キーワード速谷神社を含む動画:28件 ページ目を表示
2024年6月2日 06時22分に生成された05時00分のデータです
2023-09-18 20:50:00
Voicepeak 広島県の神社巡り 〜初秋の【速田神社】〜安芸国造の祖神を祀る古社〜修正版 広島県廿日市市友田廿日市市友田地区 津和野街道が通る旧佐伯町であった山間の集落にある。友和公民館近く県道30号沿い。
安芸国造の祖神を祀る安芸国総鎮守 速谷神社を1560年頃に勧請したと言われる(廿日市佐伯地区散策マップによる)
おそらく祇園社も(天王神社の扁額がありますから)合祀されていると思う。
社殿の造りもなかなかです。彫刻もいいし本殿の脇障子の龍・虎の彫刻はいいな。
広島県指定天然記念物 ツクバネカシの大木があり、初夏は紫陽花、冬は椿、秋には紅葉の紅葉もあるし雰囲気も悪く無い。県道を小瀬川温泉(ちなみに温泉の鎮守 小瀬川神社がある)へ行くため走行中、幟がはためいていていたので立ち寄る。秋祭りなんかも近いんだろうね。境内で獣の匂いがした・・・夜は野生動物も出てくるんだろうねw R5.9.15 タイトル あまりに暑いんで思わず初秋ってしたけど もう仲秋やなw
温泉行くんで一眼をいらないと思い携行しなかったので、紅葉したらまた行って来たいな。
iPhoneSe2 撮影でやんすので画質はそれなり。
最近旧佐伯町地区には田畑にソーラー発電が異様に増えていて危惧します。
余談:あとこの先の津田の津保美堂の二重焼(今川焼)はおすすめ。今は、金土日がだいたい営業日。
広告恐れ入ります感謝感謝であります^^;人
赤城山登頂記念 様
龍休宗庵 様立派 登りやすそう 自然な色の鮮やかさ なんとも落ち着く空間 なるほど おつ うぽつです∩^ω^∩ おつおつー おお へー うぽつうぽつー いいね うぽつ おつです。
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2020-07-29 06:50:02
友田 速田神社(速田大明神)と広島県天然記念物 ツクバネガシの巨樹 広島県廿日市市友田速田神社(Hayata Jinjya) 安芸の式内名神大社「速谷神社」から古い時代に勧請した 神社のようです。天王社を合祀され 鳥居に速田明神 天王神社と扁額にあった。
速谷神社は、江戸の頃まで長く厳島の隆盛により二宮とされ厳島の摂社的な位置になり速田神社と号していた。
祭神=飽速玉男命(安芸国造の祖神)あと、合祀されている天王神社の素盞鳴命と思われる(由緒記載が無いので推定ですが)
拝殿は吹き抜けで、絵馬が多く奉納されている。拝殿右側から本殿そばまでいけますが猛暑前だと地面に苔が生えて足裏の触感がこころもちふわふわします。社殿は小ぶりながら立派なもので雰囲気もよろしいです。また行きたなと思いました。
前回 岩国市美和町阿賀の速田神社へお参りしましたが久々に広島県廿日市の速田神社へ行ってきた
廿日市市友田(旧佐伯郡佐伯町の友田)にある。昔の佐伯郡という名称は厳島神主家佐伯氏の名から来ている。
この辺りは津和野街道に沿うように走る県道30号線を廿日市市街から折敷畑〜明石峠(毛利vs大内軍の明石、折敷畑合戦の舞台)を越え少し走ったあたりにある。旧佐伯町ができるまでは友和(ゆうわ)村といったらしい。
神社の両部鳥居 横の樹林には 広島県天然記念物指定のツクバネガシがそびえている。苔むした石段の両脇は木々が茂るがそこそこ整備はされている。
ツクバネガシはブナ科の常緑樹で、中国地方などには多い木であるそうで、広島県の同木では最大級の巨樹。小枝の先に四枚の羽のような葉が付き、羽子板のつく羽根に似ているのでその名がある。
車なら友和公民館で周辺の散策資料をもらい徒歩がいいでしょう。バス利用なら岩組バス停がそばある。ちなみにこの辺に乙丸という広島ラーメンのお店がある一回行きましたがおいしいです。小さめの餃子がよかった。昔々舟入でよく行った、しまいの餃子みたいで懐かしい。
2020 7初旬 梅雨の中休みにて
山口県美和町阿賀 速田神社 sm37182811- 295
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2020-05-25 10:55:03
水晶ヶ城の鎮守 旧村社 臼山八幡神社 広島市佐伯区石内(旧 佐伯郡石内村) 令和2年臼山(うすやま)八幡神社。旧佐伯郡石内村(現広島市佐伯区石内)に鎮座する古い神社。
神社 後背の臼山132m は、水晶ケ城(すいしがじょう)跡の東翼郭にあたるらしい。麓あたりは古代山陽道。県道290号線旧道側にある。
字幕では臼山八幡宮としましたが扁額、由緒書を見直すと臼山八幡神社が正式名称のようです。ただ寄進された鳥居には宮とある。
最近参拝した中ではなかなかの場所、本殿も間近に見え境内社の新宮神社も良い姿でした。
延暦年間成立した石道村(江戸時代石内村となる)に延暦二年宇佐から八幡神が勧請された小祠が祀られ、後に水晶ヶ城の鎮守として祀られた。
現在の社殿はなかなか大きく、造りもいい。緑が多い大木が多くある境内もまたいい。昭和になり 皇紀二千六百年記念で後ろの山腹を切り開き境内拡張して社殿を現在の位置へ移し祀ったそうです。
水晶ヶ城または水晶城(すいしがじょう)=wikiや石内公民館HPの古里巡りを参照させていただいて
見るとこの辺りには石道本城と新城があったとされ川向こうのバイパス側に有井城跡がある(ほとんど残ってない)古里巡り記載に従い石道本城としました。
源平の頃 源範頼軍が影ともの道をとおり平家追討した時この城にて佐々木国正が平家方と戦ったらしい。武神として次第に信仰されていく。
