タグ曹洞宗を含む動画:34件 1ページ目を表示
2024年6月5日 06時22分に生成された05時00分のデータです
2016-05-17 11:12:13
【鎌倉仏教シリーズ】第63回・曹洞宗⑧良寛さん(大愚良寛)2-2良寛さんと言えば、子供たちと遊ぶのが大好きな優しい和尚さんというイメージですが、そのイメージは実像と実に近く、実際の大愚良寛も心から子供を愛し、たえず懐に手毬を持って子供たちと遊ぶ用意をしてたという記録があります。大愚良寛は、備中(岡山県)の円通寺で大忍国仙住職による厳しい曹洞禅の修行を12年間も受け、道元の「正法眼蔵」にも出会うことにより自らの、無地位、無財産、無弟子、無寺の生き方を見出し、故郷の新潟(県)の出雲崎に戻ってからその生き方に徹し、説教布教さえもせずに無為自然の中で人との出会い交わりに最大の価値を見出した余生を送ります。尚、大愚良寛は、詩歌、俳句、漢詩、書道においても優秀な作品を数多く残しています。
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2016-06-28 10:11:15
【鎌倉仏教シリーズ】第69回・曹洞宗⑬永平寺・總持寺巡り2-2曹洞宗は、鎌倉仏教各派の中でも今日まで唯一派閥分裂していない一宗一派を維持してる宗派ですが、しかし本山を二つ持っている(総本山・永平寺と大本山・總持寺)ユニークな宗派でもあります。これは、開祖・道元の只管打座と生活禅に徹した宗是を貫く総本山・永平寺と、曹洞宗を飛躍的に発展させた「第二の祖」と呼ばれる四代・瑩山の、民間信仰との習合吸収や、大衆への曹洞禅の普及の姿勢が明確に見られる總持寺との違いの中に見ることが出来ます。永平寺は創建以来福井にありますが、総持寺は明治の大火の為、横浜鶴見に移転され今日に至っていますが、旧院も復旧され、現在でも曹洞宗の重要な聖地になっています。
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2016-07-05 10:00:40
【鎌倉仏教シリーズ】第70回・曹洞宗⑭曹洞宗の葬儀・年中行事2-1この鎌倉仏教シリーズも最重点を置いてきたのが禅宗(臨済宗・曹洞宗)で、日本のありとあらゆる伝統文化と言われるもので禅宗の影響を受けてないものはほとんどない(禅宗9割・密教1割・念仏全体的ベースで神道ゼロ割という影響率)と言えるほど日本人という気質を形成した重要要素であると思われます。曹洞宗の葬儀は、「受戒」と「引導」に重点が置かれてますが、今回は各宗派(曹洞宗以外)との比較において、その浄土観(宇宙観)の違いに重点を置きながら説明していきたいと思います。
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2016-06-28 09:37:13
【鎌倉仏教シリーズ】第69回・曹洞宗⑬永平寺・總持寺巡り2-1曹洞宗は、鎌倉仏教各派の中でも今日まで唯一派閥分裂していない一宗一派を維持してる宗派ですが、しかし本山を二つ持っている(総本山・永平寺と大本山・總持寺)ユニークな宗派でもあります。これは、開祖・道元の只管打座と生活禅に徹した宗是を貫く総本山・永平寺と、曹洞宗を飛躍的に発展させた「第二の祖」と呼ばれる四代・瑩山の、民間信仰との習合吸収や、大衆への曹洞禅の普及の姿勢が明確に見られる總持寺との違いの中に見ることが出来ます。永平寺は創建以来福井にありますが、総持寺は明治の大火の為、横浜鶴見に移転され今日に至っていますが、旧院も復旧され、現在でも曹洞宗の重要な聖地になっています。
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2016-03-15 09:27:15
