タグ近代音楽を含む動画:92件 2ページ目を表示
2024年6月14日 07時09分に生成された05時00分のデータです
2013-09-21 18:47:43
ショーソン:交響曲 Op.20ジャン・フルネ/オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団 1988
ショーソン良いね
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2012-03-18 16:00:51
下総皖一『パッサカリアと舞曲』(1941)下総皖一(明治31年/1898年-昭和37年/1962年)
パッサカリアと舞曲(昭和16年/1941)
ピアノ:堀江真理子貴重 .. .
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2017-03-11 13:58:17
聴いて損はしないクラシック音楽&近代音楽~第3弾~第3弾、作成してみました。全体的にわりと近代よりの作曲家の曲ですね。作業用に提供いたします!聴いてくださるとうれしいです!(^-^)
ホルスト~#0:08
ホロヴィッツ~#7:14
ラヴェル~#9:50
ショスタコーヴィチ~#13:43
カバレフスキー~#17:08
ハチャトゥリアン(シフラ編)~#22:36
カプースチン~#25:40
バラキレフ~#31:53
ソロヴィヨフ=セドイ~#38:43
クラシック音楽演奏マイリスト→mylist/58078837
聴いて損はしないクラシック音楽&近代音楽(第1・2弾あり)→mylist/58093825
以前別アカにて投稿していた演奏→mylist/58078606
自作即興曲シリーズ→mylist/59026998いいね うぽつ
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2012-06-15 17:08:12
ハルトマン『交響曲 第4番』(1947)カール・アマデウス・ハルトマン Karl Amadeus Hartmann (1905-1963)
交響曲 第4番(1947)
指揮:クリストフ・ポッペン ミュンヘン室内管弦楽団.
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2012-08-10 06:54:12
デ・ファリャ:交響的印象《スペインの庭の夜》マルグリット・ウェーバー フェレンツ・フリッチャイ/ベルリン放送交響楽団 1957
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2012-06-15 17:00:22
ハルトマン『交響曲 第2番「アダージョ」』(1946)カール・アマデウス・ハルトマン Karl Amadeus Hartmann (1905-1963)
交響曲 第2番「アダージョ」(1946)
指揮:クリストフ・フォン・ドホナーニ クリーヴランド管弦楽団.
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2018-05-13 21:44:16
ドビュッシー:燃える炭火に照らされた夕べYoutubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=XnnEiBb7Dyg)。1917年の冬、ドビュッシーは末期の直腸がんに苦しむ闘病生活を送っていました。しかし、当時のフランスは第一次世界大戦による総力戦体制のため多くの物資が欠乏しており、特にこの冬は暖炉にくべるための石炭が不足していました。幸い、ドビュッシーの名声を知る石炭屋が彼の家に便宜を図ったため、冬を越せるだけの石炭を得ることができましたが、その見返りとして石炭屋はドビュッシーに曲を注文しました。それに応じて作曲されたのが「燃える炭火に照らされた夕べ(Les soirs illuminés par l'ardeur du charbon)」です。
この長い題名はボードレールの詩集「悪の華」に収められた詩「バルコニー」からの一節によるもので、石炭屋から依頼を受けたため「燃える炭火に(par l'ardeur du charbon)」という箇所を含んだ一節を選んだと考えられています。全体で23小節、約2分30秒の小品で、楽譜に指示された強弱記号もpp, mp, pの弱音のみの静かな雰囲気を漂わせており、晩年のドビュッシーの心境をうかがわせるものとなっています。
この曲の存在は長い間知られていませんでしたが、2001年にアメリカで自筆譜が発見されました。そして研究の結果、従来ドビュッシー最後の完成作とされていたヴァイオリンソナタより後に作曲されたことが判明しています。つまり、本作がドビュッシー最後の完成作品となります。
ジャン=エフラム・バヴゼ(ピアノ)- 312
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2012-03-14 16:59:30
ミャスコフスキー『ピアノ・ソナタ 第3番 ハ短調』(1920)ニコライ・ヤコヴレヴィチ・ミャスコフスキー Николай Яковлевич Мясковский Nikolai Yakovlevich Myaskovsky (1880-1950)
ピアノ・ソナタ 第3番 ハ短調(1920)
ピアノ:ボリス・ペトルシャンスキー凄い精神的な…熱さ .
