落。街道沿いの二ヶ所の小さな旧跡を訪ねた。大元神社と太閤の振舞い井戸。
小瀬川沿いに面した川にせまる急な山に囲まれた場所。大竹の御薗〜苦の坂を越えた街道は、やや川下の「木野の渡し場」へと続く。今は両国橋がかかりかつての国境線を繋いでいる。
*ちなみに小瀬川は江戸期までは木野川(芸州藩)、小瀬川(長州藩)で名前が違っていた。
この辺りはよく通るので、久々に登ってみた。神社も井戸も交通量も多く車だとそばには止められないのでやや不便。 高速道路、山、川に田園、風景にそこはかとない風情を感じます。
この後は、県境を越え錦帯橋へ臥竜梅など梅の花を拝見に行きました。バテた^^;
臥竜の梅〜観梅と吉川公菩提寺 洞泉寺 sm38335880
大元神社=上木野の鎮守。天正年間以前の勧請だそうですので眼下に西国街道を長く見守っていたと思われる御社。急な山の山腹にあり長いスロープと石段がある。明治期に二度河川氾濫のおり土石流が社殿の両脇を流れ落ちた。祭神=国常立尊を祀る。厳島神社の摂社「大元神社」を勧請したと思われる。木野神楽団の根拠地。訂正〜参道修復碑をよくみますと狛犬→唐獅子のようです。
太閤振る舞い井戸=地元で云う「つぼかわの井戸」の別名。九州征伐の折(または文禄の役の折にもか)と思われるが、山陽道を進む軍勢がこの地で休息、太閤秀吉に里人は井戸の水で湯を沸かし茶を点て振る舞ったと云い、太閤はことのほか上機嫌に喜んだという故事に因んで呼ばれる。飲料水、田畑への灌水と長く里を潤してきた井戸は今も守られている。大竹歴史研究会記事参照。
やや川下の同県道沿いに駐車スペースがありました。
またやや川上の県道沿いに「苦の坂」入り口(古戦場跡入り口)「ちきり神社」(油見トンネル木野側出口)がある。川下〜木野渡し場跡の広場。両国橋の向こう側岩国市に吉田松陰歌碑。- 78
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2023-07-19 21:00:00
<Voicepeak> 令和三年度 厳島 管絃祭 日本三大船神事 再編集版 【厳島神社参詣と大鳥居前の儀】令和5年8月3日通常開催決定。厳島神社 夏の風物詩「管絃祭」4年振り!
音声ガイドを追加し映像も重要な部分だけにして雰囲気は残しつつコンパクトに編集しました。
ひと気の少ない社殿の映像は今ではなかなか撮れませんね。
平安京の貴族の水上に船を浮かべる管弦のあそびを移したた祭りである。平清盛により始められたと云われている。日本三大船神事の一つに数えられる。
今年は去年より天気が良く海が青くて綺麗に写真など撮れたので良かったですゎ。猛暑に参拝できて、お陰様ですね。
内容=参拝・社殿や境内の飾り付け〜御笠の浜〜大鳥居沖へ、御座船と夕方の浜の風景です。
管絃祭の由来
元来は六丁の櫂のついた和船により自力航行して対岸の外宮「地御前神社」へ渡御していたと云われるが、
江戸の頃元禄14年 暴風雨に遭って遭難しかけたところ 江波(えば・広島市)の伝馬船と阿賀(あが・呉市)の鯛網船に救助された。これ以後この二つの地域の氏子が御座船を曳航(引いて)サポートしていくようになる。
御座船は三艘の和船を舟組して1艘とした装飾された大型和船を使う。御座船には御神体を御移しした御鳳輦(ほうれん)が乗り込み御神幸がなされる。
例年の実際の行程=発輦祭(大体16時〜)〜大鳥居前の儀〜火建岩沖(潮待ち)〜地御前神社(夜 満潮時)〜長浜神社(宮島港東側)〜大元神社〜本宮の火焼前(ひたさき)〜客神社前〜本殿 還御(深夜)
後半の海上を3度回る船の速度は1.2倍速にしてあります。神社内の雅楽は令和2年の管絃祭16時からの 発輦祭時のもの挿入している。
今年は夜しか行けそうにない^^;・・・夜21時 長浜神社に行ってきました。それはまたうPします。おつです。
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2020-03-17 23:15:02
厳島神社 摂社「大元神社」弓の神事〜百手(ももて)祭 弓神事ノーカット版毎年1月20日大元神社にて行われる「百手祭」。御弓始めの儀式に由来する神事。大元神社は厳島神社の摂社で大元浦にある。水族館の少し先。大元公園内にあり観光コースから外れ静かな場所。大元公園奥にはモミやツガの巨木が林立する原生林がある。弥山登山口の一つの大元コース入り口にあたる。
参拝者、カメラマン(多いですねえ^^)など多くの観衆が見守るなか天地左右に矢が放たれます。
