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2024年6月5日 06時22分に生成された05時00分のデータです
2021-04-19 10:38:02
【宮島の桜巡り】多宝塔の桜、桃林(もんばやし)の桜多宝塔大永3年建立の卒塔婆塔である。宮島桜のスポットの一つ。
そのすぐそば谷そいに麓にかけて桃林(もんばやし)があり斜面いっぱいに桜が多い。
鹿は喜びますね毎日花三昧。
厳島(宮島)の桜4月2日頃の様子。最盛期は過ぎ場所によると散り始めていて葉が出ていたりする
がまだまだ鑑賞に耐える咲き具合。
前編 桜スポット誓真(せいしん)大徳碑の岡〜五重塔の岡の桜 sm38597393- 36
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2021-12-03 09:02:02
【三滝観音】三滝名水と幽明の滝 編 広島市西区三滝山幽明の滝、三滝名水の落水の画像をいくつか追加して再編集まとめ直した。
第一の滝(雌滝)幽明〜ゆうみょう〜の滝=落差45尺 13.5m(鎮守堂前にある)
三滝名水=本堂裏にあり三滝寺を詠んだ詩の書が壁にかけられている。名水は上の滝の落水が流れてきて滝のように落ちている。原爆投下の日八月六日の平和記念式典にて七つの献水の一つとして供えられる。
広島市西区三滝山にある真言宗の古刹。江戸時代から三滝観音として信仰され親しまれてきた。
風光明媚な渓流や滝のある境内は夏の避暑や秋の紅葉などもある。
「中国観音霊場」「廣島新四國88ヶ所霊場」の札所でもあり参詣者が後をたたない。- 35
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2021-10-29 02:13:02
真言宗の古刹 「上不見山 極楽寺」 広島県廿日市市(極楽寺山山頂付近)廿日市市の極楽寺山693m山頂付近にある古刹。1200年を超える歴史がある。
本堂は毛利元就の寄進で再興されたもの。天明年間大きな修理が行われているらしいので、現存する本堂建立時の永禄年間の木材は少ないという。
周囲はモミの原生林があり大変自然豊かな場所。時に野猿の姿もある。
正規の参道は登山道であります。この日も登山客が何組かいましたね。
残念なのはよく知らないため寺務所横の赤樫の巨樹を見忘れたこと^^; 何度来てるかダメだね。
境内展望所からは広島湾の島々が見える。
他に蛇の池があり、睡蓮が夏には咲いて綺麗です。周りを散策できます。
阿弥陀大仏様 は今期は参拝せず。
同山にいたナナフシsm39550620
音楽
のる様作 ニコニコ・モンズより
「雫 ~優しく穏やか メロディックなピアノソロ~」- 35
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2021-09-16 00:03:03
厳島神社外宮「地御前神社」と「地御前本道(ほんみち) 」【前編】(〜西向寺門前まで)西国街道から宮内串戸あたりで西へ分岐した古い道で、宮内〜地御前へ抜ける。地御前=じのごぜんの意で、本宮厳島神社が御前、本土側が地の御前という意味。
地御前神社のところまで続く。昔の地御前神社へ至る参詣の道でもある、生活道として使われた(今も現役)。(サイト〜広島大百科を参照しています)
20年くらい前は古い街並みなど残っていたようだが近代化で多くが失われたがまだ幾らか町家やその風情が残っている。絵を残しておこう。古い道標なども残っていたり、御堂、お寺、神社、大木などいろいろある。
最近参拝に行くと新しくなった家が増えていますね時代です。
余談〜昔、海側の宮島街道が開かれるまでは、西へ行く道は宮内村から四郎峠(今山陽自動車道がそばを走る)を越えて行く(今も迂回路として交通量が多い)旧山陽道(西国街道)しかなかった。
ただ、厳島に参詣し、その後 地御前から旧山陽道のおおの中山へ抜けた話が、室町初期の九州探題=今川了俊の道行ぶり(紀行文)にもあり迂回路も存在したようです。山越えですが。
行程
前編=藤掛橋(御手洗川)~宮内交差点~西国街道~地御前本道へ~御手洗川/御手洗橋~古い道標~地御前コミュニティセンターと道標~観音堂~
後編=西向寺と蓮華松~正行寺~古い町家など多いエリア~(洋画家)小林千古生誕地碑~地御前小学校/大銀杏~大歳神社と釈迦堂~地御前神社境内へ(国道開鑿碑、楠巨樹、地御前神社社殿、皇威輝八紘碑・寺内正毅書、絵馬、鳥居、狛犬など)→sm39369835- 35
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2021-10-01 23:42:02
ちょっとお出かけ4 東広島市黒瀬町|小鳥と河鹿 春の黒瀬ダムこんなところにも河鹿(カジカガエル)がいるんだー というのが嬉しかったので、カメラ忘れで車載成分なしですが、動画にしました。
香木堂のお店カフェ・アルターナさんの「かりんとうちらし寿司」はこちらです。
https://www.cafe-altana.com
地元産の材料にこだわった、かりんとうはじめ、スイーツも作っておられます。- 34
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2021-06-10 07:32:02
【 神社風景 】西ノ松原「厳島神社 末社 清盛神社」 kiyomori shrine松と海が美しい西の松原にある清盛神社。1952年 昭和27年が(没後)770年にあたり機運が起こり、翌28年に奉賛会が組織され 摂社の三翁神社の祭神のひと柱だったが分祀され建立された。
厳島明神信仰興隆の恩人 平清盛公威徳を偲んで鎮座した新しい末社。西の松原の先端にあり海の景色が良い。
社殿=一間社流れ造 檜皮葺の屋根で丹塗の社殿に瑞垣がある。
祭神=平清盛公一座
御手洗川(紅葉谷川)沿いにあり神社そばの橋を渡り西へ行くと宮島水族館や大元公園、摂社の大元神社へと続く。
西の松原は江戸時代に川の土砂や砂浜の砂を築き固め作られ、昭和20年の枕崎台風の災害時の大量の土砂でさらに延長されたのどかで風光明媚な場所。厳島神社出口の傍から松原が始まる。
宮島へ行くと松原はよく行くが人が比較的少ないので割と静かでさらに大元神社へが自分的には定番コース。干潟
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2021-05-01 12:14:02
【西国街道 海田宿】千葉家住宅と泉庭 完全版 (サムネ=千葉氏 月星紋のある新蔵)旧千葉家住宅 角屋(明治〜昭和期の居間 台所再現 展示あり)、重要文化財=座敷棟玄関、泉庭園(江戸中期作庭。元は江戸初期のものを修築)座敷棟は広島県重要文化財指定で江戸中期建て替えられたもの。
海田=今の安芸郡海田町。海田宿として江戸初期整備され広島藩の物流、開運の拠点の一つ。
千葉家=神保屋と号した商人で酒造業の傍ら天下送り、宿送りを司る。宿場の要職にあった。
