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2024年5月27日 06時22分に生成された05時00分のデータです
2018-05-20 12:47:25
【ゆっくり】伊勢志摩の水族館を見学しない旅(後編)伊勢志摩の水族館を見学しない旅に行ってきました
猿田彦神社、伊勢神宮内宮、おはらい町・おかげ横丁、伊勢志摩スカイライン、朝熊岳金剛證寺をめぐり、
鳥羽のホテルで一泊して伊勢湾フェリーで帰ります
いつかリベンジで三重県の水族館見学記をしたいです。英虞湾の絶景ドライブも長年の夢です。
河崎や松坂のレトロな町並みを歩いて四日市のとんてき食べてあのりふぐ食べて伊勢のてこね寿司食べて
伊勢うどん食べてとばーがー食べて赤福餅とへんば餅と神代餅と太閤餅と岩戸餅食べて海鮮丼に
寿司食べて、神島や答志島や菅島行ったり、ブランカのシェルレーヌ食べたり、天の岩戸見たり
石仏(潮仏)見たり おうむ岩の声聞いたりしたかったです。時間とお金が足りない…。
sm33234263←前編
投稿したものmylist/57228428掴むと痛そうな部分あるもんね お金もあるぞ 乙です 鳥羽水1回行ったけどそんなすごい所だったとは 絶対うまいやーつ キターーー てっきり掴むのかとw かわええ w らぐじゅぁりぃ~ですなぁ ほー 素敵なお店 2013年に旧本殿を拝んで以来行ってないか...
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2018-03-26 23:20:31
【神道シリーズ】第10回・三輪山信仰と朝鮮半島(新羅)三輪山にある大神神社は日本最古の神社と言われますが、現在の風貌とは異なり、もともとは鳥居も本殿(神殿)もなく、三輪山にある磐座(石)自体が信仰の対象だったのですが、それと同じ形態の信仰形態が新羅(現在の韓国の慶州)の神堂(しんだん・しんたん)と呼ばれる神石や神木などの自然を対象とした巫覡によるシャーマニズム的な信仰と酷似してることが学者たちに指摘されてます。
古事記などに出てくる大物主神の神話と朝鮮半島の蛇と針に関する口伝伝説の酷似や、神の正体が蛇であった点とか、これも朝鮮半島の伝承との類似性が指摘されてます。
巻向遺跡や箸墓古墳でも新羅製の須恵器や鉄製品、馬具などが出土しており、さらにこの傾向は伊勢神宮の外宮の高倉山古墳でも見られています。
スサノオ族や天日槍族という半島(新羅)からの渡来勢力が古代日本や日本の古代信仰(神道)を形成した跡が窺われます。古いっていつだよ。古いっていうならせめて4世紀には遡れよ 6世紀でも国産できるだろ 7世紀なんだから国産できてるだろ は?穢の概念が仏教伝来以前に無かったら、禊ぎする意味ないじゃん どの経典だよこら 仏教のケガレ? 薬でもやってんのか
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2018-11-26 22:31:03
【神道シリーズ】第40回・両部神道②(伊勢神宮と両部神道の歴史)密教によって伊勢神宮が再興する平安時代始めの真言宗開宗(806年)以降、朝廷の信仰は真言宗中心となり、中には真如法親王のように平城天皇の皇太子でありながら皇位継承を拒否し、出家して真言僧となり、インドへの求法の旅へと出て行方不明となった皇族も出るほど皇室はこぞって真言密教の信仰に熱中しましたが、鎌倉時代に入り13世紀の元寇の時代を迎えると、真言宗の主流派は伊勢神宮の内宮(禰宜・荒木田氏)への接近を図り、伊勢神宮を真言密教の理論に当てはめ、内宮を胎蔵界、外宮を金剛界とし、神宮全体を真言密教の大曼荼羅として描くようになります。
仏教信仰が盛んだった当時、伊勢神宮でも氏寺で出家得度する伊勢神宮の神職(宮司、禰宜ら)が後を絶たず、こうした背景の中、伊勢神宮の内宮は次第に真言密教の支配下に入って行きます。
天照大神を大日如来の化身と位置づけ、真言宗による「神国日本」論を展開し、皇室や伊勢神宮の持つ荘園全体に大きな影響力を広めて行きます。
やがて両部神道は伊勢神宮に留まらず、真言宗の学僧、勧進僧、高野聖などを通じて全国の修験道に絶大な影響を与え、古事記や日本書紀に出てくる神々を密教理論の上で解釈を加えた新説を持って地方の信仰対象に比定して行き、密教的な本地垂迹説により日本全国の修験道を塗り替えて行きます。
そして、やがて記紀の中では名前の羅列だけだった神々にも「八百万の神」の地方伝承を作って行きます。- 283
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