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2023-03-02 20:49:02
【神道シリーズ・シーズン3】第48回・植芝盛平の生涯【前編】植芝盛平は、1883年(明治16年)12月14日、和歌山県西牟婁郡西ノ谷村(のちの田辺市)の富裕な農家・植芝家の長男(姉3人・妹1人)として生まれた。父・与六の家系は相生流という柔術の流儀を継ぎ、母のゆきは甲斐甲斐武田氏の血筋で明治中期以の開設した撃剣道の創始者・糸川軍太を同族に持つと言う、両方とも武芸をたしなむ家の血筋に盛平は生まれている。
しかし、幼少時の盛平は病弱で内向的な読書好きの少年で、寺の学問所で四書五経を習う一方、数学や物理の実験に熱中するが、これを危ぶんだ父与六は、近所の漁師の子供と相撲を取らせるなどして、盛平の体力と覇気を養うよう努めた。生来負けず嫌いの気性もあり、やがて盛んに海に潜ってはモリ突きを楽しむなど活発で外向的な少年に育っていったが、14~5歳までは華奢な痩身であった。
盛平は珠算では天才的な才能を示したが学校にはなじめず、13歳で中学校を中退し、特技の珠算を生かして税務署に努める事となった。しかし、正義感から地元の漁業法改悪反対運動に参加したためにそれが元で税務署を退職することとなり、19歳になると父親から援助で上京した東京で文房具卸売業「植芝商会」を設立し、事業は成功を収めるものの、体調を崩し一年足らずで会社を畳んで田辺に帰郷し、2歳上で幼馴染の姻戚・糸川はつと結婚した。
20歳になると軍人を目指して徴兵検査を受けるが身長が2センチ足りず失格するが、日露戦争勃発の機運が高まる中、再度徴兵検査を受けて合格し、 また、同時期に堺の柳生心眼流柔術・中井正勝に入門し、行軍演習や銃剣術の訓練において目覚しい活躍を見せ、仲間から「兵隊の神様」と持て囃された。
1905年(明治38年)22歳になると、伍長に昇進し、盛平は直訴により日露戦争の戦地の転出を希望し、戦地に派遣されたものの、戦争は終結に向かっており、戦場に現れることはなかった。
23歳で軍曹に昇進し、職業軍人としての道を目指すが、父与吉の反対により断念し、田辺に帰郷した。
1912年(明治45年/大正元年)29歳になると、政府の北海道開拓団体募集に応じ、農家・漁民の次三男を主とする54戸80余名の「紀州団体」長として紋別郡上湧別村白滝原野に移住し、北海道開拓に精を出すが、その時期に、大東流合気柔術の師範・武田惣角に出会い、すぐさま惣角に弟子入りし、自宅を道場として惣角を迎え入れ、地元の若者を集めて道場は活況を呈するが、盛平は約5年間、惣角から大東流武術を学ぶこととなった。- 62
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2012-06-03 11:31:08
本日のお言葉2出口日出麿・・・・・・・大本教三代教主補≪出生と昇天≫ 岡山県倉敷において、明治30年(1897)に出生。 平成3年(1991)12月、96歳で昇天。 ≪著書≫ 『信仰雑話』『信仰叢話』『信仰覚書〈全8巻〉』など著書多数。 信仰を求める初心者に最適な案内書であるばかりでなく、人生を真剣に生きようとする人々に、深い感化を与える。 特に『生きがいの探求』『生きがいの創造』『生きがいの確信』三部作は、若い人々に読まれ、好評である。 昭和59年(1984)、ロス・オリンピック体操競技で個人総合優勝の日体大・具志堅幸司選手はこの三部作の熱読者として有名。
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2023-03-02 21:25:02
【神道シリーズ・シーズン3】第49回・植芝盛平の生涯【後編】第一次大本弾圧事件を難なく逃れた植芝盛平は、1924年(大正13年)2月、出口王仁三郎が仮出獄の身でありながらも、満蒙の地に宗教国家の建設を目指して満州に渡り、盛平もそれに随伴することとなった。張作霖配下の馬賊・盧占魁(ろ せんかい)の率いる「西北自治軍」と共にモンゴルへ向かうが、盧の独走を疑った張の策謀により幾度も死の危機に晒されることになり、張作霖軍からの銃撃にも合うが、その時は盛平は敵弾が来る前に「光のツブテ」が飛んでくるのが見え、それを避けることで敵弾から逃れるという体験をした。このパインタラ事件と呼ばれる事件で、盛平を含む王仁三郎一行は九死に一生を得る体験をするが、無事帰国した後は、王仁三郎は霊界物語の著述に精を出し、植芝盛平は、その霊界物語に影響を受けながら柔術の研鑽と弟子の指導に専念した。
しかし、満州で経験した「光のツブテ」は、「突如大地が鳴動し黄金の光に全身が包まれ宇宙と一体化する」幻影に襲われるという神秘体験とともに起こり、これが気の妙用という武術極意に達することとなる、盛平は、これを黄金体体験と呼び、自らの合気道を創設するための大きな開眼となったのである。
