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2016-11-01 05:01:39
<1/7>佐々木敦×東浩紀「テン年代カルチャーの行方——<ゲーム的リアリズム>から<パラフィクション>へ?」【2014/10/02収録】 @sasakiatsushi @hazumaテン年代が始まって、すでに5年が経過した。この間、日本で「新しい」文化の潮流は芽生えたのだろうか。批評家・佐々木敦は、この9月に刊行された新刊『あなたは今、この文章を読んでいる。』(慶応大学出版会)で、新たな物語の枠組み「パラフィクション」を提示した。佐々木によれば、ゼロ年代はメタフィクションの時代であったという。アニメや美少女ゲーム、ライトノベルといったジャンルを中心に、フィクションであることそれ自体を逆手に取った形態が頻繁に利用されるようになり、強い支持を受けた(一例を挙げれば『涼宮ハルヒの憂鬱』や『EVER17』、『All You Need Is Kill』など)。その過程を経て、ゼロ年代後半から、メタフィクションの限界を乗り越えようとする動きが現れ始めた。それが「パラフィクション」である。「パラフィクション」は、読者に対し「読む」という能動的な行為を要求し、それに応じて読まれるたびに新たに生成されるような作品群のことを指す。佐々木は例として伊藤計劃+円城塔の『屍者の帝国』や、神林長平の『ぼくらは都市を愛していた』などを取り上げ、その可能性と射程について言及している。一見メタフィクションとの差が見えづらい「パラフィクション」だが、 佐々木によれば、ゼロ年代のメタフィクションの隆盛、そして「パラフィクション」の発生には歴史的な意味があるという。その意味とはどのようなものか。今後どのような展開がありうるのか。それは国際的な競争力のあるコンテンツになりうるのか。佐々木も頻繁に参照する、東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』が出版されたのは2007年のこと。東はその後の「物語」、それを取り囲む諸状況、そして「パラフィクション」の可能性をどのように評価するのか。 東浩紀を「ゼロ年代一人勝ち」と評した佐々木敦と、評価された張本人が、テン年代カルチャーを主題に徹底討論する。
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<4/7>佐々木敦×東浩紀「テン年代カルチャーの行方——<ゲーム的リアリズム>から<パラフィクション>へ?」【2014/10/02収録】 @sasakiatsushi @hazumaテン年代が始まって、すでに5年が経過した。この間、日本で「新しい」文化の潮流は芽生えたのだろうか。批評家・佐々木敦は、この9月に刊行された新刊『あなたは今、この文章を読んでいる。』(慶応大学出版会)で、新たな物語の枠組み「パラフィクション」を提示した。佐々木によれば、ゼロ年代はメタフィクションの時代であったという。アニメや美少女ゲーム、ライトノベルといったジャンルを中心に、フィクションであることそれ自体を逆手に取った形態が頻繁に利用されるようになり、強い支持を受けた(一例を挙げれば『涼宮ハルヒの憂鬱』や『EVER17』、『All You Need Is Kill』など)。その過程を経て、ゼロ年代後半から、メタフィクションの限界を乗り越えようとする動きが現れ始めた。それが「パラフィクション」である。「パラフィクション」は、読者に対し「読む」という能動的な行為を要求し、それに応じて読まれるたびに新たに生成されるような作品群のことを指す。佐々木は例として伊藤計劃+円城塔の『屍者の帝国』や、神林長平の『ぼくらは都市を愛していた』などを取り上げ、その可能性と射程について言及している。一見メタフィクションとの差が見えづらい「パラフィクション」だが、 佐々木によれば、ゼロ年代のメタフィクションの隆盛、そして「パラフィクション」の発生には歴史的な意味があるという。その意味とはどのようなものか。今後どのような展開がありうるのか。それは国際的な競争力のあるコンテンツになりうるのか。佐々木も頻繁に参照する、東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』が出版されたのは2007年のこと。東はその後の「物語」、それを取り囲む諸状況、そして「パラフィクション」の可能性をどのように評価するのか。 東浩紀を「ゼロ年代一人勝ち」と評した佐々木敦と、評価された張本人が、テン年代カルチャーを主題に徹底討論する。
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<2/7>佐々木敦×東浩紀「テン年代カルチャーの行方——<ゲーム的リアリズム>から<パラフィクション>へ?」【2014/10/02収録】 @sasakiatsushi @hazumaテン年代が始まって、すでに5年が経過した。この間、日本で「新しい」文化の潮流は芽生えたのだろうか。批評家・佐々木敦は、この9月に刊行された新刊『あなたは今、この文章を読んでいる。』(慶応大学出版会)で、新たな物語の枠組み「パラフィクション」を提示した。佐々木によれば、ゼロ年代はメタフィクションの時代であったという。アニメや美少女ゲーム、ライトノベルといったジャンルを中心に、フィクションであることそれ自体を逆手に取った形態が頻繁に利用されるようになり、強い支持を受けた(一例を挙げれば『涼宮ハルヒの憂鬱』や『EVER17』、『All You Need Is Kill』など)。その過程を経て、ゼロ年代後半から、メタフィクションの限界を乗り越えようとする動きが現れ始めた。それが「パラフィクション」である。「パラフィクション」は、読者に対し「読む」という能動的な行為を要求し、それに応じて読まれるたびに新たに生成されるような作品群のことを指す。佐々木は例として伊藤計劃+円城塔の『屍者の帝国』や、神林長平の『ぼくらは都市を愛していた』などを取り上げ、その可能性と射程について言及している。一見メタフィクションとの差が見えづらい「パラフィクション」だが、 佐々木によれば、ゼロ年代のメタフィクションの隆盛、そして「パラフィクション」の発生には歴史的な意味があるという。その意味とはどのようなものか。今後どのような展開がありうるのか。それは国際的な競争力のあるコンテンツになりうるのか。佐々木も頻繁に参照する、東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』が出版されたのは2007年のこと。東はその後の「物語」、それを取り囲む諸状況、そして「パラフィクション」の可能性をどのように評価するのか。 東浩紀を「ゼロ年代一人勝ち」と評した佐々木敦と、評価された張本人が、テン年代カルチャーを主題に徹底討論する。
やばいw
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<3/7>佐々木敦×東浩紀「テン年代カルチャーの行方——<ゲーム的リアリズム>から<パラフィクション>へ?」【2014/10/02収録】 @sasakiatsushi @hazumaテン年代が始まって、すでに5年が経過した。この間、日本で「新しい」文化の潮流は芽生えたのだろうか。批評家・佐々木敦は、この9月に刊行された新刊『あなたは今、この文章を読んでいる。』(慶応大学出版会)で、新たな物語の枠組み「パラフィクション」を提示した。佐々木によれば、ゼロ年代はメタフィクションの時代であったという。アニメや美少女ゲーム、ライトノベルといったジャンルを中心に、フィクションであることそれ自体を逆手に取った形態が頻繁に利用されるようになり、強い支持を受けた(一例を挙げれば『涼宮ハルヒの憂鬱』や『EVER17』、『All You Need Is Kill』など)。その過程を経て、ゼロ年代後半から、メタフィクションの限界を乗り越えようとする動きが現れ始めた。それが「パラフィクション」である。「パラフィクション」は、読者に対し「読む」という能動的な行為を要求し、それに応じて読まれるたびに新たに生成されるような作品群のことを指す。佐々木は例として伊藤計劃+円城塔の『屍者の帝国』や、神林長平の『ぼくらは都市を愛していた』などを取り上げ、その可能性と射程について言及している。一見メタフィクションとの差が見えづらい「パラフィクション」だが、 佐々木によれば、ゼロ年代のメタフィクションの隆盛、そして「パラフィクション」の発生には歴史的な意味があるという。その意味とはどのようなものか。今後どのような展開がありうるのか。それは国際的な競争力のあるコンテンツになりうるのか。佐々木も頻繁に参照する、東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』が出版されたのは2007年のこと。東はその後の「物語」、それを取り囲む諸状況、そして「パラフィクション」の可能性をどのように評価するのか。 東浩紀を「ゼロ年代一人勝ち」と評した佐々木敦と、評価された張本人が、テン年代カルチャーを主題に徹底討論する。
