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2024年6月22日 07時10分に生成された05時00分のデータです
2022-03-01 19:49:02
「危ない公民教科書」【手奇塾】 本当の憲法成立過程を教えない公民教科書危ない公民教科書、今回は、本当の憲法成立過程を教えない公民教科書です。今まで一部野党の反対で、憲法を議論する憲法審査会さえ開かれなかったのですが、ようやく立憲民主党も参加して改憲議論が活発化する兆しが表れています。理由は維新の会や国民民主党が憲法改正の議論を始めたのでこのままでは選挙に不利と考えたのではないでしょうか。
日本には、祝日のことを旗日と言って、国旗を玄関先に掲げて祝う習慣がいまでもあります。国民の祝日に関する法律で、5月3日は憲法記念日の祝日になっています。しかし、お正月の3が日や、建国記念の日などに国旗を掲げても、憲法記念日には掲げない人もいます。おめでたい日ではないからです。
自由社の公民教科書58ページの側注には次のような記述があります。独立国の憲法は、その国の政府や議会、国民の自由意思によってつくられる。したがって、外国に占領されている時期には、作るべきではない。また、その理由に、戦時国際法とフランスの憲法第89条の二つを揚げています。つまり、5月3日に国旗を掲げないひとは、日本国憲法が、外国に占領されている時期に作られ、国民の自由意思によってつくられた憲法ではないのでおめでたくないのかもしれません。
私たちの社会は、時代とともに変化しています。この変化に合わせて憲法やその他の法律も変えていかねば、憲法に違反して私学助成金が行われていることや、法の抜け穴など、不都合なことが起きてしまいます。民法が変わって成人年齢が20歳から18歳に引き下げられることが、平成30年5月に決定し、令和4年4月1日から実施されます。法律はこのようにどんどん新しくなっていきますが、憲法は、反対する国会議員がいるためなかなか改めることができず、古いままになっています。
自由社は憲法改正の論点として次のことを揚げています。
1. 戦争放棄に関する第9条、2. 参議院を廃止すべしとする二院制問題、3. 首相を国民が選ぶ首相公選制、4. 憲法に国の元首を明記する、5. 憲法前文に日本の歴史、伝統、文化にふれるべき。自由社の教科書では、政治的な問題のため、現在行われている、以下の憲法改正の論点を省いています。1.北朝鮮のミサイル発射や中国の台湾や南シナ海、尖閣諸島への軍事的圧力などや災害時のために、緊急事態条項を盛り込むべきとする考えや、2.第9条はそのままにして、自衛隊を追記するという意見です。これは自民党が提案している憲法改正の4つの論点です。
このほかにも現在SNSで話題になっている、一部野党の国会議員が行う誹謗中傷問題です。このため憲法51条の国会議員の無制限の免責特権を、ある程度制限すべきではないではないかという意見が広がってるようです。今も三菱を称賛している教科書だからね…w
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2021-08-18 10:27:02
「キャンセルされた歴史を取り戻す」満洲事変と満州国建国 1「なかった南京事件1」 https://nico.ms/sm39091675
草加市一杯会【手奇塾】 - ニコニコ (nicovideo.jp)
4回に分けて満州事変と満州国についてお話しします。
また、深刻な不景気に見舞われた日本では、国内だけでは景気を回復できそうになかったので、満州は日本の生命線だと言って、広大な満州を占領・開拓することで日本を豊かにしようと考えたのですと教えています。
これでは日本は無法者国家ですね。世界恐慌が1929年に始まり、日本は、世界恐慌と、1931(昭和6)年の冷害による大凶作で、東北北海道の農民には、明日食べるものもろくにないという人々がいました。
この時東北6県の知事は、冷害対策を岡田啓介首相や関係大臣に支援を懇請しています。今回の武漢コロナでも各種補助金が支出されたのと同じです。
それでも農家の子供が栄養失調になったり、若い娘さんの身売りが多くありました。昭和初期の満州には、すでに20万人以上の日本人が住んでいました。
その保護と、関東州および日露戦争に勝利し、ロシアから受け継いだ満鉄を警備するため、1万人の陸軍部隊(関東軍)が駐屯していました。関東州とは、遼東半島の南部で満州ではありません。
日露戦争後日本が清から租借した土地です。そもそも満洲にいた満州人が、ジュシェン族、後にマンジュ族と改めましたが、シナに進出し、清帝国をつくりました。
満州とは、清帝国を建国した満州人の故郷の土地です。ですから満州人にとっては、とても神聖な土地で、清の時代は、厳しい移民法令を定めて、漢民族の満州への立ち入りを、小作人以外禁止していました。無断で立ち入ると死刑でした。
