キーワード西脇順三郎を含む動画:9件 ページ目を表示
2024年6月19日 07時10分に生成された05時00分のデータです
2010-01-24 00:01:09
【合唱曲】雨(尾形敏幸「五つのギリシャ的抒情詩」から)○混声合唱とピアノのための「五つのギリシャ的抒情詩」から「雨」 作詩/西脇順三郎 作曲/尾形敏幸 ○演奏は平成7年度の札幌市立手稲東中学校。
良い曲 なつかしい……この時日本一になれた!難しかった!! なつかしわぁ… ぬら「し」の子音が気になるな なつかしぃ 名曲の上に名演! とても中学生とは思えない!! 私の下を濡らしたww でだし大事 この最初のピアノ部分にはかなり無茶な注文が書いてあ...
- 2,849
- 401.4
- 00.0
- 331.2
YouTubeで検索
2008-11-18 23:52:02
合唱曲 「眼」混声合唱とピアノのための「五つのギリシャ的抒情詩」からII. 眼作詩:西脇順三郎作曲:尾形敏幸平成11年の手稲東の演奏です。うpリストhttp://www.nicovideo.jp/mylist/248366
すごいなぁ バス太すぎて時々邪魔 この曲好き! ↑「栗の葉」は全く出てないし難しいかも この組曲の曲全部聴きたい この動画青いバーが最後までいかないと動かない... なつかしい・・・ 手稲東の「太陽」どなたか持ってませんかね? 風に寄せて以外の演奏は...
- 2,460
- 130.5
- 00.0
- 301.2
YouTubeで検索
2011-05-30 06:33:06
【美術】シュルレアリスム概論2/2:超現実主義編【録画】2011年04月27日に行った放送の録画です。
このコミュで放送しています→co286993
この放送ではアンドレ・ブルトン(1896~1966)が1924年に興したのを「シュルレアリスム」と、
それが日本に伝わって興った芸術潮流を「超現実主義」と呼んで区別しています。
1925年、イギリスから帰国した詩人・英文学者の西脇順三郎(1894~1982)によって
初めて日本でシュルレアリスムが紹介されました。
日本のシュルレアリスムは、ただブルトンの理論をそのまま踏襲したものでもなく、
ブルトンに対する精神分析の様に変形し、正に超現実主義とシュルレアリスムから区別出来る別の芸術理論になったのです。
sm14600188←前へ
マイリスト:mylist/26049640学校で習ったのできました
- 570
- 10.2
- 00.0
- 40.7
YouTubeで検索
2019-01-03 11:34:02
川端康成のノーベル文学賞 選考過程の資料を初公開2019年1月3日 0時43分
小説家の川端康成が1968年に日本人として初めてノーベル文学賞を受賞した時の選考資料が初めて公開され、翌年に受賞する劇作家のサミュエル・ベケットやフランスの作家アンドレ・マルローらと最終選考を争う中で、「日本文学の真の代表者として、授賞は正当である」と評価されていたことが分かりました。
ノーベル文学賞の選考を行うスウェーデン・アカデミーは、過去の選考資料について、50年たったものから情報公開請求に応じて開示しており、2日、川端康成が日本人として初めてノーベル文学賞を受賞した1968年の選考の議事録が初めて公開されました。
それによりますと、この年の候補者は83人に上り、最終選考は、川端康成のほか、翌年ノーベル文学賞を受賞する劇作家のサミュエル・ベケットやフランスの作家アンドレ・マルロー、イギリス生まれの詩人W・H・オーデンなど6人で争われていたことが分かりました。
このうち川端康成について、選考委員長は「日本文学の真の代表者として、彼に賞を与えることは正当であると考えられ、歓迎されるであろう」と評価しています。
こうした議論の結果、スウェーデン・アカデミーは、川端に賞を贈ることを決めますが、選考委員長の推薦としては、マルロー、オーデン、川端の順番だったことも今回新たに分かりました。
一方、83人の候補の中には、三島由紀夫と詩人の西脇順三郎も含まれていましたが、2人とも最終候補には残らず、三島については「却下されてはいないものの、優先順位が下がった。今後の成長によって再検討されうる」と記されていました。- 515
- 00.0
- 00.0
- 00.0
YouTubeで検索
2014-05-22 23:10:05
