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2022-06-05 08:45:02
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第17回・川面凡児の禊行(伊勢神宮・全国神社の祭祀創設)豊前国(現・大分県宇佐郡両川村小坂)に、酒造業と呉服業を営む家の次男として生まれた川面凡児は、教育の為に預けられた宇佐神宮の神職で父の義弟の溝口千秋のもとで多くの勤王の志士たちとの出会いがあり、その中の常遠翁に漢籍を学び、13歳にして地元の馬城嶺に登り、自称697歳の童仙・蓮池貞澄から仙道を学び、
その後3年間馬城嶺で修験道の修行を経た川面は、15歳にして入津(豊後高田市)の私塾「涵養(かんよう)舎」で仏教、法律、経済を学んだあと、21歳で熊本県隈庄町に私塾「稚竜同盟谷」を開き、子供たちの教育に携わった。その後、24歳にして政治の世界を目指し上京するが、途中で宗教研究に転向し、小石川の浄土宗寺院・伝通院に住み込みながら、様々な宗教家たちと交流を続けたが、生活苦の中、浄土宗の本山・増上寺から後援で宗教雑誌への投稿や女学校の教師などをして糊口を凌いだ。
その後、自由党機関紙や長野新聞、そして和歌山の自由党機関紙など主筆となり、45歳の時に下谷区三崎町に「全神教趣大日本世界教」を旗揚げし、稜威(みいつ)会を創立した。そして、川面凡児が48歳になった1908年(明治42年)から片瀬などで修禊を開始し、その6年後には男爵の高木兼寛を会長に、古典を通じて日本の神々を学ぶ古典考究会を設立、『古典講義録』を刊行し、同会には秋山真之、八代六郎、平沼騏一郎、杉浦重剛、頭山満、筧克彦など、トップクラスの軍人や政治家らが加わった。
1917年(大正6年)川面が56歳になった頃から滝行など禊の行を会員とともに各地で始め、後の皇学館大学開設者の今泉定助が支持したことにより各地の有力な神職の賛同を得、海浜や滝水での禊行事が全国的に流行した。
現在の伊勢神宮や全国神社の滝打ち禊行は川面凡児が創設したものだが、川面は禊行のみならず、その宗教思想面も含めて日本の神道を明治期から大正期にかけて創設した人物とも言える。
逆に言えば、日本の神道とはこの時期に確立したとも言えるのである。- 244
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2016-12-12 22:50:05
【鎌倉仏教シリーズ】第89回・日蓮主義⑧外八州史観と神道カルト2-1木村鷹太郎は、昭和2年(1927)に「一天四海五大洲の大日蓮」という本を出版し、かつて太古の昔は世界が日本であった、言う「外八州史観」を発表します。しかし、末法の時代とともにかつての外八州(=全世界)日本は失われ、今や内八州という小さな領土になってしまった日本が、法華経の公布という使命を負って再び外八州を取り戻す(つまり、侵略するという意味)べきだと主張します。この誇大妄想的な発想は、平田国学の流れを汲む平田系神道カルトの間にも広まり(大本教「世界雛形理論」、さらには陸軍中枢まで広まる(神道天行居など)と、それは妄想から狂気の現実となり、日本を絶望的な戦争への道へと導いて行きます。
えええまじか! 超ファンタジー過ぎる 語呂合わせ そんな勢力圏を築いたのはモンゴル人だけやん へーアルメニア出身なんだあww ww オカルトですねw
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2022-07-15 22:01:02