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2012-09-30 23:33:13
ロージャ『ヴィオラ協奏曲』(1982)ロージャ・ミクローシュ Rózsa Miklós (1907-1995)
ヴィオラ協奏曲 (1982)
ヴィオラ:ポール・シルバーソン 指揮:ジェームズ・セダレス ニュージーランド交響楽団.
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2012-06-15 16:39:16
ハルトマン『弦楽四重奏曲 第1番「鐘」』(1933)カール・アマデウス・ハルトマン Karl Amadeus Hartmann (1905-1963)
弦楽四重奏曲 第1番「鐘」(1933)
ツェートマイアー四重奏団しかもツェートマイアーカルテットwwww これは好きかも これは珍しい .
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2019-10-11 22:13:02
プロコフィエフ:シンフォニエッタ イ長調 作品5/48Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=ikviKaDjXEI)。
1909年、サンクトペテルブルク音楽院の学生であった18歳のプロコフィエフは、5楽章から成る
「シンフォニエッタ」イ長調 作品5を作曲します。この作品は、彼が作品番号を付けた作品の中
では初めての管弦楽作品であり(交響曲第1番「古典」は8年後の1917年に作曲)、音楽院におい
てプロコフィエフに指揮法を指導したニコライ・チェレプニン教授に献呈されました。その後、
プロコフィエフは1914年と1929年の二度にわたって作品の改訂を行い、作品番号を「5/48」とし
ました。
この作品は一聴すればわかる通り、軽快さや和声の使い方において「古典交響曲」と似通った性
格を持っています。しかし「古典交響曲」がプロコフィエフの代表作の1つとして有名なのに対し
て、「シンフォニエッタ」は2度の改訂にもかかわらず演奏頻度や知名度は低く、プロコフィエフ
は「この2つの作品がこんなに違った運命をたどるのが理解できない」と不満をこぼしていたとい
います。
マキシム・リザノフ指揮
ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団- 260
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2012-06-15 03:29:12
ゴルトシュミット『チェロ協奏曲』(1954)ベルトルト・ゴルトシュミット Berthold Goldschmidt (1903-1996)
チェロ協奏曲 (1954)
チェロ:ヨーヨー・マ 指揮:シャルル・デュトワ モントリオール交響楽団,
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2012-06-14 12:52:50
シュルホフ『フルートとピアノの為の二重協奏曲』(1927)エルヴィン・シュルホフ Erwin Schulhoff (1894-1942)
フルートとピアノの為の二重協奏曲(1927)
フルート:ベッティナ・ヴィルト ピアノ:アレクサンダー・マザール
指揮:アンドレアス・デルフス ドイツ室内フィルハーモニー管弦楽団.
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2012-09-30 20:34:23
ヴェレッシュ『パッサカリア・コンチェルタンテ』(1961)ヴェレッシュ・シャーンドル Veress Sándor (1907-1992)
オーボエと12の弦楽器の為の『パッサカリア・コンチェルタンテ』(1961)
オーボエ:ハインツ・ホリガー カメラータ・ベルン初めて聞きます .
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2012-06-10 16:20:50
ロータ『交響曲 第3番 ハ長調』(1957)ニーノ・ロータ Nino Rota (1911-1979)
交響曲 第3番 ハ長調(1957)
指揮:大友直人 日本フィルハーモニー交響楽団.
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2020-10-09 18:41:02
アーサー・ブリス:色彩交響曲 作品24(F.106)(1932年改訂版)Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=zi6FdphM7CA)。
サー・アーサー・ブリス(1891 - 1975)はプロコフィエフと同い年のイギリスの作曲家です。作風としてはフランスの印象派、更にはストラヴィンスキーなどの近現代音楽の影響を受けつつも、その本質はエルガーに連なるイギリスのロマン主義に立脚したもので、現代音楽特有の先鋭さに欠けるため音楽界における評価はさほど上ではないものの、一般大衆に親しみやすい作品を多数作曲してイギリス音楽界の重鎮として活躍しました。
1922年、グロスターでスリー・クワイアズ・フェスティバルが開催されるにあたって、イギリスの作曲家たちに新作の作曲が依頼されました。これに対し、ブリスは「色」に関する交響曲を完成させ、グロスター大聖堂で初演しました。これが「色彩交響曲」作品24(F.106)で、練習時間が短すぎたため初演は不評だったものの、曲を聴いたエルガーは「disconcertingly modern(戸惑うほど現代的)」と評し、やがてイギリス音楽界では演奏のレパートリーとして定着して、ブリスの代表作となりました。
作品は4つの色(紫、赤、青、緑)からブリスが思い浮かべたイメージを各楽章の曲にしており、不協和音が含まれつつも親しみやすい曲想に満ちた流麗な作品となっています。なおブリスは1932年に本作を改訂しており、この動画の演奏も1932年版に拠っています。
デイヴィッド・ロイド=ジョーンズ指揮
イングリッシュ・ノーザン・フィルハーモニア- 252
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2012-09-30 20:23:12
ヴェレッシュ『ピアノ協奏曲』(1952)ヴェレッシュ・シャーンドル Veress Sándor (1907-1992)
ピアノと弦楽合奏の為の協奏曲(1952)
ピアノ:アンドラーシュ・シフ 指揮:ハインツ・ホリガー ブダペスト祝祭管弦楽団.
