キーワード神仏分離を含む動画:57件 ページ目を表示
2024年11月14日 07時06分に生成された05時00分のデータです
2020-07-23 10:53:02
【ゆっくり解説】日本の神様紹介④日本最初の神様アメノミナカヌシ解説最近、動画作りが楽しいです(本当)
申し訳ありません。
動画中、廃仏毀釈という単語出ますが、正しくは神仏分離でした。
日本の神様紹介第4弾
日本で最初に現れた神様、アメノミナカヌシの解説です。
最近は宇宙創造神にランプアックされてますね。
次
タカミムスビ(日本神話界の裏ボス?)
→sm37243146
前
アメノオハバリ(神殺しの神剣)
→sm37206529
他の造化三神
タカミムスビ(日本神話界の裏ボス?)
→sm37243146
カミムスビ(五穀豊穣の地母神(性別無))
→sm37273101
他の別天津神
タカミムスビ(日本神話界の裏ボス?)
→sm37243146
カミムスビ(五穀豊穣の地母神(性別無))
→sm37273101
ウマシアシカビヒコヂ(別格に影の薄い神様)
→sm37379576
アメノトコタチ(天の化身)
→sm37231861日蓮宗檀家が多い地域にある確率が高い 横行w 一神教みたいな絶対神とちがって、皇室の歴史と地続きな日本神話は「初期は…う~ん、影薄い」なノリの方がそれっぽくて好み 日本に来る前から仏教は色々混ざってる 現世利益が乏しいとね… 分け始めたのは徳川幕府だ...
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2013-03-19 23:53:39
【高画質】古社の風景 ~下総 千葉神社~今回は千葉市中央区に鎮座する「千葉神社」です。
当社は妙見菩薩(天之御中主大神)を本尊とする千葉妙見宮として創建され、
神仏分離によって神社となった現在でも、妙見信仰の有数の拠点とされる古社です。
前回:津島神社→sm20263409、次回:奥石神社→sm20422169
古社マイリストはこちら→mylist/32043438
※古社とは、概ね平安時代までに創建とされる神社とします。そこそこでかい神社 妙見信仰の中心地か・・・ 一度行ってみたい 千葉神社 この狛犬かっけぇ 朝鮮人に放火される前に行っとけ 夏に限るな〜 こんなに綺麗だった記憶がない Beautiful!! 美しい おおおおおおおお 歴史はあるけど建物は新しい 地元...
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2020-12-28 13:00:00
第254回(後編)『梅田スガ政権の外国人入国規制は大嘘◇動画紹介;グラフ兄さん◇後編は会員動画』【水間条項TV会員動画】背景は【石清水八幡宮 ①】京都の「みつばち」さん提供
御祭神 応神天皇
神功皇后 比咩大神
清和天皇の貞観元年(859年)南都大安寺の僧、行教和尚は宇佐八幡宮にて
八幡大神の「吾れ都近き男山の峯に移座して国家鎮護せん」との御託宣を蒙り、御神霊をご奉安されたのが起源。
国家鎮護 厄除開運 必勝
又、石清水八幡宮は、八幡宮創建以前の起源を持つ、石清水井と石清水社があります。
御祭神 天御中主命
創建以来、境内の護国寺と一体となる宮寺形式をとった。往時は多くの堂宇が所在し山麓も壮大であった。明治時代の神仏分離により、男山から全ての坊が撤去されました。
元々男山の麓に鎮座していたのは、和気氏の氏寺であった神願寺(和気清麻呂の墓があったとされる)があったとされる。
登り口もケーブル、車、表、中、裏参道とありますが、古い石清水井、石清水社に行くには中参道を通ります。広いので全てをお参りするのは大変です。
エジソン記念碑に行けなかったのは残念でした。
◆グラフ兄さん
https://www.youtube.com/channel/UCTMxyMpioyIFSts38_eqKhA
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◆水間条項tv https://www.youtube.com/channel/UC1xoN0okRvNJeUa5ZU4DbuA
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おすすめチャンネル
◆みずうさ大明神
https://www.youtube.com/channel/UCQ7TjFbO55eCNjF-ICORztA
◆megugu paris
フランス2度目のロックダウン中「パリの様子」 前回と全然違う!
https://youtu.be/vvB9rn3e1G8
◆New Yorkサバイバル
アメリカ分断と内○はもう始まっているかもしれない
https://youtu.be/QSIFjblI_9o
◆マストゥラちゃんねる
海外の反応【東京裁判1】パール判事が教える日本が無罪な理由!!世界の本当の意見とは?
https://youtu.be/4hwb2PDXLzk
◆北のアリョーナ
[小樽 さんぽ] 堺町通り商店街を散策
https://www.youtube.com/watch?v=BMFbj1PR63c
◆大紀元 エポックタイムズ・ジャパン
https://www.youtube.com/c/%E5%A4%A7%E7%B4%80%E5%85%83%E6%97%A5%E6%9C%AC/featured
◆鳴霞の「月刊中国」YouTube
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◆Cindy Canada 【 ホップ ステップ カナダ】
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https://www.youtube.com/channel/UCvFhZZ7FSkgYAm7LwInyM_g/featured
◆ファインクラフトFine Craft
【必見!職人技!見逃さないで!】北海道はでっかいどう!手作り工房巡り・女2人旅シリーズ♪ クラフト蒼の巻 後編
https://youtu.be/SM5T6_7TKmY
◆北海道小樽のファインクラフトショップHP
http://www.finecraft.co.jp/水間先生、宜しくお願い致します❣️ 今こそメイドイン再生Japan! チャイナにしてやられてばかり
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2010-09-30 07:53:41
中田英寿が絶賛した「混迷の日本を生き抜く修行とは!?」 前編吉野 金峯山寺 執行長 田中利典さんに聞く 日本最古、最強の霊能力者と言われた役行者。そのゆかりの寺として大衆に愛され、人々を救う力を得るために多くの山伏が来る修行の場。明治時代の神仏分離令でいったんは廃寺になりながら再び、現代の日本によみがえった日本古来の修験道。中田英寿が絶賛し、「日本人すべてがこの修行をするべきだ。」と言った奥駆修行、 山を巡り、限界まで自分の身体能力に挑み、その限界で勝ち取る非日常。とぎすまされた五感で、再び俗世間へ降りると、すべてのものが変わる。その体験をぜひ。 修験道 修行 吉野 月夜のぴよこラジオ 霊能力 役行者 山修行 火渡り 滝行
伊勢ちがう熊野 この女性は浅すぎる ふわ~ふわ~と生きよう!ふわ~ふわ~と!この心持次第...
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2020-12-30 12:20:00
【後編】『米国大統領選の錯綜を切り開くの各ジャンルの女性陣だ!』第256回【水間条項TV】背景は石清水八幡宮③
【御祭神 応神天皇
神功皇后 比咩大神
清和天皇の貞観元年(859年)南都大安寺の僧、行教和尚は宇佐八幡宮にて
八幡大神の「吾れ都近き男山の峯に移座して国家鎮護せん」との御託宣を蒙り、御神霊をご奉安されたのが起源。
国家鎮護 厄除開運 必勝
又、石清水八幡宮は、八幡宮創建以前の起源を持つ、石清水井と石清水社があります。
御祭神 天御中主命
創建以来、境内の護国寺と一体となる宮寺形式をとった。往時は多くの堂宇が所在し山麓も壮大であった。明治時代の神仏分離により、男山から全ての坊が撤去されました。
元々男山の麓に鎮座していたのは、和気氏の氏寺であった神願寺(和気清麻呂の墓があったとされる)があったとされる。
登り口もケーブル、車、表、中、裏参道とありますが、古い石清水井、石清水社に行くには中参道を通ります。広いので全てをお参りするのは大変です。
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http://www.finecraft.co.jp/公安? ネットスラングですな、ガースーw 与党も野党も、反日の輩は、次期衆院選で落とそう! 中共かよw wwww 中国人=感染者なんですか? 中国人=感染者なんですか? 中国人=感染者なんですか? 陽性率上がってきてるよね。 詐欺? ありがとうござい...
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2011-04-03 13:48:30
三輪山平等寺 紫燈大護摩祈祷会 般若心経大和国一ノ宮大神神社の近くでたたずむ寺で行われる
紫燈大護摩祈祷会の般若心経読経
聖徳太子と縁があり、興福寺(法相宗)の末寺として、修験道の道場でもあり醍醐寺(真言宗)と関わりがあり後に真言宗の寺として活動することになるが
明治維新後の神仏分離、廃仏毀釈により廃絶、昭和52に復興
現在は曹洞宗のお寺ですが祭り当日は本山修験宗の山伏が駆けつけ護摩会を開催します(前半、後半撮影失敗)神仏習合の復興 ↑護摩壇が一気に燃え上がらないように調節している 貴重な映像をありがと...
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2022-11-19 23:02:16
第590回『薩長維新政府は京都のお寺を徹底的に破壊した◇八坂神社と北野天満宮は神仏分離令前はお寺だった』【水間条項TV会員動画】【水間条項国益最前線】水間政憲のブログ
http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/blog-entry-3560.html
決定版「南京事件」日本人50人の証言 | 阿羅健一 |本 | 通販 | Amazon
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背景は北区の赤羽自然公園良かったです!! ドリフ剣道コントには天照皇大神・鹿島大明神・香取大明神の神号掛軸が飾られています
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2014-08-27 09:44:08
靖国神社は日本の伝統文化ではない!4-1.wmv靖国神社は後期水戸学の流れを汲む朱子学(中国思想)であり、日本古来から伝わる精神文化とはまったく無関係です。 神社の定義から大きく逸脱している儒教(朱子学)の招魂社です
フォトショップでプレゼン?ワードパットで十分です。 長州による長州のための神社 伝統が何か分からないのに、伝統伝統っていわれてもね 神道に基づいてんだから日本の伝統以外の何ものでもない。こいつはアホか はああ????? しかし水戸学が無ければ維新も無...