その後、後に起こる第二次大本教弾圧事件を予見した王仁三郎の勧めもあり1927年(昭和2年)より東京へ移住することとなり、同時に柔術師匠の武田惣角から次第に距離を置くようになった。
1931年(昭和6年)48歳。新宿区若松町に道場「皇武館」を設立、激しい稽古振りから「地獄道場」と呼ばれる。この頃の教授対象は皇族・華族・軍人・警察官・実業家・武道家の子弟など一部の層に限られた。入門に当たっては身元の確かな2人以上の保証人を条件とし、無頼の輩に悪用されぬよう公開を厳しく制限した。また軍部の要請で、陸軍戸山学校・憲兵学校・中野学校・海軍大学校などで武術指導を行った。
その後、国情は日中戦争、太平洋戦争と日本が深く大戦にのめり込んで行く中、陸海軍の幹部軍人を始め、軍人を中心とした合気道の訓練の師範として次々と要請があり、盛平はそうした軍人らの稽古、訓練に多忙な日々を過ごして行った。
太平洋戦争終戦の1945年(昭和20年)東京の本部道場は空襲による焼失を免れるも、62歳になった盛平のところには、道場への避難民収容や復員した弟子たちが集まり、岩間の道場と東京の本部道場の復興に努め、どちらも復興を果たし、ここに東京と岩間を軸に戦後皇武会の活動が始まった。
1948年(昭和23年)2月9日に「皇武会」は「財団法人合気会」(初代理事長・富田健治)と改称、岩間の合気苑を本部とし、改めて文部省の認可を受け、この時はじめて正式に「合気道」を名乗るようになり、盛平は初代合気道「道主」となった。- 58
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2022-09-04 19:17:03
prep28出口王仁三郎は、1871年(明治4年)8月27日(旧暦7月12日)、現在の京都府亀岡市穴太に、農業を営む上田家五男三女の長男上田 喜三郎として生まれた。
近所ではその聡明さから直感力や理解力に優れた人を意味する「八つ耳」の神童と言われていたが、13歳の時に通学する僧侶の小学校教師と喧嘩沙汰となり退学となったが、その学識と聡明さを校長に見込まれ、異例の処置として13歳にして代用教員として採用された。しかし、2年後、正式な小学校教員が赴任してきた為に辞職し、豪農の家に奉公して働くこととなった。
23歳のころからは、園部の牧場で働きながら獣医を目指すが不合格となり、京都府巡査試験に合格するも拒否し、明治時代の若者として立身出世を目指す喜三郎は、マンガン鉱の探鉱やラムネ製造など幾つかの事業を始めるがいずれも失敗に終わった。
ところが、26歳になると独立して「穴太精乳館 上田牧牛場」を開業、搾乳・牛乳販売業を始めて成功を収めた。その頃、園部の南陽寺に滞在していた国学者・岡田惟平から古事記・日本書紀の国学的解釈と和歌を学び、次第に宗教に目覚めて行った。
しかし、弟の由松が賭博にのめり込むと、王仁三郎はその賭博場に出入りし、賭場で頻繁に喧嘩をするようになり、最後は襲撃されて頭部に大怪我を負い、祖母から厳しく叱咤され、深い悔悟の念に駆られていたところ、初めての神憑りに遭い、王仁三郎に取り憑いた松岡芙蓉という仙人に、近所の高熊山で修行するよう指示された。
穴太の高熊山で7日間の飲まず食わずの洞窟での瞑想修行の中で、王仁三郎は、初めて幽界の世界に入り込み、そこで見たものは、三途の川の前で閻魔大王の沙汰を待つ死者の列、そして三途の川で溺れる死者たちを助け、さらに高天原にて国常立尊の下で形成される宇宙創成の歴史や、地球、人類創成の歴史を見せられた上で、国常立尊より地球再生のためのメシアになるよう命ぜられた。
この荒唐無稽とも言える体験は、そのあと、綾部の地で艮の金神からの神託を得た出口なおとの出会いや、彼女とともに大本教を築いて行く上で重要な霊体験となったのである。- 56
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2012-06-03 12:06:51
本日のお言葉3出口日出麿・・・・・・・大本教三代教主補≪出生と昇天≫ 岡山県倉敷において、明治30年(1897)に出生。 平成3年(1991)12月、96歳で昇天。 ≪著書≫ 『信仰雑話』『信仰叢話』『信仰覚書〈全8巻〉』など著書多数。 信仰を求める初心者に最適な案内書であるばかりでなく、人生を真剣に生きようとする人々に、深い感化を与える。 特に『生きがいの探求』『生きがいの創造』『生きがいの確信』三部作は、若い人々に読まれ、好評である。 昭和59年(1984)、ロス・オリンピック体操競技で個人総合優勝の日体大・具志堅幸司選手はこの三部作の熱読者として有名。
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2012-05-20 19:31:54
臓器移植に想う脳死は人の死ではありません!
