キーワード浄土教 を含む動画: 83件 ページ目を表示
2025年4月26日 07時02分に生成された05時00分のデータです
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2015-03-05 17:00:33投稿
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時宗読経MOL053.3GP時宗は浄土教系の一宗で、平生を臨終の時と心得て称名念仏する宗派。鎌倉時代、一遍智真によって開かれ、地方を遊行し、賦算を行い、民衆を教化した。総本山は神奈川県藤沢市の清浄光寺。遊行宗。臨命終時宗。
浄土宗と変わらなくね
3位
2008-03-09 14:52:02投稿
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ごめんなさい、いかなる思想、宗教、宗派および団体も貶める意図はありません。
替え歌本家さま:sm2192732
それにつけても後半のgdgdとかノイズとか色々ごめんなさい
マイリス:mylist/21996498空也がしていたか不明なのはおもろい 南無阿弥陀仏のごろがよすぎる 一枚起請文wwww 浄土宗と真言は一つ ここもすき ここすき 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏ううぅぅう! 南無阿弥陀仏ううぅぅう! 南無阿弥陀仏ううぅぅう!南無阿弥陀仏ううぅぅう! 南無阿...
4位
2015-01-17 01:53:22投稿
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ゾロアスター教は光明神アフラマズダを信仰する宗教であり、ユダヤ教等一神教の成立に多大な影響を与えてきたことで知られています。日本とは無縁に思われますが浄土教の阿弥陀仏や密教の護摩や大日如来の源流はゾロアスター教にあるのではないかとも、盆にゾロアスター教の影響があるのではないかとも言われています。また大乗仏教の菩薩思想の起源に、ゾロアスター教のサオシュヤントという概念の影響があるかもしれないそうです。かつてペルシャでアフラマズダと同等の神格であったミスラは仏教の弥勒成立にも、影響を及ぼしたという説があります。さらにミスラを崇めるミトラス教は、キリスト教にも強い影響を与えています。尚、現在この宗教は後継者不足です。【YouTubeから】https://www.youtube.com/watch?v=EoZ1nFfUUpQ
なんまいだ~つってるようなもんか? 観光者向けイベントっぽいな こういうの探してた 興味深い へぇ
5位
2013-10-02 06:15:16投稿
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・ミャンマーでのビザ取得方法(#6:00)
・知識以外で深くなったこと(#8:15)
・「推し僧」の話(#11:20)
・宗教に対する一般の人たちの接し方(#13:10)
・瞑想はどこでできるんですか?(#15:05)
・メンタルヘルスと瞑想(#22:15)
・神饌(しんせん)の話(#26:35)
・浄土教の人たちはゴータマ・ブッダをどう思っているのか?(#27:30)
・浄土真宗と施餓鬼(#28:50)
画像は佐倉杏子です
【前】sm21954235ニー仏は添えるだけ ひいいいい wwwwww ええええええええ うpしてくれて助かる
6位
2018-04-24 00:08:53投稿
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宇佐八幡(八幡大菩薩)シリーズの第三話に進む前に、この本地垂迹説、つまり、日本の神々(元は朝鮮半島・新羅から)は仏の眷属(仲間たち)の化身であるとする思想をよく理解しておく必要があると思い、この一話を挿入することにしました。
八幡大菩薩が釈迦如来(本地)の化身(垂迹)だとされたのは9世紀後半で、本地垂迹説の先駆けだと言われます。
その後、11世紀、12世紀を通じて日本のすべての神社の神々は仏の眷属の化身であるとされるようになり、各神社に設置された神宮寺(神社を支配する寺)が中心となり各地独特の神仏習合文化を形成して行きます。
そして、これは一時期明治政府により否定され、神宮寺は破壊されたものの、この神仏習合思想は今日まで全国各地のお祭りや祭祀にまで生き続けています。
神社本庁を解体して全国神宮寺を復活させることこそが真に日本を取り戻すことだと思います。空海が軟禁されてるタイミングだったんすか!
7位
2015-03-31 09:34:12投稿
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法華経は、その後の大乗仏教に絶大な影響を与え、密教以外の大乗仏教各派(顕教という言い方もする)の形成に結び付きました。日本では、天台法華経(最澄)から行基や源信、空也らの浄土教思想、そして法然の浄土教、親鸞の浄土真宗、あるいは禅宗の臨済宗(栄西)や曹洞宗(道元)、そして専修題目の日蓮宗(日蓮)を含む鎌倉仏教を生みます。では、その法華経には何が書かれていたかのダイジェスト説明を行います。
8位
2015-04-10 15:05:12投稿
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無量寿経と観無量寿経と阿弥陀経の三経典を合わせて「浄土三部経」と呼びますが、これらは、般若経群形成時とほぼ同時期の紀元前1世紀から紀元1世紀の100年間ぐらいに形成されていますが、西方極楽浄土に住む阿弥陀如来という概念を確立しています。阿弥陀如来はその後に書かれた法華経の中にも出てきますが、「南無阿弥陀仏」という念仏を唱える信仰の基礎となっていきます。浄土三部経も法華経も無数の浄土(仏国土)があるとしながらも、具体的にその名称が語られてるのは4つぐらいで、その中で地上の人間が目指すところがこの阿弥陀仏のいる浄土としています。
あじゃせじゃねwww アジャセ?
