キーワード建武の中興を含む動画:15件 ページ目を表示
2024年6月16日 07時09分に生成された05時00分のデータです
2020-09-05 21:03:02
チャンネルのフォロー宜しくお願い致します ~ニコ動配信を始めました~戦後の自虐史観により、建武の中興と勤皇の志士たち、護国の為に殉じた英霊の事蹟は封印されました。
建武中興の真の理念とは、神国の中興である。
大楠公の評価も「悲劇の武将」という観点から脱却せねば、建武中興の真実には迫る事ができません。
単に、南朝と北朝との戦いという局所的なものではなく、在るべき国家の、神国なる国體を再び中興すべく、全国の志士たちが奮起した大業、それこそが建武中興の真の姿と考えます。
後醍醐天皇が目指された尊き理念を、今再び、明らかにすべく、我々、楠公研究会は、国體護持と神国中興の一助となるべく、今後も尚一層、邁進していきます。
☆PV内のロケ地紹介☆
皇居外苑内大楠公像(東京都)
金剛山葛木神社(奈良県御所市)
元伊勢街道(三重県伊勢市)
国史跡斎宮趾内「正殿」(三重県明和町)
塔尾山如意輪寺「後醍醐天皇御忌法要」(奈良県吉野町)
佐原の大祭山車巡行・東関戸区山車「大楠公」(千葉県香取市)
湊川神社楠公武者行列「発輿祭」(兵庫県神戸市)
湊川神社楠公武者行列「発輿祭」(兵庫県神戸市)
湊川神社本殿・内拝殿(兵庫県神戸市)
靖国神社神門(東京都千代田区)
予科練平和祈念館「雄翔館」(茨城県稲敷市)
神武天皇聖蹟鵄邑顕彰碑(奈良県生駒市)
大台ケ原 (奈良県上北山村)
熊野那智大社那智御瀧「飛瀧神社」(和歌山県那智勝浦町)
神戸空港 (兵庫県神戸市)
鳥見霊畤・等彌神社御神紋「金鵄」(奈良県桜井市)
熊野本宮大社旧社地「大斎原」(和歌山県田辺市)
伊勢神宮内宮「宇治橋」(三重県伊勢市)
笠置皇居前・本尊「弥勒摩崖仏」(京都府笠置町)
如意輪寺「後醍醐天皇御陵正辰祭」(奈良県吉野町)
楠木氏氏神・美具久留御魂神社(大阪府富田林市)
名和神社 (鳥取県西伯郡大山町)
後醍醐天皇御腰掛岩(鳥取県西伯郡大山町)
金ヶ崎宮(福井県敦賀市)
鎌倉宮(神奈川県鎌倉市)
小御門神社一の鳥居(千葉県成田市)
小御門神社拝殿(千葉県成田市)
檜尾山観心寺「楠木正成公御首塚」(大阪府河内長野市)
櫻井の驛趾・乃木希典揮毫「楠公父子訣別之處」碑(大阪府島本町)
南朝三帝皇居・堀家住宅「賀名生皇居」(奈良県五條市)
水郷佐原山車会館・東関戸区山車蔵(千葉県香取市)
佐原の大祭・東関戸区山車「大楠公」(千葉県香取市)
水戸駅北口「水戸黄門・助さん・格さん像」(茨城県水戸市)
南朝皇居・吉水神社「北闕門」(奈良県吉野町)
以上フォローしました。 シナが禁句とはおかしいでしょ。 山下弘枝様、Youtubeとあわせ、ニコニコもフォローいたしました。がんばってくださいませ! ほう 正式な国名や地名を言っただけで差別扱いって逆にそれが差別だろって突っ込みたくなるよな。 がんばれー...