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2012-05-20 00:06:54
礼儀とは?(名言)出口直日三代教主・・・・・・・・・・≪著書≫ 著書は『私の手帖』『聴雪記』『寸葉集』など。 信仰のあるべき姿や文明批評、自然や歴史についてなど、豊かな感性と豊潤な筆による随想記。 やさしい言葉で、人としての生き方をつづっている。歌集も多い。
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2022-10-25 00:45:02
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第33回大本教(その⑦)エスペラント語運動と王仁三郎の入蒙第一次大本弾圧ののち、出口王仁三郎は、満蒙に神の国の建設を目指し内蒙古入りするが、張作霖に部隊に逮捕され処刑直前に命を救われるという九死に一生を得る体験をするが、その後は、開祖出口なお亡き後、大本は王仁三郎を中心に、なおの時代には曖昧だった教義を整理し、欲得ですべてが動く乱れた世界を正すために弥勒菩薩の降臨を求める昭和維新の運動を展開して行った。
王仁三郎の提唱する昭和維新は、腐敗した政財界を無くし、国民が国常立やその下で世界を統治する天皇を世界人民が崇敬し、世界の人民は人種宗教思想を超えて皆平等で階級の無い豊かな社会で暮らせるようにすると言うものであったが、この思想は、国常立や天皇を除けば、まさにマルクスレーニン主義、つまり、世界の労働者が団結し、資本家や政府を倒し、世界規模で搾取や階級の無い共産社会を築くという発想とまさに瓜二つであった。
王仁三郎は、一方では、世界宗教連合会を結成し、世界のありとあらゆる宗教の代表を集め、信仰の違いを超えての宗教界の団結を目指し、また、人類愛善会を結成し、当時、農業恐慌や東北地方の冷害干害で飢餓に苦しむ農民たちに二毛作や愛善陸稲と呼ばれる陸稲の栽培などを現地で実地指導して広め、日本全国で多くの飢餓農民たちを救ったりしたが、また一方では、満州事変以降進行する中国大陸での関東軍を中心とした軍事作戦の展開進行に対して絶大な支持と賛同賛美を送り、多くの軍人の支持を取り付ける事に成功している。
そして、昭和10年1935年の第二次大本弾圧事件の1年前には、昭和神聖会と言う、ありとあらゆる救国団体の大同団結を訴えた連合組織を立ち上げるが、この大本が主導した昭和神聖会の結成式には、内務大臣、逓信大臣、多くの国会議員、そして陸海軍の中将クラス以上の幹部軍人たち、全国の右翼団体、さらには、全国著名大学教授や著名文化人たちが多数集まり祝辞を述べ、中には日本初の女性解放運動家の平塚らいちょうまでも含まれていた。
こうした昭和神聖会の運動に賛同する国民は当時の日本の人口約4千万人のうち800万人、つまり5人に1人が賛同したほどに支持された。
そして、その賛同者たちの中には、王仁三郎の熱烈な信奉者で満州事変を企画実行した陸軍中将石原莞爾や、後に日中戦争で主要な働きをした陸軍大将板垣征四郎、さらには226事件でクーデター計画を実行した青年将校の西田税までもが含まれていた。
人道的な慈善活動と戦争推進論と言う両極端な思想に揺れた王仁三郎の皇道主義は、きたる第二次大本弾圧事件を跨いで、大本から派生した極右の神道系カルト教団も含め、日本の第二次世界大戦への道を確実に進めて行くこととなったのである。- 53
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2022-12-04 19:33:02
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第35回・第二次大本弾圧事件1935年(昭和10年)12月8日、警官隊500人が綾部と亀岡の聖地を急襲した。当局は大本側が武装していると信じており、警官達は決死の覚悟であったが大本の施設をいざ急襲してみると、竹槍一本見つからず、幹部も信徒も全員が全くの無抵抗であった。王仁三郎は巡教先の松江市で検挙され、罪名は不敬罪並びに治安維持法違反。6日間の捜索で5万点の証拠品を押収し、取り締まりは地方の支部や関連機関にも及び、検束や出頭を命令された信徒は3000人に及び、最終的に987人が検挙され、318人が検事局送致、61人が起訴された。
この逮捕の後、特別高等警察の激しい拷問で起訴61人中16人が死亡している。
20名の信者が獄死あるいは発狂したと伝えられ、 異端審問とも言われた。王仁三郎の後継者と目された娘婿・出口日出麿は拷問により精神的異常をていし、王仁三郎は「日出麿は竹刀で打たれ断末魔の悲鳴あげ居るを聞く辛さかな」と辛い心境を詠った。しかし、こうした厳しい取調べにも関わらず転向者は少なく、王仁三郎・すみ夫妻のカリスマと人間性が信者達の抵抗を支えた。内務省警保局長の唐沢俊樹は京都府会議事堂で全国特高課長を集め「大本教は地上から抹殺する方針である」「わが国教と絶対相容れず、許すべからざる邪教」と宣言したが、翌日二・二六事件が勃発して現地視察も祝宴も取りやめとなった。つまり、第二次大本弾圧は226事件をまたいで行われたのだ。
