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2024年9月25日 07時09分に生成された05時00分のデータです
2021-08-23 09:20:02
【巨樹の風景】 旧厳島神社兼帯(けんたい)社「宮内天王社」と社叢 夏の終わりに宮内天王社(みやうちてんのうしゃ)と社叢の風景。ムクロジ(字幕は打ち間違えてます)、イヌマキ、イチョウ、モミ、ケンポナシなど・・大木が多い鎮守の森。
旧西国街道沿いである。元来は海岸近くにあったが、天正年間に津波災害で現在の宮内へ遷座した。
社叢に現在の残る何本かの巨樹大木は鎮座後に人により植えられたものらしい。
神武天皇東征時に海岸近い元宮のあたりに立ち寄ったという伝説があり天王宮と云われたという。ただ八坂神社と称したところを見ると元来は祇園社で牛頭天王を習合した神仏混交の社だったのではないかと思うんだがどうだろうか(詳細は不明)
主祭神=素戔鳴命、神武天皇のニ座 と相殿神がある。
祭祀は廿日市天満宮により兼務で行われています。
明治後は八坂神社と改称したが戦後昭和44年頃 氏子の希望で宮内天王社へ社号を再度改称した。
江戸時代〜厳島神社兼帯七社厳島神社 旧兼帯七社 〜江戸時代まで兼務の社が7箇所あったらしい、速谷神社(速田神社)、廿日市の大頭神社や大竹市大瀧神社、広島市祇園の安芸津彦神社、三翁神社、府中の惣社(今の多家神社の元になった神社の一つ)
祭祀を厳島神社の祀官が行い社殿などの修築も厳島神社が賄った。境内にあります社殿修築の寄進者を記載した石碑を見ますと、厳島神社が多くの寄進をしていました。
境内は大木も多くあり村社として守られてきたようです。旧山陽道が近くを通っていた場所でもある。御手洗川沿いあたりは大体 旧山陽道にあたるらしい。風情はありますよ。
廿日市市宮内は県道30号線が走り県道と御手洗川がぶつかる所の旧道を少し川沿いに遡ると参道入り口がある。ちょうど交番のところを入れば良い(交差点のところには島根県吉賀町の柿木村アンテナショップがあるがオススメw)駐車スペースが細長く狭い。
*同市内 県指定天然記念物津田の大カヤの木と真幡神社 sm39209336
*宮内天王社 紅葉途中の頃 sm37905347(この頃はムクロジに苔がないな)
使用音楽 のる様作(ニコニココモンズ)1雫~優しく穏やかメロディックな ピアノソロ2KANADE~ゆったりリラックス系 ピアノソロうぽつです
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2021-05-28 23:46:02
<車載>広島県道42号大竹湯来線(県道460号分岐から)〜渡ノ瀬貯水池〜林道経由【帆柱峠】へ車載。森林浴をしようと失敗臨海公園散策となった一昨日のリベンジ。現在近角林道(山陽自動車道大野インターあたりから中津岡川沿いに帆柱峠へ至る林道)が一部崩落で通行止め。西広島バイパス経由で県道30号を走り廿日市友田へ出てから向かった。
字幕訂正=県道460分岐からの部分コース表記は地図に合わせて以下に訂正しておきます。
県道42号と県道460号栗谷河津原線の分岐点〜玖島川沿いに〜渡ノ瀬ダム貯水池、渡ノ瀬集落〜県道42号線と観察の森や経小屋山方面への分岐〜経小屋山方面への分岐〜林道〜帆柱峠〜おおの自然観察の森まで。
余談〜県道460号線栗谷河津原線、何度か走ったが途中がすごく狭い険道的なルートで大型車通行困難。広原口で県道289号線へ接続します。
帰宅してGoogleMapで見るとダムの分岐で大竹 松が原方面へぬけそこから松が原の郵便局前から県道 289号が分岐して経小屋山への分岐手前へ出るようになっていた。松が原から新しく道ができているようで2車線の新しい良い道路だ。県道289号はこの先 妹背滝や大頭神社、大野インター方面へ降りる。
路線が変わったのか?確か昔は観察の森への林道分岐を右へ出て細い1車線の険道を和乱治峠へ向けて走ったはずと記憶しているが・・情報が古かったようです、県道289号の大野インター方面へははあんまり行かないものでw
あいにく曇ったり晴れたりを繰り返す天気であった。
自然観察の森(全体で広さ32haもある)園内や湖畔に(林道傍にも一部あるのだが)べにまんさくというまんさく科べにまんさく属のハート形の葉をした落葉低木で多広範囲に群生しており県の天然記念物指定されている。秋に紅く紅葉して見事である。
自然 散策記はまたうpしますが・・・。
ちょっと長いので一部 倍速。車の離合部分はナンバーなど見えていたのでカットしてある。- 91