9位
2015-06-17 09:25:09投稿
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平安末期に天台宗から発生した天台浄土教(空也・源信・良源)の流れを汲み、浄土教では観想念仏を中心に西方極楽浄土へ往生する道を示したのに対して、同じく天台宗出身の法然は、ただ阿弥陀如来の名前を唱えるだけで(西方)極楽浄土へ生まれ変わることができる(称名念仏)を唱え、庶民の中で爆発的にその教えは広まります。
空也と観想念仏はあまり結びつきないんじゃない 仏教界は首相の靖国参拝に反対してます
10位
2015-03-31 15:30:31投稿
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法華経は、その後の大乗仏教に絶大な影響を与え、密教以外の大乗仏教各派(顕教という言い方もする)の形成に結び付きました。日本では、天台法華経(最澄)から行基や源信、空也らの浄土教思想、そして法然の浄土教、親鸞の浄土真宗、あるいは禅宗の臨済宗(栄西)や曹洞宗(道元)、そして専修題目の日蓮宗(日蓮)を含む鎌倉仏教を生みます。では、その法華経には何が書かれていたかのダイジェスト説明を行います。
11位
2015-03-31 10:29:11投稿
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法華経は、その後の大乗仏教に絶大な影響を与え、密教以外の大乗仏教各派(顕教という言い方もする)の形成に結び付きました。日本では、天台法華経(最澄)から行基や源信、空也らの浄土教思想、そして法然の浄土教、親鸞の浄土真宗、あるいは禅宗の臨済宗(栄西)や曹洞宗(道元)、そして専修題目の日蓮宗(日蓮)を含む鎌倉仏教を生みます。では、その法華経には何が書かれていたかのダイジェスト説明を行います。
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2015-03-31 11:19:17投稿
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法華経は、その後の大乗仏教に絶大な影響を与え、密教以外の大乗仏教各派(顕教という言い方もする)の形成に結び付きました。日本では、天台法華経(最澄)から行基や源信、空也らの浄土教思想、そして法然の浄土教、親鸞の浄土真宗、あるいは禅宗の臨済宗(栄西)や曹洞宗(道元)、そして専修題目の日蓮宗(日蓮)を含む鎌倉仏教を生みます。では、その法華経には何が書かれていたかのダイジェスト説明を行います。
釈迦牟尼
13位
2015-04-10 11:58:09投稿
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無量寿経と観無量寿経と阿弥陀経の三経典を合わせて「浄土三部経」と呼びますが、これらは、般若経群形成時とほぼ同時期の紀元前1世紀から紀元1世紀の100年間ぐらいに形成されていますが、西方極楽浄土に住む阿弥陀如来という概念を確立しています。阿弥陀如来はその後に書かれた法華経の中にも出てきますが、「南無阿弥陀仏」という念仏を唱える信仰の基礎となっていきます。浄土三部経も法華経も無数の浄土(仏国土)があるとしながらも、具体的にその名称が語られてるのは4つぐらいで、その中で地上の人間が目指すところがこの阿弥陀仏のいる浄土としています。
14位
2016-07-26 09:54:22投稿
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日蓮が始めた日蓮宗は、法華経の三大思想(一乗真実・久遠実成・菩薩行道)と、法華経の三大秘教(本門本尊・本門題目・本門戒壇)と五綱教判(教・機・時・国・序)から成っています。努力をして悟りを開けば誰でも仏になれる(成仏)というのは大乗仏教各派の共通した考え方ではありましたが、その「努力」の仕方において、日蓮宗は、妙法蓮華経(法華経)というお経のタイトル(題目)を唱えてえお願いする(南無妙法蓮華経)こと以外の努力(密教の荒修行とか浄土教系の念仏<波阿弥陀仏)を唱えるとか、禅宗で座禅を組んだり、禅問答<公案禅>をしたりとか)は一切してはいけない、もししてしまったら天罰が下るとまで言い切って、他宗への宣戦布告をしました。
←それ以外の経典では菩薩と仏の境界が明確ではない為、菩薩を目指す事となる。法華経の特徴の一つ 法華経は菩薩と仏の境界が明確になっているので、一乗に帰結する事が出来る。 声聞と縁覚は個人の成仏を願うので仏になれないとされている。なので法華経の二乗作佛が...
15位
2015-03-31 11:58:14投稿
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法華経は、その後の大乗仏教に絶大な影響を与え、密教以外の大乗仏教各派(顕教という言い方もする)の形成に結び付きました。日本では、天台法華経(最澄)から行基や源信、空也らの浄土教思想、そして法然の浄土教、親鸞の浄土真宗、あるいは禅宗の臨済宗(栄西)や曹洞宗(道元)、そして専修題目の日蓮宗(日蓮)を含む鎌倉仏教を生みます。では、その法華経には何が書かれていたかのダイジェスト説明を行います。
16位
2015-04-10 12:32:22投稿
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無量寿経と観無量寿経と阿弥陀経の三経典を合わせて「浄土三部経」と呼びますが、これらは、般若経群形成時とほぼ同時期の紀元前1世紀から紀元1世紀の100年間ぐらいに形成されていますが、西方極楽浄土に住む阿弥陀如来という概念を確立しています。阿弥陀如来はその後に書かれた法華経の中にも出てきますが、「南無阿弥陀仏」という念仏を唱える信仰の基礎となっていきます。浄土三部経も法華経も無数の浄土(仏国土)があるとしながらも、具体的にその名称が語られてるのは4つぐらいで、その中で地上の人間が目指すところがこの阿弥陀仏のいる浄土としています。
元事務総長か あらゆる意味で、粛々と言って怒るのはバカだけでしょ うぽつ
17位
2015-03-31 14:20:49投稿
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法華経は、その後の大乗仏教に絶大な影響を与え、密教以外の大乗仏教各派(顕教という言い方もする)の形成に結び付きました。日本では、天台法華経(最澄)から行基や源信、空也らの浄土教思想、そして法然の浄土教、親鸞の浄土真宗、あるいは禅宗の臨済宗(栄西)や曹洞宗(道元)、そして専修題目の日蓮宗(日蓮)を含む鎌倉仏教を生みます。では、その法華経には何が書かれていたかのダイジェスト説明を行います。
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2016-07-26 10:31:29投稿
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日蓮が始めた日蓮宗は、法華経の三大思想(一乗真実・久遠実成・菩薩行道)と、法華経の三大秘教(本門本尊・本門題目・本門戒壇)と五綱教判(教・機・時・国・序)から成っています。努力をして悟りを開けば誰でも仏になれる(成仏)というのは大乗仏教各派の共通した考え方ではありましたが、その「努力」の仕方において、日蓮宗は、妙法蓮華経(法華経)というお経のタイトル(題目)を唱えてえお願いする(南無妙法蓮華経)こと以外の努力(密教の荒修行とか浄土教系の念仏<波阿弥陀仏)を唱えるとか、禅宗で座禅を組んだり、禅問答<公案禅>をしたりとか)は一切してはいけない、もししてしまったら天罰が下るとまで言い切って、他宗への宣戦布告をしました。
創価乙 日蓮宗はあくまで法華経(題目)を広めるのが目的であって、征服とか支配する目的は無い。 法華経の後に涅槃経がある。最後ではない 普通戒壇には「国立」をはつけない。理由は東京大学に「国立」とつけないのと一緒。私立の戒壇は日本に存在しない 立正安国...