元は房総半島の御家人千葉氏の一族で、室町期に芸州へ下向、大内、毛利氏に仕えた。関ヶ原以後、武士を辞めたという。明治以後町長も務め街に貢献しているらしい。
千葉家住宅=主屋、角屋、座敷棟、納屋、蔵などからなる。現在は角屋にて明治〜昭和にかけての居間や台所の様子が道具類とともに再現されている。
天下送り=幕府の公文書、荷物の継送るの役目(千葉氏は上瀬野、広島城下までをカバーしていた)
宿送り=広島藩の文書手紙などを継ぎ送る(主に尾道奉行とのやりとり)
庭園=江戸中期に江戸初期の庭を座敷棟の改修時に改修したと言われる。本座敷から目の前に見え一体にして客をもてなす趣向。浅野家の庭〜縮景園を参考にしているとも。
角屋=つのや。台所などの機能があったらしい。
画像を大幅追加して全体イメージがよくわかるようにした。
お近くの方は街道散策がてら一度見学をお勧め。- 34
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2021-04-09 20:30:05
【福島正則夢のあと】「 亀居城跡 」の満開の桜 再訪・補遺編【西国街道】江戸初期に福島正則が五年の歳月をかけて築城した要塞 亀居城である。
完成後間も無くわずか3年余りで幕府の命令により破却された城。あまりに大規模な堅城であったのが、災いしたのかもしれませんね。長く忘れさられていたが発掘され石垣など遺構が保存され城跡 亀居公園となっている。
元々は小方白と言われていたが山が亀の甲羅のような形なので亀居と呼ばれるようになった。
現代では広島県西端の桜の名所として有名。本丸跡からの眺めも良い。
行程=北側駐車場ーなしの丸、有の丸〜詰の丸と本丸の間の道を進み〜本丸石垣下から石本美由起歌碑〜本丸展望所へ。
小方あたりには古代山陽道の遠管(おが)駅があったと言われているそうです。海側から道はあまり広くなく坂がキツい。山の北側に車が入る公園入り口があり駐車場もある。北側には山陽自動車道が走る。
南は海、堀を巡らし、北側は急峻な山があり、西は山陽道苦の坂の難所があり要害の地であった。
お城に関しての歴史情報〜 大竹歴史研究会記事、西念寺HPより参照。
以前1回来て以来久方ぶりタイミングが合い満開の城址にやっと散策した完結です。
福島正則の亀居城跡へ(西国街道沿い)前編 sm38506561
亀居城と桜=メインは城跡散策〜桜が少し咲いていた(5分咲き)sm38555020- 34
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2021-02-11 23:11:03
【はつかいち御手洗川の河口】 広島の牡蠣 棚(カキ養殖)の広がる 〜磯の風景〜地御前漁港そばの 御手洗川河口の磯。宮島や広島湾を望む。野鳥が多いのでバードウオッチングやカメラを抱えてくるものも多い。散策路にしている人もいるみたいだ。
左に広島市西区井口あたりの鈴ヶ峰山(万葉の山として知られる)〜木材港(ゆめタウンの建物が大きい)〜島々(似島や能美島など)〜宮島へかけてよく見える。
廿日市天満宮、地御前神社の帰りに立ち寄り。- 34
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2021-09-25 18:15:02
ちょっとお出かけ3 東広島市河内町|深山変電所(登録有形文化財)紅葉で有名な深山峡にある深山変電所は、外観が花崗岩で作られた、変電所というには綺麗な建物ですが、国の登録有形文化財だったんですね。知らなかったー
GoProを買ったので、初めて車載動画にしてみました。 広島県内の気楽なドライブです。- 33
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2021-06-18 09:50:03
国道186号線の休憩スポット「元湯小瀬川温泉」名水と池と庭 広島県廿日市市栗栖小瀬川沿いにある元湯小瀬川温泉 西広島バイパス沿いのうどんの丸忠さんが経営している。
うどんメインの食堂に温泉が併設されている感じだ。周りは自然豊かな西中国山地の中。
うどん・蕎麦の定食だとニジマスの唐揚げがついてきます。
前は渓流、背後や周囲は山が連なり自然の景色は大変いい。裏山の小瀬川神社の巨岩もすごいです。
186号線沿いには喫茶やレストランなどドライブ客向けにいくつも店舗が点在している。羅漢渓へ向けてはドライブスポットだが坂道でカーブが多いので気をつけて運転したい。186をさらに行くと羅漢峡(道の駅と温泉あり)〜冠高原、吉和へいたる。- 33
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2021-10-17 21:59:03
西国街道 玖波宿を出て〜黒川へ向けての高台から海の景色 (広島県大竹市)昔の西国街道は玖波宿を出ると山麓を黒川村〜小方村〜さらに苦の坂をこえ小瀬川河畔の木野へ出ていた。開発が進み山麓は道路と住宅街となり昔の街道筋はわからなくなっている。
ガイドブックなどでは大筋街道沿いの山裾をゆく道を紹介しており、高台なので景色がよく雰囲気も良い。恵川を越え坂を登った病院があるところから海を眺めた様子。
この辺りは廿日市から山陽自動車道沿いに走る、国道2号線の混雑を避ける抜け道になっており意外に車が多い。転々と景色のいい場所がある。
ここを抜けると黒川あたりに出て亀居城北側を抜け大竹駅方面や山越で立戸(途中動物の彫刻が可愛い河内神社がある)から小瀬川河畔の採石場のある場所にでれる(この間見てきたのでまた動画あげます)- 32
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2021-07-15 07:46:02
【厳島神主家の菩提寺】曹洞宗 應龍山 (おうりゅうざん)洞雲禅寺(とううんぜんじ) 広島県廿日市市應(応)龍山(おうりゅうざん)洞雲寺(とううんじ)。
廿日市市北口にあり前は周りは山林が多かったが、開発され住宅、スーパー、新しい道路(佐方へ抜ける大きな道が今工事中)ができて都市化されつつあるエリア。
金岡用兼(きんこうようけん)禅師は周南市にある大内氏の重臣であった陶氏(すえ氏)の菩提寺で周南市にある古刹 龍門寺(りゅうもんじ)の住職であった名僧で洞雲寺の開祖である。本山の永平寺復興などに携わった名僧だった。
金岡禅師の門下は金剛派として周防 渓月院、長門 功山寺、阿波 丈六寺などと4大道場と言われたらしい(以前参拝した渓月院の由緒書にあった)→サブ垢〜小周防の渓月院=sm37215231
厳島合戦の敗者 陶晴賢の墓所、桜尾城主として赴任していた桂本元澄や穂井田(ほいた)元清夫妻(毛利元就の子で長府藩祖 毛利秀元の実父)の墓所もあるようです。
コメントありがとうございます^^
寺号読み記載しました。忘れてました(^^;;
写真そうですね傾いてますね。春にも行って桜の頃撮ったのもあったんですけど誤って消しちゃいました。残念。春も綺麗です。ここ、写真が少し傾いてるのがもったいないな~でも、全景がわかるいい写真だと思う これなんて読むの?
