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2016-09-27 11:08:12
【鎌倉仏教シリーズ】第80回・日蓮宗⑩日蓮宗の加持祈祷2-2日蓮宗と言えば、ひたすら南無妙法蓮華経と法華経の題目(タイトル)を読誦(唱える)し続けるだけ、と思われがちですが、日蓮宗主流派の流れの身延門流と中山門流は、法華経に出てくる天部(守護神)と言われる神々をその信仰に採り入れ、密教から加持祈祷の儀式を採り入れ、さらには「鍋かぶり日親」から続く荒修行の流れも汲み、独特の信仰形態を形作って行きます。身延門流は明治時代の神仏判然令により廃絶させられますが、沈黙を守った中山門流(大本山・中山法華経寺<千葉市川市>)は今日まで続いています。
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2016-10-18 09:43:17
【鎌倉仏教シリーズ】第81回・日蓮宗⑪日蓮宗の葬儀と年中行事2-1今日、仏教というと葬式というイメージが強いですが、本来の仏教は葬儀の観念は無く、葬儀は無縁のものであったはずであるにかかわらず、今日の大乗仏教は、ほとんどが葬儀との関連の中で語られている現実であると思います。これは、仏教伝来が中国大陸を経た時に、儒教や道教の影響を強く受け、霊魂不滅説や死後の冥府(黄泉)の観念、そして祖霊信仰の思想および祭祀(お墓、位牌、盂蘭盆<お盆>など)が定着したことによります。日蓮宗は、葬儀で上げるお経はすべて法華経の中からで、あと題目唱誦(南無妙法蓮華経)を繰り返すことを特徴としています。
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2016-07-26 09:54:22
【鎌倉仏教シリーズ】第72回・日蓮宗②日蓮宗の根本教義2-1日蓮が始めた日蓮宗は、法華経の三大思想(一乗真実・久遠実成・菩薩行道)と、法華経の三大秘教(本門本尊・本門題目・本門戒壇)と五綱教判(教・機・時・国・序)から成っています。努力をして悟りを開けば誰でも仏になれる(成仏)というのは大乗仏教各派の共通した考え方ではありましたが、その「努力」の仕方において、日蓮宗は、妙法蓮華経(法華経)というお経のタイトル(題目)を唱えてえお願いする(南無妙法蓮華経)こと以外の努力(密教の荒修行とか浄土教系の念仏<波阿弥陀仏)を唱えるとか、禅宗で座禅を組んだり、禅問答<公案禅>をしたりとか)は一切してはいけない、もししてしまったら天罰が下るとまで言い切って、他宗への宣戦布告をしました。
←それ以外の経典では菩薩と仏の境界が明確ではない為、菩薩を目指す事となる。法華経の特徴の一つ 法華経は菩薩と仏の境界が明確になっているので、一乗に帰結する事が出来る。 声聞と縁覚は個人の成仏を願うので仏になれないとされている。なので法華経の二乗作佛が...
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2016-01-19 11:31:56
【鎌倉仏教シリーズ】第49回・臨済宗⑫茶道と臨済宗2-2日本人の伝統文化で現在にも伝わり、世界中で認知されているものと言えば、茶の湯(茶道)、生花(華道)、和食(懐石料理・煎茶料理・会席料理)、和菓子などですが、そのすべてが禅宗(臨済宗・黄檗宗)から生まれてることは銘記すべきだと思います。(「神道」の影響はゼロです)能、狂言、日本庭園(石庭、造園)、水墨画、枯山水、漢詩文、俳句など日本を代表する文化もすべて禅宗(臨済宗)から誕生し、盆踊り(時宗)、歌舞伎(浄土真宗)、漫談・漫才(時宗)、地方信仰(密教系修験道)から生まれたことを考えると日本の精神文化の100パーセントは仏教からということになります
神饌って知ってるんか?