19位
2015-01-08 05:57:08投稿
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ベトナム仏教は中国仏教の影響が強い大乗仏教が多く、道教色が濃厚であると言われています。元々、中国である時期、混交したとも言われる浄土教と禅の影響が強いそうです。ベトナムには上座部仏教も存在します。【YouTube: https://www.youtube.com/watch?v=kOdqhWcY3BIから】
20位
2015-06-19 09:33:10投稿
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平安末期に天台宗から発生した浄土教思想は、源信の「往生要集」に描かれた西方極楽浄土や六道輪廻や地獄図が公家貴族の間に衝撃的な印象を与え、それはやがて庶民の間にも広がって行きました。ここで描かれた地獄観は、その後、浄土宗や浄土真宗、時宗などの浄土思想に引き継がれていきます。
ドMが堕ちる地獄かな? 仏教界は首相の靖国参拝に反対してます
21位
2015-06-03 15:38:11投稿
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浄土教は2世紀のインドで中観派の龍樹や唯識派の世親らが1世紀に完成した阿弥陀経に基づいて西方極楽浄土での往生を強調するようになりますが、4世紀に浄土思想が中国に伝わると道教思想と習合し、7世紀には曇鸞、道綽、善導らにより末法思想や地獄概念の創出が行われ、10世紀に日本に伝わると、源信によって天台本覚論を発展させた輪廻転生論が加わり、日本独特の浄土思想が形成されます。
仏教界は首相靖国参拝に反対してます
22位
2023-05-13 20:51:02投稿
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谷口雅春の生長の家は、万教帰一を唱えるが、しかし、その実態としては仏教とキリスト教の帰一のことを示しており、北米のニューソート思想によりこの二つは谷口流に融合されることとなる。ニューソートにより、本来キリスト教が持っていた人間の原罪論と贖罪論は否定され、絶対神で創造神であったゼウスの存在さえも否定され、創造神は人や宇宙に予定調和を求めるものではなく、人の中にも神の要素があることに目覚めることが大事だとされた。谷口もそのニューソートの思想を積極的に受け入れたが、ただ、人が自らの中にいる神や仏に目覚める為にはより仏教的な思想を採り入れる事が必要だとした。ニューソートや生長の家では自らの中にいる神に目覚めるためには神想法という瞑想的な方法を用いているが、ニューソートでは誘導付きの瞑想やイメージの視覚化などのテクニックを用いるの対して生長の家ではより仏教的な観想法を積極的に用いている。谷口は仏教思想への造詣が深く、真言密教の阿字観や天台密教の月輪観や浄土教の阿弥陀如来信仰などの思想も積極的に採り入れ、中でも谷口がもっとも重要視したのは法華経で、法華経の中で説かれる久遠仏の思想は、彼がニューソートと仏教を融合する上で特に大きな役割を果たした。万教帰一を唱える生長の家では、法華経やその他の仏教経典やキリスト教の新約聖書などを声を出して音読するのもその神想法に採り入れられている。生長の家では絶対神・創造神を生長の家の大神と呼んでいるが、その実態は、谷口が最初に神の子として覚醒した神戸の元住吉神社の元住吉大神としているが、実は、それが時に大日如来になったり、時に天御中主になったりと神の名称自体には一切こだわっていない。一方、谷口は、人間みな神の子という思想のもと、階級闘争という思想にも強く反対し、富者と貧者は争うべきではなく、おのおのが神の子であることを自覚することにより自然と富む者は貧しき者に与え、仕事のある者は仕事無き者とウォークシェアリングをすればよいと訴えた。谷口がこう訴えていたのは、昭和恐慌直後の昭和5年1930年であった。
23位
2015-06-03 10:17:22投稿
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浄土教は2世紀のインドで中観派の龍樹や唯識派の世親らが1世紀に完成した阿弥陀経に基づいて西方極楽浄土での往生を強調するようになりますが、4世紀に浄土思想が中国に伝わると道教思想と習合し、7世紀には曇鸞、道綽、善導らにより末法思想や地獄概念の創出が行われ、10世紀に日本に伝わると、源信によって天台本覚論を発展させた輪廻転生論が加わり、日本独特の浄土思想が形成されます。
24位
2018-04-23 09:59:15投稿
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天台真盛宗の総本山。阿弥陀如来が本尊です。同じ天台宗の延暦寺や園城寺(三井寺)が密教色が強いのに対して、西教寺は念仏を唱える浄土教の特色が強いのが特徴です。@shakujiikouenn co3600272
いいねぇ
25位
2019-03-05 00:18:02投稿
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今回は立山権現信仰の布橋灌頂会を中心にお話をしていきたいと思います。
布橋灌頂会とは、平安時代より阿弥陀信仰を中心とした浄土教信仰が続いてきた立山で、それまで経血や産血の血穢のために成仏出来ないとされてきた女性たちの救済の為に、立山の大日岳(名前の由来は密教の大日如来)のあたりで起きた
姥尊(うばそん)信仰で、うば尊とよばれる老婆の神様が成仏できずに血の池地獄に落ちた女性たちや穢れを落として成仏したいと願う女性たちの救済の為に、
三途の川に例えられたうば川(現在は水は無く谷底になってる)に架かる布橋の手前(東側)のうば堂で生前に犯した罪の懺悔をし、死装束をまとい、目隠しをして(布橋を流れるうば川の北側は氷の河で南側は火の河であるため、その恐怖におじけづかないようにするため)渡り、対岸(西側)に辿り着いたら閻魔堂にはいり念仏を唱え、阿弥陀様の加護を願えば、閻魔堂の扉が開いて日光が差し込んだ時にはもう阿弥陀如来のいらっしゃる極楽浄土(立山浄土)にいる、という儀式が行われるようになりました(江戸時代以降)。
