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2024年5月29日 06時22分に生成された05時00分のデータです
2021-09-05 09:02:02
【上田宗箇 隠棲の地】浅原 亀山神社と巨樹 廿日市市浅原(旧佐伯郡佐伯町浅原)サムネ〜田園と鎮守の森遠景。廿日市市の北部旧佐伯町浅原 国道186号線と県道2号線(岩國佐伯線)が分岐するあたりにある。
浅野藩家老・上田重安こと宗箇が三年間隠棲した地でもある。今も史跡=岩船の水が残る。
田んぼと川の間にこんもりとした森があり神社がある。亀山神社でツガや杉などの大木がお多い。神殿は流造でなかなか綺麗だった。観た感じ鳥居脇のツガ、石段脇の杉が特に巨木であるようだ。
情報がないので、たまに拝見する、「はつかいちぶらり」(県西部地域の歴史などの情報満載)というブログを拝見しますと八幡宮、河内神社、鉾大明神の三つの祭神を祀るらしいですね。
ツガの巨樹はいくつかの巨樹、大木のサイトにも出ていました。でかいです。
今まで見過ごしていた(近くは何度も来てるんだが)初めて参拝。日常の周辺にも隠れたいい場所ってあるんですね。- 64
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2021-08-10 23:01:04
武将茶人〜上田宗箇(そうこ)ゆかりの 史跡 名水「岩船の水」 広島県廿日市市浅原戦国から江戸初期の武将で浅野藩の家老 上田宗箇ゆかりの場所。廿日市市の史跡である。
浅野家内での揉め事から3年ほど隠棲した上田宗箇はここ廿日市市北部の浅原で草庵を結び茶事三昧に生きた。
佐伯郡(大竹や大野、旧佐伯町)辺りは上田家の領地であった。住民にも慕われたらしい。
毎日ここへ清水を汲みに来て民家でやすんで庵へもどったという。
水は今も守られ茶に合う名水として親しまれている。
東屋に囲炉裏があり休息できるようになっている。水量は絶えないがそう多くはない感じです。
夏場は虫が多い(蜂もいた)
歴史=上田重安(のち剃髪して宗箇と号した)従五位下主水正。
尾張星崎村出身で元小笠原氏を称し、重安の時代に上だと改めたらしい。祖父の時代から丹羽長秀の家臣であった。武勇にも優れていたようです。長秀なき後、秀吉直参で1万石の大名となった(豊臣姓と冠位を授かる)関ヶ原で西軍に与し改易。
蜂須賀家の客将〜さらに浅野家(妻が高台院尾根の従兄弟の娘で浅野との関係も深かったらしい)に乞われ1万2千石で家老となり浅野とともに芸州へ移った。
茶道(利休〜古田織部に師事)作庭に優れた文化人でもあった。和歌山城西の丸、粉河寺庭園、名古屋城二の丸庭園、広島の縮景園など作庭がいまものこる。
死後今の廿日市の串山で荼毘にふされ遺灰は砕かれ大野瀬戸(宮島海峡狭隘部)に流された。墓には遺髪と一本松が植えられているそうです。- 46
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2021-12-03 09:02:02
【三滝観音】三滝名水と幽明の滝 編 広島市西区三滝山幽明の滝、三滝名水の落水の画像をいくつか追加して再編集まとめ直した。
第一の滝(雌滝)幽明〜ゆうみょう〜の滝=落差45尺 13.5m(鎮守堂前にある)
三滝名水=本堂裏にあり三滝寺を詠んだ詩の書が壁にかけられている。名水は上の滝の落水が流れてきて滝のように落ちている。原爆投下の日八月六日の平和記念式典にて七つの献水の一つとして供えられる。
広島市西区三滝山にある真言宗の古刹。江戸時代から三滝観音として信仰され親しまれてきた。
風光明媚な渓流や滝のある境内は夏の避暑や秋の紅葉などもある。
「中国観音霊場」「廣島新四國88ヶ所霊場」の札所でもあり参詣者が後をたたない。- 33
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