【鎌倉仏教シリーズ】第56回・曹洞宗①道元と曹洞宗2-1日本の禅宗は、中国の禅宗の流れを汲み、天台宗は中国北宗禅の流れを汲んで、禅(座禅)は天台宗の修行の一部とされてきましたが、中国で天台宗が衰退すると南宗禅が主流となり、その南宗禅の流れの中から生まれた臨済宗と曹洞宗を日本の禅師の栄西や道元が最初に日本に紹介することとなりました。道元が持ち続けた疑問「人には本来仏性があるならば何故人は修行しなければならないのか?」。この疑問への回答を道元は宋の天童如浄に求め、「心身(しんじん)脱落」の中にその回答を見出します。
道元好きです
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2016-05-17 10:27:18
【鎌倉仏教シリーズ】第63回・曹洞宗⑧良寛さん(大愚良寛)2- 1良寛さんと言えば、子供たちと遊ぶのが大好きな優しい和尚さんというイメージですが、そのイメージは実像と実に近く、実際の大愚良寛も心から子供を愛し、たえず懐に手毬を持って子供たちと遊ぶ用意をしてたという記録があります。大愚良寛は、備中(岡山県)の円通寺で大忍国仙住職による厳しい曹洞禅の修行を12年間も受け、道元の「正法眼蔵」にも出会うことにより自らの、無地位、無財産、無弟子、無寺の生き方を見出し、故郷の新潟(県)の出雲崎に戻ってからその生き方に徹し、説教布教さえもせずに無為自然の中で人との出会い交わりに最大の価値を見出した余生を送ります。尚、大愚良寛は、詩歌、俳句、漢詩、書道においても優秀な作品を数多く残しています。
しょうぼうって言ったら 修行はなにもないぞw 一夜住職 無の坐禅 二大大本山 一休さんみたいw 名主
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2016-06-15 10:01:13
【鎌倉仏教シリーズ】第67回・曹洞宗⑪禅と大脳生理学3-1曹洞宗の只管打座は、大正時代ぐらいから脳波との関連の研究が行われるようになり、今日までにかなりの多くの事実が解明されてきました。実は、座禅の最中に脳波は、リラックスしたときに出るα波とまどろみの中で発生するΘ波の間を行き来してることが分かり、それがコントロールされないとγ波というパニック状態や昏睡を引き起こしてしまう事態に至ってしまう危険性も分かってきました。よりよく制御された座禅は心の安寧をもたらし、集中力を発揮しやすくなりますが、深く陥りすぎると狂気や死に至る危険も同居するわけですが、この原理を生かした健康法や精神医学治療(森田療法など)も生まれてきました。
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2016-12-01 23:11:06
秋の福井の寺社巡り (にっぽん登山交通めぐり番外) 御誕生寺・永平寺2016年秋、山と川と観音霊場を巡るために、旅に出てみました。
11月12日・13日収録分の#39は武生の御誕生寺と福井の永平寺へ。どちらも曹洞宗ですが、雰囲気はかなり違います。そしてねこかわいい。
#1→sm29617142
#38(加賀国)→sm30083692
#40(武蔵・下総)→sm30177214
2016山旅行マイリス→mylist/56951432初詣にぴったりなとこ! おお! ご誕生寺キターーーーーーーーー いいなー!!!! 朝七時と午後3時半(時間は多少前後)で御飯タイムですな
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2016-05-24 11:22:20
【鎌倉仏教シリーズ】第64回・曹洞宗⑨澤木興道(昭和の原点回帰)2-2明治生まれ(1880年)の澤木興道は、生涯寺を持たず、財産も持たずに全国を行脚し、ひたすら道元の只管打坐(しかんたざ)、つまり、ひたすら座禅を組み、生活の中にも禅を活かしていく道を選び、学生(駒澤大学)たちにも座禅を教え、禅学の必須科目として座禅を加え、戦後東京オリンピック(1964年)の翌年(65年)まで生存し、明治・大正・昭和を生きた興道は生涯そのスタンスを変えず、道元禅への原点復帰を訴えてきました。