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2016-06-28 09:37:13
【鎌倉仏教シリーズ】第69回・曹洞宗⑬永平寺・總持寺巡り2-1曹洞宗は、鎌倉仏教各派の中でも今日まで唯一派閥分裂していない一宗一派を維持してる宗派ですが、しかし本山を二つ持っている(総本山・永平寺と大本山・總持寺)ユニークな宗派でもあります。これは、開祖・道元の只管打座と生活禅に徹した宗是を貫く総本山・永平寺と、曹洞宗を飛躍的に発展させた「第二の祖」と呼ばれる四代・瑩山の、民間信仰との習合吸収や、大衆への曹洞禅の普及の姿勢が明確に見られる總持寺との違いの中に見ることが出来ます。永平寺は創建以来福井にありますが、総持寺は明治の大火の為、横浜鶴見に移転され今日に至っていますが、旧院も復旧され、現在でも曹洞宗の重要な聖地になっています。
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2016-03-15 09:27:15
【鎌倉仏教シリーズ】第56回・曹洞宗①道元と曹洞宗2-1日本の禅宗は、中国の禅宗の流れを汲み、天台宗は中国北宗禅の流れを汲んで、禅(座禅)は天台宗の修行の一部とされてきましたが、中国で天台宗が衰退すると南宗禅が主流となり、その南宗禅の流れの中から生まれた臨済宗と曹洞宗を日本の禅師の栄西や道元が最初に日本に紹介することとなりました。道元が持ち続けた疑問「人には本来仏性があるならば何故人は修行しなければならないのか?」。この疑問への回答を道元は宋の天童如浄に求め、「心身(しんじん)脱落」の中にその回答を見出します。
道元好きです
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2016-06-11 23:29:12
中国仏教シリーズ0-11-1 東晋 法顕 西域へ律を求めて多くの経典の渡来とともに、律蔵に対する重要さが着目されてゆく
観たみた
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2016-05-17 10:27:18
【鎌倉仏教シリーズ】第63回・曹洞宗⑧良寛さん(大愚良寛)2- 1良寛さんと言えば、子供たちと遊ぶのが大好きな優しい和尚さんというイメージですが、そのイメージは実像と実に近く、実際の大愚良寛も心から子供を愛し、たえず懐に手毬を持って子供たちと遊ぶ用意をしてたという記録があります。大愚良寛は、備中(岡山県)の円通寺で大忍国仙住職による厳しい曹洞禅の修行を12年間も受け、道元の「正法眼蔵」にも出会うことにより自らの、無地位、無財産、無弟子、無寺の生き方を見出し、故郷の新潟(県)の出雲崎に戻ってからその生き方に徹し、説教布教さえもせずに無為自然の中で人との出会い交わりに最大の価値を見出した余生を送ります。尚、大愚良寛は、詩歌、俳句、漢詩、書道においても優秀な作品を数多く残しています。
しょうぼうって言ったら 修行はなにもないぞw 一夜住職 無の坐禅 二大大本山 一休さんみたいw 名主
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2016-02-17 10:23:10
【鎌倉仏教シリーズ】第52回・臨済宗⑮鈴木大拙と即非の論理2-1鈴木大拙は明治以降戦後の昭和に至るまで世界中に禅の思想を広めた功績を持つ人で、本人は円覚寺に参禅し、東京帝大(東大)を卒業後、米イリノイ州の通信社に11年務め、その後、学習院大学や真宗大谷大学で教授として教鞭を取る一方、欧米の大学で講演をしたり講義をしたり、また、多くの著作を残し(半数以上は英語による)、「即非の論理」と言う般若経の弁証法を発表し、欧州の弁証法と対比しながら禅に基づく日本の思考様式を世界に伝えました。
マイクがおかしい ちょいまち
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2016-06-02 01:20:51
中国仏教シリーズ0-10-1 五胡十六国 鳩摩羅什 本格的な経典と教義の広まり格義を持って、仏典を語る時代は天才鳩摩羅什三蔵の時代により終焉を迎える。大混乱の中華において、泥の中に蓮の花が咲く
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2016-08-14 22:27:14