この布橋灌頂は明治の神仏判然令の時に禁止され、以後廃止状態になってましたが、明治時代より明治政府による立山権現信仰禁止令に反対して運動し続けた地元の戦いもあり、明治半ばより立山権現は復活し、布橋灌頂会も戦後の1996年に復活し、現在でも3年に1度の9月24日に行われています。
現在では仏女ブームもあり、若い女性や外国人女性の参加が非常に多く、若い世代の女性たちによって引き継がれています。26位
2015-07-23 10:15:09投稿
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今回は、浄土宗の死生観およびその葬儀観と葬儀形式について説明します。もともとオリジナルな原始仏教には人間の葬儀という観念はなかったのですが、中国に布教を始めた仏教勢力は、儒教と道教という強固な固定宗教観(死生観)を受け入れる(お墓、位牌、祖霊信仰など)により、独自の中国仏教が成立し、そしてその中国仏教が日本に伝わり、現在の死生観や葬儀観に繋がって行きます。浄土宗では、阿弥陀如来を本尊とし、法然上人を勢至菩薩と重ね、さらに中国浄土教の善導大師を並べて信仰します。
仏教界は首相の靖国参拝反対だよ
27位
2015-07-23 12:02:20投稿
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今回は、浄土宗の死生観およびその葬儀観と葬儀形式について説明します。もともとオリジナルな原始仏教には人間の葬儀という観念はなかったのですが、中国に布教を始めた仏教勢力は、儒教と道教という強固な固定宗教観(死生観)を受け入れる(お墓、位牌、祖霊信仰など)により、独自の中国仏教が成立し、そしてその中国仏教が日本に伝わり、現在の死生観や葬儀観に繋がって行きます。浄土宗では、阿弥陀如来を本尊とし、法然上人を勢至菩薩と重ね、さらに中国浄土教の善導大師を並べて信仰します。
一方的な価値観の押しつけは困るよw 仏教が入ってきて神道は仏教の影響をうけ仏教は神道の...
28位
2024-04-11 03:37:02投稿
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運命は確定している・・・浄土教
運命説・偶然説との混合・・・法華経29位
2015-06-17 11:18:11投稿
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平安末期に天台宗から発生した天台浄土教(空也・源信・良源)の流れを汲み、浄土教では観想念仏を中心に西方極楽浄土へ往生する道を示したのに対して、同じく天台宗出身の法然は、ただ阿弥陀如来の名前を唱えるだけで(西方)極楽浄土へ生まれ変わることができる(称名念仏)を唱え、庶民の中で爆発的にその教えは広まります。
仏教界は首相の靖国参拝に反対してます
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2020-07-23 00:59:07投稿
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※ この講義のレジュメを配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。
院政期を代表する真言密教僧、覚鑁(1095~1144)には既にまとまった研究がいくつも存在するが、それらは等しくある研究課題を克服できないままと考える。日本仏教史であれ真言密教史であれ、従来の研究は常に覚鑁を一つないし複数の思想潮流の「中途」に位置付け、その観点からしか同僧とその思想の意義を分析してこなかった。
具体例をいくつか挙げておくと、覚鑁は空海没後、荒廃の極みにあった高野山と真言教学を「復興」し、後の真言宗隆盛の礎を作ったと先ず主張される。あるいは鎌倉中期の頼瑜(1226~1304)に先んじて、後の新義真言教学の基礎を樹立したともいわれる。さらに平安「旧」仏教から鎌倉「新」仏教への転換期に生き、それらの橋渡し役となる、法然や親鸞にとっての先駆の役割を果たしたと説かれることもある。今日の古義と新義の両真言宗、あるいは鎌倉「新」仏教を目的地とする道程の途中に、覚鑁のための場が設けられてきた。
フランスの哲学者であるルイ・アルチュセール(1918~1990)の言葉を借りれば、覚鑁は常に「目的地」を想定し「前未来形」で書かれる歴史の中で解釈され、その外に出ることは稀であった。このような「目的論的」(teleological)な理解から覚鑁とその言葉を解放し、同僧の思想の全体性・体系性を回復することこそが、本講義の最終的な目標である。
具体的には平安末期の日本仏教界と真言密教の状況を細かく把握した上で、覚鑁の主著ともいわれる『五輪九字明秘密釈』の読解を試みる。『五輪九字明秘密釈』は、非常に複雑な構造を有す文献でありながら、例えばその「密教浄土教」的な主張ばかり強調される等、総体として本書を読む試みはほとんどなされてこなかった。本講義では、まさにこの『五輪九字明秘密釈』を総体として読み、その中に隠された体系を解明すると共に、覚鑁の言葉や思考を規定していただろう深層の「規範」(paradigm)についても分析したい。31位
2020-05-29 02:21:42投稿
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※ この講義のレジュメを配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。
歴史学者の黒田俊雄が、顕密体制(けんみつたいせい)と名づける宗教・政治の複合システムの研究を通じて明らかにしたように、いわゆる中世と呼ばれる、平安時代末期から室町時代にかけての日本仏教界の主流は、浄土教でも禅宗でも日蓮宗でもなく、平安初期の空海・最澄・円仁・円珍等により請来された密教であった。