初詣が混雑しすぎていたので来年から初詣はこのお祭りにしたいなと思いますw 縁起物の破魔矢(五百円也)も求めましたくじはハズレでしたが <^^;
大元神社は厳島の地主神とも言われ厳島神社よりも古いと言われる神社です。社殿も独特で屋根が珍しい。舟神事 御しま廻り神事でも最後に参拝される。
夏の最大の神事 管弦祭でも港に御座船が寄港して祝詞や管弦が奏される。
まさかこの年武漢コロナでパニックになろうとは・・・。- 64
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2022-12-18 21:19:02
2022. 12「厳島の冬の風景」カメラ担いで♪♪ 宮島散歩 広島県廿日市市宮島町カメラ担いで冬の宮島散歩。
海峡の海 大鳥居⛩ 荒胡子神社 岩惣旧館 三翁神社
多宝塔〜桃林を経て(名残の紅葉)、大元神社 、水族館前
清盛神社 松原から大鳥居 町家通り 夕暮れの海 など
ようやく。冬厳しいなか大勢の観光の方、修学旅行など来冬していました。
3年ぶりに島には活気がありますね。
PENTAX K-70
動画など一部iPhone SE2
R4.12.14よき風景 風情がある よきところ この地の紅葉は深緑に溶けて消えるのか おー…
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2021-04-21 23:39:02
【宮島 島の桜巡り増補 総集編】〜幸神社〜誓真大徳碑〜塔の岡〜神社裏〜多宝塔〜桃林〜大元公園地味ですが安芸国の宮島の春の風景。総集編〜増補本編
厳島(宮島)の桜4月2日頃の様子。最盛期は過ぎ場所によると散り始めていて葉が出ていたりする
がまだまだ鑑賞に耐える咲き具合であった。
1幸(さいわい)神社の桜 鳥居 脇の桜。かつての疫病の神 牛王社。
2町を見下ろす誓真大徳頌徳碑のの桜。やや散り始め。
誓真大徳(せいしんだいとく)=浄土宗 神泉寺の僧で広島城下の大工町の米屋。発心し宮島に渡り出家した。木工の心得があったようで琵琶の形から考案した杓子作りや木工製品などを教え、井戸掘りなど町民の暮らしを助けた島の恩人。
3五重塔や千畳閣のある塔の岡の桜 意外に桜がありました。
4厳島神社裏の風景と宝蔵の桜など〜金毘羅社
小銭入れからよく見ないで賽銭をあげたら500円だった喜捨w
5多宝塔の岡〜桃林(もんばやし)
6大元公園、大元川の桜、大元神社
大元神社へ参拝してもみの木の巨樹を見てあせび道〜桃林、多宝塔〜大聖院へ前はよく歩いたもんです
風情があるので好き。
メインの観光コースをだいぶ外れて歩きます。
広告恐れ入ります^^
よのひとの見付けぬ花や軒の栗 はせを- 44
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2022-07-17 09:13:02
〜令和4年〜 厳島管絃祭の島〜摂末社巡り 長浜神社、本宮、三翁神社、荒胡子神社厳島神社大祭 管絃祭の当日 午後から島へ渡り 拙者、末社のいくつかを巡りながら本宮参拝
朱印をいただいて帰る。摂社や末社も佇まいはよろしいですな・・。
コロナ禍によりR2年から御座船、漕ぎ伝馬船は行われていない。
今年は参拝だけでもできてよかった。
(今年も神官さんだけで催行、神事のみでモーター付きの船をチャーターして行われたようです)
通常=まず本宮を十六時ごろ祭典があり〜御座船に移譲〜伝馬船に引かれ大鳥居前の儀〜移動〜火立岩沖〜地御前神社前〜長浜神社前〜大元神社前〜本宮と行こうていで祭事と管絃を演奏して巡る。
今回は参拝が遅くなり十五時ごろでしたので祭典を待って本殿前に10数人くらい人だかりができていましたね。
なので人が写りまくりなんもので飾られた鳳輦や弓矢盾などの飾りの写真はなしであります^^
過去動画にはあるんですけどね。
できるだけ余分な人は映さない方針でやっとりますんで^^
2021年の祭りの様子(本宮の飾り風景もあり) sm39114027
2019年(古いアカウントのうp)https://www.nicovideo.jp/watch/sm35662094葉陰が厚いっすねぇ ほぉ~…
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2021-06-10 07:32:02
