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2024年6月5日 06時22分に生成された05時00分のデータです
2020-07-12 12:03:02
沢村直樹「天皇陛下が黒幕と思ったことはない」←安倍の黒幕から目逸らし誘導員天皇信者の沢村直樹がついに本性を表した!息を吐くように嘘を吐く、目逸らし誘導員の沢村直樹。ポイズン氏のツイート→ https://twitter.com/poisonspit1234/status/1275662897457369088 沢村直樹は息を吐くように嘘をついて自分を正当化する天皇信者→ https://www.nicovideo.jp/watch/sm37178146
ムカついたからこいつのXブロックしてやった(笑) 俺、沢村に永久ブロックされたからコメができん。意地汚い沢村 明治維新前から徐々に支配されてるよ 答えは、一つやろボケ 言ってる事無茶苦茶やん まぁ沢村の親父は、ロータリークラブと配信で言ってたから触れ...
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2020-07-12 04:26:02
大本教(おおもときょう)を、ダイホンキョウと連呼し、すっとぼける沢村直樹は怪しい日本会議を批判している沢村直樹が、日本会議を創設した大本教を知らないハズないのに、勉強不足だ!知らないと、惚けて「ダイホンキョウ!ダイホンキョウ!」と、わざとらしく連呼して誤魔化す沢村氏。神社本庁はおかしいと批判するのに、神社本庁が天皇の宗教団体ということには絶対触れない沢村直樹は怪しい!生長の家に触れるのに生長の家の教祖が大本教の教祖、出口の弟子だった事も知らないというのか?沢村は明らかに大本教を避けている。
おっさん相変わらずだな これは怪しいとぼけぶり 大本教(おおもときょう)を、ダイホンキョウと連呼し、すっとぼける沢村直樹は怪しい これは怪しいとぼけぶり 大本教(おおもときょう)を、ダイホンキョウと連呼し、すっとぼける沢村直樹は怪しい これは怪しいと...
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2011-11-24 07:25:38
新宗教巡り1生長の家宇治別格本山、大本教亀岡本部「天恩郷」、天理教総本部、大本教綾部本部「梅松苑」の順に参拝しました。個人的な感想。生長の家では、甘露の法雨という「聖経」を読み上げていて、これがすばらしい。教団の発想をよくあらわしている名文。大本教は庭園が美しい。静穏な雰囲気、行き届いた手入れ、計算しつくされた設計、京都の庭園に親しんだ人でも、その美しさに感動するだろう。天理教は、「陽気ぐらし」のネーミングセンスが善い。ユニークで分かりやすい。
神道系だから外部の人間でも参拝できるところが有るんだね 自分も巡ってみたいですなぁ・...
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2012-05-19 08:38:07
死んだらどうなるの?(死後の世界)だれもが必ず迎える「死」。死んでしまったら、それですべてが終わりなのでしょうか。いいえ、決してそうではありません。私たちの魂は、死後の世界、すなわち霊界へと帰っていくのです。魂のふるさと、霊界。その霊界とは、いったいどんなところなのでしょうか。なぜ神さまは、霊界と現界を作られたのでしょうか?
再生数が444 死後の世界なんて死んでからじゃないとわからない 死んだら無 地球は青かった。しかし神はいなかった。ってガガーリンが言ったけど? 地獄いきたくない 死んでも「団体」なのかorz 宗教タグロックしてくれ 1
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2012-05-19 08:53:45
地球滅亡説の真相2012【これが真実だ!】出口王仁三郎 近代日本の宗教史上最大の金字塔、大本教の聖師として一世を風靡した巨人である。戦後の新宗教はほとんど大本からの分かれて出来たものか、大本の影響を色濃く受けている。戦前、浅野和三郎らインテリ達がこぞって入信し、一大社会現象をおこすことになる。信者である合気道の開祖植芝盛平に海軍の猛者達がコロンコロン投げ飛ばされ続々と入信していった。又、知識層や 軍人・経営者の入信が相次ぎ王仁三郎に共感する人が800万人にも膨れ上がりあまりの影響力に恐れをなした時の政府に大弾圧を受けることとなる。空海、親鸞、日蓮、王仁三郎何れ劣らぬ宗教界の傑物であるが、面白さとスケールでは王仁三郎が群を抜いている。今後、王仁三郎を超える宗教家は現れないと評されている。
翻訳はよ どこを縦読み? 後付け可能だからな これ宣伝じゃんw 何行ってっかわかんねぇべ こ...
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2012-05-19 09:09:11
勇気が出る言葉(仕事で悩んだ時に)名言集出口日出麿・・・・・・・大本教三代教主補≪出生と昇天≫ 岡山県倉敷において、明治30年(1897)に出生。 平成3年(1991)12月、96歳で昇天。 青年時代より優れた霊力を持ち出口王仁三郎の後継者として奇跡的な活躍をする。 大正8年(1919)に大本教に入信し、昭和3年(1928)、三代教主と結婚。第二次大本事件では4年間、獄中に囚われる。その間当局からの手厳しい拷問を受ける。この事件以来、教主を霊的に補佐し、万民の霊的救済に専念する。伝記に『神仙の人・出口日出麿』がある。
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2012-05-19 09:30:10
奇跡の霊能者!日出麿先生出口日出麿・・・・・・・大本教三代教主補≪出生と昇天≫ 岡山県倉敷において、明治30年(1897)に出生。 平成3年(1991)12月、96歳で昇天。
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2012-11-21 04:41:21
出口和明氏講演3-3出口和明氏の講演です。
大化け物出口王仁三郎の孫だもの お化けみたい
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2020-07-12 15:18:02
沢村直樹が壮大なブーメラン炸裂!(天皇教の盲信者)天皇信者の沢村直樹が妄想で自爆しまくり、ブーメラン刺さりまくってます。この人、本当に頭が弱いと思う。
事実を書くとブロックするペテ村 天皇いらないとか言ってないのに天皇キリスト教でもブロック逃げしたやろ 街宣右翼の許可出してるのも菊グループでもブロックされたんやけど(笑) 俺、田布施言ってなくて八咫烏は、存在するでブロックされたんやけど(笑) お前が...
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2012-05-19 17:54:47
願が叶う不思議な呪文あなたの願が叶いますように♪♪♪
それは 1 6 宗教かよ! 9 8 888888888888888888888888888888888888888888888888888888888888888888888888888 8888888888888888888888888888888...