戦国期には厳島神主家 藤原氏領〜大内氏支配下になり麻生右衛門が城主として赴任した時に、新たに社殿を造営したと伝わる。
城は山全体を城郭化した連郭式山城で相当規模が大きなものであった。今も城跡が残り神社などから登山も可能なようです。
尚城は厳島合戦前哨戦で開城した後、廃城とされた。
かげともの道=古代山陽道 石内あたりから五日市方面へ古代山陽道が通っていた。
永井建子(字幕訂正=けんし)=石内村出身で、陸軍軍楽隊楽長などを務めた。音楽家。軍楽、洋楽、交響曲、吹奏楽などの先駆者の一人ということです。作詞作曲も手掛けた。記念碑が建立されている。
神社の祭祀は、式内社 速谷神社が行っている模様。今度行ってみよー♪
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2020-12-23 23:24:02
門松の飾られた〜天照大神と月読大神を祀る「伊勢神社」(広島県の神社) 廿日市市原速谷へ行ったあと近いので参拝へ。山裾にある普通の鎮守社 伊勢神社は速谷神社からさらにR433を上へ走ると霊峰 極楽寺山麓の原地区にある神社。
今回参拝して帰宅後に調べてみた。
原には伊勢神社神楽団があり原神楽と言う神事の要素を今も残した神楽を伝えている。
広島県の無形文化財指定がなされている。國學院大学のHPを見ると原神楽の記述があり参照すると神楽に旧舞と新舞があり戦後に進駐したGHQの検閲があり神事の要素を薄くし芸能性(ダンス的な娯楽性)をメインに据えた神楽が主流となっていったらしい。安芸国十二神祇系神楽(詳しくは知らないんですけど)を伝承しているそうで神降ろしなど古い神楽も残す。
10月の祭りのヨゴロで昔ながらの屋根つき仮設舞台が作られ演じられるそうでいつかみてみたい。
早正月の準備がなされていて、門松が飾られていた。新年も近い。
上手く写ってないんですが・・本殿は彫刻もいい鯉の彫り物なんかもあった。
R433沿に伊勢神社の看板があり最初の看板は山道の正参道、少し上の次に見えた看板が車道入口。
境内参道側ベンチのある丘陵からは宮島や広島湾の島々の眺めが良い。- 164
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2019-06-22 20:37:02
安芸国造の祖神を祀る安芸国総鎮守 旧国幣中社 速谷神社 (広島県廿日市市上平良)御祭神は飽岐速玉命(あきはやたまのみこと)安芸国造の祖神を祀る神社。
古代には名神大社に列し鎮護国家の神として安芸一宮であった。
安芸・備後で最高の社格を誇る 安芸の国の守護神であったといいます。
別垢=最新令和3年 早春の延喜式内名神大社「速谷神社」=sm38359614
平安末期厳島明神の隆盛に伴い一宮も次第に厳島に移りいつの間にか二宮とされ社号も速田神社よばれて厳島の摂社になっていたらしい。明治後復興され社号も本来の速谷神社に復し国への運動の結果 国幣中社に昇格したという。
今でも旧佐伯郡や岩国山代地方の山間部に速田神社という社号の神社がある(勧請したものでしょうね)
現社殿、神門は昭和末期の再建 なかなか豪壮です。
江戸時代の記録には火災で焼けた本殿あとには大岩があり諸人に拝ませないよう幕を張ったとか記載されてるそうです。古墳か磐座かと言われてるらしいですね。
摂社=稲荷社、岩木社があるのみ
岩木社は地主神といわれ 岩木翁を祀る(厳島の三翁神社の祭神でもある) 神社の鳥居からわずか西へ入った住宅街の間にアパートくらいの大きさの小山があり 権現岩といい石の祠があるこの山は岩木翁の磐座とも言われるらしい また平楽地蔵堂もあり(かつての神宮寺の名残だといいます)
境内はそこそこ広い。神池や杉木立ちもある。本殿脇にある椿が結構好きです。岩木社の側にも大きな椿があったんですけど近年石鳥居が寄進されてかなり切られてしまいました。
車のお祓いは有名で新車を買ったら速谷さんと・・いわれてます。
訂正=バイパスから神社への道路は県道30号線ではなく国道433号線が正しい。おつ 綺麗
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2023-06-10 10:00:00
晩春の周防山代地方阿賀(あか)の古社 「 速田神社」 2022晩春2023春 桜開花時期参拝 例の環境問題で揉めてるメガソーラーのある地域に近いです。
山里ながら古来厳島神社とも関係が深かったようで言い伝えでは厳島明神から神供米が送られていたこともあったらしい。
今も御烏喰式(おとぐいしき)も行われる。
現在の社殿は江戸時代後期の建立のようで三間社流造り〜岩国市の有形文化財指定。
現在地には阿賀の藤木というところから明治時代遷座した模様。
祭神など由緒など境内になく不明。おそらく市杵島姫など宗像神を祀っているのではと思われる。
縁起が不明なため探して美和町阿賀ブログラブHPの縁起に関しての記述を参照しました。
縁起説話については「神が女人姿で降臨し、早稲(イネ)を速く成熟して見せ里を守ると告げて田圃へ消えた」というものだそうです。
この辺りは岩国往来(岩国城下と山代街道を繋ぐ道)が通っていた。近くの雲照寺付近から県道とは別に昔の峠道があるらしい。県道130号線は雲照寺峠を越えて本郷へ続く。
速田神社という社号にかんして安芸の式内名神大社「速谷神社」が江戸の頃まで厳島の隆盛により
厳島の摂社的な位置になり速田神社と号していたと云いますのでそこから勧請した可能性が高い。
速谷の御祭神は安芸国造の祖神系=阿岐速玉男命ですからね?