修験道・山岳信仰の拠点となった霊山・霊峰の牛王宝印(牛玉宝印)今までに投稿した牛王宝印ものの纏め的な感じで。
重複分も多いですが、そこはご勘弁の程を。
自分が投稿した作品→mylist/13741552牛王宝印ブームが来て復刻されない…かな… 乙かれ様 書写山こんなのだったんだ 花押のよう 実体化して襲ってきそうw こういった宝印フォントがほしいw 古文書みたいなウェザリング感 摩尼宝珠のデザイン多いっすね〜 地元だぁ うぽつ
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2016-06-15 10:01:13
【鎌倉仏教シリーズ】第67回・曹洞宗⑪禅と大脳生理学3-1曹洞宗の只管打座は、大正時代ぐらいから脳波との関連の研究が行われるようになり、今日までにかなりの多くの事実が解明されてきました。実は、座禅の最中に脳波は、リラックスしたときに出るα波とまどろみの中で発生するΘ波の間を行き来してることが分かり、それがコントロールされないとγ波というパニック状態や昏睡を引き起こしてしまう事態に至ってしまう危険性も分かってきました。よりよく制御された座禅は心の安寧をもたらし、集中力を発揮しやすくなりますが、深く陥りすぎると狂気や死に至る危険も同居するわけですが、この原理を生かした健康法や精神医学治療(森田療法など)も生まれてきました。
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2016-08-03 11:36:53
【鎌倉仏教シリーズ】第73回・日蓮宗③日朗(日蓮宗正統派の祖)2-2日蓮の死後は、六老僧と呼ばれる名僧たちに法統を引継がれるが、教義を巡って穏健派の日朗と過激派の日興に分裂し、残りの後継者も身延(日蓮最期の拠点)に残る者(日朗派)と富士山麓の大石寺に新派閥(日興派)に分かれ、日蓮宗はこの大きな流れの中で様々な流派が生まれて行くことになります。日朗は実に温厚な性格で、日蓮の伊豆法難の時も瀧口法難の時も運命を共にし、ひたすら日蓮上人を師として仰ぎ慕え続けた師孝の人であった。日朗の系譜は、今日の日蓮宗の正統派に繋がる系統をなすことになります。
おまえ異様に日蓮宗だけ詳しいんやな はいはーい創価乙
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2016-10-25 09:26:38
【鎌倉仏教シリーズ】第82回・日蓮主義①八紘一宇思想2- 1第一次大戦後の世界不況の波は日本にも押し寄せ、社会不安が急速に高まった大正の終わりから昭和にかけて勃興してきたのがこの日蓮主義集団です。日蓮宗は幕末から都市部(京都・江戸など)で国難に立ち向かったかつての日蓮の姿勢と重ね合わせたイメージから急速に熱狂的な信者が増えてましたが、大正後期になると日々悪化する国際状況・国内状況の中で再び日蓮主義という形で復活します。時代の狂気が生み出した「八紘一宇」(法華経国家日本を中心にした世界征服)を掲げる日蓮主義者たちは515事件、血盟団事件、226事件と、当時の日本を破滅への道へ導いていきます。
八こう一宇 八興一宇 日蓮主義
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2016-07-26 10:31:29
【鎌倉仏教シリーズ】第72回・日蓮宗②日蓮宗の根本教義2-2日蓮が始めた日蓮宗は、法華経の三大思想(一乗真実・久遠実成・菩薩行道)と、法華経の三大秘教(本門本尊・本門題目・本門戒壇)と五綱教判(教・機・時・国・序)から成っています。努力をして悟りを開けば誰でも仏になれる(成仏)というのは大乗仏教各派の共通した考え方ではありましたが、その「努力」の仕方において、日蓮宗は、妙法蓮華経(法華経)というお経のタイトル(題目)を唱えてえお願いする(南無妙法蓮華経)こと以外の努力(密教の荒修行とか浄土教系の念仏<波阿弥陀仏)を唱えるとか、禅宗で座禅を組んだり、禅問答<公案禅>をしたりとか)は一切してはいけない、もししてしまったら天罰が下るとまで言い切って、他宗への宣戦布告をしました。
創価乙 日蓮宗はあくまで法華経(題目)を広めるのが目的であって、征服とか支配する目的は無い。 法華経の後に涅槃経がある。最後ではない 普通戒壇には「国立」をはつけない。理由は東京大学に「国立」とつけないのと一緒。私立の戒壇は日本に存在しない 立正安国...