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2012-06-14 13:16:07
ベン=ハイム『ヴァイオリン協奏曲』(1960)パウル・ベン=ハイム Paul Ben-Haim (1897-1984)
ヴァイオリン協奏曲 (1960)
ヴァイオリン:イツァーク・パールマン 指揮:ズビン・メータ イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団.
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2012-09-30 23:54:15
クルターグ『ヴィオラと管弦楽の為の楽章』(1954)クルターグ・ジェルジュ Kurtág György (1926-)
ヴィオラと管弦楽の為の楽章 (1954)
ヴィオラ:キム・カシュカシャン 指揮:エトヴェシュ・ペーテル オランダ放送室内管弦楽団初めて聴いたけど気に入った クルターグ・・・初めて聞いた .
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2012-06-15 03:15:36
ゴルトシュミット『ヴァイオリン協奏曲』(1953)ベルトルト・ゴルトシュミット Berthold Goldschmidt (1903-1996)
ヴァイオリン協奏曲 (1953)
ヴィオリン:シャンタル・ジュイエ 指揮:シャルル・デュトワ フィルハーモニア管弦楽団近代作家の曲はこういうのばっかりね 連続再生二倍速固定、三倍速の追加を是非やってもら...
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2019-08-07 18:58:02
ヒンデミット:ラグタイム(平均律)管弦楽版Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=k5gry-w-47c)。
第一次世界大戦後、ヴィオラ奏者として活動していたヒンデミットは作曲の分野にも力を注ぎ、数多くの作品を生み出して、ドイツの音楽界を牽引する重要な作曲家となっていきます。そういった作品の1つが「ラグタイム(平均律)」です。
この作品は題名の通り、アメリカの黒人音楽でジャズの源流とされるラグタイムの様式に則っていますが、一方で音楽のモチーフはバッハの「平均律クラヴィーア曲集」第1巻から第2曲BWV847のハ短調フーガに基づいており、アメリカとドイツという2つの異なる音楽の流れを組み合わせて新しい音楽を作ろうとするヒンデミットの意欲が感じられる小品となっています。
なお、本作は管弦楽版と4手ピアノ版の2種類がありますが、どちらもヒンデミットの生前には出版されず、1987年にようやく初演(管弦楽版)されました。
ヤン・パスカル・トルトゥリエ指揮
BBCフィルハーモニー管弦楽団- 224
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2018-07-01 20:31:02
ヒンデミット(キース・ウィルソン編):ウェーバーの主題による交響的変容(吹奏楽版)Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=OqKBDucKyek)。
ヒンデミットはナチスの迫害を恐れて1940年に渡米し、1943年に代表作の一つである「ウェーバーの主題による交響的変容」を作曲しました。この作品は、その名の通りウェーバーのピアノ連弾曲「8つの小品」作品60(sm33448379)、「6つのやさしい小品」作品10a(sm33454601)、劇付随音楽「トゥーランドット」作品75の序曲(sm33442990)の中から主題を引用し、自由に管弦楽作品として編曲・変奏したものです。
管弦楽作品として作曲された本作ですが、管楽器の使用法が際立っていたことから、ヒンデミットはアメリカ滞在中にイェール大学にて音楽学部長として教鞭を執っていた頃、同大学のクラリネット科教授キース・ウィルソン(バンドディレクターも務めていた)に依頼して、吹奏楽版の編曲が行われました。これにより、本作は20世紀に作られた音楽作品として、管弦楽版も吹奏楽版も有数の知名度を誇る成功作となっています。
ミグリアロ・ユージーン・コーポロン指揮ノース・テキサス・ウィンド・シンフォニー- 214
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2012-06-10 16:48:16
ロータ『ピアノ協奏曲 第1番 ハ長調』(1960)ニーノ・ロータ Nino Rota (1911-1979)
ピアノ協奏曲 第1番 ハ長調 (1960)
ピアノ:ジョルジア・トマッシ 指揮:リッカルド・ムーティ スカラ座管弦楽団初めて聴いたが良いな 新鮮だな .