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ホセ・ドノソとラテンアメリカ文学ブームの作家たち 寺尾 隆吉(ラテンアメリカ文学研究) × 佐々木 敦(批評家)@ジュンク堂池袋本店2014/9/16収録ホセ・ドノソ『別荘』(現代企画室)刊行記念寺尾 隆吉(ラテンアメリカ文学研究)佐々木 敦(批評家)読者を幻惑の世界に引きずり込むホセ・ドノソ『別荘』の迷宮的フィクションに、当代きっての批評家と翻訳者が鋭く切り込む、文学ファン愉悦の対談が実現。長きにわたり待望されていたチリの巨匠ホセ・ドノソ(1924-1996)の代表作、『別荘』の邦訳がついに刊行されました。ガルシア=マルケスと並ぶ「ラテンアメリカ文学ブーム」の牽引者ドノソが1978年に書き上げた『別荘』は、「悪夢的」「迷宮的」とその作品世界を称され、「ブーム世代」のひとつの到達点として、数多くの批評家、作家がその魅力を論じてきました。また、ドノソのもう一つの代表作『夜のみだらな鳥』(改訂訳)も近々刊行を予定されています。そこで、この『別荘』の翻訳者であり、これまでに次々とラテンアメリカ文学の傑作を翻訳紹介されてきた寺尾隆吉さんと、文学、音楽、舞台、映像など多岐にわたる分野で精力的に批評活動を展開され、またドノソ文学を熱烈に支持されている佐々木敦さんをお招きし、ドノソの作品をはじめ、ガルシア=マルケス、バルガス・ジョサ、フエンテスなどラテンアメリカ文学ブームの巨匠たちの魅力に様々な角度から迫っていただきます。【講師紹介】寺尾 隆吉(てらお りゅうきち)1971年生まれ。フェリス女学院大学准教授。専攻は現代ラテンアメリカ文学。主な著書に、『魔術的リアリズムー20世紀のラテンアメリカ文学』(水声社、2012)。主な訳書に、カブレラ・インファンテ『TTT』(現代企画室、2014)、ガルシア=マルケス、バルガス・リョサ『疎外と叛逆』(水声社、2014年)、ホセ・ドノソ『境界なき土地』(水声社、2013年)、カルロス・フエンテス『澄みわたる大地』(現代企画室、2012年)など多数。佐々木 敦(ささき あつし)1964年生まれ。批評家。早稲田大学文学学術院教授。HEADZ代表。映画美学校批評家養成ギブス主任講師。主な著書に、『ex-music(L)』『同(R)』(アルテス・パブリッシング、2014)、『「4分33秒」論』(Pヴァイン、2014)、『シチュエーションズ』(文藝春秋、2013)『批評時空間』(新潮社、2012)、『未知との遭遇 無限のセカイと有限のワタシ』(筑摩書房、2011)、『小説家の饒舌』(メディア総合研究所、2011年)他多数。9月に『あなたは今、この文章を読んでいるーパラフィクションの誕生』(慶応義塾大学出版会)を刊行。
そうなのかな ほー 現時点でも需要が少ないデスゾ。(^_^;) エエエエエ 来るなあ。 短編集の方...
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<6/7>佐々木敦×東浩紀「テン年代カルチャーの行方——<ゲーム的リアリズム>から<パラフィクション>へ?」【2014/10/02収録】 @sasakiatsushi @hazumaテン年代が始まって、すでに5年が経過した。この間、日本で「新しい」文化の潮流は芽生えたのだろうか。批評家・佐々木敦は、この9月に刊行された新刊『あなたは今、この文章を読んでいる。』(慶応大学出版会)で、新たな物語の枠組み「パラフィクション」を提示した。佐々木によれば、ゼロ年代はメタフィクションの時代であったという。アニメや美少女ゲーム、ライトノベルといったジャンルを中心に、フィクションであることそれ自体を逆手に取った形態が頻繁に利用されるようになり、強い支持を受けた(一例を挙げれば『涼宮ハルヒの憂鬱』や『EVER17』、『All You Need Is Kill』など)。その過程を経て、ゼロ年代後半から、メタフィクションの限界を乗り越えようとする動きが現れ始めた。それが「パラフィクション」である。「パラフィクション」は、読者に対し「読む」という能動的な行為を要求し、それに応じて読まれるたびに新たに生成されるような作品群のことを指す。佐々木は例として伊藤計劃+円城塔の『屍者の帝国』や、神林長平の『ぼくらは都市を愛していた』などを取り上げ、その可能性と射程について言及している。一見メタフィクションとの差が見えづらい「パラフィクション」だが、 佐々木によれば、ゼロ年代のメタフィクションの隆盛、そして「パラフィクション」の発生には歴史的な意味があるという。その意味とはどのようなものか。今後どのような展開がありうるのか。それは国際的な競争力のあるコンテンツになりうるのか。佐々木も頻繁に参照する、東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』が出版されたのは2007年のこと。東はその後の「物語」、それを取り囲む諸状況、そして「パラフィクション」の可能性をどのように評価するのか。 東浩紀を「ゼロ年代一人勝ち」と評した佐々木敦と、評価された張本人が、テン年代カルチャーを主題に徹底討論する。
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<5/7>佐々木敦×東浩紀「テン年代カルチャーの行方——<ゲーム的リアリズム>から<パラフィクション>へ?」【2014/10/02収録】 @sasakiatsushi @hazumaテン年代が始まって、すでに5年が経過した。この間、日本で「新しい」文化の潮流は芽生えたのだろうか。批評家・佐々木敦は、この9月に刊行された新刊『あなたは今、この文章を読んでいる。』(慶応大学出版会)で、新たな物語の枠組み「パラフィクション」を提示した。佐々木によれば、ゼロ年代はメタフィクションの時代であったという。アニメや美少女ゲーム、ライトノベルといったジャンルを中心に、フィクションであることそれ自体を逆手に取った形態が頻繁に利用されるようになり、強い支持を受けた(一例を挙げれば『涼宮ハルヒの憂鬱』や『EVER17』、『All You Need Is Kill』など)。その過程を経て、ゼロ年代後半から、メタフィクションの限界を乗り越えようとする動きが現れ始めた。それが「パラフィクション」である。「パラフィクション」は、読者に対し「読む」という能動的な行為を要求し、それに応じて読まれるたびに新たに生成されるような作品群のことを指す。佐々木は例として伊藤計劃+円城塔の『屍者の帝国』や、神林長平の『ぼくらは都市を愛していた』などを取り上げ、その可能性と射程について言及している。一見メタフィクションとの差が見えづらい「パラフィクション」だが、 佐々木によれば、ゼロ年代のメタフィクションの隆盛、そして「パラフィクション」の発生には歴史的な意味があるという。その意味とはどのようなものか。今後どのような展開がありうるのか。それは国際的な競争力のあるコンテンツになりうるのか。佐々木も頻繁に参照する、東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』が出版されたのは2007年のこと。東はその後の「物語」、それを取り囲む諸状況、そして「パラフィクション」の可能性をどのように評価するのか。 東浩紀を「ゼロ年代一人勝ち」と評した佐々木敦と、評価された張本人が、テン年代カルチャーを主題に徹底討論する。
この要約力たるや
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2017-04-01 00:00:00