- 755
- 91.2
- 222.9
- 40.5
YouTubeで検索
2023-01-01 20:36:02
戦前の当たり前の教育内容を再現 ~2月25日新著「建武中興と楠木正成の真実」~先着25名の懇親会、本日募集開始で既に9名確定。
毎日投稿チャンネルです。
※マスクを外して飲酒会食を楽しもう(西山飲酒会食俱楽部)。
&本動画に関する質疑応答会(西山塾)。
&マスク販売(武装マスク)
https://nohohondensha.jimdosite.com/
1月7日土曜日14時30分から西山塾
残席11名。
同日17時からの懇親会残席6名。
いずれも参加申し込み大募集中(老若男女不問)。
1月21日土曜日14時からオフ会。
残席はありません。
1月28日土曜日14時から飲酒会食倶楽部
残席4名。参加申し込み受付中(有資格者のみ)。
詳細は上記ホームページにてご確認ください。
西山塾への参加申し込み、大募集中です。
※以下、ご理解をお願いします。
当サイトの動画は私個人の感想や意見を述べており必ずしも真実ではありません。
独自の考え方、切り口を示す事により視聴者様の思考を促進する事を目的としています。
宜しくご理解ください。
また当サイトでは本音を喋っており善人を気取るつもりはありません。
視聴して不愉快になられる方はご視聴をお控えください。
もう一点、当サイトで公開している内容に著作権はありません。
知名度に関わらず自由にご発言ください。
ご意見、ご要望、ご感想やご提案はアメブロやツイッターでも受け付けています。
https://ameblo.jp/nohohondensha/
https://twitter.com/nohohondensha?lan...いつもありがとうございます。 受けていた。曾祖母も亡くなった
- 444
- 40.9
- 153.4
- 10.2
YouTubeで検索
2021-09-22 22:36:02
先天的保守CDデビュー ~武士道~表千家茶道教授者にして日本舞踊も舞えば詩吟でCDも出す。
毎日投稿チャンネルです。
※マスクを外して飲酒会食を楽しもう。
西山飲酒会食俱楽部
https://nohohondensha.jimdosite.com/
※以下、ご理解をお願いします。
当サイトの動画は私個人の感想や意見を述べており必ずしも真実ではありません。
独自の考え方、切り口を示す事により視聴者様の思考を促進する事を目的としています。
宜しくご理解ください。
また当サイトでは本音を喋っており善人を気取るつもりはありません。
視聴して不愉快になられる方はご視聴をお控えください。
もう一点、当サイトで公開している内容に著作権はありません。
知名度に関わらず自由にご発言ください。
ご意見、ご要望、ご感想やご提案はアメブロやツイッターでも受け付けています。
https://ameblo.jp/nohohondensha/
https://twitter.com/nohohondensha?lan...- 294
- 00.0
- 82.7
- 10.3
YouTubeで検索
2021-10-26 04:27:03
なぜ建武政権はわずか2年で崩壊したのか 〜「二条河原の落書(※現代語訳有り)」に仕掛けられた罠〜【小学生でも分かる南北朝時代の歴史】つまり、建武政権瓦解の直接的キッカケの役割を担ったのは、建武政権樹立一年後に「京童(身元不明の京都市民の何者か)」によって突如建てられた立札で、建武政権の欠点を皮肉たっぷりにこき下ろした「二条河原の落書」の存在。
【原文】
此比都に流行る物、夜討、強盗、偽綸旨
召人、早馬、虚騒動、生頸、還俗、自由出家
俄大名、迷者、安堵、恩賞、虚軍