より正確にいえば、中世期の仏教のもっとも一般的な形態は、先行する奈良の諸仏教思想に複雑な密教の儀礼、さらに即身成仏(そくしんじょうぶつ)や法身説法(ほっしんせっぽう)のような密教教学が結びついたものであった。それこそが、前述の「顕」(顕教=南都仏教)と「密」(密教=真言・天台密教)の複合システム、顕密体制である。黒田も強調するように、顕密のそれぞれの教えを一つに編み上げた中世独特の仏教は、国家の護持から皇族・貴族の個人的な祈願に至る様々な局面で、大きな影響力を発揮した。
このような黒田の問題提起は歴史学を越えて、仏教学や日本宗教学にも大きなインパクトを与え、近年は末木文美士を筆頭に、このテーマにアプローチする研究者も増えた。その成果として、平安末~鎌倉~室町期の政治・科学・哲学と深く結びついた、中世日本に独自の密教思想の存在も徐々に明らかになりつつある。このような中世日本仏教に関する最新の研究動向を紹介することが、本講義の第一の目的である。
さらに、中世日本密教に特徴的な思想・哲学として、五蔵曼荼羅(ごぞうまんだら)や胎内五位(たいないごい)といった教えに集約される、独特の身体論が挙げられる。この身体論に関しても、近年研究者の注目を集めているが、その全貌はいまだ詳らかではない。本講義では、中世密教僧の即身成仏、縁起、瑜伽の哲学的言説に加えて、灌頂や修法といった密教儀礼の解釈学を合わせて検討することで、その構造の解明に取り組む。32位
2017-02-27 00:47:13投稿
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約2年間、特別会を含めば100回近くとなったこのシリーズも今夜の仏教関係者座談会をもって完全に終わりとなりますが、今回は鎌倉仏教系および密教系の現役の僧侶さんたちを迎えて日本仏教全般についてのトークショウーとなります。日本仏教が日本人の気質に与えた絶大な影響から、今日および将来の日本にとって日本仏教はどう関わっていくのかを多方面から中身の濃い話し合いをします。何が飛び出すかは放送の中でのお楽しみです。
33位
2019-02-25 22:35:01投稿
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立山信仰は、神道(国家神道)一切無関係の山岳浄土教信仰ですが、立山信仰の縁起では、奈良時代(701年)に、文武天皇の夢の中で阿弥陀如来が出てきて越中の国司に佐伯有若を任命すれば国家の安泰は保障されると言われ、文武天皇の命で越中に派遣された有若は鷹狩の愛好家で、自分が大切にしていた白鷹がある日飛び出していなくなってしまい、息子の有頼に白鷹を探して取り戻すように命じました。
(佐伯)有頼は道中で刀尾天神を名乗る老人に行先を教えられ、辿り着いた洞窟の中に白鷹を発見しますが、突然熊が襲い掛かって来た為、この熊に矢を射ました。
しかし、その熊の正体が阿弥陀如来と知り、悔悟し、阿弥陀様に言われたように、出家して慈興上人となった上で阿弥陀如来を立山権現として祀りました。
この縁起では立山開山が8世紀になってますが、実際には9世紀後半だと言われてます。
立山信仰の中心の芦峅寺(あしくらじ)、岩峅寺(いわくらじ)にはその後天台宗寺門派の座主・康済が入山し、不動明王も立山権現の本地の一つとなります。
明治期の廃仏毀釈で芦峅寺・岩峅寺は破壊され、立山権現信仰も明治政府によって禁止されて雄山神社とされ、さらに女人成仏祭祀の布橋灌頂法会も禁止されますが、
戦後、立山権現は復活し、1996年より布橋灌頂法会も復活を遂げています。
歴史上ありもしなかった「神道」を捏造した国家神道による弾圧にもかかわらず、平安時代よりずっと続いてきた伝統的精神文化は今力強く復活をしています。34位
2015-06-03 15:13:11投稿
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浄土教は2世紀のインドで中観派の龍樹や唯識派の世親らが1世紀に完成した阿弥陀経に基づいて西方極楽浄土での往生を強調するようになりますが、4世紀に浄土思想が中国に伝わると道教思想と習合し、7世紀には曇鸞、道綽、善導らにより末法思想や地獄概念の創出が行われ、10世紀に日本に伝わると、源信によって天台本覚論を発展させた輪廻転生論が加わり、日本独特の浄土思想が形成されます。
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2024-03-16 07:55:02投稿
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駿河台予備校講座 80年代
世界を外界(視野・視点・聲・触覚・嗅覚)から探れる「世界」
と
世界を内界(精神世界)
に分けましょう。
物理学高等学校講座( ^ω^)・・・36位
2015-06-17 10:22:42投稿
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平安末期に天台宗から発生した天台浄土教(空也・源信・良源)の流れを汲み、浄土教では観想念仏を中心に西方極楽浄土へ往生する道を示したのに対して、同じく天台宗出身の法然は、ただ阿弥陀如来の名前を唱えるだけで(西方)極楽浄土へ生まれ変わることができる(称名念仏)を唱え、庶民の中で爆発的にその教えは広まります。
仏教界は首相の靖国参拝に反対してます
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2015-07-23 11:23:34投稿
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今回は、浄土宗の死生観およびその葬儀観と葬儀形式について説明します。もともとオリジナルな原始仏教には人間の葬儀という観念はなかったのですが、中国に布教を始めた仏教勢力は、儒教と道教という強固な固定宗教観(死生観)を受け入れる(お墓、位牌、祖霊信仰など)により、独自の中国仏教が成立し、そしてその中国仏教が日本に伝わり、現在の死生観や葬儀観に繋がって行きます。浄土宗では、阿弥陀如来を本尊とし、法然上人を勢至菩薩と重ね、さらに中国浄土教の善導大師を並べて信仰します。
天理教の元は神道 神道をもとに布教などするようになった天理教 あと儒教とも違う異質な存...