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)大石凝真素美と言霊学言霊というと、あたかも太古の昔より「言葉には魂が宿ると言われてきた」と考えがちであるが、実は江戸時代より前に残る記録の中で言霊という言葉を使っていたのは9世紀に空海が書いた「声字実相(しょうじじっそうぎ)」という書の中で「五大に皆響き有り、十界に言語を具す、六塵悉く文字なり、法身は是れ実相なり」と、真言密教の真言について述べていたわけで神道とはまったく無関係だったのだが、言霊を神道と結び付けようという動きは、幕末の国学者・中村孝道から始まっている。
中村孝道は自ら開発した水茎文字というハングルに酷似した文字を神代文字だとし、それを現在のかな75音に置き換え、この75音は宇宙全体の神霊エネルギーを発していると主張した。
大石凝真素美は、天保3年(1832年)伊賀の国上野に生まれ、本名は望月春雄といい、医者の家系の家に運れたが、中村孝道の門人だった祖父の幸智から国学を教えられ、自ら医者の道を絶ち、国学者として生きていく決意をした。
1868(慶応4)年には、美濃の修験者で中村孝道の言霊思想を深く理解していると言う山本秀道の噂を聞いて訪ね、その知識と霊威に感じ入って師事し、そのまま居候して孝道の言霊学を学んだ。
その秀道と行った本田霊学の鎮魂帰神法の結果、自分はイシコリドメの生まれ変わりと悟り、名前を大石凝真素美と改名した。
大石凝は、中村孝道の真須美鏡を元にして言霊による宇宙や地球や人類の発生を説明しようとし、それによると、日本語の清音・半濁音・濁音を合わせた75音は「こえのこ」と呼ばれる神霊元子であり、この神霊元子の発生が宇宙を誕生させ、至大天球と言われる儒教の天空宇宙観を思わせる宇宙空間はこの神霊元子による言霊パワーによって形成され、その天球の中心部に大気が結晶して「地球」になったと主張する。
さらには、最初の人間達は、土の中で何年も過ごして、体が成熟すると土から出て来て爬虫類のような姿で何年も過ごし、その後で脱皮して人間の姿になったと言う。
人間は、眼・耳・鼻・舌・身・意識の「六識」を持ち、欲である「七識」と良心である「八識」、そして仏の智である「十識」を持つ、という実に仏教的な人間観を持っている。
大石凝は、宇宙を司るのは天御中主で、地球を司るのは大国主だとし、事代主は75音を司り、スクナビコナは外国語を司るとしたが、大国主が司る日本語は宇宙発生時以来の75音であり、日本語は世界言語のルーツだとまで主張した。- 229
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2016-12-12 22:53:43
【鎌倉仏教シリーズ】第89回・日蓮主義⑧外八州史観と神道カルト2-2木村鷹太郎は、昭和2年(1927)に「一天四海五大洲の大日蓮」という本を出版し、かつて太古の昔は世界が日本であった、言う「外八州史観」を発表します。しかし、末法の時代とともにかつての外八州(=全世界)日本は失われ、今や内八州という小さな領土になってしまった日本が、法華経の公布という使命を負って再び外八州を取り戻す(つまり、侵略するという意味)べきだと主張します。この誇大妄想的な発想は、平田国学の流れを汲む平田系神道カルトの間にも広まり(大本教「世界雛形理論」、さらには陸軍中枢まで広まる(神道天行居など)と、それは妄想から狂気の現実となり、日本を絶望的な戦争への道へと導いて行きます。
勉強しなおせ あーーくだらね おまえが勘違いしているんだ 合気道創始者が大本を信じていただけwww 合気道はちがうぞばか Pも木村鷹太郎と同類wwwww 日本の神道が密教から作られたとか、どこまで馬鹿なのかw 勝手に自己解釈するな むしろなんとかたか...
