キーワード玉くしげを含む動画:8件 ページ目を表示
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2008-10-22 22:28:09
本居宣長 直毘霊本居 宣長は江戸時代日本の国学者・文献学者・医師。荷田春満・賀茂真淵・平田篤胤とともに「国学の四大人」の一人。当時、解読不能に陥っていた古事記を解読し、35年かけて著した「古事記伝」,賀茂真淵にただ一度だけ真淵より教えを受けた(「松坂の一夜」)などが有名。「直毘霊」(なおびのみたま)は儒教や仏教で説く道はただ人智による理屈にすぎず,「古事記」などの日本の古典にこそ真の道が備わっているとして,その国学思想を古道として説き,自らこれを用いて講義したといわれ、古学の眼を開く為の精髄を凝縮した書。山鹿素行「中朝事実」→sm6938281 北畠親房「神皇正統記」→sm6922359 本居宣長「玉くしげ」→sm5058142 賀茂真淵「国意考」→sm5000813
御代御代の間に、時折まつろわぬ穢れ多い人もあったけれども、神代からの古い約束通り、神威を表して、たちまち滅ぼしておしまいになったのだ。 幾万代を経ようと、誰が大皇に背き得ようか。 天津日嗣の高御座が天地のように不動であることは、ここで既に決まっていた...
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2009-05-04 02:29:48
山鹿素行 中朝事実山鹿素行は、江戸時代前期の儒学者・兵学の大家。中朝事実は、山鹿素行が寛文9年(1669年)に記した尊王思想の歴史書。全2巻、付録1巻。江戸幕府によって朱子学が奨励され、儒学が偏重され、中国を過大評価し我が國を過小にみる風潮が蔓延していた。これに対し反論したのが素行の「中朝事実」であった。素行の思想はその後、幕末の吉田松陰(山鹿流兵学)に影響を与え、更に松蔭と素行から乃木希典大将は影響を与えており、後世へ大きな影響を及ぼした。吉田松陰「士規七則」→sm7345233 乃木希典「士規七則講話」→sm7372847 北畠親房「神皇正統記」→sm6922359 本居宣長「直毘霊」→sm5015829 本居宣長「玉くしげ」→sm5058142 賀茂真淵「国意考」→sm5000813 山鹿素行「武教小学」→sm7401755
天皇(日本のリーダー)は魂で選ばれる者。。霊力がアルので判りやすい世。。。卍3286卍ss 昔...
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2008-10-26 19:50:27
本居宣長 玉くしげ「玉くしげ」は国学者、本居宣長(1730-1801)が研究し明らかにした「古道」精神を政治に反映させようとしたもので、書名は、本書に添えた「身におはぬしづがしわざを玉くしげあけてだに見よ中の心を」という歌に由来する。『玉くしげ』は理念篇であり、直毘霊→sm5015829と共通する部分が多い。『秘本玉くしげ』は実際の政策について述べられており、現在の日本に通じることの多い興味深い書です。賀茂真淵→sm5000813にただ一夜だけの指南を受けた「松阪の夜」が知られている。山鹿素行「中朝事実」→sm6938281 北畠親房「神皇正統記」→sm6922359 本居宣長「直毘霊」→sm5015829 賀茂真淵「国意考」→sm5000813
保守諸君のバイブルに・・・ 風俗が悪いってwww 戦前の小学生なら誰でも知ってる話 一度し...
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2009-06-16 04:06:35
無逸の心死を哭す 吉田松陰「無逸の心死を哭す」は安政六年二月に吉田栄太郎(後の吉田稔麿)に宛てて吉田松陰が送った手紙です。松蔭は栄太郎に”無逸”の字を与え、その人物を高く評価し、将来を嘱望していましたが、栄太郎は心中深く期するところがあり、松下村塾を離れます。これを嘆き、勤皇の心が死んだのか、と問いかけ嘆いたのがこの手紙の内容です。その後、吉田稔麿は池田屋事件で斃れるまで、勤皇の志士として活躍することになります。吉田松陰「士規七則」→sm7345233 山鹿素行「武教小学」→sm7401755 山鹿素行「中朝事実」→sm6938281 乃木希典「士規七則講話」→sm7372847 北畠親房「神皇正統記」→sm6922359 本居宣長「直毘霊」→sm5015829 本居宣長「玉くしげ」→sm5058142 賀茂真淵「国意考」→sm5000813 明治天皇「教育勅語」→sm5037463
時代のせいではない BGM? その松陰先生にしたって三十歳、惜しい死だよね この時代から考え...
