キーワード浅野和三郎を含む動画:12件 ページ目を表示
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2012-11-07 09:53:45
幸運を呼ぶ七福神出口王仁三郎とは、 近代日本の宗教史上最大の金字塔、大本教の聖師として一世を風靡した巨人である。戦後の新宗教はほとんど大本からの分かれて出来たものか、大本の影響を色濃く受けている。戦前、浅野和三郎らインテリ達がこぞって入信し、一大社会現象をおこすことになる。信者である合気道の開祖植芝盛平に海軍の猛者達がコロンコロン投げ飛ばされ続々と入信していった。又、知識層や 軍人・経営者の入信が相次ぎ王仁三郎に共感する人が800万人にも膨れ上がりあまりの影響力に恐れをなした時の政府に大弾圧を受けることとなる。空海、親鸞、日蓮、王仁三郎何れ劣らぬ宗教界の傑物であるが、面白さとスケールでは王仁三郎が群を抜いている。今後、王仁三郎を超える宗教家は現れないと評されている。
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2012-05-19 08:53:45
地球滅亡説の真相2012【これが真実だ!】出口王仁三郎 近代日本の宗教史上最大の金字塔、大本教の聖師として一世を風靡した巨人である。戦後の新宗教はほとんど大本からの分かれて出来たものか、大本の影響を色濃く受けている。戦前、浅野和三郎らインテリ達がこぞって入信し、一大社会現象をおこすことになる。信者である合気道の開祖植芝盛平に海軍の猛者達がコロンコロン投げ飛ばされ続々と入信していった。又、知識層や 軍人・経営者の入信が相次ぎ王仁三郎に共感する人が800万人にも膨れ上がりあまりの影響力に恐れをなした時の政府に大弾圧を受けることとなる。空海、親鸞、日蓮、王仁三郎何れ劣らぬ宗教界の傑物であるが、面白さとスケールでは王仁三郎が群を抜いている。今後、王仁三郎を超える宗教家は現れないと評されている。
翻訳はよ どこを縦読み? 後付け可能だからな これ宣伝じゃんw 何行ってっかわかんねぇべ こ...
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2014-10-02 19:15:21
浅野 和三郎 著 読みやすい現代語訳 心霊講座読みやすい現代語訳 心霊講座
浅野 和三郎 著 http://amzn.to/1p6wx2a
これは、日本の心霊主義運動の父、浅野和三郎が、
スピリチュアリズムの勃興期に、
世界各地で発生していた様々な心霊現象と
その研究を一冊にまとめた著作である。
長南年惠物語 sm24591322
ハート出版の書籍 http://amzn.to/1oXVldW
ハート出版 http://www.810.co.jp/- 334
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2014-10-01 08:07:47
長南年惠物語─『読みやすい現代語訳 心霊講座』(浅野和三郎 著)収録読みやすい現代語訳 心霊講座
浅野 和三郎 著 http://amzn.to/1p6wx2a
付録三 長南年惠物語
[一]長南年惠物語
はしがき
一 奇跡の発端
二 湯冷ましを飲んで吐血
三 竹にリス
四 鶴岡監獄支署の事実証明
五 年惠さんの大阪入り
六 霊水たちまちビンの中に湧く
七 法廷における霊水湧出
八 大阪毎日新聞の記事
九 その晩年と逸話
[二]長南年惠物語補遺編
(上)原氏の報告
(下)高野氏の報告
心霊講座 sm24600710
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ハート出版 http://www.810.co.jp/- 333
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2022-09-12 09:10:03
