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2024年6月24日 07時12分に生成された05時00分のデータです
2019-10-21 23:11:03
【神道シリーズ】第71回・八百万の神㉖英彦山信仰【前編】(英彦山神社になっても今でも英彦山大権現信仰w)英彦山(ひこさん)は、6世紀の北魏僧・善正による開山伝説や、二代忍辱(にんにく)の伝承、そして8世紀以降の法蓮による弥勒信仰に基づく新羅仏教による中興の祖としての活躍、そして、9世紀以降は天台二派(比叡山と聖護院門跡)による天台支配が以降続き、17世紀には霊仙寺(りょうぜんじ・英彦山信仰は伝説期の6世紀より明治前まではこの寺が中心になっていました)の座主・広延が真言系の三輪流神道に転向して真言宗(当座派修験)の影響が強くなりますが、基本的に天台宗の大拠点の一つとして中世・近世を送ってきました。
明治の神仏分離令で信仰の中心だった霊仙寺は破壊され、そこに政府によって英彦山神社が作られたものの、
信仰内容は不変で、今日でも「英彦山大権現」への信仰は変わらず、祭祀も天台や真言の修験者たちが中心で行われており、今、明治に政府によって廃止させられた英彦山修験は復活しつつあります。- 100
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2019-10-28 23:01:03
【神道シリーズ】第72回・八百万の神・英彦山大権現【中編】オホシサマ(如来宝珠)と顕密寺社今回は、英彦山信仰の中核となってる①三所権現の三元構造(俗躰・女躰・法躰)②オホシサマ(如意宝珠)とそれに纏わる祭祀(二季祭・延年など)についてお話をして行こうと思います。
「三所権現」形式(三所権現・二所権現・四所権現・十二社権現などの変化形あり)を全国の天台修験に広めたのは聖護院門跡(天台宗・寺門派<三井寺派>)ですが、その三所権現は実は、俗躰(陽=男=金剛界)と女躰(陰=女=胎蔵界)で、俗と女が一体化することは、真言宗の両部神道の言うところの、金胎合致(金剛界と胎蔵界の一体化)による即身成仏(大日如来との一体化)を意味するのですが、聖護院門跡の解釈では一体化したのちに阿弥陀如来に集約されていく、という見方があります。英彦山もこの三元構造が信仰の基本にあります。
さらに、英彦山(霊仙寺)の中興の祖と言われた法蓮が般若窟で12年間の修行の末得たとされる如意宝珠も英彦山信仰の中核にあり、これがさまざまな祭祀(オホシサマ祭、二季祭、延年<直会(なおらい)>)などにも反映されて行きます。
こうした祭祀は今日でも北九州広域で続いています。お経を呪文のように唱えるものが仏教と言えるんですかwww 仏教のぶの字もないじゃないですかぁーーーー
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2020-04-27 22:57:02
【神道シリーズ】第91回・八百万の神㊱その他の山岳信仰(4)霧島山・久住山・牛尾山・開聞岳・硫黄岳今回は、九州でまだ解説してない霧島山(きりしまさん)・久住山(くじゅうさん)・牛尾山(うしおやま)・開聞岳(かいもんだけ)・硫黄岳を紹介します。
霧島山は、天暦(てんりゃく)年間(847~752)に証空の開基を伝え、そののち、霧島六社をもって霧島六社権現として発展し、明治前まではその各社とも、天台・真言の別当寺を持っていたが、明治政府により強制廃絶され、江戸時代以降に国学の影響でヤマトタケルが祀られた霧島神社のみが残っています。
牛尾山は、信仰の中心は法厳寺(単立の本山修験宗。本尊は十一面千手観音)が中心で、牛尾神社は:延暦11年(792)、出雲大社より勧請創建された古社で、もと八王子大明神といい牛頭天王を併せ祀り、地元では「天王さん」と親しまれており、現在でも修験道が盛んです。
久住山(九重山)は、文明2(1470)年、英彦山より養順法印(天台宗)が入山し、修験道場を建立、法華院白水寺と呼ばれるようになり、英彦山信仰に吸収されていきました。
開聞岳は、信仰の中心は別当寺の普門寺(真言宗)であったが、明治の神仏分離令の際に破壊されましたが、現在でも岩屋や石祠(せきし)などから、かつては当山派修験の名残が窺われます。
硫黄岳は、山麓に、蔵王権現と熊野権現を祀り、熊野権現は、この島に島流しになった僧・俊寛(真言宗)らの勧請と伝えられています。- 81
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