さらに満州人と漢人の婚姻を禁止し、最後の皇帝溥儀が退位する数年前までこの禁制は続いていました。
1912(明治45)年、辛亥革命が起こり、満州人の支配を打ち破りました。清朝の最後の皇帝溥儀は、支那共和国と協定を結んでから退位しました。
協定とは、故郷である満州を西洋でいう「王領」、つまり「封禁の地」とし、そうした清国の権利を明記し、確認した退位協定が中国の根本法となったのです。
しかし、中国人は、この協定を守りませんでした。国際仲裁裁判所の決定を紙屑という人たちです。つまり協定を守ると満州人の満州支配を認めることになります。辛亥革命のときの漢人による満州人の虐殺行為は、1週間続いたといわれています。
満州事変後の満州建国を一番喜んだのが満洲に逃れてきた満州人と言われています。自分たちの国ができたのです。
これはイスラエルがやはり自分たちの国ができたことを喜んだのと一緒です。あるいは、アメリカが、フランスの援助で独立したのと同じです。- 68
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2021-11-26 09:32:02
「最門司桜の憂国日記」【手奇塾】日本の移民 多文化共生VS自然な同化厚生労働省によれば、外国人労働者数は、武漢コロナにもかかわらず、2020年末で172万4,328人と過去最高を更新しました。国別にみると、ベトナムが最も多く443,998 人で、外国人労働者全体の25.7%、次いで中国が419,431 人(同 24.3%、この半数近くが低賃金で働く、技能実習生と留学生のようです。
第2次安倍政権は平成24年の発足以来、規制緩和を重ね建設、造船、家事支援、介護など複数の分野で労働力の受け入れ推進をしてきました。これは、移民は専門職や技術職だけを受け入れると言う、これまでの方針を変更して、制限を緩め、企業が必要とする労働者を幅広く受け入れるということです。最長5年間の技能実習を修了した外国人に、さらに特定技能で5年間在留資格を与え、最長10年間の滞在が可能になります。
一足先に移民を積極的に受け入れた、ヨーロッパはどうなったのでしょうか。かつて、ドイツなどヨーロパ諸国は、やはり日本同様に人手不足が原因で、政府は、移民受け入れ政策を積極的に実行しました。そのため東欧、中東、アフリカから多くの人がUE加盟国のドイツ、イギリス、フランス、ベルギー、スエーデンなどに移住しました。
ヨーロッパの国々では多文化共生により、よりよい社会が実現したのでしょうか。残念ながらそうはなりませんでした。今欧米では、安い労働力の移民を受け入れた結果、犯罪が増加したり、様々な問題が起きて、移民を制限したり、反移民を掲げる政党が勢力を伸ばしました。イギリスのEU脱退やトランプ大統領の国境の壁建設もそうです。「多文化共生」とは、異なる考えを持つ人が互いに協力し合い、よりよい社会を築くことといわれますが、これは理想で、川口市の芝園団地の例を見ても、口で言うほど簡単ではありません。移民制限のトランプ大統領から民主党のバイデン大統領に代わって、再びアメリカに今移民が押し寄せています。ヨーロッパも同様です。
わが国では歴史上多くの移民を受け入れてきました。663年の白村江の戦い後、百済から王族や貴族、一般の人々まで多数が、今の滋賀県や関東に移住しました。さらに日本書紀には応神天皇のとき半島経由で弓月のきみが大勢の民を引き連れて日本に移住したと記されています。秦うじの先祖と言われています。日本は古代から移民を受け入れてきたのです。そして彼らは大和民族に同化していきました。わが国の皇室、伝統文化を尊崇する外国人であれば、我々は喜んで彼らを歓迎してもよいのではないでしょうか。しかし、反日の移民は、お断りしなければならないでしょう。移民の条件としてそれを法律に何らかの形で盛り込むべきではないでしょうか。それでは終わります。- 57
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2021-11-08 19:13:02
「キャンセルされた歴史を取り戻す」これでも侵略か?【手奇塾】第10回 大東亜戦争とアジアの独立第二次世界大戦は、1939年9月に、ドイツがポーランドに武力侵略したため、イギリス、フランスが、ドイツに宣戦布告。こうしてヨーロッパでの戦争が始まりました。
日本が英米、オランダ、オーストラリアと戦った、太平洋インド洋での戦いは、それから2年以上もたってからでした。
この間まだ大陸で、日本と蒋介石との戦争は続いていましたが、下火になっていました。しかし、英米の日本に対する圧力は、日増しに強まっていきます。
この時の日本の戦争を太平洋戦争といったり、侵略戦争というのが、今までの学校教育でした。そして自由社以外の教科書には、日本の戦争がアジアの植民地を開放したとは書かれません。