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2018-11-16 20:25:01
ピツェッティ:交響曲 イ調Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=U5S0nAujlMU)。
1940(昭和15)年、日本政府は皇紀2600年を祝うため、英仏独伊洪の5か国に祝典曲の作曲依頼を行いました。このうち、イタリア政府は祝典曲の作曲者としてミラノ音楽院長のイルデブランド・ピツェッティ(1880 - 1968)に協力を要請します。当時、ピツェッティは日本との同盟を促進していたファシスト政権と近しい関係にあり、後期ロマン派に属しつつもルネサンス音楽やバロック音楽への回帰を志向していたため、祝典曲の作曲にふさわしい人物と判断されました。そうして作曲されたのが「交響曲 イ調」です。完成した楽譜は同年7月に日本へ送られ、同年12月に初演されました。ピツェッティには謝礼と共に印刷された楽譜とスタジオ録音されたSPレコードが送られています。
作品としては、海外の作曲家による皇紀2600年奉祝曲の中では最大の規模を誇り、後期ロマン派の流れを汲みながらグレゴリオ聖歌風の主題が循環するという新古典主義の傾向が混在する、4楽章制の標準的な交響曲となっています。
ニーノ・サンツォーニョ指揮ミラノ・イタリア放送響- 204
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2012-06-14 19:43:57
クレーネク『交響曲 第2番』(1922)エルンスト・クレーネク(クシェーネク/クルジェーネク)Ernst Krenek (1900-1991)
交響曲 第2番 (1922)
指揮:ローター・ツァグロゼク ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団.
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2012-06-14 17:40:30
ヴァイル『ソング劇「マハゴニー」』(1927)クルト・ヴァイル Kurt Weill (1900-1950)
ソング劇「マハゴニー」(1927)
指揮:デイヴィッド・アサートン ロンドン・シンフォニエッタ.
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2012-06-14 13:05:16
ラートハウス『交響曲 第1番』(1922)カロル・ラートハウス Karol Rathaus (1895-1954)
交響曲 第1番 (1922)
指揮:イスラエル・イーノン ベルリン・ドイツ交響楽団.
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2012-06-10 16:11:39
ロータ『交響曲 第2番 ヘ長調』(1939)ニーノ・ロータ Nino Rota (1911-1979)
交響曲 第2番 ヘ長調(1939)
指揮:大友直人 日本フィルハーモニー交響楽団.
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2012-09-30 23:16:47
ロージャ『協奏交響曲』(1966)ロージャ・ミクローシュ Rózsa Miklós (1907-1995)
ヴァイオリン、チェロと管弦楽の為の協奏交響曲(1966)
ヴァイオリン:イゴール・グルップマン チェロ:リチャード・ボック
指揮:ジェームズ・セダレス ニュージーランド交響楽団.
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2012-06-12 12:46:12
ブゾーニ『小協奏曲 ニ短調』(1890)フェルッチョ・ブゾーニ Ferruccio Busoni (1866-1924)
小協奏曲 ニ短調 (1890)
ピアノ:ジャン=フランソワ・アントニオーリ 指揮:ローレンス・フォスター ローザンヌ室内管弦楽団.
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2012-06-10 16:32:07
ロータ『弦楽の為の協奏曲』(1964)ニーノ・ロータ Nino Rota (1911-1979)
弦楽の為の協奏曲(1964)
イ・ムジチ合奏団.
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2012-05-05 11:49:27
モートン・グールド『インタープレイ』(1945)モートン・グールド Morton Gould (1913-1996)
ピアノと管弦楽の為の「インタープレイ」(1945)
ピアノ:ウィリアム・トリット 指揮:エリック・カンゼル シンシナティ・ポップス・オーケストラ.