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2023-04-01 16:48:02
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第53回・井深道斉・中里義美・矢野祐太郎荒深道斉は、明治4年 1871年、岐阜県山県郡中洞村に生まれ、神道家を志し、21歳で上京し、神宮教校に入学するが、貧窮の為中途退学し、25歳の時に東京瓦斯紡績会社に入社し、52歳で大病を患い退社したが、この頃より霊異現象が相次ぎ、神武天皇の重臣・道臣命の霊示が下ったとして、昭和3年、58歳で純正真道研究会を組織し、心霊科学の先駆者として神道界内外に影響を与えた。後に「みちひらき会」を組織、古蹟探査に奔走した。
中里義美は、明治25年 1892年に青森県三戸に生まれ、東京帝国大学卒業後、内田汽船に勤務するが、第一次世界大戦時の対米提供船・愛国丸に乗船中、臨死体験により、神霊界への関心を深めるが、その後、矢野祐太郎と親交を結び、急進国家主義運動に参加し、昭和12年には「霊的国体明徴」を掲げ、神乃日本社を設立し、中央の軍人や国家主義者、霊学舎、神代史派の執筆陣を結集した雑誌「神日本」を発行した。
矢野祐太郎は、明治14年 1881年に東京の築地で生まれ、父は鉄道技師で、明治33年に海軍兵学校を卒業後、海軍艦政本部勤務の後、大正12年に海軍大佐になるが、その直後、大本教に入信した。海軍退役後は、奉天で武器商を営み、同15年の出口王仁三郎らの入蒙字には現地で協力した。大本を脱退後は、大本の反主流派で、開祖出口のなおの三女の福島久や元大本の車末吉や矢野の妻、シンらの神示をもとに独自の神話体系と経綸説を確立し、神政龍神会を組織し、自らの神話説や経綸論を昭和天皇に伝え、天皇を全世界を統治する世界天皇を目指すことを促す為、信者で宮中女中で、薩摩藩島津家の末裔である島津治子を使って天皇に近づこうとするが、これが神政龍神会事件となり、矢野は逮捕され、官憲による厳しい拷問の末、昭和13年、獄死することとなった。
荒深、中里、矢野の三者に共通する点は、いずれも明治以降の平田系神道カルトの流れであり、大本教とも深い関係を持ちながら、彼らが本田霊学の鎮魂帰神法により得た神霊のメッセージにより築かれた超広大妄想的な日本中心の地球主義が当時の超国家主義的な思想と結びつき、軍人との結びつきが深まり、中里の神乃日本社のように226事件や南京事件に関わった上級軍人たちも信者に持ち、日本全体を狂気に巻き込んで行く原動力となったのである。- 192
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2023-06-01 22:12:02
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第60回・長澤雄盾・水谷清・岡田茂吉・九鬼盛隆・鬼倉足日公平田篤胤にルーツを持つ平田系神道カルトは、明治以降の展開として、その中核になったのは、平田の死者の黄泉がえりや死者の生まれ変わりなどの体験に基づいた幽界研究にルーツを持つ霊界と現界との交流を目指す本田親徳の確立した本田霊学・鎮魂帰神法にあり、この神憑依法を駆使することにより、古事記に登場する神々を降ろし、実際にインタビューしてみると実は古事記に書かれたことはすべてデタラメで、実は、篤胤が言っていたように宇宙を創ったのも地球や月や太陽を創ったのも日本の神々で、気も遠くなるような太古の時代には地上には日本しかなく、日本の天皇が全世界を君臨しており、世界中の人たちは日本の神道を信仰していたと言う。
しかし、長い長い歴史の中で地上は乱れ、神道は間違って伝わり、それがキリスト教になったり仏教になったり儒教や道教になったりとし、まるで世界は仏教で言うところの末法の世の厭離穢土となってしまったと言う。
こうした超誇大妄想といういうべきオカルト的新興宗教勢力はみずからを古神道と名乗り、この信念の下、言霊学や神代文字や神霊学などを産みだし、このスピリチャリズムは、世界大戦や世界恐慌の中で混乱した当時の日本社会の中で軍人を中心に多くの信者が集まり、太古の日本や世界天皇としての天皇の復活など、ウルトラ国粋主義者たちの間で強い支持者たちを集めた。