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2024-05-01 10:00:00
【脱洗脳】デーヴィッドアイク著、大いなる秘密、答え第二巻 捏造された世界宗教。悪魔的キリスト教は捏造された。宗教監獄マトリックス幻想をけ破りワンネスにたどり着け。一神教国家神道による文化破壊大いなる秘密「爬虫類人」-レプティリアン-〈上〉超長期的人類支配計画アジェンダ全暴露-デーヴィッド-アイク
https://www.amazon.co.jp//dp/4879191450/
答え-第2巻-世界の仕組み編-デーヴィッド・アイク
https://www.amazon.co.jp/dp/4867421332/
日本国史 上巻 田中英道
https://www.amazon.co.jp/dp/B09VC2PXZV/
南方熊楠 神社合祀例
http://www.minakatakumagusu-kinenkan.jp/kumagusu/life/goushihantai
日本国独立宣言論 私は独立を宣言する 真田信秋(紙と電子書籍)
https://www.amazon.co.jp/dp/B0CT86DX9G/キリスト教の世界観は幻想 ありがとう応援してます❤️ こんにちわ。
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2017-02-11 20:55:00
[沖縄支局]戦後レジームの脱却は心から!「明治体制の盲点、神仏分離のもたらしたもの」[桜H29/2/11]毎月第二土曜日の特番といたしまして、応用心理カウンセラーで火曜日キャスター我那覇真子の父である我那覇隆裕氏が「戦後レジームの脱却は心から」と題して、戦後もたらされた近代思想から抜け出せない日本人の「心」について提言する番組です。
今回のテーマ
①明治体制の盲点 神仏分離のもたらしたもの
②敗戦ショックの大きさの由来
③日本化されていない西洋近代
④仏教伝来・崇仏争論と啓蒙思想
⑤神話忘却と亡国
出演:
我那覇 隆裕(応用心理カウンセラー)
※チャンネル桜では、自由且つ独立不羈の放送を守るため、『日本文化チャンネル桜二千人委員会』の会員を募集しております。以下のページでご案内申し上げておりますので、全国草莽の皆様のご理解、ご協力を、何卒宜しくお願い申し上げます。
http://www.ch-sakura.jp/579.html
◆チャンネル桜公式HP
http://www.ch-sakura.jp/父キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!! ペラ念の「ノーベル賞を取ってから言ってください」は今思えばマヌケすぎる ABCD包囲網、ハルノートのことを知らないはずはないが・・・黄禍論、人種差別(奴隷制度)、欧米アジア侵略k 天皇陛下万歳→GHQ(マッカーサ...
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2023-06-09 22:00:00
「廃仏毀釈と牛鍋」 菜食主義の歴史2菜食主義について考える。
廃仏毀釈と牛鍋について確認します。
このPartの参考文献
伊勢田哲治『現代思想2022年6月号 特集=肉食主義を考える』青土社 2022年
阿満利麿『日本人はなぜ無宗教なのか』筑摩書房 1996年
安丸良夫『神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈』岩波書店 1979年
末木文美士『日本宗教史』岩波書店 2006年
佐伯恵達『廃仏毀釈百年』鉱脈社 2003年
坂井健『「牛鍋」はどんな鍋だったか 『安愚楽鍋』を中心に』「京都語文」2002年
https://archives.bukkyo-u.ac.jp/repository/baker/rid_KG000900000404
BGM 魔王魂
この動画は以下のアーカイブです。
菜食主義と肉食主義の歴史 -綱吉、廃仏、洋食、そして現代-
https://www.youtube.com/live/tKhPzVYC79w?feature=share- 353
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2019-06-03 22:30:05
【神道シリーズ】第61回・恐山信仰【後編】(山懸け・オシラ様・イタコ・・仏教の聖地)恐山信仰は、宇曽利湖(うすりこ)を擁する恐山は、お寺とか神社ではなく、それそのものが「本尊」とされ、地蔵菩薩信仰を中心に曹洞宗の円通寺が管理しており、一方、恐山に隣接する釜臥山は天台宗(山門派)の修験寺大覚院が「山懸け」修行(円通寺<むつ市>近くの兵主神社(祭神は釜臥山大明神)から釜臥山山頂の奥の院の観音堂を目指して毎年8月15日に行われる)を行っています。
東北地方には、下北も含む広範な範囲で、その蚕産業を営む地域で、16世紀頃から「オシラ様」という、4世紀の東晋の時代の中国の伝説「探神記」に出てくる「長者のお姫様と千段栗毛の馬の恋の物語」のストーリーに基づく民間信仰がありますが、これもおそらくは東北に精力を伸ばしていた天台宗の知識僧が伝えたことが発端なのかもしれません。
とにかく、明治の神仏分離政策の中でも、強制的に信仰の中心の寺を廃寺にして無理やり神社を作って古事記の神様を祀るような、全国で行われていた日本の伝統破壊政策もここ下北や東北では通用しなかったようです。恐山・イタコの歴史は大正時代以降なのだが・・・ 視れん やってることはJKと変わらんのやな うぽつ
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2019-06-10 22:52:02
【神道シリーズ】第62回・八百万の神⑰金毘羅大権現【前編】(真言宗金光院松尾寺とともに始まった金毘羅信仰)金毘羅さんと言えば、ほとんどその名を聞いたことが無い人がいないと言えるほど有名ですが、しかし、この金毘羅信仰というものは意外と歴史が浅く、17世紀の天正から慶長年間の間であったと言われています。
金毘羅さん(金毘羅大権現)を祀る讃岐(香川県)の象頭山(ぞうずさん)には明治前まで、その信仰の中心をなしたのは金光院松尾寺(まつおじ)という真言宗のお寺で(金光院とは高野山真言宗の系統で、15世末頃から象頭山の別当(地域の管理者)として明治前まで象頭山信仰を支配してました)、その金光院4代の宥盛(ゆうぜい)の時代(17世紀)に形成され、急発展したのでは?とされてます。
金毘羅信仰が始まる前の讃岐(象頭山を含む)は、もともと宗教的に真言宗の支配圏で、三十番神(法華経の守護神)が信仰されていました。
金毘羅信仰は江戸時代になると日本最大の流行り神となり、伊勢講を凌ぐ代参講(お金を出し合って代表者に参拝させる集団信仰)となり繁栄しました。
明治政府は神仏分離策で、象頭山の金光院松尾寺を廃寺にし、強制的に神社化(琴平神社)とし、大物主神を祀神としまし、松尾寺は麓に普門院を作り生き延びましたが、今でも普門院松尾寺は金毘羅信仰や金毘羅祭の中心となっています。あっはっはぁー https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12204204187 "伝教大師最澄によると金毘羅と三輪明神(祭神は大物主神)は一体である" "大物主乃命が天竺に渡...
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2018-12-17 22:14:02
【神道シリーズ】第43回・両部神道⑤富士山修験(理論は両部神道で管理は聖護院<天台宗寺門派>)日本の山岳信仰が具体的な神名を持って信仰されるようになったのは真言密教による両部神道が確立した鎌倉時代以降ですが、密教僧たちは山に登頂し、そこに仏の眷属を祀り、さらに古事記の神々の中から選んで比定し、仮の姿として古事記の神様の姿になるときがあるとしました。
これこそが日本における「八百万の神」信仰の始まりであり、古事記に出てくるコノハナサクヤビメも、火山という属性だけで大日如来の仮の姿であるとされ、それが富士山においては浅間(せんげん)大権現として祀られ、信仰されるようになりました。
つまり、もともと民衆の間に古事記の神々の信仰があって、それが八百万の神の信仰になったのではなく、密教僧らによって形成された山岳信仰の中心をなす本地垂迹説として古事記の神々が採用されていったのです。
富士山修験が始まったのは13世紀に仏僧の末代(まつだい)が富士山頂に登頂して大日寺を創建し、大日如来を祀ったことから始まります。
16世紀になって富士講を統合組織した長谷川角行は、役小角の夢告で富士山に登頂して以降、大日如来=コノハナサクヤビメを浅間大権現として信仰する一神教的意味合いの浅間権現信仰を確立し、以降、弟子たちによって村上修験(富士山修験をそう呼びます)の富士講は江戸時代には全国に広がって行きます。
明治に神仏分離で浅間神社の祭神はコノハナサクヤビメとされましたが、今日でも浅間大権現の信仰は続いており、村山修験の流れを汲む修験道の団体が伝統を引き継いでいます。- 226
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2018-07-20 08:43:02
宮島「亀居山放光院 大願寺」daiganji gomataki 厳島大仏不動明王 柴灯護摩祈願法要のひと小間宮島 大願寺の護摩供養 この後火渡りが行われます
毎年11月3日13時から護摩がたかれ 14時から火渡りがあります
大願寺は江戸時代までは 厳島神社他の寺社の修復などをつかさどる大寺だったと申します。
神仏分離、廃仏毀釈の愚策で多くが失われ・・僧坊跡を本堂に現在も存続しています。
厳島神社に祭祀されていた市杵島姫=本地仏の弁財天を祀るお寺です。ウイルス退散ウイルス退散疫病調伏疫病調伏 人 サンフレッチェ広島優勝祈願成就 レノファ山口J1昇格祈願成就
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2019-07-29 23:04:02
【神道シリーズ】第68回・八百万の神㉓石鎚山信仰【前編】法螺貝と大般若経と念仏は今でも健在!!石鎚山は、8世紀に役小角が開山し、その弟子・芳元が中国の天台山から勧請したと言われる熊野権現をこの地に祀り、それが「石鎚山蔵王大権現」となり、それが今も昔も一貫した信仰対象となりました。
石鎚山信仰は、その同じ8世紀に寂仙(石仙)という修行僧が信仰の基礎を築き、大峯山(吉野)で峰修行した天台宗(比叡山)の高僧・光定は、最澄から天台座主のオファーを断り、(9世紀に)寂仙を師と仰ぎ、石鎚山で山岳修行を行い、やがて石鎚信仰の両輪の一つとなる横峯寺を創建しました。
9世紀になると真言宗御室派(古義真言宗・京都仁和寺が本山)が同地に進出し、前神寺を創建し、さらに横峯寺にまで進出します。
石鎚信仰は、両寺を中心に、多くの先達を率いた石鎚講を形成し、その組織が強大過ぎたために、明治期の神仏分離令も政府の思うように行かず、石鎚神社を新設するまでに35年もかかり、それも石鎚山真言宗系の石鎚本教により運営され、そのまま今日に至ってる。
今日でも石鎚山の山開きでは法螺貝の音とともに大般若経や念仏が唱えられる石鎚神社の石鎚講で信仰が支えられている。車で土小屋まで登れますから 鎖場は迂回できるからな 土小屋から登る手もある 修験道だから仏教だからどう見てもw 雨や霧が多いんだよねえここ 石鎚登ったことあるけど相当大変だわ 霊山がご神体であり、中宮成就社が古来よりございます。 「伝統的神仏習合が強...