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2016-07-23 00:14:45
中国仏教シリーズ0-17-1 隋 煬帝と天台智顗270年ぶりの中華統一 煬帝とその家庭教師 天台智顗について
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【鎌倉仏教シリーズ】第83回・日蓮主義②田中智學と国柱会2- 1【鎌倉仏教シリーズ】第83回・日蓮主義②田中智學と国柱会2- 本来日蓮宗は、日本の天皇と言えども所詮釈迦牟尼仏の守護神の一つにすぎないと解釈してましたが、明治13年(1880)に田中智學が、釈迦牟尼仏と日蓮上人とアマテラスは同一である(王法冥合論)を展開し、蓮華会を設立して以降、日蓮主義は燎原の火のごとく広がり、大正13年(1943)に国柱会へと発展すると、日蓮主義は軍人、知識人、文化人の間に大きな影響力を持つようになり、後の多くの右翼テロリズムのイデオローグとなっていきます。
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2016-05-04 01:02:27
中国仏教シリーズ0-4 後漢 中華 仏教公伝 迦葉摩騰と竺法蘭後漢の永平10年(67年)に伝説では仏教が中国に渡ってきた伝説と当時の仏教信仰について
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2016-08-10 10:40:25
【鎌倉仏教シリーズ】第74回・日蓮宗④日興(創価学会への系譜)2-2日蓮の六人の名弟子(六老僧)のうち、日興は、温厚な性格の日朗と対立し、日蓮の入滅後(死後)、他の5人の名弟子たちと対立し(五一相対)、日蓮宗の中心拠点の身延を去り、富士山麓に大石寺を創建し、日蓮宗富士門流を築きますが、この流れが後の日蓮正宗や、そこから派生した今日の創価学会へ繋がる流れとなります。その日興の思想とは、日蓮上人を釈迦の生まれ変わりとみなし、日蓮を本尊とし、題目読誦に徹して世界を仏国土とする急進思想であり、これは後に八紘一宇や国立戒壇設立を主張する昭和の日蓮主義へと繋がって行きます。
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2016-06-01 23:07:35
『ラサへの歩き方~祈りの2400km』予告編チベットの村からチベット仏教の聖地である
ラサとカイラス山を目指し、
五体投地という礼拝法を行いながら
1年かけて旅をする様子を描いたロードムービー。
合掌、両手・両膝・額を地面に付け、
うつぶせになった後に立ち上がるという動作で
ひたすら進み続ける11人の姿を映す。
メガホンを取るのは、
『こころの湯』『胡同(フートン)のひまわり』などのチャン・ヤン。
一般の村人が自身の役を演じる。
チベットの人たちの信仰心や、シンプルな生き方が胸を打つ。
2016年7月公開
https://www.facebook.com/lhasa2016妊婦ってどういうこと ズルしちゃいかんって言ってたけど、ズサーってスライドするのはいいのか 仏教 パッと見、遊びっぽい
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2016-06-02 01:29:13
中国仏教シリーズ0-10-2 五胡十六国 鳩摩羅什本格的な経典と教義の広まり格義を持って、仏典を語る時代は天才鳩摩羅什三蔵の時代により終焉を迎える。大混乱の中華において、泥の中に蓮の花が咲く
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2016-05-24 11:22:20
【鎌倉仏教シリーズ】第64回・曹洞宗⑨澤木興道(昭和の原点回帰)2-2明治生まれ(1880年)の澤木興道は、生涯寺を持たず、財産も持たずに全国を行脚し、ひたすら道元の只管打坐(しかんたざ)、つまり、ひたすら座禅を組み、生活の中にも禅を活かしていく道を選び、学生(駒澤大学)たちにも座禅を教え、禅学の必須科目として座禅を加え、戦後東京オリンピック(1964年)の翌年(65年)まで生存し、明治・大正・昭和を生きた興道は生涯そのスタンスを変えず、道元禅への原点復帰を訴えてきました。
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2016-07-05 10:38:12
【鎌倉仏教シリーズ】第70回・曹洞宗⑭曹洞宗の葬儀・年中行事2-2この鎌倉仏教シリーズも最重点を置いてきたのが禅宗(臨済宗・曹洞宗)で、日本のありとあらゆる伝統文化と言われるもので禅宗の影響を受けてないものはほとんどない(禅宗9割・密教1割・念仏全体的ベースで神道ゼロ割という影響率)と言えるほど日本人という気質を形成した重要要素であると思われます。曹洞宗の葬儀は、「受戒」と「引導」に重点が置かれてますが、今回は各宗派(曹洞宗以外)との比較において、その浄土観(宇宙観)の違いに重点を置きながら説明していきたいと思います。
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【鎌倉仏教シリーズ】第85回・日蓮主義④石原莞爾と国柱会2- (2)釈迦尊と日蓮上人と天皇を一体視し、釈迦・日蓮の権化(生まれ変わり)としての天皇が中心となって世界を法華経で統一(世界征服)することを目指す日蓮主義は、大正時代頃から台頭しだした田中智學の国柱会を中心に知識人や軍人、経済人の間に広く浸透していきます。石原莞爾は、仙台陸軍幼年学校時代より法華経に興味を持ち、東京で陸軍大学卒業後には陸軍武官として国柱会に入会し、本格的に日蓮主義に没頭していきます。やがて彼は、日蓮主義の八紘一宇思想を実現すべく、満州事変の企画実行、そして世界最終戦争論を展開していきます。