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2012-05-19 08:34:06
理想の夫婦とは?(名言)出口日出麿・・・・・・・大本教三代教主補≪出生と昇天≫ 岡山県倉敷において、明治30年(1897)に出生。 平成3年(1991)12月、96歳で昇天。 青年時代より優れた霊力を持ち宗教家として奇跡的な活躍をする。出口王仁三郎にも劣なぬ霊能力を持ち、王仁三郎の後継者と期待される。 大正8年(1919)に大本教に入信し、昭和3年(1928)、三代教主と結婚。第二次大本事件では4年間、獄中に囚われる。その間当局からの手厳しい拷問を受ける。この事件以来、教主を霊的に補佐し、万民の霊的救済に専念する。伝記に『神仙の人・出口日出麿』がある。
なんだこの動画 もうすこし解説しろww
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2022-07-15 22:01:02
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)大石凝真素美と言霊学言霊というと、あたかも太古の昔より「言葉には魂が宿ると言われてきた」と考えがちであるが、実は江戸時代より前に残る記録の中で言霊という言葉を使っていたのは9世紀に空海が書いた「声字実相(しょうじじっそうぎ)」という書の中で「五大に皆響き有り、十界に言語を具す、六塵悉く文字なり、法身は是れ実相なり」と、真言密教の真言について述べていたわけで神道とはまったく無関係だったのだが、言霊を神道と結び付けようという動きは、幕末の国学者・中村孝道から始まっている。
中村孝道は自ら開発した水茎文字というハングルに酷似した文字を神代文字だとし、それを現在のかな75音に置き換え、この75音は宇宙全体の神霊エネルギーを発していると主張した。
大石凝真素美は、天保3年(1832年)伊賀の国上野に生まれ、本名は望月春雄といい、医者の家系の家に運れたが、中村孝道の門人だった祖父の幸智から国学を教えられ、自ら医者の道を絶ち、国学者として生きていく決意をした。
1868(慶応4)年には、美濃の修験者で中村孝道の言霊思想を深く理解していると言う山本秀道の噂を聞いて訪ね、その知識と霊威に感じ入って師事し、そのまま居候して孝道の言霊学を学んだ。
その秀道と行った本田霊学の鎮魂帰神法の結果、自分はイシコリドメの生まれ変わりと悟り、名前を大石凝真素美と改名した。
大石凝は、中村孝道の真須美鏡を元にして言霊による宇宙や地球や人類の発生を説明しようとし、それによると、日本語の清音・半濁音・濁音を合わせた75音は「こえのこ」と呼ばれる神霊元子であり、この神霊元子の発生が宇宙を誕生させ、至大天球と言われる儒教の天空宇宙観を思わせる宇宙空間はこの神霊元子による言霊パワーによって形成され、その天球の中心部に大気が結晶して「地球」になったと主張する。
さらには、最初の人間達は、土の中で何年も過ごして、体が成熟すると土から出て来て爬虫類のような姿で何年も過ごし、その後で脱皮して人間の姿になったと言う。
人間は、眼・耳・鼻・舌・身・意識の「六識」を持ち、欲である「七識」と良心である「八識」、そして仏の智である「十識」を持つ、という実に仏教的な人間観を持っている。
大石凝は、宇宙を司るのは天御中主で、地球を司るのは大国主だとし、事代主は75音を司り、スクナビコナは外国語を司るとしたが、大国主が司る日本語は宇宙発生時以来の75音であり、日本語は世界言語のルーツだとまで主張した。- 229
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2022-09-12 09:10:03
【神道シリーズ・シーズン3】第29回・大本教(その④)出口王仁三郎と出口なおの出会い大正7年1918年、大本教の初代教主出口なおが83歳で生涯を閉じるまで、大本ではなおのお筆先という全文ひらがなで書かれたメッセージノートが大本神諭として信仰の中心になっていたが、なおの死後は出口王仁三郎に実権が移り、さらに入信加入してきた神霊イデオローグの浅野和三郎や谷口正治らによって大本神諭は恣意的に解釈されるようなり、そうした背景の下、「大正10年立替え論」つまり大正10年に日本も世界も滅んでしまうという大予言が行われ、これに釣られて膨大な数の信者が日本全国的に増え、大正10年1921年の第一次大本弾圧事件の間接的原因ともなって行った。
かつて出口なおは、日露戦争の時に、この戦争が世界大戦に発展して世界は一度滅びると予想し、それが外れたために大本は一時崩壊状態になったが、今回の「立替え説」を教団では「二度目の世の立替え」と宣言し、今回もまた大きく予言が外れる事により多くの信者たちが大本を去ることとなった。
同時に、それまでなおの神諭の解釈を巡って王仁三郎と対立していた浅野や谷口や友清歓真らも大本を去り、それぞれ、心霊科学研究会、生長の家、神道天行居と言った各自の神道系カルト教団を形成して行った。
大正10年頃の社会状況は、第一次大戦が終わって3年経って急速に欧州への輸出が激減した為に町に失業者が溢れる一方、大戦以降高まった国民の所得急増に伴う米不足により、労働争議と米騒動が全国各地に広がり、次第に深まる世界情勢の暗雲の中、大本が発表した終末論「二度目の立替え」予言は膨大な数の人々の気持ちを引き付け、教団は急激に規模が膨張し、政府や警察は大本の動向に注目し、きっかけを見つけて弾圧する機会を虎視眈々と窺っていた。
大正10年1921年2月12日の未明、検事総長平沼騏一郎の指示をうけた京都府警察部長藤沼庄平は、予審判事・検事らとともに、武装警官200人を動員して大本をおそった。すなわち綾部・亀岡・京都・八木における20数ヵ所が、不敬罪および新聞紙法違反の容疑で家宅捜査され、筆先の全部と神体の一部が押収され、大阪梅田の大正日日新聞社に出務中の出口王仁三郎、および綾部に在宅していた浅野和三郎・吉田祐定の三幹部が検挙され、だだちに京都監獄未決監に収容された。そして三幹部は、不敬罪および新聞紙法違反の罪名で起訴されたのである。
敬神尊皇愛国を標榜する宗教団体の幹部が、こともあろうに、不敬罪という罪名で逮捕されるという皮肉的で前代未聞の大事件であった。- 221
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2023-03-18 00:04:02
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第51回・岡本天明と日月神示【後編】岡本天明は、22歳から48歳までの26年間を大本で過ごし、45歳の時に千葉の印旛沼の麻賀多神社で初めての自動書記を行ってから49歳にして初めて自らの教団「ひかり教会」を立ち上げた。65歳まで生きた天明が自らの教団を主宰したのは16年間で、この間、昭和23年と昭和26年を除いた昭和19年から昭和27年までの延べ7年間と昭和33年と昭和34年に補巻1巻、さらにその2年後の8巻を含めた全42巻の「日月神示」が自動書記で綴られた。そこで語られた事は、終戦の1年前になされた日本敗戦の予言と、さらに戦後の日本の輝かしい奇蹟の復興が予言されており、さらには、いずれ世界中に地球規模の自然災害が起こり、さらにはそのあとで欧米やソ連がこぞって日本に攻めてきて日本は大混乱に陥ると予言している。天明は、世の立替えはこれまでに6回あったと言い、今度の7度目の立替えこそが最後の大建替えとなり、ミロクの世はそのあとに迫っていると言った。