岡田利規×佐々木敦「新しい日本語、新しい身体——チェルフィッチュと演劇の現在」【ニッポンの演劇 #1】【2015/12/17収録】 @sasakiatsushi「日本・現代・演劇」のカッティング・エッジを解剖するシリーズ・イベントを開始します。ふと気がついてみれば、70年代からテン年代まで、長い年月の間に登場した演劇人たちが群雄割拠状態でしのぎを削っているかに見える日本演劇シーン。それはまた、さまざまな形で海の向こうの舞台芸術の世界とも結び付きつつあります。ニッポンの演劇の独自性はどこにあるのか。その可能性と抱える問題はいかなるものなのか。毎回、最前線を牽引するキーパーソンをお迎えして、じっくりとお話を伺い、ディスカッションしていきます。記念すべき第一回は、チェルフィッチュの岡田利規さんが登場します。彼の『三月の5日間』という作品が存在していなければ、現在のニッポンの演劇は、まったく違った風景になっていたことでしょう。同作が岸田國士戯曲賞を受賞したのが2005年のこと。それからちょうど十年が経ち、いま、岡田利規はどこに立っているのか。どこに向かおうとしているのか。(佐々木敦)
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2015-09-14 15:55:30
“山下澄人と佐々木敦による、鳥の会議” 山下澄人(作家)×ゲスト:佐々木敦(批評家・早稲田大学教授・HEADZ主宰)@ジュンク堂池袋本店2015/9/3収録『鳥の会議』刊行記念山下澄人(作家)ゲスト:佐々木敦(批評家・早稲田大学教授・HEADZ主宰) この度、山下澄人さんが待望の新刊『鳥の会議』を刊行されました。本書の刊行を記念して、佐々木敦さんをゲストにお招きし、トークセッションをおこないます。 佐々木さんはこれまでの山下作品を多数論じてきたことのみならず、先日飴屋法水さんの演出によって山下さんの小説『コルバトントリ』の舞台化した際にも企画として関わるなど、山下作品を多方面から読まれている最高の聞き手です。佐々木さんは『鳥の会議』をどう読まれたのか……? スリリングなお二人のトークを、ぜひご期待ください。『鳥の会議』内容紹介●ぼくと神永、三上、長田はいつも一緒だ。ぼくがまさしに左目を潰されたら、みんなは仕返しにゲーセンに向かい、中学の教師や先輩からの挑発には暴力で反抗する。そんなある晩、神永はヤクザ者の親父をカッとなって殺してしまい…。にがさと痛みのなかで鮮烈に輝く少年たちの群像出演者紹介山下澄人●プロフィール 1966年生まれ。作家。富良野塾二期生。96年より劇団FICTIONを主宰、作・演出・出演を兼ねる。2011年『緑の猿』(平凡社)で野間文芸新人賞を受賞。著書:『ギッちょん』(文藝春秋)、『砂漠ダンス』(河出書房新社)、『コルバトントリ』(文藝春秋)、『ルンタ』(講談社)がある。佐々木敦●プロフィール 1964年生まれ。批評家・早稲田大学教授・HEADZ主宰。映画・音楽から文学・演劇・ダンス・思想など多彩な領域で批評活動を展開。著書:『ニッポンの音楽』(講談社現代新書)、『あなたは今、この文章を読んでいる。:パラフィクションの誕生』(慶応義塾大学出版会)、『ex-music〈L〉ポスト・ロックの系譜』『ex-music〈R〉テクノロジーと音楽』(ともにアルテスパブリッシング)、『「4分33秒」論――音楽とは何か』(Pヴァイン)、『シチュエーションズ「以後」をめぐって』(文藝春秋)ほか多数。
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<7/7>佐々木敦×東浩紀「テン年代カルチャーの行方——<ゲーム的リアリズム>から<パラフィクション>へ?」【2014/10/02収録】 @sasakiatsushi @hazumaテン年代が始まって、すでに5年が経過した。この間、日本で「新しい」文化の潮流は芽生えたのだろうか。批評家・佐々木敦は、この9月に刊行された新刊『あなたは今、この文章を読んでいる。』(慶応大学出版会)で、新たな物語の枠組み「パラフィクション」を提示した。佐々木によれば、ゼロ年代はメタフィクションの時代であったという。アニメや美少女ゲーム、ライトノベルといったジャンルを中心に、フィクションであることそれ自体を逆手に取った形態が頻繁に利用されるようになり、強い支持を受けた(一例を挙げれば『涼宮ハルヒの憂鬱』や『EVER17』、『All You Need Is Kill』など)。その過程を経て、ゼロ年代後半から、メタフィクションの限界を乗り越えようとする動きが現れ始めた。それが「パラフィクション」である。「パラフィクション」は、読者に対し「読む」という能動的な行為を要求し、それに応じて読まれるたびに新たに生成されるような作品群のことを指す。佐々木は例として伊藤計劃+円城塔の『屍者の帝国』や、神林長平の『ぼくらは都市を愛していた』などを取り上げ、その可能性と射程について言及している。一見メタフィクションとの差が見えづらい「パラフィクション」だが、 佐々木によれば、ゼロ年代のメタフィクションの隆盛、そして「パラフィクション」の発生には歴史的な意味があるという。その意味とはどのようなものか。今後どのような展開がありうるのか。それは国際的な競争力のあるコンテンツになりうるのか。佐々木も頻繁に参照する、東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』が出版されたのは2007年のこと。東はその後の「物語」、それを取り囲む諸状況、そして「パラフィクション」の可能性をどのように評価するのか。 東浩紀を「ゼロ年代一人勝ち」と評した佐々木敦と、評価された張本人が、テン年代カルチャーを主題に徹底討論する。
うむ なるほどね それだ せやね ほお うむ へー まあ、ジャーナリストとしては適正あるよね おもしろい
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2017-05-01 00:00:00
さやわか×佐々木敦「サブカル批評はキャラ概念で延命しうるか」【さやわか式☆現代文化論 #25】【2016/3/31収録】 @someru @sasakiatsushi年始に『ゴダール原論』、『例外小説論』、『ニッポンの文学』を連続刊行したばかりの佐々木敦、昨年末に『キャラの思考法』を刊行したさやわか、サブカル批評という枠組みに留まらず仕事をする両氏が、昨今のカルチャー評論全般を視野にいれて徹底議論!佐々木さんが一年間主任講師を務め、さやわかさんも第9回の講師を務めた「ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾 第1期」の講評会を終えたばかりの年度末に、あらためて批評を語っていただきます。サブカル批評とはそもそも何なのか、ジャンル批評は存在するのか、これからの批評はどうなるか、新しい価値はどのように生まれるのか…?!さやわかさんよりコメントもいただきました!■東浩紀は『ゲンロン1』の巻頭言で「五年ほどまえ、若い世代のあいだでサブカルチャー評論が流行したことがあった」としながら、それが2010年代には既に「あっけなく萎んでしまった」と書いている。たしかに昨今、サブカルチャーを対象とする批評からは(そもそも、しばしば揶揄の対象にされていたのに重ねて)多くの人が興味を失いつつあるように見える。この状況にあって、今回の「さやわか式文化論」では、広範な文化領域にわたって批評活動を続けている佐々木敦氏をお招きする。実はさやわかは、新著『キャラの思考法』で、伊藤剛の「キャラ」概念や東浩紀のデータベース論を理論的に更新することで、サブカルチャー批評の延命を図ろうとしている。また佐々木氏は新著『ニッポンの文学』の中で、大文字の「カルチャー」に対置されないものとしての「サブカル」が90年代以降に成立したと指摘しながら一章を割いて「文学のサブカルチャー化」について論じていた。両者の近刊がともに「サブカルチャー」について言及しているのは、まさしく昨今におけるサブカルチャー批評の困難を受けてのことであるに違いない。いまサブカルチャー評論の可能性はどこにあるのか。2010年代半ばのサブカルチャーと批評、双方の状況を再確認しつつ探ってみたい。(さやわか)
あばばばばばは
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2019-06-01 00:00:00
菊地成孔×佐々木敦【ゲンロンカフェ at VOLVO STUDIO AOYAMA #10】「音楽/時/空間」@sasakiatsushi【収録時のイベント概要】
2017年11月より、弊社株式会社ゲンロン(東京都品川区)は、ボルボ・カー・ジャパン株式会社(東京都港区)との共同で、新世代のトーク・コラボレーション・プロジェクト「ゲンロンカフェ@VOLVO STUDIO AOYAMA」を始動させました。
第10回は、音楽家/文筆家の菊地成孔さんと、批評家の佐々木敦さんによる対談を開催いたします!