本領離るる訴訟人 文書入れたる細葛
追従、讒人、禅律僧 、下克上する成出者
器用の堪否沙汰も無く 漏るる人無き決断所
着付けぬ冠上の衣 持ちも慣らわぬ笏持ちて
内裏交わり珍しや 賢者顔なる伝奏は
我も我もと見ゆれども 巧みなりける詐りは
愚かなるにや劣るらん 為中美物に飽き満ちて
まな板烏帽子歪めつつ 気色めきたる京侍
黄昏時に成りたれば 憂かれて歩く色好
幾ぞ許ぞや数知れず 内裏拝みと名付けたる
人の妻鞆の憂かれ目は 他所の見る目も心地悪し
尾羽折れ歪むエセ小鷹 手ごとに誰も据えたれど
鳥獲る事は更に無し 鉛作りの大刀
太刀より大に拵えて 前下がりにぞ指折らす
バサラ扇の五骨 広輿、痩せ馬、薄小袖
日銭の質の古具足 関東武士の籠出仕
下衆上﨟の際も無く 大口に着る美精好
鎧直垂なお捨てず 弓も引き得ず犬逐物
落馬矢数に勝りたり 誰を師匠と無けれども
遍く流行る小笠懸 事新しき風情無く
京鎌倉を掻き混ぜて 一座揃わぬエセ連歌
在々所々の歌連歌 点者になる人ぞ無き
譜代非成の差別無く 自由狼藉世界なり
犬田楽は関東の 滅ぶる物と云いながら
田楽は尚流行るなり 茶香十火主の寄合も
鎌倉釣に有鹿と 都はいとど倍増す
町ごとに立篝屋は 荒涼五間板三枚
幕引き廻す役所鞆 その数知らず満ちにたり
諸人の敷地定まらず 半作の家これ多し
去年火災の空地ども 禍福にこそなりにけり
適残る家々は 点定せられて置き去りぬ
非職の兵仗流行りつつ 路次の礼儀辻々は無し
花山桃林寂しくて 牛馬華洛に遍満す
四夷を鎮めし鎌倉の 右大将家掟より
只品有りし武士も皆 成めんたらにぞ今は成る
朝に牛馬を飼いながら 夕に変在る功臣は
左右に及ばぬ事ぞかし させる忠功無けれども
過分の昇進するも在り 定めて損ぞ在るらんと
仰いで信をとるばかり 天下一統珍しや
御代に生きて様々の 事を見聞くぞ不思義とも
京童の口ずさみ 十分一をも漏らすなり横浜市昔の会社に足利氏 部門違い 野球部。 宮城県仙台市宮城野区 楠自動車 それ以前は北目町 昔の会社で自動車整備車検等。 昭和45年頃 和製 エレキギターバンド ゴダイゴ 彼等は今何をしているのか? わこつ 天皇親政 @うわ 姫様発見
- 227
- 104.4
- 20.9
- 10.4
YouTubeで検索
2020-12-29 05:32:02
第12回楠公研究会会「葛木神社と国見城跡~金剛山攻防戦の戦跡を辿る~」平成30年7月27日金曜日午後1時半より、奈良県御所市の葛木神社にて開催させて頂きました「第12回楠公研究会・葛木神社と国見城跡~金剛山攻防戦の戦跡を辿る~」の活動記録動画です。
【ameblo】
https://www.nankou-kenkyukai.com/%E6%B4%BB%E5%8B%95%E5%A0%B1%E5%91%8A%EF%BC%93/
当日は葛城宮司様のお心づくしのお心遣いと、多くの皆様のご参加のお陰をもちまして、盛況裡に終える事ができました事、心より厚く御礼申し上げます。
葛木神社での正式参拝に引き続き、楠公研究会会員の伊藤氏より、葛木神社の御祭神とゆかりの深き「イージス艦こんごう」の模型奉納と、葛城宮司様の温かいご厚意にて、模型奉納奉告祭も斎行いただきました。
その後、社殿にて宮司様から、神社のご由緒と大楠公の事跡についてのご講話を賜り、その後、金剛山頂の国見城跡へ移動し、今も遺る千早攻防戦当時の城跡の石垣や井戸、手水鉢等を見学させていただきつつ、国見城の構造を学びました。
また、国見城跡の傍の茶店では、千早城の戦い時から使われている井戸水を使ったコーヒーもご馳走になりました。