【 神社風景 】西ノ松原「厳島神社 末社 清盛神社」 kiyomori shrine松と海が美しい西の松原にある清盛神社。1952年 昭和27年が(没後)770年にあたり機運が起こり、翌28年に奉賛会が組織され 摂社の三翁神社の祭神のひと柱だったが分祀され建立された。
厳島明神信仰興隆の恩人 平清盛公威徳を偲んで鎮座した新しい末社。西の松原の先端にあり海の景色が良い。
社殿=一間社流れ造 檜皮葺の屋根で丹塗の社殿に瑞垣がある。
祭神=平清盛公一座
御手洗川(紅葉谷川)沿いにあり神社そばの橋を渡り西へ行くと宮島水族館や大元公園、摂社の大元神社へと続く。
西の松原は江戸時代に川の土砂や砂浜の砂を築き固め作られ、昭和20年の枕崎台風の災害時の大量の土砂でさらに延長されたのどかで風光明媚な場所。厳島神社出口の傍から松原が始まる。
宮島へ行くと松原はよく行くが人が比較的少ないので割と静かでさらに大元神社へが自分的には定番コース。干潟
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2021-09-26 08:30:02
夏の終わりに西ノ松原を抜け「厳島神社」境外 摂社「大元神社」と大元公園にある楠の大木宮島の大元浦大元公園入口に鎮座します。厳島神社境外 摂社 大元神社
御祭神=国常立尊、大山祇神、保食(うけもち)神。
相殿=最初に社殿を立てた佐伯鞍職)
諸説あるらしいですが厳島神社よりも古いとも云われ、島の地主神を祀るともされる神社。
大元浦(水族館の少し西の大元公園入口あたりにある)大元浦は厳島合戦における陶晴賢と大内軍団の上陸地点でもある。
七つの摂社末社をめぐる御島廻神事の最後の配所でもある。また夏の大祭〜管弦祭でも管弦船が寄港し祝詞や管弦が奏される。
厳島神社HP記載にによれば 創建は不詳ながら仁安三年(1168)の佐伯氏の記録に大伴社として記載されているそうです。
社殿も古く大永三年(1523年)再建。屋根が独特で長板葺=六枚重ね三段葺(他になく大元葺きとも云われるそうです)。
本殿内陣の玉殿=柿葺で一間社流 見世棚造りで三殿あり 嘉吉三年建立(1443年)本殿より古い。
大祭は一月二十日の百手祭(弓の神事)
音楽=のる様作 鎮守の森~和風&アンビエントなピアノソロ~&KANADE ~ゆったりリラックス系 ピアノソロ~- 29
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2021-07-23 08:08:02
厳島管絃祭 当日の風景 「厳島神社摂社 長浜神社」 令和2年厳島神社管絃祭=旧暦六月十七日(R3年は七月二十六日ですが)大潮の日厳島神社で行われる最大の祭り。日本三大船神事と言われる。
御旅所の一つ摂社長浜神社参拝と祭りを控えたその様子を参拝記録として。
神社風景は2分あたりから〜
厳島神社にて神事の後、御座船へ御神体を移し奉り、江波(広島市)、阿賀(呉市)の漕伝馬船船と鯛網船に引かれて海峡を渡り火立岩沖で潮待ちをして対岸の地御前にある、外宮地御前神社へ渡御が行われ管弦の音色を響かせる。再び島へ戻り長浜神社〜大元神社の摂社に寄港し管弦が演奏される。
大元浦から大鳥居をくぐり神社へ戻られる。
コロナ禍で伝馬船と御座船が中止。神事のみの催行でした。動力船(遊漁船)を飾り付けて神官さんのみで行われた。令和三年の大祭が間も無く御座船はやはり中止ですが行われます。大祭記念としてうPします。
字幕訂正=伝馬船は西回廊ではなく〜東回廊枡形内の海上で回ります。
日帰りの小さな参拝旅 もう1年前か・・あとでまとめた本編を作る。のどかやな
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2020-08-25 23:43:02
令和二年 厳島神社管弦祭(一)祭礼当日 外宮社「地御前神社」の様子厳島 管弦祭当日の地御前神社参拝。今年は自粛開催でした。
例年は御座船、広島市江波と呉市阿賀伝馬船がでて賑やかなのですがことは中止。多くの人が1日船で同乗して漕ぐわけですからやむなしということでしょう。
普段は訪れる人も少ないですが厳島神社関連記録として。
この後宮島にわたり管弦祭で例年は御座船が寄港する長浜、大元神社と厳島神社(神事あり)参拝がてら見学しました。
*厳島神社で当日の変更された神事の進行予定は知らなかったんですが、御朱印所で十六時から神事だということで他の参拝客と一緒にまちました。