注)音声解説では市指定重要文化財と言っておりますが正確には市指定有形文化財です。一部自治体では県指定、市指定重要文化財と呼称するところもありますが、正確には重要文化財は国指定のものになります。おつ うぽつ うぽつ うぽつです∩^ω^∩ おつです。 人
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2020-08-30 00:59:02
友田 「速田神社」初秋8月末 再訪 廿日市市友田廿日市市友田(旧佐伯郡佐伯町友田)にある速田神社。お盆過ぎの21日再訪記録。
蝉時雨と猛暑の境内。
速田神社(Hayata Jinjya) 安芸の式内名神大社「速谷神社」から古い時代に勧請した 神社のようです。天王社を合祀され 鳥居に速田明神 天王神社と扁額にあった。
速谷神社は、江戸の頃まで長く厳島の隆盛により二宮とされ厳島の摂社的な位置になり速田神社と号していた。
祭神=飽速玉男命(安芸国造の祖神)あと、合祀されているが天王神社だから素盞鳴命と思われる。 ただし由緒書がないので推測ですが速谷神社なら安芸国造系の祖神のはず。
神社の両部鳥居 横の樹林には 広島県天然記念物指定のツクバネガシがそびえている。苔むした石段の両脇は木々が茂るがそこそこ整備はされている。
ツクバネガシはブナ科の常緑樹で、中国地方などには多い木であるそうで、広島県の同木では最大級の巨樹。小枝の先に四枚の羽のような葉が付き、羽子板のつく羽根に似ているのでその名がある。
もし行かれる方がいたら友和公民館が近くにあります(Pあり)
温泉の帰り折角なのでどこか寄りたくてお参りしました今度は涼しい時に行きたいな。
広島県の神社 はつかいち 旧佐伯町 日本の風景 神社動画 御神木 の巨樹がみごと- 126
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2024-05-15 16:54:09
廿日市市 速谷神社!廿日市市にある速谷神社に行って来ました!
神社巡り→series/251647
武将のお墓参り→series/238035
偉人に会いに行く→series/210538
歴史探訪など巡り→series/256690
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http://www.hmix.netUPお疲れさまでした 木陰のトンネル~良きです! うぽつです! うぽつです 秋だなあ うぽつですわ
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2021-08-23 09:20:02
【巨樹の風景】 旧厳島神社兼帯(けんたい)社「宮内天王社」と社叢 夏の終わりに宮内天王社(みやうちてんのうしゃ)と社叢の風景。ムクロジ(字幕は打ち間違えてます)、イヌマキ、イチョウ、モミ、ケンポナシなど・・大木が多い鎮守の森。
旧西国街道沿いである。元来は海岸近くにあったが、天正年間に津波災害で現在の宮内へ遷座した。
社叢に現在の残る何本かの巨樹大木は鎮座後に人により植えられたものらしい。
神武天皇東征時に海岸近い元宮のあたりに立ち寄ったという伝説があり天王宮と云われたという。ただ八坂神社と称したところを見ると元来は祇園社で牛頭天王を習合した神仏混交の社だったのではないかと思うんだがどうだろうか(詳細は不明)
主祭神=素戔鳴命、神武天皇のニ座 と相殿神がある。
祭祀は廿日市天満宮により兼務で行われています。
明治後は八坂神社と改称したが戦後昭和44年頃 氏子の希望で宮内天王社へ社号を再度改称した。
江戸時代〜厳島神社兼帯七社厳島神社 旧兼帯七社 〜江戸時代まで兼務の社が7箇所あったらしい、速谷神社(速田神社)、廿日市の大頭神社や大竹市大瀧神社、広島市祇園の安芸津彦神社、三翁神社、府中の惣社(今の多家神社の元になった神社の一つ)
祭祀を厳島神社の祀官が行い社殿などの修築も厳島神社が賄った。境内にあります社殿修築の寄進者を記載した石碑を見ますと、厳島神社が多くの寄進をしていました。
境内は大木も多くあり村社として守られてきたようです。旧山陽道が近くを通っていた場所でもある。御手洗川沿いあたりは大体 旧山陽道にあたるらしい。風情はありますよ。
廿日市市宮内は県道30号線が走り県道と御手洗川がぶつかる所の旧道を少し川沿いに遡ると参道入り口がある。ちょうど交番のところを入れば良い(交差点のところには島根県吉賀町の柿木村アンテナショップがあるがオススメw)駐車スペースが細長く狭い。
*同市内 県指定天然記念物津田の大カヤの木と真幡神社 sm39209336
*宮内天王社 紅葉途中の頃 sm37905347(この頃はムクロジに苔がないな)
使用音楽 のる様作(ニコニココモンズ)1雫~優しく穏やかメロディックな ピアノソロ2KANADE~ゆったりリラックス系 ピアノソロうぽつです
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2017-08-26 16:49:29
宮島街道 名所図会 其の一 春の風景宮島街道色々歩いてみた。 宮島のある廿日市市、おおの自然観察の森 権現山の麓の自然公園