【神道シリーズ・シーズン3】第29回・大本教(その④)出口王仁三郎と出口なおの出会い大正7年1918年、大本教の初代教主出口なおが83歳で生涯を閉じるまで、大本ではなおのお筆先という全文ひらがなで書かれたメッセージノートが大本神諭として信仰の中心になっていたが、なおの死後は出口王仁三郎に実権が移り、さらに入信加入してきた神霊イデオローグの浅野和三郎や谷口正治らによって大本神諭は恣意的に解釈されるようなり、そうした背景の下、「大正10年立替え論」つまり大正10年に日本も世界も滅んでしまうという大予言が行われ、これに釣られて膨大な数の信者が日本全国的に増え、大正10年1921年の第一次大本弾圧事件の間接的原因ともなって行った。
かつて出口なおは、日露戦争の時に、この戦争が世界大戦に発展して世界は一度滅びると予想し、それが外れたために大本は一時崩壊状態になったが、今回の「立替え説」を教団では「二度目の世の立替え」と宣言し、今回もまた大きく予言が外れる事により多くの信者たちが大本を去ることとなった。
同時に、それまでなおの神諭の解釈を巡って王仁三郎と対立していた浅野や谷口や友清歓真らも大本を去り、それぞれ、心霊科学研究会、生長の家、神道天行居と言った各自の神道系カルト教団を形成して行った。
大正10年頃の社会状況は、第一次大戦が終わって3年経って急速に欧州への輸出が激減した為に町に失業者が溢れる一方、大戦以降高まった国民の所得急増に伴う米不足により、労働争議と米騒動が全国各地に広がり、次第に深まる世界情勢の暗雲の中、大本が発表した終末論「二度目の立替え」予言は膨大な数の人々の気持ちを引き付け、教団は急激に規模が膨張し、政府や警察は大本の動向に注目し、きっかけを見つけて弾圧する機会を虎視眈々と窺っていた。
大正10年1921年2月12日の未明、検事総長平沼騏一郎の指示をうけた京都府警察部長藤沼庄平は、予審判事・検事らとともに、武装警官200人を動員して大本をおそった。すなわち綾部・亀岡・京都・八木における20数ヵ所が、不敬罪および新聞紙法違反の容疑で家宅捜査され、筆先の全部と神体の一部が押収され、大阪梅田の大正日日新聞社に出務中の出口王仁三郎、および綾部に在宅していた浅野和三郎・吉田祐定の三幹部が検挙され、だだちに京都監獄未決監に収容された。そして三幹部は、不敬罪および新聞紙法違反の罪名で起訴されたのである。
敬神尊皇愛国を標榜する宗教団体の幹部が、こともあろうに、不敬罪という罪名で逮捕されるという皮肉的で前代未聞の大事件であった。- 221
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2023-03-27 00:58:02
神道シリーズ・シーズン3(思想編)第52回・友清歓真と神道天行居友清歓真は、1888年(明治21年)10月9日、山口県佐波郡佐山で父祐蔵、母むめの次男に生れ、若いころから霊的な方面に興味を抱き、密教、神道などを修行し、度々山籠もりをする生活をしていた。1918年(大正7年)、大本に入信した浅野和三郎を訪ねて綾部に寄ったおり大本に入信し、当初は大本神諭で訴える世の立替え説に共鳴していたいが、次第に関心が霊術の方に移り、大本の機関紙「綾部新聞」の主筆となり、やがて大本の機関誌『神霊界』の編集にも携わるようになった。しかし、次第に友清の社会変革思想は過激化し、大本の中でも浮いた存在となって行き、1919年(大正8年)にはとうとう大本を脱会することとなり、その後、友清は静岡県に移住し、王仁三郎の師で本田親徳の直弟子である長沢雄楯から本田親徳の鎮魂帰神法を学び、これをもとに大本批判の書『乾坤一擲』『事実第一』を著した。
1920年(大正9年)には、静岡県で霊学の実践団体「格神会」を結成し、『鎮魂帰神の極意』および『神仙霊典』を自費出版した。
1921年(大正10年)には山口県防府町(現 防府市)に移住、格神会を「天行居」と改称し、同年、神道霊学の名著とされる『霊学筌蹄』(れいがくせんてい)を著した。
そして、1922年(大正11年)から宮地水位からの霊啓が始まり、地元の高知県図書館で水位の書を読み漁り、宮地水位の「異境忘備録」を自らの思想の中心に添えて行った。