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2021-09-05 09:02:02
【上田宗箇 隠棲の地】浅原 亀山神社と巨樹 廿日市市浅原(旧佐伯郡佐伯町浅原)サムネ〜田園と鎮守の森遠景。廿日市市の北部旧佐伯町浅原 国道186号線と県道2号線(岩國佐伯線)が分岐するあたりにある。
浅野藩家老・上田重安こと宗箇が三年間隠棲した地でもある。今も史跡=岩船の水が残る。
田んぼと川の間にこんもりとした森があり神社がある。亀山神社でツガや杉などの大木がお多い。神殿は流造でなかなか綺麗だった。観た感じ鳥居脇のツガ、石段脇の杉が特に巨木であるようだ。
情報がないので、たまに拝見する、「はつかいちぶらり」(県西部地域の歴史などの情報満載)というブログを拝見しますと八幡宮、河内神社、鉾大明神の三つの祭神を祀るらしいですね。
ツガの巨樹はいくつかの巨樹、大木のサイトにも出ていました。でかいです。
今まで見過ごしていた(近くは何度も来てるんだが)初めて参拝。日常の周辺にも隠れたいい場所ってあるんですね。- 64
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2021-02-23 00:17:02
早春の極楽寺山麓の御社(1) 原の鎮守 「 伊勢神社 」 広島県廿日市市原広島県 廿日市 原地区の神社「伊勢神社」=廿日市の山側 極楽寺山の裾野の高台にある地域〜原の鎮守社。天照大神と月読大神を主祭神とし〜明治以後、原の周辺地域の氏神六社の祭神を合祀し現在の伊勢神社となっている。十二神祇系神楽の旧舞「原神楽」を伝承する伊勢神社神楽団の根拠地。秋の祭礼に演じられる(今年は行きたいです)
冬以来、立春すぎて再訪。風が強く寒い一日。空は澄んでいて景色はよかった。海が見えます。
原の当たりは田園地帯で少し標高も高い。速谷のある上平良のさらに上の方です。古い蔵や大きな農家の建物、田園風景の場所です。ここから極楽寺山へ国道433号線が登っていく。また説教源氏節という人形芝居も伝承されています。
寒かったけど参拝時の早春の山里の雰囲気は撮れたのでよかったですね。
桜が咲いたらまた参拝してきたいです。
このあと速谷神社へ向かいました。
早春の延喜式内名神大社 速谷神社=sm38359614- 54
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2021-06-12 08:41:02
<車載>広島県道295号助藤佐伯線〜県道471号虫所山潮原線(七瀬川渓流釣り場の所まで)廿日市市の北がわ旧津和野街道にあたる県道30号線から分かれて、県道295号線助藤津田線へ入り県道471号虫所山潮原線へ後半車載データがダメだったので七瀬川渓流釣り場までです^^;
テスト撮影になってしまった。
県道471号線の終わり魅惑の里〜国道186号、国道434号で冠高原まで。sm38871921
七瀬川渓流釣り場はフライフィッシングなどできる渓流釣り堀だそうです。
県道471号線ですがここから先は樹林の中をグングン高度を上げて峠までカーブなども多く落石注意の県道です。このあと走ると車2台、原チャリ1台にすれ違いました。途中3ナンバー車が駐車して虫を網で採取か何かしてましたが離合に困りました。
峠には太田川源流の森と書かれ麓には石碑もある。太田川の源流の一つ焼山川はこの森から生まれているようです。
吉和みわくのさとまえ〜冠高原 松の木峠まで sm38871921
基本対向車は近距離で鮮明にうつらないようにカットしています。- 51
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2021-08-20 09:12:02
〜巨樹の風景〜 県天然記念物「津田の大カヤ」巨樹 広島県廿日市市津田 真幡(まはた)神社内佐伯地区の津田にある真幡神社の社殿に傘を差しかけたようにそびえる御神木。
たまに行きたくなる。久しぶりの参拝記録。
樹高35mもある常緑針葉樹カヤの巨樹。県下同種で最大の木である。
モミに似ているが葉の先や果実の形状がが違う(もみの木=葉は先が割れ、果実は球形)
カヤの木は用材としては碁盤や将棋盤に用いられることが多い木でもある。
また、カヤの木の実は、楕円形で果実は鮮やかな緑の肉質の仮種皮に覆われているが熟すと紫褐色となる。熟すと割れて種子を落とすようです。
種子=食用になり アク抜きをして そのまま炒る、餅につき込みなどなどして食すようです。