延喜式内名神大社 速谷神社、厳島神社。真言宗の古刹極楽寺の自然公園など
霊場の春、神能や桜、山野草などスライドです。ここは速谷神社だね
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2020-07-13 12:39:02
周防 山代地方の古社 阿賀 「速田神社」(Hayata JInjya) 山口県岩国市美和町阿賀美和町の阿賀(aka) 。里の鎮守 速田(hayata)神社。山里ながら古来厳島神社とも関係が深かったようで言い伝えでは厳島明神から神供米が送られていたこともあったらしい。
今なお年2回御烏喰式(おとぐいしき)も行われる。
県道130号線で美和町阿賀 まで行き130号線の雲照寺峠方面は行かず、秋掛方面への道を進んですぐ。
また祭礼も旧暦6月17日(厳島 管弦祭の日と同じ)であるそうです。
御烏喰式=元来は宮島で御島廻りの巡拝で養父崎海上 小さな筏に団子を供え御烏がそれを取りにくるというもの)御烏(おがらす)は厳島明神の鎮座伝説に関わりがあり佐伯鞍職(くらもと)らを先導して鎮座地へ導いたとも。
現在の社殿は江戸時代後期の建立のようで三間社流造り〜岩国市の有形文化財指定。
現在地には阿賀の藤木というところから明治時代遷座した模様。祭神など由緒など境内になく不明。おそらく市杵島姫など宗像神を祀っているのではと思われる。こんど美和町史でも図書館で調べてみますかね。
縁起が不明なため探して美和町阿賀ブログラブHPの縁起に関しての記述を参照しました。
縁起説話については神が女人姿で降臨し、早稲(イネ)を速く成熟して見せ里を守ると告げて田圃へ消えたというものだそうで市杵島姫などを連想させるきもしますが・・どうなんでしょう。
速田神社という社号にかんして安芸の式内名神大社「速谷神社」が江戸の頃まで厳島の隆盛により 厳島の摂社的な位置になり速田神社と号していたと云いますのでそこから勧請した可能性もあるかもしれません〜廿日市市友田や吉和などにもやはり速田神社があります。友田は参拝したことがあります大きなツクバネガシの木がある。また行ってみますかね。でも駐車場がないんですよねえ。
2020 7初旬 梅雨の中休みにて- 90
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2020-10-17 23:49:02
<広島県の神社>廿日市市 吉和地区 神社編 旧吉和村 総鎮守 「速田神社」と美濃木神社 廿日市市吉和県道471号線〜綺麗な森林帯を降り〜 吉和への(4)最後です。自然の中のリゾート施設魅惑の里で休憩したあと・・・夕方です。
吉和の中をすこしみてあるいた。このあたりは旧吉和村といい廿日市市の最北の町である。
1 美濃木神社
国道186号線傍に立つ美濃木神社(大きな杉が林立しています)に立ち寄る(もう夕方なので鳥居のところから遥拝)
由緒不明ですが社殿や木立はいい感じでした。検索してもないんですよね情報。唯一夏にこの境内 に狐の剃刀」という山野草の花が観れるという記事があった。
2 速田神社
県道296号戸河内吉和線の田中原という集落にある速田神社へ(大木の杉の林立する境内)
由緒書などないのですが帰宅後検索してみると吉和の総鎮守だそうですね。
はつかいちぶらりブログと神社所蔵品情報が吉和区民館HPにありましたので参照しました。
おそらく延喜式内名神大社 速谷神社を勧請したものです。速田神社は今年三社目。
速田神社は廿日市友和や岩国市美和町阿賀にもありましたね。今年は三社目です
魅惑の里散策 sm37670800
県道(険道?)471線走行編(1)〜(2)全長版 sm37658809
神社二社はGoogleマッピで見ていたのでいってみたくて少し立ち寄る。紅葉の頃に明るい時にまた行こうかな。
吉和観光のHPで美濃木神社 裏の林道は5kmくらいは紅葉が綺麗でドライブはおすすめと書いてありました。
四和〜魅惑の里 なかなかいい道(おもしろい)でした。涼しい秋の気配がした。樹林が素晴らしいです。冬季は通行止めですからね。
行けたら紅葉した頃源流の森をもう1回走りたいですね。- 89
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2020-04-15 19:11:03
西国街道(旧山陽道)沿いの 旧村社 新宮神社 広島県廿日市市新宮旧村社 新宮神社 元々は傍の藤掛山にあった桜尾城の支城=藤掛城の鎮守として祀られた御社。しかし藤掛城は陶晴賢に攻め落とされた。後に永禄年間に地元で熊野新宮から祭神を勧請され下平良の鎮守としたと言われている。今でも本地仏の懸け仏が祀られている。
平良(へら)と廿日市南東部の地域は、延喜式内名神大社 速谷神社などがあるエリアで古代山陽道の「へら」駅家があったとされるあたりでもある。
今は住宅街になっており 藤掛山も開発され団地や道路が走る(西広島バイパス〜木材港下りる道路がある)麓の海側も旧国道2号線宮島街道が通る。昔はこの山のため山陽道は海のそばを通れずやや山側を宮内村へ抜けていたらしい。
廿日市天満宮hp記載の縁起によれば江戸時代廿日市天満神(旧天神坊)が廿日市の鎮守とされ新宮社の祭神も勧請し、ここを御旅所としたそうです。今も廿日市天満宮が祭祀を続けているようです。