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2019-04-19 20:40:02
ルイ・ヴィエルヌ:オルガンのための三部作(トリプティク)作品58Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=JvV0DP2iGZE)。1900年にパリ・ノートルダム大聖堂の首席オルガン奏者となったルイ・ヴィクトル・ジュール・ヴィエルヌ(1870 – 1937)は、6曲のオルガン交響曲を筆頭に数多くのオルガン曲を作曲し、フランス音楽史におけるオルガン作品の1つの頂点を極めたことで知られています。
1929~31年、ヴィエルヌは自分と親しい人たちに捧げるため、オルガンのための小曲「朝課」「聖体拝領」「逝ける子のための墓碑」の3つを作曲し、これをまとめて「オルガンのための三部作(トリプティク)」作品58として出版しました。彼は生涯において、失明・大怪我といった肉体的苦難と、妻との離婚・2人の息子の死という家庭的苦難に何度も見舞われており、そんな彼の人生を支えてくれた友人や音楽学校の生徒たちに感謝を捧げるために作曲されたようです。
なお1937年6月7日、ヴィエルヌはノートルダム大聖堂で通算1750回目のオルガン演奏会を行います。そのメインプログラムには本作から「逝ける子のための墓碑」が含まれていました。そして、結びとして即興演奏を行っている最中、ヴィエルヌは心筋梗塞で倒れ、そのまま息を引き取ります。彼はパリ・ノートルダム大聖堂の首席オルガン奏者という地位を最後まで保ったまま、ノートルダム大聖堂のオルガンのそばで最期を迎えるという、生前に望んだ希望を叶えたのでした。
Serge Ollive(オルガン)3.逝ける子のための墓碑 2.聖体拝領 1.朝課
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2022-02-18 19:10:02
アッテルベリ:交響曲第5番 ニ短調「葬送交響曲」作品20Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=qLFCd4uTv3c)。
スウェーデンの作曲家クット・マグヌス・アッテルベリ(1887 - 1974)は生涯に9曲の交響曲を作曲しましたが、彼が1922年に作曲した交響曲第5番 ニ短調 作品20は、スウェーデン国外において彼が高く評価されるきっかけとなりました。
3楽章構成である本作は「誰もが自分の愛するものを殺す」というテーマに基づいて作曲されたといわれており、全ての楽章が短調で、特に第2楽章は沈痛極まりない葬送行進曲となっています。作曲者アッテルベリ自身によって「Sinfonia funebre(葬送交響曲)」の題名が名付けられ、作曲された翌年の1923年にベルリンで初演された本作はたちまち注目を浴び、特に第2楽章は当時のドイツの新聞記事で「かくも美しい感動的な葬送行進曲」と書かれるほど高く評価されました。
アッテルベリの存在は交響曲第2番の作曲以降、ドイツ音楽界の一部で名を知られるようになっていましたが、本作の初演によってアッテルベリは(少なくともドイツにおいては)有力な独自の個性を持ったスウェーデンの作曲家として認知されました。
スティグ・ヴェステルベリ指揮
ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団2024年最初のコメントは、このあたくしが何故か逃さずに頂きましたわッ! 初コメは何故か俺が頂いた
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2012-05-05 12:01:10
モートン・グールド『デリヴェーションズ』(1955/65)モートン・グールド Morton Gould (1913-1996)
クラリネットと管弦楽の為の「デリヴェーションズ」(1955/65)
クラリネット:シャロン・カム 指揮:グレゴール・ビュール ロンドン交響楽団.
