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2024年5月23日 06時21分に生成された05時00分のデータです
2021-12-04 17:11:03
間も無く大東亜戦争開戦の日、護国の英霊に慰霊と感謝の誠を捧げよう 〜旧帝国海軍中尉の父の命日にあたり〜本日(日付変わり昨日12月4日)は、旧帝国海軍中尉で空母「翔鶴」乗組員だった父の4年目の命日。
父がこよなく愛してやまなかった海軍旗を掲げお参りをしました。
今の私の活動の素地は父により作られたものです。
生まれ落ちた瞬間から楠公について教えこまれつつ育ちましたし、日本の國體についても厳しく教えられました。
保守活動をされていらっしゃる方には「若い頃は自虐史観を信じ込んでいたが、最近になりネット等で真実を知り、保守活動を始めた」と仰る方がとても多いのですが、私の場合は全く逆で、生まれ落ちた瞬間から、旧帝国海軍中尉、海軍士官の娘、楠公の血脈を引く者として育てられ、今に至る、という訳です。
戦後のGHQによる占領支配と、戦勝国による東京裁判なる茶番により、さも日本が侵略戦争を仕掛けたかのように喧伝されましたが、その自虐史観からなる虚について、まだ何も分からない小さい頃から、教えられて育ちました。
今のいわゆる「保守層」と呼ばれる方々が声を挙げるようになるずっと前の事でした。
今では、多くの方々が「保守」と言う形で真実の国家観と国史の史実に目覚められ、もう自分一人だけでは無く、同志の方々がこんなにも沢山いらっしゃるのだ!と、とても心強く、嬉しく思っています。
家庭教育はとても厳しく、テレビも禁止、漫画もアニメも禁止でした。
そして、血脈に相応しい教養を身に付けるようにと、小学生になった頃から茶道や華道、香道、能楽、ピアノ、バレエ等、あらゆる教養を身に付けさせられました。
今でも実になっているのは茶道くらいですが(笑)。
大学受験をし、厳し過ぎる環境から逃げ出すかのように京都の大学に進学してからは、父には「今後一切、私は先祖の事も神社の事も歴史観の事も関わらない」と宣言し、本当に関わらなくなりました。
しかし、遺伝子とは異なもの。
地霊の働きかけなのか、ある時、父の生家近くへ私用で赴いた際に、言葉では言い表されぬ、いたたまれぬ思いになりました。
「私は何をやってるのだろう」
楠公研究会活動で、必ずゆかりの地の現地に赴いて歴史を学ぶようにしているのは、自身のこの不思議な体験が元になっています。
その地に生きた人々の魂、特に非常に崇高なる理念で生きた人の魂は永遠に生き続ける。
まさに、七生報國。
大東亜戦争に於いても、多くの若者が「七生報國」の鉢巻を巻き、菊水と「非理法権天」旗を掲げ、出征、散華していきました。
大東亜戦争は日本の侵略戦争などではなく、アジア解放の聖戦でした。
そして、結果としてアジアは解放され、日本の掲げた大義である崇高なる理念において、大勝利を収めた事は間違いの無い事です。
これからも國體護持、そのひと筋で精進致して参ります。地震津波兵器 https://nico.ms/sm41662403 終戦間際に米国が空から撒いたビラがやばすぎる↑↑ ※真珠湾攻撃/ルーズベルトの911 https://t.me/moxypress/2693 大東亜戦争は米国の罠だった 真珠湾攻撃...
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2021-03-26 19:27:03
IL-2 1946 悲しいときはいつもIL-2 1946でこのBGM動画は他にもたくさんありますが今更ながら投稿です。
Youtubeに上げた菊水作戦フルフライト動画のハイライト編集版になります。
Youtubeにも同様のものアップしていますが。
IL-2菊水作戦フルフライト→https://youtu.be/UFH-kgTXte8ザ・コクピットは名作
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2021-02-12 20:43:02
MCザップ/特攻隊(lyric video)初めましてMCザップと申します。ラッパーをやっております。月1で投稿していきますので是非よろしくお願いします!
この曲は各種サブスクなどでも配信したのでこちらからも聴いてください!