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2021-01-22 22:09:02
令和三年 厳島神社初詣(二)【厳島神社】参道〜社殿と鏡の池などの様子 2021・1港から参道を行き〜厳島神社本殿へ参拝。夕暮れの有の浦(表参道商店街の海側あたり)からの夕日を見て帰る。
できるだけ人物が映らないように撮影しました。いくらか参拝客はおられましたが少ないです。
商店街夕方でしたが8〜9割開いてませんでした。
いつもいく、もみじ饅頭屋さん(岩村)もカフェもみんなお休み。やれやれ。
今年の宮島初参拝記録。日記です。- 31
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2021-09-11 18:17:02
【車載】極楽寺山(693m)越え 国道433号〜県道291号線を経て湯来町まで。車載。693m極楽寺山越えです。。秋らしくなってきたがまだセミが僅か鳴いている時期ですが、 国道433号線〜県道291号線を抜けて湯来町41号線合流まで。
上平良(へら)〜原地区へ入る〜長野ループ〜極楽寺山越え(国道433から県道291号線へ)〜葛原(国道433へ合流)〜県道41号線 白川神社前。
この後ふと気が変わり引き返して 旧沼田郡の戸山の山御所 阿刀明神へ向かいました。- 30
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2021-06-19 20:12:02
梅雨の自然公園 泡泡な!「モリアオガエルの卵」保存用 広島県廿日市市(おおの自然観察の森)モリアオガエルの泡状の卵の観察だけに編集し直した。
wikiなどの説明だと数匹のオスが枝先で産卵を促すと、メスが来て産卵します。粘液を出しますとオス達が足で掻き回して泡立て泡の塊を作るここへ産卵していまして泡表面が固化して卵を守る。
孵化して幼生のお玉杓子になると雨の日に水に落ちていく様です。
蛙は鮮やかな緑色らしいので一度見てみたいものですが・・・通常は樹林の中 陸上生活のようですね。
お玉杓子になったらまた観に行こうかな。- 30
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2021-12-08 21:29:02
【紅葉風景】厳島神主家菩提寺 曹洞宗 洞雲禅寺 広島県廿日市市境内の大銀杏の紅葉、サザンカ、境内社の風景。
應龍山(おうりゅうざん)洞雲寺(とううんじ)初冬の銀杏など紅葉風景。
廿日市駅の北口を出て近い場所にあり以前は、周りは山林が多かったが、開発され住宅、スーパー、新しい道路(佐方へ抜ける)ができて都市化されつつあるエリア。
金岡用兼(きんこうようけん)禅師は周南市にある陶氏の菩提寺古刹 龍門寺の住職であった名僧で洞雲寺の開祖である。本山の永平寺復興などに携わった名僧だった。
金岡禅師の門下は金剛派として周防 渓月院、長門 功山寺、阿波 丈六寺などと4大道場と言われたらしい(以前参拝した渓月院の由緒書にあった)
陶晴賢の墓所、友田(藤原)興藤墓所、桜尾城主として赴任していた桂本元澄や穂井田(ほいた)元清夫妻(毛利元就の子で長府藩祖 毛利秀元の実父)の墓所もあるようです。 2020年秋頃に訪問綺麗
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2021-09-22 19:04:02
厳島神社外宮「地御前神社」と「地御前本道(ほんみち) 」【まとめ記録編】サムネ=客人宮と大楠。いくつか画像を追加、整理 し直して記録として流れでまとめておく。
西国街道から宮内串戸あたりで西へ分岐した古い道で、宮内〜地御前へ抜ける。地御前=じのごぜんの意で、本宮厳島神社が御前、本土側が地の御前という意味。
行程=藤掛橋、宮内別れ〜宮内串戸・道の始まり〜御手洗川〜新広島四国八十八ヶ所5番智秀山 観音堂〜真宗 西向寺山門〜西向寺参拝(見事な蓮華松)〜正行寺〜釈迦堂、大歳神社や大銀杏〜地御前神社境内と国道開鑿碑。
明治維新後、旧西国街道に替わり交通の利便性の高い新しいみちが求められ開削され。小己斐峠(井口)〜地御前〜大竹へかけて今の海岸沿いの国道2号線が作られた。それまでは海岸沿いの道路はなく宮内から 峠、山越えのある険しいみちであった。
地御前神社のところまで続く。昔の地御前神社へ至る参詣の道でもあり、生活道として使われた(今も現役)
参考資料=地御前コミュニティセンター地御前の史跡、広島大百科、wikiを参照しています)
20年くらい前は古い街並みなど残っていたようです。現在もまだまだ幾らか町家やその風情が残っている。絵を残しておこう。古い道標なども残っていたり、御堂、お寺、神社、大木などいろいろある。
最近参拝に行くと新しくなった家が増えていますね時代です。
余談〜昔、海側の宮島街道が開かれるまでは、西へ行く道は宮内村から四郎峠を越えて行く(今も迂回路として交通量が多い)旧山陽道(西国街道)しかなかった。ただ、厳島に参詣し、その後 地御前から旧山陽道のおおの中山へ抜けた話が、室町初期の九州探題=今川了俊の道行ぶり(紀行文)にもあり迂回路も存在したようです。山越えですが。神社はいいねー
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2021-09-12 22:02:02
安芸のお伊勢さん〜原の伊勢神社(葛の花と境内から見る広島湾)絵馬なども。R3初秋廿日市市原 極楽寺へお参りと涼を求めてドライブがてら出た帰りに立ち寄り参拝と境内から海を眺めた。秋の七草の一つクズの花が咲いて秋の気配が濃厚な境内。人気はなく寂しい感じだった。
拝殿の絵馬が古くて武者絵がたくさんありました。明治以後の兵隊さんの絵もあったね。
BGM=のる様作(ニコニココモンズ)雫 ~優しく穏やか メロディックなピアノソロ~- 29
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2021-07-23 08:08:02
厳島管絃祭 当日の風景 「厳島神社摂社 長浜神社」 令和2年厳島神社管絃祭=旧暦六月十七日(R3年は七月二十六日ですが)大潮の日厳島神社で行われる最大の祭り。日本三大船神事と言われる。
御旅所の一つ摂社長浜神社参拝と祭りを控えたその様子を参拝記録として。
神社風景は2分あたりから〜
厳島神社にて神事の後、御座船へ御神体を移し奉り、江波(広島市)、阿賀(呉市)の漕伝馬船船と鯛網船に引かれて海峡を渡り火立岩沖で潮待ちをして対岸の地御前にある、外宮地御前神社へ渡御が行われ管弦の音色を響かせる。再び島へ戻り長浜神社〜大元神社の摂社に寄港し管弦が演奏される。