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2016-07-05 10:38:12
【鎌倉仏教シリーズ】第70回・曹洞宗⑭曹洞宗の葬儀・年中行事2-2この鎌倉仏教シリーズも最重点を置いてきたのが禅宗(臨済宗・曹洞宗)で、日本のありとあらゆる伝統文化と言われるもので禅宗の影響を受けてないものはほとんどない(禅宗9割・密教1割・念仏全体的ベースで神道ゼロ割という影響率)と言えるほど日本人という気質を形成した重要要素であると思われます。曹洞宗の葬儀は、「受戒」と「引導」に重点が置かれてますが、今回は各宗派(曹洞宗以外)との比較において、その浄土観(宇宙観)の違いに重点を置きながら説明していきたいと思います。
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2016-03-15 10:06:16
【鎌倉仏教シリーズ】第56回・曹洞宗①道元と曹洞宗2-2日本の禅宗は、中国の禅宗の流れを汲み、天台宗は中国北宗禅の流れを汲んで、禅(座禅)は天台宗の修行の一部とされてきましたが、中国で天台宗が衰退すると南宗禅が主流となり、その南宗禅の流れの中から生まれた臨済宗と曹洞宗を日本の禅師の栄西や道元が最初に日本に紹介することとなりました。道元が持ち続けた疑問「人には本来仏性があるならば何故人は修行しなければならないのか?」。この疑問への回答を道元は宋の天童如浄に求め、「心身(しんじん)脱落」の中にその回答を見出します。
摩訶迦葉 しかしPちゃんよく勉強してるね@manasu 仏性は本来に衆生に備わってるが、気づかないというのが禅の考え
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2016-04-19 10:49:13
【鎌倉仏教シリーズ】第60回・曹洞宗⑤鈴木正三(仁王禅と念仏)2-2曹洞宗の歴史の中で唯一得度の後も俗名で貫いた僧侶こそが鈴木正三(しょうさん)で、正三は、万民徳用と言って、すべての人が世の為に実用的に役に立つことをしなければ仏教の意味がないという立場を取り、曹洞禅に念仏を採り入れ、気迫と心を込めて念仏を唱えながら禅を組み、作業をする仁王禅を訴え、大衆の中にこれを広めた。開祖道元さえも「ただの暇人、仏教には無縁の者」と言い捨ててしまうほどの独自思想を持ったユニークな禅僧でした。
デタラメが多いな 語りたくなった?
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2016-03-29 09:56:13
【鎌倉仏教シリーズ】第57回・曹洞宗②懐奘と三代相論2-1鎌倉時代に比叡山から能忍という天台僧が、達磨大師の化身に聖徳太子が会ったという伝説に基づいて摂津(大坂)の三宝寺から始めた日本達磨宗の二代懐奘は、京都深草の道元を訪ね、法論(論破合戦)の末、道元の弟子となりますが、その達磨宗の懐奘の弟子たちが懐奘の永平寺二代住職継承に続き、永平寺3代住職の座を巡って争うことになります。義介と義演の二人ですが、この背景には道元の出家至上主義を維持するか、あるいは在家を認めるかの路線闘争がありました。
天童如浄でしたっけ? 生活保護の姉への扶養要請を拒否の舛添 仏教の起源は鎌倉では御座いません、異常な動画の投稿止めてください
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2016-04-19 10:12:11
【鎌倉仏教シリーズ】第60回・曹洞宗⑤鈴木正三(仁王禅と念仏)2-1曹洞宗の歴史の中で唯一得度の後も俗名で貫いた僧侶こそが鈴木正三(しょうさん)で、正三は、万民徳用と言って、すべての人が世の為に実用的に役に立つことをしなければ仏教の意味がないという立場を取り、曹洞禅に念仏を採り入れ、気迫と心を込めて念仏を唱えながら禅を組み、作業をする仁王禅を訴え、大衆の中にこれを広めた。開祖道元さえも「ただの暇人、仏教には無縁の者」と言い捨ててしまうほどの独自思想を持ったユニークな禅僧でした。
