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2022-08-05 22:38:02
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第25回・酒井勝軍の日ユ同祖論と日本のピラミッド明治の終わりから大正にかけて大きな話題になった竹内文書では、日本は1350億年前より存在し、その頃より日本の天皇は世界を統治していたと言い、さらにモーセもキリストも仏陀も孔子も孟子もすべて日本人で、彼らも晩年は日本に来て最期を迎えたとしている。その竹内文書の影響を強く受けた酒井勝軍は、さらに竹内文書の正当性を証明するかのように昭和9年(1934年)広島県庄原市の葦嶽山を日本のピラミッドと認定し、このピラミッドは一万三千年前のもので、3千年前に築かれたエジプトギザのピラミッドより1万年以上も古いものだと主張し、ピラミッド日本起源説を主張した。
酒井によれば、紀元前数千年前のエジプト人もパレスチナのユダヤ人も同じセム語族で、ギザのピラミッドの横にあるスフィンクスの方向を辿って行くと、パレスチナ、そして遥か先には日本の南九州の天の逆鉾に繋がると言う。さらには、かつてナチスによるユダヤ人大虐殺の根拠とされた「シオン賢者の議定書」では、「ユダヤ人が世界を支配して、すべての民をモーセの宗旨、つまりユダヤ教の前に平伏させる」と書かれていることを肯定的に受け止め、ユダヤによる世界征服とは、つまり、日本の天皇が世界を平伏させる意味だと解釈した。
酒井によれば、日本の天皇とは、ユダヤ教の聖典「トーラー」やキリスト教の聖典「新約聖書」で言うところのメシア、つまり救世主そのものであり、古代エジプト人もユダヤ教徒もキリスト教徒もすべて日本人と同じ太陽信仰、つまりアマテラス信仰であり、そのことは、ピラミッドを真上から見れば日本の旭日旗や菊の紋章の形をしていることで証明されている言う。
酒井は、天皇の持つ世界の三種の神器とは、十六放御紋章と世界憲法モーゼの裏十戒と万世一系章である青縞瑪瑙石であるとし、それは竹内巨麿の運営する茨城県磯原にある皇祖皇大神宮に安置されてると言った。
竹内文書を正史とし、古事記や日本書紀はデタラメが書かれており、三種の神器の定義も通説から大きく逸脱するものであり、特高警察に目を付けられ、酒井は何度も彼らに逮捕されることとなった。
現在的視点から見れば巨麿や酒井のトンデモ歴史観は一笑に付せるものの、大正大震災や昭和大恐慌など社会不安が増大していた当時、こうした超国家主義的な妄想は一世を風靡し、当時一流と言われた学者や大物政治家や陸海軍の重鎮たちまでをもが大真面目に興味を持ったのだ。
しかし、この延長線上にあるものが大日本帝国の破滅崩壊と日本全体のリセットにまで追い込まれて行くことになることを予想できたものはいなかったのである。- 186
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2022-07-31 17:51:02
【神道シリーズ・シーズン3】第24回・竹内巨麿と竹内文書竹内巨麿と言えば、まぼろしの「竹内文書」が有名であるが、竹内巨麿やピラミッド日本起源説を唱えた酒井勝軍など、現在の日本で流行っている心霊・UFO・宇宙人・終末論・超能力・超常現象・都市伝説等のオカルトブームはまさに彼らの生きた大正期から昭和初期から始まっていると言っても間違いではない。
竹内宿祢の孫、平群真鳥の血統を継ぐ自称竹内宿祢67世を名乗る竹内巨麿は、1944年(昭和19年)の第二次天津教事件で逮捕された時の特高警察調書によると、実際には木挽職、つまり、のこぎりで木を切る仕事を生業とする森山勇吉の私生児として生まれ、小作農竹内庄蔵の養子となり竹内姓を受けることになったのだった。
巨麿の人生は、こうして自らの履歴の詐称から始まり、平群真鳥の時代から受け継がれてきたと自称する竹内文書も実は自ら著していたもので、その長編空想小説ともいえる文書は、小出しにしながら公開すると称して、実は自ら書き続けていたのである。
その竹内文書によると、もともと地球上には日本しか存在せず、日本は紀元前3175年より王朝があり、古事記で言うところの神代七代の神々は実は天皇で、その王朝は、その後、上古25代、ウガヤフキアエズ朝75代、そして、神武天皇以降の現在の王朝は「かむやまとちょう」と呼ばれるとした。
神代七代の天皇の時代には、天皇が天空浮船と呼ばれるUFOのような宇宙船に乗って世界中を巡遊しながら世界を統治したと言い、3000年以上前には上古2代の天皇の16人の兄弟姉妹たちが世界中に散り、彼らの名前が現在の世界各地の有名な都市名である、ニューヨークとかロンドンとかボストンのような名称になっていると言った。
さらに、モーゼもキリストも釈迦も孔子も孟子も日本の神道の教えを乞うて日本に来日し、残りの余生を送ったと書かれている。 よって、彼らの墓も日本にあると言うのである。
中でもキリストの墓として比定された青森県三戸郡新郷村は、今でも村おこし事業として竹内文書を根拠とする
「伝説のモーゼパーク」を運営している。
しかし、このように荒唐無稽な、まるでアニメの世界のような世界観・歴史観は、当時、1929年の世界恐慌後に社会不安と逼塞感が高まる中、当時の著名な宗教家や思想家、あるいは一流と言われた学者たちなどの著名人や陸軍海軍の中将大将レベルの軍人たちの間にも強い共感を呼び、当時のウルトラナショナリズム的な潮流の中で繁栄していくこととなる。
本田親徳の鎮魂帰神法を基軸とする明治以降の古神道を名乗る平田系カルトグループは、宮地水位の霊界神仙思想や大石凝真素美の言霊学や、神代文字で書かれたとする竹内巨麿の竹内文書などがやがてカルト思想のデパートととでも言うべき大本教の流れに大きく収束して行くのであった。- 159
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