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【音読】流行り神 Revenge 第二話『鬼』#24ホラーアドベンチャー:流行り神 Revenge 第二話『鬼』科学ルート
※男が音読。キモイ女声含む。
雪村の部屋から見つかった物…それはお札だった。
音読推理の時とは違うルートです。拙いフルボイスですが、もしよければ視聴を検討ください。
◆CERO15(15歳以上対象):このゲームには、暴力シーンやグロテスクな表現が含まれています。
非対象の方および苦手な方は、お手数ですが[戻る]ボタン等を押してお戻り下さい。
<F.O.A.F>
・File No.132「鎮守」:sm37763357
・File No.109「神仏習合・神仏混淆」:sm37763297
・File No.106「神宮寺」:sm37763278
・File No.077「権現」:sm37763234
・File No.076「護法神」:sm37763229
・File No.110「神仏分離」:sm37825091
■[前→sm38678252/次→sm38717621/リスト→mylist/13944544]
■[【音読推理】流行り神 Revenge 鬼(オカルトルート)→sm7304562]
■[【音読推理】流行り神シリーズ総合マイリスト→mylist/15231773]おつー うぽつー はい 由緒ある(?)文字なのか おつ うぽつ うp
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2023-04-23 12:23:25
♫voicepeak♫ 〜 御朱印祭 2023〜 りりせ&フリモメンと行く「 岩国、下松 花の神社巡り後編 降松神社と桜」御朱印祭 2023 桜の開花にわせて急遽岩国、下松 参拝日帰り旅。御朱印はR4/1/7初詣のものであります。
妙見本宮 降松神社 御朱印あり
元は戦国時代の周防長門〜安芸周辺などでの覇者 大内氏の守護神 妙見信仰の寺社。
神社から見える円錐形の山が、鷲頭山=中宮本社、上宮が鎮座す。麓の降松神社=つまり若宮である。
大内氏(多々良氏)始祖の古代半島からの渡来伝説に由来、北辰(北極星)妙見大菩薩を祀っていた寺社。
明治以後神仏分離にて、降松神社として再編され現在に至る。ご祭神=天御中主命
花岡の帰りに立ち寄る。桜は満開でした。何か祭り?が行われるようでしたね。
昨年1月の映像と今回参拝の映像を編集。
下松市で野犬状況今度聞いてみて今問題なければ鷲頭山行きたいんだが。単独行になるからね。
今回はまたく見かけませんでした。
OMD-EM1mark3のカメラテストしてきた。使いこなせずかなり桜の撮影等失敗したから良さそうなものとiPhone se2の写真で補完した。神門や山桜あたり映りがいまひとつでした^^; 難しいですなあ。
風邪で篭ってるからはかどるわ。
これで岩国・下松の桜完結。疲れたw できれば鷲頭寺のもリニューアルしたいがパワーが・・。うぽつです おつです。 うぽつです∩^ω^∩
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2019-10-07 22:54:02
【神道シリーズ】第70回・八百万の神㉕求菩提山修験(天台宗山門派(比叡山)と寺門派(聖護院門跡)の天台修験の地)求菩提山の歴史は近世に書かれた「求菩提山雑記」に6世紀以降の猛覚魔卜仙(もうかくまぼくせん)による開山(526年)や、その後704年の役小角の入山、そして、720年の行善による求菩提山護国寺の建立などが求菩提山の古代史として残っていますが、その真偽はともかく、山頂から5~6世紀のものとされる須恵器(朝鮮半島から)が見つかってることから、6世紀頃から渡来系の雑密僧による開山が推測されています。
その後、12世紀に宇佐出身の辛島氏の系統(新羅系)の頼厳が護国寺入りし(平安時代)、中興の祖となり14世紀(室町時代)には、皇室から送られた彦山の雲仙寺の座主・助有法親王(安仁親王)によって始まった「黒川院」が求菩提山の如法寺(ねほうじ)も配下に置き、法親王が所属する天台宗寺門派の聖護院門跡(本山派修験)の傘下に入り、求菩提山も彦山修験の傘下に入ります。
16世紀に黒川院が黒田長政の息子の忠之によって破壊された後は、歴代の領主が座主となっていた如法寺が求菩提山信仰の主導権を握りますが、その如法寺を支えた
天台宗寺門派の聖護院門跡が求菩提山修験をリードしていく形になり、明治前まで続いて行きます。
明治の神仏分離で求菩提山護国寺も妙法寺も破壊され、明治に政府によって確立された神社神道の下、国玉神社が作られますが、今でも求菩提山祭祀は明治以前の火祭りやお田植祭などが行われています。- 146
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2022-01-17 22:35:02
【神道シリーズ・シーズン3】第1回・廃仏毀釈と平田国学の復古神道①日本の歴史史上最大の汚点とされる廃仏毀釈は、大政奉還の翌年3月の慶応4年1868年3月に薩長新政府により神仏混淆禁止令がだされると翌4月に日吉社の社司・樹下茂国と生源寺希徳らが吉田神道配下の者たちで結成した神威隊40名を引き連れ、日吉社に祀られた仏像仏具経典などを破壊しつくした暴力的破壊活動を契機に明治元年以降の数年間に全国いくつかの地域で過激な寺院破壊活動が展開された事件のことを言う。
廃仏寺院統合の動きは明治前より水戸藩、岡山藩、薩摩藩、土佐藩、津和野藩などいくつかの朱子学・陽明学・国学の影響が強かった藩で江戸時代初期、中期、後期、末期から見られていたが、それらはあくまで寺院の統廃合であって仏像仏具什器などの破壊を意図するものではなかった。
しかし大政奉還後に始まった廃仏毀釈運動は仏教や僧侶たちに対する憎悪と嫌悪が動機となっており、この上からの仏教破壊活動は仏教を信仰する住民
との間に大きな摩擦を引き起こしていった。
廃仏毀釈運動の特徴は、長州・薩摩・津和野など陽明学国学の影響を強く受けた旧藩主や藩士たちがこぞって新政府の神仏分離政策を口実に各地で過激な仏教破壊活動を行い、仏教を信仰する村民たちや浄土真宗を中心とした仏教勢力からの根強い抵抗を受けることとなり、やがて新政府によってそうした破壊活動が罰せられることにより収束に向かった一連の暴力活動を指す。
廃仏毀釈活動は明治元年から4年ぐらいまでの間に集中し、明治9年にはほとんどの破壊活動は終了するが、
廃仏毀釈運動とは別に進められた神仏分離政策も地元の抵抗に会いながら新政府は朝廷からの命令という言葉を盾に強引に推し進め、結果、明治10年頃には日本の寺院の約半数は消滅し、さらに廃仏毀釈で失われた国宝クラスの文化財は日本の文化財全体の三分の二以上に及んだと言われる。
廃仏毀釈活動は、慶応4年の日吉社の仏像仏具経典破壊を引きりに明治元年から明治4年ぐらいにかけ、松本、苗木、佐渡、富山、隠岐などで特に酷い暴力的破壊活動が行われ、これらの破壊活動の首謀者は旧藩主、旧長州藩士、平田国学の影響を強く受けた旧幕臣らで、いずれのケースも平田国学という点で一つの線で結ばれている。
仏教の神・権現神や仏教帰依した氏神明神が長く定着していた日本の国土に平田国学の復古神道というこれまでの歴史に無かった新興宗教を強制的に根付かせる事が一連の破壊活動の根底にあった。
形式的には神仏分離という名目で過去に長く定着していた権現明神信仰を消し去り、新設神社に新たな由緒社伝を捏造したものの、それは同時に信仰の無い神社を増産していくことになったのである。じゃあ純粋な仏教とやらは日本にあるのだろうか?
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2019-08-05 22:36:04
【神道シリーズ】第64回・八百万の神㉔石鎚山信仰【後編】神社から大般若経と護摩と法螺貝が前回も説明しましたように、石鎚山信仰は明治の廃仏毀釈や神仏分離および山岳信仰の神社神道(国家神道)化に失敗した典型的な例と言えます。
石鎚山信仰の中心であった前神寺や横峯寺を廃して、石鎚山に「石鎚神社」を作るのに明治維新以降35年もかかり、やっと両寺を廃して石鎚神社を作ったにもかかわらず、1年もしないうちに前神寺と横峯寺は復活し、根強い石鎚講の組織を背景に、両寺を支配していた真言宗御室派は、新たに石鎚山真言宗という真言宗派を結成し、「石鎚山本教」という教団を作り、それがそのまま新設の石鎚神社を支配することとなり、その結果、表向きは古事記の神の石鎚比古を祀るものの、実は信仰の対象は従来通り石鎚山権現であり、今でも神社内で護摩を焚き、大般若教や光明真言を唱え、信者たちは「ナンマイダーボ(南無阿弥陀仏)」と念仏を唱え、旧来の信仰形態を維持しています。全くそうだと思います 山地の最高峰中国地方より高いんですよね はい ふもふむ 後編お待ちしてました。 これは貴重な映像
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2020-03-02 22:50:03
【神道シリーズ】第84回・鞍馬寺信仰【前編】牛若丸と鬼一法眼と青蓮院(天台宗)<神道無関係w>鞍馬山と言えば、「鞍馬天狗(鬼一法眼・きいちほうげん)と牛若丸(源義経)」とか「鞍馬の火祭」で有名ですが、もともと、770年、鑑真の高弟・鑑禎(がんてい)が、山背に霊山があるとの夢を見た
。その地で毘沙門天像を得て、草庵を結んだのが始まりとされています。
その後、東寺の僧・峯延(ぶえん)が入寺し別当を任じられ、東寺真言宗となり(東寺の末寺となる)、
さらに、959年に鞍馬寺は延暦寺西塔末になり、天台宗に改宗し、天永年間(1110-1113)、天台座主・忠尋により、比叡山延暦寺の末寺になり天台密教の傘下におさまります。
その後、南北朝時代には、名和長年や新田義貞など南朝側の武将たちの干渉を受け、戦国時代に入ると、足利将軍家、武田信玄らの鞍馬寺の毘沙門天信仰への崇敬が集まり、さらに信長による庇護や秀吉、家康による信仰と庇護を受け、度重なる焼失にもかかわらず、焼失の都度、またたくまに復興という歴史を繰り返してきました。
江戸時代になると、徳川幕府による厚遇の下、鞍馬寺信仰は最盛期を迎え、10院9房を抱える一大寺院勢力となりました。
しかし、明治の神仏分離令に続く廃仏毀釈運動でその10院9房のほとんどは破壊し尽くされ、それまで鞍馬寺の鎮守(お寺の本尊をお護りする神社)として、鞍馬寺境内のほんの一角の小さな敷地に建てられていた由岐神社が(明治政府の命令により)火祭りなどの祭祀を引き継ぐことになり今日に至っています。
一旦破壊尽くされた鞍馬寺も信者たちによりすぐに復活され、明治期は比叡山延暦寺(天台宗)の末寺となりましたが、戦後の昭和22年(1947年)には鞍馬弘教(こうきょう)として天台宗から独立しました。
明治以降、それまで(平安末期より)鞍馬寺が行ってきた火祭りの祭祀は由岐神社に移されたものの、
祭祀の内容はまったく変わっておらず、今でも由岐神社は由岐大明神や八所大明神というかつてからの名称(鞍馬寺毘沙門天の守護神)で神輿を出し、火祭りを行っています。- 124
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2020-04-13 22:43:02
【神道シリーズ】第89回・八百万の神㉞その他の山岳信仰(2)金剛山・後山・剱山など・・・今回は、金剛山(こんごうさん)(大阪府~奈良県)、後山(うしろやま)(岡山県)、剣山(つるぎさん)(徳島県)の山岳信仰を紹介したいと思いますが、
金剛山と後山は、いずれも役小角による開山開基伝承があり、後に真言宗(醍醐寺派)が進出して、それぞれ転法輪寺(てんぽうりんじ)(金剛山寺)、道仙寺(後山)が中世より近世を経て明治前までの間信仰の中心になります。
剣山は、近世以前の資料が乏しく、実際に資料で確認できる開山は江戸時代初期に山麓の龍光寺と円福寺(いずれも真言宗)によってなされ、当山派(真言系)の修験の拠点として幕末まで栄えましたが、明治の神仏分離で剣神社と真言系寺院との関係は強制的に絶たれたものの、現在でも山内には不動坂、垢離(こり)取川、弥山、行者堂、禅定場など修験にちなむ名称が多く残っています。大峯山も役小角の開山じゃなかったけか?これも尾ひれかもしれんけど 役小角の開山って言われてるのも、半分以上尾ひれだろうし 大陸の密教ていうより、日本のシャーマニズム的なものの変化だと思うけどなぁ
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2019-12-14 10:58:02
山口県百名山 周防岩国藩 吉川公の祈願所 阿品弥山の紅葉と山並み 2019午後から思い立ち 広島県廿日市市へ向かい県道30号に入り国道186号線へ〜浅原(この辺には浅野家家老で武家茶人上田宗箇が隠棲した場所があり 茶用の岩舟の清水がある)ここで県道2号線へ入る。
秋掛集落を抜け県境を越えいくつか集落へて美和の生見(しょうみ)八幡宮のところに出て〜山口県岩国市美和町の中心へでた。
美和町から県道59号へ入りました(実はこの道が険道とも知らずに)車載を撮りましたがメモリ容量が少ないのと激しく揺れるのでしっぱいした。
杉の枝や落ち葉の積もる延々と続くつづら折とほぼガードレールもない山道に・・・。
感想・・・車で行くのもハードルが高い!
