キーワード饒速日命を含む動画:9件 ページ目を表示
2024年6月17日 07時11分に生成された05時00分のデータです
2013-04-18 21:49:14
四天王寺の東にある生駒山は物部氏の祖山 聖徳太子・四天王寺の暗号09四天王寺の西の鳥居は東の生駒山を拝するものだと考えられる。
生駒山は大阪と奈良の間にある霊山。「先代旧事本記」によると、生駒山に饒速日(ニギハヤヒ)命が天下ったと書かれている。つまり生駒山は饒速日命の山である。実際に、生駒山にある石切神社の御祭神は饒速日命とその息子の宇摩志麻遅(ウマシマジ)命。
宇摩志麻遅命の六代目が物部姓を賜る。つまりこの二人の神は物部の祖先であり、生駒山は物部の祖山ということになる。西の鳥居から生駒山を拝むというのは、物部の祖先を拝むことである。
動画一覧 mylist/36747980
「聖徳太子 四天王寺の暗号」書籍紹介 http://www.810.co.jp/book/ISBN978-4-89295-920-2.html 著者中山市朗は新耳袋シリーズの共著者遠すぎw Chrome
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2016-03-05 23:03:44
【神社探訪】日尾八幡神社今回は愛媛県松山市にある日尾八幡神社です。
前回の朝日八幡に続き「松山八社八幡」の一つで境内には宮司で書家でもあった「三輪田米山(みわだべいざん)」の文字が刻まれた石碑などがございます。
前回:朝日八幡神社sm28341940 次回:勝山八幡神社sm28396589
【神社探訪マイリス】mylist/55078461
【祭神】
西玉殿
品陀和気命
帯仲日子命
中玉殿
多紀理毘命
狭依毘売命
多紀都毘売命
東玉殿
大帯姫命
西玉殿側玉殿
健内宿禰命
中玉殿
伊予比売命
饒速日命
東玉殿側玉殿
猿田毘古大神
日尾八幡神社
愛媛県松山市鷹子町894
撮影、録音:saomi
音楽:古根川広明「月下乱舞」
http://commons.nicovideo.jp/material/nc117408立派な門だね 神々しい これは古いやつかな> 狛犬かわいい
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2020-11-25 20:00:00
奈良市内観光 ~『平城宮跡朱雀門』『ならまち』『若草山山頂展望台』~一般社団法人楠公研究者相談役で、『大和の里』理事でいらっしゃる中西様に、奈良市随一の観光地『平城宮跡』『奈良県庁屋上』『ならまち』『若草山』をご案内頂きました。
実は私、奈良県庁の屋上は初めてでした。屋上に登ると、興福寺や東大寺、若草山等名だたる名所が一望できる事を初めて知り、感激と驚きの思いでした。
続いて、古い町家の残る『ならまち』へ。ひと言に『ならまち』といっても、実はかなり広い範囲に及び、徒歩で廻るならば1日では到底足りません。今回は、中西様のお車でご案内頂いたお陰で、ほぼ全ての『ならまち』を観る事ができました。日が暮れてからは、『奈良奥山ドライブウェイ』から若草山山頂へお連れ頂き、まるで宝石箱のように美しい夜景を堪能、余りの美しさに心が洗われる思いでした。
更に感動だったのは、若草山山頂が古墳であり御陵であった事。山頂に築かれた広大な前方後円墳『鶯陵』の被葬者は、仁徳天皇皇后として民間初の皇后として葛城氏から皇室へ入内された磐之媛命。彼女の御陵は一般的には、『ヒシアゲ古墳』に比定されていますが、実は古来から磐之媛命御陵と伝えられてきたのは、こちらの若草山山頂の『鶯陵(鶯塚古墳)』の方。
前方には、饒速日命が降臨した生駒山と春日大神の巡幸ルートたる『中津道』、左方には三輪山、吉野、そして磐之媛命の出身地である葛城山、右方には、奈良に比べればまだまだ新しい都である京都、更に後醍醐天皇が初めて挙兵をされ皇居を置かれた笠置をも見渡せます。天下を全て見下ろすべきこの地に鎮まられた磐之媛命は、なんと凄い女性だったのだろうと、若草山山頂にて、改めて彼女の偉大さに思いを馳せました。民間初の皇后として皇室に入内されたものの、間もなく離縁、再び、民間に降られた磐之媛命は、どのような思いで、離縁後の日々を送られたのでしょう。
一方で、仁徳天皇様の方もまた、離縁後であっても尚、名門・葛城氏の息女である磐之媛命に敬意を評したからこそ、大和国最大最強の聖地たる若草山山頂に彼女を葬る事を許されたのでしょう。初めて登拝させて頂いた若草山山頂に立った時、山頂部から何とも言えぬ畏怖の念を抱く大きな力が湧き上がってきているのを強く感じました。奈良を知っているようでまだまだ私の知らぬ素敵な奈良の魅力が沢山ある事を知りました。