また油が多いので、昔は灯火用の油(灯明)や食用油などに使われたといいますが見たことはないですよね。探偵ナイトスクープでお寺に保存された油で天ぷら?したのを見た記憶がある(曖昧だけど)
カヤの実、自体をあまり見る機会がないので初めて見ました。綺麗な色をしている。
2021 真夏
*文化財の詳細は県の広島大百科サイト津田の大カヤの項を参照しています。- 50
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2021-08-10 23:01:04
武将茶人〜上田宗箇(そうこ)ゆかりの 史跡 名水「岩船の水」 広島県廿日市市浅原戦国から江戸初期の武将で浅野藩の家老 上田宗箇ゆかりの場所。廿日市市の史跡である。
浅野家内での揉め事から3年ほど隠棲した上田宗箇はここ廿日市市北部の浅原で草庵を結び茶事三昧に生きた。
佐伯郡(大竹や大野、旧佐伯町)辺りは上田家の領地であった。住民にも慕われたらしい。
毎日ここへ清水を汲みに来て民家でやすんで庵へもどったという。
水は今も守られ茶に合う名水として親しまれている。
東屋に囲炉裏があり休息できるようになっている。水量は絶えないがそう多くはない感じです。
夏場は虫が多い(蜂もいた)
歴史=上田重安(のち剃髪して宗箇と号した)従五位下主水正。
尾張星崎村出身で元小笠原氏を称し、重安の時代に上だと改めたらしい。祖父の時代から丹羽長秀の家臣であった。武勇にも優れていたようです。長秀なき後、秀吉直参で1万石の大名となった(豊臣姓と冠位を授かる)関ヶ原で西軍に与し改易。
蜂須賀家の客将〜さらに浅野家(妻が高台院尾根の従兄弟の娘で浅野との関係も深かったらしい)に乞われ1万2千石で家老となり浅野とともに芸州へ移った。
茶道(利休〜古田織部に師事)作庭に優れた文化人でもあった。和歌山城西の丸、粉河寺庭園、名古屋城二の丸庭園、広島の縮景園など作庭がいまものこる。
死後今の廿日市の串山で荼毘にふされ遺灰は砕かれ大野瀬戸(宮島海峡狭隘部)に流された。墓には遺髪と一本松が植えられているそうです。- 50
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2021-07-21 00:14:02
【モリアオガエルの池】(卵からオタマジャクシになりました)観察の巻広島県西部廿日市市の山中にあるおおの自然観察の森へ再び遠征してきた。モリアオガエルの卵のその後の様子を少し観てみました。
県道30号線から旧佐伯町〜42号線〜渡の瀬貯水池〜林道〜権現山の中腹くらいでかなりな距離がある。
池生き物たち オタマジャクシ、イモリ、ミズスマシ、アメンボウ、メダカ、小さなトンボみた。
モリアオガエルの成体は見たことがないので一度実物を見てみたいものですが、先日京都の高山時のTwitterで見たけど結構大きな感じでした。うぽつ
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2021-06-04 19:19:02
【 自然観察 】おおの自然観察の森(3)〜山野草を見ながら八丁蜻蛉の湿地へその3=湖畔を回りながら山野草の花、山や樹々を眺めて野鳥(鶯ホトトギスなど)の鳴く声の中を散策です。八丁蜻蛉の湿地に水蓮の花、モウセン苔など(撮影して蜻蛉はいましたが多分??近くに居たのは八丁蜻蛉じゃないんではないかなあ 確かに小さめのトンボでしたが??自信がない^^;)
この辺は確か季節には鷺草もあるはず。
成虫になって20日くらいしたら雄は赤く成るらしいんですが。メスは黒と黄色の横縞があるらしいけど観察センターで次回写真を調べてみよう。時期的に成虫が居ておかしくないからね。
広島県西端の廿日市市の渡ノ瀬ダムから林道を辿りはるばる山の中腹?へ。山中の大きな貯水池周りにある廿日市の自然アウトドアスポット。おおの自然観察の森へ2年ぶり?? 新緑の時期で緑が綺麗な散策路。駐車場を出ると新緑色の中既にいい香りがして森林浴^^:
生憎、晴れたり曇ったりの天気なのが惜しかったな。
おおの権現山の中腹あたりにある池を中心にした自然観察公園。権現山は旧佐伯町側からも登れるし、渡ノ瀬地区から(車道とは別で車は走れない)道もあり観察の森に至る(昔1回歩いたことがあるけどあんまり道はよくない山道だね)
余談=権現山には瑜伽 廃祠(仏像は岡山児島あたりに移されているらしい)があり巨石の山頂、山中にも立石(ドルメン)などがありすごいです。厳島明神も近いし、山岳修験道絡みかもしれません??。また行きたいけど。登りやすいんですけど、体調イマイチなのと体力が・・・2015年初冬に登って以来行ってない。
