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2019-03-11 22:15:04
【神道シリーズ】第51回・八百万の神⑧飯縄権現【前編】(戸隠・飯綱<飯縄>・高尾山を結ぶ飯綱権現信仰)「いいづな」は飯綱と飯縄という二つの書き方がありますが、飯綱山で信仰され、西隣りの戸隠山や遥か南の武州高尾山(東京都)にまで祭神として影響を与えた飯綱権現は「飯縄」と書きます(発音はどちらも「いいづな」)。
9世紀に戸隠山を開山して大日如来を本地とする飯縄大明神を戸隠に祀った学問行者(雑密僧)の約300年後の14世紀(鎌倉時代)には、地頭として派遣されてきた伊藤忠縄(千日豊前)が夢告で戸隠の飯縄大明神に飯綱山に登り、同山を開山するように告げられ、それを実践して登頂後、飯綱山に「飯縄大権現(明神ではなくて)」を祀り、それが飯縄権現信仰の始まりとなりました。
千日豊前と呼ばれた忠縄と、息子の盛縄(千日二郎太夫)は、二人合わせて「千日大夫」と呼ばれ、飯綱山開山者として今でも信仰されています。
この千日大夫は、クダ狐(管狐)という竹筒に収納できるサイズのオコジョ(イタチ科の一種の小型の狐に似た動物)を竹筒に入れて携帯し、このタグ狐を操って様々な妖術を駆使する「飯縄の法」(飯縄十二法)を開発し、やがてこの飯縄の法(いづなの法)は、戸隠流(伊藤流)忍法や、さらには伊賀流・甲賀流などの忍法の発祥にも貢献し、日本における「忍者のルーツ」となります。
一方で、戦国時代には飯縄権現は戦勝の神として、武田氏、北条氏、上杉氏、徳川家康たちからも厚い信仰を受けます。
そして江戸時代になると、戦勝の神のイメージは薄れ、飯縄の法のクダ狐にまつわる様々な迷信が産まれ、拡散され、遠くは座敷わらじや今日でも知られてる「こっくりさん」などの誕生に繋がっていきます。- 276
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2020-12-03 15:10:00
【修験道発祥の地】飯道神社・飯道寺・飯道山 ~甲賀忍者のルーツ~滋賀県守山市の三上山・御上神社参拝後に偶然通りかかったのが、ここ飯道神社で、既に夕方でしたが、何故か不思議に気持ちが惹かれ、参拝しました。
湖南市と甲賀市の丁度境界線辺りに聳える霊山「飯道山」に鎮座する寺社で、古来、山岳信仰の一大拠点とされてきました。
間もなく、修験道の道場となり、多くの修験者達の篤い信仰を受けました。
楠公とのゆかりも発見しました。
楠木正成の夫人・滋子の兄である万里小路藤房が晩年に入った妙感寺(滋賀県湖南市三雲)が、実は飯道山麓に位置しており、恐らくは、藤房卿がここ飯道山を崇敬していたからこそ、その地に庵を結んだのではないかと、そう強く感じられました。
御上神社からの帰路、車のナビが突如おかしくなり、ルート変更の末、偶然に通りかかった飯道神社。
楠公と藤房卿のお導きであったのだと確信しています。- 128
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1970-01-01 09:00:00
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