キーワード徳川義直を含む動画:18件 ページ目を表示
2024年6月23日 07時10分に生成された05時00分のデータです
2022-09-17 20:48:02
#24【信長の野望 新生 上級】真田昌幸が引き籠ったまま、どこにも攻めずに、天下統一を狙う!?【ゆっくり実況プレイ】次:パート25➡sm41133750
前:パート23➡sm41075905
最初:パート1➡sm40811604
※動画制作の進捗は下記twitterにてお知らせするようにしておりまする。
「あれ、続きが遅いぞ」と気になられた方はチラっとそちらを覗いてくだされ。
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開始シナリオ:1582年5月 夢幻の如く
大名:真田昌幸
難易度:上級
歴史イベント:あり(否認しない)
姫武将:なし
〇目的
・真田昌幸が、他国を攻めず引き籠りながら天下を統一できるのかを検証する。
(全国過半数を治め、三職推任エンドか従属エンドを目指す。)
〇ルール
・他国を攻めない。
真田家の持つ城の範囲のみ部隊は移動できる(郡が敵領に取られていても侵入可能)
逆に他家の城の範囲の郡は移動できない(郡が真田領であっても侵入不可)
・徳川家・北条家に従属、同盟はしない。(他外交はあり)
・捕らえた武将は処断しない。
・真田家の同盟勢力と、従属させた勢力の城の範囲は移動可
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ゲームプレイ・動画制作:アシェ
サムネ制作及び動画制作補助:レシル
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◇「アシェの実況プレイ~Part1集~」のマイリスト:mylist/56327957
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◇Twitter(アシェ):https://twitter.com/AcierRoi
◇Twitter(レシル):http://twitter.com/reciru
©コーエーテクモゲームス All rights reserved.田村さーんw これは厳しいな 北は完全に分断できそう 九戸さん西進組に入っていなかったが北の守護神としての働き見事だったからなぁ 九戸さん最初裏切り疑ってゴメンな 中期の功臣たちが次々と 関が原越えたのが大きいんじゃないかな 1ってその城鼠出てもヤバ...
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2015-02-01 14:25:31
【戦国大戦】気まぐれにデッキ変えつつ戦国【第366回:たらい上げ】腕力だけなら誰にも負けないよ!!
徳川家康九男にして名古屋藩初代藩主である徳川義直の側室:乾局(いぬいのつぼね)
農家の娘であったとされる彼女だが、ある日、湯浴み中の老父をたらいごと持ち上げてるところを義直に目撃され、子が勇猛に育つに違いないと彼女を側室として招いたとされる逸話が残っている。
ちなみに、ver3.0でほとんどの武将が三葵単色を煌かせる方向に行ったが、彼女ただ一人は三葵躍進を継承している。
1.5コストの三葵躍進は2枚目。士気3での三葵躍進は初めてであり、かなり特異な1枚となっているが、計略文は極めて単純明快なので裏面の説明書きを読んだ人は初見「フフッ」となるだろう。
長兄の戦国大戦:mylist/33256677まだいくかww 昔はBSS加藤清正とかいう使いやすいのがいなかったっけ こっ↑こう↓ 内藤とかいう完成されたカード ガチムチ乾ちゃん どシンプルwww 戦国感薄いよね もたもた 守る……? 持ちギャグかなにか? おいィ!? うぽつであります それシン...
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2021-05-11 19:00:00
【信長の野望 大志 PK】豊臣の逆襲 3話縛り兵数5000
2話 sm38678771
1話 sm38676820大阪出張で仕事もそこそこに風俗行くという俺と似たもの同士だなw これ中身が一条だとするといろいろ複雑やなあ 大河でやって欲しいな おつつ wwww やっとけそーざん 出るなよ出るなよ 氏長はどうかは分からんが好きな武将はある程度は覚えてる人は多いんじ...