後に同事件で逮捕・処刑された北一輝は大本と軍部の関係について訊問され、「大本教は邪霊の大活動」と述べて関連性を否定した。しかし、北は第二次大本弾圧の1週間前に王仁三郎にクーデター資金5億円を要求して断られており、しかも大本にも多くの皇道派将校が出入りしていたことから当局は一層大本と北の周辺を厳重に調査を進めていた。
しかし、当局が革新軍部と右翼勢力が大本事件に関係する可能性はなくなったと判断したためさらなる強硬手段を準備していた。
裁判前にも関わらず、政府は亀山城址にあった神殿をダイナマイトで爆破し、綾部や地方の施設も全て破壊、財産も安価で処分し、人類愛善会など大本関連団体も解散や活動停止に追い込まれ、出版物も全て発行禁止処分となった。- 48
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2023-01-27 21:20:02
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第45回・霊界物語その⑧(最終回)単調で冗長な霊界物語は続く。
第69巻では、南米物語で、高砂島(南米)のウヅの国(アルゼンチン)とヒルの国(ペルー)で若者が立ち上がり、政治改革が行われる。
第70巻は、インドのトルマン国の国政改革の物語。
三五教の宣伝使・照国別(てるくにわけ)が活躍する。
高姫の再生である千草姫が本巻から第72巻まで登場して悪事を繰り広げる。
第71巻は、インドのタラハン国の物語。
玄真坊(げんしんぼう)、千草の高姫、妖幻坊(ようげんぼう)の杢助(もくすけ)といった悪役が出てきて悪事を重ねて行く。
第72巻では、インドのトルマン国の「スガの港」の物語。
千草の高姫と妖幻坊の杢助の悪事と、それに対する照国別一行の活躍が描かれている。
第72巻と第73巻の間には、「入蒙記」が挿入され、ここでは出口王仁三郎が大正13年1924年に満蒙に神の王国を築こうとして盧占魁率いる3千人の蒙古軍とともに行軍した入蒙体験が書かれている。
第73巻から第81巻までは、今から183億年前の宇宙創成期に言霊の元子から地球を中心に宇宙が形成された様子から、地球上の大地や海や神々が想像された地球の修理固成の歴史が記されている。
ここでは、主に、大本顕津男神と称するミロク大神たるスサノオが、御樋代神(みひしろがみ)と言われる女神たちとの間で言霊による水火と火水の神事という、言わば、霊界における言霊セックスとでも言えるまぐわりを行い、国々や神々を生み出して行くというストーリーが語られている。
これは、大宇宙の根本の世界「紫微天界(しびてんかい)」の修理固成と言われ、最後の9巻は、「天祥地瑞」篇と呼ばれ、大正時代より35万年前の霊界が描かれた1巻より72巻とは異なる世界が描かれている。
この霊界物語は、まったく荒唐無稽で、これまでの日本の歴史の中で語られたことない国土と神々の創成の歴史が語られているが、しかし、明治以降の平田系神道カルトの間では新たなる古事記とも言えるようなバイブル的存在となったのである。- 47
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2020-05-27 13:46:02
蚕都綾部絵葉書 京都府綾部市 大本/グンゼ/由良川の橋綾部以正堂から戦前に発行されたと思われる絵葉書です。
大本関係3枚、蚕糸関係2枚(グンゼ/蚕糸工場)、由良川の景2枚です。
由良川に架かる橋が2つ写っていますが、現在の綾部大橋とは違うようです。- 47
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2012-06-09 20:51:25
本日のお言葉15出口日出麿・・・・・・・大本教三代教主補≪出生と昇天≫ 岡山県倉敷において、明治30年(1897)に出生。 平成3年(1991)12月、96歳で昇天。 ≪著書≫ 『信仰雑話』『信仰叢話』『信仰覚書〈全8巻〉』など著書多数。 信仰を求める初心者に最適な案内書であるばかりでなく、人生を真剣に生きようとする人々に、深い感化を与える。 特に『生きがいの探求』『生きがいの創造』『生きがいの確信』三部作は、若い人々に読まれ、好評である。 昭和59年(1984)、ロス・オリンピック体操競技で個人総合優勝の日体大・具志堅幸司選手はこの三部作の熱読者として有名。
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2022-12-12 00:29:02
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第40回・霊界物語その③霊界物語では、現界のパラレルワールドである霊界における全世界を舞台に物語は展開されるが、しかし、これは出口王仁三郎からすればけっして創作ではなく、あくまで王仁三郎本人が瞑想の中で実際に見て来たと自称するまぎれもない霊界の歴史の記録であった。
