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2017-09-02 21:49:43
【小十郎】陸奥国白石城 平成29年(2017) 初秋2017年の8月中旬、宮城県白石市にある白石城を訪れました。
鎌倉時代に刈田経元が築城したとされ、刈田氏は後に白石氏を名乗り、
白石宗実が天正14年(1586)に国替えで安達郡宮森城に移り、
屋代景頼が城主となりました。
後に蒲生氏郷の会津入封に伴い、蒲生郷成が城主となり、
城名を益岡城に改め、城郭を大改修しました。
上杉景勝の家臣の甘粕景継が城主となると城名を白石城に戻し。
江戸時代には伊達政宗の家臣、片倉小十郎景綱が城主となり、
明治の廃城まで片倉氏の居城となりました。
1997年に三階櫓(天守)・大手の一ノ門と二ノ門・土塀が復元されました。
国内でも有数の木造復元の素晴らしい天守を見ることができます。
仙台城→sm31781665
岩出山城→sm24603519
お城→mylist/37297571888888888888888888888
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2018-09-30 13:46:02
【松明あかし】陸奥国須賀川城 平成30年(2018) 初秋2018年の8月中旬、福島県須賀川市にある須賀川城を訪れました。
応永6年(1399年)、二階堂行続が築城したと伝わり、二階堂氏の居城だったようですが、
天正9年(1581年)、城主・二階堂盛義が死去後は、後室である大乗院(伊達晴宗の娘・阿南姫)が城主を務めましたが、伊達政宗の攻撃を受け、佐竹氏の援軍と共に防戦するも須賀川城は落城し、大乗院は佐竹家を頼り落ちのびていきました。
伊達政宗は石川昭光に須賀川城を守らせますが、天正18年(1590年)、豊臣秀吉の奥州仕置により、須賀川城は蒲生氏郷領となり、田丸具直が城主となりました。
慶長3年(1598年)、上杉景勝が会津に入り、部下の栗田国時が愛宕山の城から一帯を統治しました。
慶長6年(1601年)、蒲生秀行が会津藩主となると、家臣の蒲生郷成が須賀川城に入りました。
寛永4年(1627年)、加藤嘉明が会津藩主となった後、まもなく廃城となったようです。
現在、本丸跡は二階堂神社となっており、城の大部分は宅地化されていますが、周囲の寺院・神社に土塁や堀等の城の名残を見ることができます。
また、二階堂神社は須賀川城攻防戦の故事に由来する「松明あかし」と呼ばれる須賀川の祭りで、ご神火を奉受
する場所となっています。
お城 → mylist/37297571例の顔グラ 阿南姫! おう... 立派 へぇー のどかだなー 二階堂といえば信長の野望の例の顔グラ思い出す 阿南姫がいた城だ! ひょえ~ 乙 うp乙、散歩はいいのぉ
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