長澤雄盾は、本田霊学の直系の継承者として大本の出口王仁三郎らに鎮魂帰神法を伝え、水谷清は、大石凝眞素美の言霊学を伝え、九鬼盛隆は、道教仙術家として長澤から鎮魂帰神法を学び、浅野和三郎は、著名な翻訳家・英文学者でありながら息子の病気をきっかけに神霊療法に興味を持ち、大本に入信するが、後に心霊科学研究所を設立し、日本におけるスピリチャリズムの先駆けとなった。岡田茂吉は大本教を経たのち、自らの神秘体験を通じて世界救世教を設立する。鬼倉足日公は、右翼団体玄洋社のメンバーで朝鮮や中国大陸で様々な諜報活動に励んでいたが、やがて神祇伯の白川伯家神道の復活を目指し、すめら教を創立した。- 134
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2022-05-16 23:43:02
【神道シリーズ・シーズン3】第14回・平田系神道カルトの系譜(大きな流れ)平田篤胤の流れを汲む平田学派は、幕末から明治にかけて5つの大きな流れを形成して行ったが、それは、後に国家神道を形成する流れとなる祭政分離論の大国隆正のグループと、篤胤が晩年熱中した道教研究と死後の魂との交流というテーマに繋がる本田親徳の鎮魂帰神法と、道教神仙思想を篤胤の神道用語で解釈しなおした神仙神秘思想と、篤胤が存在すると強弁した神代文字を似非研究した竹内巨麿や、国学の日本語研究の流れを汲む平田門人の中村孝道の水茎文字や真澄の鏡から独自の言霊学を形成した大石凝真素美らから成るが、
神仙神秘思想系の川面凡児は、伊勢神宮を始めとする全国神社の滝打ち禊修行などの新祭祀を開発したが、神仙神秘系は次第に影響力を失い、残りの本田霊学と言霊学と神代文字学の三潮流が古神道と自称するようになり、
明治以降の平田系カルトの中心的勢力となって行った。
この三潮流は、本田霊学を中心として、神道カルト理論を形成し、やがて大本教の下に合流していくこととなった。
平田系神道カルトは、教団によって温度差はあるものの、共通していることは、元祖平田篤胤の、地球形成後に世界を作ったのは日本の神であり、日本人は世界を統一して天皇中心の地球にするべきだという超誇大妄想的な選民思想部分である。
しかし、この日本人選民思想部分は、国粋主義的な軍人や政治家たちを惹きつけ、首相閣僚クラスの政治家や陸軍大臣、海軍大臣、陸海軍大将までが信者になったりシンパになったりするほどの影響力を与えた。
この動きは放置すれば右側の立場よりの革命論や政府転覆論、軍掌握論なども生じかねないということで、政府や公安警察は厳重にこうした団体を監視するようになった。
政府公安警察は、彼らが政府見解と異なる神道解釈をしたことが天皇陛下を侮辱してるとし、不敬罪の名目で
逮捕、弾圧を続け、大正10年(1921年)と昭和10年(1935年)には大本教の宗教施設をすべて破壊する、というほどの弾圧をしたが、大本から派生した友清歓真の神道天行居は陸軍の皇道派に多くの信者を持ち、
その青年将校たちが226事件を起こし、日本はまさに狂気の時代へと突入したのである。それくらいの捏造、世界に目をむければいくらでもあるぞ~ うぽつ
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2023-04-13 00:32:02
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第55回・谷口雅春と生長の家(その②)平田系神道カルトの多くが全宇宙および地球の創造神が日本の神だと説き、日本の天皇は全世界の宗主になるべきとか、世界の言語は日本語から発生しているなどと地上のすべての起源は日本から来てるという日本中心主義を唱える中、生長の家の谷口雅春は、そうした宇宙観・地球観および信仰神や天皇よりも人間ひとりひとりがどうよりよく生きて行くかという生命の在り方に焦点を当てた宗教観を持っていると言える。
谷口は、創造神の重要性は認めるものの、その創造神はただ単に人間や動植物に生命や環境を与えただけで予定調和的な仕組みは与えておらず、どう生きるかは一人一人の問題であり、創造神が助けるものでもなければ妨げるものでもない、としている。
ただ、一人一人の人間がいかに良く生きるかは、個々の人の中にある神性、つまり自分の体の中にある神の存在に目覚め、いかにそれを育んでいくかにかかっているとする。