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2016-10-13 20:31:40
ぬこでらのネコさんのお食事風景福井県越前市にある「ぬこでら」こと御誕生寺へねこさんを見に行った時のネコさんのお食事風景です。
ご飯の時間は、7時~と15時半~の2回あるようですฅ(´・ω・`)ฅ
「ぬこでら」の公式ブログ:http://blogs.yahoo.co.jp/gotanjouji
場所:福井県越前市『御誕生寺』
日付:2016年9月10日(日)
●同じ日に撮影したネコさんの写真のスライドショー:sm29822634
■行ってみた☆マイリスト:mylist/39610031
■主コミュ:co3331369
■主ブロマガ:http://ch.nicovideo.jp/showjyo2525あれ?1get
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【鎌倉仏教シリーズ】第58回・曹洞宗③瑩山(密教民間信仰と習合)2-14代瑩山の時代になると、初代道元の時代の只管打坐一辺倒(生活禅も含む)から、密教(天台密教・真言密教)や民間信仰(白山妙理大権現など)も採り入れ、さらに出家第一主義から在家も認め、徹底した男女平等主義も採り入れることにより、民衆の間で爆発的な信者の拡大を達成し、こんにち日本最大の寺院数と檀家数を誇る日本曹洞宗教団の基礎を築きます。瑩山の建立した總持寺は曹洞宗の大本山となり、総本山の永平寺と並び、日本曹洞宗の二つの本山の一つに君臨します。
wikipediaの内容と同じだなwww
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2016-05-24 10:02:16
【鎌倉仏教シリーズ】第64回・曹洞宗⑨澤木興道(昭和の原点回帰)2-1明治生まれ(1880年)の澤木興道は、生涯寺を持たず、財産も持たずに全国を行脚し、ひたすら道元の只管打坐(しかんたざ)、つまり、ひたすら座禅を組み、生活の中にも禅を活かしていく道を選び、学生(駒澤大学)たちにも座禅を教え、禅学の必須科目として座禅を加え、戦後東京オリンピック(1964年)の翌年(65年)まで生存し、明治・大正・昭和を生きた興道は生涯そのスタンスを変えず、道元禅への原点復帰を訴えてきました。
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【鎌倉仏教シリーズ】第68回・曹洞宗⑫禅とニューエイジ4-1日本の禅思想は、明治の頃から臨済宗の鈴木大拙らのアメリカ進出で欧米の哲学者や思想家の間で大きな関心が向いていました。ヨーロッパでは、第一次大戦の勃発で西洋哲学の限界を感じた欧州の哲学者たちはポストモダンという脱西洋哲学を模索しましたが、その中心的存在であった構造主義は日本の禅の公案禅に、言葉によるごまかしを続けてきた西洋哲学の欺瞞を超える論理を見出そうとして日本の禅に対する接近を図ります。一方第二次大戦後の50年代のアメリカでは、物質文明の飽和感に嫌気が差した若者たちがビートニック、さらに60年代にはベトナム戦争に反対する若者たちがヒッピー運動を始め、彼らの文明否定の思想は、その逼塞感からの脱却を目指し日本の禅(只管打坐を中心とする禅)に向かいます。
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2016-03-29 10:45:02