クニトコタチが創造した地球を中心とした宇宙の中で、地球では国祖と言われたクニトコタチがウラル彦によって隠退に追い込まれると大峠と言われる地球規模の洪水大災害が起き、半ば破滅しかけた地球上でイザナミ、イザナギ、アマテラスによる国土再建が行われ、その後、ミロク大神であるスサノオが三五教を設立して世界中の邪教や邪神たちを「事向け和し」という諭しを通じて敵を改心させるという言霊戦を展開していくこととなった。
この戦いは、スサノオ配下の宣伝使と言われる宣教師たちにより行われ、この宣伝使たちが武力や権謀術策を用いず、あくまで相手を心底心腹させて改心させる「事向け和し」と言われる方法を通じて戦う、という、いわば武器を用いず戦う神軍として展開して行くのである。
この霊界物語は、言い換えれば、一人一人の宣伝使たちが事向け和しで敵を改心させる力を身に着けていく身魂磨きの物語であると言える。
第14巻までは世界各地を舞台に展開されていた言霊戦が、第16巻から第23巻までは日本の、綾部を中心とした関西地方が舞台となる。
スサノオの養女である八人乙女の五女・英子姫と、その侍女・悦子姫は、メソポタミヤの顕恩郷を発った後、バラモン教に捕まり小舟で海に流されて、延々と漂流して日本の天の橋立に漂着した。そして、その後、彼らをメソポタミアから追ってきたバラモン教の棟梁・鬼雲彦率いるバラモン軍や、アルタイ山脈から来日したウラナイ教の教主・高姫および配下の黒姫たちと、三五教で、英子姫の侍女である悦子姫らが三五教の宣伝使らとともに両者と戦い、バラモン教の鬼雲彦一派を追い払う一方、ウラナイ教の高姫と黒姫は、スサノオ自身の優れた采配により改心させることに成功し、高姫と黒姫はウラナイ教を辞め、三五教に改宗した。
スサノオの采配とは、権謀術策により悦子姫が黒姫より玉照姫を取り戻したやり方が正しくないとし、なんと黒姫に拉致されていた玉照姫を、解放されたのに、再び黒姫らに戻してしまったのである。しかし、黒姫はこのスサノオの公明正大さに感服して改心してしまったのである。- 41
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2024-02-20 19:54:02
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2023-01-18 21:27:02
【神道シリーズ・シーズン3】第44回・(思想編)霊界物語(その⑦)出口王仁三郎が自らの瞑想の中で見てきたという霊界の歴史の物語は延々と続く。
第56巻から58巻の前半までは、フサの国テルモン山の神館(かむやかた)の物語である。求道居士(きゅうどうこじ)と三千彦(みちひこ)が活躍する。
本巻の冒頭には、天界と地獄界の図が掲載されている。
また「総説」の末尾の「附言」には、第1巻第37章に出てくる「顕国の御玉」が大本に献納された経緯が記されている。
第56巻から58巻の前半までは、テルモン山の神館(かむやかた)の物語である。
本巻の後半から第60巻までは、イヅミの国のスマの里の物語。玉国別(たまくにわけ)の一行が活躍をする。
第58巻の後半から第60巻までは、イヅミの国のスマの里の物語。玉国別(たまくにわけ)の一行が活躍をする。
第60巻は、前半はイヅミの国のスマの里の物語。後半は三美歌と祝詞と神諭である。
第61・62巻は「大本讃美歌」である。
神を讃える歌や、信仰生活に関する歌、聖地・霊場を詠んだ歌、天界を詠んだ歌など、二巻で567篇もの歌が収められている。
第61巻は主に七五調の歌、第62巻は主に和歌(五七五七七)から成っている。
第63巻は、聖地エルサレムへ向かう玉国別(たまくにわけ)一行の物語。
スダルマ山、スーラヤ山、ハルセイ山の三つの山で、神の試練と教示が与えられる。
第6巻の上下二冊では、エルサレム物語の上巻。第64巻は上下の2冊に分かれている。
霊界物語は基本的に「35万年前」という時代設定になっているが、この巻は現代(大正時代)のエルサレムが舞台である。
日本から宣教にやって来た「ルートバハー」の宣伝使ブラバーサの活動と、それを妨害するユラリ教のお寅たちの妄動が描かれる。
ラブストーリーやドタバタ劇が繰り広げられるが、救世主の降臨ということがテーマになっており、世界の統一や平和に関する重要な話がたくさん出てくる。
第65巻は、虎熊山と仙聖郷を舞台に、七人の宣伝使が活躍する物語。
最後に七人はエルサレムに到着し、七福神の神劇を演じる
第66巻は、トルマン国を舞台に照国別一行が活躍する物語。
オーラ山の山賊を言向け和す。
第67巻は、前半は「ハルの湖」を舞台にした梅公一行の物語。
後半から次巻にかけては「タラハン国」の国政改革の物語になる
第68巻は、タラハン国の国政改革の物語。
最後に梅公別によって救済される。- 40
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2023-02-07 22:47:02
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第46回・霊界物語をどう読み解くか出口王仁三郎の霊界物語は、その冗長さと内容の不可解さから困難な書とされてきたが、そこで彼が訴えたかったものとは一体何であったのだろうか?