共産国も侵略してるじゃん 左翼だから戦争反対w
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【鎌倉仏教シリーズ】第56回・曹洞宗①道元と曹洞宗2-2日本の禅宗は、中国の禅宗の流れを汲み、天台宗は中国北宗禅の流れを汲んで、禅(座禅)は天台宗の修行の一部とされてきましたが、中国で天台宗が衰退すると南宗禅が主流となり、その南宗禅の流れの中から生まれた臨済宗と曹洞宗を日本の禅師の栄西や道元が最初に日本に紹介することとなりました。道元が持ち続けた疑問「人には本来仏性があるならば何故人は修行しなければならないのか?」。この疑問への回答を道元は宋の天童如浄に求め、「心身(しんじん)脱落」の中にその回答を見出します。
摩訶迦葉 しかしPちゃんよく勉強してるね@manasu 仏性は本来に衆生に備わってるが、気づかないというのが禅の考え
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2016-11-08 09:41:47
【鎌倉仏教シリーズ】第84回・日蓮主義③宮沢賢治と国柱会2-1宮沢賢治と言えば、「銀河鉄道の夜」とか「風の又三郎」、そして「雨ニモマケズ」手帳などで彼の事を知らない日本人はほとんどいないと言ってもよいぐらい有名な童話作家です。しかし、その宮沢賢治が、あの511事件、血盟団事件、226事件などに関連した恐ろしい日蓮主義の熱烈な信者であったことを知る人は少ないと思います。一体彼の作品や、イーハトーブの理想郷を目指した羅須地人協会がその日蓮主義と関連があるのか? その辺りを中心に宮沢賢治の生涯およびその作品を見ていきたいと思います。
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2016-07-01 23:29:48
中国仏教シリーズ0-14-1 梁 武帝の後半生と真諦 菩提達磨梁の武帝の後半生、四大訳経僧の一人真諦と禅の開祖 菩提達磨
自費なのか? 武帝そこは軟禁くらいしろやと
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2016-09-27 10:25:08
【鎌倉仏教シリーズ】第80回・日蓮宗⑩日蓮宗の加持祈祷2-1日蓮宗と言えば、ひたすら南無妙法蓮華経と法華経の題目(タイトル)を読誦(唱える)し続けるだけ、と思われがちですが、日蓮宗主流派の流れの身延門流と中山門流は、法華経に出てくる天部(守護神)と言われる神々をその信仰に採り入れ、密教から加持祈祷の儀式を採り入れ、さらには「鍋かぶり日親」から続く荒修行の流れも汲み、独特の信仰形態を形作って行きます。身延門流は明治時代の神仏判然令により廃絶させられますが、沈黙を守った中山門流(大本山・中山法華経寺<千葉市川市>)は今日まで続いています。
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2016-05-26 00:44:17
中国仏教シリーズ0-8-1 西晋~東晋 広がる格義仏教 東晋と五胡十六国後漢末より、道教の神々の仲間として奉られた仏の教えが、道教や儒教の用語を持って解釈されてゆく
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中国仏教シリーズ0-13-2 北魏 三武一宗の法難と梁の武帝中国南北朝時代において、北朝の廃仏と南朝の崇仏皇帝である武帝について前半生
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【鎌倉仏教シリーズ】第75回・日蓮宗⑤日持の海外布教2-1日蓮の弟子ベスト6(六老僧)の一人である日持は、46歳にして、東北・南北海道での布教の後、海外への布教を志し、秋田沖より船出し、現ロシアの沿海州に上陸後、旧満州(現・中国東北部)から内蒙古に進み、さらには南下してインドを目指しましたが、その志を達成することはなく内蒙古のどこかで死去されたとされてます。(諸説あり)この日持の満州・内蒙布教は、昭和の時代に、陸軍に深く浸透した日蓮主義右翼の人たちにより北進論の根拠とされていきます。
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中国仏教シリーズ0-16-1 陳 南岳大師 慧思と道綽 末法思想の始まり北斉武帝の廃仏から、仏教は立ち直って行く、天台宗 浄土宗の思想が徐々に形成されてゆく
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2016-04-19 10:49:13
【鎌倉仏教シリーズ】第60回・曹洞宗⑤鈴木正三(仁王禅と念仏)2-2曹洞宗の歴史の中で唯一得度の後も俗名で貫いた僧侶こそが鈴木正三(しょうさん)で、正三は、万民徳用と言って、すべての人が世の為に実用的に役に立つことをしなければ仏教の意味がないという立場を取り、曹洞禅に念仏を採り入れ、気迫と心を込めて念仏を唱えながら禅を組み、作業をする仁王禅を訴え、大衆の中にこれを広めた。開祖道元さえも「ただの暇人、仏教には無縁の者」と言い捨ててしまうほどの独自思想を持ったユニークな禅僧でした。
デタラメが多いな 語りたくなった?