一般的には、「千早城をはじめ、金剛山には大楠公当時の遺構は全く残っていない」等と流布されていますが、実際には千早城跡にも石垣は一部残されておりますし、葛木神社には「福石」をはじめとした南北朝当時創建の矢刺神社の祠、国見城には石垣や手水鉢、井戸等多くの遺構が遺されているのです。
こういった事実は、現地に赴き、現地にゆかりの深き方々からお教えいただかなくては判らない事であり、だからこそ、私共楠公研究会が学び続ける意義があるのだと改めて痛感いたしました。
学会等にて定説とされている「大楠公に纏わる遺構はほとんど残っていない」の常識は、意識的に楠木一族の事蹟を幻のものとし、封印、風化させんが為の意図もあるのかもしれません。
しかし、私は、末裔として、先祖の真実が消されていくのを黙認はできない、その一念において、今後も微力ながら、顕彰活動を続けていきたいと思っています。
当日大変丁重なる御教授を賜りました葛城宮司様、そして、遠路も含め各地域からお運びくださいましたご参加者の皆様に、心から感謝でございます。- 153
- 42.6
- 42.6
- 10.7
YouTubeで検索
2020-11-13 19:00:00
日本学術会議は国家転覆団体/米国大統領選挙に日本人はどう向き合うべきか?/「建武の中興」の"正論"を考察する【久野潤の本気で時事問題(1113)】【動画の内容】
日本学術会議は国家転覆団体/米国大統領選挙に日本人はどう向き合うべきか?/「建武の中興」の"正論"を考察する【久野潤の本気で時事問題(1113)】
-----------------------------
■久野潤(くのじゅん) 歴史学者/大阪観光大学講師
昭和55年大阪府生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業、京都大学大学院法学研究科国際公共政策専攻修了。専門分野は近現代日本の政治外交とその背景思想で、大阪国際大学・皇學館大學・名城大学の非常勤講師を経て、現在は大阪観光大学国際交流学部専任講師。学術研究以外にこれまで500社以上の神社と350名以上の戦争経験者を直接取材・調査し、著書や雑誌記事を執筆。
令和2年の『日本書紀』編纂1300年にあたっては、『決定版 日本書紀入門』(竹田恒泰との対談、ビジネス社)出版のほか、『夕刊フジ』で「国難を乗り越える日本書紀」を連載。大手メディアが示し合わせて呼称を「さま」などと統一することで、結果的に、「殿下」あるいは「陛下」とお呼びする自由が妙に阻害されている気はします 8888888888888888888888888888888888888888888888 あっはっはっ...
- 100
- 4949.0
- 77.0
- 00.0
YouTubeで検索
2021-11-04 18:11:02
Prince Morinaga/Prince Moriyoshi: AMV/MAD【まんが日本史】護良親王(ヒトリシズカ)- 96
- 00.0
- 00.0
- 00.0
YouTubeで検索
2023-08-16 19:00:00
楠木正成の盟友・結城宗広の治めた白河へ!その壮絶な生涯福島県白河市の関川寺は白河結城家の菩提寺で、結城宗広が開基とされる。
白河結城氏は、下総結城氏の庶流にあたる。
鎌倉時代、結城氏の祖で鎌倉幕府御家人の小山朝光が得た白河荘を、孫にあたる結城裕広に与え、裕広が白河に下向して以来、結城家は白河城を本城としてこの地を治めた。
裕広の子・宗広は、幕府の御家人として、後醍醐天皇の起こした倒幕活動・元弘の変には幕府方で参陣。
朝廷側の楠木正成が籠る千早城攻めにも幕府方として、足利高氏、新田義貞らと共に参陣した。