霊界物語は今でも大本で出口直のお筆書き、大本神諭に次ぐ二大経典の一つとされているが、これは直の神諭のように世の中はこうあるべきでこう変革するべきだというメッセージは一切見られず、ただ、183億年前の宇宙発生時から現代にいたる霊界における歴史を語って来た書と王仁三郎には自称されている。
しかし、正直、その中身たるや、荒唐無稽な上に、一体何が大本の信仰対象であり、何をどう考えるべきかがまったく不明瞭で、大本信者でさえそこを心底理解している者は一人とていないと推測される。
霊界物語は、183億年前の天祖、大国常立大神による大宇宙創成時代の霊界の地球で大地自然と神々の修理固成を行ったとミロク大神たるスサノオの話と、38万年前の霊界の地球でさらに修理固成を行った国祖と呼ばれる
国常立尊と、その後、その国常立尊が自ら創った神人たちに追放され、その結果、大峠という地球規模の大洪水が起こり、一旦破滅した地球に天の大神と呼ばれるイザナギ、イザナミ、アマテラスが再び大地自然の再創造を行うストーリーが展開されている。
不思議なことには、こうした大宇宙創成神や地球の修理固成神たちが霊界に産み出した神々や神人と呼ばれる霊界の住民たちの間でまったく権威や崇敬が無く、霊界人達に追放された国祖・国常立尊や、みろく大神と呼ばれながらも霊界の地上に産み出された邪神たちとのあくことなき戦いが強いられ続けていく、という、絶対崇拝対象無きストーリーが展開されているのである。
ただ、絶対崇敬対象としての存在が不在の中、霊界物語の中では、「言向け和し」という、敵対する者に対して武力や策略によって相手を屈服させてはならない、あくまで相手を諭し、心服させるやりかたで和平し共存していくことの大切さを終始強調されている。
出口直、王仁三郎の間で一貫していたのは、反戦世界平和的な全宗教共存論で、これは金光教や天理教以来一貫している万教同根の思想である。
王仁三郎が第二次大本弾圧事件の前に結成した昭和神聖会では、満州事変や日中戦争を「愛の戦争」と呼んだ彼の真意は不明のままだが、戦後の大本は戦前の社会変革論を完全に放棄し、ひたすら芸術活動と世界宗教平和共存運動に徹して行ったのである。- 39
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2023-01-05 19:30:03
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第41回・霊界物語その④出口王仁三郎が実際に霊界に行って見てきたと主張する霊界の歴史では、クニトコタチによる宇宙創成、地球創成のあと、国祖としてクニトコタチが隠退に追い込まれてから地球上では大峠と言われる大洪水が起き、一旦地球は泥の海となってしまったが、イザナギ、イザナミ、アマテラスの三神による国土創成が行われ、霊界の神人類の世界は再建された。しかし、その後も宝珠と呼ばれる宝の玉を巡って霊界は争いが続き、ミロク大神であるスサノオが創設したアナナイ教と三つの邪教との言霊戦を通じて「事向けやわし」という、諭しを通じて敵を改心させていくアナナイ教の宣伝使と言われる宣教師たちの身魂磨きの成長の記録が記されて行く。
第22巻から第32巻にかけては、舞台がオノコロ島と呼ばれた日本列島の関西地域からオーストラリア、台湾、琉球、南米と、太平洋をまたぐ世界が舞台となり、アナナイ教と邪教と言われるバラモン教やウラル教との戦いが展開されて行く。
第22巻は、摂津を舞台に、三個の宝玉を紛失した高姫・黒姫が玉探しに出る物語。
第23巻は、近畿地方一帯(熊野~丹波~摂津~淡路地方)を舞台に、消えた宝玉を探し回る高姫の物語。
第24・25巻はオーストラリアが舞台で、竜宮島と呼ばれたオーストラリアに三つの玉を探しにやって来た高姫・黒姫一行の物語。
第27巻は、五つの麻邇宝珠(まにほっしゅ)が紛失し、高姫がそれを探しに旅立つ。
前半は丹波の綾の聖地が舞台だが、後半は琉球が舞台となる「琉球物語」である。
第28巻は、「台湾物語」が舞台で日楯・月鉾の兄弟が、暴政を布くサアルボース・ホーロケース兄弟から台湾を救うために活躍する。
第29巻から第33巻の前半までは高砂島(南米)を舞台にした「南米物語」である。
本巻は、高姫と鷹依姫が改心する物語。
高砂島(南米)を舞台に、神素盞嗚大神(かむすさのおのおおかみ)の末娘である末子姫(すえこひめ)がウヅの国(アルゼンチン)の女王となり、また言依別命(ことよりわけのみこと)と国依別(くによりわけ)がウラル教を言向け和して三五教を広めて行く。
ストーリーは、様々な人物が何度も名前を変えながら複雑な絡みを続けて行くが、一貫していることは、邪教ウラナイ教の教主高姫と部下の黒姫が何度もアナナイ教の宣伝使らによって改心しながらもみずからの強欲に勝てず、裏切り続けて行くと言う物語が延々と続いて行くのであった。- 36
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2012-05-19 12:31:06