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【鎌倉仏教シリーズ】第79回・日蓮宗⑨法華神道(蓮密)2-2日蓮宗と言うと、ただただ南無阿弥陀仏と題目を唱えてるだけの印象がありますが、主流派の身延流や中山流では法華経の中に出てくる仏教の守護神たちを祀り、また、そうした神々は日本の神々と習合し、実質日本の神を諸天(仏教守護神)の支配下に置くという形で祀って行きます。例えば伊勢神宮の外宮で祀られ信仰されていた妙見菩薩は日蓮の手により道教と習合して「北斗妙見菩薩」として日蓮宗の守護神となります。日像が比叡山より持ち込んだ三十番神(日本の神社の神々を法華経の守護神とする)などとともに法華神道(蓮密)を形作って行きます。
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【鎌倉仏教シリーズ】第79回・日蓮宗⑨法華神道(蓮密)2-1日蓮宗と言うと、ただただ南無阿弥陀仏と題目を唱えてるだけの印象がありますが、主流派の身延流や中山流では法華経の中に出てくる仏教の守護神たちを祀り、また、そうした神々は日本の神々と習合し、実質日本の神を諸天(仏教守護神)の支配下に置くという形で祀って行きます。例えば伊勢神宮の外宮で祀られ信仰されていた妙見菩薩は日蓮の手により道教と習合して「北斗妙見菩薩」として日蓮宗の守護神となります。日像が比叡山より持ち込んだ三十番神(日本の神社の神々を法華経の守護神とする)などとともに法華神道(蓮密)を形作って行きます。
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【鎌倉仏教シリーズ】第82回・日蓮主義①八紘一宇思想2-2第一次大戦後の世界不況の波は日本にも押し寄せ、社会不安が急速に高まった大正の終わりから昭和にかけて勃興してきたのがこの日蓮主義集団です。日蓮宗は幕末から都市部(京都・江戸など)で国難に立ち向かったかつての日蓮の姿勢と重ね合わせたイメージから急速に熱狂的な信者が増えてましたが、大正後期になると日々悪化する国際状況・国内状況の中で再び日蓮主義という形で復活します。時代の狂気が生み出した「八紘一宇」(法華経国家日本を中心にした世界征服)を掲げる日蓮主義者たちは515事件、血盟団事件、226事件と、当時の日本を破滅への道へ導いていきます。
ここにつながるのが面白い
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2016-05-30 13:26:11
中国仏教シリーズ0-9-1 東晋 釈道安における格義否定仏教公伝以降、中華では老荘や儒教の用語を持って仏教用語を説明していましたが、中国も公伝から200年以上たち、本格的な仏教理解を求める世となってゆく。
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2016-09-13 09:36:08
【鎌倉仏教シリーズ】第78回・日蓮宗⑧日奥と不受不施派2-1不受不施とは、日蓮宗の信者でない者からの布施は受けず、日蓮宗の信者でない者への施しや供養はしない、と言う、言わば日蓮上人以来の日蓮宗の宗是ですが、これが「不受不施派」という派閥(宗流)を形成したのは、豊臣秀吉が千僧供養会で全宗派から住職を招聘した時に、日蓮宗ではない秀吉の為の供養会に出席すべきかどうかが議論になった時からです。不受不施派の日奥は不参加のグループを形成して抵抗しますが、その後、この不受不施派は時々の権力から徹底的に弾圧されるようになり、江戸時代に寺請制度が出来て以降、キリシタン同様に禁制の対象となります。
妖星伝に出てくるな
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2016-02-09 11:54:07
【鎌倉仏教シリーズ】第51回・臨済宗⑭儒教(朱子学)+禅宗=武士道3-3朱子学は、源頼朝が将軍だった頃に、真言宗泉湧寺派の僧侶・俊芿(しゅんじょうが宋より朱子学の書を持ち帰ったのを始めとし、その後鎌倉時代に中国(南宋)から来日した臨済宗の僧侶たちによって朱子学が伝えられ、南北朝時代になると、天台宗の僧侶・玄恵(げんえ)が後醍醐天皇に朱子学を教え、天皇はそのマニアとなり、多くの悲劇(忠臣たちの犬死)を生むことになる。秀吉の慶長の役の時、朝鮮より連れてこられた姜沆(きょうこう)は、臨済宗僧侶の藤原 惺窩(ふじわら せいか)最新の朱子学を伝え、その弟子の林羅山は家康に仕え、朱子学で幕藩体制の思想的根拠を築きます。
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2016-07-08 23:59:15