言い方を変えれば、自分の中にいる神に気が付くためには、この現象界と言われる目に見える世界ではなく、目に見えないが実在する真の世界、つまり実相の世界に目覚める必要があると言う。
実は、この思想は、谷口が幼少より培われた仏教観念と青春期に出会ったキリスト教思想との間の葛藤の中、どちらかに優劣をつけるのでもなければ、その両者の折衷を採るわけでもなく、むしろ両者を止揚、つまり、両者の化学反応から生まれた独自の宗教観とでもいえる。
そして、その谷口の宗教観を決定付けて行くのは大本脱会後に出会ったアメリカのプロテスタント反カルバン派の一つであったニューソートというクリスチャンサイエンスで、この谷口の実相思想が確立する中、彼の教団・生長の家が誕生することとなる。
しかし、時は太平洋戦争直前で、当初谷口は、神の子である人を死なせて行くような戦争を賛美するような「海行かば」斉唱に反対したりしていたが、官憲の監視が厳しくなると谷口は突如方向転換をし、積極的な戦争協力に廻り、戦後は、政治の表舞台に立ち、明治憲法復活や元号法制化、建国記念の日制定法など戦後保守政治運動を推進し、神社本庁などと連携して日本会議を結成するなど右翼団体を思わせるような保守傾斜の道を進んだ。
しかし、引退後の谷口はまた180度旋回するように優生保護法廃止運動や完全菜食主義、反原発などリベラル急進派のように変身した。
彼の実相思想自体には一貫性があるものの、彼があの戦中と戦後のナショナリズム運動に走った理由を知る者は誰もいないのであった。8888888888888888888888888888888
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2022-05-23 22:57:02
【神道シリーズ・シーズン3(思想編)】第15回・大国隆正と国家神道明治以降、平田篤胤の思想の影響を受けた者たちは、基本的に、人は死後、地球上の周りにある幽界という空間を霊魂となって彷徨い、体は風、火、土、金というエレメントになって循環し、やがてはそれに魂が宿り、人間は再生する、という道教的な死生観と、地球を創生したのは日本の神のイザナギとイザナミであるからして、日本の天皇が全世界の上に総主として君臨すべし、という超誇大妄想的天皇世界総主論だけは引き継ぐという傾向を共有していたが、本田親徳は、平田思想の中でも特に人と神霊とのコミュニケーションに興味を持ち、その研究と実践のほとんどは神霊の人間への憑依を目指すことに向けられた。
死者や動物や神仏の憑依は修験道や民間信仰の間にも古くからあったが、そうした憑依が可能なのは特定の能力を持った者か、あるいは神や仏や死者などから指名された特定の人物に限られていたが、本田は、誰でも一定の術式に従って行えば神霊の人への降臨・憑依は可能であるとした。
本田は、神憑りには36通りの在り方があると言ったが、それを大きく3つに分類して、霊がいきなり憑依する場合、一部の素質のある人が一人で神霊を呼び寄せる場合、そして本田が提唱した審神者と神主を通じて、たとえ能力者や偶然の邂逅でなくても意識的に神霊を呼び寄せ憑依させることが可能な鎮魂帰神法があり、本田は自ら開発したこの鎮魂帰神法を通じ、神の言葉を直接聞くという方法で古事記理解の正誤を確認するという作業を行い、「難古事記」という著作にまとめた。
それによると、人はみな神の子であり、直霊という正しい心の霊を持ち、勇気と調和と愛と探求の心を呼び出す荒魂、和魂、幸魂、奇魂という四つの魂を持っているとし、善を行えばこれらの魂の量は増え、悪を行えば減るとした。
儒教の魂観の擦り直しと見れないこともないが、とにかく、本田の神霊降臨術・鎮魂帰神法は、その後、弟子の
長澤雄盾を通じ、大本教の出口王仁三郎や大本教を経た神道天行居の友清歓真ら多数の平田系神道カルト教祖たちに伝えられ、明治以降、古神道を名乗る平田派神道系カルトの中核的思想となって行った。
本田の鎮魂帰神法を継いだ者たちは、鎮魂帰神法とともに平田篤胤の超誇大妄想とも言える
天皇世界総主論、つまり、地球上の世界を創ったのは日本の神だから天皇が世界を治めるべきだと言う部分を強く受け継いでおり、彼らが本田の鎮魂帰神法による神託を担保とし、彼らはますます狂信的に持論にのめり込み、それは世界恐慌後の社会不安が広がる中、その狂気は国民を戦争の時代へと引き込んでいくこととなったのである。- 70
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2023-02-15 21:40:02