【鎌倉仏教シリーズ】第57回・曹洞宗②懐奘と三代相論2-2鎌倉時代に比叡山から能忍という天台僧が、達磨大師の化身に聖徳太子が会ったという伝説に基づいて摂津(大坂)の三宝寺から始めた日本達磨宗の二代懐奘は、京都深草の道元を訪ね、法論(論破合戦)の末、道元の弟子となりますが、その達磨宗の懐奘の弟子たちが懐奘の永平寺二代住職継承に続き、永平寺3代住職の座を巡って争うことになります。義介と義演の二人ですが、この背景には道元の出家至上主義を維持するか、あるいは在家を認めるかの路線闘争がありました。
要は最新の流行てことか 生活保護の姉への扶養要請を拒否の舛添
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【鎌倉仏教シリーズ】第66回・曹洞宗⑩豊川稲荷(密教との習合)2-1曹洞宗は5代宗主・峨山の時代から廃寺となった密教系の寺や民間信仰の神社などを次々と曹洞宗の寺として吸収していきましたが、この豊川稲荷もその一つで、もともと真言宗のお寺だった歓喜寺(豊橋市)を曹洞宗法王派の東海義易が曹洞宗のお寺に改宗させ、さらに豊川に移転したことに由来します。豊川稲荷の正式名は、円福山 豊川閣 妙厳寺と言い、曹洞宗のお寺ではありますが、今日に至るまでその守護神(本尊は千手観音)である吒枳尼天が「お稲荷」さんとして有名になっており、日本三大稲荷の一つと呼ばれています。
あれですよねあれですよねあれですよね
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【鎌倉仏教シリーズ】第59回・曹洞宗④峨山韶磧(曹洞宗飛躍時代)2-1曹洞宗は、永平寺(総本山)開祖の道元と、総持寺(大本山)開祖の瑩山の二人を曹洞宗の「両祖」と呼びますが、峨山は4代瑩山の弟子で、曹洞宗5代(總持寺二世)となり、瑩山の、密教民間信仰吸収政策をさらに進め、白山天台、熊野、稲荷、天神、秋葉権現、道了尊(天狗信仰)などを次々と曹洞宗の傘下に収めて行きます。政治的にも南朝の加護を避け、優勢な北朝側を選ぶことにより足利尊氏からも加護を受け、その後の曹洞宗の発展に寄与すると言う、実に宗勢拡大の戦略家とも言える一面も持っていました。
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【鎌倉仏教シリーズ】第58回・曹洞宗③瑩山(密教民間信仰と習合)2-24代瑩山の時代になると、初代道元の時代の只管打坐一辺倒(生活禅も含む)から、密教(天台密教・真言密教)や民間信仰(白山妙理大権現など)も採り入れ、さらに出家第一主義から在家も認め、徹底した男女平等主義も採り入れることにより、民衆の間で爆発的な信者の拡大を達成し、こんにち日本最大の寺院数と檀家数を誇る日本曹洞宗教団の基礎を築きます。瑩山の建立した總持寺は曹洞宗の大本山となり、総本山の永平寺と並び、日本曹洞宗の二つの本山の一つに君臨します。
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【鎌倉仏教シリーズ】第68回・曹洞宗⑫禅とニューエイジ4-2日本の禅思想は、明治の頃から臨済宗の鈴木大拙らのアメリカ進出で欧米の哲学者や思想家の間で大きな関心が向いていました。ヨーロッパでは、第一次大戦の勃発で西洋哲学の限界を感じた欧州の哲学者たちはポストモダンという脱西洋哲学を模索しましたが、その中心的存在であった構造主義は日本の禅の公案禅に、言葉によるごまかしを続けてきた西洋哲学の欺瞞を超える論理を見出そうとして日本の禅に対する接近を図ります。一方第二次大戦後の50年代のアメリカでは、物質文明の飽和感に嫌気が差した若者たちがビートニック、さらに60年代にはベトナム戦争に反対する若者たちがヒッピー運動を始め、彼らの文明否定の思想は、その逼塞感からの脱却を目指し日本の禅(只管打坐を中心とする禅)に向かいます。