中国仏教シリーズ0-15-1 北周 武帝の廃仏と衛元嵩北周における廃仏 三武一宗の法難②
鮮卑系の皇帝が儒教保護か・・・
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2016-09-06 11:01:08
【鎌倉仏教シリーズ】第77回・日蓮宗⑦鍋かぶり日親2-2法華経には、釈尊(釈迦)の言葉で「法華経を広めるものは必ず迫害される」ということが書かれており、日蓮は自ら四度の法難(迫害)を受け、法華経の正しさを証明されたと訴えましたが、日蓮の孫弟子世代にあたる日親は、日蓮の意思を継いで自らも法難を受けることを覚悟の上で、時の将軍足利義教に諌暁(かんぎょう→諌め諭すこと)を三度に渡り行い、投獄された上で拷問につぐ拷問を受け、赤く焼いた鍋を頭から被せられるという拷問まで受けます。「鍋かぶり日親」の語源はこれに由来してます。この日親の系統(中山門流)は、荒修行を軸とする教義をその後にも伝えて今日に至っています。
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2016-01-13 10:29:09
【鎌倉仏教シリーズ】第48回・臨済宗⑪わび・さびと北山・東山文化3-2室町時代に入ると、臨済宗は公家や武家の間に広範に広がり、多くの帰依者を出す中で、その信仰だけではなく、臨済禅の思想は、建築様式、美術、文学、食事、茶礼、能や狂言などの芸能から生活様式にまで広範に日本人の精神世界にまで広がり定着していきます。わび(侘しさ)とさび(寂しさ)というネガティブな観念も、臨済禅の影響で「わび・さび」という止揚した形でポジティブな創造的観念と変化し、それは今日にまで続く日本の精神文化の一番の核の部分となります。(「神道」は関係ないです(笑))
はい、ばーーーーーーーーーーか 「俳優(わざおぎ)」という言葉は、滑稽な踊りなどで神様を喜ばせて、「神様の術(力)」を招き寄せること。 日本最古の歴史書『日本書記』にも「俳優」という文字があり、当時は「俳優」と書いて「わざおぎ」と読んでいた。 なんで...
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2016-03-29 09:56:13
【鎌倉仏教シリーズ】第57回・曹洞宗②懐奘と三代相論2-1鎌倉時代に比叡山から能忍という天台僧が、達磨大師の化身に聖徳太子が会ったという伝説に基づいて摂津(大坂)の三宝寺から始めた日本達磨宗の二代懐奘は、京都深草の道元を訪ね、法論(論破合戦)の末、道元の弟子となりますが、その達磨宗の懐奘の弟子たちが懐奘の永平寺二代住職継承に続き、永平寺3代住職の座を巡って争うことになります。義介と義演の二人ですが、この背景には道元の出家至上主義を維持するか、あるいは在家を認めるかの路線闘争がありました。
天童如浄でしたっけ? 生活保護の姉への扶養要請を拒否の舛添 仏教の起源は鎌倉では御座いません、異常な動画の投稿止めてください
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2016-04-19 10:12:11
【鎌倉仏教シリーズ】第60回・曹洞宗⑤鈴木正三(仁王禅と念仏)2-1曹洞宗の歴史の中で唯一得度の後も俗名で貫いた僧侶こそが鈴木正三(しょうさん)で、正三は、万民徳用と言って、すべての人が世の為に実用的に役に立つことをしなければ仏教の意味がないという立場を取り、曹洞禅に念仏を採り入れ、気迫と心を込めて念仏を唱えながら禅を組み、作業をする仁王禅を訴え、大衆の中にこれを広めた。開祖道元さえも「ただの暇人、仏教には無縁の者」と言い捨ててしまうほどの独自思想を持ったユニークな禅僧でした。
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2016-04-23 22:39:48
【ボカロオリジナル曲】俺は行く 私は行くこの数年、仏教的な考え方に興味を持っていまして、ただそれを前面に出すと出家信者と勘違いされるため、あくまでも「こういうものの考え方もあるのか」ということをヒントにしながら、日常生活の糧に出来ないかな?という、変なテーマの歌です。テーマは変ですが、曲調はシンプルなロックですね。サビの「やれる!やれる!」ってのは、自分がもし落ち込んだ時に、ストレートに言い聞かせることができるようなポジティブでストレートなメッセージを入れてみたいと思う反面、マインドコントロールされているかのような、やかましい居酒屋とか営業セールス会社の朝礼のイメージです。珍しくボカロのメインボーカルに、きよ@にこ氏の肉声コーラスが、あいの手のように入ってます。
画像センス良いよねw おめ 2 1コメ!