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2018-06-10 21:00:37
【金碧輝煌】尾張国名古屋城本丸御殿 平成30年(2018) 仲夏2018年の6月上旬、愛知県名古屋市にある名古屋城本丸御殿を訪れました。
慶長20年(1615年)に完成し、翌年、名古屋城城主・徳川義直が居住しました。
寛永11年(1634年) の徳川家光の上洛に合わせて、上洛殿が増築されました。
近世城郭御殿の最高傑作と言われ国宝に指定されていた建物でしたが、
1945年5月14日、太平洋戦争の空襲により、天守と共に焼失しました。
2009年、本丸御殿復元工事に着手し、
2013年5月、第1期公開(玄関・表書院)を開始、
2016年6月、第2期公開(対面所・下御膳所)を開始、
2018年6月8日に完成公開となりました。
玄関の「竹林豹虎図」、上洛殿の「雪中梅竹鳥図」等の襖絵や、
絢爛豪華な彫刻欄間や天井板絵等、眩いばかりの装飾で彩られた御殿です。
※しのしの殿・aaaaaa殿、広告ありがとうでござる。
名古屋城其の一、本丸編→sm30284154
名古屋城其の二、御深井丸編→sm30356297
名古屋城其の三、二の丸編→sm30397049
名古屋城其の四、三の丸編→sm30441321
お城→mylist/37297571復元してくれて本当に良かった.... すごくきれい 実際行ったけど、装飾品一つ一つも丁寧に作られてて惚れ惚れした 綺麗 綺麗 すげぇ 綺麗 当たり前だが、真新しいな よくぞここまで復元してくれた これ死ぬほど大きな損失だったろ 150億の建築費のうち...
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2016-12-23 23:27:30
【金鯱】尾張国名古屋城 其の一 本丸・天守編 平成28年(2016) 仲冬2016年の12月中旬、愛知県名古屋市にある名古屋城を訪れました。
16世紀前半に今川氏親が築いた柳の丸が名古屋城の起源とされ、
織田信長の父、織田信秀が今川氏豊から城を奪い那古屋城と改名しました。
信秀の後、織田信長も清洲城に移るまで居城としていました。
江戸時代は御三家筆頭の尾張徳川家の居城として、
天下普請により巨大な城郭が築かれました。
今回は三の丸、西の丸、本丸、天守を散策します。
名古屋城其の二、御深井丸編→sm30356297
お城→mylist/37297571- 237
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2022-08-05 18:00:00
【温古】尾張国名古屋城西北隅櫓編 令和元年(2019) 初冬2019年の11月上旬、愛知県名古屋市にある名古屋城を訪れました。
今回は御深井丸(おふけまる)にある西北隅櫓を堀の外から眺めたり、限定公開されている内部も見学しています。
西北隅櫓(戌亥櫓)は、
元和5年(1619)、尾張徳川家の大工頭・沢田庄左衛門が建てたものと伝わり、
現存する三階櫓の中では、熊本城の宇土櫓に次いで全国に2番目に大きいと言われています。
今回は御深井丸(おふけまる)にある西北隅櫓を堀の外から眺めたり、限定公開されている内部も見学しています。
お城 → mylist/37297571- 227
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2017-01-02 22:16:45
【金鯱】尾張国名古屋城 其の二 御深井丸編 平成28年(2016) 仲冬2016年の12月中旬、愛知県名古屋市にある名古屋城を訪れました。
16世紀前半に今川氏親が築いた柳の丸が名古屋城の起源とされ、
織田信長の父、織田信秀が今川氏豊から城を奪い那古屋城と改名しました。
信秀の後、織田信長も清洲城に移るまで居城としていました。
江戸時代は御三家筆頭の尾張徳川家の居城として、
天下普請により巨大な城郭が築かれました。
今回は天守、本丸、御深井丸、西の丸、二の丸を散策します。
名古屋城其の一、本丸編→sm30284154
名古屋城其の三、二の丸編→sm30397049
お城→mylist/37297571- 132
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2017-01-09 01:03:26
