タグ石原莞爾を含む動画:7件 1ページ目を表示
2024年6月3日 06時23分に生成された05時00分のデータです
2022-11-21 21:50:03
AIを使って拓也さんを陸軍軍人にしてみた初投稿です。
ウリ狂MODくんの調子が悪く、割とまともな拓也さんになってしまいました。
最後らへんは趣味です。
追記:途中、音量調整をミスってしまいました。許して亭許して春には花に埋もれてしまう 真珠わぁん おっ待てい進出だゾ(検閲) 君なんかキャラ違くない? 親が厳格でホモになるとかマーダーケースブックっぽい 石タクてぇてぇ😭 お前も大概変わり者だろ アホみたいにあんこう鍋作ってそう やったぜ。 大田豊太郎 生まれ...
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2021-06-13 01:48:03
【ゆっくり解説】満州事変魔理沙たちがゴールデンウィーク云々言ってますがYouTubeにあげた時の話です。
あまり気にしないでください。
【YouTube】
https://www.youtube.com/channel/UCcySHolQFnr-QCmgRvQL3PQ
【Twitter】
https://twitter.com/N17138612僕のご先祖様が満州事変起こしたよ!(実話)ちなみに、名字は丹羽です 石油つってもこの頃は撫順の頁岩油くらいでしょ。大慶はまだ見つかってない その見越しがそもそも間違っている バレバレで根回ししてないのが最高にバカなんだがな 戦争が罪になったのは東京裁...
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2023-05-03 17:00:00
【3分戦略解説】石原莞爾の戦略【戦略学】結月ゆかりによる、3分(過ぎ)でわかる解説です。
今回は「石原莞爾の戦略」です。
Youtubeで観る→ https://youtu.be/4amIKWFBcYc
デルブリュックの戦略→ sm39084849
ルーデンドルフの戦略→ sm39846320
「いいね」でオマケが読めます。海に囲まれた国で海軍の協力が得られない時点で終わっとるわw 中国とはさっさと講和してソ連に備えろってことやろ うぽつですわ ww2の敗北は、当時の人々に軍備放棄を考えさせるくらいショックだったか 2正面作戦はやめようね 僥倖=思いがけない幸運。当時の...
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2024-01-09 16:31:02
満州人の視角から:満洲事変の真実GHQによる洗脳を受けた日本人の間では、満州事変が日本の中国侵略の始まりであり
日中戦争が侵略戦争であるとの認識が根強いです
これは根本的に誤った歴史観であり、多くの日本人が罪悪感を抱きながら受け入れています
今日、私は満州人の視点から、東アジア近代史における重要な転換点である満州事変を再考し
誤解を解き明かし、真実の満州と日本の歴史に光を当てます
0:00概要
0:50清の滅亡
02:28満州独立の思想
04:35張作霖爆殺事件の真実
07:20張学良の逆行
17:40柳条湖事件
19:15満州人の支援
21:11満州の独立と意義- 83
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2023-05-05 20:36:02
ハーツオブアイアン4 HOI4 大日本帝国プレイ 初手フランス 日本武尊と行く 新章其の十一 対中華事変前日夜シナ戦争開戦の勅り!昭和天皇、溥儀皇帝、徳王意見合致の勅令一下!!!
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2023-04-25 05:49:02
ハーツオブアイアン4 HOI4 大日本帝国プレイ 初手フランス 日本武尊と行く 新章其の六 石原莞爾の裏取引。イラク王国併合日本武尊が子孫を助ける・・・。新章 初手フランス 其の六 石原莞爾が出てきました。
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2021-08-24 18:21:02
満洲事変と満洲国建国 21939年の時点で満洲国は、ドイツ、イタリア、スペイン、バチカンなど約20か国から承認されていたのです。満洲を支配する張学良の軍隊が消滅して、その支配権は、300万人の満洲人に戻り、清朝の最後の皇帝溥儀を元首に、故郷で独立宣言したにすぎません。清朝から独立した孫文ら漢民族はよくて、満洲人は独立してはいけないのでしょうか?
1931年関東軍は、満州の現状を一気に改善しようと、張学良の軍をソ連が介入しない様に一気に追い払います。これが満州事変です。張学良の軍は15から22万といわれていましたが各地に分散していましたので、動きの速い関東軍と朝鮮から越境した日本軍、わずか1万4千に各個撃破されてしまいます。この作戦計画を3年かけて緻密に作り上げたのが天才的関東軍作戦主任参謀の石原莞爾中佐です。そしてこれを一番喜んだのは満州人でした。日本国内でも関東軍のこの行動を支持する人々が多くいて、陸軍には多額の支援金が寄せられました。政府も追認します。そして清朝最後の皇帝溥儀を元首に満州国が建国されます。日本が後押しをしました。
支那人が多くなると土地の支配権は支那人に移ります。満州も同じでした。もともと満州は、満州人以外は立ち入を禁止されていた神聖な土地だったことを前回お話ししました。満州人にやとわれた小作人の漢人が、土地を奪うようになります。満州にロシア人のほかに漢人の難民や匪賊も流れ込んできます。日本が年号を昭和と改めたころ、中国では、各地に私兵をかかえた軍閥が群雄割拠していました。1925年ころです。日露戦争後、山東出身の匪賊の頭領のような人物が、日本を後ろ盾に満州をしだいに支配するようになります。張作霖です。私兵を雇い、逆らうものは見せしめに皆殺しです。満州人は、張作霖から、どんな重税を課せられてもさからうことはできなかったのです。張親子は、金の準備がない不換紙幣を発行し、住民から生産物を取り上げ、阿片の栽培と売買で軍隊を養っていました。蒋介石は、塩の専売と輸出入の関税で兵を養っていました。昭和2年ころは北京に進出した張作霖と蒋介石は、敵対関係にありました。そのため張親子と満鉄は、初めは互いに利用しあう関係になります。このような中、日本軍から勧告されて張作霖が満州への帰途列車ごと爆殺されます。どの教科書も日本の関東軍の仕業ということになっています。ソ連崩壊後に公開された外交文書には、ソ連の工作であったと書かれているそうです。コミンテルンにとって日本に恩義がある張作霖は邪魔だったのでしょうか。張作霖と対立していた蒋介石は、息子をソ連に人質同然に差し出していました。そして1930年に息子の張学良が、北京に進撃して首都とし、南京の蒋介石政権と支邦を名目上2分しました。蒋介石は一度も満洲に足を踏み入れたことはなく、言葉も通じなかったのです。- 33
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