本宮での神事が終わると神官さんの列が西回廊を出て大元公園前を通り網野浜港へ向かわれました。大鳥居で待ちますと遊漁船を借りて幕を貼り最少人数で(ほぼ神官だけで)御神幸の神事を行なったようです。
大鳥居沖で祝詞と管弦を奏した後は、船は三度周り東に向かいましたので火立岩、地御前〜長浜浜〜大元浦と廻られたと思います。
来年は御座船出るかなあ 伝馬船の木遣唄が聞きたい。
はつかいち 地御前 厳島神社外宮の映像。
令和コロナ禍 夏の記録として- 22
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2021-08-02 22:37:02
<令和三年度> 厳島 管絃祭 夏の海ノ神事・記録編 【厳島神社参詣と大鳥居前の儀・海峡の海と干潟】記録として。本編とほぼ同じ。後半は長い記録ようなので撮影したデーターはほぼ残しました。
満ち潮が迫る浜辺の様子と神事の様子と管弦の音や潮騒、夕方の太陽。
淡々と伝統的神事が続くのみ(これも部分的ですが長いので全て撮れませんので)
派手な面白みは全くないです。
詳細〜
厳島神社 夏の風物詩「管絃祭」平安京の貴族の水上に船を浮かべる管弦のあそびを移したた祭りである。平清盛により始められたと云われている。日本三大船神事の一つに数えられる。
今年は去年より天気が良く海が青くて綺麗に写真など撮れたので良かったですゎ。猛暑に参拝できてお陰様ですね。
内容=参拝・社殿や境内の飾り付け〜御笠の浜〜大鳥居沖へ、御座船と夕方の浜の風景です。
管絃祭の由来
元来は六丁の櫂のついた和船により自力航行して対岸の外宮「地御前神社」へ渡御していたと云われるが、江戸の頃元禄4年 暴風雨に遭って遭難しかけたところ 江波(えば・広島市)の伝馬船と阿賀(あが・呉市)の鯛網線に救助された。これ以後この二つの地域の氏子が御座船を曳航(引いて)サポートしていくようになる。
御座船は三艘の和船を舟組して1艘とした装飾された大型和船を使う。御座船には御神体を御移しした御鳳輦(ほうれん)が乗り込み御神幸がなされる。
例年の実際の行程=発輦祭(大体16時〜)〜大鳥居前の儀〜火建岩沖(潮待ち)〜地御前神社(夜 満潮時)〜長浜神社(宮島港東側)〜大元神社〜本宮の火焼前(ひたさき)〜客神社前〜本殿 還御(深夜)- 19
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2021-08-01 10:00:00
<令和三年度> 厳島 管絃祭 本編 【厳島神社参詣と大鳥居前の儀】〜日本三大船神事〜厳島神社 夏の風物詩「管絃祭」平安京の貴族の水上に船を浮かべる管弦のあそびを移したた祭りである。平清盛により始められたと云われている。日本三大船神事の一つに数えられる。
今年は去年より天気が良く海が青くて綺麗に写真など撮れたので良かったですゎ。猛暑に参拝できてお陰様ですね。*
見る方がいれば音量は適宜調整してください。
内容=参拝・社殿や境内の飾り付け〜御笠の浜〜大鳥居沖へ、御座船と夕方の浜の風景です。
管絃祭の由来
元来は六丁の櫂のついた和船により自力航行して対岸の外宮「地御前神社」へ渡御していたと云われるが、江戸の頃元禄4年 暴風雨に遭って遭難しかけたところ 江波(えば・広島市)の伝馬船と阿賀(あが・呉市)の鯛網線に救助された。これ以後この二つの地域の氏子が御座船を曳航してサポートしていくようになる。
御座船は三艘の和船を舟組して1艘とした装飾された大型和船を使う。御座船には御神体を御移しした御鳳輦(ほうれん)が乗り込み御神幸がなされる。
実際の工程=発輦祭(大体16時〜)〜大鳥居前の儀〜地御前神社〜長浜神社(宮島港東側)〜大元神社〜本宮の火焼前(ひたさき)〜客神社前〜本殿 還御(深夜)
しかし昨年からの某国発の迷惑なコロナパンデミックにより。
伝統的和船の御座船および伝馬船、鯛網船のサポートは中止されており。臨時の動力を使ったチャーター船により神事のみ行われている現状。
2018年=豪雨で中止。2019年h例年通り(ただし2時間遅れて進行)、2020年2021年は神事のみ開催で伝統的な御座船等中止。
2021年記録としてうPします。通常開催にならなければ来年は参拝とのんびり見学だけにします。- 15
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1970-01-01 09:00:00
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