【金鯱】尾張国名古屋城 其の三 二の丸編 平成28年(2016) 仲冬2016年の12月中旬、愛知県名古屋市にある名古屋城を訪れました。
16世紀前半に今川氏親が築いた柳の丸が名古屋城の起源とされ、
織田信長の父、織田信秀が今川氏豊から城を奪い那古屋城と改名しました。
信秀の後、織田信長も清洲城に移るまで居城としていました。
江戸時代は御三家筆頭の尾張徳川家の居城として、
天下普請により巨大な城郭が築かれました。
今回は搦手馬出、本丸東虎口、二の丸、三の丸を散策します。
名古屋城其の一、本丸編→sm30284154
名古屋城其の二、御深井丸編→sm30356297
名古屋城其の四、三の丸編→sm30441321
お城→mylist/37297571- 117
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2017-01-15 22:35:33
【金鯱】尾張国名古屋城 其の四 三の丸編 平成28年(2016) 仲冬2016年の12月中旬、愛知県名古屋市にある名古屋城を訪れました。
16世紀前半に今川氏親が築いた柳の丸が名古屋城の起源とされ、
織田信長の父、織田信秀が今川氏豊から城を奪い那古屋城と改名しました。
信秀の後、織田信長も清洲城に移るまで居城としていました。
江戸時代は御三家筆頭の尾張徳川家の居城として、
天下普請により巨大な城郭が築かれました。
今回は外堀沿いに歩き、三の丸を散策します。
名古屋城其の一、本丸編→sm30284154
名古屋城其の二、御深井丸編→sm30356297
名古屋城其の三、二の丸編→sm30397049
お城→mylist/37297571- 115
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2023-03-11 19:00:00
【2分歴史】『渡辺守綱の一生』【ゆっくりしていない解説】槍の名手から「槍半蔵」と称された徳川義直の附家老。(年齢は数え年)
YouTube→https://www.youtube.com/channel/UC9k6vgtpbB8mKyBcn86ZBEg
Twitter→https://twitter.com/2fun_history
★毎週土曜日 19:00に投稿
▼参考
Wikipedia:渡辺守綱
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E8%BE%BA%E5%AE%88%E7%B6%B1
肖像画出典元:守綱寺 ※Wikipedia内
▼素材
イラストAC様
https://www.ac-illust.com/
CraftMAP様
http://www.craftmap.box-i.net/
きつねゆっくり様
http://www.nicotalk.com/charasozai_kt.html
甘茶の音楽工房様
http://amachamusic.chagasi.com/
渡辺守綱、服部半蔵画像:信長の野望・創造 戦国立志伝
▼作成ソフト
ゆっくりムービーメーカー3
https://manjubox.net/ymm3/徳川十六神の一人 したっけ ぅぽっ
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2019-10-07 15:08:53
紺色縅当世具足|甲冑【刀剣ワールド】■紺色縅当世具足→https://www.touken-world.jp/search-armor/13083/
■甲冑動画→https://www.touken-world.jp/video-armor/
■バーチャル刀剣博物館「刀剣ワールド」→https://www.touken-world.jp/
バーチャル刀剣博物館「刀剣ワールド」は、美術的に価値の高い日本刀(刀剣)や甲冑にまつわる様々なコンテンツを公開。日本刀や甲冑の情報を教科書のように網羅し、読むだけでなく、写真やイラスト・動画で、初心者の方でも一から学べる内容です。ニコニコ動画の「刀剣ワールド」チャンネルでは、日本刀や甲冑に関する動画や、刀剣を展示している博物館・美術館、神社などを紹介した動画を公開しています。