愛・絆(世の中を良くする方法)出口日出麿・・・・・・・大本教三代教主補≪出生と昇天≫ 岡山県倉敷において、明治30年(1897)に出生。 平成3年(1991)12月、96歳で昇天。 青年時代より優れた霊力を持ち宗教家として奇跡的な活躍をする。 ≪著書≫ 『信仰雑話』『信仰叢話』『信仰覚書〈全8巻〉』など著書多数。 信仰を求める初心者に最適な案内書であるばかりでなく、人生を真剣に生きようとする人々に、深い感化を与える。 特に『生きがいの探求』『生きがいの創造』『生きがいの確信』三部作は、若い人々に読まれ、好評である。 昭和59年(1984)、ロス・オリンピック体操競技で個人総合優勝の日体大・具志堅幸司選手はこの三部作の熱読者として有名。
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2023-01-05 19:43:02
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第42回・霊界物語その⑤霊界物語は、邪教徒たちを事向け和しという諭しを通じて武器を使わず改心させていくというパターンが延々と続いていくのだが、
第30巻では、高砂島(南米)を舞台に、神素盞嗚大神(かむすさのおのおおかみ)の末娘である末子姫(すえこひめ)がウヅの国(アルゼンチン)の女王となり、また言依別命(ことよりわけのみこと)と国依別(くによりわけ)がウラル教を言向け和して三五教を広めて行く物語。
第31巻では、高砂島(南米)を舞台に、国依別(くによりわけ)がヒルの国(ペルー)の大地震を鎮め、日暮シ山(アンデス)のウラル教を言向け和し、三五教を広めて行く物語。
第32巻では、南米アマゾンの「兎の都」の物語。
三五教の十八人の宣伝使が集結し、アマゾンの魔神・モールバンドとエルバンドを言向け和して行く。
第33巻では、前半は南米、後半は日本が舞台となる。
三・五の玉をめぐる旅が完了し、高姫・黒姫の過去が解き明かされる物語。
第34・35巻は黒姫のアフリカ物語。
逃げた夫を探すために黒姫は筑紫島(アフリカ)を旅して回る。
第34・35巻は黒姫のアフリカ物語。
黒姫は、35年前に捨てた子供・玉治別(たまはるわけ)と再会を遂げる。
第36巻では、シロの島(セイロン島、スリランカ)の物語。
神素盞嗚大神(かむすさのおのおおかみ)の第七女・君子姫(きみこひめ)がシロの国難を救う。
第37・38巻は出口王仁三郎の若い頃の自叙伝である。
ここでは、主に明治31年から大正5年にかけての出来事が記されている。
第39巻から第72巻までは、主にペルシャ~インドのあたりを舞台に、バラモン教主・大黒主(おおくろぬし)を言向け和す三五教の言霊隊の物語である。
第39巻では、ではまず言霊隊の第一陣・黄金姫(おうごんひめ)と清照姫(きよてるひめ)の母娘と、第二陣の照国別(てるくにわけ)が活躍する。
物語は、王仁三郎が現実的な世界の中で体験したことと、彼が霊界で見て来たとする霊界の歴史と規則性無く絡み合い、大本の雛形世界論を展開して行くのである。- 35
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2012-06-09 18:54:24
本日のお言葉14出口日出麿・・・・・・・大本教三代教主補≪出生と昇天≫ 岡山県倉敷において、明治30年(1897)に出生。 平成3年(1991)12月、96歳で昇天。 ≪著書≫ 『信仰雑話』『信仰叢話』『信仰覚書〈全8巻〉』など著書多数。 信仰を求める初心者に最適な案内書であるばかりでなく、人生を真剣に生きようとする人々に、深い感化を与える。 特に『生きがいの探求』『生きがいの創造』『生きがいの確信』三部作は、若い人々に読まれ、好評である。 昭和59年(1984)、ロス・オリンピック体操競技で個人総合優勝の日体大・具志堅幸司選手はこの三部作の熱読者として有名。
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2023-01-18 20:40:03
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第43回・霊界物語(その⑥)誇大妄想にか見える霊界物語も実は出口王仁三郎本人が実際に霊界で見て来たと主張する霊界の歴史話は40巻以降も延々と続く。
第40巻は、フサの国(ペルシャ)のイソの館からバラモン教を言向け和すために出発した言霊隊の第一陣・黄金姫、清照姫の母娘と、第二陣・照国別の物語。
第41・42巻はインドの入那(いるな)の国の物語。
黄金姫(おうごんひめ)と清照姫(きよてるひめ)の母娘が、入那の国難を救うために活躍する。
第43・44巻は、、ハルナの都に向かう言霊隊の第三陣・玉国別(たまくにわけ)の一行と、第四陣・治国別(はるくにわけ)が活躍する物語。ハルナの都に向かう言霊隊の第三陣・玉国別(たまくにわけ)の一行と、第四陣・治国別(はるくにわけ)が活躍する。
第45・46巻は小北山(こぎたやま)のウラナイ教の宗教改革の物語。