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2015-06-03 14:52:47投稿
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浄土教は2世紀のインドで中観派の龍樹や唯識派の世親らが1世紀に完成した阿弥陀経に基づいて西方極楽浄土での往生を強調するようになりますが、4世紀に浄土思想が中国に伝わると道教思想と習合し、7世紀には曇鸞、道綽、善導らにより末法思想や地獄概念の創出が行われ、10世紀に日本に伝わると、源信によって天台本覚論を発展させた輪廻転生論が加わり、日本独特の浄土思想が形成されます。
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2015-06-03 14:33:24投稿
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浄土教は2世紀のインドで中観派の龍樹や唯識派の世親らが1世紀に完成した阿弥陀経に基づいて西方極楽浄土での往生を強調するようになりますが、4世紀に浄土思想が中国に伝わると道教思想と習合し、7世紀には曇鸞、道綽、善導らにより末法思想や地獄概念の創出が行われ、10世紀に日本に伝わると、源信によって天台本覚論を発展させた輪廻転生論が加わり、日本独特の浄土思想が形成されます。
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2017-02-27 00:28:05投稿
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約2年間、特別会を含めば100回近くとなったこのシリーズも今夜の仏教関係者座談会をもって完全に終わりとなりますが、今回は鎌倉仏教系および密教系の現役の僧侶さんたちを迎えて日本仏教全般についてのトークショウーとなります。日本仏教が日本人の気質に与えた絶大な影響から、今日および将来の日本にとって日本仏教はどう関わっていくのかを多方面から中身の濃い話し合いをします。何が飛び出すかは放送の中でのお楽しみです。
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2020-06-04 23:51:13投稿
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※ この講義のレジュメを配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。
歴史学者の黒田俊雄が、顕密体制(けんみつたいせい)と名づける宗教・政治の複合システムの研究を通じて明らかにしたように、いわゆる中世と呼ばれる、平安時代末期から室町時代にかけての日本仏教界の主流は、浄土教でも禅宗でも日蓮宗でもなく、平安初期の空海・最澄・円仁・円珍等により請来された密教であった。
より正確にいえば、中世期の仏教のもっとも一般的な形態は、先行する奈良の諸仏教思想に複雑な密教の儀礼、さらに即身成仏(そくしんじょうぶつ)や法身説法(ほっしんせっぽう)のような密教教学が結びついたものであった。それこそが、前述の「顕」(顕教=南都仏教)と「密」(密教=真言・天台密教)の複合システム、顕密体制である。黒田も強調するように、顕密のそれぞれの教えを一つに編み上げた中世独特の仏教は、国家の護持から皇族・貴族の個人的な祈願に至る様々な局面で、大きな影響力を発揮した。
このような黒田の問題提起は歴史学を越えて、仏教学や日本宗教学にも大きなインパクトを与え、近年は末木文美士を筆頭に、このテーマにアプローチする研究者も増えた。その成果として、平安末~鎌倉~室町期の政治・科学・哲学と深く結びついた、中世日本に独自の密教思想の存在も徐々に明らかになりつつある。このような中世日本仏教に関する最新の研究動向を紹介することが、本講義の第一の目的である。
さらに、中世日本密教に特徴的な思想・哲学として、五蔵曼荼羅(ごぞうまんだら)や胎内五位(たいないごい)といった教えに集約される、独特の身体論が挙げられる。この身体論に関しても、近年研究者の注目を集めているが、その全貌はいまだ詳らかではない。本講義では、中世密教僧の即身成仏、縁起、瑜伽の哲学的言説に加えて、灌頂や修法といった密教儀礼の解釈学を合わせて検討することで、その構造の解明に取り組む。42位
2020-08-27 11:10:19投稿
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※ この講義のレジュメを配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。
院政期を代表する真言密教僧、覚鑁(1095~1144)には既にまとまった研究がいくつも存在するが、それらは等しくある研究課題を克服できないままと考える。日本仏教史であれ真言密教史であれ、従来の研究は常に覚鑁を一つないし複数の思想潮流の「中途」に位置付け、その観点からしか同僧とその思想の意義を分析してこなかった。
具体例をいくつか挙げておくと、覚鑁は空海没後、荒廃の極みにあった高野山と真言教学を「復興」し、後の真言宗隆盛の礎を作ったと先ず主張される。あるいは鎌倉中期の頼瑜(1226~1304)に先んじて、後の新義真言教学の基礎を樹立したともいわれる。さらに平安「旧」仏教から鎌倉「新」仏教への転換期に生き、それらの橋渡し役となる、法然や親鸞にとっての先駆の役割を果たしたと説かれることもある。今日の古義と新義の両真言宗、あるいは鎌倉「新」仏教を目的地とする道程の途中に、覚鑁のための場が設けられてきた。
フランスの哲学者であるルイ・アルチュセール(1918~1990)の言葉を借りれば、覚鑁は常に「目的地」を想定し「前未来形」で書かれる歴史の中で解釈され、その外に出ることは稀であった。このような「目的論的」(teleological)な理解から覚鑁とその言葉を解放し、同僧の思想の全体性・体系性を回復することこそが、本講義の最終的な目標である。