大元浦から大鳥居をくぐり神社へ戻られる。
コロナ禍で伝馬船と御座船が中止。神事のみの催行でした。動力船(遊漁船)を飾り付けて神官さんのみで行われた。令和三年の大祭が間も無く御座船はやはり中止ですが行われます。大祭記念としてうPします。
字幕訂正=伝馬船は西回廊ではなく〜東回廊枡形内の海上で回ります。
日帰りの小さな参拝旅 もう1年前か・・あとでまとめた本編を作る。のどかやな
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2021-11-26 08:59:02
広島市の寺院【三滝観音】龍泉山「三滝寺」(三)補陀落の庭と茶堂・梵音の滝〜多宝塔 広島市西区三滝山広島市西区三滝山にある真言宗の古刹。江戸時代から三滝観音として信仰され親しまれてきた。
風光明媚な渓流や滝のある境内は夏の避暑や秋の紅葉などもある。「中国観音霊場」「廣島新四國88ヶ所霊場」の札所でもあり参詣者が後をたたない。
字幕訂正=梵音の滝は字幕では落差つ90m〜90尺27mが正しいです。
その3=その3は下山しながらと十六羅漢。茶堂、梵音の滝と補陀落の庭〜多宝塔(国の重要文化財)
その2= 本堂、三滝名水〜鎮守堂、幽明の滝〜三鬼堂まで(猫も出ます)sm39664828
その1sm39657016
久々の(以前登山の時だから五年ぶり?)散策時に綺麗なので写真沢山撮りましたので活用してみました。秋の午後で曇り加減だった。寺の裏山は宗箇山と言われ 上田宗箇が縮景園から借景として大きな松を山頂に植えた故事からその山名がついた山。
大同四年(809年)空海の開基と伝わる古刹で江戸時代後期に入山した明禅僧正により六十年の期間にわたり再興された。その後鞍馬寺で修行された四廣四鬼神和尚により復興が継承されたという。弥山の寺にて住職も兼ねていたので、宮島の弥山に祀られていた三鬼大権現(追帳鬼神、時眉鬼神、魔羅鬼神からなる弥山 山岳信仰の守護神)の三鬼神権現堂が勧請され建立されている。
現在の場所にある弥山の三鬼権現堂(御堂は江戸期までは現在の御山神社のある岩盤の上にあったようです)建立したのもこの和尚だということです。
原爆の被害を受けおり当時の建物で現存するのは 鎮守堂、三鬼権現堂、稲荷社、鐘堂、想親観音堂。
本堂は原爆と風水害の被害を受けたため昭和四十九年に古い日本の様式で総檜、寄棟、瓦葺にて再建。
音楽 のる様作(ニコニコモンズ)蓮の花。.*:+☆ゆったりヒーリング・ピアノあとは沢音。
事歴に関しての歴史事項は、広島市西区役所作成配布の三滝散策マップ境内、参道周辺地図の記事を参照しています。)お近くの方は気が向かれたら是非参詣ください。- 28
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紅葉谷公園入口 〜厳島神社末社〜「四宮神社」令和3/8【宮島の自然と神社】 もみじ道〜四宮神社 広島県廿日市市宮島町
厳島神社末社 四宮神社 創建年月不詳 御祭神未詳 大正4年南町の秋葉社を合祀したため迦具土神一座を加える。
御社殿=一間社流造 檜皮葺
参拝記録
編集し直して歩き部分をカットしてスッキリした感じにできた^^紅葉したらまた参拝に行きたいな。
祭礼は旧暦八月一日 民間行事たのもさん=手製の小舟船(たのも船)に団子の人形、果物、おはぎ、お賽銭などをいれ農作物を作っている対岸の大野のお稲荷さんへ向けて海へ流す
昔は農耕が禁止され お稲荷様も禁止されていた
音楽=のる様(ニコニココモンズ)
KANADE ~ゆったりリラックス系 ピアノソロ~宮島で一泊して神社巡りしたい\(^o^)/
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2021-09-26 08:30:02
夏の終わりに西ノ松原を抜け「厳島神社」境外 摂社「大元神社」と大元公園にある楠の大木宮島の大元浦大元公園入口に鎮座します。厳島神社境外 摂社 大元神社
御祭神=国常立尊、大山祇神、保食(うけもち)神。
相殿=最初に社殿を立てた佐伯鞍職)
諸説あるらしいですが厳島神社よりも古いとも云われ、島の地主神を祀るともされる神社。
大元浦(水族館の少し西の大元公園入口あたりにある)大元浦は厳島合戦における陶晴賢と大内軍団の上陸地点でもある。
七つの摂社末社をめぐる御島廻神事の最後の配所でもある。また夏の大祭〜管弦祭でも管弦船が寄港し祝詞や管弦が奏される。
厳島神社HP記載にによれば 創建は不詳ながら仁安三年(1168)の佐伯氏の記録に大伴社として記載されているそうです。
社殿も古く大永三年(1523年)再建。屋根が独特で長板葺=六枚重ね三段葺(他になく大元葺きとも云われるそうです)。
本殿内陣の玉殿=柿葺で一間社流 見世棚造りで三殿あり 嘉吉三年建立(1443年)本殿より古い。
大祭は一月二十日の百手祭(弓の神事)
音楽=のる様作 鎮守の森~和風&アンビエントなピアノソロ~&KANADE ~ゆったりリラックス系 ピアノソロ~- 28
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2021-09-12 01:01:02
廿日市総鎮守 篠尾山「廿日市天満宮」からの夏の展望 風景廿日市天満宮 創建は厳島神主家 藤原氏の桜尾城の鎮守として建立された。篠尾山sasao yamaちょいとだけ山登りです。大変眺めが良い。都市化されてしまっていますが広島湾の島々がよく見て取れます。宮島なども指呼の間に見えて厳島神主家の支配の出城とされた場所です。
快晴より多少雲がある方が変化があり景色は面白いですね。
創建は古く鎌倉時代承久2年(1220年)文官中原親能(大江広元の兄)の一族とも言われるている(毛利などと元は同族らしい)鎌倉幕府・御家人藤原親実が、厳島神主に任命され桜尾城に着任。wiki参照。
厳島神主家が滅んだ後、次第に社運衰微して慶長五年に広島藩西の商業都市廿日市の氏子により再建されたといい「別当寺天神坊」と号した。その後、町の鎮守として続いてきた。
江戸期は、佐方八幡(佐方地区)、新宮社(下平良・動画あり)をも勧請し広島藩の西の大きな宿場である廿日市の総氏神とされた。
明治以後、別当寺正覚院と天満宮が分離独立された。山上で並んでますけどね。- 28
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2021-09-27 22:44:03