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2016-12-19 22:24:07
【鎌倉仏教シリーズ】第90回・日蓮主義⑨妹尾義郎と左翼日蓮主義 2-1日蓮主義と言えば、八紘一宇を訴えて世界侵略と世界征服を画策した田中智學や、一生一殺をスローガンに政府財界要人暗殺の運動を進めた井上日召など国家主義的な法華右翼のイメージが強い中、きわめて異色な存在として、左翼日蓮主義者として労働運動や社会主義運動に参加した妹尾義郎(せのうぎろう)がいます。同じ日蓮主義で右翼と左翼がいるという事自体に違和感を感じる人は多いと思いますが、実は、右翼とか左翼というのは方法論の違いで、根本は法華経で世界を統一(政治界も宗教界も)しようという原点は共有していたのです。妹尾は戦前、戦後を通じて自らの左翼日蓮主義的立場を貫き、最後には共産党にまで入党するという経緯を辿ります。
馬鹿 自分で考えろ ここからコピペしてんじゃねーーーよ http://oisr-org.ws.hosei.ac.jp/images/oz/contents/661-09.pdf
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2016-12-12 22:50:05
【鎌倉仏教シリーズ】第89回・日蓮主義⑧外八州史観と神道カルト2-1木村鷹太郎は、昭和2年(1927)に「一天四海五大洲の大日蓮」という本を出版し、かつて太古の昔は世界が日本であった、言う「外八州史観」を発表します。しかし、末法の時代とともにかつての外八州(=全世界)日本は失われ、今や内八州という小さな領土になってしまった日本が、法華経の公布という使命を負って再び外八州を取り戻す(つまり、侵略するという意味)べきだと主張します。この誇大妄想的な発想は、平田国学の流れを汲む平田系神道カルトの間にも広まり(大本教「世界雛形理論」、さらには陸軍中枢まで広まる(神道天行居など)と、それは妄想から狂気の現実となり、日本を絶望的な戦争への道へと導いて行きます。
えええまじか! 超ファンタジー過ぎる 語呂合わせ そんな勢力圏を築いたのはモンゴル人だけやん へーアルメニア出身なんだあww ww オカルトですねw
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2016-05-26 09:35:29
中国仏教シリーズ0-8-2 西晋~東晋 広がる格義仏教 支遁・竺法雅後漢末より、道教の神々の仲間として奉られた仏の教えが、道教や儒教の用語を持って解釈されてゆく
おつ
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2016-09-13 10:18:10
【鎌倉仏教シリーズ】第78回・日蓮宗⑧日奥と不受不施派2-2不受不施とは、日蓮宗の信者でない者からの布施は受けず、日蓮宗の信者でない者への施しや供養はしない、と言う、言わば日蓮上人以来の日蓮宗の宗是ですが、これが「不受不施派」という派閥(宗流)を形成したのは、豊臣秀吉が千僧供養会で全宗派から住職を招聘した時に、日蓮宗ではない秀吉の為の供養会に出席すべきかどうかが議論になった時からです。不受不施派の日奥は不参加のグループを形成して抵抗しますが、その後、この不受不施派は時々の権力から徹底的に弾圧されるようになり、江戸時代に寺請制度が出来て以降、キリシタン同様に禁制の対象となります。
明恵上人 うぽつです
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2016-04-06 09:44:12
【鎌倉仏教シリーズ】第58回・曹洞宗③瑩山(密教民間信仰と習合)2-14代瑩山の時代になると、初代道元の時代の只管打坐一辺倒(生活禅も含む)から、密教(天台密教・真言密教)や民間信仰(白山妙理大権現など)も採り入れ、さらに出家第一主義から在家も認め、徹底した男女平等主義も採り入れることにより、民衆の間で爆発的な信者の拡大を達成し、こんにち日本最大の寺院数と檀家数を誇る日本曹洞宗教団の基礎を築きます。瑩山の建立した總持寺は曹洞宗の大本山となり、総本山の永平寺と並び、日本曹洞宗の二つの本山の一つに君臨します。
wikipediaの内容と同じだなwww
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