キーワード石橋山の戦いを含む動画:5件 ページ目を表示
2024年6月1日 06時23分に生成された05時00分のデータです
2023-07-26 17:00:00
【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第139回:奉武の指揮】三浦の加護を!君たちにも授けよう!!
相模国三浦郡、現在の三浦半島を拠点とした豪族武士:三浦氏。
平安時代末期に源氏に仕えるが、源流は平氏であったとされる。
その三浦氏第五代当主:三浦義澄。第四代当主、三浦義明の次男である。
平治の乱にも源義平軍に属して参戦していたが、河内源氏当主:義朝が敗れ討たれると関東まで落ち延びた。
その後、兄が戦傷が元で死去した為に次男である義澄が家督を継いだ。
平治の乱から20年後「以仁王(もちひとおう)」が平家打倒の号令を発布。
三浦義済は早速、挙兵した頼朝軍に合流しようとしたが暴風雨により合流が遅れ
源平合戦緒戦「石橋山の戦い」に間に合わず、源氏はこれに大敗を喫してしまう。
その後、再起を図った頼朝にすぐに合流して平家打倒を周辺豪族に呼びかけた。
以降の一ノ谷の戦い、壇ノ浦の戦いにも参戦して武功を上げ、頼朝の家臣として確固たる地位を築いた。
鎌倉幕府完成後は鎌倉殿の13人メンバーの一人に数えられ、梶原景時の鎌倉追放に加担。
その後まもなく病死したが、当時としては非常に長寿な74歳の生涯であった。
(だが、鎌倉幕府の政権争いで残念ながら三浦氏はその後、滅亡してしまう・・)
英傑大戦内では「三浦」に非常に強い誉れを感じているふしがあるが、これは三浦半島に
源氏ゆかりの寺社(大椿寺、本瑞寺、見桃寺、海南神社、三浦三十三観音等)が多数存在している為
三浦にはそれら仏や神々の加護があることに由来していると思われる。
長兄の英傑大戦:mylist/73130055滑車を回るのか…あの風貌で… 和田義盛の叔父だからいい歳だろうに若作りだな 長兄は収監されてる知識人だからな うぽつ ハハッ!ヨイドキョウヲシテイルネ! 散々士気払ったのに4分の1しか減らせてないの御ハーブが生えましてよ あんまりゴキゴキやってると...
- 737
- 527.1
- 131.8
- 20.3
2023-09-01 17:00:00
【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第150回:得宗の指願「破天荒争奪戦」】俺が許可する・・!不穏分子を排除せよ!!
北条得宗家第2代当主にして、鎌倉幕府第2代執権:北条義時。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主人公。
北条政子の弟にして、鎌倉幕府初代将軍:源頼朝の義弟にあたる。
伊豆国豪族:北条時政(北条得宗家初代当主、鎌倉幕府初代執権)の次男として生まれ
平治の乱に敗れた河内源氏の嫡流、源頼朝が伊豆国へ流された際に北条家はこの監視役にあたった。
後に姉の政子が頼朝と婚約した為、源氏と北条家は奇妙な交友関係を築くこととなった。
源氏挙兵の緒戦「石橋山の戦い」での敗戦で時政の長男:宗時が戦死したことで嫡男格となり
壇ノ浦の戦いで平氏を破ったことで源氏による天下草創が進められ、その近臣に取り立てられた。
頼朝が死去すると鎌倉殿の13人の一人として幕府内の政権争いを北条家が制すことに尽力。
第二代将軍:頼家と時政の不和が発生すると、頼家を擁立した比企家を滅ぼし、頼家も暗殺。
この時は親子で共同戦線を張っていたが、義時の義兄弟であった畠山重忠を征伐したことで
時政と義時の対立が発生。姉:政子と共に時政の追放を計画した。
畠山重忠は鎌倉幕府の忠臣であり、それをあやふやな疑いで討伐した時政を支持する者は少なかった。
幕府内御家人の多くは義時に付き、時政はそのまま失脚/追放となった。
その後、北条家打倒を掲げて挙兵した和田氏も滅亡に追い込んだ。
第三代将軍:源実朝が暗殺されると、第4代将軍に頼朝の親戚であった藤原氏から藤原頼経を置いた。
当時1-2歳であった頼経は完全にお飾りであり、ここで執権が実質的にトップとなる執権政治を完成。
後に幕府の台頭を面白く思わない後鳥羽上皇による「承久の乱」が発生するが
初代将軍:頼朝の正室にして姉の政子による演説もあって鎌倉御家人の一致団結に成功し
朝廷軍を完膚なきまでに撃破して、処罰を与えた。
平安時代において公家の駒でしかなかった武士。(群雄伝の平氏伝・源氏伝の1章が顕著)
その「武士が皇族を処罰する」という完全に立場が入れ替わったことを世に知らしめたのである。
武士の世になったことを天下に示した義時は、承久の乱から3年後にこの世を去った。
長兄の英傑大戦:mylist/73130055ここの一鉄オジキは七つの大罪コラボを予言していた…?破天荒争奪戦は1か月前なんだぞ… フェイント入れなかったら… うぽつ 時政と義時はかなり大河に寄せた面構えよね 生放送で紹介されたときに小栗旬って言われてて爆笑したわ 輪廻から解脱出来てなければ一緒...