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2018-11-17 21:36:02
ヴェレシュ:交響曲第1番より 第3楽章「終曲」Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=x9lMUGSgLN8)。
1940(昭和15)年の皇紀2600年奉祝曲として作曲されたヴェレシュ・シャーンドル(1907 - 1992)の交響曲第1番は、同年12月の演奏会にて橋本國彦の指揮、紀元二千六百年奉祝交響楽団(6つの演奏団体の団員を臨時に編成)の演奏により初演が行われ、スタジオ録音によるSPレコードも発売されました。しかし、本作は日本とハンガリーが枢軸国であったことから誕生した作品であること、さらにヴェレシュが戦後のハンガリー社会主義政権を嫌ってスイスに亡命したため、彼の作品が長らくハンガリー国内で演奏禁止とされたことなどから、初演以降は演奏も録音もされない幻の作品となっていました。
本作が再び日の目を見たのは、2002(平成14)年2月にハンガリーのフンガトロン社が新規の録音を行ったことによります。これは、同年7月に天皇陛下がハンガリーを訪問されるのにあわせたもので、この録音CDはフンガトロン社から直接陛下に献上されました。
第1楽章:sm34187186
第2楽章:sm34187440
タマーシュ・パール指揮
サヴァリア交響楽団- 103
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2018-11-17 20:51:02
ヴェレシュ:交響曲第1番より 第1楽章「前奏曲」Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=qwvv8yW-O9I)。
1940(昭和15)年、日本政府は皇紀2600年の記念事業の一環として、海外の作曲家に奉祝曲を依頼するため、英仏独伊、そして枢軸国であったハンガリー政府に協力を要請します。これに対してハンガリー政府が選んだのが、ブダペストの民族音楽研究所でバルトークの助手を務めた経験もあった作曲家・民族音楽学者のヴェレシュ・シャーンドル(1907 - 1992)でした。彼は祝典用であることと祭典の時期から勘案して、作品を3楽章のやや小ぶりな交響曲として極めて短期間に仕上げました。これが、ヴェレシュが作曲した最初の交響曲となります。
なお、ヴェレシュは作曲家としてよりは音楽教師としての功績が大きく、リゲティ、クルターグ、ハインツ・ホリガーに作曲を教えています。 このことから、近年ではハンガリーの音楽史においてバルトークとリゲティの間をつなぐ重要な存在として再評価されているほか、教え子のホリガーが彼の作品をレパートリーとしてしばしばとりあげています。
第2楽章:sm34187440
第3楽章:sm34187544
タマーシュ・パール指揮
サヴァリア交響楽団- 103
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2020-01-31 19:00:02
ヒーリー・ウィラン:ピアノ協奏曲 ハ短調 作品76Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=49awZA939OA)。
ロンドン出身でカナダ国籍を取得した作曲家・オルガン奏者のヒーリー・ウィラン(1880 - 1968)
は、カナダ音楽界の重鎮として800曲以上を作曲し、特に教会音楽の分野において優れた作品を遺
しています。とはいえ、彼はほとんどの分野において作曲活動を行っており、その中で最近になっ
て比較的知名度が上がってきたのが、1944年に作曲したピアノ協奏曲 ハ短調 作品76です。
この作品は単一楽章ですが、実際には急・緩・急の3つの部分に分かれており、伝統的な3楽章の協
奏曲に準じた構成となっています。また、ウィランはラフマニノフに心酔していたことが知られて
おり、その影響は、20世紀中盤に作曲されたにも関わらず、後期ロマン派の作風が色濃い本作にお
いても明確に聴くことができます。
アルトゥール・オゾリンス(ピアノ)
マリオ・ベルナルディ指揮
トロント交響楽団- 77
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2021-08-27 12:05:02
カゼッラ:交響曲第1番 ロ短調 作品5Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=dk7eqDwQz9E)。
近代イタリアの作曲家アルフレード・カゼッラ(1883 - 1947)は、レスピーギやマリピエロ、ピツェッティらと共に、伝統的に歌劇に偏重しがちだったイタリア音楽界において純粋な器楽曲の復興を目指し、数多くの器楽曲を作曲したことで知られています。カゼッラはパリ音楽院でフォーレに作曲を学びましたが、初期の作風はマーラーやリヒャルト・シュトラウスから多くの影響を受け、ドイツ後期ロマン派とイタリアのロマン派の融合に腐心しました。
そういった作品の1つが、1906年に作曲された交響曲第1番 ロ短調 作品5です。ただ、カゼッラ自身は本作を「ドイツロマン派の影響を受けすぎて自身の個性が出ていない」と認識していた節があり、生前には公開しませんでした。