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第47回・合気道と道教と山王神道病弱だった植芝盛平がやがて小さな体で大男を軽々と投げ飛ばしてしまう合気道を創立するまでにはどのような経過があり、また、その合気道とはどのような思想の流れの中で形成されて行ったのか?その謎を解くところに今回の特集は焦点を当てる。植芝盛平は7歳の頃、近所の地元和歌山県田辺市の古義真言宗の地蔵寺の住職の藤本密乗の開く私塾で四書五経や真言密教の鎮魂法や祈祷を学び、また、32歳の時には移住した先の北海道遠軽の地で出会った大東流合気柔術の師範武田惣角から5年間、大東流合気柔術を学び、さらには、36歳の時には父の病気直しの為に大本教の本部のある綾部に出口王仁三郎を訪ねた時、出会った出口王仁三郎に感銘し、そのまま8年間綾部に住み込み、王仁三郎の、戦い回避を目指す言向け和しの無抵抗主義を学び、次第に盛平独自の合気道の道を開いていくこととなった。合気道の技のほとんどは大東流合気柔術から来てるが、その大東流合気柔術を可能にしたのは、創始者とされる鎌倉時代の新羅三郎を称した源義光が影響を受けた天台密教の作った神道理論、山王神道であった。山王神道は、真言宗系の両部神道とともに道教の影響を受けた中国の真言密教、天台教の影響を受けており、道教思想がその密教理論の中に展開されている。太極拳、少林拳、八掛掌、形意拳、心意拳などの中国武術は一様に道教の思想が根源にあり、日本の合気道や大東流合気柔術は天台系の山王神道を通じてこうした武術に繋がる道教思想を継承したのである。山王神道では、古事記・日本書紀では新羅王子、地方風土記では新羅の神とされる天日矛が日本に残した十種の神宝の中に中国武術に繋がる道教的思想を見出し、その中から鎌倉時代に大東流合気柔術が生まれ、そうして大正時代から昭和時代にかけては大東流や大本から独立した植芝盛平によって合気道は誕生した。平田系神道カルトの大本の流れを汲みつつ、一方で大東流や山王神道の中国道教の流れも汲む中、植芝盛平は、和合の精神を説き、人と競い合う事を好まれず、「自己の練磨」のみを目的とする試合無き武術、合気道の道を開いたのである。
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2022-06-28 23:14:03
【神道シリーズ・シーズン3】第19回・千家尊福と出雲国造【前編】出雲国造の歴史朝鮮半島にルーツを持ち、仏教伝来以前の古代より続いてきた出雲信仰を引き継ぐ出雲国造は、1600年以上の歴史を持ち、その歴史は、奈良時代以降に始まった伊勢神宮より古く、そしてその歴史観は朝廷の編纂した古事記・日本書紀とは異なり、独自の出雲伝承のストーリーで語られている。
古き出雲信仰は「出雲風土記」に基づき、新羅より渡来した神・スサノオの神霊を継ぐアメノホヒを始祖とする
出雲氏が、朝廷より管轄を依頼された出雲国造として、朝廷に従属する形で国造職を担ってきたが、大化の改新で国造職が廃止された後も「出雲国造」を名乗りながら出雲信仰信仰圏を維持して行った。
そこでは出雲国造は人ではなく、アメノホヒそのものであり、現人神であった。出雲国造は島根県東北部の意宇の熊野大社を拠点としていたが、平安時代には島根県西北部の杵築に拠点を移し、アメノホヒの神霊の元である
スサノオを、アメノホヒそのものである出雲国造が祀り、中世から近世にかけては天台宗の鰐淵寺と蔵王権現とスサノオの本地垂迹関係を結んでいた。
しかし、江戸時代後期になると、76代国造の千家俊秀の弟・俊信は、本居宣長の門人となり、国学に傾倒するようになった結果、国造に代わって指揮を執り、これまでの天台宗鰐淵寺との本地垂迹関係を解消し、杵築大社の祭神をスサノオから大国主に変更し、平田篤胤による大国主イコール幽界の支配者の思想を採り入れ、出雲信仰はしだいに平田国学の復古神道的となり、国学に基づく出雲神道が形成されることとなった。