いつお参りしても綺麗に箒の掃き跡があり 手入れがされ花が植えられ公園のようになっている。いこいの空間的な旧村社である。古木にはしめ縄がされ神木として鎮守の森も守られております。
近くへ行ったので花の頃でもあり参拝しました。初夏の匂いがもうしています。
帰る前に近くの 厳島神社外宮のある地御前の海から宮島を眺め帰りました。- 71
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2020-12-16 01:09:03
旧村社 宮内天王社〜快晴の中 今年最後の黄落の大銀杏 (旧・厳島神社兼帯社)2 再訪 2020今年最後の参道大イチョウの紅葉が鮮やかな境内風景。次回参拝したらもう冬の姿でしょう。紅葉が始まって3回行きましたが一番綺麗に撮れた気がします^^
廿日市市宮内は県道30号線が走り県道と御手洗川がぶつかる所の旧道を少し川沿いに遡ると参道入り口がある。ちょうど交番のところを入れば良い(交差点のところには吉賀町の柿木村アンテナショップがある)
1周間くらい前に再度参拝。境内の落ち葉は氏子さんが頑張って掃き集めてきれいになっていた。
元来は広田神社の元鎮座地の麓にあったが、天正年間に海の近くなので津波災害で現在の宮内へ遷座した。元来は祇園社で牛頭天王を習合した神仏混交の社だった。
祭神=素戔鳴命、神武天皇など
明治後は八坂神社と改称したが戦後昭和44年頃 氏子の希望で宮内天王社へ社号を再度改称した。
名称は長い神仏習合時代の牛頭天王の語感を生かしたか神武天皇伝説の絡みからなどと言われる。
江戸時代〜厳島神社兼帯七社の一つだった(祭祀を厳島神社の祀官が行い社殿などの修築も厳島神社が賄った神社)境内にあります社殿修築の寄進者を記載した石碑を見ますと、厳島神社が多くの寄進をしていました。
境内は大木も多くあり村社として守られてきたようです。旧山陽道が近くを通っていた場所でもある。御手洗川沿いあたりは大体山陽道にあたるらしい。
令和二年は梅雨明け前に1回、黄落して都合3回・・計4回目の参拝。
2018年か2017年頃に行った時は、落ち葉がまだ片付けられていない時、行きましてもう境内全て黄金色だったですね。
近くに有機野菜の産直売場があるのでたまにこの辺へ遠征して行きますのでついでに。
厳島神社外宮 地御前神社 sm37384152
上平良にある延喜式内社名神大社 速谷神社 sm35298947- 69
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2020-10-18 12:24:02
旧吉和村 総鎮守「速田神社」(延喜式内名神大社速谷神社 勧請) 広島県廿日市市吉和田中原 地区このあたりは旧吉和村といい廿日市市の最北の町である。アップできるぎりぎりの高品質書出版。
速田神社
県道296号戸河内吉和線の田中原という集落にある速田神社へ(大木の杉の林立する境内)
由緒書などないのですが帰宅後検索してみると吉和の総鎮守だそうですね。
はつかいちぶらりブログと神社所蔵品情報が吉和区民館HPにありましたので参照しました。
おそらく延喜式内名神大社 速谷神社を勧請したものです。木がすごいです。
速田神社は廿日市友和や岩国市美和町阿賀にもありましたね。今年は三社目です
廿日市市虫所山〜吉和周辺 車載 散策
魅惑の里散策 sm37670800
県道(険道?)471線走行編(1)〜(2)全長版 sm37658809
神社二社はGoogleマッピで見ていたのでいってみたくて少し立ち寄る。紅葉の頃に明るい時にまた行こうかな。
吉和観光のHPで美濃木神社 裏の林道は5kmくらいは紅葉が綺麗でドライブはおすすめと書いてありました。
車載は一瞬しかないです(^^; 速田神社を側面から撮影した時だけです。- 63
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2020-08-30 00:20:03
山代地方 美和町 阿賀 「速田神社」(Hayata JInjya)晩夏再訪 山口県岩国市美和町阿賀美和町の阿賀(aka) 。里の鎮守 速田(hayata)神社。山里ながら古来厳島神社とも関係が深かったようで言い伝えでは厳島明神から神供米が送られていたこともあったらしい。
今なお年2回御烏喰式(おとぐいしき)も行われる。
県道130号線で美和町阿賀 まで行き130号線の雲照寺峠方面は行かず、秋掛方面への道を進んですぐ。
現在の社殿は江戸時代後期の建立のようで三間社流造り〜岩国市の有形文化財指定。
現在地には阿賀の藤木というところから明治時代遷座した模様。祭神など由緒など境内になく不明。おそらく市杵島姫など宗像神を祀っているのではと思われる。こんど美和町史でも図書館で調べてみますかね。
縁起が不明なため探して美和町阿賀ブログラブHPの縁起に関しての記述を参照しました。
縁起説話については「神が女人姿で降臨し、早稲(イネ)を速く成熟して見せ里を守ると告げて田圃へ消えた」というものだそうで市杵島姫などを連想させるきもしますが・・どうなんでしょう。
この辺りは岩国往来(岩国城下と山代街道を繋ぐ道)が通っていた。近くの雲照寺付近から県道とは別に昔の峠道があるらしい。県道130号線は雲照寺峠を越えて本郷へ続く。