それらをも発信していけるよう、これからも歴史顕彰に努めて参ります。
いつも温かいお心遣いを賜ります中西様に篤く御礼申し上げます。
奈良市内観光地巡りの模様は以下のチャンネルでご紹介しておりますので、是非ご覧下さい↓
https://youtu.be/aNvuYMcXweIタグどうした? いいね コメントありがとうございます。 こんばんは。奈良は十年前行きましたが興福寺が工事中だったので東大寺、春日神社に行きました。懐かしいです。
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2020-04-09 22:01:02
<広島市の神社巡り >1300年楽音寺神名帳記載の「山の御所 阿刀明神社」 広島市安佐南区沼田町(旧戸山)山御所 阿刀明神社 1300年頃の楽音寺神明帳 四位十一前に記載される古社。
天保八年に古い阿刀神社と宇豆八幡とが合祀された神社である。
元は八幡宮と称したが明治以後旧名に復した。春は桜もあり村の鎮守として昔ながらの姿が残された古い古い神社。最近まで知らなかった掘り出し物の神社でした
天保年間氏子により植樹された鎮守の森は広島市の天然記念物指定。
広島市安佐南区沼田町阿戸地区 旧戸山村と呼ばれた所(沼田郡阿戸村と吉山が合併していた)その後伴村などと合わさり沼田町〜広島市と合併し安佐南区沼田町に。山の中にある集落であるが団地などもでき結構家が多いし古い赤瓦のすごく大きな農家があったりします)
県道から眺めたら阿戸辺りは谷のようになっていて低いところが田畑になっているみたいでした。
県道71号線で大原、伴あたりから来るルートや湯来町からも433号線〜県道77号線が通る(そのまま行くと安佐北区久地方面へ抜ける)
御祭神 主神=可美眞手命(ウマシマデノミコト) 天照大神 宗像三神 相殿=八幡神
古代には阿刀(あと)氏の居住した土地でその祖神を祀る阿刀神社がもともとあった。その後天承年間(崇徳天皇の御代)大中臣権介正房により開拓された土地ということです(八幡神を祀ったのはこの一族らしいです)
阿刀氏は物部と同じ饒速日命を祖神とする氏族集団であるそうです。可美眞手命は饒速日の子神。
先日再訪散策してきた境内も綺麗で、社叢風景と相まって桜の頃も静かに花を見るもオススメです。御朱印もいただけるらしいですが、電話で問合せが必要。
訂正=一部 大中臣神社と字幕あり×〜 大中神社が正しい。 2020 3 訪問
night cry? うぷ乙
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2020-12-19 20:32:02
饒速日命を奉斎した唐古・鍵遺跡 ~奈良県田原本町に遺る神域~奈良県田原本町に遺る『唐古・鍵遺跡』は、瓊瓊杵尊に先んだって降臨した饒速日命の奉斎地として有力視されている。
饒速日命を祖神としたのは長髄彦で、神武天皇東遷による大和入りまでは、長髄彦らの一族がこの地で『まつりごと』を行っていた可能性が高いと思われる。
饒速日命の末裔として有名なのが物部氏で、その氏神は石上神宮が知られる。
『日本書紀』によると,饒速日命は神武天皇の東遷に先んだち、大和の地に天磐船を使い降臨された。
また、生駒山を越えんとした磐余彦命(神武天皇)に対して、長髄彦は兄神とする饒速日尊の神宝を見せ天孫族の証拠を示し、これを退けた。
後に、金鵄が磐余彦命に追従するのを目の当たりにした饒速日命は磐余彦命の神裔としての正統性を認め、依然として磐余彦命と抗戦すべしと主張して聞き入れなかった義理の弟たる長髄彦(長髄彦の妻の兄が饒速日命)を自らの手で暗殺、磐余彦命に帰順する事となる。
そして物部氏の元祖になり,大和朝廷の重鎮として朝廷に仕えたとある。
饒速日命の末裔部族である物部氏は、饒速日命が所持した『十種神宝』を石上神宮にて継承している名門部族であったが、推古天皇の御代、聖徳太子の時代に、仏教推進派の蘇我氏と対立、その後表舞台から姿を消した。
しかし、その後も物部氏の血統を引く一族は多く存在し、神代の栄光を今に伝えている。
戦後の歴史教育では、我が国の正式な国史書『日本書紀』を教えず、中国の史書『漢書』の「魏志倭人伝」のみを子供達に教え、『卑弥呼』や『邪馬台国』といった中華思想下に日本を蔑んだ宛字を日本の古代史として植え付けられており、この偏向教育に怒りを禁じ得ない。
子供達は、日本人は真実を知る権利がある。
【饒速日命の奉斎した唐古・鍵遺跡 ~奈良県田原本町に遺る神域~】↓
【YouTube】https://youtu.be/4XwKXKnAWj4- 99