- 664
- 365.4
- 162.4
- 20.3
2023-09-22 17:00:00
【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第157回:奉武の飛翔】我が飛翔より、この戦は始まるぅぅ!!
相模国豪族:三浦義明の末子にして十男:三浦義連。
佐原城を拠点としたことから佐原義連と称され、三浦義澄の弟にあたる。
平治の乱から20年後「以仁王(もちひとおう)」が平家打倒の号令を発布。
三浦氏は早速、挙兵した頼朝軍に合流しようとしたが暴風雨により合流が遅れ
源平合戦緒戦「石橋山の戦い」に間に合わず、源氏はこれに大敗を喫してしまう。
その後、再起を図った頼朝にすぐに合流して平家打倒を周辺豪族に呼びかけた。
身内であろうと疑わしきは罰するほど猜疑心の強い頼朝は寝所護衛者を厳選。
佐原義連はその武勇と誠実な人柄から寝所警護の十一人に選出され近衛衆となった。
後に源義経軍に従い参戦した一ノ谷の戦いの勝敗を決定付けた急襲作戦「鵯越の逆落とし」では
崖の急さに怖気づく坂東武者を鼓舞するため真っ先に駆け下り、勝利を引き寄せたという。
治承・寿永の乱、奥州合戦で武功を上げた義連は陸奥国会津四郡を与えられた。
没年は正確には不明だが、少なくとも75歳まで生きたとされており兄と同じく長寿であった。
後に三浦一族は鎌倉幕府内の政権争いで滅亡することとなるが
この佐原氏の血筋は残っており会津蘆名氏として戦国時代にも残る大名となった。
(佐原義連の孫の代から蘆名氏となり、15代ほど後にKNGM兄貴が活躍する)
三浦一族の例に漏れず非常に神仏に対する信心が深く、自ら満願寺を創建。
観世音菩薩立像・地蔵菩薩立像・不動明王立像・毘沙門天立像等が安置されており
現在でも国家指定の重要文化財、市指定の重要文化財となっている。
これがイラスト内の佐原義連の背にある千手観音菩薩の腕群の由来である。
長兄の英傑大戦:mylist/73130055演技が迫力ありすぎるw 今もホロホロという相方を得て生き生きとしてる孫策 蒼の1.5騎馬はほんと層が分厚い ちな、芹沢鴨の命日は今月だったりする 助走の必要もなければ乱戦でも出せるのつえぇな ワイは突然のぴょんぴょんソングにビビっちまったw ビビっち...
- 635
- 487.6
- 162.5
- 20.3
2023-05-29 12:00:00
「源頼朝の挙兵」第86回黒田裕樹の歴史講座 1/7この動画は第86回黒田裕樹の歴史講座「鎌倉時代その1 ~幕府成立と北条氏の台頭~」のうち「源頼朝の挙兵」の講演を、令和4(2022)年8月に新たに収録したものです。
動画のレジュメは「黒田裕樹の百万人の歴史講座」から入手できます。ぜひご加入ください。過去からの全てのレジュメを読むことができます。今なら20,000円で永久会員です!
http://1000000reki.jugem.jp/
ブログ「黒田裕樹の歴史講座」
http://rocky96.blog10.fc2.com/
「黒田裕樹の歴史講座」講演申し込みサイト
https://kokuboukai.com/category/history-study-session/kuroda-hiroki/
黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編
https://www.mag2.com/m/0001672748
#黒田裕樹
#源頼朝
#平清盛
#石橋山の戦い
#富士川の戦い
#黒田裕樹の歴史講座- 13
- 00.0
- 00.0
- 00.0
1970-01-01 09:00:00
- 0
- 0nan
- 0nan
- 0nan