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2024年6月21日 07時11分に生成された05時00分のデータです
2010-05-05 22:39:03
小林よしのり皇統問題の核心を語る2ゴー宣ネット道場より NO.3 sm10622083小林よしのりが『男系論者が逃げる3つの論点』を中心に皇統問題の核心を語る。皇学館大学教授、新田均氏の『9つ難癖』に答えてやる!はびこる嘘を糺す!
代理母 どうも主張が煮え切らない感 ふむふむ 信仰は山をも動かす 今までは男系だけでやっ...
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2010-05-06 00:51:34
小林よしのり皇統問題の核心を語るラストゴー宣ネット道場より小林よしのりが『男系論者が逃げる3つの論点』を中心に皇統問題の核心を語る。皇学館大学教授、新田均氏の『9つ難癖』に答えてやる!はびこる嘘を糺す!
皇位継承順位に強く影響することを瑣末な問題とな!? 駄目だ、こいつら、、、。 この人伝...
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2010-05-05 23:48:05
小林よしのり皇統問題の核心を語る4ゴー宣ネット道場より No.5 sm10624708小林よしのりが『男系論者が逃げる3つの論点』を中心に皇統問題の核心を語る。皇学館大学教授、新田均氏の『9つ難癖』に答えてやる!はびこる嘘を糺す!
旧皇族バッシングもすべきではないだろ 雅男『あて串の事かしら?』 これは当然 マスター...
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2010-05-05 21:37:35
小林よしのり皇統問題の核心を語る3ゴー宣ネット道場よりNO.4 sm10623857 小林よしのりが『男系論者が逃げる3つの論点』を中心に皇統問題の核心を語る。皇学館大学教授、新田均氏の『9つ難癖』に答えてやる!はびこる嘘を糺す!
そうしよう おお ぜったいにと絶対主義がかぶってもうわかんない 秋篠宮の子供を愛子の養...
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2010-05-06 00:25:39
小林よしのり皇統問題の核心を語る5ゴー宣ネット道場より 次はラストsm10625104小林よしのりが『男系論者が逃げる3つの論点』を中心に皇統問題の核心を語る。皇学館大学教授、新田均氏の『9つ難癖』に答えてやる!はびこる嘘を糺す!
重複動画でした この動画いらないやつか
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2022-06-05 08:45:02
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第17回・川面凡児の禊行(伊勢神宮・全国神社の祭祀創設)豊前国(現・大分県宇佐郡両川村小坂)に、酒造業と呉服業を営む家の次男として生まれた川面凡児は、教育の為に預けられた宇佐神宮の神職で父の義弟の溝口千秋のもとで多くの勤王の志士たちとの出会いがあり、その中の常遠翁に漢籍を学び、13歳にして地元の馬城嶺に登り、自称697歳の童仙・蓮池貞澄から仙道を学び、
その後3年間馬城嶺で修験道の修行を経た川面は、15歳にして入津(豊後高田市)の私塾「涵養(かんよう)舎」で仏教、法律、経済を学んだあと、21歳で熊本県隈庄町に私塾「稚竜同盟谷」を開き、子供たちの教育に携わった。その後、24歳にして政治の世界を目指し上京するが、途中で宗教研究に転向し、小石川の浄土宗寺院・伝通院に住み込みながら、様々な宗教家たちと交流を続けたが、生活苦の中、浄土宗の本山・増上寺から後援で宗教雑誌への投稿や女学校の教師などをして糊口を凌いだ。
その後、自由党機関紙や長野新聞、そして和歌山の自由党機関紙など主筆となり、45歳の時に下谷区三崎町に「全神教趣大日本世界教」を旗揚げし、稜威(みいつ)会を創立した。そして、川面凡児が48歳になった1908年(明治42年)から片瀬などで修禊を開始し、その6年後には男爵の高木兼寛を会長に、古典を通じて日本の神々を学ぶ古典考究会を設立、『古典講義録』を刊行し、同会には秋山真之、八代六郎、平沼騏一郎、杉浦重剛、頭山満、筧克彦など、トップクラスの軍人や政治家らが加わった。