ただ、その最後の建直しである7度目の建直しの時に絶対に武力で敵に勝とうとしてはならない、あくまで相手を諭していけるだけの身魂磨きに励むことこそ日本人が務めるべき事だと主張する。これはまさに出口王仁三郎の霊界物語における身魂磨き、言向け和しの重要性の限りなく続く強調を彷彿させるものだが、天明は、今度の7度目の建直しの時には、現界のみならず天界・霊界・幽界・限界を通じて起こる大峠、つまり大天変地異であり、邪霊・邪神・悪神と正しい神・正神との戦いはこの4界を通じてこれまでにない熾烈なものになると予言した。天明はその前兆として富士山の大爆発を予言したが、これはまだ今日に至るまでその予言は実現していない。信者の中には神戸大震災や東北大震災を日月神示で予言してる自然大災害と解釈する人たちもいるが、富士山の大爆発については予兆さえもいまだに見えてない。晩年の天明はひたすら俳画やクレパス画など自ら得意とする絵画活動に没頭し、昭和34年には、東京、大阪、ニューヨークで相次ぎ自作の展覧会を開いた。天明の日月神示は、出口王仁三郎の霊界物語の続編と解釈する信者たちもいるが、第二次大本弾圧事件後、出口王仁三郎が保釈仮釈放になっていた昭和17年、亀岡の中矢田農園を二度訪ねた天明は王仁三郎に面会を拒否されたが、その理由はいまだに不明のままである。
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2022-10-07 21:47:02
【第三回原石祭非実況】大本と出口王仁三郎 第零回「新宗教・新興宗教とは」大仰なタイトルを付けてしまいましたが、日本の伝統宗教と新興宗教の成り立ちを簡単に紹介する動画です。
まぁ、気軽に覗いて、コメントしてやってくださいませ。
出口王仁三郎という人はなかなか破天荒な人でして、この人が「大本」と出会った結果日本の近代史に大きな爪痕を残しました。
京都北部、「海を失った海賊大名」こと九鬼氏綾部藩二万石の城下町になぜこのようなたいそうな宗教が生まれたのか……の前に、そもそも新興主教とは何か、をお話ししたいと思います。
作者は宗教法人大本ほか、宗教団体とは無関係です。
また、宗教法人・宗教について他意は全くございません。
立ち絵
まゆピー(綾部市公式キャラクター/作者撮影)
声
VOICEROID2 結月ゆかり
音楽
MusMus / BGM-084 晩夏の蝉
途中CoeFontを使用しています。
「Voiced by https://CoeFont.cloud」
まゆピーのぬいぐるみはこちら
https://www.ayabe-kankou.net/shopping/nuigurumi/
ご指摘等ありましたら、コメントTwitterにてやさしぎご指導ください。
作者Twitter:https://twitter.com/Kyo_katayamaおつです うぽつです ボイスで草 うぽつ おつです。 明治前後で別れるのか
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2012-11-07 09:38:24
幸運を呼ぶ黄金に輝く鯉を発見!幸運を引き寄せて下さい。
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2012-05-19 09:50:06
対人関係に悩んだ見て!(名言)◇出口日出麿・・・・・・・大本教三代教主補 青年時代より優れた霊力を持ち出口王仁三郎の後継者として奇跡的な活躍をする。 岡山県倉敷において、明治30年(1897)に出生。 平成3年(1991)12月、96歳で昇天。 大正8年(1919)に大本教に入信し、昭和3年(1928)、三代教主と結婚。伝記に『神仙の人・出口日出麿』がある。
かならず? 言えたら苦労しねぇよ
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2012-05-19 16:11:12
子供への愛情とは?(子育ての極意)大本教三代教主出口直日 昭和27年の教主就任後は、独善的・観念的におちいりやすい信仰生活者をいましめ、「脚下照顧」を旨とした教風をうちたてる。 幼少より日本伝統文化に精進。書道・茶道・能楽・短歌・八雲琴など、少しのたゆみもなく習練を続けて来た体験から、日本の伝統文化の世界的地位を説き、日本民族としての自覚を高め、自主性を養うことを主張。 信徒はもとより文化人を招き清談を交わすなど、"花鳥風月"を友とし身をもって日本の心を説いた。 ≪著書≫ 著書は『私の手帖』『聴雪記』『寸葉集』など。 信仰のあるべき姿や文明批評、自然や歴史についてなど、豊かな感性と豊潤な筆による随想記。 やさしい言葉で、人としての生き方をつづっている。歌集も多い。
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2012-06-01 23:22:51
本日のお言葉1出口日出麿・・・・・・・大本教三代教主補≪出生と昇天≫ 岡山県倉敷において、明治30年(1897)に出生。 平成3年(1991)12月、96歳で昇天。 ≪著書≫ 『信仰雑話』『信仰叢話』『信仰覚書〈全8巻〉』など著書多数。 信仰を求める初心者に最適な案内書であるばかりでなく、人生を真剣に生きようとする人々に、深い感化を与える。 特に『生きがいの探求』『生きがいの創造』『生きがいの確信』三部作は、若い人々に読まれ、好評である。 昭和59年(1984)、ロス・オリンピック体操競技で個人総合優勝の日体大・具志堅幸司選手はこの三部作の熱読者として有名。
1げっとー
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2023-03-27 00:58:02
神道シリーズ・シーズン3(思想編)第52回・友清歓真と神道天行居友清歓真は、1888年(明治21年)10月9日、山口県佐波郡佐山で父祐蔵、母むめの次男に生れ、若いころから霊的な方面に興味を抱き、密教、神道などを修行し、度々山籠もりをする生活をしていた。1918年(大正7年)、大本に入信した浅野和三郎を訪ねて綾部に寄ったおり大本に入信し、当初は大本神諭で訴える世の立替え説に共鳴していたいが、次第に関心が霊術の方に移り、大本の機関紙「綾部新聞」の主筆となり、やがて大本の機関誌『神霊界』の編集にも携わるようになった。しかし、次第に友清の社会変革思想は過激化し、大本の中でも浮いた存在となって行き、1919年(大正8年)にはとうとう大本を脱会することとなり、その後、友清は静岡県に移住し、王仁三郎の師で本田親徳の直弟子である長沢雄楯から本田親徳の鎮魂帰神法を学び、これをもとに大本批判の書『乾坤一擲』『事実第一』を著した。
1920年(大正9年)には、静岡県で霊学の実践団体「格神会」を結成し、『鎮魂帰神の極意』および『神仙霊典』を自費出版した。
1921年(大正10年)には山口県防府町(現 防府市)に移住、格神会を「天行居」と改称し、同年、神道霊学の名著とされる『霊学筌蹄』(れいがくせんてい)を著した。
そして、1922年(大正11年)から宮地水位からの霊啓が始まり、地元の高知県図書館で水位の書を読み漁り、宮地水位の「異境忘備録」を自らの思想の中心に添えて行った。
1927年(昭和2年)10月には、自称仙人、自称茶人の堀天龍斎から神道の秘事とされる「太古神法」を授かるが、その中身は本田霊学と水位の異境忘備録の焼き直しであった。
同年11月22日には山口県熊毛郡の石城山上の石城神社で神示「山上の天啓」を拝受して、神道天行居を創設した。