しかし、千早城が全く落ちる気配が無く、幕府のていたらくを目の当たりにした矢先に、伯耆国の豪族・名和長年の尽力によって、配流先の隠岐島から脱出、名和館の裏手の船上山に行在所を設けた後醍醐天皇が発した幕府倒幕の綸旨を受け、宗広は幕府方から離脱し、朝廷側へ味方する事となる。
同時期に、新田義貞や足利高氏も幕府方から朝廷方へ寝返っており、「千早城未だ陥ちず」の報が鎌倉幕府滅亡の決定打となった。
建武の中興成立後は、楠木正成・名和長年・千種忠顕らと共に建武四天王「三木一草」の1人に数えられ、権勢を誇った(一説に次男の結城親光とも)。
後醍醐天皇から厚い信任を受けて北畠顕家が多賀城に入ると、諸郡奉行に任じられて共に奥州方面の統治を任された。
宗広の長男・親朝は、奥州府の式評定衆として、北畠親房とその子で陸奥守の北畠顕家に尽くした。
征夷大将軍の座を狙う足利尊氏によって後醍醐天皇皇子・大塔宮護良親王が暗殺され、尊氏討伐の綸旨がくだり、朝廷方と足利方との戦いとなる。
箱根・竹ノ下の戦いで新田義貞率いる朝廷軍を破って尊氏が入洛するが、宗広の次男・親光は尊氏を暗殺する目的のもと、偽って足利方に降伏した。
親光へ応対した大友貞載に、「降参人のくせになぜ鎧を脱がない」と詰め寄られ、尊氏暗殺の企てが見破られたと思った親光は、せめて敵将の1人でも討ち取ろうと貞載を斬殺、群がってきた足利兵を手当たり次第に斬り倒したが、足利兵により斬殺された。
親光の死後も宗広は怯む事無く、顕家や正成らと共に軍を率いて足利軍を攻め、京都奪還の大功を挙げた。
九州に逃れた尊氏が再起を果たして東上して来ると、顕家と共にこれと戦ったが、延元3年に顕家が高師直と戦って敗死し、朝廷軍は壊滅。
宗広は命からがら南朝皇居の置かれた吉野へ。
宗広は南朝方再起のために、義良親王(後の後村上天皇)を奉じて伊勢国安濃津(現在の三重県津市・結城神社辺りの港)より北畠親房・伊達行朝・中村経長等と共に海路から奥州へ向かおうとしたが、海上で遭難し、安濃津の港に漂着。
間も無く、老齢での無理が祟ったのか、体調を崩し、その地で病没した。ケバ カワイイ
- 91
- 11.1
- 66.6
- 22.2
YouTubeで検索
2021-11-08 18:36:02
Emperor Go-Daigo: AMV/MAD【まんが日本史】後醍醐天皇(泥中に咲く)https://youtube.com/channel/UCRNrlPq08nf_8MUoeTd_bYw
音楽はゴダイゴじゃないのか
- 81
- 11.2
- 00.0
- 00.0
YouTubeで検索
2023-06-02 20:00:00
建武中興の立役者・万里小路藤房の終焉地・滋賀県湖南市三雲【妙感寺】滋賀県湖南市三雲の南朝ゆかりの地・妙感寺へ参詣。
妙感寺の開山は授翁宗弼(じゅおうそうひつ)。
俗名は藤原藤房。
後醍醐天皇の建武中興に尽力した楠木正成、新田義貞と並ぶ「建武三忠臣」の一人。
万里小路藤房(までのこうじふじふさ)とも称され、楠木正成の最たる盟友の1人である。
この藤房の終焉の地として、彼の墓所があるのがここ妙感寺であり、南朝とは深い縁がある。
楠木正成の妻は藤房の妹・滋子と伝わる。
拙著『建武中興と楠木正成の真実』でも触れているが、楠木家と万里小路家との縁戚関係から、笠置挙兵時の後醍醐天皇の「南木の夢」の折、藤房は義理の弟にあたる正成を後醍醐天皇に推挙したと考えられる。
実際、正成に笠置参陣の勅使として楠木館に遣わされたのも、万里小路藤房であり、全ての辻褄が合致する。
元弘元年(1331)9月28日未明、風嵐に見舞われる中、鎌倉幕府方で組まれた決死隊の急襲を受け、笠置城は陥落。
瞬く間に猛火に包まれ、50ヶ寺と共に本尊の弥勒菩薩もろとも焼失した。
後醍醐天皇と藤房は辛くも笠置城を脱出し、正成の籠る河内の赤阪城を目指したが、程無く道に迷い、有王山(京都府井手町)の山中に迷い込んでしまう。