「音楽/時/空間」と題し、縦横無尽なトークが繰り広げられる?!
ぜひ会場にてご覧ください。
会場は「ボルボ スタジオ 青山」。
美味しいシャンパンや珈琲のご用意もございますので、ぜひご来場いただき素敵な空間とともにお楽しみください。
【イベントのページ】
https://genron-cafe.jp/event/20180830/- 451
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2018-02-01 00:00:00
佐々木敦×東浩紀「思想(1st cycle)」【ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾 第3期 #15】 @sasakiatsushi @hazuma批評とはなにか。『批評空間』でデビューしてから四半世紀、ぼくは長いあいだこの問題について考えてきた。それへの答えは批評家によって異なる。おそらく佐々木敦さんとぼくとでも異なるだろう。第1期と第2期はぼくは批評再生塾の最初のゲストとして登場したので、まずはぼく自身が批評とはなにかについて語り、みなさんを方向づけることができた。けれども今回は、最後から3番目のゲストとして登場することになる。みなさんがたくさんの批評文を書いたあとで出会うことになる。そこで今期は、逆に受講生のみなさんに、この半年強の授業を通じて批評についてどのように考えるようになったかを書いてほしい。その提出物を見て、授業ではあらためて、ぼくなりの批評観を語ろうと思う。追記:批評とはなにか。その定義は難しいが、とりあえずそれはいわゆるプレゼンとは違う。というわけで、今回に限っては、選出者の壇上での口頭試問で、パワーポイントそのほかの図像を援用した説明、つまりはスクリーンの使用を禁じたいと思う。選出者は、当日言葉と論理だけで勝負してもらいたい。それを想定しての論文提出を望む。
柄谷行人には柄谷がいなかったけど、東浩紀には柄谷がいたってことやろ なるほど 福島はほんとに意外
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佐々木敦×東浩紀「昭和90年代、批評は再起動する——スクール第2弾<ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾>ついに始動!」【2015/3/20収録】 @sasakiatsushi @hazumaゲンロンでは2015年6月より、新しい批評家を養成するための学校「ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾」を開講します。
これは4月開講の「ゲンロン カオス*ラウンジ 新芸術校」(春学期募集終了)に続く、ゲンロンのスクール事業第2弾にあたります。
メイン講師を務めるのは、これまでにも「批評家養成ギブス」を手がけ、自身も『ニッポンの思想』、『ニッポンの音楽』、『「4分33秒」論』、『批評時空間』、『シチュエーションズ』、『未知との遭遇』、『「批評」とは何か?』など幅広いジャンルの批評を手がけてきた佐々木敦。2015年=昭和90年、いま必要な批評の言葉を探る「批評再生塾」の全貌が明らかに!!
http://genron-cafe.jp/event/20150320/- 427
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(1/4)佐々木敦×柴那典×南波一海 「J-POP IS OVER?――佐々木敦『ニッポンの音楽』刊行記念」【2015/2/4配信】 @sasakiatsushi @shiba710 @kazuminamba佐々木敦さんの新刊『ニッポンの音楽』(講談社現代新書)の刊行を記念し、
トークイベントを開催します。
ゲストに『初音ミクはなぜ世界を変えたのか』の柴那典さん、
アイドル評論を中心に活躍中の南波一海さんをお招きします。
【出演者紹介】
佐々木敦(ささき・あつし)
1964年生まれ。批評家。音楽レーベルHEADZ主宰。早稲田大学文学学術院教授。映画美学校批評家養成ギブス主任講師。
『ex-music(L)』『同(R)』(アルテス・パブリッシング)、『「4分33秒」論』(Pヴァイン)、『シチュエーションズ』(文藝春秋)、『批評時空間』(新潮社)、『未知との遭遇』(筑摩書房)、『ニッポンの思想』(講談社現代新書)、など著書多数。
2015年1月、『ニッポンの音楽』(講談社現代新書)を刊行。
柴那典(しば・とものり)
1976年神奈川県生まれ。ライター、編集者。音楽ジャーナリスト。出版社ロッキング・オンで『ROCKIN’ON JAPAN』『BUZZ』『rockin’on』の編集に携わり、その後独立。雑誌、WEB、モバイルなど各方面にて編集とライティングを担当し、音楽やサブカルチャー分野を中心に幅広くインタビュー・記事執筆を手掛ける。2014年4月3日『初音ミクはなぜ世界を変えたのか』(太田出版)刊行。
https://twitter.com/shiba710
南波一海(なんば・かずみ)
音楽ライター。近年はアイドルをはじめとするアーティストへのインタビューを多く行い、その数は年間100本を越える。タワーレコードのストリーミング・メディア「タワレボ」で放送中のアイドル応援&紹介番組『南波一海のアイドル三十六房』でナヴィゲーターを務めるほか、 CDジャーナルWEBにてアイドル・ソング作家に話を訊くインタビュー企画『ヒロインたちのうた。』を連載中。- 347
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飴屋法水×佐々木敦「なにが演劇なのか——パフォーマンスの『正体』をめぐって」【ニッポンの演劇 #3】【2016/4/13収録】 @norimizua @sasakiatsushi「ニッポンの演劇」第三回は、飴屋法水さんをお迎えします。 長く豊かな、そして極めて魅惑的に錯綜したキャリアをお持ちの飴屋さんですが、その表現を貫いているのは紛れもなく「演劇」の二語だと思います。彼が行なってきたのは、行なっているのは、すべてが「演劇」です。実際、何度となく彼自身が、このような発言をしています。自分のやっていることは、ほとんどそう見えないかもしれないものも含めて、何もかもが「演劇」なのだ、と。 では、この「演劇」とは一体何なのでしょうか? あらためて飴屋さんに「演劇とは何か?」という原理的かつアクチュアルな問題をぶつけてみたいと思っています。 『教室』『ブルーシート』『コルバトントリ、』等の近作を中心に、この稀代の「演劇の怪物」の正体に迫ります。(佐々木敦) ■ 「ニッポンの演劇」は、「日本・現代・演劇」のカッティング・エッジを解剖するシリーズ・イベント。 ふと気がついてみれば、70年代からテン年代まで、長い年月の間に登場した演劇人たちが群雄割拠状態でしのぎを削っているかに見える日本演劇シーン。それはまた、さまざまな形で海の向こうの舞台芸術の世界とも結び付きつつあります。ニッポンの演劇の独自性はどこにあるのか。その可能性と抱える問題はいかなるものなのか。毎回、最前線を牽引するキーパーソンをお迎えして、じっくりとお話を伺い、ディスカッションしていきます。