速田神社という社号にかんして安芸の式内名神大社「速谷神社」が江戸の頃まで厳島の隆盛により 厳島の摂社的な位置になり速田神社と号していたと云いますのでそこから勧請した可能性が高い。由緒書ががないのではっきりしませんが。
また秋に行きたいな。
2020 8月 残暑の頃 再訪。- 62
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2021-01-25 09:29:02
西国街道沿いの力箭山(Rikiya zan)に鎮座「 草津八幡宮 」と広島湾の島々 広島市西区草津(令和三年1月)令和三年初参拝記録。広島市西区草津 江戸時代は西国街道の間宿(あいのしゅく)で正規の宿場の間にあり休息などに利用された。海辺の街で海運、漁業牡蠣養殖などで栄えた今は沖が埋め立てられ住宅や商工施設が立つ 戦国時代 水軍城「草津城」もあった。
神社の在る山について、神功皇后の三韓征伐の伝説でこの地で軍船を整え 弓矢(箭)の訓練をさせたと伝承され力箭山(りきやさん)と呼ばれる。
草津八幡宮の今の社殿や境内域、自体はそう古いものではない。
昭和六年に山腹を切り開き境内が新造され現在地に遷座され新たに社殿建立されたもの。
古は海の近くにあり再建のたび内陸に移っていったと言う。
高台にあり草津の町〜広島湾や島々などの景観が優れています。時々眺めに行きたくなる場所。
社殿も大変姿が良いし189段の石段も風情がある。
御朱印もいただけます。
宮嶋口や旧市内からチンチン電車で行き 草津駅で降りて散策も楽しいですよ。
草津沖周辺は埋め立てられ近代化されているが、古い街並みや神社仏閣、うだつやコテ絵などのある古民家や蔵なども今だ点在している。歴史散策も楽しい。御幸川の河口あたりに飲食店スーパー専門店などが入るレクトがある。洒落ているので休息などに良い。
蝋梅やひと足ごとの祈りかな
西国街道を進んだ宮内にある 宮内天王社sm37969384
西にある厳島神社外宮 地御前神社 sm37384152
上平良にある延喜式内社名神大社 速谷神社 sm35298947- 58
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2021-02-23 00:17:02
早春の極楽寺山麓の御社(1) 原の鎮守 「 伊勢神社 」 広島県廿日市市原広島県 廿日市 原地区の神社「伊勢神社」=廿日市の山側 極楽寺山の裾野の高台にある地域〜原の鎮守社。天照大神と月読大神を主祭神とし〜明治以後、原の周辺地域の氏神六社の祭神を合祀し現在の伊勢神社となっている。十二神祇系神楽の旧舞「原神楽」を伝承する伊勢神社神楽団の根拠地。秋の祭礼に演じられる(今年は行きたいです)
冬以来、立春すぎて再訪。風が強く寒い一日。空は澄んでいて景色はよかった。海が見えます。
原の当たりは田園地帯で少し標高も高い。速谷のある上平良のさらに上の方です。古い蔵や大きな農家の建物、田園風景の場所です。ここから極楽寺山へ国道433号線が登っていく。また説教源氏節という人形芝居も伝承されています。
寒かったけど参拝時の早春の山里の雰囲気は撮れたのでよかったですね。
桜が咲いたらまた参拝してきたいです。
このあと速谷神社へ向かいました。
早春の延喜式内名神大社 速谷神社=sm38359614- 54
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2021-01-22 14:20:02
【広島県の神社】手作り公園風な境内の 旧村社 新宮神社 (廿日市市新宮)廿日市市新宮にある旧村社「新宮神社」。下平良地区の氏神。戦国時代文安三年(1446年)藤掛山にあった藤掛城の鎮守としてイザナギイザナミ二柱が祀られ、陶晴賢に攻められ城落城後は、紀州熊野新宮の神を勧請し地元下平良にて祭祀が行われてきた。藤掛城主の小方加賀守上野助=厳島神主家の一族で戦国末期に友田興藤と神主家の継承争いをした武将らしい。
境内は、山を背にしており氏子さんによりいつも整っている。手作りwの公園風になっていて古木(樹齢130〜160年)も大事にされています。楽しんで整備されてるのがわかる。
近くへ寄った折に散歩がてらみて歩くのにちょうど良い。
江戸時代廿日市は商業でも栄え正式な宿場街であった場所。
社殿はH9年改築されているらしいです。凝った作りではないですがどっしりしています。境内の雰囲気はいいです。祭祀は西国街道沿いにある廿日市の総氏神とされた廿日市天満宮で行われいる。
現在も社殿に神仏習合時代の「本地仏の掛け仏」が祀られている(廿日市市重要文化財指定)
平良(へら)=廿日市の南東部にある地域。旧平良村。平良はに古代山陽道の駅家があったとされる。
最寄りは広電・廿日市市役所前電停かJR・宮内串戸駅(少し歩く)スーパーアルクなどが入るティナコート裏側で旧山陽道の付近。藤掛山はいまは削られ団地や道路が走る。
藤掛山にある広田神社 sm36972757
西国街道を少し進んだ宮内にある 宮内天王社sm37969384
少し西にある厳島神社外宮 地御前神社 sm37384152
上平良にある延喜式内社名神大社 速谷神社 sm35298947