鎮守の森に囲まれた 末社 四宮神社 夏の終わりに。【宮島の自然と神社】 もみじ道〜四宮神社と 紅葉谷公園へ 広島県廿日市市宮島町
厳島神社末社 四宮神社 創建年月不詳 御祭神未詳 大正4年南町の秋葉社を合祀したため迦具土神一座を加える。
御社殿=一間社流造 檜皮葺
祭礼は旧暦八月一日 民間行事たのもさん=手製の小舟船(たのも船)に団子の人形、果物、おはぎ、お賽銭などをいれ農作物を作っている対岸の大野のお稲荷さんへ向けて海へ流す
昔は農耕が禁止され お稲荷様も禁止されていた
音楽=のる様(ニコニココモンズ)
自転車に乗って。.*:+☆爽やか&明るい シンプルなピアノソロ
雫 ~優しく穏やか メロディックなピアノソロ~いいね
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2021-05-27 09:22:02
初夏の神社風景 「名神大社 厳島神社」初夏の静かな境内の様子厳島八景のひとつにも選ばれている厳島神社の鏡の池、後園(うしろその)の新緑などなど。末社 瀧宮へ向かう前に参拝。
後園=神仏分離後 本地堂は撤去され、現在は瓦葺の四脚門=不明門(開かずの門)があるのみ。
明治後100年以上たち樹木が茂って鎮守の森のようになったらしい。
厳島八景(八箇所の雅趣のある風景が選定されている)のひとつ
鏡池秋月(鏡の池に映る秋の月)と云われた。
「滝小路」から大聖院門前を経て「白糸の滝」と「瀧宮」へ sm38792411
とりあえずこれで R3年5月の宮島散策の記録は終わり。定点観測です^^- 27
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2021-05-02 21:38:02
初夏の厳島海峡の海 「阿品防潮堤から」阿品あたりから多分景色がいいだろうなと 宮島や海峡の海がどう見えるか気になっていたので、阿品方面へ来たついでに見てきた記録として。青い海が綺麗だった。
阿品=広島県廿日市市フジグランナタリーのあるあたり阿品の少し海岸を東へ行くと阿品東電停の先にには火立岩(ほたていわ)という場所があり、管絃祭でこの沖に停泊し潮待ちをする場所。また毛利元就が厳島合戦で船出したのも火立岩からと言われている
海を見たのはフジグランのやや西側の住宅がある防潮堤から。
*蓬莱島と聖崎の映像を挿入していますがやや画質がSDでアレだが2018年のものです。- 27
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2021-04-24 16:14:03
【拝殿の彫刻がかわいい 】三ツ石 「河内神社」(広島県大竹市三ツ石町)修正版旧PCが起動してデータ救出ができたので保存用として。字幕の抜けを直しサウンド追加。
地方の神社巡り。広島県の西端大竹市にある 神社。大竹市の県道117号線沿いの三ツ石町にある鎮守社。江戸時代やや下の御薗〜苦の坂峠へかけて西国街道が通っていた。
大竹の御園のあたりから入り三石浄水場前から小瀬川沿の穂二原(ほにはら)あたりへ出る県道横の岡の上にある。小高いところに姿のいい赤い鳥居が目立つのでこの道を走ったことがある方は見ているはずですが。以前1回行ったことがあるんですが様子をよく覚えていないのと駐車スペースがないのが大変。
此の間、御祭り前に幟がたったり幕を張ってある時行きたかったんですが、ようやく時間を見つけて
今頃参拝してきた。前から鳥居が気になっていたので記録してきた。
ただ由緒などは不明、佐伯神社庁のHPに名前以外ない。
境内はすごく綺麗にされていていいですよね。拝殿の動物の彫刻が丁寧でいいです^^
神社あたりを少し過ぎて浄水場手前の路側に駐車できるスペースが若干あるので車ならそこがいいでしょうが厳しい。神社周辺の三石地区は駐車スペースはない。眺めは良かったですまた行きたいです。
隣がお不動様を祀るお堂(四角いコンクリート製かな?祭壇のちゃんとしているサッシもはまって立派)神仏習合の名残かもしれませんが?
宮島の島の桜スポット sm38597393
大竹市周辺
大竹市 桜の名所 福島正則の亀居城跡へ(西国街道沿い)前編 sm38506561
岩国市 令和三年 最盛期の錦帯橋の桜模様 sm38531266- 27
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2021-04-18 08:46:02
【宮島の桜巡り】 高台にある誓真大徳(せいしんだいとく) 頌徳碑〜塔の岡の桜厳島(宮島)の桜4月2日頃の様子。最盛期は過ぎ場所によると散り始めていて葉が出ていたりする
がまだまだ鑑賞に耐える咲き具合であった。
1幸(さいわい)神社の桜 鳥居脇の桜。かつての疫病の神 牛王社。
2町を見下ろす誓真大徳頌徳碑の岡の桜。やや散り始め。
誓真大徳(せいしんだいとく)=浄土宗 神泉寺の僧で広島城下の大工町の米屋。発心し宮島に渡り出家した。木工の心得があったようで琵琶の形から考案した杓子作りや木工製品などを教え、井戸掘りなど町民の暮らしを助けた島の恩人。
3五重塔や千畳閣のある塔の岡の桜意外に桜がありました。
この後 厳島神社裏から多宝塔へ上り、桃林(もんばやし)大元公園へ- 27
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2021-12-26 20:39:02
広島県 油木小奴可線(2021-10-24)いつのまにか通行止め終わってたのに気づいたのでぱぴこ。電波なくて生放送できない地域。
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2021-05-31 13:46:02
【 宮島の神社風景 】「厳島神社末社 荒胡子神社」(旧 大願寺子院 金剛院の鎮守社)旧 金剛院鎮守社 「荒胡子神社」の佇まい。初夏の風景。
厳島神社は江戸時代まで神宮寺「大聖院」、造営修繕を司る「大願寺」をもとなう神仏習合の厳島明神だった。大願寺は神社のすぐそばにあり御本社と一体となり大伽藍を形成していたらしいです。
塔の岡の下あたりに真言宗の金剛院がかつてあり大願寺の子院であったそうです。五重塔も金剛院の塔だったとか。金剛院=仁寿二年(854年)建立で相当古い寺院だったそうです。
朱塗の神殿は15世紀室町期の嘉吉元年(1441年)建立。棟札には島田三郎左衛門尉宗氏が造立したと記載される同院の鎮守である〜この年は7月に足利義教謀殺の嘉吉の乱が起こった〜
明治の神仏分離政策で分離され、鎮守社は厳島神社へ属すこととなる。社殿の詳細は、広島県の文化財サイトによった。
隣が厳島神社の修繕工事などの作業場、資材置き場のようになっていた。