フランチェスコ・ラ・ヴェッキア指揮
ローマ交響楽団- 65
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2018-11-17 21:12:02
ヴェレシュ:交響曲第1番より 第2楽章Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=PwwAOcUbbqU)。
ハンガリーの作曲家・民族音楽学者であるヴェレシュ・シャーンドル(1907 - 1992)は、1940(昭和15)年に日本政府から皇紀2600年奉祝曲の作曲依頼に応じて交響曲第1番を作曲しました。
本作は3楽章の小ぶりな様式だったこともあり、依頼から極めて短期間で作曲されています。日本政府は他に英仏独伊の各国の作曲家にも奉祝曲を依頼していましたが、彼らの作品譜(単独の祝典序曲を含む)が同年7月頃に日本に到着したのに比べ、ヴェレシュの交響曲は5月に楽譜が日本に届けられており、ヴェレシュの作曲速度がそれだけ速かったことがうかがえます。ただ、作品の内容は祝祭気分が強く明るい曲調である反面、深みに乏しい面もあり(祝典用の曲である以上仕方がないともいえます)、作曲速度の速さはヴェレシュが「手を抜いた」ことの裏返しと見る向きもあるようです。
第1楽章:sm34187186
第3楽章:sm34187544
タマーシュ・パール指揮
サヴァリア交響楽団- 65
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2023-07-21 13:50:02
グリエール:バレエ組曲「赤いけしの花」作品70aYoutubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=4dwYlX8kL64)。
キーウ出身で、ロシア帝国末期からソ連建国期にかけて活躍した作曲家レインゴリト・グリエール(ロシア
語読み。ウクライナ語読みでは「レーインホリド・モリツォーヴィチ・フリイェール」1875 - 1956)は、
交響曲第3番「イリヤー・ムーロメツ」が代表作として有名ですが、もう1つの代表作として挙げられるの
が、1928年に作曲されたバレエ音楽「赤いけしの花」作品70です。
この作品は1920年代の中国の港を舞台として、そこで酷使されている苦力(クーリー)たちを助けようと
するソ連船の船長と、彼を助けようとする中国人の踊り子タオ・ホアとの悲恋を取り扱ってて、題名「赤い
けしの花」とは、ソ連船の船長がタオ・ホアに愛の証として渡した花のことです。音楽的には後期ロマン派
の作風に近代的要素やオリエンタリズムが加わっていて、偶然にも同時期に作曲され、同じ中国を舞台とし
たプッチーニの歌劇「トゥーランドット」に似たところがあります。この作品はソ連の建国後初めての、そ
して近代の革命を題材とした最初のバレエとされています。
後にグリエールはこのバレエから6曲を抜粋して組曲とし、作品番号「70a」を付けました。この中では第6
曲「ソヴィエト水夫の踊り(ロシア水夫の踊り)」が有名ですが、この曲はロシア民謡「ヤブロチコ(小さ
なリンゴ)」を編曲したものです。
アンドレイ・アニハーノフ指揮
サンクトペテルブルク交響楽団- 55
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2024-05-24 20:55:02
ブゾーニ:悲歌集 BV 249Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=viP7Qca1bLo)。
ブゾーニは若くして優れたピアニストとして活躍する一方、リストやブラームスの影響を受けて後期ロマン
派の様式に則った作品を作曲していました。そんな彼が作曲家としての転機を迎えるきっかけとなった作品
が「悲歌集(Elegien)」BV 249です。ブゾーニは、まず1908年に全6曲のピアノ作品集として本作を発表
しましたが、翌年に第7曲を追加して全7曲としました。
これらの曲の中には過去の作品から旋律を転用したものもあり、完全な新曲というわけではありませんが、
それらの中にはドビュッシーらの印象派やシェーンベルクらの表現主義音楽に接近している曲が含まれ、ブ
ゾーニが純粋な後期ロマン派から逸脱して無調音楽へ向かおうとしていることがわかります。ブゾーニ自身
もこの曲集で自分が新たな境地に向かっていることを自覚しており、この作品が「私の成長における一里塚
を意味する。ほとんど変容だ」とし、それで第1曲を「転機のあとに(Nach der Wendung)」と名付けた
と述べています。
ブゾーニが1909年3月12日にベルリンで全6曲版を自ら初演した際には、彼が前衛芸術家として第一歩を踏
み出したことを評価するよりも、彼がロマン派から逸脱した不協和音を奏でるようになったことを批判する
意見の方が多かったようですが、第4曲「トゥーランドットの居間(間奏曲)」だけは「グリーンスリーブ
ス」からの引用があって親しみやすい作風が好評を博し、単独で演奏会のレパートリーとして演奏されるよ
うになったといわれています。
ジョフリー・ダグラス・マッジ(ピアノ)- 19
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