松彦・松姫・お千代の親子が活躍する。小北山(こぎたやま)のウラナイ教の宗教改革の物語で
お寅と魔我彦が改心して真の道に立ち返る。
第47・48巻は治国別(はるくにわけ)一行の天国巡覧の物語。
落とし穴に落ちて気絶した治国別一行の精霊が、中有界と天国を巡覧して、その様子を見聞して行く。
肉体と霊魂の関係、天国団体の様子、天人の生活、天国の祭典と説教、天国と霊国、霊界と現界との相応の理、などについて詳しく説明される。
第47・48巻は治国別(はるくにわけ)一行の天国巡覧の物語。
落とし穴に落ちて気絶した治国別一行の精霊が、中有界と天国を巡覧して、その様子を見聞して行く。
第49・50巻はフサの国の河鹿峠の「祠の森」の物語である。
本巻では、「祠の森」の神殿を乗っ取った高姫を、妖幻坊(ようげんぼう)が悪へ誘いこんでゆく。
言霊隊は、妖幻坊(ようげんぼう)によって悪へ引っ張られる高姫を、初稚姫が改心させようと努力をする。
第51・52巻は、「浮木の森」と「小北山」が舞台になる。
本巻は、浮木の森の曲輪城(まがわじょう)の物語。「浮木の森」と「小北山」が舞台になる小北山での文助の改心物語。
第52巻の第23章で、高姫が空から墜ちて死んでしまう。
第53巻から55巻までは、インドの「ビクの国」の物語である。治国別の一行が活躍する。
本巻では、ビクの国の内憂外患を、王家の若者たちが救う。
登場人物たちが巻ごとに立ち代わり入れ替わり、また名前を変えながら一貫性の無い霊界の歴史の物語はこの後も81巻まで延々と続くのである。- 31
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2012-06-09 16:31:07
本日のお言葉13出口日出麿・・・・・・・大本教三代教主補≪出生と昇天≫ 岡山県倉敷において、明治30年(1897)に出生。 平成3年(1991)12月、96歳で昇天。 ≪著書≫ 『信仰雑話』『信仰叢話』『信仰覚書〈全8巻〉』など著書多数。 信仰を求める初心者に最適な案内書であるばかりでなく、人生を真剣に生きようとする人々に、深い感化を与える。 特に『生きがいの探求』『生きがいの創造』『生きがいの確信』三部作は、若い人々に読まれ、好評である。 昭和59年(1984)、ロス・オリンピック体操競技で個人総合優勝の日体大・具志堅幸司選手はこの三部作の熱読者として有名。
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2012-06-09 15:58:09
本日のお言葉12出口日出麿・・・・・・・大本教三代教主補≪出生と昇天≫ 岡山県倉敷において、明治30年(1897)に出生。 平成3年(1991)12月、96歳で昇天。 ≪著書≫ 『信仰雑話』『信仰叢話』『信仰覚書〈全8巻〉』など著書多数。 信仰を求める初心者に最適な案内書であるばかりでなく、人生を真剣に生きようとする人々に、深い感化を与える。 特に『生きがいの探求』『生きがいの創造』『生きがいの確信』三部作は、若い人々に読まれ、好評である。 昭和59年(1984)、ロス・オリンピック体操競技で個人総合優勝の日体大・具志堅幸司選手はこの三部作の熱読者として有名。
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2012-06-09 15:52:09
本日のお言葉10出口日出麿・・・・・・・大本教三代教主補≪出生と昇天≫ 岡山県倉敷において、明治30年(1897)に出生。 平成3年(1991)12月、96歳で昇天。 ≪著書≫ 『信仰雑話』『信仰叢話』『信仰覚書〈全8巻〉』など著書多数。 信仰を求める初心者に最適な案内書であるばかりでなく、人生を真剣に生きようとする人々に、深い感化を与える。 特に『生きがいの探求』『生きがいの創造』『生きがいの確信』三部作は、若い人々に読まれ、好評である。 昭和59年(1984)、ロス・オリンピック体操競技で個人総合優勝の日体大・具志堅幸司選手はこの三部作の熱読者として有名。
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2012-06-09 15:54:57
本日のお言葉11出口日出麿・・・・・・・大本教三代教主補≪出生と昇天≫ 岡山県倉敷において、明治30年(1897)に出生。 平成3年(1991)12月、96歳で昇天。 ≪著書≫ 『信仰雑話』『信仰叢話』『信仰覚書〈全8巻〉』など著書多数。 信仰を求める初心者に最適な案内書であるばかりでなく、人生を真剣に生きようとする人々に、深い感化を与える。 特に『生きがいの探求』『生きがいの創造』『生きがいの確信』三部作は、若い人々に読まれ、好評である。 昭和59年(1984)、ロス・オリンピック体操競技で個人総合優勝の日体大・具志堅幸司選手はこの三部作の熱読者として有名。
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