こちらの動画でご紹介しているのは、江戸時代に制作されたとされる「紺色縅当世具足」。徳川家康の九男で尾張藩初代藩主「徳川義直」の信望を受けた、尾張徳川家付家老・加茂郡寺部の渡辺家伝来の鎧です。三星の下に一文字の家紋が配置されていますが、星は、大将軍星・左将軍星・右将軍星の三武と呼ばれ、武家に好まれました。「一」の文字には「相手に打ち勝つ」という意味があり、さらに武威を高める願いが込められているのです。また、随所に金色を散らした文様から、時代の風雅な品格を感じることができます。こちらの動画で、その勇ましく美しい姿をじっくりとご覧下さい。
バーチャル刀剣博物館「刀剣ワールド」の掲載内容は、日本刀・甲冑の基礎知識をはじめ、日本刀の歴史や雑学、日本刀にまつわる歴史人や合戦、名刀を生み出した名工達の紹介など盛りだくさん。日本刀に関する各種アプリゲーム、刀剣川柳、四字熟語といった楽しむコンテンツも充実。ニコニコ動画の「刀剣ワールド」チャンネルと共に、日本刀や甲冑に関する様々な情報を、あらゆる角度からバーチャルの世界でお楽しみ頂けます。- 74
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2023-02-24 14:05:02
【歴史ドラマ】大坂の陣前夜 どうする且元[上] 二条城会見【訂正】21:13 徳川義直 頼宜は徳川家康の息子
慶長5年 関ケ原にて天下を決する戦いが行われた。
勝利したのは徳川家康率いる東軍。
その後、勝利した徳川家の力は大きくなり、その影響力は諸大名に比べ抜き出たものになる。
しかし、秀吉が残した豊臣家はいまだ健在であり、その財力・権威は侮ることができない。両家は互いに牽制し、また、遠慮しあいながら統治が行われた。
このように【関ケ原の戦い】以後、両家の関係は曖昧なものであった。
その間を奔走し、関係を取り持った男がいた。
豊臣家家老の【片桐且元】である。
今回はその片桐且元が主人公の物語。
関ケ原から大阪の陣までの片桐且元の動きを追っていく。
[ご覧になる方へ]
※使用した地図における一部の川・寺社仏閣は現在の位置に準拠しています。
あくまで参考程度にてお楽しみください。
※個人作成の為、誤字・脱字がある場合もありますが、ご了承ください。
※通説に基づき作成しています。一部、脚色を加えた合戦物語となります
※物語の出来事には諸説あります。
※制作の都合上、全ての情報や登場武将を網羅してはおりません
※演出上、大きな音が出る場合があります。
※2023年の資料を基に作成しております。
【参考文献】
曽根勇二 『人物業書 片桐且元』 吉川弘文館
曽根勇二 『大阪の陣と豊臣秀頼』 吉川弘文館
渡邊大門 『大阪落城 戦国終焉の舞台』 角川選書
黒田基樹 『羽柴家崩壊 茶々と片桐且元の懊悩』 平凡社
二木謙一 『大阪の陣』 中央公論新社
相川司 『大阪の陣 豊臣氏を滅ぼしたのは誰か』 河出書房新社
【参考にした小説】
司馬遼太郎 『城塞 上・中・下』 新潮文庫
鈴木輝一郎 『片桐且元』 小学館文庫
※この動画が上記の文献に触れるキッカケになれば幸いです。
[使用音源]
※作曲いただいた皆様、素晴らしい楽曲をありがとうございます。- 60
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2021-07-30 22:00:02
【森山崩れ】尾張国守山城 令和3年(2021) 晩夏2021年の7月下旬、愛知県名古屋市にある守山城址を訪れました。
築城時期は不明ですが、天文4年(1535)には、織田信長の父・織田信秀の弟である織田信光の居城となっていたようです。
松平清康(徳川家康の祖父)が亡くなった「森山崩れ」の舞台に関連する城として有名です。
天正元年(1573)には、お市の方と三人の娘(茶々、初、江)が城主・織田信次に保護され、守山城に1年間程滞在していたと伝わります。
天正2年(1574)信次が長島の合戦で戦死し廃城となったと考えれているようです。
現在、城跡とされる場所には松平清康を弔う為に建立された宝勝寺があり、宝勝寺の北にある城跡荘というアパートの敷地に城跡碑があり、私有地ですが、ありがたいことに見学が可能となっています。
城の南を流れる矢田川の河原沿いには、かって尾張藩の鉄砲稽古場があったそうで、稲富流砲術の開祖である稲富祐直が徳川義直から拝領され稽古場として利用していたそうです。
お城→mylist/37297571情報ありがとうございます<(_ _)> 守山区のハザードマップ見ました。確かに北は真っ青で浸水...