1927年(昭和2年)10月には、自称仙人、自称茶人の堀天龍斎から神道の秘事とされる「太古神法」を授かるが、その中身は本田霊学と水位の異境忘備録の焼き直しであった。
同年11月22日には山口県熊毛郡の石城山上の石城神社で神示「山上の天啓」を拝受して、神道天行居を創設した。
友清は、鎮魂帰神法を続けながら自らの陰謀論を膨らませ、第一次大戦以降、ユダヤのフリーメイソンは世界中の国々を率いて日本に攻めてくると予言し、その時の戦争に備えて日本は霊的に防衛されることが重要と訴え、日本および台湾、朝鮮の聖地に神璽を埋めたり沈めたりして例祭神事を行うべきと主張した。その聖地の中でも特に朝鮮半島の白頭山は最大の聖地とし、友清本人が死後にはこの白頭山に自分の魂を祀ってほしいと信者たちに伝えたほどであった。- 181
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2023-11-18 19:00:00
【秋山真之】1905年ロシア最強のバルチック艦隊を「透視」して壊滅に導いた異能の天才参謀【VOICEROID解説】今回の「日本で本当にあった奇妙な話」では、1905年の日本海海戦において、東郷平八郎司令長官の首席参謀として丁字戦法や七段構えの戦法などの斬新な作戦を立案してロシアのバルチック艦隊を壊滅に導いた天才参謀・秋山真之が、ロシアの艦隊の航路を2度も「透視」したという、司馬遼太郎の「坂の上の雲」でも語られなかった衝撃の実話を紹介したいと思います。
参考文献
1.浅野和三郎、大正10年、「冬籠」、第18ー28頁、大日本修齋会
2.浅野和三郎、黒木昭征、令和元年11月15日デジタル版、「読みやすい現代語訳、心霊講座」
3.平塚 柾緒、近現代史編纂会、1997年4月1日、「日露戦争海戦写真史」、新人物往来社
4.野村実、1999年7月1日、「日本海海戦の真実」、講談社
5.半藤一利、「日本のリーダーシップについて」、学士会アーカイブスNo.843(平成15年11月)号
上記参考文献にない画像は、すべてフリー画像・動画素材から作成されたイメージであり、実在の人物・団体・事件とは無関係ですので、その旨ご了承ください
なお、本動画の再現ドラマ部分の特定可能な人物の写真素材は、モデルリリース(肖像権使用同意書)を取得済みのもの、またはAI人物画像を使用しております
また、本動画シリーズの制作にあたり、お借りした素材は以下のとおりです
立ち絵:
紲星あかり(im8106524)
結月ゆかり(im8616496)
BGM・効果音:
MusMus(https://musmus.main.jp/)
甘茶の音楽工房(https://amachamusic.chagasi.com/)
効果音ラボ(https://soundeffect-lab.info/)
On-Jin ~音人~(https://on-jin.com/)
トークソフト:
VOICEROID2(結月ゆかり)
A.I.VOICE(紲星あかり)
VOICEVOX(青山龍星、剣崎雌雄、麒ヶ島麟宗)
画像:
photoAC(https://www.photo-ac.com/)
videoAC(https://video-ac.com/)
pixabay(https://pixabay.com/)おつ! うぽつ! おまえの甥の山本英輔はそれどころじゃないだろ… 理論的に説明できたのか でも神の国だよ
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2023-06-01 22:12:02
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第60回・長澤雄盾・水谷清・岡田茂吉・九鬼盛隆・鬼倉足日公平田篤胤にルーツを持つ平田系神道カルトは、明治以降の展開として、その中核になったのは、平田の死者の黄泉がえりや死者の生まれ変わりなどの体験に基づいた幽界研究にルーツを持つ霊界と現界との交流を目指す本田親徳の確立した本田霊学・鎮魂帰神法にあり、この神憑依法を駆使することにより、古事記に登場する神々を降ろし、実際にインタビューしてみると実は古事記に書かれたことはすべてデタラメで、実は、篤胤が言っていたように宇宙を創ったのも地球や月や太陽を創ったのも日本の神々で、気も遠くなるような太古の時代には地上には日本しかなく、日本の天皇が全世界を君臨しており、世界中の人たちは日本の神道を信仰していたと言う。