*峠に出ると道路改修碑があり林道が分岐していた。(これが日宛地区へのもう一つの道と思われる)
弥山=役行者(新四郎坊)創開とされる山。江戸時代吉川広家公が巡視で、ここの御堂を訪れ幽玄なる地であるとし祈願所と定め堂宇を建立して再興したと言われる。神仏を祭り神仏習合の聖地であった。勝軍地蔵を吉川公が寄進したと言われます。岩国城下及び領民も含めての安寧を祈る場所とされた。
萩 東光寺の仰宗禅師を招き開山したので黄檗宗の寺院となる。御本尊=弥山大権現至聖護国善神
明治以後神仏分離で麓の阿品、瓦谷、日宛各村境界山のため 三分割され各村の管理で弥山本堂長楽寺、赤滝神社(弥山本宮)、日宛神社(弥山本社)とされたと言われています。
登山に手ごろで車で登山口までアクセスでき、景観が大変良いので良く登山者が訪れるところでもある。
柏木山へ縦走もできる。登山口は下阿品、杭名、県道59号経由(車利用可ただし道は狭い)などがある。後日 日宛集落から市道経由で走ってみたらw また県道59号の道・・やばそうなところへ出たwまあ走れるんですけど。
日宛からの道は途中地図で見ると2本に分かれており 帰宅後gogleマップで見ると左側の別ルートは、道路改修石碑のところに出る林道だと思われた(2020.3走る〜早くてこの道が一番良い)
県道59号は美和町側はかなり離合困難な場所多し注意〜(^_^;)
山中篤巳氏(登山家で医師、文化面も含め身近な里山なども詳しく紹介されている)の「山口県百名山」の中で百名山の一座に選ばれている。
後日
車載もしてきて弥山本堂長楽寺にまた行ったのですがこれはまたの機会に、ぜひ登山道を登ってみたいものです阿品道、杭名道2箇所山道ルートがあるのでまたいずれ。- 116
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2019-11-11 23:01:13
【神道シリーズ】第73回・八百万の神㉓英彦山大権現(伝燈大先達とは?)英彦山(彦山)は中世より天台宗の霊仙寺(りゅうせんじ・天台宗系)が山岳信仰の中心になってきましたが、その霊仙寺の座主は同時に英彦山の峰入り修行を20年以上繰り返した「伝燈(でんとう)大先達」という先達(今で言うところの登山ガイド)でなければならないというシステムがありました。
しかしながら中世初期には、天台宗聖護院(天台宗寺門派)が皇室系の座主を霊仙寺に送り込んできて黒川院という皇室系で世襲制の座主の時代が12世紀から14世紀までの200年間続き、まともに峰入り修行もしていない人が霊仙寺の座主や伝燈大先達になってしまうという時期があったり、あるいは聖護院(京都)から派遣された修験僧が弟子から弟子へと法統で継承される時期が長く続きました。
16世紀の半ば(1540年)になると、聖護院系ではない、日光修験(天台系)の阿吸坊即伝(あきゅうぼうそくでん)が英彦山の座主(同時に伝燈大先達)に就くと、それ以降は、当初のシステム通り、20年以上に渡る峰入り修行を英彦山で行った英彦山出身の山伏だけが霊仙寺の座主および伝燈大先達になれるという制度が徹底されるようになります。
全国の修験道(山岳信仰)が法統中心の別当寺(その山岳信仰を支配する寺)の座主になっていたり、山岳信仰支配のシステム自体が緩んで行く中、英彦山は特に江戸時代以降この座主=伝燈大先達制度が強化され、同時に信仰の深まりと九州全土への広がりの中、結束を固めて行きます。
明治には神仏分離令で政府により霊仙寺やその200以上あった僧坊は完全に破壊され、代わりに政府が英彦山神社を作りましたが、英彦山信仰の内容はその後も変わらず、
戦後になると、なんと英彦山神社(神宮)が中心になって英彦山修験(本山派<天台系>修験)の復活運動を始め、既に英彦山の末山である宝満山では英彦山修験が復活してきています。
今でも英彦山信仰の信仰対象は英彦山三所権現たる英彦山大権現です- 115
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2022-06-10 22:15:02
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第18回・島地黙雷と黙雷の時代長州藩が14万5千の幕府軍から第二次長州征伐の攻撃を受けていた時、勤王派を支持していた西本願寺に属していた青年島地黙雷ら真宗僧侶たちは金剛隊という僧侶部隊を結成し、長州藩士たちと戦い、その中で後に明治政府の中心になる木戸孝允や伊藤博文、井上馨、山形有朋、江藤新平など多数の重要人物たちとの信頼関係を築き、この人脈が明治5年から10年にかけての黙雷の時代を形成することになったのである。
新政府発足以来、平田国学派に押された新政府は、神仏混淆禁止令発令後、各地で激しい廃仏毀釈の嵐が吹き荒れると、その嵐は東海北陸の浄土真宗の影響力が強かった地域にも及び、明治3年頃からは北陸や東海を中心に真宗門徒農民による大規模な蜂起や騒動が勃発し、さらに、朝廷との血縁関係も含めた東西本願寺の繋がりを憂慮し、政府は、「朝廷からの命令」という建前で神仏分離政策を進めていただけに、それが朝廷自身によって否定されてしまうと神仏分離政策自体がとん挫してしまう可能性があることと、真宗門徒たちによる反撃も大規模に発展すると国内統一どころか内戦に発展する危険性もあっただけに、真宗側との調整役を政府は求めていた。
幕末以来長州の勤王派と繋がりのあった黙雷は、神祇省の廃止と、国民教化のための教部省の設立を建白し、結局、政府は黙雷の意見を取り入れ、教部省を設立し、同時に大教宣布運動を推進する大教院・中教院・小教院を設置し、国民全体の何を教えるのか不明な教化運動が展開されることとなった。
明治政府が当初目指していた、平田国学派が主張する祭政一致の天皇を中心とする神道国家路線は、真宗門徒たちの反撃により頓挫し、今度は真宗側からの提案で始めた神儒仏共同の国民教化運動も、実質、民間に深く広く浸透していた浄土真宗の布教活動となり、国学派は反発し、西郷隆盛を中心とする薩摩閥の力を借り、大教院の執行部を乗っ取り、仏教勢力に祝詞の拝礼などを強制するに至り、真宗の脱退を招き、結果、教部省自体が廃されることとなり、黙雷の時代も終焉することとなった。
さらに明治13年には、政府と国学派が対立し、教部省を継いだ神道事務局内で伊勢派と出雲派の対立から政府は平田派全体を政府から排除し、逆に平田派を政府や公安の監視対象としてしまった。
もともとキリスト教に敵意を抱き、キリスト教に対抗する為に仏教と平田神道との大同団結を訴えた黙雷ではあったが、結果、しょせん水と油は交わらず、政府は両者と距離を置き、大國隆正の唱えた祭政分離の国家神道の道を歩むことになったのである。- 110
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2019-10-21 23:11:03
【神道シリーズ】第71回・八百万の神㉖英彦山信仰【前編】(英彦山神社になっても今でも英彦山大権現信仰w)英彦山(ひこさん)は、6世紀の北魏僧・善正による開山伝説や、二代忍辱(にんにく)の伝承、そして8世紀以降の法蓮による弥勒信仰に基づく新羅仏教による中興の祖としての活躍、そして、9世紀以降は天台二派(比叡山と聖護院門跡)による天台支配が以降続き、17世紀には霊仙寺(りょうぜんじ・英彦山信仰は伝説期の6世紀より明治前まではこの寺が中心になっていました)の座主・広延が真言系の三輪流神道に転向して真言宗(当座派修験)の影響が強くなりますが、基本的に天台宗の大拠点の一つとして中世・近世を送ってきました。
明治の神仏分離令で信仰の中心だった霊仙寺は破壊され、そこに政府によって英彦山神社が作られたものの、
信仰内容は不変で、今日でも「英彦山大権現」への信仰は変わらず、祭祀も天台や真言の修験者たちが中心で行われており、今、明治に政府によって廃止させられた英彦山修験は復活しつつあります。- 101
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2019-08-26 22:06:03
【神道シリーズ】第66回・武州御嶽信仰【後半】武州・木曾・甲州御嶽信仰と明治の神仏分離武州御嶽、木曾御嶽、甲州御嶽(甲州金峯山)など、所謂「御嶽」信仰とは、8世紀の役小角発の蔵王権現を祀る修験道に由来していますが、もともと吉野や熊野で修行してきた当山派(真言系)や山門派(天台系)の修験者たちの修行の場としての山岳信仰だったのですが、これが江戸時代になると修験者たちの努力により一般人にも登拝が可能となり、修験者たちはそれまでの自らの修行を極める為の山岳信仰から一般人に信仰を広める御師(おしorおんし)として護摩焚き用の札(牛王札守<ごおうほういん>)を配り布教し、そのお札は別当寺の社僧・神主らによって焚かれ、その時の料金としての初穂料収入や、またスポンサー(檀那)からの寄付を集める役割をするようになりました。
こうした御嶽信仰は明治の神仏分離策の下、神社神道(国家神道)化した新設神社とは別に、教派神道の一派として全国の御嶽山信仰を連ねた「御嶽教」を形成して行きます。だいだいかぐら
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2022-08-05 20:31:02
どのように宗教は誕生したか3 宗教の死と最後の非科学今回は進化論による「宗教の死」と今に残る信仰についてです。
この動画は2021年12月配信「どのように宗教は誕生したか -古代から現代まで-」のアーカイブです。
https://youtu.be/xrFjN3FKZQI
投書箱(マシュマロ)
https://marshmallow-qa.com/toopiltzin?utm_medium=url_text&utm_source=promotion
参考文献
阿満利麿『日本人はなぜ無宗教なのか』1996年 筑摩書房
安丸良夫『神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈』1979年 岩波書店
末木文美士『日本宗教史』2006年 岩波書店
森博達『日本書紀の謎を解く―述作者は誰か』1999年 中央公論新社
藤原聖子『教科書の中の宗教』2011年 岩波書店
竹中亨『帰依する世紀末』2004年 ミネルヴァ書房
デボラ・ブラム『幽霊を捕まえようとした科学者たち』2010年 文藝春秋
聖書協会『聖書 口語訳』2015年 日本聖書協会
田川建三『キリスト教思想への招待』2004年 勁草書房
堀内一史『アメリカと宗教』2010年 中央公論新社
八木谷涼子『キリスト教の歳時記』2016年 講談社
ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』2016年 河出書房新社
呉茂一『ギリシア神話』2007年 新潮社
ヴィルヘルム・グレンベック『北欧神話と伝説』2009年 講談社
カエサル (著)、近山金次 (翻訳)『ガリア戦記』1941年 岩波書店
トレイシー・ウイルキンソン『バチカン・エクソシスト』2010年 文藝春秋
中村希明『怪談の科学』1988年 講談社
ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧』2002年 みすず書房
納富信留『ギリシア哲学史』2021年 筑摩書房
堀江 宗正「「亡くなった人はここにいる」…震災被災地の「霊的体験」が私たちに教えてくれること」
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/88344