車道だと山陽自動車道 大野IC近くの近角林道(観察の森あたりから流れる中津岡川沿い)か県道42号線を渡ノ瀬貯水ダムまで行き途中、大竹方面への分岐で別れ林道(車用)を遡ると入口の帆柱峠へ行くことができる。近そうでなかなか遠い。
前に何度麓から登山したけど駅やバス停から近角林道歩くと帆柱峠まで2時間半はかかるね。
2021・5現在=近角林道は道路陥没で通行止めでした。
渡ノ瀬ダム〜林道車載 sm38806391- 44
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2021-04-21 23:39:02
【宮島 島の桜巡り増補 総集編】〜幸神社〜誓真大徳碑〜塔の岡〜神社裏〜多宝塔〜桃林〜大元公園地味ですが安芸国の宮島の春の風景。総集編〜増補本編
厳島(宮島)の桜4月2日頃の様子。最盛期は過ぎ場所によると散り始めていて葉が出ていたりする
がまだまだ鑑賞に耐える咲き具合であった。
1幸(さいわい)神社の桜 鳥居 脇の桜。かつての疫病の神 牛王社。
2町を見下ろす誓真大徳頌徳碑のの桜。やや散り始め。
誓真大徳(せいしんだいとく)=浄土宗 神泉寺の僧で広島城下の大工町の米屋。発心し宮島に渡り出家した。木工の心得があったようで琵琶の形から考案した杓子作りや木工製品などを教え、井戸掘りなど町民の暮らしを助けた島の恩人。
3五重塔や千畳閣のある塔の岡の桜 意外に桜がありました。
4厳島神社裏の風景と宝蔵の桜など〜金毘羅社
小銭入れからよく見ないで賽銭をあげたら500円だった喜捨w
5多宝塔の岡〜桃林(もんばやし)
6大元公園、大元川の桜、大元神社
大元神社へ参拝してもみの木の巨樹を見てあせび道〜桃林、多宝塔〜大聖院へ前はよく歩いたもんです
風情があるので好き。
メインの観光コースをだいぶ外れて歩きます。
広告恐れ入ります^^
よのひとの見付けぬ花や軒の栗 はせを- 44
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2021-09-22 09:30:03
地御前(じごぜん)西向寺 境内 大樹「蓮華松」〜名木〜 廿日市市地御前西向寺=浄土真宗 樹齢三百年以上といわれる大松。境内を覆う屋根のように広がる美しい松の木。
ただ松の樹齢等を確定する資料がないため県や市の天然記念物には指定されていないらしい。
地御前神社門前の 古い町 地御前散策の史跡スポット〜蓮華松部分のみをカット編集。
音楽=のる様作(ニコニコモンズ)
蓮の花。.*:+☆ゆったりヒーリング・ピアノ- 42
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2021-05-04 07:53:02
西国街道 廿日市宿のみなと 海の守護神「住吉神社」の小さな御社 広島県廿日市市廿日市宿は西側の重要な宿場。海が傍なので港は物資集積と海上交通輸送の拠点であった。
廿日市宿が、厳島明神の鬼門に当たることもあり港へ出入りする船舶や漁業者などの 安全祈願の「海の守護神」として祀られたのが住吉神社(住吉さん)である。三度遷座している。
御祭神 住吉大明神=墨江三前神(底筒男命 中筒男命 表筒男命)
桜(葉桜でしたが)並木の住吉堤防敷を散策 (sm38677372) してそのまま宮島街道へ出ると境内があった。横は公園。
宮島街道沿いで廿日市中心部から宮島街道を西に走り中国醸造所を西へわずか過ぎ海の方へ左折するとすぐ。
初めて参拝かなと。- 42
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2021-06-27 22:11:02
<天然記念物ツクバネガシの巨樹と紫陽花> 友田「速田(はやた)神社」R3 広島県廿日市市友田緊急事態明け今年初めて旧佐伯町の神社。広島県西部 廿日市市友田 速田(hayata)神社へ。天気で暑すぎず蒸し蒸しもせずいい日和でした。ここは季節ごと定期的に観測に行っています。
ここは広島県天然記念物ツクバネガシの巨樹が参道入り口にある。樹高27メートル(広島文化大百科のHPでは37M?の記載ありどっちだw)もあるもので県内で同種ではおそらく一番大きい。
廿日市市の宮内から県道30号線(旧津和野街道)を上り津田の手前の友田地区にあり。
昔は確かこの辺は友和村と言われていたところで友和公民館が近い(Pあり)
神社すぐ手前に岩組バス停、友和公民館前にバス停があった。
境内は鎮守の森があり背後も山。拝殿は絵馬がかかり吹き抜け。本殿も一間社流造のいい姿です。
本殿の脇障子には彫り物が見える。基本行事でもないと普段は誰もいないみたい。