しかし、長い長い歴史の中で地上は乱れ、神道は間違って伝わり、それがキリスト教になったり仏教になったり儒教や道教になったりとし、まるで世界は仏教で言うところの末法の世の厭離穢土となってしまったと言う。
こうした超誇大妄想といういうべきオカルト的新興宗教勢力はみずからを古神道と名乗り、この信念の下、言霊学や神代文字や神霊学などを産みだし、このスピリチャリズムは、世界大戦や世界恐慌の中で混乱した当時の日本社会の中で軍人を中心に多くの信者が集まり、太古の日本や世界天皇としての天皇の復活など、ウルトラ国粋主義者たちの間で強い支持者たちを集めた。
長澤雄盾は、本田霊学の直系の継承者として大本の出口王仁三郎らに鎮魂帰神法を伝え、水谷清は、大石凝眞素美の言霊学を伝え、九鬼盛隆は、道教仙術家として長澤から鎮魂帰神法を学び、浅野和三郎は、著名な翻訳家・英文学者でありながら息子の病気をきっかけに神霊療法に興味を持ち、大本に入信するが、後に心霊科学研究所を設立し、日本におけるスピリチャリズムの先駆けとなった。岡田茂吉は大本教を経たのち、自らの神秘体験を通じて世界救世教を設立する。鬼倉足日公は、右翼団体玄洋社のメンバーで朝鮮や中国大陸で様々な諜報活動に励んでいたが、やがて神祇伯の白川伯家神道の復活を目指し、すめら教を創立した。- 134
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2023-04-12 23:58:02
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第54回・谷口雅春と生長の家(その①)生長の家の開祖・谷口雅春は、1893年〈明治26年〉11月22日、兵庫県八部郡烏原村東所(現在の兵庫県神戸市兵庫区烏原町)に、新田義貞の血筋を引くと言われた谷口音吉と妻・つるの間に6子のうちの次男として生まれたが、4歳の時に、同じ谷口家の叔父の家に養子として引き取られ、優秀な成績のもと、大坂の旧制大阪府立市岡中学校を出た後、上京して早稲田大学英文科に進むが、女性のトラブルの為に途中退学し、神戸に帰省後、摂津紡績(現ユニチカ)の木津川工場で働き、そこでも付き合っていた遊女から性病を移され、また女性のトラブルで退職した後、紡績工場勤務時代の資本家に搾取される女工たちを見た体験や、性病で一命を落としそうになった体験から社会変革や神霊治療に興味を持ち始めたことがきっかけで、大正7年、大本教の本山である綾部を訪ね、その教えに心酔した上で翌年綾部に移住し、大本信者として入信した。
谷口雅春が大本にいたのは約3年間だったが、大正10年の第一次大本弾圧事件をはさみ、出口王仁三郎の側近の一人として霊界物語の朗読聞き取り記述を手伝ったり、大本系列の愛善新聞の出版局長を行ったりと、精力的にその宗教活動に協力した。
しかし、大正10年世界立替え説と言う、大正10年に世界が滅亡するという大胆な予言が外れ、その煽りがもとで第一次弾圧を受けることになった大本に失望し、一次弾圧事件の翌年の対象11年に大本で知り合い結婚した妻・輝子とともに大本をさることとなった。
その後、同じく大本を脱会した浅野和三郎の主宰する「心霊科学研究会」に一時期席を置いたが、その後は、神戸の養母の家に夫婦で居候しながら宗教雑誌への投稿と自費出版の執筆の日々にあけくれた。しかし、大量の投稿の内容が多くの読者に支持され、とうとう昭和5年には自主出版で月刊誌「生長の家」を創刊し、読者数も急増する中、5年後の昭和10年には宗教団体「教化団体生長の家」を創立し、それが今日に繋がる宗教法人「生長の家」へと発展していくのであった櫻井? 大本組?