具体的には平安末期の日本仏教界と真言密教の状況を細かく把握した上で、覚鑁の主著ともいわれる『五輪九字明秘密釈』の読解を試みる。『五輪九字明秘密釈』は、非常に複雑な構造を有す文献でありながら、例えばその「密教浄土教」的な主張ばかり強調される等、総体として本書を読む試みはほとんどなされてこなかった。本講義では、まさにこの『五輪九字明秘密釈』を総体として読み、その中に隠された体系を解明すると共に、覚鑁の言葉や思考を規定していただろう深層の「規範」(paradigm)についても分析したい。43位
2019-02-20 21:16:01投稿
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2019年2月20日0:20
明治時代に日本美術の保護に努めた、アメリカ人のフェノロサゆかりの寺として知られる大津市の三井寺にある法明院で、フェノロサに関する貴重な文書など、2000点近くもの新たな資料が見つかりました。
大津市は来月、開催される企画展に向けて、おととし11月から三井寺にある法明院の調査を進めていましたが、その中で2000点近くの資料が新たに見つかりました。
このうち、明治初期に日本美術の保護に尽力したアメリカ人のフェノロサが仏教の戒律を授けられた際の文書には、「施與諦信※タイ菩薩金剛寶戒」と記されています。
フェノロサは日本美術を通じて仏教に出会い、「諦信」の名で仏教に帰依したことが知られていて、法明院には今もフェノロサの墓が残されています。
フェノロサが戒律を授けられた際の資料が見つかったのは初めてだということです。
また、「往生要集」を記して浄土教の礎を築いた平安時代の僧、源信が始めた法要の手順を書いた文書は、14世紀ごろに書き写されたもので、源信の法要を伝えるものとしては最も古い可能性があるということです。
大津市歴史博物館の鯨井清隆学芸員は「資料は貴重なものばかりで、精査できていないものも数多くある。今後も調査を続けたい」と話していました。
資料の一部は、来月2日から大津市歴史博物館で公開される予定です。
※タイは「草冠」に「寺」44位
2020-09-26 23:25:02投稿
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※ この講義のレジュメを配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。
院政期を代表する真言密教僧、覚鑁(1095~1144)には既にまとまった研究がいくつも存在するが、それらは等しくある研究課題を克服できないままと考える。日本仏教史であれ真言密教史であれ、従来の研究は常に覚鑁を一つないし複数の思想潮流の「中途」に位置付け、その観点からしか同僧とその思想の意義を分析してこなかった。
具体例をいくつか挙げておくと、覚鑁は空海没後、荒廃の極みにあった高野山と真言教学を「復興」し、後の真言宗隆盛の礎を作ったと先ず主張される。あるいは鎌倉中期の頼瑜(1226~1304)に先んじて、後の新義真言教学の基礎を樹立したともいわれる。さらに平安「旧」仏教から鎌倉「新」仏教への転換期に生き、それらの橋渡し役となる、法然や親鸞にとっての先駆の役割を果たしたと説かれることもある。今日の古義と新義の両真言宗、あるいは鎌倉「新」仏教を目的地とする道程の途中に、覚鑁のための場が設けられてきた。
フランスの哲学者であるルイ・アルチュセール(1918~1990)の言葉を借りれば、覚鑁は常に「目的地」を想定し「前未来形」で書かれる歴史の中で解釈され、その外に出ることは稀であった。このような「目的論的」(teleological)な理解から覚鑁とその言葉を解放し、同僧の思想の全体性・体系性を回復することこそが、本講義の最終的な目標である。
具体的には平安末期の日本仏教界と真言密教の状況を細かく把握した上で、覚鑁の主著ともいわれる『五輪九字明秘密釈』の読解を試みる。『五輪九字明秘密釈』は、非常に複雑な構造を有す文献でありながら、例えばその「密教浄土教」的な主張ばかり強調される等、総体として本書を読む試みはほとんどなされてこなかった。本講義では、まさにこの『五輪九字明秘密釈』を総体として読み、その中に隠された体系を解明すると共に、覚鑁の言葉や思考を規定していただろう深層の「規範」(paradigm)についても分析したい。45位
2016-12-26 09:19:25投稿
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浄土系の流れと浄土経典
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2017-02-27 00:38:15投稿
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約2年間、特別会を含めば100回近くとなったこのシリーズも今夜の仏教関係者座談会をもって完全に終わりとなりますが、今回は鎌倉仏教系および密教系の現役の僧侶さんたちを迎えて日本仏教全般についてのトークショウーとなります。日本仏教が日本人の気質に与えた絶大な影響から、今日および将来の日本にとって日本仏教はどう関わっていくのかを多方面から中身の濃い話し合いをします。何が飛び出すかは放送の中でのお楽しみです。
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2016-12-26 09:08:07投稿
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浄土系の流れと浄土経典
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2020-10-30 18:50:18投稿
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※ この講義のレジュメ( http://ow.ly/m2ZB30rhQqp )を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。
院政期を代表する真言密教僧、覚鑁(1095~1144)には既にまとまった研究がいくつも存在するが、それらは等しくある研究課題を克服できないままと考える。日本仏教史であれ真言密教史であれ、従来の研究は常に覚鑁を一つないし複数の思想潮流の「中途」に位置付け、その観点からしか同僧とその思想の意義を分析してこなかった。