雰囲気は良い。今回4目かな。
今年は緊急事態で錦帯橋の紫陽花や菖蒲の花を見損ねたので紫陽花が見れてよかった。
この日は湿気も少なく紫陽花も満開で、もみじの色も新緑も上々。
令和三年梅雨の合間に- 39
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2021-09-16 00:03:03
厳島神社外宮「地御前神社」と「地御前本道(ほんみち) 」【前編】(〜西向寺門前まで)西国街道から宮内串戸あたりで西へ分岐した古い道で、宮内〜地御前へ抜ける。地御前=じのごぜんの意で、本宮厳島神社が御前、本土側が地の御前という意味。
地御前神社のところまで続く。昔の地御前神社へ至る参詣の道でもある、生活道として使われた(今も現役)。(サイト〜広島大百科を参照しています)
20年くらい前は古い街並みなど残っていたようだが近代化で多くが失われたがまだ幾らか町家やその風情が残っている。絵を残しておこう。古い道標なども残っていたり、御堂、お寺、神社、大木などいろいろある。
最近参拝に行くと新しくなった家が増えていますね時代です。
余談〜昔、海側の宮島街道が開かれるまでは、西へ行く道は宮内村から四郎峠(今山陽自動車道がそばを走る)を越えて行く(今も迂回路として交通量が多い)旧山陽道(西国街道)しかなかった。
ただ、厳島に参詣し、その後 地御前から旧山陽道のおおの中山へ抜けた話が、室町初期の九州探題=今川了俊の道行ぶり(紀行文)にもあり迂回路も存在したようです。山越えですが。
行程
前編=藤掛橋(御手洗川)~宮内交差点~西国街道~地御前本道へ~御手洗川/御手洗橋~古い道標~地御前コミュニティセンターと道標~観音堂~
後編=西向寺と蓮華松~正行寺~古い町家など多いエリア~(洋画家)小林千古生誕地碑~地御前小学校/大銀杏~大歳神社と釈迦堂~地御前神社境内へ(国道開鑿碑、楠巨樹、地御前神社社殿、皇威輝八紘碑・寺内正毅書、絵馬、鳥居、狛犬など)→sm39369835- 37
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2021-05-03 11:45:02
初夏の新緑のトンネル 「住吉堤防敷の桜並木」を行く (廿日市市木材港北)西国街道が通る廿日市へやってきた、武漢コロナ禍でも家に籠ると体調が悪くなります。外に出てみよう。
県西部の廿日市にある桜の名所でもある住吉堤防の道。長い直線道に桜の木が延々とつづく場所。
葉桜〜緑のトンネルを抜けて行きます。備忘録として。
住吉の名前は桜並木終点の少し上、宮島街道近くに港改修などにより遷座し鎮座する住吉大明神が祀られているからかと。- 37
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2021-01-22 17:25:02
令和三年新春 厳島神社初詣(一) 宮島海峡の冬の海 2021・1真冬の宮島海峡の青い海が綺麗だったので。1月8日 昨年末参拝の折 神社側で分散しての初詣参拝を推奨とのこと。新年明けて七草が終わった8日平日の午後参拝へ出かけた。
前日深夜雪も降り積もりはしないものの大変冷え込んで寒気が覆っていた。海は真っ青の深い色で凍えそうな感じである。ぶかんコロナ第三波恨めしいです。
桟橋〜船中からの景色記録まとめ。 備忘録として。
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2021-06-18 09:50:03
国道186号線の休憩スポット「元湯小瀬川温泉」名水と池と庭 広島県廿日市市栗栖小瀬川沿いにある元湯小瀬川温泉 西広島バイパス沿いのうどんの丸忠さんが経営している。
うどんメインの食堂に温泉が併設されている感じだ。周りは自然豊かな西中国山地の中。
うどん・蕎麦の定食だとニジマスの唐揚げがついてきます。
前は渓流、背後や周囲は山が連なり自然の景色は大変いい。裏山の小瀬川神社の巨岩もすごいです。
186号線沿いには喫茶やレストランなどドライブ客向けにいくつも店舗が点在している。羅漢渓へ向けてはドライブスポットだが坂道でカーブが多いので気をつけて運転したい。186をさらに行くと羅漢峡(道の駅と温泉あり)〜冠高原、吉和へいたる。- 33
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2021-06-19 20:12:02
梅雨の自然公園 泡泡な!「モリアオガエルの卵」保存用 広島県廿日市市(おおの自然観察の森)モリアオガエルの泡状の卵の観察だけに編集し直した。