こうした背景を持つ出雲国造家は、明治以降、祭政一致を目指す復古神道の思想により、「うつくしよ」と呼ばれた人間界を支配するのは天皇で、「かくりよ」と呼ばれた死後の世界・幽界を支配するのは大国主という顕幽二元論を掲げて新政府の宗教改革政策に積極的に関与したが、明治6年の神道事務局創立の際に起きた、事務局の祭神・造花三神と天照以外に大国主も同時に祀るべきという、所謂「祭神論争」が起き、出雲派はこの論争に敗北することにより、在野で独自の教団を形成する決意をし、明治13年に80代国造の千家尊福が出雲大社教を立ち上げ、政府の管理する神社神道とは異なる独自の信仰路線を進む一方、神秘思想に埋没していった古神道と呼ばれる平田系神道カルト集団とも距離を置き、今日まで続く独自の出雲信仰を形成して行ったのである。- 54
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2022-10-25 00:45:02
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第33回大本教(その⑦)エスペラント語運動と王仁三郎の入蒙第一次大本弾圧ののち、出口王仁三郎は、満蒙に神の国の建設を目指し内蒙古入りするが、張作霖に部隊に逮捕され処刑直前に命を救われるという九死に一生を得る体験をするが、その後は、開祖出口なお亡き後、大本は王仁三郎を中心に、なおの時代には曖昧だった教義を整理し、欲得ですべてが動く乱れた世界を正すために弥勒菩薩の降臨を求める昭和維新の運動を展開して行った。
王仁三郎の提唱する昭和維新は、腐敗した政財界を無くし、国民が国常立やその下で世界を統治する天皇を世界人民が崇敬し、世界の人民は人種宗教思想を超えて皆平等で階級の無い豊かな社会で暮らせるようにすると言うものであったが、この思想は、国常立や天皇を除けば、まさにマルクスレーニン主義、つまり、世界の労働者が団結し、資本家や政府を倒し、世界規模で搾取や階級の無い共産社会を築くという発想とまさに瓜二つであった。
王仁三郎は、一方では、世界宗教連合会を結成し、世界のありとあらゆる宗教の代表を集め、信仰の違いを超えての宗教界の団結を目指し、また、人類愛善会を結成し、当時、農業恐慌や東北地方の冷害干害で飢餓に苦しむ農民たちに二毛作や愛善陸稲と呼ばれる陸稲の栽培などを現地で実地指導して広め、日本全国で多くの飢餓農民たちを救ったりしたが、また一方では、満州事変以降進行する中国大陸での関東軍を中心とした軍事作戦の展開進行に対して絶大な支持と賛同賛美を送り、多くの軍人の支持を取り付ける事に成功している。
そして、昭和10年1935年の第二次大本弾圧事件の1年前には、昭和神聖会と言う、ありとあらゆる救国団体の大同団結を訴えた連合組織を立ち上げるが、この大本が主導した昭和神聖会の結成式には、内務大臣、逓信大臣、多くの国会議員、そして陸海軍の中将クラス以上の幹部軍人たち、全国の右翼団体、さらには、全国著名大学教授や著名文化人たちが多数集まり祝辞を述べ、中には日本初の女性解放運動家の平塚らいちょうまでも含まれていた。
こうした昭和神聖会の運動に賛同する国民は当時の日本の人口約4千万人のうち800万人、つまり5人に1人が賛同したほどに支持された。
そして、その賛同者たちの中には、王仁三郎の熱烈な信奉者で満州事変を企画実行した陸軍中将石原莞爾や、後に日中戦争で主要な働きをした陸軍大将板垣征四郎、さらには226事件でクーデター計画を実行した青年将校の西田税までもが含まれていた。
人道的な慈善活動と戦争推進論と言う両極端な思想に揺れた王仁三郎の皇道主義は、きたる第二次大本弾圧事件を跨いで、大本から派生した極右の神道系カルト教団も含め、日本の第二次世界大戦への道を確実に進めて行くこととなったのである。- 53
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2023-01-27 21:20:02
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第45回・霊界物語その⑧(最終回)単調で冗長な霊界物語は続く。
第69巻では、南米物語で、高砂島(南米)のウヅの国(アルゼンチン)とヒルの国(ペルー)で若者が立ち上がり、政治改革が行われる。
第70巻は、インドのトルマン国の国政改革の物語。
三五教の宣伝使・照国別(てるくにわけ)が活躍する。
高姫の再生である千草姫が本巻から第72巻まで登場して悪事を繰り広げる。
第71巻は、インドのタラハン国の物語。
玄真坊(げんしんぼう)、千草の高姫、妖幻坊(ようげんぼう)の杢助(もくすけ)といった悪役が出てきて悪事を重ねて行く。