【https://linkco.re/FYPY24Hf】
<Twitter>【https://mobile.twitter.com/tzapozap】
<Instagram>【https://www.instagram.com/tzapozap/】
<TikTok>【https://www.tiktok.com/@mczap0515?lan...】
この曲は数年前に亡くなった祖父の経験を元に作りました。最後まで聴いてくださいった方ならわかると思うのですが、彼はこのまま死んでしまったのかをあえてはっきり示さずに曲を終わらせました。ですが結論から言いますと彼は生きています。祖父曰く、自分の順番の数人前で戦車を全て撃退することができ、幸い祖父は特攻することなく済んだそうです。つまりこの曲の主人公の「とある兵士」の物語はまだ続くということです。おじいちゃんっ子だった僕は、祖父から様々な事を教えてもらいました。悲しくも面白く、波瀾万丈な人生の一部を切り取り、曲として残していきたいなと思っています。僕にできる方法はこれしかないと思っています。ですのでどうか続編をお待ちください。(投稿した1月23日は祖父の命日。俺は相変わらず元気だよ。めちゃくちゃ太ったけど。)シンプルに響く いいね この裏の音がいいね 大変や なるほどね 自分のお父さんの話なのね うぽつ
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2021-12-08 20:15:03
親友が目の前で…海中の人間爆弾「伏龍」太平洋戦争末期、アメリカ軍の上陸を阻止するため考案された特攻兵器・伏龍。いわゆる「海中の人間爆弾」です。装備の取り扱いが難しく毎日のように死者を出しましたが訓練は続けられました。説明も受けないまま伏龍に身を投じ事故で親友を失った元隊員の証言です。
戦争嫌だな
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2021-12-08 20:30:02
世界最大級の戦艦「大和」の最期 戦後76年 元少年兵の証言を基にCG再現太平洋戦争末期。軍艦のほとんどを失った日本海軍はアメリカ軍が沖縄に上陸すると航空機による体当たり・特攻を作戦の主軸にする。そうしたなか、かろうじて残っていた世界最大級の戦艦「大和」も沖縄での戦いに投入すべきとの声が上がる。
長年、戦史を研究してきた原勝洋(はら・かつひろ)さんは、「巨大で世界一といわれた大砲を持った大和がのんびりしていていいのかと、急きょ決まったといわれている」と話す。
大和への命令は、駆逐艦など10隻の艦隊で沖縄に突入し、最終的には陸地に乗り上げて戦うというもの。しかし、沖縄にはアメリカの空母機動部隊が展開していて、艦隊だけで突入できる可能性は、ほとんどなかった。
それでも、これは大和に死に場所を与えるための作戦だと理解した大和の司令部。76年前の4月6日、沖縄に向け出撃した。
この水上特攻部隊には数々の激戦を戦い抜いてきた駆逐艦『雪風(ゆきかぜ)』も含まれていた。雪風の元乗組員で、当時18歳の少年兵だった・西崎信夫(にしざき・のぶお)さんは、こう話す。
「来るところまで来たなと。もう覚悟を決めないといけないなと」
そして、出撃した水上特攻部隊。しかし、暗号を解読するなどして動きを把握していたアメリカ軍は空母機動部隊を集め待ち構えていた。
大和の前後左右から襲いかかる攻撃機。戦闘機から一斉に撃ち出される機銃弾が西崎さんの周りに着弾する。
「弾がこの頬を削っていくようなプシュップシュッというのが聞こえた。もう本当に怖い」
当時の様子をこう語る西崎さん。
無我夢中で機銃の引き金を引いたその瞬間、恐怖が別の感情に置き換わったのを自覚したという。
「今までは恐怖でしたが今度は殺意に変わる。引き金を引いているのが快感を感じるようになる。私は戦争のなにが一番怖いかといったらそこだと思いますね」
攻撃を受け始めてから2時間あまり。大和は浸水がとまらず、転覆が目前に迫っていた。
西崎さんが目撃した大和の最期とは――- 48
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2021-04-06 20:32:05
「今こそ語る 特攻隊と戦艦大和v
1コメゲッツ!!!!!
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2021-12-08 20:22:02
戦後76年 元特攻隊員が語る戦争の真実戦後太平洋戦争末期、多くの若者が命を落とした敵に体当たりをする「特攻作戦」。現在宮崎県に住む、東郷勝次さんも、かつて2度の特攻作戦に志願しました。しかし出撃命令が出ぬまま終戦に。東郷さんは当時の心境などを「沖縄特攻作戦の真実」として手記にしました。その内容とは?
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