wikiなどの説明だと数匹のオスが枝先で産卵を促すと、メスが来て産卵します。粘液を出しますとオス達が足で掻き回して泡立て泡の塊を作るここへ産卵していまして泡表面が固化して卵を守る。
孵化して幼生のお玉杓子になると雨の日に水に落ちていく様です。
蛙は鮮やかな緑色らしいので一度見てみたいものですが・・・通常は樹林の中 陸上生活のようですね。
お玉杓子になったらまた観に行こうかな。- 31
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2021-12-08 21:29:02
【紅葉風景】厳島神主家菩提寺 曹洞宗 洞雲禅寺 広島県廿日市市境内の大銀杏の紅葉、サザンカ、境内社の風景。
應龍山(おうりゅうざん)洞雲寺(とううんじ)初冬の銀杏など紅葉風景。
廿日市駅の北口を出て近い場所にあり以前は、周りは山林が多かったが、開発され住宅、スーパー、新しい道路(佐方へ抜ける)ができて都市化されつつあるエリア。
金岡用兼(きんこうようけん)禅師は周南市にある陶氏の菩提寺古刹 龍門寺の住職であった名僧で洞雲寺の開祖である。本山の永平寺復興などに携わった名僧だった。
金岡禅師の門下は金剛派として周防 渓月院、長門 功山寺、阿波 丈六寺などと4大道場と言われたらしい(以前参拝した渓月院の由緒書にあった)
陶晴賢の墓所、友田(藤原)興藤墓所、桜尾城主として赴任していた桂本元澄や穂井田(ほいた)元清夫妻(毛利元就の子で長府藩祖 毛利秀元の実父)の墓所もあるようです。 2020年秋頃に訪問綺麗
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厳島神社外宮「地御前神社」と「地御前本道(ほんみち) 」【まとめ記録編】サムネ=客人宮と大楠。いくつか画像を追加、整理 し直して記録として流れでまとめておく。
西国街道から宮内串戸あたりで西へ分岐した古い道で、宮内〜地御前へ抜ける。地御前=じのごぜんの意で、本宮厳島神社が御前、本土側が地の御前という意味。
行程=藤掛橋、宮内別れ〜宮内串戸・道の始まり〜御手洗川〜新広島四国八十八ヶ所5番智秀山 観音堂〜真宗 西向寺山門〜西向寺参拝(見事な蓮華松)〜正行寺〜釈迦堂、大歳神社や大銀杏〜地御前神社境内と国道開鑿碑。
明治維新後、旧西国街道に替わり交通の利便性の高い新しいみちが求められ開削され。小己斐峠(井口)〜地御前〜大竹へかけて今の海岸沿いの国道2号線が作られた。それまでは海岸沿いの道路はなく宮内から 峠、山越えのある険しいみちであった。
地御前神社のところまで続く。昔の地御前神社へ至る参詣の道でもあり、生活道として使われた(今も現役)
参考資料=地御前コミュニティセンター地御前の史跡、広島大百科、wikiを参照しています)
20年くらい前は古い街並みなど残っていたようです。現在もまだまだ幾らか町家やその風情が残っている。絵を残しておこう。古い道標なども残っていたり、御堂、お寺、神社、大木などいろいろある。
最近参拝に行くと新しくなった家が増えていますね時代です。
余談〜昔、海側の宮島街道が開かれるまでは、西へ行く道は宮内村から四郎峠を越えて行く(今も迂回路として交通量が多い)旧山陽道(西国街道)しかなかった。ただ、厳島に参詣し、その後 地御前から旧山陽道のおおの中山へ抜けた話が、室町初期の九州探題=今川了俊の道行ぶり(紀行文)にもあり迂回路も存在したようです。山越えですが。神社はいいねー
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安芸のお伊勢さん〜原の伊勢神社(葛の花と境内から見る広島湾)絵馬なども。R3初秋廿日市市原 極楽寺へお参りと涼を求めてドライブがてら出た帰りに立ち寄り参拝と境内から海を眺めた。秋の七草の一つクズの花が咲いて秋の気配が濃厚な境内。人気はなく寂しい感じだった。
拝殿の絵馬が古くて武者絵がたくさんありました。明治以後の兵隊さんの絵もあったね。
BGM=のる様作(ニコニココモンズ)雫 ~優しく穏やか メロディックなピアノソロ~- 29
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2021-09-12 01:01:02
廿日市総鎮守 篠尾山「廿日市天満宮」からの夏の展望 風景廿日市天満宮 創建は厳島神主家 藤原氏の桜尾城の鎮守として建立された。篠尾山sasao yamaちょいとだけ山登りです。大変眺めが良い。都市化されてしまっていますが広島湾の島々がよく見て取れます。宮島なども指呼の間に見えて厳島神主家の支配の出城とされた場所です。