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2015-10-01 00:00:00
(3/4)佐々木敦×柴那典×南波一海 「J-POP IS OVER?――佐々木敦『ニッポンの音楽』刊行記念」【2015/2/4配信】 @sasakiatsushi @shiba710 @kazuminamba佐々木敦さんの新刊『ニッポンの音楽』(講談社現代新書)の刊行を記念し、
トークイベントを開催します。
ゲストに『初音ミクはなぜ世界を変えたのか』の柴那典さん、
アイドル評論を中心に活躍中の南波一海さんをお招きします。
【出演者紹介】
佐々木敦(ささき・あつし)
1964年生まれ。批評家。音楽レーベルHEADZ主宰。早稲田大学文学学術院教授。映画美学校批評家養成ギブス主任講師。
『ex-music(L)』『同(R)』(アルテス・パブリッシング)、『「4分33秒」論』(Pヴァイン)、『シチュエーションズ』(文藝春秋)、『批評時空間』(新潮社)、『未知との遭遇』(筑摩書房)、『ニッポンの思想』(講談社現代新書)、など著書多数。
2015年1月、『ニッポンの音楽』(講談社現代新書)を刊行。
柴那典(しば・とものり)
1976年神奈川県生まれ。ライター、編集者。音楽ジャーナリスト。出版社ロッキング・オンで『ROCKIN’ON JAPAN』『BUZZ』『rockin’on』の編集に携わり、その後独立。雑誌、WEB、モバイルなど各方面にて編集とライティングを担当し、音楽やサブカルチャー分野を中心に幅広くインタビュー・記事執筆を手掛ける。2014年4月3日『初音ミクはなぜ世界を変えたのか』(太田出版)刊行。
https://twitter.com/shiba710
南波一海(なんば・かずみ)
音楽ライター。近年はアイドルをはじめとするアーティストへのインタビューを多く行い、その数は年間100本を越える。タワーレコードのストリーミング・メディア「タワレボ」で放送中のアイドル応援&紹介番組『南波一海のアイドル三十六房』でナヴィゲーターを務めるほか、 CDジャーナルWEBにてアイドル・ソング作家に話を訊くインタビュー企画『ヒロインたちのうた。』を連載中。- 289
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2015-10-01 00:00:00
(2/4)佐々木敦×柴那典×南波一海 「J-POP IS OVER?――佐々木敦『ニッポンの音楽』刊行記念」【2015/2/4配信】 @sasakiatsushi @shiba710 @kazuminamba佐々木敦さんの新刊『ニッポンの音楽』(講談社現代新書)の刊行を記念し、
トークイベントを開催します。
ゲストに『初音ミクはなぜ世界を変えたのか』の柴那典さん、
アイドル評論を中心に活躍中の南波一海さんをお招きします。
【出演者紹介】
佐々木敦(ささき・あつし)
1964年生まれ。批評家。音楽レーベルHEADZ主宰。早稲田大学文学学術院教授。映画美学校批評家養成ギブス主任講師。
『ex-music(L)』『同(R)』(アルテス・パブリッシング)、『「4分33秒」論』(Pヴァイン)、『シチュエーションズ』(文藝春秋)、『批評時空間』(新潮社)、『未知との遭遇』(筑摩書房)、『ニッポンの思想』(講談社現代新書)、など著書多数。
2015年1月、『ニッポンの音楽』(講談社現代新書)を刊行。
柴那典(しば・とものり)
1976年神奈川県生まれ。ライター、編集者。音楽ジャーナリスト。出版社ロッキング・オンで『ROCKIN’ON JAPAN』『BUZZ』『rockin’on』の編集に携わり、その後独立。雑誌、WEB、モバイルなど各方面にて編集とライティングを担当し、音楽やサブカルチャー分野を中心に幅広くインタビュー・記事執筆を手掛ける。2014年4月3日『初音ミクはなぜ世界を変えたのか』(太田出版)刊行。
https://twitter.com/shiba710
南波一海(なんば・かずみ)
音楽ライター。近年はアイドルをはじめとするアーティストへのインタビューを多く行い、その数は年間100本を越える。タワーレコードのストリーミング・メディア「タワレボ」で放送中のアイドル応援&紹介番組『南波一海のアイドル三十六房』でナヴィゲーターを務めるほか、 CDジャーナルWEBにてアイドル・ソング作家に話を訊くインタビュー企画『ヒロインたちのうた。』を連載中。- 241
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2018-04-01 00:00:00
吉田大八×斎藤環×佐々木敦「三島由紀夫と宇宙人?——映画『美しい星』公開記念イベント」【2017/6/12収録】 @pentaxxx @sasakiatsushi @UtsukushiiHoshi5月26日(金)に全国公開、早くも衝撃の内容に話題沸騰、大ヒット上映中の映画『美しい星』。三島由紀夫の異色のSF小説を、『桐島、部活やめるってよ』『紙の月』の吉田大八監督が映画化! 現代に蘇る三島由紀夫的世界、現代人の覚醒をめぐり、映画のみならず舞台でも活動の場を広げる吉田監督の世界に、精神科医の斎藤環氏と批評家の佐々木敦氏が迫ります!イベント後半には、会場からのご質問も受け付けます! ぜひご参加ください。
【イベントのページ】
http://genron-cafe.jp/event/20170612/- 230
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2018-01-01 00:00:00
佐々木敦×冲方丁「物語の選択と運命の決定——『未知との遭遇【完全版】』刊行記念対談」【2016/12/19収録】 @sasakiatsushi2011年12月に刊行された佐々木敦氏の哲学的「自己刷新」書『未知との遭遇——無限のセカイと有限のワタシ』(筑摩書房)が、5年の月日を経て、3万字超えの新稿を加え『未知との遭遇【完全版】』(星海社新書)として新書化されました。その発売を記念して、ゲンロンカフェでは特別対談イベントを開催いたします!
対談のお相手は、デビュー20年目にして初の現代長編ミステリー『十二人の死にたい子どもたち』(文藝春秋)を刊行したばかりの作家・冲方丁氏。
『十二人の死にたい子どもたち』は、インターネット上で集められた、安楽死を望む十二人の子どもたちが、そこに居るはずのない十三人目の存在を前に議論し、推理する本格ミステリー小説。その中には、繰り返し「選択」という言葉が登場します。その「選択」の先には一体なにがあるのか。
物語をつくりだすベストセラー作家が、「最強の運命論」を説く批評家とともに、物語の選択と運命の決定について、人生について、そしてミステリーの新境地について、存分に語る!