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2023-10-27 21:56:02
【長南年恵】14年間絶食で生きた女性!?明治33年に神戸地裁で超能力実験を行った衝撃の実話【日本で本当にあった奇妙な話】「日本で本当にあった奇妙な話」では、日本で本当にあった奇妙な現象や人物、事件をとりあげます。今回は、14年間何も食べずに生き、1900年12月に神戸地方裁判所にて万病を治す「神水」を取り出す超能力実験を行った女性・長南年恵の衝撃の実話を、当時の朝日新聞や毎日新聞の記事などに基づいて紹介します
参考文献:
1. 「東京朝日新聞」明治33年6月17日、19日および7月8日第5面
2. 「大阪朝日新聞」明治33年7月9日~7月12日および8月7日第9面
3.「大阪毎日新聞」明治33年12月14日第7面
4. 浅野和三郎、「心霊文庫」第三篇 続幽魂問答(付録三 長南年恵物語)、1930年8月15日、心霊科学研究会
5.浅野和三郎、「心霊学より日本神道を観る」、1938年6月10日、心霊科学研究会出版部
6. 不二龍彦、「日本神人伝 (日本を動かした霊的巨人たちの肖像) (エソテリカ・セレクション)」、 2001年5月、学習研究社
7.丹波哲郎、『霊人の証明ー続々丹波哲郎の死者の書』、1983年3月1日、中央アート出版社
8.水木しげる、「神秘家列伝(其ノ弐)」(角川ソフィア文庫)、2004年10月、角川書店
9.神戸弁護士会編「神戸地方裁判所写真集」、1988年10月、神戸弁護士会
10.法務省「法務省史料展示室・メッセージギャラリー」
上記参考文献にない画像・動画は、すべてフリー画像・動画素材から作成されたイメージであり、実在の人物・団体・事件とは無関係ですので、その旨ご了承ください
なお、本動画の再現ドラマ部分の特定可能な人物の写真素材は、モデルリリース(肖像権使用同意書)を取得済みのもの、およびAIにより作成されたAI人物画像を使用しております
立ち絵:
紲星あかり(im8106524)
結月ゆかり(im8616496)
BGM・効果音:
MusMus
甘茶の音楽工房
効果音ラボ
On-Jin ~音人~
ノタの森(http://notanomori.net/)
ポケットサウンド(@UCkcmg8yBpJk5I1fwu0sabJg)
トークソフト:
VOICEROID2(結月ゆかり)
A.I.VOICE(紲星あかり)
VOICEVOX(青山龍星、剣崎雌雄、九州そら)
画像:
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いらすとやNHKのダークサイドミステリーで取り上げてほしい
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2022-10-02 22:04:02
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第31回・大本教・第一次大本弾圧事件前夜大正7年1918年、大本教の初代教主出口なおが83歳で生涯を閉じるまで、大本ではなおのお筆先という全文ひらがなで書かれたメッセージノートが大本神諭として信仰の中心になっていたが、なおの死後は出口王仁三郎に実権が移り、さらに入信加入してきた神霊イデオローグの浅野和三郎や谷口正治らによって大本神諭は恣意的に解釈されるようなり、そうした背景の下、「大正10年立替え論」つまり大正10年に日本も世界も滅んでしまうという大予言が行われ、これに釣られて膨大な数の信者が日本全国的に増え、大正10年1921年の第一次大本弾圧事件の間接的原因ともなって行った。
かつて出口なおは、日露戦争の時に、この戦争が世界大戦に発展して世界は一度滅びると予想し、それが外れたために大本は一時崩壊状態になったが、今回の「立替え説」を教団では「二度目の世の立替え」と宣言し、今回もまた大きく予言が外れる事により多くの信者たちが大本を去ることとなった。
同時に、それまでなおの神諭の解釈を巡って王仁三郎と対立していた浅野や谷口や友清歓真らも大本を去り、それぞれ、心霊科学研究会、生長の家、神道天行居と言った各自の神道系カルト教団を形成して行った。
大正10年頃の社会状況は、第一次大戦が終わって3年経って急速に欧州への輸出が激減した為に町に失業者が溢れる一方、大戦以降高まった国民の所得急増に伴う米不足により、労働争議と米騒動が全国各地に広がり、次第に深まる世界情勢の暗雲の中、大本が発表した終末論「二度目の立替え」予言は膨大な数の人々の気持ちを引き付け、教団は急激に規模が膨張し、政府や警察は大本の動向に注目し、きっかけを見つけて弾圧する機会を虎視眈々と窺っていた。
大正10年1921年2月12日の未明、検事総長平沼騏一郎の指示をうけた京都府警察部長藤沼庄平は、予審判事・検事らとともに、武装警官200人を動員して大本をおそった。すなわち綾部・亀岡・京都・八木における20数ヵ所が、不敬罪および新聞紙法違反の容疑で家宅捜査され、筆先の全部と神体の一部が押収され、大阪梅田の大正日日新聞社に出務中の出口王仁三郎、および綾部に在宅していた浅野和三郎・吉田祐定の三幹部が検挙され、だだちに京都監獄未決監に収容された。そして三幹部は、不敬罪および新聞紙法違反の罪名で起訴されたのである。
敬神尊皇愛国を標榜する宗教団体の幹部が、こともあろうに、不敬罪という罪名で逮捕されるという皮肉的で前代未聞の大事件であった。- 71
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