中国への侵略の始まりは、満洲事変からとか、朝鮮半島への日本の侵略の始まりは、朝鮮併合とかいろいろな言い方がされています。しかし、これらは中国やイギリス、アメリカ側の見方、朝鮮側の見方と言えるでしょう。それらは自国にとって都合の良い、日本人に罪悪感を植え付け、ひ弱な日本のままにして、日本から利益をむしり取るための政治宣伝といえそうです。
蒋介石政権が日本に戦争を仕掛けたことは、すでに日中戦争でお話ししました。1898年にアメリカはフィリピンを、それ以前にイギリスは、インド、マレー半島など、オランダはインドネシアを武力で支配し、植民地として、現地住民を奴隷のように安い賃金で働かせていたのです。
日本も江戸時代あるいはその前に、へたをすれば欧米の植民地にされていたかもしれません。
そうならなかったのは運がよかったのではなく、我々のご先祖が強く、賢かったからとしか言いようがありません。日本は、日清・日露戦争、第一次世界大戦をへて、強大な軍事力を身に着け、国際社会に登場してきたわけです。それを英米、ソ連は恐れ、警戒し始めます。しかし、彼らは日本の弱点がエネルギー、つまり、石油であることを知っていました。
いざとなったら、日本への石油輸出を止めれば、軍艦、飛行機は動かず、日本は言うことを聞かざるを得ないと考えていたはずです。いざ戦争になっても、小競り合いていどで、まさか彼らの植民地支配が終わるなどとは、夢にも思っていなかったでしょう。
たとえばこのような例がありました。谷豊という当時3歳の日本人一家も福岡県から、マレー半島南部の州都、トレンガヌに移住してクリーニング店と床屋を営んでいました。満州事変が起こると、それを口実に、トレンガヌ一体にも排日の動きがでてきて、華僑が日本人の商店を襲って、略奪、投石をするようになりました。
昭和7年、1932年11月の事でした。豊青年は、徴兵検査で日本に帰国、幼い妹は風邪で一人とこに臥せていました。悲劇はこの時起きました。
それでは、前編を終わります。後編でまたお会いしましょう。- 43
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2021-09-28 15:20:02
【手奇塾】「キャンセルされた歴史を取り戻す」安全保障 日清・日露と支那事変大東亜戦争今回は「キャンセルされた歴史を取り戻す」わが国の安全保障です。第一次戦の前は、ドイツが世界の敵になりました。第二次戦の前は、日本が世界の敵になりました。第三次戦はソ連との冷戦という見方もあります。それでは第四次戦は、中国が世界の敵になるのでしょうか。今のところはそうなっていくように見えます。それでは日清戦争から大東亜戦争まで、戦争に至る国際情勢を見ていきます。
日本がうかつに動けば、ロシアがスキを狙って北海道に攻め込むかもしれません。列強各国との腹のさぐり合い、日本側の必死の外交交渉の結果は、どちらも譲らず日清両国の戦争でした
ロシアは、この時日本の10倍の国家予算と軍事力を持っていました。ちなみに中国の数字は怪しいのですが、2020年の中国の名目GDPが、1570兆円。日本が538兆円ですから、日本の約3倍。日本はなんとか外交交渉で戦争を避けようと努力しました。元老の伊藤博文も山県有朋も、初めはロシアと協調せざるを得ないとみていました
今度は新たに米国が鉄道利権をめぐる争いに参加してきました。米国と国際連盟は、歩調を合わせて日本批難の宣伝を始めます。そして今度は、ソ連が極東に現れます。
ソ連は、孫文・蒋介石と手を結びました。中国共産党の支部として日本共産党も作られました。1921年、ワシントン会議の間に、いつの間にか外蒙古を独立させて、共和国をつくってしまいました。ソ連は、支那を世界革命の踏み台として利用しようとしていたのです。後で蒋介石が気づいたときは、支那全土でソビエト共和国が密かに作られていました。蒋介石は必至に毛沢東共産軍を攻撃して、壊滅寸前まで追い込みました。
日米間で戦争が起これば、世界恐慌の問題や、第一次世界大戦の戦時国債の問題も解決し、米国が極東貿易を中止すれば、日本は身動きができなくなり、日本の満洲、東南アジアへの進出を食い止めることができる。そうなれば欧州は再びシナ大陸市場で優勢を確保できる。欧州の得られる利益は計り知れない。
しかし、蒋介石との和平交渉は何度も潰されます。アメリカも、日本との貿易を段階的に制限していき、シナ大陸から撤兵し、汪兆銘政府ではなく、蒋介石政府を承認せよとまで言ってきたのです。ハルノートです。わが国は、エネルギーぶそくで工場の操業が止まり、大量の失業者が生まれ、その結果大勢の餓死者が出たでしょう。
もはや国際連盟を脱退しようと、我慢を重ねて連盟に残ろうと、欧米が望む戦争というゴールは変わらなかったでしょう。すでにこのとき欧米諸国は、日米戦争を前提として、外交政策を決めはじめていたのです。それでは現在はどうでしょうか。今各国は国際情勢を見ながら対中政策を決めているようです。中国は今後どうふるまうのでしょうか。- 27
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