友清は、鎮魂帰神法を続けながら自らの陰謀論を膨らませ、第一次大戦以降、ユダヤのフリーメイソンは世界中の国々を率いて日本に攻めてくると予言し、その時の戦争に備えて日本は霊的に防衛されることが重要と訴え、日本および台湾、朝鮮の聖地に神璽を埋めたり沈めたりして例祭神事を行うべきと主張した。その聖地の中でも特に朝鮮半島の白頭山は最大の聖地とし、友清本人が死後にはこの白頭山に自分の魂を祀ってほしいと信者たちに伝えたほどであった。- 181
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大霊能師 出口王仁三郎とは- 163
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2012-05-19 09:13:06
勇気が出る言葉(仕事で悩んだ時に)名言集②出口日出麿・・・・・・・大本教三代教主補≪出生と昇天≫ 岡山県倉敷において、明治30年(1897)に出生。 平成3年(1991)12月、96歳で昇天。 青年時代より優れた霊力を持ち出口王仁三郎の後継者として奇跡的な活躍をする。 大正8年(1919)に大本教に入信し、昭和3年(1928)、三代教主と結婚。第二次大本事件では4年間、獄中に囚われる。その間当局からの手厳しい拷問を受ける。この事件以来、教主を霊的に補佐し、万民の霊的救済に専念する。伝記に『神仙の人・出口日出麿』がある。
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2022-08-12 00:21:02
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第26回・大本教(その①)大本教の思想遍歴大本教の歴史は、開祖出口なおが、57歳の時、放火容疑で収監された牢獄の中で神憑りになり、文盲であったはずなのにいきなり全文ひらがなで艮の金神からのメッセージを書き留めた自動書記と言われる現象から始まった。
当時、頻繁にいきなり神憑りとなり意味不明の言葉を発していたなおは周りから精神異常者と見做されており、それが故に無実ながらも放火事件の容疑をかけられ逮捕拘留されていた。
しかし、なおは、意味不明のメッセージを発するだけではなく、同時に神憑りになり、多くの人の病気神霊治療も行っており、周りのなおの評価は二分していた。
そんななおが63歳になった時、丹波出身で、本田親篤の弟子の長澤雄楯から言霊学や古神道を学んだ上田喜三郎と出会い、宗教的知識のある喜三郎はなおを補佐しながら次第になおの神憑りによる筆書きは宗教団体としての体裁を得ていくこととなる。
上田喜三郎はなおの5女すみと結婚して出口家に養子縁組し、なおの勧めで名を出口王仁三郎と名乗ることとなった。当時、すみの母なおは65歳で、王仁三郎は30歳の若者であった。
なおと王仁三郎は対立や協調を繰り返す中、次第に曖昧だったなおの艮の神や世の立て直しの神託は王仁三郎によってより明確な大本神道理論となり、艮の金神は国常立尊であり、立て直しで実現するのは弥勒菩薩の降臨であると宗教理論の体型を確立して行った。
もともとなおが信仰していた天理教や金光教の教えである万教同根論、つまり、すべての宗教は同じもの、という考え方や神の願いに叶った生き方をすべしという考え方がベースにあったが、これが、なおの死後、王仁三郎により、より平田国学的な解釈が強まり、日本を中心とした汎神論や、世界宗教日本起源説や、日本が世界を統一することにより
弥勒菩薩の降臨を呼ぶ、と言うような日本中心主義を強調することにより、多くの軍人や右翼団体の幹部たちの広範な支持を受けることとなった。
第一次大本教弾圧後、王仁三郎の思想は、当時の社会不安が拡大する風潮を背景に急進化し、自らがメシア、つまり世界の救世主であり、自分こそがイエスキリストの生まれ変わりであり、同時に弥勒菩薩そのものだと主張するようになり、軍人たちが世界を制覇したのちには自分が天皇の輔弼となり世界を治めるべきとまで訴えるようになった。
大本は政府により潰されたが、大本に心酔した軍人の中からはクーデターを企画したり、政府を脅したりと、戦争拡大と日米戦による日本の破滅への道を進めることとなったのである。- 156
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2012-05-19 09:25:06
諦めないで(名言集)前向きになれる名言出口日出麿・・・・・・・大本教三代教主補≪出生と昇天≫ 岡山県倉敷において、明治30年(1897)に出生。 平成3年(1991)12月、96歳で昇天。 青年時代より優れた霊力を持ち出口王仁三郎の後継者として奇跡的な活躍をする。 大正8年(1919)に大本教に入信し、昭和3年(1928)、三代教主と結婚。第二次大本事件では4年間、獄中に囚われる。その間当局からの手厳しい拷問を受ける。この事件以来、教主を霊的に補佐し、万民の霊的救済に専念する。伝記に『神仙の人・出口日出麿』がある。
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2012-05-19 09:21:14
勇気が出る言葉(仕事で悩んだ時に)③出口日出麿・・・・・・・大本教三代教主補≪出生と昇天≫ 岡山県倉敷において、明治30年(1897)に出生。 平成3年(1991)12月、96歳で昇天。 青年時代より優れた霊力を持ち出口王仁三郎の後継者として奇跡的な活躍をする。 大正8年(1919)に大本教に入信し、昭和3年(1928)、三代教主と結婚。第二次大本事件では4年間、獄中に囚われる。その間当局からの手厳しい拷問を受ける。この事件以来、教主を霊的に補佐し、万民の霊的救済に専念する。伝記に『神仙の人・出口日出麿』がある。
そうだな これは分るw BGMいいな
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2023-03-17 22:54:02
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第50回・岡本天明と日月神【前編】岡本天明は、1897年(明治30年)12月4日 - 岡山県浅口郡玉島(現、倉敷市玉島)で豪農であった家に、父岡本藤太郎、母弥栄の三人兄弟の二男として生まれたが、父親が酒造のビジネスに失敗した為に天明が17歳の時に神戸に移転し、その後、上京して明治大学の夜学に通ったが、学費を自分で稼ぐ為に栃木の足尾炭鉱や北海道の炭鉱で働いたが、生活が続かず、東京に戻った後、無一文であった為、神戸まで無銭旅行で帰る事となった。神戸に戻るとたまたま開かれていた大本の神戸講演会に参加し、そのまま大本に入信することとなった。大本に入ると、彼の画家としての美術的才能が認められ、大本が買収した大正日日新聞の美術記者として働くこととなり、その後、同社の系列の金沢の北国夕刊新聞の記者となり、一時期名古屋で大本とは無関係の名古屋新聞の記者となるが、その後、昭和5年1930年に東京に大本の世界愛善新聞社が出来ると出口日出麿の強い勧めで記者として入社することとなり、天明の東京生活が始まった。その後、天明は大本と提携した中国の道教系慈善団体・世界紅卍会にも入会し、フーチーという卜占法を学び、その中で天日津久神が千葉の麻賀多神社の境内で祀られてるという神示を得、同地に向かい、その神社を発見すると同時に初めての日月神示という自動書記現象を体験した。時は昭和10年の大本第二次弾圧事件を過ぎ、既に太平洋戦争末期の昭和19年になっていた。大本で自動書記を行った出口なおは艮の金神が憑依した時も記憶があったが、天明は自動書記が行われた時の記憶は無く、完全に天日津久神に体も意識も乗っ取られた状態で自動書記が行われた。しかし、日月神示は意味不明の文字記号の集合体で天明本人にも解読出来ず、天明の三番目の妻・三典による解析で解読は進むこととなった。天明が大本から独立して「ひかり教会」を創立し、日月神示の示す「大立て直し」の活動を始めたのは戦後2年後の昭和22年1947年になってからであった。
