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2024年7月20日 07時11分に生成された05時00分のデータです
2020-08-20 20:00:00
『崇高は盗作されるのか?』 ukiyojingu+結月ゆかり「言語交錯 7/10」
ukiyojinguです。
カントは「美的感覚」が悟性と構想力によって成り立つものであるのに対し、「崇高」を私たちの抑圧を越えて噴出するような快楽のこと指した。「絶対的なもの」かのように認識されることも多い崇高は、私たちにとってはいわば「言葉で表現しようのない何か」だった。
それはおおよそ理性的でなく、ゆえに記号に置換できない。にもかかわらず、常に感情を伝える方法を追い続けてきた私たちは、それをいかに他者と共感するかを試み続けてきた。それがあらゆる表現の歴史であり、芸術だった、ということはできるだろう。
人間の感情さえも再生産し、複製することで消費を続ける私たちの現代社会では、もはやそのような追及に目を向けることさえも行われなくなりつつある。0と1だけで記述を行いうる現代社会の中で、0と1などでは記述しきれない私たちの崇高は拒否され、大量生産された「感覚の良い音楽」がまさしく同じ様式で生産されてしまう。私たちはその「感覚の良い音楽」に対してあたかも自分のことを歌っているかのように錯覚し、身勝手な共感覚を覚える。そして、それ以外のあらゆる表現が排除されようとしている。
この5分は身勝手な共感覚にのっとった、私の崇高のパッチワークだ。崇高がもはや再生産されるものとなったデジタル社会の中で、再生産はある程度の枠組みで同じ構造を共有するゆえ、そのパッチワークが「盗作」と表現するにふさわしいかは分からない。しかし、意図的に模倣されたこの音楽は私にとっては「盗作」だった。その境界線は何処にあるのか。そして、私たちの「崇高」は何処に向かうのか。うぽつ 「かっこいい」って思ってしまう 良い 聴きながら、聴いた後に、反芻して考えたくなります。 いい感じ!
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2021-04-25 00:39:02
『言葉を扱う覚悟はあるか?』 ukiyojingu+結月ゆかり(live 2021.4.22.)ukiyojinguです。
ボカロPがみな一様に、コメント欄に意味がありそうな文章を一言だけ書き残しているのはなぜだろう。音楽が複数要素に分解され、各々がそれぞれの欲望を満たしたいがために消費を重ねていく中で、ボカロ楽曲のみならずあらゆるものがカテゴライズされ、私たちはわかりやすいそれらを味わう。投稿者コメントに残される身近なメッセージも、もはや楔のように、それがいったい何であるかを説明しているように見せつつ、意味は一切説明されないこともある。そうして、私たちは曖昧なものをわかりやすくカテゴライズ化し、そして身勝手に共感する。
私たちがそこから逸脱するためには、どうしたらいいだろう。この9分間は、カテゴライズを許さないような、絶対的そして孤独な存在として、代替不可能な自己を表現している。
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せっかくだと思い、自己紹介のつもりでボカコレに何かを投稿しようと思い、一発撮りで代表曲を演奏しました。
この曲を含めた『言語交錯』というアルバムを2021年3月に発売しましたので、よければ立ち寄ってみてください。気に入っていただけたら、私にとっては光栄この上ないことです。
[お知らせ]
ukiyojingu 作品集第3弾
『言語交錯』
1.言葉を扱く覚悟はあるか?
2.微細は失われたのか?
3.私たちは何者だろうか?
4.表記と意味は一致しうるのか?
5.感情の表出に意味はあるのか?
6.都市の呼吸を知っているか?
7.崇高は盗作されるのか?
8._____________?
9.遺しておくべき意志はあるか?
10.それでも、溢れ出るのは感情だけだった。
https://ukiyojingu.booth.pm/
https://ukiyojingu.bandcamp.com/あなたのことが知れて良かった。もっと聴きたい。応援しています たった9分でこれが出来るのか こういう音楽やる人がいてうれしい tt うおお 息を呑む 素晴らしい 淡々としたゆかりさんの朗読と独白な内容が心にクる。良い さながらショートフィルム。臨場感...
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2020-10-17 22:00:00
ukiyojingu 『言語交錯 4-7』digest movie言語交錯 4-7
digest movie
「表記と意味は一致しうるか?」https://nico.ms/sm37193611
言語交錯 4/10
この曲で使われている言葉はTwitter上での過去の発言をソースに、マルコフ連鎖で作り上げられたものをベースにしている。一方で、作りあげられた文章は文法上の問題や過度なまでの固有名詞の出現等によって、オリジナルのツイートを作り上げた自分によって再度編集を加えながら、一つの文章として作り上げられている。そのため、この文章は私の発した言葉でありながら私の発した言葉ではなく、明確な所有者を持たないまま空中を彷徨っている。
「感情の表出に意味はあるのか?」https://nico.ms/sm37278217
言語交錯 5/10
表記と意味が一致することによってその地位を保ち続けた記号たちは、その表記と意味の認識が話者と聴者ので一致していることが最低条件になっているはずだ。それは、話者と聴者の記号解釈の一致がなければ言語は意味をなさないということを、一方で示している。Aという記号の意味が2人の間で「a」と「b」というように揺れていた場合、Aはもはや意味をなさない。
「都市の呼吸を知っているか?」https://nico.ms/sm37360788
言語交錯 6/10
音楽(music)の起源は西洋と東洋で異なっている。ヨーロッパ圏の「music」という言葉は古代ギリシャにおけるミューズ神から由来しており、それは「芸術」という表現を意味している。その一方で「芸術」を意味する「art」「ars」は「技術」という意味だ。その点で「音楽」は「芸術」であり、「芸術」は「技術」であるのだ。一方、「music」の和訳である「音楽」は「音を楽しむ」という表現をもとにしており、その文脈ゆえに「音楽」という表現は快楽と結びつきやすい。しかし、音楽が純粋に「芸術」であるのなら、それは決して快楽的なものである必要はない。
「崇高は盗作されるのか?」https://nico.ms/sm37387001
言語交錯 7/10
「崇高」とはかつて圧倒的な自然の風景や、完全なる論理を持った数学といった絶対的なものとして、その地位を保ってきた。私たちの社会の中における「絶対的なもの」の存在の維持とその継続は近代哲学の誕生からずっと存在しており、絶対的なものの存在の維持と管理によって近代の世界の発展と維持は保たれてきたとも言える。しかし、1970年代に発生したポストモダンと、それから今日に至るまでの事実の塗り替えが頻発する現代の中では、私たちが崇拝してきた崇高なものの絶対性はその地位を危ぶまれている。うぽつ
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1970-01-01 09:00:00
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