【独自】携帯アドレスそのまま、持ち運びOK…大手3社が月内にも新サービス : 経済 : ニュース : 読売新聞オンライン
https://www.yomiuri.co.jp/economy/20211214-OYT1T50285/
JMR調査レポート(2017 年度)日本のプロテスタント教会(教団・教派)の現状と分析
https://www.tci.ac.jp/wp-content/uploads/2015/08/JMR_report_2017.pdf何かにすがりたいからでしょ 乙女戦争の漫画あります
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2019-11-18 22:53:02
【神道シリーズ】第74回・八百万の神㉔岩木山三所権現(天台と真言の確執の中で発展した岩木山信仰)青森県津軽地方の「津軽富士」と呼ばれる岩木山(いわきさん)の特徴は、他の山岳信仰でほぼ例外なく伝わる「役小角による開山説」の伝承が無いことで、代わりに薬師如来の垂迹とされた大元尊(大己貴神)による開山が伝えられ、以後、岩木山と両隣の岩鬼山(がんきさん)と鳥海山(ちょうかいさん)が、それぞれ十一面観音の垂迹の多都比姫(宗像三女神)、阿弥陀如来の垂迹とされる国常立尊で構成される「岩木山三所大権現」が信仰の中心となってきました。
この岩木山三所権現は、天台宗の聖護院が自ら形成した熊野三所権現や白山三所権現と同じパターンで、さらに天台宗比叡山の山王三聖の中心の大己貴神=釈迦如来の化身を本地仏を薬師如来に変えて持ち込み、これも白山三所権現や英彦山三所権現(いずれも天台系)と同じパターンで、「大己貴神(釈迦か薬師か阿弥陀の化身)が地元の竜女神と結婚した」パターンが採られています。
こうしても見ても、岩木山信仰のほとんどは天台両派(比叡山と聖護院)によって形成されたと言っても過言ではありません。
岩木山信仰は①岩木山三所権現を中心に、室町時代から江戸時代にかけて、②坂上田村麻呂=毘沙門天(多聞天=北斗七星=妙見)信仰③深沙(じんじゃ)大権現<大般若経守護神の一つ>の猿賀(岩木山の麓)④安寿姫と厨子王丸(仏教の説教話「さんせう太夫」の登場人物)から来る安寿姫=岩城大権現信仰の4つの柱からなっていますが、いずれも天台宗の影響が大きいのが窺われます。
明治の神仏分離令で、信仰の中心の百沢寺(ひゃくたいじ)は政府により強制的に神社に改編され(岩木山神社)、多くの僧房は破壊されましたが、今でも上記の四要素は昔と変わらず、山伏が中心となる祭祀が行われています。- 91
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【神道シリーズ】第67回・六郷満山信仰【前編】日本随一の天台王国・秦王国(神道無関係w)六郷満山は以前の「宇佐八幡宮」の放送の際にも若干触れてはいましたが、これだけ素晴らしい仏教伝統の色濃く残る文化をあれだけで終わってしまうのはあまりにももったいなく思い、今回は六郷満山だけを取り上げ、【前編】で宇佐八幡との関係史を、【中編】【後編】で六郷満山の多くの天台寺院を取り上げて行きたいと思っております。
六郷満山の寺社は、ほとんどが天台系であり、寺院はいうまでもなく、数少なく存在する神社も中世から近世に比叡山天台宗の山王神道や天台宗寺門派(聖護院門跡)の熊野修験の影響を強く受けており、祀られてる神のほとんどは出雲系であり、現在でも祭祀などは天台寺院の傘下にあります。
六郷満山も、恐山や秋葉、愛宕、石鎚、鞍馬山などと同様にそれまでの地元の仏教や修験道の信仰が強すぎて明治の神仏分離策で神社神道化(神社神道は明治期に創設された)に完全に失敗した一つの例とも言えます。らんろうおう 丹後ちゃうやん 行ってみたいな うP乙
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2020-03-23 22:22:02
【神道シリーズ】第87回・八百万の神㉜鳥海山大権現(真言と天台の係争の場・鳥海山修験)鳥海山(ちょうかいさん)は、かつて出羽三山(現在は羽黒山・月山・湯殿山)の一つとして羽黒山、月山とともに数えられたことがありますが、山形県の五山(羽黒山・月山・湯殿山・葉山・鳥海山)の中では標高(2236m)でダントツで最高であり、山麓を含めた面積も他山を圧倒的に凌いでいるにもかかわらず影の薄い存在となっています。
鳥海山は奈良時代から朝廷と蝦夷の戦いの最前線にあり、朝廷は大物忌(おおものいみ)神社(祭神は鳥海山大権現)を建て、仏経的な意味で血穢や死穢を清める意味での「物忌」を願い、殺害した蝦夷の祟りを恐れて鎮霊の為にこの神社を創建しました(6世紀後半・欽明期)。
平安以降は真言宗と天台宗の修験が進出し、両宗派ともに神宮寺や大物忌神社の社僧(神社に常駐する僧侶)として神社の実験を握り、その主導権を両宗派によって明治前まで争い続けました。
明治の神仏分離令で鳥海山修験が禁止された為に鳥海講は衰え、その後消滅の道を辿り、今では大物忌神社そのものは残っているものの、その信仰を支えた修験道の消失で現在は登山地・観光地としてだけ注目されるようになりました。- 83
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2020-04-27 22:57:02
【神道シリーズ】第91回・八百万の神㊱その他の山岳信仰(4)霧島山・久住山・牛尾山・開聞岳・硫黄岳今回は、九州でまだ解説してない霧島山(きりしまさん)・久住山(くじゅうさん)・牛尾山(うしおやま)・開聞岳(かいもんだけ)・硫黄岳を紹介します。
霧島山は、天暦(てんりゃく)年間(847~752)に証空の開基を伝え、そののち、霧島六社をもって霧島六社権現として発展し、明治前まではその各社とも、天台・真言の別当寺を持っていたが、明治政府により強制廃絶され、江戸時代以降に国学の影響でヤマトタケルが祀られた霧島神社のみが残っています。
牛尾山は、信仰の中心は法厳寺(単立の本山修験宗。本尊は十一面千手観音)が中心で、牛尾神社は:延暦11年(792)、出雲大社より勧請創建された古社で、もと八王子大明神といい牛頭天王を併せ祀り、地元では「天王さん」と親しまれており、現在でも修験道が盛んです。
久住山(九重山)は、文明2(1470)年、英彦山より養順法印(天台宗)が入山し、修験道場を建立、法華院白水寺と呼ばれるようになり、英彦山信仰に吸収されていきました。
開聞岳は、信仰の中心は別当寺の普門寺(真言宗)であったが、明治の神仏分離令の際に破壊されましたが、現在でも岩屋や石祠(せきし)などから、かつては当山派修験の名残が窺われます。
硫黄岳は、山麓に、蔵王権現と熊野権現を祀り、熊野権現は、この島に島流しになった僧・俊寛(真言宗)らの勧請と伝えられています。- 81
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2022-06-28 23:47:02
【神道シリーズ・シーズン3】第20回・千家尊福【中編】千家尊福と祭神論争慶応4年の大政奉還直後から始まった新政府による王政復古政策は、古代の祭政一致を目指し、神祇官を復活させ、さらに神祇省まで創設して律令政治時代の日本の政治体制の復活を目指したものの、全国で実施していた廃仏毀釈を伴う神仏分離政策は各地で住民や仏教勢力の抵抗に遭い、特に浄土真宗からは農民蜂起や暴動をも含む強い抵抗があり、神祇官制度はまったく実態を伴わないままわずか3年あまりで廃止になり、その後、神道国教化に向けて仏教勢力を含めた宣布運動を目指し、島地黙雷率いる浄土真宗からの提案で教部省を立ち上げたもののの、宣布するはずの神道の中身が不明で、しかも途中から台頭してきた薩摩閥により、教部省内の僧侶たちに
祝詞を読むことを強制したりするようになるとそれに抗議した浄土真宗が脱退することにより大教宣布運動は収束し、同時に教部省も崩壊し、その後、教部省の教導職、つまり、当時唯一宗教的布教を認められていた職権を
継承した神道事務局は、薩摩出身で伊勢神宮の大宮司の田中頼庸は事務局の祭神を造化三神とアマテラスだけとしたが、事務局に参加してきた出雲大社宮司で80代出雲国造の千家尊福は祭神のオオクニヌシも同等に祀るべきと主張し、両者は平行線のまま祭神論争が続いたが、全国の事務局教導職者の圧倒的多数と本居 豊穎や平田 銕胤など平田派は全面的に出雲派の尊福の支持に回り、形成は圧倒的に出雲派の優勢で推移した。
銕胤など平田派は全面的に出雲派の尊福の支持に回り、形成は圧倒的に出雲派の優勢で推移した。
何度も合同会議を開き、教導職の代表を集めた会議での多数決でも出雲派が圧倒的勝利をするも田中頼庸はこの結果を潔く認めず、出雲派の紛糾が続く中、政府中枢から桜井能監を派遣し、合議の末、大国主の合祀の合意に至り調印までするものの、尚も伊勢派の頼庸はその結果を認めず、最後には薩摩閥の重鎮で内務卿の松方正義を頼り、三条実美を通じて明治天皇の直截という形で出雲派の要求は退けられ、アマテラスのみが事務局の祭神となり、圧倒的優勢だった出雲派の敗北は決定的となった。
この後、千家尊福は事務局から脱退し、出雲大社教を立ち上げ、政府の神社神道路線とは別の路線を歩むこととなるが、これを境に政府は平田派を政府から完全に追放し、政府は祭政分離に基づく神社神道、つまり国家神道と、政府が公認する教派神道13派の二流に分け、近代国家日本の建設の為、幕末以来討幕派が目指した祭政一致の理想を完全に放棄することになったのである。- 78
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2020-03-16 22:59:09
【神道シリーズ】第86回・八百万の神㉛葉山大権現(今でも薬師如来を本尊として祀る葉山神社<旧・天台大円院>)山形県の葉山はちょうど現在「出羽三山」と呼ばれる羽黒山・月山・湯殿山のすぐ東隣りに位置し(月山・湯殿山のすぐ隣)、かつては羽黒山・月山とともに出羽三山の一つに数えられていましたが、江戸時代以降、湯殿山に真言宗が進出して湯殿山信仰を確立すると今の三山形式になりました。
それまでは現出羽三山に匹敵する山岳信仰があったとされています。
葉山信仰は天台宗の葉山大円院とともにあり、葉山信仰=天台葉山大円院と言っても過言でないほどですが、江戸後期頃には次第に月山信仰に吸収されて衰退し、明治維新の神仏分離令により葉山神社(明治に新設)に強制改装されて今日に至っています。
しかし、普通明治に信仰の中心であった寺院が破壊されて神社化させれる時、縁も所縁もない古事記の神々が祀られる事がほとんどの中、今でも葉山神社では本尊として薬師尿来が祀られていることからしても明治の神社神道化(国家神道化)の失敗例だとも言えるでしょう。- 76
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2022-02-15 21:10:03
【神道シリーズ・シーズン3】第5回・明治以前からの廃仏毀釈(岡山藩・津和野藩・土佐藩)まなすさんの土佐廃仏毀釈解説付き最も早い時期から神社統廃合や寺院統廃合が行われていたのは水戸藩と岡山藩で、岡山藩では陽明学者の熊沢蕃山の影響を強く受けた藩主池田光政はまず淫祠と呼ばれる陰陽行に基づく男女性器をシンボルにした陰陽石や道祖神およびそうした神体を祀る小詞・堂宇・庵などが破却整理の対象となった。そして権現神や明神を祀ってる社から記紀の神々を切り離して寄宮という場所にまとめて祀るという、所謂「寄宮」政策が行われた。
しかし、こうした政策は神仏分離というよりも実は民間信仰の否定破壊であり、その上にさらに仏教葬祭を禁止して神道葬祭に強制的に切り替えさせるという政策も民衆の抵抗があり、結局徹底した寺院整理は実現できず、神道葬祭強制も結局もとの仏教葬祭に戻す武家や民衆の動きにより実現できなかった。