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2022-08-28 13:28:02
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第27回・大本教(その①)出口なおと艮の金神出口なおは1837年1月22日(天保7年12月16日)、大工の父/桐村五郎三郎と母/すみの長女として福知山藩領の丹波国天田郡上紺屋町に生まれたが、父の五郎三郎はその放蕩癖の為に家計は傾き、さらになおが10歳の時にコレラで亡くなった為、なおは10歳の時から米屋や饅頭屋や呉服屋などで下女奉公をして家計を支えることとなった。金光教の信者であったなおは、その教え通り母親を大事にし、下女奉公の給金のすべてを母親に送り、その孝行ぶりが藩主に認められ、福知山藩の三人の孝行娘の一人として表彰された。
1855年(安政2年)なおが20歳になった時、母の実母の実家の出口家に家督後継者が無く、祖母の出口ゆりからの要請でなおは出口家の養女となり、そこに養子縁組で出口家入りした四方豊助と結婚し、夫は出口政五郎と改名した。夫の政五郎も優秀な大工だったが、その楽天的な人の良さから知り合いたちからの金の無心を断れず、次々と返済されない金貸しをするうちに出口なおの家の家計は傾き、なおとの間には3男5女の8人の子供がいたにもかかわらず家の財産は底をつき、1888年明治16年に出口家は破産した。
51歳になったなおは、幼い四女と五女をかかえながら餅屋や古紙回収業を行い糊口を凌いだが、翌年事故で半身不随になっていた夫・政五郎が死去し、貧困多忙の生活を続ける中、三女の福島ひさと長女の大槻よねが精神異常を来たした後に神憑りになり、1893年明治26年、58歳になった出口なおまでが神憑りになり、突然騒いだり喚いたりするようになった為、近所の放火事件で容疑者扱いされ、警察に逮捕され牢に入れられてしまった。しかし、その牢屋の中で文盲であったはずのなおが突然、自分に憑依した艮の金神のメッセージを全文ひらがなで半紙に書き留め、これが出口なおの初のお筆先となった。
その筆先には、人類の改心と三千世界の立替え立直しを唱えるメッセージが書かれており、それは、その5年後、なおの三女福島ひさの営む茶屋を通じてなおの筆先を知った上田喜三郎の共感を得、やがてふたりで金明霊学会という教団を立ち上げることとなる。
なおは、喜三郎を出口家の婿養子とし、五女のすみに嫁がせ、名も王仁三郎に改名させた。
王仁三郎は鎮魂帰神法で艮の神を国常立神だと断定し、なおはそれを受け入れた上で、男神の国常立が宿るじぶんを変性男子とし、豊雲野尊という女神の宿る王仁三郎を変性女子とし、ふたりは霊的な意味での夫婦という設定で教団は形成された。しかし、その後、教団内の保守派たちは王仁三郎の文化開明的な考え方に反発し、王仁三郎は一時教団を離れることを余儀なくされ、その間に皇典講究所にて国学や水戸学を学び、彼が教団に戻ると、その教団の教義の中にはより国学色が強くなっていった。- 121
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2012-12-15 15:58:51
ノストラダムス・マヤ文明を超えた最強の霊能師が残した★奇跡の神器★- 118
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2010-12-01 17:15:20
出雲大社今年の九月雨上がりの早朝に朝もやたなびく出雲大社に行ってきました。
大本教の石碑も写っているけど、知らない人には何のありがたみもなさげ。。。☆ 見にくい 1
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2012-09-09 15:23:05
大霊能者!出口王仁三郎とは- 103
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2012-06-04 13:15:42
本日のお言葉6出口日出麿・・・・・・・大本教三代教主補≪出生と昇天≫ 岡山県倉敷において、明治30年(1897)に出生。 平成3年(1991)12月、96歳で昇天。 ≪著書≫ 『信仰雑話』『信仰叢話』『信仰覚書〈全8巻〉』など著書多数。 信仰を求める初心者に最適な案内書であるばかりでなく、人生を真剣に生きようとする人々に、深い感化を与える。 特に『生きがいの探求』『生きがいの創造』『生きがいの確信』三部作は、若い人々に読まれ、好評である。 昭和59年(1984)、ロス・オリンピック体操競技で個人総合優勝の日体大・具志堅幸司選手はこの三部作の熱読者として有名。
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2012-05-27 22:15:31
日本人の心(成人の方へ送る言葉)出口直日三代教主・・・・・・・・・・≪著書≫ 著書は『私の手帖』『聴雪記』『寸葉集』など。 信仰のあるべき姿や文明批評、自然や歴史についてなど、豊かな感性と豊潤な筆による随想記。 やさしい言葉で、人としての生き方をつづっている。歌集も多い。
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2012-07-23 18:19:21
本物のパワースポット(大本教の聖地)- 99
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2012-05-19 11:22:04
幸せになれる!生活七訓出口 日出麿先生生活七訓
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2022-09-17 23:39:02
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第30回・大本教(なおと王仁三郎との「火と水の戦い」)もともと出口なおの時代には、艮の金神のなおに対する憑依によりなおに書かせた筆先により、ありとあらゆる外国のやりかたに反対し、外国を真似たり媚びたりする態度を日本人がやめなければ日本は世界の戦争に巻き込まれ、世界とともに崩壊するという警告アピールであった。
なおの筆先は艮の金神のメッセージだとは言うが、それはまさに明治以降、西洋化近代化に日本全体が邁進する中で取り残され、見捨てられた底辺民衆たちは、新たに勃興してきた財閥や、その財閥と結託した政治家たちにより搾取され、使い捨てられ、その財閥・政治家たちは外国と結託し、自分たちの利益だけの為に弱者の立場を顧みず、まったく悪神に支配された世の中になってしまったと言う。
この世の中を立て直すためには、日本人はありとあらゆる外国由来のものを使うのを止め、本来の日本人の価値観の原点に戻るべきだという警告であった。
そしてその外国のやり方という言葉の中には、電気、鉄道、洋服、洋食などからマッチや漢字までもが含まれていた。 過激すぎると言うほど徹底した反近代主義、反文明主義である。