またその先には御文庫の蔵が立つ。
御文庫は光明院の僧が発願し建立、蔵書とともに厳島本社へ奉納されたと伝わる。蔵は景教の建築様式であると厳島神社の公式サイトの記述には記載されていた。
余談〜金剛院は佐伯区の石内へ移ったらしいです。現在もそちらに現存しています。新広島四国八十八ヶ所の遍路の札所になっているらしい。- 26
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2021-07-25 09:47:02
【宮島の神社】厳島神社摂社 三翁社 令和三年初夏厳島神社摂社。元来は日吉山王神社らしい。平安末に平清盛公により近江坂本「日吉山王社」から勧請された。明治維新後、いくつか神社を合祀して社号を変更したようです。
社殿は拝殿と三殿の神殿が並んで鎮座する。
神社裏を抜ける道の岩惣や紅葉谷方面へ行く道の入り口あたりにある。
御祭神
中央殿〜大綿津見命、佐伯鞍職、所の翁、岩木の翁、安徳天皇、二位尼、右殿〜大己貴命、猿田彦命、左殿〜御子内侍、徳寿内侍、竹林内侍を祀る
例祭=10月23日 舞楽が演舞される。うぽつ うぽつ~
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2021-11-17 23:51:03
車載 広島県道471号所山潮原線 晩秋の西中国山地を走る後編 (記録版)音楽などなしで記録として。広島県廿日市市(虫所山~吉和) タイトル間違えてる。
県道471が正しいです・・・初歩的なミス^^; 。- 24
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2021-11-16 13:37:02
広島市の古社「安神社」(旧 祇園社) 広島市安佐南区祇園清和天皇の御世 貞観年間に諸国に勧請された祇園社の一つだそうです神仏混淆の素盞嗚命と習合したした牛頭天王を祀る社だった。明治二年神仏分離し安神社と改称。
住宅に囲まれ 社頭を県道277号線が走り、背後にJR可部線が通過する場所にある。
鳥居から遥かに銀山(かなやま)=武田山〜佐東銀山城跡(安芸武田氏の根拠地)が見える。
佐東銀山城(武田山)の麓にあったが正安元年1299年に厳島神主家に攻められ兵火で焼けたため、武田氏により現在地で再建されのだそうです。
祭礼中の戦火で御神体は御神幸中で助かったという。
何度かこの辺は通行していたが、今回初めて参拝させていただいた。
県道277=西区横川〜安佐南区のJR古市橋駅前まで続く県道 旧国道54号で弓道と呼ばれバス通りでもあり交通量は相当多い。道は結構狭い。
近くに厳島神社兼帯七社の一つ 古社の安芸津彦神社があるようです。
字幕訂正2:43〜 武田、大内、毛利、福島。浅野など歴代領主にも尊崇されていた祇園社だった- 24
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2021-08-29 09:09:02
本土側から撮影した宮島(厳島のを眺め)の色々〜 阿品、経小屋山、下灘 夜の月掛かる宮島の山〜昔の登山の時の写真、最近の阿品海岸からの映像、玖波へ入る手前の下灘(たぶん)海岸から夕焼けと厳島にかかる月。
音楽はのる様の曲を利用させていただいています。KANADE ~ゆったりリラックス系 ピアノソロ~- 24
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2021-05-13 09:57:03
県名勝「千葉家住宅」江戸期中期改修の「泉庭」と重要文化財「座敷棟」千葉家住宅の江戸中期に座敷等建て替えの時1774年改修のお庭(江戸初期築庭)部分中心に編集。
広島県の名勝指定。座敷棟=県の重要文化財指定。
庭と座敷棟はセットなので残した。曇りでやや暗め。
植栽が茂っているので緑は濃い。
ただ、築山などがややわかりにくい感じ。築山には石が置かれ、妙見社の祠がある。
植木をいい具合に刈り込んだらもっと姿がよくなるかもしれませんね。
千葉家の歴史=平氏の流れの関東武士団中の房総で威を振るった豪族千葉氏の一族である。安芸国へ移住したのち戦国期 大内、毛利(小早川隆景)などに仕えた。
毛利が防長二州に移封後、武士をやめてしまい「神保屋」と号し広島藩で商人となる。西国街道の宿場として整備された海田へ移住し酒造業などを営む傍、宿場の要職を務めた。
また、天下送り、宿送り(幕府や藩の書簡、文書、荷物の継ぎ送り)の業務を担う。
家紋が蔵などにありますが=月星紋(げっせいもん)妙見信仰に関係した千葉氏の家紋。
音声修正。- 23
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2021-09-22 00:01:03
厳島神社外宮「地御前神社」と「地御前本道(ほんみち) 」【後編】(西向寺〜釈迦堂〜外宮 地御前神社まで)西国街道から宮内串戸あたりで西へ分岐した古い道で、宮内〜地御前へ抜ける。地御前=じのごぜんの意で、本宮厳島神社が御前、本土側が地の御前という意味。
行程=〜西向寺参拝(見事な蓮華松)〜正行寺〜釈迦堂、大歳神社や大銀杏〜地御前神社境内と国道開鑿碑。長くなってしまった・・。
明治維新後、旧西国街道に替わり交通の利便性の高い新しいみちが求められ開削され。小己斐峠(井口)〜地御前〜大竹へかけて今の海岸沿いの国道2号線が作られた。それまでは海岸沿いの道路はなく宮内から 峠、山越えのある険しいみちであった。
地御前神社のところまで続く。昔の地御前神社へ至る参詣の道でもあり、生活道として使われた(今も現役)
参考資料=地御前コミュニティセンター地御前の史跡、広島大百科、wikiを参照しています)
20年くらい前は古い街並みなど残っていたようです。現在もまだまだ幾らか町家やその風情が残っている。絵を残しておこう。古い道標なども残っていたり、御堂、お寺、神社、大木などいろいろある。
最近参拝に行くと新しくなった家が増えていますね時代です。
余談〜昔、海側の宮島街道が開かれるまでは、西へ行く道は宮内村から四郎峠を越えて行く(今も迂回路として交通量が多い)旧山陽道(西国街道)しかなかった。ただ、厳島に参詣し、その後 地御前から旧山陽道のおおの中山へ抜けた話が、室町初期の九州探題=今川了俊の道行ぶり(紀行文)にもあり迂回路も存在したようです。山越えですが。
前編行程=藤掛橋、宮内別れ〜宮内串戸・道の始まり〜御手洗川〜新広島四国八十八ヶ所5番智秀山 観音堂〜真宗 西向寺山門まで。長すぎるのでとりあえずここまでで。- 22