しかし、岡山藩では神社統廃合は徹底して行われ、約94%の神社的祠、堂宇、庵が破壊された。
一方の寺院統廃合では特に日蓮宗不受不布施派がターゲットにされ大半が破却された。
島根県西部の津和野藩では、幕末に平田派の国学者、大国隆正や福羽美静の影響を受けた藩主・亀井茲監は廃仏を目的とする寺院統廃合は行わなかったものの神仏分離政策は徹底され、当時急増していた新創建神社の整理とともに寺院の神社化や平田国学者による社伝の書き換えなどは徹底された。
さらに寺請制度の廃止と神社請制度による置き換えを目指したが幕府からの圧力により頓挫した。ここでも仏教葬祭の廃止と神道葬祭の強制が行われたがうまく行かなかった。
土佐藩では、明治直前より平田国学の影響を強く受けた藩役職の者たちにより寺院統廃合と廃寺化した寺院の神社化が進められた。
この三藩に共通していることは、寺を失い、僧侶を失っても民衆の仏教信仰は止まず、
仏教葬祭の廃止と神道葬祭の強制はことごとく失敗し、同時に民衆の信仰の中心であった民間信仰が徹底的に破壊され、巨大な心の空洞を産みだした。一連の廃仏毀釈および寺社統廃合により仏教を消し去ることには失敗したが、日本人の古くから引き継がれてきた民間神道は徹底的に破壊され、明治以降はそうした民間信仰の維持を願う民衆と神道という名の平田派系の新興宗教との静かなるせめぎ合いが続いていくのであった。- 75
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2020-03-30 23:05:02
【神道シリーズ】第88回・八百万の神㉝その他の山岳信仰(1)厳島弥山・相模大山・八海山・剱山など・・・神道シリーズの山岳信仰シリーズもいよいよあと残すところも僅かとなりましたが、
これまで主な山岳信仰はことごとく網羅してきましたので、今回、次回と(おそらく)あと一回ぐらいに渡り網羅しきれなかった山岳信仰を出来る限り網羅していきたいと思っています。
今回は、厳島弥山、相模大山(おおやま)、八海山(ほっかいさん)、伊勢朝熊山(あさまやま)の山岳修験信仰を取り上げて行きたいと思います。
いずれも真言系の修験(弥山➡真言宗御室派・相模大山➡真言宗醍醐寺派・伊勢朝熊山➡真言宗大覚寺派<後に臨済宗南禅寺派へ改宗・八海山➡高野山真言宗)が中心で、明治維新の神仏分離政策により信仰の中心の真言系寺院はことごとく破壊されて新設の神社に置き換えられたものの、弥山や朝熊山は伝統の力が強く、大正期に寺院は復活して古来の信仰を保っています。御山神社はもともとは三鬼堂のあったところ れいか 霊火堂ですよ
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2019-12-16 22:53:02
【神道シリーズ】第76回・八百万の㉖日光山信仰【後編】(峰修行・現在の祭祀)前回は勝道上人による開山伝承やその後の日光山(二荒山)の天台化や比叡天台系の輪王寺を中心にして確立した日光三所大権現信仰の歴史などを紹介しましたが、今回は、その日光山で行われてきた四季峰修行や現在の日光山の祭祀などについてお話したいと思います。
日光山信仰は中世以降天台宗(比叡山)を中心とした日光三所大権現信仰を中心に発展して行き、近世(江戸時代)になると日光東照宮の創建や天台僧天海による山王一実神道の確立などで幕府からの強い後援を受けて発展しますが、明治になると神仏分離令で三社権現社が日光二荒山神社に改編され、輪王寺との関係が強制的に断絶させられましたが、それでも日光山の登拝祭祀や護摩祈祷などは輪王寺と日光二荒山神社の協力の下で行われており、さらに江戸時代以降に確立した東照宮の祭祀などが今日でも続いており、(かつての)日光山修験道の廃止以外は今も昔も祭祀は変わっていません。- 72
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2022-03-03 20:44:02
【神道シリーズ・シーズン3】第6回・リセットされた伊勢神宮(今の伊勢神宮は明治に創られた新伊勢神宮)日本書紀には、アマテラスの身代と言われる八咫鏡が宮中から常世の世界を求めて五十鈴川のほとりの宇治山田に移ったという話や、後の天武天皇たる大海人皇子が壬申の乱で戦争を祈って伊勢の方向に遥拝した話が出てくるが、実際に伊勢神宮の名称が登場するのは11世紀に天台僧・皇円によって書かれた扶桑略記で、古書の中で確認できる伊勢神宮では、神宮の成立は天武天皇の治世の8世紀頃とされ、もともと伊勢の宇治山田の地で伊勢大神たる由化ノ神を氏神としていた渡会氏の地に、出自不詳の荒木田氏がアマテラスを祀る内宮の禰宜として登場し、渡会氏は由化ノ神ならぬ豊受神を祀る外宮の禰宜とされた。
その8世紀以降明治までのおよそ1200年以上の間続いてきた内宮荒木田氏・外宮渡会氏の禰宜や中世以降明治前までずっと続いていた伊勢大麻を配り参詣者たちを募っていた伊勢御師や江戸時代以降盛んになった伊勢講までをも明治新政府は一瞬にして強制的に廃止してしまった。
一方、中世以降、密教との繋がりを通じて発展した内宮や、道教思想に基づいて伊勢神道を形成して神宮の独立性を確立した外宮の存在基盤も新政府による神宮周辺の寺院の全廃や内外宮禰宜の社家・荒木田氏、渡会氏を追放し、伊勢神道の道教的祭祀を全廃し、薩摩など外部から平田国学など国学神道論の影響を受けた部外者たちを権禰宜など神宮運営の中心に据え、新たな祭祀と地方官庁が伊勢大麻を生産して住民に強制的配布をする、など過去の伊勢神宮の歴史を完全否定する新伊勢神宮建設計画が進められた。
やがて伊勢神宮は神宮としての独自性よりも、明治期に新たに作られた宮中祭祀と歩調をとるように新たに作られた明治神道形式で統一され、さらに全国神社も独自祭祀を禁止し、宮中、伊勢神宮、全国神社と共通性する祭祀の構築が新政府によって進められた。
こうした強引で人工的な日本教の建設には、浄土真宗を中心とする仏教勢力や庶民の根強い反対や抵抗によりかなり緩和され、骨抜きにはなって行ったのだが、伊勢神宮や伊勢周辺寺院も含め、失ったり破壊された伝統文化はあまりのも大きかったのである。- 65
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2022-02-08 00:05:02
【神道シリーズ・シーズン3】第3回・明治以前より始まっていた廃仏毀釈①(水戸藩<前期・後期>・長州藩)一般的にすべてを丸めて廃仏毀釈と呼ばれることが多いが、実は廃仏毀釈という概念は大きく三つのジャンルに分類される。一般的に言われるのは大政奉還直後から明治4年ぐらいの4年間ぐらいの間に松本・苗木・佐渡・隠岐など一部の地域で行われた過激な廃仏毀釈活動で、一つは江戸初期より水戸藩や岡山藩で行われていた寺社統廃合政策と幕末に水戸学や国学に影響されて行われたより進んだ寺院統廃合であり、
いまひとつは明治以降明治10年過ぎ頃まで続いた新政府による神仏分離政策である。
広義での廃仏毀釈には江戸初期より水戸藩・岡山藩で行われた儒学的な廃仏主義・祭祀思想に基づく寺社統廃合より始まり、当初は仏教の完全否定ではなく、無住の寺、宗教活動をしていない寺、祈祷のみで葬儀を行っていない寺などが統廃合の対象となっていた。
しかし、幕末になると後期水戸学、陽明学、平田国学に影響されてより過激な廃仏思想に基づく寺院統廃合が進み、薩摩藩のように藩内の寺院がゼロになるような藩も出て来た。
危険な思想の兆しは長州藩にみられる淫祠の破却思想で、これは荻生徂徠による儒教経典礼経によるもので儒教的な排仏主義から来ている民間信仰破壊で、民衆の最も身近な信仰対象である小祠、堂宇、石仏、庚申塚、地蔵菩薩像などが破壊尽くされ、民衆を不安と恐怖のどん底に突き落とす事となった。
確かに明治以前の寺院統廃合においては明治以降のような暴徒による暴力的な廃仏毀釈活動は見られなかったものの、長い歴史の中で定着していた民間信仰の破壊や火葬仏教葬儀の廃止など、国民の伝統を破壊する活動は続けられた。それまで仏教の神々を祀っていた権現社や仏教に帰依した氏神を祀っていた明神社は古事記や日本書紀に出てくる神々に祭神に変えられ、新設神社とされ、ありもしなかった由縁や社伝を付け加えられて行った。
藩主たちは儒学や国学に基づき権現社・明神社の神社化を民衆の抵抗を抑えながら進めて行ったが、彼らの提唱する神道なるものにより民衆の間に生まれた心の空白を埋めることはできなかった。なぜならもともと仏教に無関係な古事記日本書紀に基づく神々の信仰などというものは存在しなかったからである。東行庵ですね
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2021-05-29 17:58:02
日本再生の指針、岡野守也著 / 44A岡野守也さんの日本再生の指針、「聖徳太子の17条憲法」と「緑の福祉国家」を読みました。それで読むのが主で感想は簡単なものですが、内容は良かったです。17条の方は最近の私の指針とも重なりますし、緑の福祉国家については
スウェーデンの方策について書かれています。まぁ私も福祉を勉強して、今世界でどの国が福祉制度が進んでいるかといったらそれはスウェーデンですし、持続可能ですし、日本は戦後経済成長しましたが、実際今は失速しています、なので少子高齢化ですし、いっそのこと福祉国家にしてもいいかもしれませんね。さらに聖徳太子の17条憲法を踏まえる。私の唱える神仏融合論とも合致しますし、やはり今の日本は開国時の神仏分離と敗戦時の政教分離で根幹がなくなったんだと思いますよ。経済成長は神話でしたけどそれが衰えてはじめて気づきます。- 61
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2020-11-15 21:32:02
【音読】流行り神Revenge F.O.A.F File No.110「神仏分離」ホラーアドベンチャー:流行り神 F.O.A.F データーベース File No.110「神仏分離」
※男が音読。よろしければご視聴を検討ください。
流行り神は、2004年8月5日。Revengeは、2005年7月14日発売。
◆一応、CERO15(15歳以上対象):グロテスクな表現が含まれている場合があります。
非対象の方および苦手な方は、お手数ですが[戻る]ボタン等を押してお戻り下さい。
⇒[【音読】流行り神 Revenge 第二話『鬼』#24:sm38717253] (F.O.A.F取得元:第二話)
■[【音読推理】流行り神Revenge 第零話~最終話:mylist/10872464]
■[【音読】流行り神Revenge 異説:mylist/13944544]
■[【音読推理】流行り神シリーズ総合マイリスト:mylist/15231773]おつ うぽつ 乙 歴史あるものを壊してしまったのは残念 仏教に虐げられてきたという思いがあったんだな うぽつ うp
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2021-01-29 22:01:03
【周防岩国の霊峰】阿品弥山 弥山本社「日宛山神社」の紅葉と山頂からの大展望 令和2年近くて遠い幽境で元来は山岳信仰の山。弥山本社 日宛山神社の紅葉を眺めた記録。旧岩国領吉川公の祈願所であった弥山社。現在明治の神仏分離令にて三社に分割された。令和2年2回目の訪問。展望所からの山並みがなかなか良い。
弥山本社 日宛山神社= 猿田彦大神、大山祇大神を祀る。岩国市日宛地区(旧日宛村)の鎮守.