一方、なおと出会った王仁三郎は、本田霊学の鎮魂帰神法を始め、大石凝の弥勒菩薩降臨論や竹内文書の奇想天外な宇宙論や歴史観などを吸収しており、素朴な民衆の立場を代弁するなおと国学的な霊学的立場に立つ王仁三郎との間には相克があり、徹底的な反文明主義・反西洋主義に固執するなおや金光教出身の信者たちは王仁三郎の合理的な合法的宗教団体組織論のみならず、国学や古事記・日本書紀の神々と言った底辺庶民たちにとってはまったくなじみのないものを採り入れてくやり方がまさになおのいう「外国のやり方」に映り、反王仁三郎派の信者たちは王仁三郎を綾部から追放してしまった。
しかし、日露戦争を通じて世界は崩壊するというなおの予言は日本の勝利によって外れ、結果、ほとんどの信者たちはなおに失望して大本を去って行き、王仁三郎が綾部に戻ってくると、今度は王仁三郎のペースで大本再建は進み、いよいよ、大石凝によって王仁三郎に注入されていた弥勒菩薩降臨による世界救済論は大本の教義の中心を占めるようになり、その背景には、日本による世界征服こそ弥勒菩薩降臨の前提条件になるという弥勒革命論が拡大浸透し、それは、その後、軍人らの強い支持を集めると同時に政府や官憲の監視対象となり、やがて訪れる二度の大本大弾圧の原因ともなっていったのである。- 86
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2012-06-03 14:50:06
本日のお言葉5出口日出麿・・・・・・・大本教三代教主補≪出生と昇天≫ 岡山県倉敷において、明治30年(1897)に出生。 平成3年(1991)12月、96歳で昇天。 ≪著書≫ 『信仰雑話』『信仰叢話』『信仰覚書〈全8巻〉』など著書多数。 信仰を求める初心者に最適な案内書であるばかりでなく、人生を真剣に生きようとする人々に、深い感化を与える。 特に『生きがいの探求』『生きがいの創造』『生きがいの確信』三部作は、若い人々に読まれ、好評である。 昭和59年(1984)、ロス・オリンピック体操競技で個人総合優勝の日体大・具志堅幸司選手はこの三部作の熱読者として有名。
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2012-05-19 16:56:20
幸せつてなんだろう♪♪♪(名言)出口日出麿・・・・・・・大本教三代教主補≪出生と昇天≫ 岡山県倉敷において、明治30年(1897)に出生。 平成3年(1991)12月、96歳で昇天。 ≪著書≫ 『信仰雑話』『信仰叢話』『信仰覚書〈全8巻〉』など著書多数。 信仰を求める初心者に最適な案内書であるばかりでなく、人生を真剣に生きようとする人々に、深い感化を与える。 特に『生きがいの探求』『生きがいの創造』『生きがいの確信』三部作は、若い人々に読まれ、好評である。 昭和59年(1984)、ロス・オリンピック体操競技で個人総合優勝の日体大・具志堅幸司選手はこの三部作の熱読者として有名。
私たちにとっての幸せとはなんだろう?そう考えさせられる動画でした。前向いていけそう...
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2012-12-16 17:34:23
パワースポット!大本の聖地- 81
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本日のお言葉1出口日出麿・・・・・・・大本教三代教主補≪出生と昇天≫ 岡山県倉敷において、明治30年(1897)に出生。 平成3年(1991)12月、96歳で昇天。 ≪著書≫ 『信仰雑話』『信仰叢話』『信仰覚書〈全8巻〉』など著書多数。 信仰を求める初心者に最適な案内書であるばかりでなく、人生を真剣に生きようとする人々に、深い感化を与える。 特に『生きがいの探求』『生きがいの創造』『生きがいの確信』三部作は、若い人々に読まれ、好評である。 昭和59年(1984)、ロス・オリンピック体操競技で個人総合優勝の日体大・具志堅幸司選手はこの三部作の熱読者として有名。
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2023-02-23 20:00:00
【スピ入門2】出口王仁三郎の語る救世主 日本人の霊性と使命◇ WAS(ワス)の生い立ちと目覚めのきっかけ
→ https://wass.fun/school/letter/background/
* ホームページにブログ記事を掲載しています
◇ ZOOM座談会 オープンチャット
→ https://line.me/ti/g2/U9f5kMJETaIOSVYSLBJqy6N7dAtgNhB8Zd3tRA
* 週2回ペースで浄化ワークも無料提供しています
◇ WASの生い立ちや個別のお問い合わせはコチラ
→ https://lin.ee/64M5Iuq
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◇ 目次 ◇
00:00 神霊→霊界→現実界の順に顕現する
00:52 なぜこの世は理不尽が多いのか?
02:06 新たな次元へのアセンションと567
02:52 出口王仁三郎の語った日本人の使命
04:16 霊止(ヒト)と祈り(意乗り)の真価
05:06 科学的に証明された「祈り」の効能
06:04 日本人は昔から神仏と共にあった
07:24 人の運・不運を形成するもの
08:54 ドラクエ3とお祈りするメリット
10:28 生まれてきた理由と目的
12:02 開運に繋がる守護霊さんへの祈り方
13:35 実際にお祈りを体感してみよう!
14:42 愛念のお祈りの実践(BGM)
16:14 愛念を出して祈ることのメリット
16:56 ZOOM座談会と無料の浄化ワーク
◇ BGM提供 ◇
フリーBGM素材集 爽やか系1【作業用BGMにもどうぞ】
https://www.youtube.com/watch?v=JEEZ9jkZd8M
#祈り方 #使命と役割 #出口王仁三郎うp乙
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本日のお言葉4出口日出麿・・・・・・・大本教三代教主補≪出生と昇天≫ 岡山県倉敷において、明治30年(1897)に出生。 平成3年(1991)12月、96歳で昇天。 ≪著書≫ 『信仰雑話』『信仰叢話』『信仰覚書〈全8巻〉』など著書多数。 信仰を求める初心者に最適な案内書であるばかりでなく、人生を真剣に生きようとする人々に、深い感化を与える。 特に『生きがいの探求』『生きがいの創造』『生きがいの確信』三部作は、若い人々に読まれ、好評である。 昭和59年(1984)、ロス・オリンピック体操競技で個人総合優勝の日体大・具志堅幸司選手はこの三部作の熱読者として有名。
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2023-04-29 22:41:03
【神道シリーズ・シーズン3】第57回・谷口雅春と生長の家(その④)谷口雅春は、青春時代に出会ったトルストイの「復活」のキリスト教における原罪と贖罪の問題に対する解決を求めて、大本入信後も、西田天香の一燈園への体験入園など、贖罪を求めた原始的共同村参加など解決無きまま彷徨っていたが、大本を脱退した大正11年にたまたま古本屋で見つけたアメリカのニューソート信者ホムルスの本に出合うとこれまでの考え方と生き方がいきなり一変することとなった。
キリスト教プロテスタント改革派であるカルバン派から発生した批判派は自らニューソートと名乗り、もともとヨーロッパで発生したその思想は19世紀に北米に広がり、20世紀に入ると日本にも流入して来ていた。