有王山麓の松の下で「さしてゆく笠置の山を出でしより、あめが下には隠れ家もなし」とお詠みになると、藤房卿は「いかんせん慿む蔭とて立ち寄れば、なお袖濡らす松の下露」と返され、天皇を慰められた逸話は余りにも有名である。
この後、天皇と藤房は幕府方の追っ手に捕らえられ、隠岐島に配流となる。
天皇が配流された後も、楠木正成は赤阪城、千早城で籠城戦を展開した。
楠木軍によって散々に翻弄される幕府の大軍を目の当たりにし、鎌倉幕府の御家人・新田義貞、足利高氏らが幕府に失望し相次いで離叛。
伯耆国の豪族・名和長年が隠岐島から天皇を奪還すると、形勢が宮方有利に転じた。
足利高氏が京都の六波羅探題を、新田義貞が鎌倉を陥落させ、北条一門は自刃、鎌倉幕府は滅亡し、ここに建武の中興が成立した。
建武中興の成立後、藤房は後醍醐天皇の親政のもとで恩賞方を務めた。
武家への恩賞が余りに薄い事を受け、武家の離叛を恐れた藤房は後醍醐天皇に対して諫言したものの聞き入れられず、藤房は政治に絶望。
建武元年(1334)に39歳で突如出奔して出家し、諸国を放浪した。
「授翁宗弼」と号し、公卿時代の知行地であった江州三雲の郷に於いて、後醍醐天皇念持仏の千手観音を奉安する持仏堂を建立したのが妙感寺の開基で、持仏堂が本堂。病を得、療養の為、三雲に移り妙感寺に穏棲。
天授六年(1380年)3月28日、85歳で亡くなった。
本堂の横には、五輪塔が立つ大師の墳墓がある。東京都港区の御穂鹿嶋神社も是非参拝してください 土浦に茨城県指定の藤房卿遺跡があります 藤房は、隠岐の島ではなく常陸国に配流されます ケバ キレイ
- 68
- 1014.7
- 34.4
- 22.9
YouTubeで検索
2021-07-11 14:32:02
「楠公焼」と呼ばれた幻の名陶・桜井焼/桜井の駅趾 ~楠公研究会緊急企画「楠木家とその陣宿・清水家」(令和3年7月9日開催)楠公研究会会員限定・緊急企画として、『近世やきもの桜井焼』展示を島本町立歴史文化資料館に観覧に伺う催しをさせていただきました。
桜井焼とは別称「楠公焼」と呼ばれ、大阪府三島郡島本町桜井で焼成された陶器を呼びます。
地元に庄屋・清水寛蔵が、天明2年(1782年)に開窯して以降、京都の名工たちの指導で一時期興隆しましたが、大正初年に廃窯され、今では幻の焼物となりました。
桜井焼を開窯した清水氏は、延元元年5月、九州から都に向け攻め上ってきた足利勢を迎え討つべく湊川の地に赴く途上の楠公父子が同月22日、陣宿とした清水家の末裔に当たる家筋。
清水家では、楠公父子の陣宿を務めた先祖の事蹟と、先祖から語り継がれた父子訣別の詳細な様子を後世に伝えるべく訣別の様を絵に遺し、楠公父子を讃えるべく桜井焼を開窯しました。
楠公研究会の広報部長を務める倉田美春部長(旧姓・清水)は、楠公陣屋清水家の末裔に当たられ、そのご縁もあり、今回、急遽の催し立ち上げに至りました。
希望者の会員の皆さんに会場にお集まり頂き、同資料館の学芸員さんから桜井焼(別称・楠公焼)の説明をお聴きしつつ、館内を見学しました。
見学後は、資料館前に遺る桜井の駅趾に於いて、楠公父子訣別について私から御説明をさせていただきつつ、駅趾を巡りました。
当日は、倉田部長のみならず、同じく清水家末裔で島本町議会議員・清水さだはる町議もご一緒くださり、清水家の由緒の口伝もお伺いさせていただき、短時間ではありましたが、大変有意義なひと時となりました。
この日は終日に亘り大雨でした。