廿日市総氏神 廿日市天満宮(新宮社も勧請されている)sm38258080- 48
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2021-02-10 09:14:02
【西国街道 廿日市宿場跡】厳島神主家 桜尾城の鎮守「 廿日市 天満宮 」(旧廿日市の総氏神)(一)はつかいちの天神山 (篠尾山sasao yama)ちょいとだけ山登りです。創建は古く鎌倉時代承久2年(1220年)文官中原親能(大江広元の兄)の一族とも言われるている(毛利などと元は同族らしい)鎌倉幕府・御家人藤原親実が、厳島神主に任命され桜尾城に着任 。wiki参照。
天福三年(1233年)篠尾山に荏柄天神より守護神としてより勧請したものと伝わる。やがて室町期に安芸へ下向して国人領主化していく。 戦国末期郡山合戦ののち大内氏に反旗を翻した 厳島神主家が滅んだ後、次第に社運衰微して慶長五年に広島藩西の商業都市廿日市の氏子により再建されたといい「別当寺天神坊」と号した。その後、町の鎮守として続いてきた。神仏習合なんかわくわくします。
江戸期は、佐方八幡(佐方地区)、新宮社(下平良)をも勧請し広島藩の西の大きな宿場である廿日市の総氏神とされた。
明治以後、別当寺正覚院と天満宮が分離独立された。山上で並んでますけどね。
調べてみて元々桜尾城にあったものを遷座したか? 笹尾山(支城)に初めから社殿があったのか?いくつか微妙に違う説明を読みましたが一度郷土関係の本を探して調べてみないと。
廿日市宿本陣あとの石碑〜参道を上り、山上の社殿前〜展望の休息所南〜東方面の眺めまで。
狭い山頂に社寺のある山腹にあるコンクリートの補強と大楠が印象的な山。
2018年に西国街道筋をぽつぽつ歩いたり散策するようになってからたまに参拝します。なかなかいいです梅とか景色とか巨木とか歴史とかね。
長いのでその2 後半は西方面の展望〜正覚院・千年大楠。
天満宮関連神社
新宮神社(藤掛城主が建立した〜下平良の氏神)sm38156694
西国街道を少し進んだ宮内にある 宮内天王社(宮内上組の氏神)sm37969384
桜尾城支城があった藤掛山の広田神社 sm36972757
少し西にある厳島神社外宮 地御前神社 sm3738415
上平良にある二ノ宮 延喜式内社名神大社 速谷神社 sm35298947- 40
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2021-02-12 22:50:02
【西国街道 廿日市宿場跡】厳島神主家 桜尾城の鎮守「 廿日市 天満宮 」(二)旧別当寺正覚院と「巨樹 千年楠 」後半は旧別当寺正覚院と山頂の千年「大楠」など 少しパワスポ編です。*西側の眺め〜鐘楼〜正覚院〜千年楠巨樹〜参道を下る。参道大鳥居近くの今が盛りの蝋梅(2月12日に再度訪れた終わってました)
旧厳島神主家の守護神で、廿日市駅の南側にあり電車からも見える目立つ天神山(篠尾山)
明治後、天満宮と真言宗 正覚院(寺伝では行基開基とも言われ相当古いようです)に分離された。
天神の創建は古く鎌倉時代承久2年(1220年)文官の中原親能(大江広元の兄)の一族中とも言われるている鎌倉幕府・御家人藤原親実が、厳島神主に任命され、桜尾城に着任 天福三年(1233年)笹尾山に荏柄天満宮より守護神として神霊を勧請したものと伝わる。
のち藤原氏は鎌倉末期安芸国へ下向し国人領主化した。
篠尾山は厳島神主家の居城「桜尾城」(三方を海に囲まれていた)の支城の一つであったという。今山は小さくなっていますが・・・。
戦国末期 厳島神主家が滅んだ後も大内氏が祭祀を命じていたらしいですが、大内氏も滅び次第に衰微してしまう。江戸時代の慶安5年町の氏子の寄進がおこなわれ社殿が再興され傍らの神宮寺と共に神仏習合しており「別当寺天神坊」と呼ばれた。のちに新宮神社(下平良)、八幡宮(佐方)も勧請され〜 旧廿日市全域の鎮守・総氏神として続いてきたという。 神社庁、廿日市天神HP縁起参照。
廿日市総氏神 廿日市天満宮(1)(新宮社も勧請されている)sm38258080
新宮神社(藤掛城主が建立した〜下平良の氏神)sm38156694
西国街道を少し進んだ宮内にある 宮内天王社(宮内上組の氏神)sm37969384
桜尾城支城があった藤掛山の広田神社 sm36972757
少し西にある厳島神社外宮 地御前神社 sm3738415
上平良にある二ノ宮 延喜式内社名神大社 速谷神社 sm35298947- 39
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2021-12-13 05:05:02
【広島市の神社巡り】「安芸津彦神社」(旧名 官幣社) 広島市安佐南区祇園江戸時代までは厳島神社の七つの兼帯社の一つであった。明治5年 現在の社号に改めた。
JR可部線に沿うように走る県道277号線(旧道)沿いにある。所々古い屋並みも残る道だが 今でも交通量は半端なく多い路線その街道沿いの一角に旧官幣社こと安芸津彦神社がある。
安芸津彦神社(旧名称=官幣社)安芸津彦命、安芸津姫命を祭神とする神社~安芸津彦命は阿岐(安芸)国造 飽速玉男命(速谷神社御祭神)の祖神である.