社殿右の陽光を受けた紅葉の古木が見事だと思う。展望台は山並みが遥かに見えて、周防大島や柳井、広島県の山も見える。
山口の登山家 中島篤実先生選定の山口百名山の一座
〜歴史〜
岩國の霊峰〜弥山の寺社巡りと山の風景。かつては江戸時代吉川広家公により〜岩国北ノ方鬼門除護と岩国領と領民の全ての安寧を祈る霊場である弥山社として神仏習合の霊場だった。
明治期、阿品、日宛、瓦谷の三村の境にあることから阿品=長楽寺、日宛=日宛山神社、瓦谷=赤滝神社の社寺に分割された経緯がある。自然豊かな展望の良い信仰の山。
弥山社=山の開創は役行者とされひと呼んで新四郎坊。修験道の山であった。元来は神仏混合の社寺。享保年間社殿造営の時、東光寺の禅師が来山し黄檗宗と定まった。現在の弥山本堂の社殿後ろのもみぢの木が大きいです。アクセスが大変なので普段はあまり訪れる人は少ないようです。
2019年より綺麗に撮れたから満足です^^> 新緑が楽しみだ。中Xコロナみ負けないぞ。
(2)弥山本宮 赤滝神社周辺の紅葉 sm38199118 (瓦谷)
(3)弥山本堂 長楽寺(阿品)(4)番外記録 R31月14日大祭の日。山の頂風景(阿品登山道 山頂から14丁あたりまでなど)
阿品弥山への林道【車載】 sm37842965- 55
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2023-06-16 22:00:00
「参考文献」 菜食主義の歴史 8参考文献です。
参考文献
伊勢田哲治『現代思想2022年6月号 特集=肉食主義を考える』青土社 2022年
塚本学『徳川綱吉』吉川弘文館 1998年
阿満利麿『日本人はなぜ無宗教なのか』筑摩書房 1996年
安丸良夫『神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈』岩波書店 1979年
末木文美士『日本宗教史』岩波書店 2006年
佐伯恵達『廃仏毀釈百年』鉱脈社 2003年
近代食文化研究会『なぜアジはフライでとんかつはカツか?』Kindle 2022年
岡田哲『ラーメンの誕生』筑摩書房 2019年
観光庁「飲食店等における外国人ベジタリアン・ヴィーガン対応ガイド」 2020年
https://www.mlit.go.jp/kankocho/news08_000326.html
坂井健『「牛鍋」はどんな鍋だったか 『安愚楽鍋』を中心に』「京都語文」2002年
https://archives.bukkyo-u.ac.jp/repository/baker/rid_KG000900000404
畜産技術協会「アニマルウェルフェアのすすめ」2018年
https://www.maff.go.jp/j/chikusan/sinko/attach/pdf/animal_welfare-55.pdf
クロス・マーケティング「代替肉・代替たんぱく質に関する調査」 2021年
https://www.cross-m.co.jp/report/life/20210526fakemeet/
日本で唯一 想いやり生乳
http://www.e-shigenoya.jp/forum2/omoiyari/omoiyari.html
ナショナルジオグラフィック「植物たちは「会話」している、ストレスで超音波を出すことも判明、人間も受け取っているメッセージとは」Yahooニュース 2023年4月21日
https://news.yahoo.co.jp/articles/1e022a29cd223dce21bae239f673e9a7abe233f1
BGM 魔王魂
この動画は以下のアーカイブです。
菜食主義と肉食主義の歴史 -綱吉、廃仏、洋食、そして現代-
https://www.youtube.com/live/tKhPzVYC79w?feature=share- 51
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2022-05-04 19:55:02
【神道シリーズ・シーズン3】第13回・三河大浜騒動(浄土真宗の反撃)明治新政府は、寺院統廃合と神仏分離政策、および、宮中、伊勢神宮、全国神社の祭祀統一などにより、欧米のキリスト教のような一神教的神道国家の形成を目指したが、そこに大きく立ちはだかったのは浄土真宗とその膨大な数の門徒たちであった。
新政府は寺院の数を減らしたり、寺院を神社に変えたりすることにより仏教の弱体化と国家が直接管理する全国神社により「神道国家日本」を目指したが、その過程で多くの真言宗、天台宗、曹洞宗、臨済宗、日蓮宗などの寺院が廃寺化されたが、それはすべて朝廷の命令の下にという口実で強権を持って進められた。
しかし、阿弥陀如来以外を信仰対象としない浄土真宗にはもともと権現とか明神と言った神祇信仰は持たなかった為、国家神道を押し付ける新政府の政策には強く抵抗した。
寺院統廃合政策に対して浄土真宗は全国で抵抗を続けたが、明治4年(1972年)2月に富山で2000人以上の真宗門徒農民の一斉蜂起が起きた翌月の3月には三河の大浜で真言宗僧侶や門徒農民数千人による大浜騒動が起き、暴動自体は鎮圧されたものの、それにより大浜での寺院統廃合および神道化政策は中止となり、この動きは全国的な真言宗の抵抗運動に大きな弾みをつけると同時に、新政府の神仏分離政策や廃仏毀釈運動に対して大きなブレーキをかけて行くこととなった。
現在の愛知県碧南市、西尾市、安城市を含む三河大浜の地域は、当時、千葉県に本拠地を置く菊間藩の遠隔飛び地として菊間藩の管轄下にあり、藩は、平田国学の門下生で小参事の服部純を大浜の寺院統合および神道化政策のトップとして派遣した。
この動きに不満を訴えた大浜の真宗寺院の僧侶たちは暮戸会所に集まり、藩の本部である大浜陣屋に談判に出かけることを決めたが、その道中、多数の真宗門徒農民たちが集まり、談判団の数は数千人に膨れ上がり、僧侶たちは彼らに解散を求めたが応じず、結局大浜陣屋北の片山家庄屋で暴動となり、藩側が砲撃により鎮圧に乗り出すこととなった。
結果は、事態の大きさに対して藩側の処罰は予想よりはるかに軽く、このことからしても真宗を挑発することの恐怖感を藩が感じていたことを物語る。
新政府の強引ともいえる国家神道化計画は、当時東部中国地方から畿内、中部地方全域、そして関東の一部にまで勢力を持ち、当時の人口の三分の一から二分の一近くを占める真宗門徒たちを無視して進めることはできず、結果、神道化政策もかなり形骸化される結果となったのである。- 50
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【神道シリーズ・シーズン3】第9回・秋葉・祇園・天満宮・白山の廃仏毀釈明治の神仏分離政策で多くの寺院が破却され、その寺院がそのまま神社に改変されることにより寺院の神社化が次々と進められて行った。
稲荷大社、春日大社、住吉大社、鹿島大社などの氏神の系統の神社を除けば、それ以外のすべての神社は明治時代に寺院を廃してそのまま神社化したケースや、寺院が管理する権現社、明神社、堂宇、宮などを神社にしてしまったケースのどちらかに属している。
つまり、伊勢神宮の系列、および上記の氏神系神社の系列を除けば現在存在する神社のほぼすべては明治前までは寺院ないし寺院の管理する仏教系の神々を祀る社であったのである。
秋葉信仰は、明治前までは秋葉寺が中心となった火消しの神・秋葉三尺坊の信仰が続いていたが、明治になると秋葉寺は新政府により廃寺にされ、秋葉寺は仏像仏具を取り除かれ、そのまま新設の
秋葉神社に改変改装されたが、今でも秋葉山の信仰は火消しの神、秋葉三尺坊大権現の信仰のままであり、秋葉山の祭祀やお祭りも秋葉寺や曹洞宗の寺院・可睡斎が中心で行われており、明治に新設された秋葉神社にはまったく存在感がない。
一方、京都の八坂神社は明治前までは天台宗の寺院・観慶寺の感心院の境内に設けられた仏教の神・牛頭天王を祀る社殿で、祇園社と呼ばれていた。
牛頭天王は播磨の廣峯社を中心に蘇民将来説話の武塔天神と同一視され薬師如来の垂迹とされ、また、中国の道教神の天刑星とも習合した仏教神で、その信仰は、京都祇園も含め全国に点在するように広がっていた。
祇園社では、牛頭天王とその妻、ハリサイニョと、8人の息子たち八王子を祀っていたが、明治政府は、それをスサノオとクシナダヒメとスサノオの8人の息子たちに置き換え、祇園社を八坂神社と言う神社にしてしまった。
しかしながら、現在でも八坂では祇園祭が行われており、全国でも牛頭天王を祀っていた現神社元寺院の地域では現在でも各地で天王祭が行われている。
北野天満宮は元道真を祀る天台宗の朝日寺の曼殊院門跡であり、大宰府天満宮は大宰府の真言宗の寺院・安楽寺であった。
十一面観音を本尊とし、雷神と道真の御霊が習合した天神信仰を、明治政府はこれを北野神社と改めたが、今でも天満大自在天神社と「大自在天」の名称が残っている。
そして、北野も大宰府も今でも祭神は道真のみで記紀の神は充てられていない。
白山を囲む三つの白山神社はもともといずれも平泉寺、長瀧寺、白山寺という天台系の寺院で、明治政府はこれらの寺院を強引に神社に変えたものの、今でも平泉寺白山神社、長瀧白山神社と、寺院の名称を残し、修験道的な神事を残している。- 48
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2022-03-14 22:44:02