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【鎌倉仏教シリーズ】第62回・曹洞宗⑦面山瑞方の古規復帰運動2-2日本曹洞宗の両祖・道元、瑩山の時代から離れると、その勢力拡大が広がるにつれて曹洞宗の宗是や規則が寺々でバラバラになり、住職継承のしきたりも総本山永平寺や大本山總持寺の認可(嗣法)を無視するようになり、曹洞宗としてのアイデンティティーが崩壊しようとしていました。そこで江戸時代中期になると、卍山道白や面山瑞方による古規復帰運動が起こり、曹洞宗は再び統一され、これが今日まで続く「曹洞宗は無派閥、ひとつ」という「一派一流」を形成することになります。
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【鎌倉仏教シリーズ】第68回・曹洞宗⑫禅とニューエイジ4-4日本の禅思想は、明治の頃から臨済宗の鈴木大拙らのアメリカ進出で欧米の哲学者や思想家の間で大きな関心が向いていました。ヨーロッパでは、第一次大戦の勃発で西洋哲学の限界を感じた欧州の哲学者たちはポストモダンという脱西洋哲学を模索しましたが、その中心的存在であった構造主義は日本の禅の公案禅に、言葉によるごまかしを続けてきた西洋哲学の欺瞞を超える論理を見出そうとして日本の禅に対する接近を図ります。一方第二次大戦後の50年代のアメリカでは、物質文明の飽和感に嫌気が差した若者たちがビートニック、さらに60年代にはベトナム戦争に反対する若者たちがヒッピー運動を始め、彼らの文明否定の思想は、その逼塞感からの脱却を目指し日本の禅(只管打坐を中心とする禅)に向かいます。
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【鎌倉仏教シリーズ】第66回・曹洞宗⑩豊川稲荷(密教との習合)2-2曹洞宗は5代宗主・峨山の時代から廃寺となった密教系の寺や民間信仰の神社などを次々と曹洞宗の寺として吸収していきましたが、この豊川稲荷もその一つで、もともと真言宗のお寺だった歓喜寺(豊橋市)を曹洞宗法王派の東海義易が曹洞宗のお寺に改宗させ、さらに豊川に移転したことに由来します。豊川稲荷の正式名は、円福山 豊川閣 妙厳寺と言い、曹洞宗のお寺ではありますが、今日に至るまでその守護神(本尊は千手観音)である吒枳尼天が「お稲荷」さんとして有名になっており、日本三大稲荷の一つと呼ばれています。
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【鎌倉仏教シリーズ】第59回・曹洞宗④峨山韶磧(曹洞宗飛躍時代)2-2曹洞宗は、永平寺(総本山)開祖の道元と、総持寺(大本山)開祖の瑩山の二人を曹洞宗の「両祖」と呼びますが、峨山は4代瑩山の弟子で、曹洞宗5代(總持寺二世)となり、瑩山の、密教民間信仰吸収政策をさらに進め、白山天台、熊野、稲荷、天神、秋葉権現、道了尊(天狗信仰)などを次々と曹洞宗の傘下に収めて行きます。政治的にも南朝の加護を避け、優勢な北朝側を選ぶことにより足利尊氏からも加護を受け、その後の曹洞宗の発展に寄与すると言う、実に宗勢拡大の戦略家とも言える一面も持っていました。
その辺の主さんの考えを次回言及していただくとうれしい 俺は道元禅は寂円で途切れたと考えてますが(峨山や瑩山にはそれぞれの禅があり否定はしませんが)
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【鎌倉仏教シリーズ】第67回・曹洞宗⑪禅と大脳生理学3-3曹洞宗の只管打座は、大正時代ぐらいから脳波との関連の研究が行われるようになり、今日までにかなりの多くの事実が解明されてきました。実は、座禅の最中に脳波は、リラックスしたときに出るα波とまどろみの中で発生するΘ波の間を行き来してることが分かり、それがコントロールされないとγ波というパニック状態や昏睡を引き起こしてしまう事態に至ってしまう危険性も分かってきました。よりよく制御された座禅は心の安寧をもたらし、集中力を発揮しやすくなりますが、深く陥りすぎると狂気や死に至る危険も同居するわけですが、この原理を生かした健康法や精神医学治療(森田療法など)も生まれてきました。
デルタじゃなくて?