同じキリスト教徒でありながらニューソートは聖書の原罪説や贖罪説の一切を否定し、神の予定調和説さえも全面否定し、神とは自ら意思を持たぬ宇宙創造主であるとし、故に人は神に縛られるのではなく、人の中にある神の創造力を生かしていかに有意義な人生を送るべきかに主眼がおかれていた。
仏教思想に造詣の深かった谷口は、このニューソートの宇宙観や神観を仏教思想の無明や唯識論に充て辞め、究極、目的を持たぬ創造神は仏教でいうところの無明そのものだと結論付けた。
しかし、無明で予定調和を求めぬ創造神は生きと生けるものすべてにその無明の神性を与えているので人は自らの内にあるその神性に目覚め、いかに有効に活用して健康で幸せな生活を送れるようにすべきが谷口の関心の中心となっていった。
しかし、その神性に目覚めてそれを自分の為に生かして行く方法はニューソートとは大きく異なり、単なる啓発トレーニングではなく、真言密教の阿字観や天台宗の月輪観や密教の普賢延命菩薩法などを通じて如意宝珠を得るという観想法などを中心に修練法を仏教的なそれに結び付けて行った。その後、聖書や仏典や古事記やコーランなどを声を出して読んだり、静坐や瞑想することもその修練の中に含めている。
こうした実に平和的な思想を持つ生長の家にも、日中戦争が拡大するなか、いよいよ太平洋戦争に突入すると、谷口にも戦争協力の圧力がかかることになったのである。- 74
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2012-05-19 11:03:19
前向きになれる言葉(名言集)出口 日出麿著生きがいのシリーズ(探究、創造、確信)より引用
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大遊教パチンコ組合について大遊教パチンコ組合について
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2022-10-30 22:01:02
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第34回・昭和神聖会と昭和維新第一次大本弾圧ののち、出口王仁三郎は、満蒙に神の国の建設を目指し内蒙古入りするが、張作霖に部隊に逮捕され処刑直前に命を救われるという九死に一生を得る体験をするが、その後は、開祖出口なお亡き後、大本は王仁三郎を中心に、なおの時代には曖昧だった教義を整理し、欲得ですべてが動く乱れた世界を正すために弥勒菩薩の降臨を求める昭和維新の運動を展開して行った。
王仁三郎の提唱する昭和維新は、腐敗した政財界を無くし、国民が国常立やその下で世界を統治する天皇を世界人民が崇敬し、世界の人民は人種宗教思想を超えて皆平等で階級の無い豊かな社会で暮らせるようにすると言うものであったが、この思想は、国常立や天皇を除けば、まさにマルクスレーニン主義、つまり、世界の労働者が団結し、資本家や政府を倒し、世界規模で搾取や階級の無い共産社会を築くという発想とまさに瓜二つであった。
王仁三郎は、一方では、世界宗教連合会を結成し、世界のありとあらゆる宗教の代表を集め、信仰の違いを超えての宗教界の団結を目指し、また、人類愛善会を結成し、当時、農業恐慌や東北地方の冷害干害で飢餓に苦しむ農民たちに二毛作や愛善陸稲と呼ばれる陸稲の栽培などを現地で実地指導して広め、日本全国で多くの飢餓農民たちを救ったりしたが、また一方では、満州事変以降進行する中国大陸での関東軍を中心とした軍事作戦の展開進行に対して絶大な支持と賛同賛美を送り、多くの軍人の支持を取り付ける事に成功している。
そして、昭和10年1935年の第二次大本弾圧事件の1年前には、昭和神聖会と言う、ありとあらゆる救国団体の大同団結を訴えた連合組織を立ち上げるが、この大本が主導した昭和神聖会の結成式には、内務大臣、逓信大臣、多くの国会議員、そして陸海軍の中将クラス以上の幹部軍人たち、全国の右翼団体、さらには、全国著名大学教授や著名文化人たちが多数集まり祝辞を述べ、中には日本初の女性解放運動家の平塚らいちょうまでも含まれていた。
こうした昭和神聖会の運動に賛同する国民は当時の日本の人口約4千万人のうち800万人、つまり5人に1人が賛同したほどに支持された。
そして、その賛同者たちの中には、王仁三郎の熱烈な信奉者で満州事変を企画実行した陸軍中将石原莞爾や、後に日中戦争で主要な働きをした陸軍大将板垣征四郎、さらには226事件でクーデター計画を実行した青年将校の西田税までもが含まれていた。
人道的な慈善活動と戦争推進論と言う両極端な思想に揺れた王仁三郎の皇道主義は、きたる第二次大本弾圧事件を跨いで、大本から派生した極右の神道系カルト教団も含め、日本の第二次世界大戦への道を確実に進めて行くこととなったのである。- 72
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2022-10-02 22:04:02
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第31回・大本教・第一次大本弾圧事件前夜大正7年1918年、大本教の初代教主出口なおが83歳で生涯を閉じるまで、大本ではなおのお筆先という全文ひらがなで書かれたメッセージノートが大本神諭として信仰の中心になっていたが、なおの死後は出口王仁三郎に実権が移り、さらに入信加入してきた神霊イデオローグの浅野和三郎や谷口正治らによって大本神諭は恣意的に解釈されるようなり、そうした背景の下、「大正10年立替え論」つまり大正10年に日本も世界も滅んでしまうという大予言が行われ、これに釣られて膨大な数の信者が日本全国的に増え、大正10年1921年の第一次大本弾圧事件の間接的原因ともなって行った。
かつて出口なおは、日露戦争の時に、この戦争が世界大戦に発展して世界は一度滅びると予想し、それが外れたために大本は一時崩壊状態になったが、今回の「立替え説」を教団では「二度目の世の立替え」と宣言し、今回もまた大きく予言が外れる事により多くの信者たちが大本を去ることとなった。
同時に、それまでなおの神諭の解釈を巡って王仁三郎と対立していた浅野や谷口や友清歓真らも大本を去り、それぞれ、心霊科学研究会、生長の家、神道天行居と言った各自の神道系カルト教団を形成して行った。
大正10年頃の社会状況は、第一次大戦が終わって3年経って急速に欧州への輸出が激減した為に町に失業者が溢れる一方、大戦以降高まった国民の所得急増に伴う米不足により、労働争議と米騒動が全国各地に広がり、次第に深まる世界情勢の暗雲の中、大本が発表した終末論「二度目の立替え」予言は膨大な数の人々の気持ちを引き付け、教団は急激に規模が膨張し、政府や警察は大本の動向に注目し、きっかけを見つけて弾圧する機会を虎視眈々と窺っていた。
大正10年1921年2月12日の未明、検事総長平沼騏一郎の指示をうけた京都府警察部長藤沼庄平は、予審判事・検事らとともに、武装警官200人を動員して大本をおそった。すなわち綾部・亀岡・京都・八木における20数ヵ所が、不敬罪および新聞紙法違反の容疑で家宅捜査され、筆先の全部と神体の一部が押収され、大阪梅田の大正日日新聞社に出務中の出口王仁三郎、および綾部に在宅していた浅野和三郎・吉田祐定の三幹部が検挙され、だだちに京都監獄未決監に収容された。そして三幹部は、不敬罪および新聞紙法違反の罪名で起訴されたのである。
敬神尊皇愛国を標榜する宗教団体の幹部が、こともあろうに、不敬罪という罪名で逮捕されるという皮肉的で前代未聞の大事件であった。- 71
