キーワード東方昭和伝第二部の年表を含む動画:3件 ページ目を表示
2024年6月21日 07時11分に生成された05時00分のデータです
2010-01-08 23:07:06
東方でわかる昭和史「東方昭和伝」第二部・第六章ブリーフィング第六章では、満州事変直前の事件に言及しながら、
・国民党の革命外交と幣原外交の破綻
・中国の排日侮日運動
・大不況の実態と農村の疲弊
・日本の人口問題
・石原莞爾の世界最終戦争論
について触れています。満州事変直前期の状況が少しでもわかれば幸い。
第六章「事変前夜」sm9330123満洲国は清王朝の継承国で正当性は十分にあった 100 キャーシゲサーン いつメン 満州はいいゾ ←悪いが縄文あたりから歴史って始まるからこのへんって学年末で駆け足気味になるんだよね 満鉄の延長 この見方が一番単純でとっつきやすいしな ←義務教育でっ...
- 10,333
- 1011.0
- 30.0
- 540.5 YouTubeで検索
2010-01-09 00:08:06
東方昭和伝 第六章「事変前夜」(2/2)動画には盛り込めなかったので、戦後高い評価を受けている石橋湛山の小日本主義・満蒙放棄論について。
満州をはじめとする大陸の権益を放棄し、植民地市場をあてにしない貿易立国への転換を図るべきだとする石橋の論は、現代の目から見れば最も合理的で妥当なプランのように見えるし、長期的な目標、方向付けとしては理論的に正しかったことは歴史によって証明されています。
しかし当時においてこのプランが実現可能であったかというと、貿易立国は自由経済体制が担保されて、かつイギリスのように世界の金融と情報を握っている状態で初めて現実的に可能となるものであり、当時の日本にそんな能力はなく、自由貿易体制は世界恐慌で崩壊していました。また、満蒙放棄論にはソ連の軍事的脅威に対する国防戦略的配慮が欠落しており、当時における石橋の論は、やはり非現実的に思われます。だから、「撤退という手段は現実的にありえなかった」と結論づけた次第です。
前→sm9330123 第七章「満州事変(前編)」→sm9400705民政党の人たちは農村部の状態と陸軍の繋がりを理解してなかったのか?それとも理解しつつも緊縮財政をし続けたのか? なんか昭和史は経済問題にどうしようもない根がある気がする それはそう 幣原(やるなら堅実に行き詰まりたい…!) ←めっちゃ長生きよな、マジ...
- 9,625
- 4364.5
- 20.0
- 350.4 YouTubeで検索
1970-01-01 09:00:00
- 0
- 0nan
- 0nan
- 0nan YouTubeで検索