タグ真言密教を含む動画:4件 1ページ目を表示
2024年6月3日 06時23分に生成された05時00分のデータです
2018-11-19 22:25:02
【神道シリーズ】第39回・両部神道①(まずは真言密教とは何か?から)いよいよ日本の中世から近世にかけて圧倒的な宗教的ヘゲモニーを握った真言密教系神道である両部神道のお話に入りますが、その前にまずは真言宗(真言密教)とは何か?を理解していないと、両部神道のみならず、その後に展開された伊勢神道や吉田神道という中世から近世にかけて重要な役割をした中世神道を理解することが出来ません。
ちなみに、伊勢神道は両部神道(真言密教系)と道家(道教)の結合によって生まれ、さらに吉田神道は、その伊勢神道(両部神道+道教)に儒教思想が加わって出来ています。
奈良時代までは雑密と言う未完成な呪術中心の密教の下で朝鮮半島由来の古代信仰(神祇信仰)と習合が進み、神宮寺の形成により雑密仏教が神祇信仰を支配する仕組みが出来ていましたが、中世以降は純密と言われる真言宗系密教が神祇信仰をその傘下において発展していきます。- 796
- 10.1
- 10.1
- 10.1
2018-04-24 00:08:53
【神道シリーズ】第14回・本地垂迹説(日本のすべての神々(朝鮮渡来の神々および人工神)は仏の眷属の化身とされる)宇佐八幡(八幡大菩薩)シリーズの第三話に進む前に、この本地垂迹説、つまり、日本の神々(元は朝鮮半島・新羅から)は仏の眷属(仲間たち)の化身であるとする思想をよく理解しておく必要があると思い、この一話を挿入することにしました。
八幡大菩薩が釈迦如来(本地)の化身(垂迹)だとされたのは9世紀後半で、本地垂迹説の先駆けだと言われます。
その後、11世紀、12世紀を通じて日本のすべての神社の神々は仏の眷属の化身であるとされるようになり、各神社に設置された神宮寺(神社を支配する寺)が中心となり各地独特の神仏習合文化を形成して行きます。
そして、これは一時期明治政府により否定され、神宮寺は破壊されたものの、この神仏習合思想は今日まで全国各地のお祭りや祭祀にまで生き続けています。
神社本庁を解体して全国神宮寺を復活させることこそが真に日本を取り戻すことだと思います。空海が軟禁されてるタイミングだったんすか!
- 559
- 10.2
- 00.0
- 10.2
2018-05-21 22:55:22
【神道シリーズ】第18回・稲荷信仰(新羅系秦氏「伊奈利」の神と真言密教の習合)②江戸時代以降室町時代の応仁の乱で焼け落ちた伏見稲荷大社の再建の為、真言宗の東寺(教王護国寺)は、その末寺で愛染寺という寺を創建し、そのお寺を伏見稲荷大社の神宮寺(つまり、伏見稲荷社を支配・管理する寺)とし、その愛染寺に集まった真言宗の密教僧らが中心となり、「稲荷勧進聖(かんじんひじり)」として全国に散って稲荷大社再建の為の寄付を集め、怒涛の勢いで勧進聖たちは伏見稲荷大社を再建すると同時に全国に(真言密教系)修験道を通じて稲荷信仰を広めました。これにより全国(特に関東を中心に)広がった稲荷信仰は、屋敷神、流行(はやり)神、農業神など多岐の性質を持った神として、武家、商人から農民へと国の辻浦浦まで広まっていきます。
明治以降は、神仏判然令の弾圧を受け、神仏が切り離されましたが、民衆の中に根強く残る稲荷信仰はお塚(石碑)を作り般若心経を唱え、やがてはお塚に建てた鳥居が千本鳥居となり、現在各地に見られる「お稲荷さん」になっていきます。トラック さっしょうせきw いなり寿司食べたいw 護摩? 口笛w タミヤ たまものまえ殺生石な しんでんやろw 面白いねえ れいむじゃない? 1
- 442
- 112.5
- 00.0
- 40.9
2018-12-03 22:32:02
【神道シリーズ】第41回・両部神道③大日如来=天照大神説が中世日本を支配する日本の神道とはいつ形成されたのか?と言う問いに対して、縄文時代とか弥生時代からと信じてる人は多いように見受けますが、実際宗教としての神道が作られ始めたのは鎌倉時代(元寇以降)で、完成を見たのが室町時代(吉田神道)と言うのが学者たちの間で共通してる認識です。
もちろん仏教伝来(6世紀)以前に朝鮮半島からの移民による氏神信仰というのが渡来豪族たちの間で存在していたのですが、仏経が伝来するとすぐに豪族や朝廷の間で仏教信仰が始まり、8世紀になると神身脱落と言って、氏神たちがこぞって仏教徒になり、護法善神として仏教を守りながら(神たちが)仏教の修行に励むという時代になりました。
9世紀に真言密教や天台密教が広まり、鎌倉時代の元寇を境に真言密教による神道(両部神道)が形成され、密教理論による神国日本論が展開され、天照大神が大日如来の化身であり、日本は第六天魔王の支配下にあるという思想が平家物語や太平記と言った大衆文学の間にも見られるようになり、まさに(真言密教による)両部神道は中世の精神支配(国民を含めて)を確立します。
今回は、その両部神道の理論書とも言われる麗気記や中臣祓訓解などを紹介していきたいと思います。
両部神道はその後、真言系の当山派修験として全国に広がり、古事記や日本書紀に出てきた神々に密教的解釈を加え、所謂「八百万の神」の伝承や信仰を作って行きます。直木孝次郎説ですかw 古い説ですね
- 289
- 10.3
- 00.0
- 20.7