第72巻では、インドのトルマン国の「スガの港」の物語。
千草の高姫と妖幻坊の杢助の悪事と、それに対する照国別一行の活躍が描かれている。
第72巻と第73巻の間には、「入蒙記」が挿入され、ここでは出口王仁三郎が大正13年1924年に満蒙に神の王国を築こうとして盧占魁率いる3千人の蒙古軍とともに行軍した入蒙体験が書かれている。
第73巻から第81巻までは、今から183億年前の宇宙創成期に言霊の元子から地球を中心に宇宙が形成された様子から、地球上の大地や海や神々が想像された地球の修理固成の歴史が記されている。
ここでは、主に、大本顕津男神と称するミロク大神たるスサノオが、御樋代神(みひしろがみ)と言われる女神たちとの間で言霊による水火と火水の神事という、言わば、霊界における言霊セックスとでも言えるまぐわりを行い、国々や神々を生み出して行くというストーリーが語られている。
これは、大宇宙の根本の世界「紫微天界(しびてんかい)」の修理固成と言われ、最後の9巻は、「天祥地瑞」篇と呼ばれ、大正時代より35万年前の霊界が描かれた1巻より72巻とは異なる世界が描かれている。
この霊界物語は、まったく荒唐無稽で、これまでの日本の歴史の中で語られたことない国土と神々の創成の歴史が語られているが、しかし、明治以降の平田系神道カルトの間では新たなる古事記とも言えるようなバイブル的存在となったのである。- 47
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2023-02-07 22:47:02
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第46回・霊界物語をどう読み解くか出口王仁三郎の霊界物語は、その冗長さと内容の不可解さから困難な書とされてきたが、そこで彼が訴えたかったものとは一体何であったのだろうか?
霊界物語は今でも大本で出口直のお筆書き、大本神諭に次ぐ二大経典の一つとされているが、これは直の神諭のように世の中はこうあるべきでこう変革するべきだというメッセージは一切見られず、ただ、183億年前の宇宙発生時から現代にいたる霊界における歴史を語って来た書と王仁三郎には自称されている。
しかし、正直、その中身たるや、荒唐無稽な上に、一体何が大本の信仰対象であり、何をどう考えるべきかがまったく不明瞭で、大本信者でさえそこを心底理解している者は一人とていないと推測される。
霊界物語は、183億年前の天祖、大国常立大神による大宇宙創成時代の霊界の地球で大地自然と神々の修理固成を行ったとミロク大神たるスサノオの話と、38万年前の霊界の地球でさらに修理固成を行った国祖と呼ばれる
国常立尊と、その後、その国常立尊が自ら創った神人たちに追放され、その結果、大峠という地球規模の大洪水が起こり、一旦破滅した地球に天の大神と呼ばれるイザナギ、イザナミ、アマテラスが再び大地自然の再創造を行うストーリーが展開されている。
不思議なことには、こうした大宇宙創成神や地球の修理固成神たちが霊界に産み出した神々や神人と呼ばれる霊界の住民たちの間でまったく権威や崇敬が無く、霊界人達に追放された国祖・国常立尊や、みろく大神と呼ばれながらも霊界の地上に産み出された邪神たちとのあくことなき戦いが強いられ続けていく、という、絶対崇拝対象無きストーリーが展開されているのである。
ただ、絶対崇敬対象としての存在が不在の中、霊界物語の中では、「言向け和し」という、敵対する者に対して武力や策略によって相手を屈服させてはならない、あくまで相手を諭し、心服させるやりかたで和平し共存していくことの大切さを終始強調されている。
出口直、王仁三郎の間で一貫していたのは、反戦世界平和的な全宗教共存論で、これは金光教や天理教以来一貫している万教同根の思想である。
王仁三郎が第二次大本弾圧事件の前に結成した昭和神聖会では、満州事変や日中戦争を「愛の戦争」と呼んだ彼の真意は不明のままだが、戦後の大本は戦前の社会変革論を完全に放棄し、ひたすら芸術活動と世界宗教平和共存運動に徹して行ったのである。- 39
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1970-01-01 09:00:00
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