【イベントのページ】
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2018-05-01 00:00:00
佐々木敦×土居伸彰「アニメーション的想像力の現在:ノルシュテインから『この世界の片隅に』まで——『個人的なハーモニー』(フィルムアート社)刊行記念イベント」【2017/1/31収録】「新千歳空港国際アニメーション映画祭」「GEORAMA」といったユニークな企画で世界のアニメーションを発信し続ける土居伸彰が、ロシアの作家ユーリー・ノルシュテインを中心に、アニメーションのこれまでとこれからの可能性を論じる本格アニメーション論を刊行! 個人作家たちのみならず、ジブリや『君の名は。』『この世界の片隅に』など日本の現代アニメを語るための視点や、文化を共有する場を作ることについてまで、幅広い射程をもつこの本をベースに、批評家の佐々木敦とともに、アニメーションの歴史、そしてその現在と未来を語り尽す!★登壇者からのメッセージ★自分で言うのもなんですが、アニメーションの分野では類書のない、ユニークな本が書けたと思っています。ノルシュテインなど個人作家の作品を中心にとりあげながら、ディズニー再考、アニメーション・ドキュメンタリーや近年の世界の長編アニメーション、デジタル化以降のアニメーションの変質、意外と気づかれていないアニメーションの性質といったことも語っています。近年のディズニーや、『君の名は。』『聲の形』『この世界の片隅に』と続く2016年の日本アニメの充実ぶりについて語るための視点も内包しています。(象徴性から抽象性へ、というような感じでしょうか……)アニメーションにかぎらずインディペンデント文化について、もしくは「場を作ること・守ること」について考察でもあり、佐々木さんのご著書(とりわけパラフィクションの概念)や活動にもインスパイアされたところが多いので、ご一緒させていただけるのが楽しみです。是非お越しください!(土居伸彰)
【イベントのページ】
http://genron-cafe.jp/event/20170131/土居さんはしゃべりもうまいになかなかええな! ゲームから戻ってこれ見てるぜ
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2015-10-01 00:00:00
(4/4)佐々木敦×柴那典×南波一海 「J-POP IS OVER?――佐々木敦『ニッポンの音楽』刊行記念」【2015/2/4配信】 @sasakiatsushi @shiba710 @kazuminamba佐々木敦さんの新刊『ニッポンの音楽』(講談社現代新書)の刊行を記念し、
トークイベントを開催します。
ゲストに『初音ミクはなぜ世界を変えたのか』の柴那典さん、
アイドル評論を中心に活躍中の南波一海さんをお招きします。
【出演者紹介】
佐々木敦(ささき・あつし)
1964年生まれ。批評家。音楽レーベルHEADZ主宰。早稲田大学文学学術院教授。映画美学校批評家養成ギブス主任講師。
『ex-music(L)』『同(R)』(アルテス・パブリッシング)、『「4分33秒」論』(Pヴァイン)、『シチュエーションズ』(文藝春秋)、『批評時空間』(新潮社)、『未知との遭遇』(筑摩書房)、『ニッポンの思想』(講談社現代新書)、など著書多数。
2015年1月、『ニッポンの音楽』(講談社現代新書)を刊行。
柴那典(しば・とものり)
1976年神奈川県生まれ。ライター、編集者。音楽ジャーナリスト。出版社ロッキング・オンで『ROCKIN’ON JAPAN』『BUZZ』『rockin’on』の編集に携わり、その後独立。雑誌、WEB、モバイルなど各方面にて編集とライティングを担当し、音楽やサブカルチャー分野を中心に幅広くインタビュー・記事執筆を手掛ける。2014年4月3日『初音ミクはなぜ世界を変えたのか』(太田出版)刊行。
https://twitter.com/shiba710
南波一海(なんば・かずみ)
音楽ライター。近年はアイドルをはじめとするアーティストへのインタビューを多く行い、その数は年間100本を越える。タワーレコードのストリーミング・メディア「タワレボ」で放送中のアイドル応援&紹介番組『南波一海のアイドル三十六房』でナヴィゲーターを務めるほか、 CDジャーナルWEBにてアイドル・ソング作家に話を訊くインタビュー企画『ヒロインたちのうた。』を連載中。- 206
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2018-02-01 00:00:00
平田オリザ×佐々木敦「現代口語演劇はいかに更新されたか?」【ニッポンの演劇 #4】【2016/6/28収録】 @sasakiatsushi「ニッポンの演劇」第四回は、いよいよ平田オリザさんをお迎えします。
青年団を率いて、まさしくニッポンの演劇のトップランナーとして二十年以上を全力疾走してきたオリザ氏。独自の演劇理論であり、自ら名付けた「現代口語演劇」理論は広範にして決定的な影響を後進の演劇人に及ぼしました。それは今や日本の現代演劇の「環境」になっていると言っても過言ではありません。
青年団の最新作『ニッポン・サポート・センター』の公演の真っ只中に行われる今回のトークでは、同作についての話はもとより、一連のロボット/アンドロイド演劇やドイツでのオペラ演出などを経た今、オリザ氏が「演劇の作り手」として何を考えているかに直球で迫ります。また、オリザ氏には現在の演劇シーンがどのように映っているのかについても、たっぷりと伺いたいと思っています。
文筆家、教育者としての顔も持つオリザ氏ですが、この日の話の中心はあくまでも「演劇」です。お見逃し(お聞き逃し)なく!!!(佐々木敦)
【イベントのページ】
http://genron-cafe.jp/event/20160628/- 202
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2018-03-01 00:00:00
佐々木敦×柴那典×輪島裕介「ヒットの崩壊の、その先に——日本の音楽カルチャーの『内と外』を問い直す」 【2017/03/30収録】 @sasakiatsushi @shiba710 @yskwjm2000年代以降、ポップカルチャーの消費構造はドメスティック化していると言われます。
「ガラパゴス化」とも言われるその現状を改めて位置づけることが『ヒットの崩壊』を執筆した時の大きなモチーフの一つでした。
その際に日本の音楽カルチャーの「内と外」というキーワードで大きく参照させていただいた著作が佐々木敦さんの『ニッポンの音楽』、そして輪島裕介さんの『創られた「日本の心」神話——「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』『踊る昭和歌謡——リズムからみる大衆音楽』という2冊の著作でした。
日本のポピュラー音楽は常に「洋楽」、つまり欧米のポップカルチャーを吸収し、ローカライズすることで発展してきたと言われます。でも、それがどういう変遷を辿り、どういう欲望に駆動されて行われてきたのか。外に向かう矢印、内に向かう矢印、そしてそれらの交錯を辿り直すことで見えてくるものが沢山あります。
それを解き明かす一端にしたいと思っています。(柴那典)
【イベントのページ】
http://genron-cafe.jp/event/20170330/- 182
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2017-06-01 00:00:00