1917年(大正6年)川面が56歳になった頃から滝行など禊の行を会員とともに各地で始め、後の皇学館大学開設者の今泉定助が支持したことにより各地の有力な神職の賛同を得、海浜や滝水での禊行事が全国的に流行した。
現在の伊勢神宮や全国神社の滝打ち禊行は川面凡児が創設したものだが、川面は禊行のみならず、その宗教思想面も含めて日本の神道を明治期から大正期にかけて創設した人物とも言える。
逆に言えば、日本の神道とはこの時期に確立したとも言えるのである。- 247
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2021-07-29 02:11:02
神主になる方法・神社庁での研修が来週に迫り焦る! ~皇學館大学・國學院大学etc…~#神道 #女性神主 #通信教育
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2023-07-13 08:44:02
【神道シリーズ・シーズン3】(戦後編)最終回・神社本庁と神社神道の崩壊戦後の昭和21年1946年、戦前の神祇院が廃された後、民間の神職団体であった大日本神祇会と、明治時代に出雲と伊勢で祭神論争が行われた神道事務局の後継団体の皇典講究所と、祭神論争の後、神道事務局を出て独立した神宮奉斎会の三つの民間の組織が戦前の神祇院と国家神道体制の復活を目指し、神社本庁を設立した。戦前までは国家によって運営されてきた全国神社がいきなり自活せねばならなくなるという将来への不安から、稲荷系神社を除く全国約8万社と言われる神社のほとんどがこの神社本庁に加盟した。
神社本庁は、後継者のいない神社に他の神社の宮司を兼任させ神社の第三者による乗っ取りを防いだり、神職者たちの教育研究などの機会を与える一方で、包括的宗教法人法の枠組みの中で傘下神社に多額の上納金を要求したり、宮司や役職の人事に介入したり、また、神社の財産処分などの経営にも干渉する性質を持っていた。
神社本庁の組織は、総裁をトップに、統理、総代、役人理事会から成り、総裁や統理には旧皇族者や元華族の血統のある者たちを充てたが、これはあくまで形式的な名誉職で、実験は役員会と総代が握っていた。
明治以前の神社は代々続く社家と言われる宮司家が継承していくのが普通だったが、明治以降は社家による宮司継承が禁止された為に素人上りの神職たちが神社局や神祇院によって派遣される形で神社運営がされていた。しかし、戦後になると長い伝統を持つ神社は鮭が宮司職を取り戻し、氏子たちもそれを強力に支持するという形を取り戻してきた。
しかし、国家神道形式の復活に拘る神社本庁は、反逆する宮司や女性神職による宮司継承をとことん嫌い、特に前宮司が死去して娘が宮司職を継承しようとした神社には悉く干渉し、大手神社の宇佐八幡宮や香川県の冠纓神社などを神社派遣の新宮司によって乗っ取っている。神社本庁の役員会理事や総代は、代々社家の宮司職を継承してきたような神社出身者ではなく、むしろ保守的思想が動機で神職を目指したような者が多く、一般人の家庭生まれで国学院や皇学館を卒業して神職資格を取り、本庁派遣で各地の神社の宮司を体験したのちに本庁で登り詰めて役員や総代になった者たちによって構成されているので、代々宮司の社家を守りたいとする由緒ある大手神社とそれを支える地元の氏子たちとの思惑や利害関係は大きく対立するものがあった。
こうした本庁の態度を見ても、口だけの尊王で、実際には国家神道と戦前の儒教的秩序の復活が目的で、靖国神社と同様、皇室への軽視が手に取るように見られる。
私たち日本人は日本人の真の伝統文化を取り戻すためにもこの神社本庁の解体が一日も早く実現されることを望むばかりである。お疲れ様です
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1970-01-01 09:00:00
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