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2021-09-12 12:19:02
【廿日市 天神 山麓界隈散策】〜真宗 蓮教寺と大蘇鉄 (はつかいち市天然記念物)天満宮の山麓界隈を散策。本陣後の楠と石碑〜JR駅側からの風景〜西側山麓の浄土真宗 古刹 蓮教字と県下第4位ソテツの古木、境内風景。広島県歴史散歩に出ていたのでお参りしてきた。結構風情があります。
注)三業惑乱(さんごうわくらん)=浄土真宗で江戸時代本山学頭 功存により 意(心)口(言葉) 身(身体活動)の三業を通して弥陀仏に救済を求め全てに信心帰命の姿が伴わねばばらぬとした自力要素のあるものだった。これに対し批判が起こり 安芸の学僧大瀛(だいえい)らはその資料を集め団結、批判を展開した。宗派内では解決できず幕府の寺社奉行の前で討論がなされ古義派の安芸学僧らが勝って異安心(異端説)が正された。しかし騒動中に死者や獄死者や遠島、本山の閉門100日間の沙汰も出るほどの騒動となり真宗史上の大事件であった。wiki参照
廿日市天満宮 創建は厳島神主家 藤原氏の桜尾城の鎮守として建立された。篠尾山sasao yamaちょいとだけ山登りです。大変眺めが良い。都市化されてしまっていますが広島湾の島々がよく見て取れます。宮島なども指呼の間に見えて厳島神主家の支配の出城とされた場所です。
厳島神主家が滅んだ後、次第に社運衰微して慶長五年に広島藩西の商業都市廿日市の氏子により再建されたといい「別当寺天神坊」と号した。その後、町の鎮守として続いてきた。
江戸期は、佐方八幡(佐方地区)、新宮社(下平良)をも勧請し広島藩の西の大きな宿場である廿日市の総氏神とされた。
明治以後、別当寺正覚院と天満宮が分離独立された。山上で並んでますけどね。- 22
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2021-03-07 19:00:02
【徒歩動画】福山市 素盞嗚神社 参拝記備後国一之宮 素盞嗚神社に参りました
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2021-03-02 23:22:02
早春の御社2 延喜式内名神大社・旧国幣中社「 速谷神社 」廿日市市上平良伊勢神社参拝後、少し下の上平良まで移動。速谷神社=安芸国二宮。延喜五年(905年)延喜式神名帳の延喜式内名神大社 旧 国幣中社。御祭神飽速玉男命(アキハヤタマオノミコト)阿岐国造を祀る。
古代は厳島神社を凌ぐ安芸備後で最高の社格を持っていた。厳島信仰の高まりにより いつしか速田神社と称され二宮、厳島明神の摂社的位置になっていたが明治以後速谷神社と社号を戻し復興された。
各地に勧請されていて何箇所かあるようです。旧佐伯町友和の速田神社、美和阿賀の速田神社などには昨年行きました。
境内社=稲荷社と岩木社のみがある、数は少ないですね。
岩木社=参道入り口の大鳥居の近く(向かって左手の住宅街の間)にある権現岩という小山に祠があり岩木の翁を祀るその分祀のようで、権現岩の傍に平楽地蔵堂がある(神宮寺の名残、先日遠目に見たらブルーシートで屋根が痛んでいた)
地主の神様と言われる。厳島明神の伝説にも絡んでいて厳島神社の三翁神社の祭神の一柱にもなっている。以前は岩木社の前には石鳥居がなくて椿が今より大きかったかな。
少し山上にある原の鎮守(安芸灘の眺め) 早春の伊勢神社=sm38317248- 22
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2021-11-20 23:33:02
広島市の古刹寺院「三滝寺」(入り口あたり〜鎮守社、渓流など)編集中。序盤部分テスト投稿。参道〜観音堂〜鎮守龍神社まで〜渓流の様子。
本編以下
その1=sm39657016
その2=sm39664828
三滝寺なかなかよろしいですね。5年ぶりに参詣しました。蚊がまだいましたw何年か前に行きました(^o^)
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2021-05-27 22:30:02
晴海臨海公園(宮島海峡を望む海に面した公園)と小方港 広島県大竹市ローカルスポット。宮島の海峡の西端に面した臨海公園と小方港散策。廿日市のおおの自然観察の森へ森林浴へ行こうとしたが林道通行止めで行けず 大竹に回る。
大竹市玖波の錦龍の滝も通行止めらしいので、国道2号線近くの小方港方面へ。
宮島の隣 阿多多島(牡蠣やはまち養殖などで有名)への航路などが出ている港、漁船なども停泊している。防潮堤では釣り人などもいましたね。
傍には晴海臨海公園があり散策や球技など運動やウオーキングができる デイキャンプも可能らしい。
県がコロナ緊急事態で散策のみおkでありました。瀬戸の島や山が見えて悪くはない。晴れてれば良いでしょうな。海の傍だが木陰がないので夏は暑そうw
西側入り口〜東入り口へ一回りして景色を眺めただけの記録。ストーンアートなどもありました。弥栄ダム建設時に出た岩石を使い市内各所にあるらしい。- 21
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2021-11-17 23:33:02
車載 広島県道471号所山潮原線 晩秋の西中国山地を走る前編 (記録版)広島県廿日市市(虫所山~吉和)
タイトル打ち間違えてる 県道471号が正しいです。- 20
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2021-11-11 22:29:02
晩秋の小瀬川と対岸の防鹿にある 採石場の風景(県道135号線)雨が降りだし和木の瀬田八幡へ上がれずそのまま小瀬川を北上、山口県玖珂郡和木町から県道135号線で小瀬川を遡ってきた。その頃には雨が止んでいた。
江戸時代周防と安芸国の国境の小瀬川(木野川)河畔の県道で対岸のざっくり削れた採石場の様や川の晩秋の風情を眺めて帰った。かつては周辺の各村は紙漉きで栄えた場所。今は防鹿にただ一件残るのみ。
川は上流に弥栄ダムや小瀬川ダムがある為水量はあまり多くない。
採石された山肌が面白く野の花とともにしばらく眺めていた。
県道117号線 は山越えで(御園から立戸、三石を抜け)防鹿の砕石場 脇の国道186号へ至り、吉和方面や川下のトンネルを抜け木野へ(木野方面への県道117号の出口は角度が曲がりにくいので注意がいる)さらに両国橋を渡り小瀬〜関関バイパス〜岩國の関戸へと結ぶ。
県道135号線の先はどうなってるかまだ終点まで走ったことがないんですけどね。- 19