内野儀×佐々木敦「現代演劇の地図を描くために——「『J演劇』の場所」刊行記念トークショー」【ニッポンの演劇番外編】 【2016/11/24収録】@sasakiatsushi「ニッポンの演劇」は、「日本・現代・演劇」のカッティング・エッジを解剖するシリーズ・イベントです。これまでに岡田利規氏、岩井秀人氏、飴屋法水氏、平田オリザ氏、ケラリーノ・サンドロヴィッチ氏にご登壇いただき、11/4金には多田淳之介氏をお迎えし【ニッポンの演劇 #6】を開催しました。今回は、その「番外編」として、先日『「J演劇」の場所——トランスナショナルな移動性モビリティへ』東京大学出版会を上梓された内野儀氏をお招きします。「J演劇」の「J」は「Japan」の「J」であり、『Junk」の「J」である 『「J演劇の場所』では、先行するアメリカの演劇を参照の軸に据えつつ、いっけんあまりにも多様でつかみどころのない日本演劇が俯瞰、分類、理論化されています。変容する社会的環境のなかで、日本演劇はどのように変化し、移動しているのか。国際社会ではどのように受け入れられているのか。「ニッポンの演劇」を広い視野で考えるための必読書の著者と、佐々木敦氏が語り尽くします。
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2016-10-11 01:31:40
<1/6>岩井秀人×佐々木敦「舞台の時間が人生を露出する——ハイバイから考える現代口語演劇」【ニッポンの演劇 #2】【2016/2/10収録】 @iwaihideto @sasakiatsushiチェルフィッチュ岡田利規さんの降臨で幕を開けた「ニッポンの演劇」の第2回は、劇団ハイバイを率いる岩井秀人さんをお迎えします。
5年にも及ぶひきこもりから脱出して演劇に開眼し、自伝的エピソードのおかしみとかなしみと狂気を増幅変形するユニークな作風で一躍人気者に。役者として、劇作家として、演出家として、まさに八面六臂の活躍を継続する彼の天才に迫ります。ハイバイの最新作『夫婦』の話はもちろん、過去の名作群についてもたっぷりとお話を伺います。平田オリザが創始した「現代口語演劇」を独自のスタイルでアップデートする岩井流演劇術を徹底解剖。観客も作り手も大注目です!(佐々木敦)
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「ニッポンの演劇」は、「日本・現代・演劇」のカッティング・エッジを解剖するシリーズ・イベント。
ふと気がついてみれば、70年代からテン年代まで、長い年月の間に登場した演劇人たちが群雄割拠状態でしのぎを削っているかに見える日本演劇シーン。それはまた、さまざまな形で海の向こうの舞台芸術の世界とも結び付きつつあります。ニッポンの演劇の独自性はどこにあるのか。その可能性と抱える問題はいかなるものなのか。毎回、最前線を牽引するキーパーソンをお迎えして、じっくりとお話を伺い、ディスカッションしていきます。- 117
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<3/6>岩井秀人×佐々木敦「舞台の時間が人生を露出する——ハイバイから考える現代口語演劇」【ニッポンの演劇 #2】【2016/2/10収録】 @iwaihideto @sasakiatsushiチェルフィッチュ岡田利規さんの降臨で幕を開けた「ニッポンの演劇」の第2回は、劇団ハイバイを率いる岩井秀人さんをお迎えします。
5年にも及ぶひきこもりから脱出して演劇に開眼し、自伝的エピソードのおかしみとかなしみと狂気を増幅変形するユニークな作風で一躍人気者に。役者として、劇作家として、演出家として、まさに八面六臂の活躍を継続する彼の天才に迫ります。ハイバイの最新作『夫婦』の話はもちろん、過去の名作群についてもたっぷりとお話を伺います。平田オリザが創始した「現代口語演劇」を独自のスタイルでアップデートする岩井流演劇術を徹底解剖。観客も作り手も大注目です!(佐々木敦)
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「ニッポンの演劇」は、「日本・現代・演劇」のカッティング・エッジを解剖するシリーズ・イベント。
ふと気がついてみれば、70年代からテン年代まで、長い年月の間に登場した演劇人たちが群雄割拠状態でしのぎを削っているかに見える日本演劇シーン。それはまた、さまざまな形で海の向こうの舞台芸術の世界とも結び付きつつあります。ニッポンの演劇の独自性はどこにあるのか。その可能性と抱える問題はいかなるものなのか。毎回、最前線を牽引するキーパーソンをお迎えして、じっくりとお話を伺い、ディスカッションしていきます。- 105
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<4/6>岩井秀人×佐々木敦「舞台の時間が人生を露出する——ハイバイから考える現代口語演劇」【ニッポンの演劇 #2】【2016/2/10収録】 @iwaihideto @sasakiatsushiチェルフィッチュ岡田利規さんの降臨で幕を開けた「ニッポンの演劇」の第2回は、劇団ハイバイを率いる岩井秀人さんをお迎えします。
5年にも及ぶひきこもりから脱出して演劇に開眼し、自伝的エピソードのおかしみとかなしみと狂気を増幅変形するユニークな作風で一躍人気者に。役者として、劇作家として、演出家として、まさに八面六臂の活躍を継続する彼の天才に迫ります。ハイバイの最新作『夫婦』の話はもちろん、過去の名作群についてもたっぷりとお話を伺います。平田オリザが創始した「現代口語演劇」を独自のスタイルでアップデートする岩井流演劇術を徹底解剖。観客も作り手も大注目です!(佐々木敦)
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ふと気がついてみれば、70年代からテン年代まで、長い年月の間に登場した演劇人たちが群雄割拠状態でしのぎを削っているかに見える日本演劇シーン。それはまた、さまざまな形で海の向こうの舞台芸術の世界とも結び付きつつあります。ニッポンの演劇の独自性はどこにあるのか。その可能性と抱える問題はいかなるものなのか。毎回、最前線を牽引するキーパーソンをお迎えして、じっくりとお話を伺い、ディスカッションしていきます。- 102
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<2/6>岩井秀人×佐々木敦「舞台の時間が人生を露出する——ハイバイから考える現代口語演劇」【ニッポンの演劇 #2】【2016/2/10収録】 @iwaihideto @sasakiatsushiチェルフィッチュ岡田利規さんの降臨で幕を開けた「ニッポンの演劇」の第2回は、劇団ハイバイを率いる岩井秀人さんをお迎えします。
5年にも及ぶひきこもりから脱出して演劇に開眼し、自伝的エピソードのおかしみとかなしみと狂気を増幅変形するユニークな作風で一躍人気者に。役者として、劇作家として、演出家として、まさに八面六臂の活躍を継続する彼の天才に迫ります。ハイバイの最新作『夫婦』の話はもちろん、過去の名作群についてもたっぷりとお話を伺います。平田オリザが創始した「現代口語演劇」を独自のスタイルでアップデートする岩井流演劇術を徹底解剖。観客も作り手も大注目です!(佐々木敦)
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「ニッポンの演劇」は、「日本・現代・演劇」のカッティング・エッジを解剖するシリーズ・イベント。
ふと気がついてみれば、70年代からテン年代まで、長い年月の間に登場した演劇人たちが群雄割拠状態でしのぎを削っているかに見える日本演劇シーン。それはまた、さまざまな形で海の向こうの舞台芸術の世界とも結び付きつつあります。ニッポンの演劇の独自性はどこにあるのか。その可能性と抱える問題はいかなるものなのか。毎回、最前線を牽引するキーパーソンをお迎えして、じっくりとお話を伺い、ディスカッションしていきます。- 84