【神道シリーズ・シーズン3】第7回・全国の神仏分離政策①諏訪・住吉・四国遍路暴力的な寺院破壊を伴った廃仏毀釈運動とは別に新政府主導で進められた全国の神仏分離政策は、基本的に寺院や仏像・仏具・仏什の破壊を目的にしたものではなかったが、「神仏を切り離す」という原則は貫かれ、強引な神仏の引き離しや、引き離せないところは廃寺にして神社を新設するなどと不自然な分離活動は続いたが、最後は仏教信仰の強い住民による下からの抵抗により廃寺になった寺は復興を遂げ、破壊された神宮寺に残る国宝級の仏教遺産も信仰の篤い信徒や社人、住民らの力によって救出されてきた。
春宮と秋宮からなる下社諏訪大社には平田国学が入り込み、下社大祝の金刺信古は平田篤胤の門人となり、尊王攘夷運動にも積極的に関わり、国学的廃仏主義に燃え、明治前より諏訪大社下社神宮寺の破壊を始めた。大祝の金刺古信のみならず副大祝の山田氏も神宮寺の堂塔、仏具を撤去しようとしたが、高島藩の藩民たちは仏罰や祟りを恐れてその協力を拒否した。
諏訪大社上社神宮寺でも一級の国宝級資産である諏訪明神の本地・普賢菩薩騎象像や上がり・下り仁王門に祀られていた金剛力士像、そして不動明王像や毘沙門天象などが善光寺に救出搬送されていたが、一部破壊を受けたこれらの像はいずれも片目がえぐられていた。
これは、やはり仏罰や祟りを恐れての仏像の魂抜きという作業だが、こうした事実からしても地元の仏教信仰の深さを物語っていると言える。
住吉大社では、1200年以上の歴史を持つ新羅寺と呼ばれていた住吉神宮寺は、東西に大きな多宝塔を持つ名刹の一つであったが、神仏分離政策の中で東塔は完全に破壊されたが、西塔は四国遍路の切幡寺にそのまま搬送救助されていた。
四国遍路でも多くの寺院が廃寺に追い込まれ、神仏習合性の高い寺院は神社を新設して独立させ、中には、崇徳上皇の配流先となった白峯寺では、崇徳上皇の神霊が強引に京都に新設した白峯神宮に移されたが、今でも崇徳上皇の神霊参詣は白峰寺で行われており、また、廃寺に追い込まれた寺院すべてが住民・信徒たちによって復興された。
こうした一連の住民たちの静かなる抵抗は、日本全土で日本人の仏教信仰の深さを物語っており、
長い歴史の中で培われた伝統的信仰はにわかな神道という名の国学イデオロギーで表向きの形を強引に変えても本質的な部分は何ら変わっていなことを物語っているのである。- 46
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2022-01-06 22:25:02
祇園町地名の由来〜 広島市の古社「安神社」(旧 祇園社)の紅葉 広島市安佐南区祇園境内の由緒によれば=清和天皇の御世 貞観年間に諸国に勧請された祇園社の一つだそうです神仏混淆の素盞嗚命と習合したした牛頭天王を祀る社だった。明治二年神仏分離し安神社と改称。郷社となる。
明治43年 社殿焼失大正時代の再建 神明造の社殿です。
住宅に囲まれ 社頭を県道277号線が走り、背後にJR可部線が通過する場所にある。
鳥居から遥かに銀山(かなやま)=武田山〜佐東銀山城跡(安芸武田氏の根拠地)が見える。
佐東銀山城(武田山)の麓にあったが正安元年1299年に厳島神主家に攻められ兵火で焼けたため、武田氏により現在地で再建されのだそうです。
祭礼中の戦火で御神体は御神幸中で助かったという。
(歴史等は神社の由緒書を参照しています)
何度かこの辺は通行していたが、今回2回目の参拝させていただいた。
県道277=西区横川〜安佐南区のJR古市橋駅前まで続く県道 旧国道54号で旧道と呼ばれバス通りでもあり交通量は相当多い。道は結構狭い。
御朱印は書き置きに日付を入れていただけました。
注)字幕の訂正=厳島神主家に松尾山の社殿が焼かれたのがX嘉元元年ではなく→正安元年です。その後に武田氏による再建が嘉元元年が正しいです。
神宮寺=感応院X→感神院が正しいです。 以上訂正しておきます。うろ覚えでした^^;
音楽はニコニココモンズから
のる様作
沈む秋。.*:+☆ヒーリングBGM
鎮守の森~和風&アンビエントなピアノソロ~行ってみたい(^o^)
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2022-05-04 19:22:02
【神道シリーズ・シーズン3】第12回・東京(浅草寺・増上寺・寛永寺・宮中)における廃仏希釈京都で長い伝統を持つ送り火や節分節句、門松、七夕、七五三などが禁止され、奈良では多くの名刹巨刹の寺院が廃され、住民と政府との間で強い摩擦が生じていた頃、東京と改名した江戸では、神仏習合して長い歴史を持ち、徳川から深い敬愛を受けていた増上寺、寛永寺、浅草寺などが神仏分離の名のもとに境内にあった権現社などが次々と切り離され、神社化された。
しかし、地元住民の深い信仰で支えられていた浅草寺では新政府の思惑通りには進まず、7世紀に隅田川で聖観音を見つけた漁師の檜前浜成・竹成兄弟とそれを自宅を寺院に変えて祀った土師中知の三名を三社権現という神として祀る浅草寺の由緒社伝は室町時代頃に作られ、新政府は浅草寺境内にあった三社権現社を浅草神社としたが、権現号自体は取り払われたものの、今でもこの三名を神として祀っており、さらに由緒もありのままが書かれている。
徳川の菩提寺であった増上寺と祈願寺であった寛永寺も廃仏毀釈の嵐に邁偶することとなる。
増上寺は浄土宗の寺院であったが、元は真言宗の寺院であった為、熊野権現社、車折明神社など11の社を抱えていたが、それらの社の旧社殿はすべて破却され、幸稲荷神社とされた幸稲荷社にすべての権現・明神が大神として合祀された。
天台宗の寺院・寛永寺は、山主に代々皇族出身の法親王が就き、輪王寺号を継承し、天台座主と日光山門主も兼帯し、形式上将軍と対等の地位を持っていた。
しかし、その寛永寺も、慶応4年1868年10月に新政府軍と旧幕府側の彰義隊が上野で戦闘を始めた時、新政府軍は恭順した増上寺を基地とし、寛永寺に立てこもる彰義隊を攻撃し、僅か1日で勝利し、戦禍にまみえて寺院は悉く焼け落ち、彰義隊の死体の山と化してしまった。
その後、新政府は寛永寺の境内の不忍池にあった弁天堂に鳥居があったため、堂舎を取り壊そうとしたが、僧侶や信徒たちによる必死の抵抗により、鳥居のみを取り壊すことにより仏教寺院として維持していくことを可能とした。
東京遷都に伴い、江戸城を新皇居とした明治政府は、京都御所から歴代天皇の位牌や念持仏を祀る御黒戸を撤去し、それまで中国式であった皇室儀礼をすべて明治に作られた神式に変え、皇室祭祀の中心であった仏教祭祀や皇位継承儀式をすべて廃止し、新しい神道式に変えた。
こうした一連の、新政府による伝統否定政策は、逆にこんにちで言う「神道」なるものが明治に作られ、明治より始まったのだという事実を証明することになってしまったのである。- 31
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2022-04-14 22:08:03
【神道シリーズ・シーズン3】第10回・伯耆大山・竹生島・金毘羅の廃仏毀釈鳥取県の伯耆大山では、奈良時代から一貫して続いていた地蔵菩薩信仰が鳥取藩の神社取締役の国学者役人である小谷古陰によって伯耆大山信仰の中心であった大山寺が廃寺にされ、そこに大山はもともと大山祇命の信仰の地であったが出羽の衆徒らが乗り込んできて地蔵信仰を大山祇命と習合させたのだ、という歴史的にありもしなかったストーリーを捏造し、大山寺は廃寺改装され、
新設の大神山神社の一部とされてしまった。
そしてやがて、そこに平田国学派の役人たちが祭神を大国主神に変更するよう建白書を出し、それが通ってしまい、地蔵菩薩信仰の中心地大山寺は大国主を祀る神社となってしまったのである。
琵琶湖に浮かぶ小島、竹生島は、聖武天皇の時代に行基を派遣して仏教の神・弁財天を祀るように命じたことに始まり、その時に創建された宝厳寺が竹生島弁財天大権現を祀り、竹生島弁天信仰の中心となってきた。
しかし、明治政府は、琵琶湖を管理する大津県庁を通じて、強引に宝厳寺を延喜式神名帳にある都久夫須麻神社であると主張し、宝厳寺を廃して神社へ改変してしまった。
宝厳寺側は抗弁したものの受け入れず、朝廷の命令であることを強調して、背けば朝敵になり成敗されると脅迫されて強行した。
金毘羅信仰は、16世紀頃から讃岐の地で真言宗の松尾寺がヒンズー教の水神クンビーラを十一面観音を本尊とする金毘羅権現として祀ったことに始まり、
明治前まで金毘羅信仰は盛んで、全国から金毘羅講の参詣客が訪れ、讃岐の地は「こんぴらさん」で親しまれるようになっていた。
しかし、新政府から派遣された平田派国学者の役人たちは、平田篤胤の著書「玉襷」の総論追加から引用した、琴平はかつて大国主神の別宮であった、という創作話を根拠に、松尾寺を廃し、そこを大国主を祀る神社にするように命令し、松尾寺最後の住職・宥常は、最初は抵抗したものの、結局松尾寺の神社化を受け入れ、松尾寺を改変して金刀比羅神社とし、自ら還俗してその神社の初代宮司となり、仏像仏具を廃棄し、神道化を進めた。
しかし、宥常は、松尾寺にあった本尊の十一面観音像だけはかたくなに死守し、後に旧松尾寺の院の一つだった普門院が新松尾寺となると、この十一面観音像を巡り所属訴訟まで起こることとなった。
かくして、伯耆大山、竹生島、讃岐と、すべてが明治前までお寺であったところが神社にされ、由緒社伝まで捏造されていったのである。- 31
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