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2020-05-04 10:46:03
<広島市の神社巡り > 桜満開〜春闌の頃「山御所 阿刀明神社」再訪桜の満開の山御所 阿刀明神社。
1300年頃の楽音寺神明帳 四位十一前に記載される古社。
天保八年に古い阿刀神社と宇豆八幡とが合祀された神社である。元は八幡宮と称したが明治以後旧名に復した。春は桜もあり村の鎮守として昔ながら残された御社。
天保年間氏子により植樹された鎮守の森は広島市の天然記念物指定。
広島市安佐南区沼田町阿戸地区 旧戸山村と呼ばれた所(沼田郡阿戸村と吉山が合併していた)その後伴村などと合わさり沼田町〜広島市と合併し安佐南区沼田町に。山の中にある集落であるが団地などもでき結構家が多いし古い赤瓦のすごく大きな家がある)
御祭神 主神=可美眞手命(ウマシマデノミコト) 天照大神 宗像三神 相殿=八幡神
古代には阿刀(あと)氏の居住した土地でその祖神を祀る阿刀神社がもともとあった。その後天承年間(崇徳天皇の御代)大中臣権介正房により開拓された土地ということです(八幡神を祀ったのはこの一族らしいです)
境内社=大中神社と大年社、荒木社(社伝右側の二社)
阿刀氏は物部と同じ饒速日命を祖神とする氏族集団であるそうです。可美眞手命は饒速日の子神。
再訪して戸山公民館で資料をもらい車を止め、山仲間と(マスクして(^^; )神社まで散策してきた 境内も綺麗で、多くはないが境内社叢風景と相まって桜の頃も静かに花を見るにもよいもんです。 のあとしばらくして広島県も緊急事態宣言に。- 83
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2022-03-29 17:55:02
山御所「阿刀明神社」安芸国 楽音寺神明帳記載の古社 〜 令和三年初秋 〜 広島市安佐南区沼田町阿戸阿刀明神社 天保八年に古い阿刀神社と近くにあった宇豆八幡とが合祀された神社である。合祀後は社号を八幡宮と称したが、明治維新以後、旧名に復した。
春は桜もあり村の鎮守として昔ながら残された御社。
天保年間氏子により杉、ヒノキなど植樹された鎮守の森は広島市の天然記念物指定。
広島市安佐南区沼田町阿戸地区 旧戸山村と呼ばれた所(沼田郡阿戸村と吉山が合併していた)その後伴村などと合わさり沼田町〜広島市と合併し安佐南区沼田町に。
御祭神 主神=可美眞手命(ウマシマデノミコト) 天照大神 宗像三神 相殿=八幡神
古代には阿刀(あとう)氏の居住した土地でその祖神を祀る阿刀神社がもともとあった。その後天承年間(崇徳天皇の御代)大中臣権介正房により開拓された土地ということです(八幡神を祀ったのはこの一族らしいです)
境内社=大中神社と大年社、荒木社(社の右側の二小社)
阿刀氏は物部と同じ饒速日命を祖神とする氏族集団であるそうです。可美眞手命は饒速日の子神。
2020年以来 時々参拝に行きますが参道の石畳と社叢を背景にした社殿の見事さに惚れ惚れします。
戸山公民館で散策用のMap資料がおいてありいただけます。資料も少し置いてあった。
広島市 文化財HP,戸山散策マップ、wiki参照。和んだありがとう うぽつ 社殿もいいですね(^o^)
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2022-07-18 21:24:02
〜桜と神社〜【山御所 阿刀明神社の桜】 R4・4阿刀明神社 天保八年に古い阿刀神社と近くにあった宇豆八幡とが合祀された神社である。合祀後は社号を八幡宮と称したが、明治維新以後、旧名に復した。
春桜頃の映像。桜はそう多くはないが神社や社叢が良いもんで最近よく行きますね。
天保年間氏子により杉、ヒノキなど植樹された鎮守の森は広島市の天然記念物指定。
広島市安佐南区沼田町阿戸地区 旧戸山村と呼ばれた所(沼田郡阿戸村と吉山が合併していた)その後伴村などと合わさり沼田町〜広島市と合併し安佐南区沼田町に。
御祭神 主神=可美眞手命(ウマシマデノミコト) 天照大神 宗像三神 相殿=八幡神
古代には阿刀(あとう)氏の居住した土地でその祖神を祀る阿刀神社がもともとあった。その後天承年間(崇徳天皇の御代)大中臣権介正房により開拓された土地ということです(八幡神を祀ったのはこの一族らしいです)
境内社=大中神社と大年社、荒木社(社の右側の二小社)
阿刀氏は物部と同じ饒速日命を祖神とする氏族集団であるそうです。可美眞手命は饒速日の子神。うぽつ
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