雨(西脇順三郎) 【重音テト】曲:道草竹茂(mylist/44276356) 詩:西脇順三郎「雨」
88888888888888888888 GJ! 看過できない、マイリスしました
- 389
- 30.8
- 20.5
- 71.8
YouTubeで検索
2018-10-14 17:04:02
ノーベル文学賞 日本人2人同時授賞の可能性を検討 1965年2018年10月3日小説家の川端康成が、日本人で初めてノーベル文学賞を受賞したのは、今から50年前の1968年。 その3年前に、賞を選考するスウェーデン・アカデミーが、日本で秘密裏に調査を行い、 日本人作家2人に同時に賞を贈る可能性を検討していたことがわかりました。 これは、ノーベル文学賞の選考を行うスウェーデン・アカデミーへの情報公開請求で開示された1965年の選考資料によって明らかになりました。 このうちの1点は、アカデミーが賞の選考に役立てる目的で、この年に日本で秘密裏に行った異例の聞き取り調査の報告書で、 冒頭には「賞を1人、あるいは2人の作家に授与した場合の考えうる反応について調査した」とその目的を記しています。 報告書によりますと、調査は、文芸評論家や大学教授など10人余りを対象に行われ、その結果、川端康成と谷崎潤一郎の評価が高く、 「どちらがすぐれているかを決めるのはほとんど不可能である」という大学教授の意見などが紹介されています。 そして、報告のまとめとして「どちらが賞に値するか、限られた資料の中で結論を導き出すことはできない。 したがって2人に同時授与する方法が考えられる」と提言しています。 この年の選考では、90人の候補者が選ばれ、日本人では川端と谷崎のほか、 三島由紀夫と詩人の西脇順三郎も候補になっていたことがこれまでに公開された資料からわかっていますが、 この時期にアカデミーが2人の日本人作家に同時に賞を授与する可能性を検討していたことが初めて明らかになりました。 しかし、谷崎潤一郎は、選考を目前にした7月30日に死亡したため対象から外れ、日本人初のノーベル文学賞は、 3年後の1968年に川端康成が1人で受賞することになります。 ノーベル文学賞の選考の歴史を調べている日本大学大学院の秋草俊一郎准教授は、今回明らかになった資料について 「2人同時授賞を考えているという情報はこれまで全くなかった。 ここでの『2人』は川端と谷崎を念頭に置いていたと思われるが、それだけ2人の評価がアカデミー内できっ抗していたと考えられる」と分析したうえで、 「初めて東アジアの国に賞を与えるにあたって、『1人の作家に対して』というよりも『アジアという地域や日本という国に与える』という意識があったのではないか」 と指摘しています。
谷崎潤一郎=川端康成 やっぱり俺の思った通りだったわ
- 346
- 20.6
- 00.0
- 00.0
YouTubeで検索
2013-10-10 05:12:29
小千谷市片貝の『塞の神』新潟県小千谷市。越後三山を背景にする、深雪の厳しい町。詩人・西脇順三郎の出生地であり、小千谷縮や四尺玉などが有名。その小千谷の片貝町・浅原神社で行われた『塞の神(さいのかみ)』の映像です。
片貝の塞の神は、地域に数ある塞の神のなかでも最大の規模。都会人の日常生活では決して見れない、現代にまで継承された民俗行事に立ち会える。
『塞の神』とは
新潟県中越地方で毎年、小正月に行われる民俗行事。その年に使った飾りやしめ縄、札などを家々から持ち寄り、竹とわらで組み上げた土台にくくりつけ、火入れをする。この行事は、土地を荒らす厄を「もぐら追い」で払ったあと、塞の神の煙によって厄(もぐら)が掘った穴を『塞ぐ』ことを目的にしている。どういたしまして。面白かったですよ! ストロボに浮かび上がる絵は面白いのに…… 炎かな?...
- 315
- 61.9
- 10.3
- 10.3
YouTubeで検索
2013-04-07 03:30:39
【結月ゆかり】旅人かへらず(冒頭)【詩】西脇順三郎『旅人かへらず』の冒頭(~10)を,ゆかりんが朗読します.全篇(未完)はこちら→https://soundcloud.com/disproportion/po-sie-japonaise-tabibito
- 163
- 00.0
- 10.6
- 21.2
YouTubeで検索
1970-01-01 09:00:00
- 0
- 0nan
- 0nan
- 0nan
YouTubeで検索