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【鎌倉仏教シリーズ】第67回・曹洞宗⑪禅と大脳生理学3-2曹洞宗の只管打座は、大正時代ぐらいから脳波との関連の研究が行われるようになり、今日までにかなりの多くの事実が解明されてきました。実は、座禅の最中に脳波は、リラックスしたときに出るα波とまどろみの中で発生するΘ波の間を行き来してることが分かり、それがコントロールされないとγ波というパニック状態や昏睡を引き起こしてしまう事態に至ってしまう危険性も分かってきました。よりよく制御された座禅は心の安寧をもたらし、集中力を発揮しやすくなりますが、深く陥りすぎると狂気や死に至る危険も同居するわけですが、この原理を生かした健康法や精神医学治療(森田療法など)も生まれてきました。
まったくのデタラメを述べている ガンマ波は怒ったり喧嘩したりするときに発せられる
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【鎌倉仏教シリーズ】第61回・曹洞宗⑥卍山道白と宗統復活運動2-1道元(開祖)、懐弉(二代)と続いた只管打坐、生活禅を軸とする曹洞宗の教えの法統は、4代瑩山以降、密教や民間信仰、あるいは念仏を採り入れたりと、教義の多様化と混乱を招くようになり、それが、嗣法(しほう)という、師から弟子へ教えを伝授された証明書伝授の在り方も寺々で異なり、さらに住職(お寺のトップ)が他の寺へ移動した際にさらにその嗣法が混乱し、曹洞宗が宗派として瓦解する危機に陥ってた江戸初期から中期(赤穂浪士事件の頃)に、この曹洞宗の宗統復古の為の改革に乗り出したのがこの卍山(まんざん)道白です。改革は寺社奉行への直訴という命がけの試みが必要でした。
まじめにやれ
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【鎌倉仏教シリーズ】第62回・曹洞宗⑦面山瑞方の古規復帰運動2-1日本曹洞宗の両祖・道元、瑩山の時代から離れると、その勢力拡大が広がるにつれて曹洞宗の宗是や規則が寺々でバラバラになり、住職継承のしきたりも総本山永平寺や大本山總持寺の認可(嗣法)を無視するようになり、曹洞宗としてのアイデンティティーが崩壊しようとしていました。そこで江戸時代中期になると、卍山道白や面山瑞方による古規復帰運動が起こり、曹洞宗は再び統一され、これが今日まで続く「曹洞宗は無派閥、ひとつ」という「一派一流」を形成することになります。
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【鎌倉仏教シリーズ】第61回・曹洞宗⑥卍山道白と宗統復活運動2-2道元(開祖)、懐弉(二代)と続いた只管打坐、生活禅を軸とする曹洞宗の教えの法統は、4代瑩山以降、密教や民間信仰、あるいは念仏を採り入れたりと、教義の多様化と混乱を招くようになり、それが、嗣法(しほう)という、師から弟子へ教えを伝授された証明書伝授の在り方も寺々で異なり、さらに住職(お寺のトップ)が他の寺へ移動した際にさらにその嗣法が混乱し、曹洞宗が宗派として瓦解する危機に陥ってた江戸初期から中期(赤穂浪士事件の頃)に、この曹洞宗の宗統復古の為の改革に乗り出したのがこの卍山(まんざん)道白です。改革は寺社奉行への直訴という命がけの試みが必要でした。
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2016-06-22 13:54:18
【鎌倉仏教シリーズ】第68回・曹洞宗⑫禅とニューエイジ4-3日本の禅思想は、明治の頃から臨済宗の鈴木大拙らのアメリカ進出で欧米の哲学者や思想家の間で大きな関心が向いていました。ヨーロッパでは、第一次大戦の勃発で西洋哲学の限界を感じた欧州の哲学者たちはポストモダンという脱西洋哲学を模索しましたが、その中心的存在であった構造主義は日本の禅の公案禅に、言葉によるごまかしを続けてきた西洋哲学の欺瞞を超える論理を見出そうとして日本の禅に対する接近を図ります。一方第二次大戦後の50年代のアメリカでは、物質文明の飽和感に嫌気が差した若者たちがビートニック、さらに60年代にはベトナム戦争に反対する若者たちがヒッピー運動を始め、彼らの文明否定の思想は、その逼塞感からの脱却を目指し日本の禅(只管打坐を中心とする禅)に向かいます。
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2016-09-30 08:40:29
ここだけは行っとけ 泉福寺
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