快晴より多少雲がある方が変化があり景色は面白いですね。
創建は古く鎌倉時代承久2年(1220年)文官中原親能(大江広元の兄)の一族とも言われるている(毛利などと元は同族らしい)鎌倉幕府・御家人藤原親実が、厳島神主に任命され桜尾城に着任。wiki参照。
厳島神主家が滅んだ後、次第に社運衰微して慶長五年に広島藩西の商業都市廿日市の氏子により再建されたといい「別当寺天神坊」と号した。その後、町の鎮守として続いてきた。
江戸期は、佐方八幡(佐方地区)、新宮社(下平良・動画あり)をも勧請し広島藩の西の大きな宿場である廿日市の総氏神とされた。
明治以後、別当寺正覚院と天満宮が分離独立された。山上で並んでますけどね。- 28
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2021-09-22 00:01:03
厳島神社外宮「地御前神社」と「地御前本道(ほんみち) 」【後編】(西向寺〜釈迦堂〜外宮 地御前神社まで)西国街道から宮内串戸あたりで西へ分岐した古い道で、宮内〜地御前へ抜ける。地御前=じのごぜんの意で、本宮厳島神社が御前、本土側が地の御前という意味。
行程=〜西向寺参拝(見事な蓮華松)〜正行寺〜釈迦堂、大歳神社や大銀杏〜地御前神社境内と国道開鑿碑。長くなってしまった・・。
明治維新後、旧西国街道に替わり交通の利便性の高い新しいみちが求められ開削され。小己斐峠(井口)〜地御前〜大竹へかけて今の海岸沿いの国道2号線が作られた。それまでは海岸沿いの道路はなく宮内から 峠、山越えのある険しいみちであった。
地御前神社のところまで続く。昔の地御前神社へ至る参詣の道でもあり、生活道として使われた(今も現役)
参考資料=地御前コミュニティセンター地御前の史跡、広島大百科、wikiを参照しています)
20年くらい前は古い街並みなど残っていたようです。現在もまだまだ幾らか町家やその風情が残っている。絵を残しておこう。古い道標なども残っていたり、御堂、お寺、神社、大木などいろいろある。
最近参拝に行くと新しくなった家が増えていますね時代です。
余談〜昔、海側の宮島街道が開かれるまでは、西へ行く道は宮内村から四郎峠を越えて行く(今も迂回路として交通量が多い)旧山陽道(西国街道)しかなかった。ただ、厳島に参詣し、その後 地御前から旧山陽道のおおの中山へ抜けた話が、室町初期の九州探題=今川了俊の道行ぶり(紀行文)にもあり迂回路も存在したようです。山越えですが。
前編行程=藤掛橋、宮内別れ〜宮内串戸・道の始まり〜御手洗川〜新広島四国八十八ヶ所5番智秀山 観音堂〜真宗 西向寺山門まで。長すぎるのでとりあえずここまでで。- 22
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2021-09-12 12:19:02
【廿日市 天神 山麓界隈散策】〜真宗 蓮教寺と大蘇鉄 (はつかいち市天然記念物)天満宮の山麓界隈を散策。本陣後の楠と石碑〜JR駅側からの風景〜西側山麓の浄土真宗 古刹 蓮教字と県下第4位ソテツの古木、境内風景。広島県歴史散歩に出ていたのでお参りしてきた。結構風情があります。
注)三業惑乱(さんごうわくらん)=浄土真宗で江戸時代本山学頭 功存により 意(心)口(言葉) 身(身体活動)の三業を通して弥陀仏に救済を求め全てに信心帰命の姿が伴わねばばらぬとした自力要素のあるものだった。これに対し批判が起こり 安芸の学僧大瀛(だいえい)らはその資料を集め団結、批判を展開した。宗派内では解決できず幕府の寺社奉行の前で討論がなされ古義派の安芸学僧らが勝って異安心(異端説)が正された。しかし騒動中に死者や獄死者や遠島、本山の閉門100日間の沙汰も出るほどの騒動となり真宗史上の大事件であった。wiki参照
廿日市天満宮 創建は厳島神主家 藤原氏の桜尾城の鎮守として建立された。篠尾山sasao yamaちょいとだけ山登りです。大変眺めが良い。都市化されてしまっていますが広島湾の島々がよく見て取れます。宮島なども指呼の間に見えて厳島神主家の支配の出城とされた場所です。
厳島神主家が滅んだ後、次第に社運衰微して慶長五年に広島藩西の商業都市廿日市の氏子により再建されたといい「別当寺天神坊」と号した。その後、町の鎮守として続いてきた。
江戸期は、佐方八幡(佐方地区)、新宮社(下平良)をも勧請し広島藩の西の大きな宿場である廿日市の総氏神とされた。
明治以後、別当寺正覚院と天満宮が分離独立された。山上で並んでますけどね。- 22