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2008-10-21 03:03:46
賀茂真淵 国意考賀茂真淵は荷田春満(かだのあずままろ)を師とし、万葉集などの古典研究を通じて古代日本人の精神を研究した。荷田春満・本居宣長・平田篤胤とともに「国学の四大人(しうし)」の一人とされる。主な著書に『国意考』を含む『五意考』などがある。国意考は儒教の説く聖人の道を一種局小なる人為的智巧の道であるとし、之に対して我が古神道は天地の自ずからなる大道であることを主張しているものである。山鹿素行「中朝事実」→sm6938281 北畠親房「神皇正統記」→sm6922359 本居宣長「直毘霊」→sm5015829 本居宣長「玉くしげ」→sm5058142
母系なのか www w 天皇の下の平等ですな。 和歌は良いですね 訴訟社会のアメリカみたい...
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2009-06-21 00:37:27
武教小学 山鹿素行武教小学は山鹿素行の講義などを基に門人達が簡潔にまとめたもので、「武教全書」の巻頭にあり、素行はこれを用いて講義も行っていたので、自著と同等に扱われています。忠臣蔵で有名な江戸時代の大石内蔵助、幕末の吉田松陰、明治時代の乃木希典大将へと大きな影響を及ぼした兵学者・儒学者が示した江戸時代の泰平の世の武士の日常生活規範がここにあります。山鹿素行「中朝事実」→sm6938281 吉田松陰「士規七則」→sm7345233 乃木希典「士規七則講話」→sm7372847 北畠親房「神皇正統記」→sm6922359 本居宣長「直毘霊」→sm5015829 本居宣長「玉くしげ」→sm5058142 賀茂真淵「国意考」→sm5000813
目から鱗です べんきょうさせてもらいます! 江戸時代はスゴイな ありがとうございました ...
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2021-04-26 23:13:02
【神道シリーズ・シーズン2】第29回・本居宣長【後編】「直毘霊」「古事記伝」と妄想的皇国至上主義へ (2)医者になるために京都に遊学し、堀景山から医学のみならず契沖や荻生徂徠などの国学を学んだ宣長は、松坂の一夜で出会った賀茂真淵の指導の下、万葉集の読解に精を出したが、興味の方向は、真淵の嫌う中世風の源氏物語や新古今集で、次第に粗削りで素朴な古代日本人を好む真淵の教えから離れて、優雅で儒仏の影響を受けた中世文学を溺愛するようになった。
しかし、その一方では宣長がライフワークとした古事記の解釈研究にも取り組み、次第に宣長の思想は、皇国日本を中心とする強烈な国粋主義に走って行き、万葉仮名や日本語文法の研究、そして独自の字音仮名の開発とともに独善的とも言える唯我独尊的な古事記解釈を進めて行った。
源氏物語を溺愛した宣長は、一方では男女の色恋事の不条理や不貞行為を肯定的に受け止める「もののあわれ」の感情を日本人の気質とし、またその一方では、
太陽の神アマテラスを皇祖皇宗として戴く皇国日本は、その末裔たる天皇が国を治め、今日まで持続してることこそ日本が世界を君臨すべき地位になると豪語するような、ある意味偏狭とも言えるウルトラナショナリズム的な主張をする、という両極端な思想に走って行くのであった。
儒仏や道家を嫌う宣長は、外来の思想が入ってくる以前の皇国日本には「皇国の正音」というオリジナルな日本語があり、古事記に書かれたような日本の神々の信仰があったのだという主張の下、古事記をバイブル視するようになるが、残念ながらその主張の根拠となるものはなく、そこを同じ国学者の上田秋成から突かれた宣長は「あるからあるんだ」的な強弁になり、宣長は自ら作った復古神道にますますのめりこんで行った。
古事記を一般人が読める書にした宣長の功績は大きいものの、誇大妄想とも言える皇国日本中心主義は、皮肉なことに幕末の水戸藩天狗党の悲劇や昭和の日中戦争、太平洋戦争推進のスローガンともなり、戦後も日本保守運動の骨格部分となったのであった。女童心と漢意 『宣長の源氏学』おすすめです。失礼しましたm(_ _)m
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1970-01-01 09:00:00
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