そして、私より先に、役員3名が駅趾に先着しておりましたが、十数分程、現地に遅参した私が駅趾に到着したと同時に、駅趾周辺で断続的に猛烈に降っていた雨が突如あがり、リハーサル用のLINE解説動画の撮影を始めると同時に、厚い雲間が除かれ、太陽が姿を現して一瞬にして天候が変化し、日差しが差しつけてきた事は、その場に立ち合わせた役員一同、驚愕の出来事となりました。
この、神憑りとも思える不思議な現象の一部始終は、以下の動画冒頭部にハッキリと映っています。
この不思議な事象を皆様にもご覧頂ければ幸甚に存じます。- 67
- 00.0
- 34.5
- 11.5
YouTubeで検索
2024-05-22 12:00:00
『国体の本義』第2国史における国体の顕現1、国史を一貫する精神ー建武の中興」小名木善行&佐波優子AJER2024.5.22(3)【会員制サイト:AJERcast】
http://ajer.jp/
Facebookユーザー名 channel Ajer
Facebookページ名 チャンネルAjer
#国体の本義
#初等科修身
#初等科国史
#初等科国語
日本の政治を学ぶ
『國體の本義』
第2 国史における国体の顕現
1、国史を一貫する精神
鎌倉幕府の創設
小名木 善行
佐波 優子
★國體の本義
佐波優子さん作成番組資料ダウンロード用URL
https://drive.google.com/file/d/1obS3IjKaf_uzR3dSd7LRJ81RF2QaUamx/view?usp=sharing
【会員制サイト:AJERcast】
http://ajer.jp/- 19
- 15.3
- 15.3
- 00.0
YouTubeで検索
2024-05-29 12:46:02
『国体の本義』第2国史における国体の顕現1、国史を一貫する精神ー建武の中興②」小名木善行&佐波優子AJER2024.5.29(3)【会員制サイト:AJERcast】
http://ajer.jp/
Facebookユーザー名 channel Ajer
Facebookページ名 チャンネルAjer
#国体の本義
#初等科修身
#初等科国史
#初等科国語
日本の政治を学ぶ
『國體の本義』
第2 国史における国体の顕現
1、国史を一貫する精神
建武の中興②
小名木 善行
佐波 優子
★國體の本義
佐波優子さん作成番組資料ダウンロード用URL
https://drive.google.com/file/d/1obS3IjKaf_uzR3dSd7LRJ81RF2QaUamx/view?usp=sharing
【会員制サイト:AJERcast】
http://ajer.jp/- 13
- 00.0
- 17.7
- 00.0
YouTubeで検索
2024-06-05 12:31:02
『国体の本義』第2国史における国体の顕現1、国史を一貫する精神ー建武の中興③」小名木善行&佐波優子AJER2024.6.5(3)【会員制サイト:AJERcast】
http://ajer.jp/
Facebookユーザー名 channel Ajer
Facebookページ名 チャンネルAjer
#国体の本義
#初等科修身
#初等科国史
#初等科国語
日本の政治を学ぶ
『國體の本義』
第2 国史における国体の顕現
1、国史を一貫する精神
建武の中興③
小名木 善行
佐波 優子
★國體の本義
佐波優子さん作成番組資料ダウンロード用URL
https://drive.google.com/file/d/1obS3IjKaf_uzR3dSd7LRJ81RF2QaUamx/view?usp=sharing
【会員制サイト:AJERcast】
http://ajer.jp/- 9
- 00.0
- 00.0
- 00.0
YouTubeで検索
1970-01-01 09:00:00
- 0
- 0nan
- 0nan
- 0nan
YouTubeで検索