キーワード殷海光を含む動画:5件 ページ目を表示
2024年6月22日 07時10分に生成された05時00分のデータです
2022-09-29 20:48:02
短歌:殷海光忌に(2022年9月16日)独裁に
怯むことなき
自由の士
大河東流
阻めぬ民主- 8
- 00.0
- 00.0
- 00.0 YouTubeで検索
2023-10-16 23:23:02
殷海光先生の故郷(二):湖北黄岡団風県上巴河鎮殷海光先生編著「中国共産党之観察」(1948年出版)の日本語版電子書籍は弊社より2023年7月に出版いたしましたが、翻訳完成を前にした2023年4月、殷海光先生の地元である湖北省黄岡市団風県を訪れてみました。
前日までと同様、朝、長江を挟んで黄岡の対岸にある鄂州市内の中心部からバスに乗って鄂黄長江大橋を渡ると、上空は霧がかかっていましたが、バスを乗り換えて北上し、陳潭秋旧居を通り過ぎる頃には、霧はなくなっていました。今回は終点の上巴河バスターミナルでバスを降りました。上巴河鎮を散策してみると、地元出身の哲学者熊十力先生を記念して名付けられた団風県十力中学がありました。熊十力先生の墓は、これより北東に5km余り離れた場所にあり、それは上巴河大橋が架けられた巴河の上流にあたるようです。なお、殷海光先生は、生まれた回龍山鎮殷家楼から幼くしてこの上巴河鎮に引っ越してきましたが、ネット上の情報によれば、住んでいた場所は上巴河鎮の西街であるようなので、動画には西街の写真を多めに収めてみました。殷海光先生の衣冠塚も上巴河鎮にあるようです。
再びバスに乗って黄岡市中心部に戻り、李四光記念館の前を通って、黄州区図書館に入ってみると、殷海光先生の関連本もちゃんとありました。図書館を出ると、4月上旬の時期なので、道路沿いの樹木には花がたくさん咲いていました。さらに先に進むと、東坡赤壁にやって来ました。ここは蘇軾が「赤壁の賦」を詠んだ場所です。実はここも日本と関係があり、「中日友好之舎」と名付けられた建物もありました。時間の関係で先を急ぎ、長江の堤防の上に登ってみると、堤防から川岸までは1km程度あるようで、また、この辺りは長江がカーブしていて、中洲が発達している場所であり、この高度からだと、対岸の鄂州市内の様子は見えない感じでした。堤防から下りて、近くのバス停で待ってみても、鄂州行きの最終便が来なかったので、遺愛湖国家湿地公園の北東側までバスに乗り、そして、そこから南下して、再び歩いて鄂黄長江大橋を越え、鄂州市内に戻りました。- 3
- 00.0
- 00.0
- 00.0 YouTubeで検索
2023-09-17 16:44:02
短歌:殷海光忌に(2023年9月16日)非常期に
堅い信念
守り抜き
言論以って
天下揺るがす
【短歌:殷海光忌に(2022年9月16日)】
独裁に
怯むことなき
自由の士
大河東流
阻めぬ民主
国共内戦末期に台湾に逃れた後、民主化を進めようとしない中国国民党政権と言論を以って闘い、その後、抑圧され、若くして亡くなることになる殷海光先生が大陸時代に上海で出版した「中国共産党之観察」(独立出版社、1948年)を翻訳し、2023年7月に日本語版電子書籍として出版いたしました。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B0CBT5D24R/ref=dbs_a_def_rwt_bibl_vppi_i0- 2
- 00.0
- 00.0
- 00.0 YouTubeで検索
2023-08-16 09:38:02
江西九江イギリス租界旧址、湖北黄岡黄州駅、鄂黄長江大橋殷海光先生編著「中国共産党之観察」(1948年出版)の日本語版電子書籍は弊社より2023年7月に出版いたしましたが、翻訳完成を前にした2023年4月、殷海光先生の地元である湖北省黄岡市団風県を訪れてみました。
湖北省へ向かう当日朝、まずは九江駅の斜め向かいにある南湖公園東口から出発です。南門湖、甘棠湖の湖畔は工事のために設置されたフェンスが続き、有名な観光スポットである煙水亭まで来て、湖を見渡すことができました。この煙水亭は、三国志で有名な東呉の周瑜が出陣に当たって号令を発した場所であると伝わっているそうです。さらに、長江河畔に向かって歩くと、旧イギリス租界にやって来ました。ここには、嘗ての日本領事館、日本台湾銀行等の建物がありました。九江イギリス租界は、1927年に回収されました。
その後、時間の関係で、九江駅近辺までバスで戻りました。今回は、雨天であること、長江を挟んで黄岡市の対岸に位置する湖北省鄂州市の宿泊施設に予約を入れたこと、それと、列車の運行時間帯や乗車料金等を勘案して、殷海光先生等と共に台湾で雑誌「自由中国」の編集を担当された夏道平先生の地元である湖北省黄石大冶市を経由する長江南岸ルートではなく、黄梅戯で有名な黄岡市黄梅県や日本留学経験があって台湾や香港で活躍された徐復観先生の地元である黄岡市浠水県を経由する長江北岸ルートを選びました。
黄州駅で下車すると、駅周辺にも宿泊施設が少なからずありました。黄州駅から殷海光先生の地元である団風県回龍山鎮殷家楼までは、直線距離で数km程度であるものの、実際には大きく迂回する必要があり、荷物もあるので、とりあえず、駅周辺を少し歩いてみるにとどめました。
黄岡市と鄂州市を跨ぐバスは、黄岡市側と鄂州市側で運行路線名称が異なるようであり、市内バスではないからか、バス停に案内も記載されておらず、また、時間の関係もあってか、バスが来ないため、黄岡市から鄂州市への鄂黄長江大橋を歩いて渡りました。大橋上では、同じ方向へ帰宅する優しい市民の方が声を掛けてくださいましたが、結局、歩いて渡り切り、そのまま、鄂州市中心部まで歩きました。九江駅から鄂州駅に直接到着する夜の便を選んだ方が早く到着できただろうと思いますが、それはそれで経験になりました。
殷海光、Peace Culture (Shanghai) Translation Co., Ltd. 和文(上海)翻訳有限公司「中国共産党の観察(日本語版)」(2023年)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B0CBT5D24R/ref=dbs_a_def_rwt_bibl_vppi_i0- 2
- 00.0
- 00.0
- 00.0 YouTubeで検索
1970-01-01 09:00:00
- 0
- 0nan
- 0nan
- 0nan YouTubeで検索