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2021-03-02 23:22:02
早春の御社2 延喜式内名神大社・旧国幣中社「 速谷神社 」廿日市市上平良伊勢神社参拝後、少し下の上平良まで移動。速谷神社=安芸国二宮。延喜五年(905年)延喜式神名帳の延喜式内名神大社 旧 国幣中社。御祭神飽速玉男命(アキハヤタマオノミコト)阿岐国造を祀る。
古代は厳島神社を凌ぐ安芸備後で最高の社格を持っていた。厳島信仰の高まりにより いつしか速田神社と称され二宮、厳島明神の摂社的位置になっていたが明治以後速谷神社と社号を戻し復興された。
各地に勧請されていて何箇所かあるようです。旧佐伯町友和の速田神社、美和阿賀の速田神社などには昨年行きました。
境内社=稲荷社と岩木社のみがある、数は少ないですね。
岩木社=参道入り口の大鳥居の近く(向かって左手の住宅街の間)にある権現岩という小山に祠があり岩木の翁を祀るその分祀のようで、権現岩の傍に平楽地蔵堂がある(神宮寺の名残、先日遠目に見たらブルーシートで屋根が痛んでいた)
地主の神様と言われる。厳島明神の伝説にも絡んでいて厳島神社の三翁神社の祭神の一柱にもなっている。以前は岩木社の前には石鳥居がなくて椿が今より大きかったかな。
少し山上にある原の鎮守(安芸灘の眺め) 早春の伊勢神社=sm38317248- 22
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2021-11-16 23:04:02
【安芸の宮島】島の対岸から晩秋の青い海と島の美しい眺め 広島県廿日市市宮島口の上にある青葉台の展望の良い公園から&阿品海岸 火立岩(ほたていわ) 近くのから。
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2021-06-02 20:02:02
【 自然観察 】おおの自然観察の森(1)〜森林浴しながら観察センターへ森林浴広島県西端の廿日市市の渡ノ瀬ダムから林道を辿りはるばる山の中腹?へ。山中の大きな貯水池周りにある廿日市の自然アウトドアスポット。おおの自然観察の森へ2年ぶり?? 新緑の時期で緑が綺麗な散策路。駐車場を出ると新緑色の中既にいい香りがして森林浴^^:
自然観察センターまでの記録。ちょい修正した。
生憎、晴れたり曇ったりの天気なのが惜しかったな。
おおの権現山の中腹あたりにある池を中心にした自然観察公園。権現山は旧佐伯町側からも登れるし、渡ノ瀬地区から(車道とは別で車は走れない)道もあり観察の森に至る(昔1回歩いたことがあるけどあんまり道はよくない)車載 sm38806391
余談=権現山には瑜伽 廃祠(仏像は岡山児島あたりに移されているらしい)があり巨石の山頂、山中にも立石(ドルメン)などがありすごいです。厳島明神も近いし、山岳修験道絡みかもしれません??。また行きたいけど体調イマイチなのと体力が・・・2015年初冬に登って以来行ってない。
車道だと山陽自動車道 大野IC近くの近角林道(観察の森あたりから流れる中津岡川沿い)か県道42号線を渡ノ瀬貯水ダムまで行き途中、大竹方面への分岐で別れ林道(車用)を遡ると入口の帆柱峠へ行くことができる。近そうでなかなか遠い。
2021・5現在=近角林道は道路陥没で通行止めでした。
その2=モリアオガエルの池へ 予定。- 17
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2021-03-28 00:38:05
桜の咲いた大内氏の前進基地〜門山(かどやま)城跡の山を麓から眺めて。 広島県廿日市市岩国方面へ抜ける途中 串山交差点から旧道へ入ろうとしたら線路脇から眺めが良さそうなので撮影。駅前の一里塚石碑と城山も見てきた。
門山城は大内氏が厳島への船の出入りなども監視できる格好の場所で、安芸国支配の出城の一つだったらしい。山の東側に妹背の滝と言う大きな滝があり厳島神社兼帯七社の一つだったという
古社 大頭(おおかしら)神社が鎮座する。大正期に滝のそばへ遷座したらしい。滝の上部の砂防ダム湖のあたりに登山口の一つがある。
太田社=大頭神社摂社。桜が多く眺めも良い。山裾を走る山陽自動車道沿いの道があり桜も多く太田社の裏を通り西へ向かう。
厳島合戦前に毛利軍により落城し廃城となる。以前も動画で一里塚の石碑は撮影したことがあるがせっかくきたので再度掲載。- 17
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