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多田淳之介×佐々木敦 『ニッポンの演劇#6 亡国の演劇LOVE ──東京デスロックが継ぐ「演技と演出」』「ニッポンの演劇」第六回は、東京デスロック主宰、富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ芸術監督の多田淳之介さんをお迎えします。近年の多田さんの活躍には目覚ましいものがあります。『LOVE』『再生』『MORATORIUM モラトリアム』『シンポジウム SYMPOSIUM』『CEREMONY セレモニー』『Peace (at any cost?)』等々、舞台空間における「俳優」と「観客」、それぞれの実存と生存の意味を根本的に問い直すような挑戦的な作品をコンスタントに世に問う一方、韓国のDoosan Art Center及び第12言語演劇スタジオと東京デスロックの共同制作として発表した『가모메 カルメギ』では韓国の第50回東亜演劇賞演出賞を外国人として初めて受賞するなど、演出家としてのユニークなセンスと卓越した手腕は国際的な注目を集めています。「演劇LOVE」「地域密着、拠点日本」などのキーワードを掲げる多田さんの最新の所信表明をじっくりとお聞きします。(佐々木敦) ■ 「ニッポンの演劇」は、「日本・現代・演劇」のカッティング・エッジを解剖するシリーズ・イベント。ふと気がついてみれば、70年代からテン年代まで、長い年月の間に登場した演劇人たちが群雄割拠状態でしのぎを削っているかに見える日本演劇シーン。それはまた、さまざまな形で海の向こうの舞台芸術の世界とも結び付きつつあります。ニッポンの演劇の独自性はどこにあるのか。その可能性と抱える問題はいかなるものなのか。毎回、最前線を牽引するキーパーソンをお迎えして、じっくりとお話を伺い、ディスカッションしていきます。【イベントのページ】http://genron-cafe.jp/event/20161104/
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<5/6>岩井秀人×佐々木敦「舞台の時間が人生を露出する——ハイバイから考える現代口語演劇」【ニッポンの演劇 #2】【2016/2/10収録】 @iwaihideto @sasakiatsushiチェルフィッチュ岡田利規さんの降臨で幕を開けた「ニッポンの演劇」の第2回は、劇団ハイバイを率いる岩井秀人さんをお迎えします。
5年にも及ぶひきこもりから脱出して演劇に開眼し、自伝的エピソードのおかしみとかなしみと狂気を増幅変形するユニークな作風で一躍人気者に。役者として、劇作家として、演出家として、まさに八面六臂の活躍を継続する彼の天才に迫ります。ハイバイの最新作『夫婦』の話はもちろん、過去の名作群についてもたっぷりとお話を伺います。平田オリザが創始した「現代口語演劇」を独自のスタイルでアップデートする岩井流演劇術を徹底解剖。観客も作り手も大注目です!(佐々木敦)
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ふと気がついてみれば、70年代からテン年代まで、長い年月の間に登場した演劇人たちが群雄割拠状態でしのぎを削っているかに見える日本演劇シーン。それはまた、さまざまな形で海の向こうの舞台芸術の世界とも結び付きつつあります。ニッポンの演劇の独自性はどこにあるのか。その可能性と抱える問題はいかなるものなのか。毎回、最前線を牽引するキーパーソンをお迎えして、じっくりとお話を伺い、ディスカッションしていきます。- 78
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佐々木敦×綾門優季×小田尚稔×額田大志 「現代日本演劇の新潮流ーーテクストと、その上演」【ニッポンの演劇 #11】 @sasakiatsushi @M_Nukata @odanaotoshi @ayatoyuuki【収録時のイベント概要】
2018年最初の「ニッポンの演劇」は、注目の新鋭演劇作家三人をお迎えしてお送りします。キュイ主宰の綾門優季さん、小田尚稔の演劇の小田尚稔さん、ヌトミック主宰の額田大志さん。それぞれ出自も作風もかなり異なりますが、ここ数年、極めてアクティヴな活動を継続している方々です。今回は特に、演劇の二大要素である「劇作」と「演出」の関係性について、お三方の考えを伺いたいと思っています。なぜなら綾門さんも小田さんも額田さんも、台詞の文体に強い個性があり、そしてその言葉を俳優が発話する仕方についても、非常に自覚的な戦略を持っていると僕には思えるからです。現代日本演劇の最前線で、いま何が起こっているのか、ご期待ください。
(佐々木敦)
ひとさまの作品については「もういいよ!」というくらいにほうぼうで喋り散らかしてきた私ですが、みずからの作風について、しかもこれだけの長い尺を使ってお話しするのは、これがはじめてです。小田さんの朴訥な喋りが個人の世界を拡張していくように思える戯曲、額田さんの音楽のフォーマットを導入することで形式が更新され続ける戯曲のことについてディープに伺うのも、今から楽しみにしています。よろしくお願いいたします。
(綾門優季)
劇作と演出を始めて今年で四年目です。もともとは俳優のパートで演劇活動を行ってきました。といっても大学や専門学校などで演劇を専門的に学んだことはなく、学生のときは哲学の勉強をしていました。
今回このような機会を頂けるとのことで、ここ数年自分が劇作と演出で取り組んだことについて出来るだけ誠実にお話させて頂けたらと考えております。よろしくお願いします。
(小田尚稔)
演劇が好きで演劇を作っていたら、それは演劇じゃない、と言われたり、いやでも演劇でしょ、と言われたり、そんなことがあったりして自分の演劇って何だろう、と思い始めた矢先のオファー。最近考えた演劇についての話をします。
(額田大志)
「ニッポンの演劇」は、「日本・現代・演劇」のカッティング・エッジを解剖するシリーズ・イベント。
ふと気がついてみれば、70年代からテン年代まで、長い年月の間に登場した演劇人たちが群雄割拠状態でしのぎを削っているかに見える日本演劇シーン。それはまた、さまざまな形で海の向こうの舞台芸術の世界とも結び付きつつあります。ニッポンの演劇の独自性はどこにあるのか。その可能性と抱える問題はいかなるものなのか。毎回、最前線を牽引するキーパーソンをお迎えして、じっくりとお話を伺い、ディスカッションしていきます。
【イベントのページ】
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2016-10-11 01:59:16
<6/6>岩井秀人×佐々木敦「舞台の時間が人生を露出する——ハイバイから考える現代口語演劇」【ニッポンの演劇 #2】【2016/2/10収録】 @iwaihideto @sasakiatsushiチェルフィッチュ岡田利規さんの降臨で幕を開けた「ニッポンの演劇」の第2回は、劇団ハイバイを率いる岩井秀人さんをお迎えします。
5年にも及ぶひきこもりから脱出して演劇に開眼し、自伝的エピソードのおかしみとかなしみと狂気を増幅変形するユニークな作風で一躍人気者に。役者として、劇作家として、演出家として、まさに八面六臂の活躍を継続する彼の天才に迫ります。ハイバイの最新作『夫婦』の話はもちろん、過去の名作群についてもたっぷりとお話を伺います。平田オリザが創始した「現代口語演劇」を独自のスタイルでアップデートする岩井流演劇術を徹底解剖。観客も作り手も大注目です!(佐々木敦)
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「ニッポンの演劇」は、「日本・現代・演劇」のカッティング・エッジを解剖するシリーズ・イベント。
ふと気がついてみれば、70年代からテン年代まで、長い年月の間に登場した演劇人たちが群雄割拠状態でしのぎを削っているかに見える日本演劇シーン。それはまた、さまざまな形で海の向こうの舞台芸術の世界とも結び付きつつあります。ニッポンの演劇の独自性はどこにあるのか。その可能性と抱える問題はいかなるものなのか。毎回、最前線を牽引するキーパーソンをお迎えして、じっくりとお話を伺い、ディスカッションしていきます。- 70
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