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2017-07-07 15:20:38
何かヘンだぞ!? 英米色抹殺キャンペーン『笹幸恵の軍事トリビア』#12どこかで誰かが「漢文廃止!」と暴論吐いていましたが…
この一件で思わず連想してしまったのが、大東亜戦争の最中に行われた、「敵性語撲滅」などのフレーズを掲げて、日常生活のあらゆるところから英語や英米文化を消し去ろうとした国民運動のこと。
今回は、それがどのような経緯で行われていったのか、当時の新聞・雑誌記事などを見ながら紹介する。
最初のものとして確認できるのは真珠湾攻撃から間もなく、朝日新聞に掲載された記事。民間から始まった運動で、メディアの自主規制が始まった。
英米色を抹殺せねばならない理由として唱えられた主張は、当初から相当にエキセントリックなものだったが、戦況が悪化していくと規制の対象も規模もどんどん拡大していく…ライオンとキリンの話は、栄養学的には間違ってない…けど…新聞に書いちゃった❗ 暗号解読したら非国民 戦前版似非保守 開国攘夷との整合性ゼロ オカルト… 洋服とか脱ぎ捨てたんだろうか 欧化もその反動も極端な感じが キリンは和食を食べていたのか 朝日新聞...
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2017-08-23 15:31:36
戦場で負傷した兵士の運命 映画「ハクソーリッジ」に見る衛生兵のお仕事『笹幸恵の軍事トリビア』#13沖縄戦の前田高地における激戦を舞台にしたメル・ギブソン監督の映画「ハクソー・リッジ」。主人公は、この戦場で武器も持たず、負傷兵の救護に当たった衛生兵、デズモンド・ドスという実在の人物である。
今回は、この映画で注目された「衛生兵」について。日本陸軍の場合は、どうやって衛生兵になったのか?
そして、戦場で負傷した兵士はどのような扱いを受けたのか? 戦場における病院・救護施設はどのような仕組みになっていたのか? といったことを解説します!看護婦さんがいるのは兵站病院から 手術しないほうが助かるケースが多かった 切断手術で死んだ人多い 救急車を呼んで救急隊員が来たときはホッとしました 戦わない兵は蔑まされた 船坂弘は衛生兵要らずでしたね。
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2017-05-13 15:44:51
帝国海軍こぼれ話~シーマンシップとヘソから下の話 『笹幸恵の軍事トリビア』#10今回はいつもとは趣向を変えて、ちょっとくだけたお話をお届け。大日本帝国海軍には、「スマートで目先が利いて几帳面負けじ魂これぞ船乗り」というモットーがあった。ユーモアを尊重するのも、「5分前の精神」も、このモットーに基づくシーマンシップである。そんなことから、海軍では少々下世話な話であっても、スマートに話そうとする文化が育ってきて、スマートにシモの話をするために、様々な隠語が生まれてきた。そんな、あまり語られることのない、ちょっと笑える海軍の一面をご紹介!質問コーナーもあります!
野球か くだらん ありがとうございました 大阪府知事はダウンタウンと酒飲んで笑い話にしようとしてやがったで wwww ああ、ネットで悪く言われてる人だな<牟田口 ゴー宣で出てきましたね ピカットせんべいさん おもろいw サックっていってたんだっけ w...
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2017-10-19 15:19:04
軍隊には鉄道マンがいた~鉄道連隊と泰緬鉄道 『笹幸恵の軍事トリビア』#15今回は、鉄道ファンにも見てほしい秘話!
日本軍には「鉄道連隊」という鉄道に特化した技術屋集団がいた。兵員・物資を輸送するための鉄道を敷設する部隊である。
未開の地にも鉄道を通すためには、歩兵、砲兵、工兵など、あらゆる兵科を超越したオールマイティーの技術が必要であり、時には戦闘に参加することもある、まさに万能の集団だった。
関東大震災の際は線路の復旧作業に力を発揮。今も訓練等の遺構が残されている場所もある。
そんな鉄道連隊が大東亜戦争中に行った最大の任務は「泰緬鉄道」の建設だった。今では「捕虜虐待」の象徴とされているが、その実態はどうだったのか?見たことあります 武士道と鉄拳制裁・・・ 優しいんだかなんだかw それは西郷的な姿勢から離れる気がする ↓おつかれさまですw ないですー グーグルマップで見てみました すごい・・・ あった! 上層部、良心的じゃないか 奴ら(笑) 戦陣訓のせいかな? ...
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2017-12-14 16:36:05
ちゃめの人 山本五十六~軍人紹介シリーズ(1)~ 『笹幸恵の軍事トリビア』#17軍人紹介シリーズ、その第1弾は連合艦隊司令長官・山本五十六。
真珠湾攻撃を成功させて英雄とされた山本五十六だが、本人は米国駐在日本大使館付武官を長く務め、国力の差も熟知しており、日米開戦には反対していた。
真珠湾攻撃の成功後も、反撃の大きさを予期して「勝って兜の緒を締めよ」と言い続けたが、戦勝ムードに酔いしれる人々は聞く耳を持たなかった。
そして皮肉なことに、航空戦力の重要性を見せつけた真珠湾攻撃の後、米軍はいちはやく航空戦強化に舵を切ったのに、当の日本軍には改革ができなかった。
悲劇の軍人、山本五十六の生涯にスポットを当てる!wwwwwwwwwww 如是蔵博物館にもいってほしい 後任の古賀さんも搭乗機が墜落して亡くなりました 機体の一部は記念館にあります ミッドウェーで終わってたけどな 真珠湾攻撃しなければだまし討ちとはいわれなかったのに でも実際は半年でしたね 長岡に五...
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2017-11-08 15:34:23
知られざる中部ソロモン戦線~陸海軍協同で戦ったムンダ攻防戦 『笹幸恵の軍事トリビア』#16今回は、久々の戦闘経過のお話。
大東亜戦争の海戦におけるターニング・ポイントはミッドウェーで、陸戦におけるターニング・ポイントはガダルカナルだった。
ここまでは有名だが、ガダルカナルから撤退した後、日本軍はどのような戦いをしたかということは、あまり知られておらず、注目もされていない。今回はあえてそこにスポットを当てる。
昭和18年2月にガダルカナルを撤退した日本軍は北西に300キロほど離れたニュージョージア島のムンダに移動した。
ここで佐々木登少将率いる陸軍と大田実少将率いる海軍陸戦隊は協同し、2か月余りにわたって頑強に陣地を守り、戦い続けたのである!玉砕しなかったのが偉い 佐々木登少将は米軍から高く評価された 制海権も制空権もないところで戦っても・・・ 笹さんはこんなに日本軍は頑張ったといいたいんだろうけど ガダルカナルの二の舞じゃん 補給が続かないのはガダルカナルで学ばなかったのか? 海軍の陸戦って
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