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2012-05-20 00:47:33
天国へのぼる秘訣(名言)出口日出麿・・・・・・・大本教三代教主補≪出生と昇天≫ 岡山県倉敷において、明治30年(1897)に出生。 平成3年(1991)12月、96歳で昇天。 ≪著書≫ 『信仰雑話』『信仰叢話』『信仰覚書〈全8巻〉』など著書多数。 信仰を求める初心者に最適な案内書であるばかりでなく、人生を真剣に生きようとする人々に、深い感化を与える。 特に『生きがいの探求』『生きがいの創造』『生きがいの確信』三部作は、若い人々に読まれ、好評である。 昭和59年(1984)、ロス・オリンピック体操競技で個人総合優勝の日体大・具志堅幸司選手はこの三部作の熱読者として有名。
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2022-11-10 23:55:02
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)王仁三郎の死と戦後の大本昭和25年1945年8月15日の日本の敗戦以降、10月17日には第二審まで有罪になっていた王仁三郎ら大本幹部たちは敗戦による大赦令で二審の有罪判決がすべて無効になり、翌年からは愛善苑という名称でどこの教団の傘下ではない完全独立した宗教法人として教団活動を再開することとなった。
しかし、戦後の大本の再開は、実は再開と言うよりも新生と言った方が相応しいほどの一大方針転換であった。
戦前に大本の昭和神聖会が掲げた皇道大本主義や弥勒革命論は完全に放棄し、一方で大正時代より根付いていた
万教同根主義に基づく世界宗教連合運動や、陶芸、短歌、詠歌、書道などの芸術創作活動に重点を置き、戦前とは打って変わり、世直しのような政治活動とは完全に距離を置いた新しい宗教活動が開始された。
王仁三郎は「芸術は宗教の母である」とし、大正時代より学んでいた楽焼という、ろくろを使わず、内窯と言われる小さな窯を使った陶器制作に精を出し、京都から持ち込んだ10-15年分の陶芸材料を1年で使い果たしてしまうほど楽焼茶碗の作品作りに熱中した。
王仁三郎の作品は専門家から高く評価され、陶原評論家の加藤義一郎氏に「耀盌」と命名され、その後、国内外から高い芸術的価値を認められた。
しかし、王仁三郎は、1946年(昭和21年)8月、脳溢血で倒れ、2年後の1948年(昭和23年)1月19日には遂に帰らぬ人となり76年の波乱に満ちた生涯を閉じた。
その後、大本は王仁三郎の反戦平和人類宗教平等主義を引き継ぎ、戦後の着実な発展を続けたが、1980年代になると教祖の継承問題をめぐって三つの教団に分裂することとなる。
第3代教主の直日の第4子で長男の京太郎が二代目王仁三郎を襲名する意思を明らかにすると、王仁三郎の3女の八重野の息子・和明(やすあき)と直日の長女で教祖後継者であった直美の夫の栄二が強く反発し、教祖直日のナンバー2の京太郎は栄二と和明の役職を解任した上で両者を教団から追放し、教祖継承者には直美が外され、直日の3女の聖子(きよこ)に変更された。
追放された和明と栄二はそれぞれに大本本部を相手に地位確認の訴訟を起こすが、この裁判は10年に渡って争われた後、栄二と和明はともに訴訟を取り下げた上で、それぞれ愛善苑と大本信徒連合会という別教団を立ち上げ、大本主流と袂を分かつこととなった。
現在の大本は戦前の最盛期の勢いには遠く及ばないものの、平田神道系カルトからは決別し、出口なおの時代の万教同根主義と反戦人類平等主義が貫かれることになったのである。- 70
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2012-05-19 13:25:13
子供への本当の愛情(名言集)大本教三代教主出口直日 昭和27年の教主就任後は、独善的・観念的におちいりやすい信仰生活者をいましめ、「脚下照顧」を旨とした教風をうちたてる。 幼少より日本伝統文化に精進。書道・茶道・能楽・短歌・八雲琴など、少しのたゆみもなく習練を続けて来た体験から、日本の伝統文化の世界的地位を説き、日本民族としての自覚を高め、自主性を養うことを主張。 信徒はもとより文化人を招き清談を交わすなど、"花鳥風月"を友とし身をもって日本の心を説いた。 ≪著書≫ 著書は『私の手帖』『聴雪記』『寸葉集』など。 信仰のあるべき姿や文明批評、自然や歴史についてなど、豊かな感性と豊潤な筆による随想記。 やさしい言葉で、人としての生き方をつづっている。歌集も多い。
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2022-10-13 22:58:02
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第32回・第一次大本弾圧事件大正10年1921年の第一次大本弾圧事件後、仮出獄した出口王仁三郎は、来日し綾部を訪れていたバハイ教の米国人宣教師アイダ・エ・フインチと会見し、王仁三郎は、バハイ教が提唱する世界共通語としてのエスペラント語の普及の話に強く共感し、以後、大本内にもエスペラント語の研究会を設立し、エスペラント語とローマ字の全国普及に努めるようになる。
一方、大正9年1920年に中国で設立された新興宗教で慈善団体の世界紅卍字会との提携に乗り出し、これがきっかけで大本率いる王仁三郎は、世界中の全宗教との連合を企画し、大本の万教同根の精神に基づき、全世界の宗教は信仰対象や信仰内容に関わらず一致団結しようという世界愛善運動を始めた。
大正13年1924年には、王仁三郎は保釈の身でありながら、世界宗教連合会の設立に着手した。
しかし、その直後、王仁三郎は突如思い立って、信者の植芝盛平ら3名を引き連れ、満州入りし、関東軍特務機関の協力を得て、内蒙古の馬賊の棟梁の蘆占魁の率いる千名の匪賊の部下を同行させ、奉天派トップの張作霖から馬賊討伐の為という理由で満蒙の行軍を始めたが、この行軍は王仁三郎にとっては、新蒙古王国の建設であり、蒙古よりエルサレムを目指した世界の精神的統一の運動であった。
しかし、奉天より北西方向に進軍していた王仁三郎の隊列は外蒙古付近で突如南進に方向を変えた為、これは内蒙古独立運動ではないかと張作霖に疑われ、王仁三郎とともに隊列を進めていた蘆占魁らは張作霖の部隊に追討され、戦わずして武装解除の上、全員逮捕され、蘆は即座に銃殺され、王仁三郎たちも銃殺刑が決まったものの、運よく張作霖部隊の処刑担当兵の機関銃が根詰まりしたため処刑は延期となった。
その直後、日本領事館からの歎願により処刑自体が中止となり、王仁三郎一行は間一髪の難を逃れることが出来たのだ。無事帰国できた王仁三郎は、一旦大阪刑務所に収監されたが、ただちに再保釈され、いよいよ、入蒙前からの目的だった世界宗教連合会結成の準備を進め、大本信者で大陸浪人の岡崎鉄首や、大アジア主義者で日蓮主義者の当山満や内田良平らの協力もあり、大正14年1925年の5月20日に、北京悟善社において、世界宗教連合会の発会式が挙行されるに至った。
このようにして発足した世界宗教連合会の総本部は北京におかれることになり、東洋本部は亀岡に設置することになった。
こうして、一見、世界の反戦平和の実現と世界宗教の融和を求めたような世界大家族主義運動を進める一方で、実は、王仁三郎の中ではもう一つのそうした平和的な動きとは相反するような思想的発展が進行していた。- 64
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