平成になる直前に焼失した後社殿は 残念ながら社殿は鉄筋コンクリート再建である。
写真を見直してみますと綺麗に撮れていました。
末社の建物は古い感じでした。
祇園の名の由来である、安神社がごく近い。- 38
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2022-11-24 08:09:02
広島県の神社巡り 〜間もなく冬へ変わる〜晩秋の【速田神社】広島県廿日市市廿日市市友田地区 津和野街道が通る旧佐伯町であった山間の集落にある。友和公民館近く県道30号沿い。
安芸国総鎮守 速谷神社⛩を古い時代に勧請したと思われる。
広島県指定天然記念物 ツクバネカシの大木があり紅葉もあるし雰囲気も悪く無い。
県道を走行中、いい色になっていたので立ち寄る。
iPhoneで作成。音楽はiPhone付属のもの。綺麗!雰囲気も最高ですね\(^o^)/
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2022-07-12 22:30:03
晩春の周防山代地方阿賀(あか)の古社 「 速田神社」 2022晩春岩国市湖者速田神社。神社部分だけ。美和町の阿賀 。里の鎮守 速田神社。
何度か来ているが久々に記録動画(ここへくる前にカフェに寄ってきて夕方近く)
山里ながら古来厳島神社とも関係が深かったようで言い伝えでは厳島明神から神供米が送られていたこともあったらしい。
今も御烏喰式(おとぐいしき)も行われる。
現在の社殿は江戸時代後期の建立のようで三間社流造り〜岩国市の有形文化財指定。
現在地には阿賀の藤木というところから明治時代遷座した模様。
祭神など由緒など境内になく不明。おそらく市杵島姫など宗像神を祀っているのではと思われる。
縁起が不明なため探して美和町阿賀ブログラブHPの縁起に関しての記述を参照しました。
縁起説話については「神が女人姿で降臨し、早稲(イネ)を速く成熟して見せ里を守ると告げて田圃へ消えた」というものだそうで市杵島姫などを連想させるきもしますが・・どうなんでしょう。
この辺りは岩国往来(岩国城下と山代街道を繋ぐ道)が通っていた。近くの雲照寺付近から県道とは別に昔の峠道があるらしい。県道130号線は雲照寺峠を越えて本郷へ続く。
速田神社という社号にかんして安芸の式内名神大社「速谷神社」が江戸の頃まで厳島の隆盛により
厳島の摂社的な位置になり速田神社と号していたと云いますのでそこから勧請した可能性が高い。
速谷の御祭神は安芸国造の祖神系=阿岐速玉男命ですからね?うぽつです
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2022-11-13 20:47:02
桜の頃「 草津八幡宮 」と広島湾と市街地の展望 広島市西区草津(令和4年4月下旬)裏参道から賛否。
令和4年晩春記録。広島市西区草津 江戸時代は西国街道の間宿(あいのしゅく)で正規の宿場の間にあり休息などに利用された。海辺の街で海運、漁業牡蠣養殖などで栄えた今は沖が埋め立てられ住宅や商工施設が立つ 戦国時代 水軍城「草津城」もあった。
神社の在る山について、神功皇后の三韓征伐の伝説でこの地で軍船を整え 弓矢(箭)の訓練をさせたと伝承され力箭山(りきやさん)と呼ばれる。
草津八幡宮の今の社殿や境内域、自体はそう古いものではない。
昭和六年に山腹を切り開き境内が新造され現在地に遷座され新たに社殿建立されたもの。
古は海の近くにあり再建のたび内陸に移っていったと言う。
高台にあり草津の町〜広島湾や島々などの景観が優れています。時々眺めに行きたくなる場所。
社殿も大変姿が良いし189段の石段も風情がある。
御朱印もいただけます。
宮嶋口や旧市内からチンチン電車で行き 草津駅で降りて散策も楽しいですよ。
草津沖周辺は埋め立てられ近代化されているが、古い街並みや神社仏閣、うだつやコテ絵などのある古民家や蔵なども今だ点在している。歴史散策も楽しい。御幸川の河口あたりに飲食店スーパー専門店などが入るレクトがある。洒落ているので休息などに良い。
西国街道を進んだ宮内にある 宮内天王社sm37969384
西にある厳島神社外宮 地御前神社 sm37384152
上平良にある延喜式内社名神大社 速谷神社 sm35298947いいですね~\(^o^)/
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2021-03-02 23:22:02
早春の御社2 延喜式内名神大社・旧国幣中社「 速谷神社 」廿日市市上平良伊勢神社参拝後、少し下の上平良まで移動。速谷神社=安芸国二宮。延喜五年(905年)延喜式神名帳の延喜式内名神大社 旧 国幣中社。御祭神飽速玉男命(アキハヤタマオノミコト)阿岐国造を祀る。
古代は厳島神社を凌ぐ安芸備後で最高の社格を持っていた。厳島信仰の高まりにより いつしか速田神社と称され二宮、厳島明神の摂社的位置になっていたが明治以後速谷神社と社号を戻し復興された。
各地に勧請されていて何箇所かあるようです。旧佐伯町友和の速田神社、美和阿賀の速田神社などには昨年行きました。
境内社=稲荷社と岩木社のみがある、数は少ないですね。
岩木社=参道入り口の大鳥居の近く(向かって左手の住宅街の間)にある権現岩という小山に祠があり岩木の翁を祀るその分祀のようで、権現岩の傍に平楽地蔵堂がある(神宮寺の名残、先日遠目に見たらブルーシートで屋根が痛んでいた)
地主の神様と言われる。厳島明神の伝説にも絡んでいて厳島神社の三翁神社の祭神の一柱にもなっている。以前は岩木社の前には石鳥居がなくて椿が今より大きかったかな。
少し山上にある原の鎮守(安芸灘の眺め) 早春の伊勢神社=sm38317248- 22
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2021-08-17 22:31:02
【夏越しの祓の日】 安芸総鎮守「速谷神社」(延喜式内名神大社・旧国幣中社、別表神社)安芸国の「阿岐(あき)国造」の祖を祀る神社。まさに安芸国の総鎮守である。
古代の安芸王国の王ともいうべき祖神を祀るわけだ。
参拝の神事まちの合間に〜写真と動画が少し。たまに参拝するがいいですよ。
平安末期に厳島神社が平氏により大興隆するまでは、安芸と備後国で最高の社格を誇り延期式神名帳=名神大社に列した。(ちなみに厳島神社も名神大社である)
厳島信仰の興隆の陰で二ノ宮 速田神社と呼ばれ長い歴史を辿る。
その後再度,復興され元の社号に復し速谷神社として明治以後国幣中社にも列し現在へ繋がっている。
昭和後期に焼失したため社殿は再建。付属の建物はそう古くはなく新しく建立されたモノであろう。
昔、今の神門の場所にはかつては鳥居があたったらしい。
江戸時代=厳島神社兼帯社だっ(速田大明神と呼ばれ本来の名前が忘れられていた)
BGM利用=鎮守の森~和風&アンビエントなピアノソロ~ のる様 作- 18
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