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2021-08-12 08:51:02
【べにまんさく湖と小さな湿地】蜻蛉や花の写真と観察 広島県廿日市市「おおの自然観察の森」再訪権現山の中腹にある自然公園夏の訪問の最後。「八丁とんぼの湿地」へと向かうが・・八丁蜻蛉は姿なし。
野鳥がいい声で鳴きます中を湖畔などを散策した。一部BGM以外は自然音です。
湿地にはモウセンゴケ、水苔、睡蓮などまだ鷺草は見られなかった。
蜻蛉類はシオカラトンボ、糸蜻蛉などがおりました(多分ね)。
園内の樹木には夏の花が咲いていていろいろ見て歩く。
名前が分かれば楽しんだろうけど観察センターは閉まってました(閉園時間間も無くなのでもうセンターは締めましたと〜〜管理人さんに言われて慌てて帰りました)いろいろ模型、写真や図鑑もおいてあるんですよ。
遠いのでまた行けるのはいつかな・・蜂がいたから多分ベニマンサク紅葉の頃まで行かない。- 19
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2021-08-02 22:37:02
<令和三年度> 厳島 管絃祭 夏の海ノ神事・記録編 【厳島神社参詣と大鳥居前の儀・海峡の海と干潟】記録として。本編とほぼ同じ。後半は長い記録ようなので撮影したデーターはほぼ残しました。
満ち潮が迫る浜辺の様子と神事の様子と管弦の音や潮騒、夕方の太陽。
淡々と伝統的神事が続くのみ(これも部分的ですが長いので全て撮れませんので)
派手な面白みは全くないです。
詳細〜
厳島神社 夏の風物詩「管絃祭」平安京の貴族の水上に船を浮かべる管弦のあそびを移したた祭りである。平清盛により始められたと云われている。日本三大船神事の一つに数えられる。
今年は去年より天気が良く海が青くて綺麗に写真など撮れたので良かったですゎ。猛暑に参拝できてお陰様ですね。
内容=参拝・社殿や境内の飾り付け〜御笠の浜〜大鳥居沖へ、御座船と夕方の浜の風景です。
管絃祭の由来
元来は六丁の櫂のついた和船により自力航行して対岸の外宮「地御前神社」へ渡御していたと云われるが、江戸の頃元禄4年 暴風雨に遭って遭難しかけたところ 江波(えば・広島市)の伝馬船と阿賀(あが・呉市)の鯛網線に救助された。これ以後この二つの地域の氏子が御座船を曳航(引いて)サポートしていくようになる。
御座船は三艘の和船を舟組して1艘とした装飾された大型和船を使う。御座船には御神体を御移しした御鳳輦(ほうれん)が乗り込み御神幸がなされる。
例年の実際の行程=発輦祭(大体16時〜)〜大鳥居前の儀〜火建岩沖(潮待ち)〜地御前神社(夜 満潮時)〜長浜神社(宮島港東側)〜大元神社〜本宮の火焼前(ひたさき)〜客神社前〜本殿 還御(深夜)- 19
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2021-08-17 22:31:02
【夏越しの祓の日】 安芸総鎮守「速谷神社」(延喜式内名神大社・旧国幣中社、別表神社)安芸国の「阿岐(あき)国造」の祖を祀る神社。まさに安芸国の総鎮守である。
古代の安芸王国の王ともいうべき祖神を祀るわけだ。
参拝の神事まちの合間に〜写真と動画が少し。たまに参拝するがいいですよ。
平安末期に厳島神社が平氏により大興隆するまでは、安芸と備後国で最高の社格を誇り延期式神名帳=名神大社に列した。(ちなみに厳島神社も名神大社である)
厳島信仰の興隆の陰で二ノ宮 速田神社と呼ばれ長い歴史を辿る。
その後再度,復興され元の社号に復し速谷神社として明治以後国幣中社にも列し現在へ繋がっている。
昭和後期に焼失したため社殿は再建。付属の建物はそう古くはなく新しく建立されたモノであろう。
昔、今の神門の場所にはかつては鳥居があたったらしい。
江戸時代=厳島神社兼帯社だっ(速田大明神と呼ばれ本来の名前が忘れられていた)
BGM利用=鎮守の森~和風&アンビエントなピアノソロ~ のる様 作- 18
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2021-07-27 09:01:02
宮島神の島 夏の月 尺八バージョン宮島の見える海岸で夕方撮影。たまたま宮島街道を通過中、月が綺麗だったので駐車スペースに停車して道草して眺めた。
撮影場所 広島県の西部廿日市市から大竹へ入る手前。
月が登っているのは岩舟岳〜御床山(みことやま)への鞍部かと。- 18
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2021-11-16 23:04:02
【安芸の宮島】島の対岸から晩秋の青い海と島の美しい眺め 広島県廿日市市宮島口の上にある青葉台の展望の良い公園から&阿品海岸 火立岩(ほたていわ) 近くのから。
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2021-06-02 20:02:02
【 自然観察 】おおの自然観察の森(1)〜森林浴しながら観察センターへ森林浴広島県西端の廿日市市の渡ノ瀬ダムから林道を辿りはるばる山の中腹?へ。山中の大きな貯水池周りにある廿日市の自然アウトドアスポット。おおの自然観察の森へ2年ぶり?? 新緑の時期で緑が綺麗な散策路。駐車場を出ると新緑色の中既にいい香りがして森林浴^^:
自然観察センターまでの記録。ちょい修正した。
生憎、晴れたり曇ったりの天気なのが惜しかったな。
おおの権現山の中腹あたりにある池を中心にした自然観察公園。権現山は旧佐伯町側からも登れるし、渡ノ瀬地区から(車道とは別で車は走れない)道もあり観察の森に至る(昔1回歩いたことがあるけどあんまり道はよくない)車載 sm38806391
余談=権現山には瑜伽 廃祠(仏像は岡山児島あたりに移されているらしい)があり巨石の山頂、山中にも立石(ドルメン)などがありすごいです。厳島明神も近いし、山岳修験道絡みかもしれません??。また行きたいけど体調イマイチなのと体力が・・・2015年初冬に登って以来行ってない。
車道だと山陽自動車道 大野IC近くの近角林道(観察の森あたりから流れる中津岡川沿い)か県道42号線を渡ノ瀬貯水ダムまで行き途中、大竹方面への分岐で別れ林道(車用)を遡ると入口の帆柱峠へ行くことができる。近そうでなかなか遠い。
2021・5現在=近角林道は道路陥没で通行止めでした。
その2=モリアオガエルの池へ 予定。- 17
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