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2024年7月17日 07時11分に生成された05時00分のデータです
2009-01-05 20:45:51
【鏡音リン】リン・ニュース06 ~ CV03コード&声優さん ~【初音ミク】瀬戸の花嫁を真っ先に思い出しました。
詳しくはこちら http://blog.crypton.co.jp/mp/2009/01/post_95.html
ニュース01 ~CV03情報まとめ~ sm5441412
ニュース02 ~CV03発売延期~ sm5459907
ニュース03 ~CV03続報~ sm5466687
ニュース04 ~CV03日本語&英語デモソング01~ sm5527818
ニュース05 ~CV03シルエット公開~ sm5654775
ニュース07 ~CV03「巡音ルカ」~ sm5765594
ニュース08 ~巡音ルカ・新デモソング(1月27日)~ sm5969014
ニュース09 ~巡音ルカ参上~ sm5988881
■リスト mylist/3667651正解は「めぐりね」でつ リンがスルーしたw ことよろw あけおめw akeomew お経みたいだw ...
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2013-03-15 00:06:39
ゆっくりボイスに読経させてみた「転法輪」釈迦は悟りを得たあと、まず、かつての五人の仲間のところに行って、教えを説いた。インドでは有史以来 良君 = 輪っかを回すイメージ なのだそうで、このことを「法の輪を回した」と表現する。
そのときの教えの内容はこう:「人が死後どうなるか、などを考える(邪見)のではなく、苦しみから逃れるにはどうすればいいかを考えなさい(正見)。そして、正見から始まる八つの道を行きなさい」
正見において見るものは、四つの真理、「四諦」のことです。この真理をそのままに見ることを、また「あるがまま」(如) とも言うようです。
なお、このお経は前半が重要で、画面右下にカウンタが表示されるあたりから先は蛇足です。- 121
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2013-03-19 01:00:47
ゆっくりボイスに読経させてみた 6 「梵天勧請」釈迦の悟った縁起の法は、「絆」 http://www.nicovideo.jp/watch/nm20350253 で述べられているようなものです。それはうぷ主が思うに、「人は弱いから宗教にはまる」ということです。しかしそのようなことを弱い当人たちに言っても、何も始まりません。彼らは目をかたくなに閉じるか、あるいは安易に無神論に走るでしょう。しかし今現在でも、無神論者だったのに突然スピリチュアルやら疑似科学やらに嵌まる人が後を絶たないのは、彼らの「無神論」が無根拠だからです。あるいはその究極の根拠を自分の目で見て納得していないからです。かくもこの法は難しい。釈迦はそのことで最初悩んだのでしょう。
なお、お経に出てくる神と悪魔の言葉は、心の中に生じたいわゆる「天使/悪魔のささやき」だと思ってください。- 90
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2013-03-19 21:32:47
ゆっくりボイスに読経させてみた 7 「清い口」「梵天勧請」 http://www.nicovideo.jp/watch/nm20372776 で、釈迦は「教えを悟ることができる人」に教えることを決意しました。そして教えたシーンが「転法輪」http://www.nicovideo.jp/watch/nm20335604 です。内容は八正道でした。
しかしこれを理解して実践するのは、迷信深い世の一般人には難しい。それが「梵天勧請」で釈迦が躊躇した理由でした。
では憐れむべき一般人にはどういう対応をしたのか。
例えばバラモン僧の「畜生のごとき稼業」(占い術) に騙されて金を巻き上げられそうな人には、「私こそが聖者だ。信じるならそいつではなく私にしろ」と釈迦は言って救ったのだろうと、うぷ主は思います。- 40
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2013-03-15 22:48:22
ゆっくりボイスに読経させてみた 2 「無我と言う特性」「転法輪」 ( http://www.nicovideo.jp/watch/nm20335604 ) で、苦という真理 (苦諦) をあるがままに見よ、と釈迦は言ったわけですが、ではそれはどういうことなのか。
「無常なものは苦だ」「苦であるものは無我だ」と言う見方をせよ、ということです。
なお、無常・無我の「無」は、「~でない」という意味の接頭辞です。「常でない」「我でない」という意味です。
「常は存在しない」「我は存在しない」という意味ではありません。
このお経では、ヒトを構成する五つの要素 (五蘊): 姿「色」、感覚「受」、クオリア「想」、意志「行」、心「識」を一つずつ取り上げて、どれも無我だと述べられます。- 31
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2013-03-16 13:28:09
ゆっくりボイスに読経させてみた 4 「思惟」「全て」http://www.nicovideo.jp/watch/nm20346626 にて、モノでないものを語る空虚な物言いというのが非難されましたが、ではそれはどういうものかというと、たとえばこの経で語られるようなことです。
「世界は終わる」とか「人は死んでも存在する」とかしないとか、問い詰められれば結局は無根拠です。これを語る人に、じゃあ今ここで証明しろといってもできません。
しかし、これら無根拠な事柄は、宗教としては重要だけれども、実はどうでもいいのです。
これらがどうだろうと、悟りとは関係がない。ならば考えないがよいというわけです。- 21
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2013-03-16 19:06:11
ゆっくりボイスに読経させてみた 5 「絆」「思惟」http://www.nicovideo.jp/watch/nm20347621 にて、モノならぬものは考えるなと述べられました。
そのような無根拠な事柄のうちの最たるものは「輪廻」ですね。では釈迦は輪廻についてどう言ったのか。
それが縁起の法則です。
どうして人は来世への生まれ変わりに救いを求めてしまうのか。それは弱い人が苦しい今を生きる(「存在」)ためです。
そして火は油がなければ燃えないように、来世を望む人を存在させる燃料(「取」)があります。
その燃料は、喉の渇き (渇望) が注ぎ足しています。- 20
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2013-03-16 10:44:39
ゆっくりボイスに読経させてみた 3 「全て」全てとは、五感と五感で感じるもの + 心 (= 六処) であって
これ以外のものを語る人は、モノでないもの、定義できないもの (avisaya) を語っているだけで
彼の言葉に中身はないのです。- 18
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1970-01-01 09:00:00
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