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2021-09-24 21:02:02
【逢瀬】尾張国小折城(生駒屋敷) 平成31年(2019) 晩冬2019年の1月上旬、愛知県江南市にある小折城跡(生駒屋敷跡)を訪れました。
築城年代等は不明ですが、戦国時代に生駒氏の居城でした。
弘治2年(1556年)、小折城主・生駒家宗の娘である生駒吉乃は夫の土田弥平次が戦死した後、織田信長の側室となり、織田信忠や信雄を産んだとされています。
天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いの際には戦いの最前線となり城は大幅に改修されたとされ、
古地図には本丸・二の丸・三の丸・西の丸等の曲輪があります。
江戸時代に入り、生駒利勝は尾張藩主徳川義直に仕え、子孫が家老となり4,000石を領しました。一国一城令により小折城は廃城となりますが、周辺領地と遺構は縮小されるもそのまま生駒氏下屋敷として隠居所の機能を果たしながら存在し、明治を迎えました。
現在、城跡は布袋東保育園等になっていますが、中門が広間家に移築されており、菩提寺である久昌寺には生駒氏や吉乃の墓等がありますが、2021年、久昌寺は老朽化に伴い維持管理が難しくなったため取り壊しが決まり、跡地は市に売却され公園として整備される見込みとのことです。
また、近くにある龍神社には清州城代を務めたとされる埴原加賀守常安の塚の碑があり、屋敷もその近くにあったと伝わります。
お城→mylist/37297571そんなんあるんだ 一気に縮まった こういうマニアックな歴史大好物 朽ちてんなー ! ずいぶんマニアックな城いってんな! おつ~ うぽつ
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2022-07-30 20:01:03
【麝香猫】尾張国名古屋城西南隅櫓編 令和元年(2019) 初冬2019年の11月上旬、愛知県名古屋市にある名古屋城を訪れました。
今回は本丸にある西南隅櫓と本丸御殿で期間限定公開中だった「麝香猫図(じゃこうねこず)」を見学しました。
お城 → mylist/37297571- 21
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2024-03-15 18:00:00
【臥龍】尾張国清洲城 令和6年(2024) 仲春2024年の3月上旬、愛知県清須市にある清洲城を訪れました。
応永12年(1405年)尾張守護の斯波義重によって築城されたとされ、
後に織田氏が居城とし、弘治元年(1555年)には織田信長が居城とし、
永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いでは、信長は清洲城から出陣しました。
天正10年(1582年)の本能寺の変で信長が斃れると、清洲城にて清洲会議が行われ、
城は信長の次男・織田信雄が相続しました。
関ヶ原の合戦後の慶長12年(1607年)には徳川家康の九男・徳川義直が入城しますが、
慶長15年(1610年)より清須城下町は名古屋城下に移転され、廃城となりました。
現在、城址は公園として整備され、五条川の東側に模擬天守が建っています。
動画の後半では、清須市に住んでいた鳥山明先生の追悼の内容となっています。
動画は以下の内容となっています。
清洲城土塁跡 → 日吉神社 → 清洲城 → 鳥山明先生追悼
お城→mylist/37297571- 19
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2022-07-22 20:20:03
【蛍】尾張国名古屋城外堀編 令和元年(2019) 初冬2019年の11月上旬、愛知県名古屋市にある名古屋城を訪れました。
今回は三の丸の外側の外堀沿いに散策しています。
お城 → mylist/37297571- 19
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1970-01-01 09:00:00
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