具体例をいくつか挙げておくと、覚鑁は空海没後、荒廃の極みにあった高野山と真言教学を「復興」し、後の真言宗隆盛の礎を作ったと先ず主張される。あるいは鎌倉中期の頼瑜(1226~1304)に先んじて、後の新義真言教学の基礎を樹立したともいわれる。さらに平安「旧」仏教から鎌倉「新」仏教への転換期に生き、それらの橋渡し役となる、法然や親鸞にとっての先駆の役割を果たしたと説かれることもある。今日の古義と新義の両真言宗、あるいは鎌倉「新」仏教を目的地とする道程の途中に、覚鑁のための場が設けられてきた。
フランスの哲学者であるルイ・アルチュセール(1918~1990)の言葉を借りれば、覚鑁は常に「目的地」を想定し「前未来形」で書かれる歴史の中で解釈され、その外に出ることは稀であった。このような「目的論的」(teleological)な理解から覚鑁とその言葉を解放し、同僧の思想の全体性・体系性を回復することこそが、本講義の最終的な目標である。
具体的には平安末期の日本仏教界と真言密教の状況を細かく把握した上で、覚鑁の主著ともいわれる『五輪九字明秘密釈』の読解を試みる。『五輪九字明秘密釈』は、非常に複雑な構造を有す文献でありながら、例えばその「密教浄土教」的な主張ばかり強調される等、総体として本書を読む試みはほとんどなされてこなかった。本講義では、まさにこの『五輪九字明秘密釈』を総体として読み、その中に隠された体系を解明すると共に、覚鑁の言葉や思考を規定していただろう深層の「規範」(paradigm)についても分析したい。49位
2016-12-26 09:33:05投稿
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浄土系の流れと浄土経典
シリーズで投稿してるみたいだけど、マイリスも投稿動画も非公開じゃ正直わざわざ探して最初から見る気しない
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2021-02-25 10:19:28投稿
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※ この講義のレジュメ( http://ow.ly/YoSj30ryhgR )を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。
院政期を代表する真言密教僧、覚鑁(1095~1144)には既にまとまった研究がいくつも存在するが、それらは等しくある研究課題を克服できないままと考える。日本仏教史であれ真言密教史であれ、従来の研究は常に覚鑁を一つないし複数の思想潮流の「中途」に位置付け、その観点からしか同僧とその思想の意義を分析してこなかった。
具体例をいくつか挙げておくと、覚鑁は空海没後、荒廃の極みにあった高野山と真言教学を「復興」し、後の真言宗隆盛の礎を作ったと先ず主張される。あるいは鎌倉中期の頼瑜(1226~1304)に先んじて、後の新義真言教学の基礎を樹立したともいわれる。さらに平安「旧」仏教から鎌倉「新」仏教への転換期に生き、それらの橋渡し役となる、法然や親鸞にとっての先駆の役割を果たしたと説かれることもある。今日の古義と新義の両真言宗、あるいは鎌倉「新」仏教を目的地とする道程の途中に、覚鑁のための場が設けられてきた。
フランスの哲学者であるルイ・アルチュセール(1918~1990)の言葉を借りれば、覚鑁は常に「目的地」を想定し「前未来形」で書かれる歴史の中で解釈され、その外に出ることは稀であった。このような「目的論的」(teleological)な理解から覚鑁とその言葉を解放し、同僧の思想の全体性・体系性を回復することこそが、本講義の最終的な目標である。
具体的には平安末期の日本仏教界と真言密教の状況を細かく把握した上で、覚鑁の主著ともいわれる『五輪九字明秘密釈』の読解を試みる。『五輪九字明秘密釈』は、非常に複雑な構造を有す文献でありながら、例えばその「密教浄土教」的な主張ばかり強調される等、総体として本書を読む試みはほとんどなされてこなかった。本講義では、まさにこの『五輪九字明秘密釈』を総体として読み、その中に隠された体系を解明すると共に、覚鑁の言葉や思考を規定していただろう深層の「規範」(paradigm)についても分析したい。51位
2020-11-28 09:24:55投稿
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※ この講義のレジュメ( http://ow.ly/lmma30rlMk3 )を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。
院政期を代表する真言密教僧、覚鑁(1095~1144)には既にまとまった研究がいくつも存在するが、それらは等しくある研究課題を克服できないままと考える。日本仏教史であれ真言密教史であれ、従来の研究は常に覚鑁を一つないし複数の思想潮流の「中途」に位置付け、その観点からしか同僧とその思想の意義を分析してこなかった。
具体例をいくつか挙げておくと、覚鑁は空海没後、荒廃の極みにあった高野山と真言教学を「復興」し、後の真言宗隆盛の礎を作ったと先ず主張される。あるいは鎌倉中期の頼瑜(1226~1304)に先んじて、後の新義真言教学の基礎を樹立したともいわれる。さらに平安「旧」仏教から鎌倉「新」仏教への転換期に生き、それらの橋渡し役となる、法然や親鸞にとっての先駆の役割を果たしたと説かれることもある。今日の古義と新義の両真言宗、あるいは鎌倉「新」仏教を目的地とする道程の途中に、覚鑁のための場が設けられてきた。
フランスの哲学者であるルイ・アルチュセール(1918~1990)の言葉を借りれば、覚鑁は常に「目的地」を想定し「前未来形」で書かれる歴史の中で解釈され、その外に出ることは稀であった。このような「目的論的」(teleological)な理解から覚鑁とその言葉を解放し、同僧の思想の全体性・体系性を回復することこそが、本講義の最終的な目標である。
具体的には平安末期の日本仏教界と真言密教の状況を細かく把握した上で、覚鑁の主著ともいわれる『五輪九字明秘密釈』の読解を試みる。『五輪九字明秘密釈』は、非常に複雑な構造を有す文献でありながら、例えばその「密教浄土教」的な主張ばかり強調される等、総体として本書を読む試みはほとんどなされてこなかった。本講義では、まさにこの『五輪九字明秘密釈』を総体として読み、その中に隠された体系を解明すると共に、覚鑁の言葉や思考を規定していただろう深層の「規範」(paradigm)についても分析したい。